§.2004年・年頭所感−業を宿したDNA
(Sinful structure of DNA, 2004 beginning)

−− 2004.01.05 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.01.22 改訂

 ■はじめに − 連続と節目
 年が改まったからと言っても周囲の状況や環境が変わる訳でも無いので、すっかり気持ちが改まる訳ではありません。従って今年の年頭に一番言いたい事、とは実は去年と一緒なのです。つまり今の飽食的で使い捨てに慣らされた生活の中で「感謝の心」を思い出そう、ということです。
 しかし年が改まったということは、まあ一つの区切り・節目ですから、去年1年を無事に過ごせたことを先ず感謝したいと思います。歳を取ると1年の重みが少しずつ増して来るもので、1年が過ぎ去る速度も少しずつ速く成って行く様に感じられ、従って私の場合感謝したい気持ちも年毎に少しずつ大きく成って行きます。
 そういう意味で、正月に過ぎ去った年のことを思い遣ったり新年の凡その過ごし方などを考えてみたりすることは、気持ちに”節目”を与える事に成るとは思います。良く「一年の計」と言いますが、私の場合計画なりスケジュールなりをカッチリ決めて仕舞うのは好きではありません。それが逆に手枷足枷(てかせあしかせ)に成る様な気がするからです。ま、アバウトで大雑把な性格ということでしょう。
  {尚、この論考の初稿では「大衆民主主義論」を一緒に論じていたのですが、テーマをすっきりさせる為に04年1月22日にその部分を「理性と感性の数学的考察」に分離独立させリンクで参照する様に改訂しました。}

 ■二重螺旋構造の妙 − 捻じれと回帰
 私は可なり前(←もう20年以上も前)から漠然と思っていたのですが、DNA(※1)の二重螺旋構造は中々”意味深長な構造”と熟々(つくづく)感心させられて居ます(△1)。私には人の一生というものが、DNAの二重螺旋がトグロ(蜷局)を巻き乍らグルグルとコイル状に延びている形状、即ち”捻じれ”構造をその儘反映して居る様に思えます。トグロの1巻きが1年に相当し毎年1回は同じ位相に回帰する、2本のコイルが絡み合う二重螺旋が人と人との”柵(しがらみ)”(※2)に相当し、それを引き摺って生きて行くというイメージですね。つまりDNAが螺旋状に絡み合っているのは、人間が生まれた時から或る種の運命的な”柵”を背負って生きて行かざるを得ない存在だということ、つまり人間が持つ業(ごう)(※3)を暗示して居る様な気がして為らないのです。そして暦の「連続と節目」はDNAの「捻じれと回帰」構造と何処か相似的に感じられます。
 良く社会問題や政治問題などで、「AとBが捻じれて居る」とか「捻じれ現象が生じている」とか言い、捻じれて居ることは”悪い事”の様に扱われて居ますが、人生とは人と人との”柵(しがらみ)”の中に成り立つと考える私は、一般世論の規範的な観念や決め付けに対して懐疑的な所が有ります。特に論理的とか理性的とかいう言辞を強調する場合、上からの力でその”捻じれ”を無理矢理引き剥がし真っ直ぐに伸ばそうとする様に感じられます。まあ、そういう私は決して規範的な人間では無いので多分”捻じれ”て居るのでしょう、しかし私はそういう自分を非常に素直な人間だと思って居ます、即ちDNAの”捻じれ構造”に沿って「素直に捻じれた生き方」をして居るのだと、アッハッハッハ!
 断って置きますが、以上の話は飽く迄DNAの二重螺旋構造から喚起されるイメージの話です(→論理的とか理性的とか言う問題の詳細は分離独立させた「理性と感性の数学的考察」をご覧下さい)。

 ■世界史を更新して居るアメリカ
 前述の様に、1年がDNAのトグロの1巻きに感じられる私は、昨年の年頭の状況を思い出して居る所ですが、まあ現在の世界史を推進し且つ更新して居るのは昨年も今年も超大国アメリカです。
 現在のアメリカの国家状況は、別ページに分離した「理性と感性の数学的考察」の中で論じている「利己的自由主義=自由原理主義」に可なり近い状態です。それを可能ならしめて居るのは、旧ソ連の崩壊で対抗する強国が無くなって、”地球上に敵無し”の状態に成った今日の国際的立場です。ベルリンの壁崩壊が新たな世紀に相応しい”平和”の到来と、多くの人々が”甘い幻想”を抱き、メディアがそれを美しく謳い上げ、挙句は『歴史の終わり』(△2)なる本が世界的に売れたのは、未だ記憶に新しいでしょう。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 「歴史の終焉」という考え方は、「正」と「反」の対立概念を止揚(Aufheben)(※4)し更に高い次元の「合」に至る、というヘーゲル流弁証法(※4−1、※4−2)に基づく歴史観です。即ち旧ソ連(=「反」)が自己崩壊し政治・軍事・経済の上でアメリカ(=「正」)一国が世界的覇者に成った時点で、最早対立概念の「反」が消滅しアメリカの「正」が「合」に止揚したと見做して、これ以上に止揚出来ない状態を「歴史の終焉」と呼んだのです。

 しかし、現実は全く違いました。フランシス・フクヤマが言った様な”ヘーゲル流弁証法の終焉”で歴史は終焉せずに、”怖い者無し”に成ったアメリカが利己的且つ自己中心的な一国覇権主義(unitarian hegemonism)新たな「正」として掲げて第3世界を圧迫した結果、旧ソ連に替わってアジアイスラムという新たな「反」を創り出し、歴史は「新たな弁証法の段階」に入ったことは周知の通りです。旧ソ連の崩壊は”歴史の終わり”所か「新たな歴史、新たな弁証法の開始」の地殻変動だったのです。
 では”甘い幻想”は何処が間違っていたのか?、これを厳密に分析し証明することは私の力に余ることですが、一つだけ指摘して置きたいのは、前世紀最後の流行したマネーゲームに囚われ過ぎ国際問題をゲームとしてしか見れなく成った点に、大きな落とし穴が有ったということです。ゲームなら戦うべき相手が自己崩壊(=投了)した時点で終了しますが、現実の人間は”地球上に敵無し”の状態に成っても、未だ不服だったのです。人間の”飽く無き欲望”が「歴史の終わり」を許さなかったということです。これこそDNAが暗示して居る深い業(ごう)と考えられます。こういう国民にこそ「感謝の気持ち」を説く必要が有るんですがねえ、WASP(※5)や狩猟民族には無いのでしょうか、「感謝の気持ち」が?!
 まあ、私のアメリカについての考えは今後発表して行きたいと思って居ますのでこれ位にして、問題は日本です。

 ■日本は何処へ行くのか?
 では日本の国の現状はどうか?
 私が「理性と感性の数学的考察」で示した規定に従うと、現在の日本は普段は一応は平等主義か平均値主義 −国内的には時に悪平等主義が顔を出す− の国と言えますが、一旦何か事が起こると規範的規制が働き更に限界を通り越して国家主義に”地滑り”する傾向を内包して居る(←太平洋戦争突入時の状況を見よ)、或いは今”地滑り”しつつ在る、と私は見て居ます。それは今の「自由」を自分の力で勝ち取って無いからです。
 戦後の自由はアメリカが与えて呉れたからと、盲目的にアメリカに追従して居る構図は他国から見たら滑稽でしょう。この盲目的態度は、大本営に盲従し「竹槍的錯誤」を犯し原爆を浴びた前大戦末期と何ら変わって無いということに早く気付くべきです。今日のマスメディア状況を見るとそのチャネル数は多いですが、言う事が同調(=斉一化)しつつ在り前大戦にのめり込んで行った頃の状況に可なり似て来て居ます。
 今の日本の指導者はアメリカに"No"と言えないという意味に於いてアメリカの傀儡であり、日本という国家は実質的にはアメリカの植民地なのです。つまり”戦後”のGHQ被占領体制から脱して無い訳です。この間違いの原因は、未だに単純な人工衛星の打ち上げに失敗しロケット技術では北朝鮮より劣る日本が、強(したた)かに世界を睨み火星に探査衛星を軟着陸させる力を持つアメリカと、対等な同盟を結んで居ると思い込んで居る”お目出度さ”に在ります。この「対等な同盟」感も”甘い幻想”に過ぎませんよ、日本の皆さん!!
 私は日本人の”お人好し”で”甘ったれ”で”責任感が無い”国民性が果たしてDNAに因るのか、それとも四方海で囲まれた「羊水国家」の故か、今年はこれを考えて行こうか、などと思って居ます。

 ■年頭のご挨拶 − 慌てず騒がず煽動されず
 「感謝の気持ち」も今の日本では大分廃れて来ましたね。「感謝の気持ち」と相通じる「勿体無い(もったいない)」という言葉が今や死語に成りつつ在り、物が溢れるのと反比例して心は荒む一方で、正にフェティシズム(※6)に陥っている状況です。外人に対し「感謝の気持ち」をエラそうに言えた状況ではありませんね。それ故に私は昨年に引き続き今年も、「感謝の心」を思い出そう、と再び年頭に訴える訳です。
 私はイベント屋では無いので「素晴らしいニッポン」(※7)などと、歯の浮く様なベンチャラは言いません。今年が去年の”続き”である以上、根拠の無いお題目を唱えても無理です。今は一国覇権主義に煽られ世界が浮き足立って居ますので、浮付いた気持ちを捨て、過去に陥った様な”地滑り”が起こらない様に一人一人が確りと足元を見詰め直すことが大切です。
 私も大衆の一人ですが、私は牧童に導かれる羊の群れには入らず、それを眺め遣り乍ら日向ぼっこをして居る老いた猫と言った所です。「慌てず騒がず煽動されず」の心で、ボチボチと自分のヒゲ(髭)の当たりを信じて自分の”納得”出来る道を進みます(Going MY WAY)!!

 ということで月並みですが、今年1年の皆様のご健康と御多幸を祈願致します。尤も私が祈願すると、それは呪いだ、と仰る方も居りますが、ムッフッフ!!

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:DNA/DNAは、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)の略。核酸の一種で核タンパク質として細胞の核の中に存在し、染色体の主要成分であり遺伝子の本体。4種類の塩基、糖(デオキシリボース)、リン酸から出来ている高分子化合物で長い2本鎖が捩(よじ)れ合った二重螺旋構造をして居る。含有する塩基はアデニン(A)グアニン(G)チミン(T)シトシン(C)で、これらの塩基の配列順序中にタンパク質のアミノ酸配列を決定する遺伝情報が組み込まれて居る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※1−1:RNA/RNAは、リボ核酸(ribonucleic acid)の略。リン酸・糖・塩基が多数結合した高分子化合物。構成単位はリボヌクレオチドで、4種の塩基―アデニン(A)・ウラシル(U)・グアニン(G)・シトシン(C)の1つとリン酸、それに糖(リボース)が結合したもの。細胞内での働きに依り伝令RNA運搬RNAリボソームRNAの3種類が知られて居る。3者はDNAの遺伝情報に基づくタンパク質合成に直接関与し、伝令RNAはDNAの遺伝情報を転写し、リボソームRNAはタンパク質合成の場であるリボソームの構成分として、運搬RNAは特定のアミノ酸と結び付いて、それをリボソームに運ぶ役割を持つ。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※2:柵(しがらみ)とは、[1].weir。水流を塞(せ)き止める為に杭(くい)を打ち並べて、これに竹や木を渡したもの。
 [2].fetters。転じて、柵(さく)。又、塞き止めるもの。纏い付くもの。「浮き世の―」。

※3:業(ごう、karma)とは、〔仏〕(karman[梵]、羯磨(かつま)の呉音)
 [1].行為。行動。身(身体)・口(言語)・意(心)の三つの行為(三業)。又、その行為が未来の苦楽の結果を導く働き。善悪の行為は因果の道理に拠って後に必ずその結果を生むと説くのが仏教及びインドの多くの宗教の説。「業苦・因業」。カルマ。←→果報。
 [2].業の果報。「業病」。
※3−1:羯磨(かつま、karman[梵])とは、[1].作業(さごう)。苦楽の報いを受ける身・口・意の行為を為すこと。きゃらま。
 [2].受戒・懺悔(ざんげ)の作法。こんま。

※4:止揚(Aufheben[独])とは、〔哲〕(「廃棄」「高めること」「保存すること」の意)ヘーゲルの用語。弁証法的発展では、事象は低い段階の否定を通じて高い段階へ進むが、高い段階の内に低い段階の実質が保存されること。矛盾する諸契機の統合的発展。揚棄(ようき)。
※4−1:ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)は、ドイツの哲学者(1770〜1831)。テュービンゲン大学神学部で哲学・神学を学ぶ。その説に拠れば、歴史は絶対的理性が自己矛盾に依って(純粋概念)・(自然)・(精神)の三位を経て自己を展開する弁証法的な過程である。更に主観的精神と客観的精神を統一した絶対的精神に於いて相対性は止揚されるとする。彼はドイツ観念論哲学の完成者であり、マルクス以前の最も包括的・統一的な哲学体系(エンチクロペディー)を築いた。その包括的な体系は、キリスト教の三位一体説をグノーシス的に思弁化しようとすると同時に、諸学問を哲学に統合する試みでもあった。主著「精神現象学」「論理学」「エンチクロペディー」「法律哲学綱要」の他、死後出版された哲学史・歴史哲学・美学・宗教哲学などの講義録が在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※4−2:弁証法(べんしょうほう、dialectic)とは、本来は対話術の意味で、ソクラテスプラトンではイデアの認識に到達する方法であった。アリストテレスは多くの人が認める前提からの推理を弁証的と呼び、学問的論証と区別した。中世では自由七科の一つとされた。カントは錯覚的な空しい推理を弁証的と呼び、弁証法を「仮象の論理」とした。シュライエルマッハーは対話的思考に依って思考と存在とを動的に一致させ、主体の世界認識と神認識を深化させる根本学問として弁証法を構想した。ヘーゲルは思考活動の重要な契機として、抽象的/悟性的認識を、思弁的/肯定的認識へ高める為の否定的理性の働きを弁証法と呼び、これに依って全世界を理念の自己発展として認識しようと試みた。マルクスエンゲルスは唯物論の立場からヘーゲルを摂取し、弁証法を「自然、人間社会及び思考の一般的な発展法則についての科学」とした(唯物弁証法)。キルケゴールはヘーゲル的な弁証法を量的な弁証法と批判し、神と人間との質的断絶を強調しつつ、宗教的実存へと高まり行く人間存在を質の弁証法で説明した。これはK.バルト弁証法神学に影響を与えた。他に、西田幾多郎絶対矛盾の自己同一という弁証法、サルトル現象学的な意識の弁証法、アドルノ否定的弁証法などが在る。

※5:WASP/ワスプ(White Anglo-Saxon Protestant, WASP)とは、白人(White)でアングロサクソン系(Anglo-Saxon)で、且つ新教徒(Protestant)であるアメリカ人。植民地時代からの多数派として絶対的優位を以てアメリカ合衆国の政治経済を支配した。第二次世界大戦後は数的にも社会経済的にも支配力は弱まって居る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※6:フェティシズム(fetishism)とは、[1].呪具・呪符・護符などの呪物崇拝。
 [2].性的倒錯の一種。異性の衣類・装身具などに対して、異常に愛着を示すこと。
 [3].物神崇拝。偶像崇拝。
 [4].マルキシズムでは、資本主義社会に於いて貨幣の価値が人間を奴隷にする様な状態(=拝金主義)のこと。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>

※7:NHKの大晦日恒例マンネリ番組の2003年度のテーマ。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『二重らせん』(ジェームス・D・ワトソン著、講談社文庫)。著者のワトソンはアメリカの分子生物学者で、F・クリックと共にDNA(デオキシリボ核酸)の二重螺旋構造を提唱し、この業績に依り1962年度のノーベル生理医学賞を受賞。
 私はこのDNAの構造解明こそ20世紀最大の発見だと思って居ます。

△2:『歴史の終わり(上・中・下)』(フランシス・フクヤマ著、知的生き方文庫)。

●関連リンク
補完ページ(Complementary):個人や国家に於ける理性と感性のバランス▼
理性と感性の数学的考察(Mathematics of Reason and Sense)
昨年の年頭所感▼
2003年・年頭所感−感謝の心を思い出そう!
(Be thankful everybody !, 2003 beginning)

私のアメリカ論・第1弾▼
狩猟民族国家アメリカの本性(United States of Hunting people, America)
狩猟民族について▼
民族占い(Comparative Ethnologic approach)
前大戦の「竹槍的錯誤」や”責任感が無い”日本人について▼
片手落ちの綺麗事を払拭せよ!(Sweep away unbalanced virtue !)
日本の被植民地型経済や傀儡性について▼
デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)
日本のロケット技術▼
日本の技術立国の中身(Technology island Japan)
日本=羊水国家論▼
「肉を食らう」ということ(Carnivorous life)
死語化する「勿体無い」という言葉▼
旅は身近な所から(Usual and familiar travels)
最近のフェティシズムについて▼
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
日向ぼっこをする猫▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)


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