−− 2003.10.14 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2011.10.05 改訂
※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。 ★−−−暫くお待ち下さい(Wait a minute)−−−★ |
猫(※1)は見ていて飽きません。その仕草がどうにも可愛く面白いのです。子猫は何にでもじゃら付きますが、大人の猫は逆に世を達観した様な所が有り、世間の柵(しがらみ)の中に居る人間を憐れむ様な眼で悠然と見下ろして来ます。私はこういう”悟りを開いた”猫が好きですね。
そしてもう一つの魅力は何と言っても、あの大きな眼(まなこ)です。自分が興味を持った物を思い切り見詰める瞳は、一瞬吸い込まれそうに成る程で譬え様が有りません。
ここにご紹介する猫たちは何れもノラ猫(野良猫)(※2) −飼い猫(※2−1)で無い猫− です。それにしてもノラ猫を英語圏では"homeless cat"(※2)とは良く言ったものです!
ですから殆どが雑種で、人間に対する警戒心が或る程度強く、従って少し臆病ですが或る程度自活力が有り、気難しい所も有りますがのんびりして居て、このニャン子らは皆私の友達です。私は猫に出会ったら必ず挨拶をして通り過ぎますよ、勿論”猫語”でね。実は私は猫の仲間(=猫族)なのです!!
やがてこのページに100枚の猫の写真を貼り付けて、ページを開いたら猫がドサッと零(こぼ)れ落ちる程の「ノラ猫百態」 −”猫だらけ”の百猫繚乱− をお目に掛ける予定です。
(=^・^=)
尚、以下の記述の中で<yy.mm.dd:#nn>は撮影日と猫番号(=猫識別連番)です(←猫番号は05年10月23日に付加)。「百態」と銘打った通り、猫番号が100番に達する迄追加して行きます(→2009年に遂に100番に到達!)。又、[♂]はオス(雄)、[♀]はメス(雌)、[?]は不明を表します。
そして猫の語源や猫についての豆知識は「参考資料」を、このページのタイトルやバックに流れる”子守唄”については「結び」の章をご覧下さい。
●年度別目次(Yearly-menu)
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2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
<03.05.21:#1>左下は中之島公園の花園の中に居た白黒ブチ[?]、じっとこちらの様子を窺って居ます。地図は▼下▼。
地図−日本・淀川、桜之宮と大阪城(Map of Yodo-river, Sakuranomiya, and Osaka castle, Osaka
-Japan-)
<03.06.01:#2>右下は堺の西本願寺堺別院傍 −妙国寺の近くに在る− で子供に乳を飲ませている三毛の母猫、勿論[♀]。黒トラと茶トラと白の間の子みたいで、子猫の耳が見えて居ます。地図は▼下▼。
地図−日本・阪堺地区(Map of Hankai area, Osaka -Japan-)
<03.08.19:#3>左は阿倍野の桃ヶ池に居た三毛猫[?]。ご覧の様に眼を大きく見開いて警戒顔でじっとこちらを見詰めて居ました。常に私と3m位距離を保って居ましたが、この写真のフラッシュの閃光に驚いて逃げて行きました。
<03.09.07:#4,#5>下の2枚は東大寺転害門(てがいもん)に居た猫です。
左の黒トラ[?](#4)はこちら物音に振り返った所で、緊張した表情です。
右の茶トラ[?](#5)は、人が入れない安全な所に居るので、姿勢を崩して寝そべり乍ら逆にこちらの様子を観察して居ます。完璧にこちらをバカにして居ます。
人が入れない柵の中に居るので落ち着いて居ますね、更に04年の転害門のニャンコの写真も在りますよ。
<03.09.29:#6>左は生野区新今里公園の稲荷の鳥居前の日溜まりで日向ぼっこをして居た焦げ茶トラ[♂]。地図は▼下▼。
地図−日本・大阪の猪飼野地区(Map of Ikaino, Osaka -Japan-)
人には懐いて居る様で、頭を撫でて遣ったら嬉しそうにして居ました。中々落ち着いた好い猫です。
<03.10.18:#7>この日は近鉄西大寺駅のレンタサイクルで大和郡山城に向かう途中、秋篠川の遊歩道に居た白黒ブチ[♂]です(右の写真)。人には馴れて居て猫の方から鳴き乍ら私に寄って来ました。屹度この辺りの家の飼い猫が捨てられたのでしょう。帰りにも居ました。
次の週にほぼ同じ場所に今度は寝そべって居ました。体が痩せているので餌に有り付いて居るのか、ちと心配です。
<03.10.22:#8>右は大分県湯布院町の湯の坪街道で出会った黒トラ[♂]。地図は▼下▼。
地図−日本・大分県(Map of Oita prefecture, -Japan-)
猫の奥に写っているお土産物屋のガラス戸の前に座り鳴いて居ました。尻尾の先が折れ曲がった猫で、私が傍へ行くと寄って来て「戸を開けて呉れニャン」と言いましたよ。
<03.10.30:#9,#10>左右の2枚は桜之宮公園のノラたち。
左は黒猫[?](#9)。フラッシュの閃光に驚いた顔をして居ますが、この直後逃げて木の陰に入って仕舞いました。
右は焦げ茶トラ[♀](#10)。ニャーアと鳴いて居る所です。痩せて少し薄汚れて居ました。
<03.11.07:#11>右は堺市の高師浜駅に居た三毛の母猫[♀]と茶トラの子猫[?]。他に白(一部茶トラ)と黒の子猫も居ました。駅の売店の人に餌を貰って居ます。母猫は人に馴れて落ち着いて居ましたが、子猫たちは人を怖がり母猫に纏わり着いて居ました、その方が良いですね。この茶トラの子猫は気性が強く、手を出すと怒って引っ掻いて来ます。
この猫たちはそれぞれ毛色や性格が全く違い、本当に親子なの?、と思うのですが、この母猫は子猫たちの面倒を良く見て居ました。
<03.12.03:#12>左は堺市浜寺公園の臨海公園事務所に居た黒トラと茶トラの間の子[♀]。私がニャオと言うとニャーンと鳴いて寄って来て顔を擦り付け、仰向けに成って喜んで居ました。見掛けより可なり太って居ます。
<03.12.10:#13>右は埼玉県さきたま古墳公園に居た黒トラと白の間の子[?]。誰に貰ったのか煮干しを食べていて、この猫の周りに数匹の仲間が居ました。
ということで、03年10月から始めた「ノラ猫百態」写真集は暫く休刊。猫が冬眠の季節に入るからです、...???...、いやいや、私が冬眠に入るからですよ、ニャッハッハッハ!!
[ちょっと一言] 猫は冬眠しません。しかし、猫という動物は冬に成ると「猫は炬燵で丸く成る」という歌の通り、飼い猫は暖かい所で居眠りを決め込み、ノラ猫も人の目に付く所をウロウロせずに隠れた日溜まりでじっとして居るので、実質的には冬眠と同じ様な状態、即ち冬眠状態に成ります。
私も冬は寒くて自転車で出掛けることが少なく成り、暖かい布団の中で寝るのが気持ち好いので、冬眠状態に成ります。
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年が明け春に成りました。我が友・ノラ猫たちも暖かさに誘われ出て来ました。猫が動けば私も動く、再び撮影開始です。
<04.03.05:#14>左下は大阪城公園の谷町側の入口に居た黒トラ[♀]。右後脚が悪く俊敏な動きが出来ません。この猫は悪い脚をかばい、体の右側をこの様に障壁に寄り添わせて座ります。頭を撫でて遣ったら嬉しそうでした。多分公園の誰かに餌を貰っているのでしょう。
<04.03.13:#15>右下もやはり大阪城公園ですが、こちらは東側の林の中です。暖かい午後、木の根の日溜まりで日向ぼっこをして居た茶トラ[?]と黒トラと白の間の子「?」です。ぐんにゃりと寝ていた所をニャンと言って起こして撮りました。人には懐いて居ず、近付くと逃げます。
因みに大阪城公園は「私の庭」ですので、宜しく!
<04.04.19:#16>右は東京都台東区の隅田公園に居た白黒ブチ[♀]です(←この日は浅草を早朝散歩しました)。因みに、隅田公園は台東区と墨田区に跨って居ます。地図は▼下▼。
地図−日本・東京都(Map of the Metropolis, Tokyo -Japan-)
人には馴れて居て、体を摩って遣ると腹を上に寝転びます。子供を孕んで居るのか、少し腹が大きかったですね。寝転んで居る顔にカメラを近付けると、何ニャー?、とカメラを覗き込んで来ましたのでパチリ。中々面白い表情をして居ます。
尚、この写真の原画は何枚か壊れて仕舞ったので、今はこのページに貼り付けた猫の写真のみがこうして見れます。これについては詳細に検討して在りますので、▼下▼を
初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)
ご覧下さい。{このリンクは04年12月18日と05年2月25日に追加}
この後、私は埼玉県加須市を訪ねました。加須市の原画も全滅ですが、HP(=ホームページ)に貼り付けた写真はセーフです!
<04.04.24:#17>左は山猫ではありませんよ、夕暮れ時に撮ったのでフラッシュで眼が光って仕舞ったのです。大阪府高槻市摂津峡の温泉宿の庭先に居た茶トラ[?]です。口を開けて鳴いて居る姿は山猫みたいです。地図は▼下▼。
地図−日本・枚方、交野市周辺(Map of Hirakata, Katano etc, Osaka -Japan-)
この猫は既に▼下▼のページで紹介して居ます。
2004年・出雲大神宮の御蔭山(Mikage-yama, Kyoto, 2004)
<04.05.02:#18,#19>下の2枚は東大寺転害門(てがいもん)に居た猫たち。左下は黒トラの母[♀]と子[?](#18)です。私は去年(=03年)も転害門へ行きましたが、去年のニャンコも居ました。転害門は国宝で柵で囲って在るのですが、この日は5匹が柵の中で家族の様に纏まって居ました。左下がその柵の間に座り外の人間たちを観察して居る猫です、お行儀良く座って居ますね。ここは安全そうです。
右下は柵の中の「立入禁止」と書かれた板の上に座る焦げ茶トラ[?](#19)です。
<04.05.24:#20>下は桜之宮公園に居た白黒ブチ[♂]です。
中々好い顔をしてますね、あの清少納言は『枕草子』第52段で
猫は、上のかぎりくろくて、腹いとしろき。
と宣って居ます(△1のp83)が、こんな猫が好きだったのでしょうか?
<04.05.27:#21>左は大阪市東成区東小橋(おばせ)3の比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)境内に居た焦げ茶トラ[?]の子猫です。物陰に隠れてこちらを警戒して居ます。しかしカメラを見せてニャンと言って遣ったら、カメラに興味を持ったのか眼を最大限に見開いて大きな耳をこちらに向けて、じっと見詰める表情は子猫特有のもので、猫好きはこの表情の虜(とりこ)に成って仕舞います。
因みに比売許曽神社の祭神の一柱が大小橋命(おおおばせのみこと)で、その大小橋命の胞衣(えな)(※4)を納めた胞衣塚や産湯の跡が在ります。{このリンクは2011年10月5日に追加}
<04.06.07:#22>左下は私が何時も巡回パトロールして居る大阪城公園に居た首下白の黒猫[?]で、ご覧の様に首の下がちょこっと白くなって居ます。警戒して木の根元に半分身を隠し乍らこちらの様子を窺って居ます。この辺りに黒猫ばかり3匹が居ましたが、他の黒たちは近付くと逃げて仕舞いました。黒猫はやはり精悍な感じがしますね。
<04.06.16:#23>右下は大阪市長公館の塀の前に居た茶トラ[?]。こちらがニャーと言うと返事をしますが、警戒して2m以内に近付くと逃げて一定の距離を保って居ます。ここは直ぐ近くに桜之宮公園が在り、車も余り来ない安全な場所です。近くにはノラ猫仲間が数匹居ました。
<04.11.23:#24>左は大阪市天王寺区の安居神社近くの民家のブロック塀の上に座っていた白猫[?]、大変優しい顔をして居ます。
神社周辺には数匹のノラ猫が棲み着いて居ますが、この白猫は神社の半ノラかも知れません。
<04.12.19:#25>右はやはり天王寺区の生玉公園に居た大きい耳の黒トラ[?]です。警戒し乍らこちらをじっと睨んで居ます。人を恐れては居ず1m位迄は近付けますが、それ以上は無理です。
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冬眠から明けた私は再びノラたちの暮らし振りを見に出掛けました。
<05.03.09:#26,#27>下の2枚は滋賀県長浜城で夕暮れ時に寛いで居るノラたちで、合計10匹位が屯(たむろ)して居ました。ここはノラ猫の天国です、車は通らないし”天敵”の人間は少ないし自由に遊べる領域は広いし、餌は観光客の残飯を頂くという
結構毛だらけ 猫灰だらけ
の環境です。でも人には警戒感を持っていて2m位迄近付くと逃げます、その方が身の安全の為には良いでしょう。地図は▼下▼。
地図−日本・琵琶湖(Map of Lake Biwa, Shiga -Japan-)
左下は猫たちが仲間で寛いで居る所。#26は一番手前の耳と顔面が黒い白猫[?]です。
←#26
右はその中の1匹、黒トラ[?](#27)で、未だ子猫です。
<05.04.06:#28>左は愛知県岡崎市の寺の墓地に居た茶トラ[♂]。私がニャーオと言ったら喜んで地面に横に成り、ゴロンゴロンと回転して歓迎して呉れました。人間を対等に見做して居て私を旅人として遇して呉れました。
<05.04.11:#29>右は大阪の天王寺七坂の寺の庭で花見をして居た茶トラと白のブチ[♀]の老婆です。猫の背後には枝垂桜と桃が競う様に咲いて居ます。
私が寺に入った時は枝垂桜の下で昼寝を決め込んで居ましたが、その腹を擦って叩き起こし、写真の場所に無理矢理座らせてポーズを取らせたので、眠そうな眼をして居ます。人生(?猫生)を達観し人間など眼中に無く、この寺で猫生を全うし成仏を果たす積もりらしいですね。
<05.05.08:#30>左は京都周山 −丹波周山城が在る− の民家の縁側で日向ぼっこをして居た茶トラ[?]です。
ここは日吉町と京北町の境です。地図は▼下▼。
地図−日本・京都府(Map of Kyoto prefecture, -Japan-)
最初見付けた時はもう1匹、白黒ブチ[?]が一緒に居たのですが、逃げて仕舞いました。この猫もこの写真を撮った後に逃げて行きました。ズームで撮ったので距離は5m位有ったのですが、警戒心が強い様です。
<05.05.25:#31,#32>下の2枚は横浜西区の民家で夕方見付けたノラです。横浜西区辺りは丘が多く、丘の斜面に家が建って居ます。そういう所では坂道や急な階段や路地が多く、斜面には草木が自生して居るのでノラたちには恰好の遊び場です。地図は▼下▼。
地図−日本・横浜市(Map of Yokohama city, Kanagawa -Japan-)
左下は向こうから私にニャーと挨拶をして来た茶トラ[?](#31)で、こちらがニャーオと返事すると又鳴きます。しかし2m以上には近付けません。
右下がそんな私の鳴き声を聞き付けて階下の草叢から出て来て警戒し乍らこちらを見ている焦げ茶トラの子猫[?](#32)、無邪気な顔です。
<05.05.26:#33>左は横浜の野毛山公園に居た白黒ブチ[?]です。中々貫禄の有る風体をして居ます。余り人間を恐れては居ず、人を人とも思わない風でした。鼻の先が黒いのが、強面の中のご愛嬌です
<05.06.07:#34>左は京都市中京区西ノ京の市五郎大明神に居た茶トラ[?]で、人には懐いて居ました。地図は▼下▼。
地図−日本・京都市洛中(Map of Center of Kyoto city, Kyoto -Japan-)
通常寺社のノラ猫は太っているのですが、これは痩せて居ました。
<05.06.11:#35>右は福井市の養浩館庭園付近を徘徊して居た灰褐色のペルシャ猫[?]。体がデカくのっしのっしと歩きます。ご覧の様に毛がふさふさと長くミミズクの様な顔をして居ます。
最初見付けた時、私がニャーオと言ったら、寄って来ましたが、その後は私を無視して居ました。養浩館の人はノラ猫だと言ってましたが、貴族がノラとは考え難いですね。まぁ、半ノラということにして、ノラには珍しいので、ここに載せることにしました。
此奴が巨体を震わせドサドサッと池に走って行ったら鴨が驚いて皆逃げて行きました。
<05.06.14:#36>右は大阪の住吉大社境内で見付けた黒トラと白の間の子[?] −背中が黒トラで腹が白− です。毎年6月14日は有名な御田植神事の大祭の日で、神事を見終わって午後3時10分頃に帰り掛けて境内南東の出口付近で歩いて居る姿を見付けました。ニャンと言って呼び止めたら立ち止まり、ご覧の様に岩陰の遠くからこちらの様子を窺って居ます。7〜8mの距離から望遠で撮りました。この猫は住吉大社のページにも載って居ます。
<05.07.15:#37>左下は「私の庭」の一角、大阪城公園の教育塔付近でのスナップです。
左手前が痩せた薄茶トラ[♀]で、私が近付いても逃げませんでした。憂いを湛えた個性的な顔をした痩せ猫です。→08年には子猫を連れて居ましたよ!
右の奥に座っている黒トラ[?]は、ああして私との距離を3m位保ち乍らこちらの様子を窺って居ました。
<05.07.15:#38>右もやはり大阪城の西ノ丸に居た白黒ブチ[♀]です。鳴いて居た所を追い駆けて捕まえ、放して遣った後に撮ったものです。
この日は陽光が照り付け暑かったので、どの猫もこうして日陰で冷たい地面に腹を着けて寝そべって居ました。
<05.08.04:#39,#40>下の2枚は何れも大阪市天王寺区の安居神社の境内(←前出)で撮りました。この神社の境内の木陰は涼しく人も余り来ないのでノラたちの”避暑地”に成って居ます。
左は有り触れた茶トラ[?](#39)で、警戒し乍ら寝そべって居ます。猫は暑いとこの様にグンニャリと体が伸びます。逆に寒いと丸く縮込まりますが、この伸縮性が三味線に良いのかも。皮剥がれん様に気い付けや!
東京の浅草には戦前迄は「猫捕り」が居て「猫の皮」を三味線屋に売り付けて居ました(←この記事を川端康成が書いて居ます!!)。
しかし中国はもっと過酷で「猫は人間に食われます」ゾ、▼下▼をご覧下さい!!
中国のヘビーなお食事−”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
右は珍しい白猫[?](#40)です。この様に一点の曇りも無い真っ白な猫は希少で、眼もくっきりして耳も大きく上品な表情をして居ますが、3m以上近付くと逃げて行きます。この猫が04年11月にこの神社近くで見付けた白猫#24とは、良く似てるのですが耳の産毛の具合が違う様です。
<05.08.14:#41>左の写真は横浜市のJR桜木町駅高架下の食堂店街周辺に居た黒トラ[♀](右手前)と白黒ブチ[?]で、この黒トラだけが私の傍に寄って来ました。
ここは人通りが少なく10匹近いノラたちの根城の様で、午後はこうして木陰で休んで居ます。
<05.09.30:#42,#43>左下と右の2枚は、既にご紹介して居る大阪市天王寺区の安居神社の境内です。ここはノラ猫が安心して居られるので「安居」と言うのでしょう!
ここへ来ると何時も1、2匹のノラたちを見掛けますが、新顔を2匹見付けました。
私は初め、じっと上方を睨み付けている左の白地に黒[?](#42)を見付け、はて?、と思い視線の先の社務所の屋根上を探して居たら、右の三毛[?](#43)が現れたのでした。三毛はこの後、少しウロウロして姿を消しましたが面白い光景でした。
<05.10.16:#44>右は徳島駅の裏手の城山を公園化した、徳島市中央公園で見付けた白黒ブチ[?]です。ご覧の様に大木の背後の岩の上から、梢を通してじっとこちらの様子を窺って居ました。
この岩の陰にはもう1匹、茶トラ[?]の姿も見えましたが、撮影出来ませんでした。
<05.10.24:#45,#46>下の2枚は大阪桜之宮公園の藤田邸跡公園近くに居た親子の猫です。
左が無警戒に私のニャーオという誘いに乗って道路脇迄出て来て仕舞った焦げ茶トラと白の子猫[?](#45)。
右がそれを心配そうに見守る焦げ茶トラの親猫[?](#46)、多分母親です。
<05.11.24:#47>左は静岡県三保の遊歩道に居た白黒ブチ[?]と黒[?]です。近所の人に餌を貰って食べている所でした。他にも2〜3匹の仲間が居ました。
次の日も同じ場所を通ったので注意して見回しましたが、居ませんでした。
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06年も、私の周囲は、無事に年が明けました。我がニャンコたちも無事に年越しをしたでしょうか?、暖かく成り、そろそろコイツ等がしゃしゃり出て来る季節の到来です。
<06.02.02:#48>左は大阪市都島区、「私の庭」である桜之宮公園近くの民家をうろついて居た三毛[♀]です。ご覧の様に尻尾を立てているので後ろから覗けば雌雄は直ぐ判ります。私がニャーと猫語で挨拶したら、この様に傍に寄って来ました。半ノラかも知れません。この辺りは公園も近く、道路に出なければ先ず安全です。
しかし、前歯の中歯が欠けているので右の犬歯、否猫歯が目立って居ます。それに尻尾が長いですね。
<06.02.19:#49,#50>下の2枚は大阪城公園の野音近くに居たノラです。左下はご覧の様にカメラを向けたら尻を見せた”ケツ礼”な茶トラ[♂](#49)です、玉ちゃんが見えてますね。尻だけでは可哀相なので中央下に顔写真も載せて遣りました。ケツ礼な猫は後でも登場します。左下の猫の尻をクリック(Click left cat's hips)するとオモロイでっせ!!
そして右下が少し離れた場所に居た黒トラと茶トラの間の子[?](#50)です。中々精悍な顔付きで一匹狼、否、”一匹猫”的風貌ですが私と大違いです。
↑
二個玉(写真をクリックするとウンコボーイが出現!)
<06.03.05:#51>右は京都市梅小路公園に居た老いた黒トラ[?]、強い陽射しに眩しそうですね。私が声を掛けるとニャオと一声返事をしました。流石そこらのガキ猫と違い礼儀を心得て居ますが、それ切り私を無視してゆっくりと立ち去って行きました。悟りの境地に入っている様です。
<06.03.26:#52>右下と左下は大阪城公園玉造口東側の石垣に居た白黒ブチ[?]で、2枚共同じ猫です。
石垣を登っていた所をニャンと呼び止めカメラを向けると驚いて動きを止め、じっとこちらを見詰めて居ます(右の写真)。シャッターを切ったら更に驚き一目散に駆け登って逃げて行きましたが...。
石垣の上に逃げて安全を確保すると今度は偵察の為に石垣の上から顔を出し、再びこちらを見詰め出しました(下の写真)。
しかしコイツと何時迄も「睨めっこ」をして居る訳には行かない”訳”が有ったので、私の方から引き上げました。
<06.05.25:#53>例に依って「私の庭」の桜之宮公園をチャリンコ(=自転車)で散歩中、目の前を黒猫[?]が横切って行き藪に入りました。藪の中を覗くと向こうもこちらの様子を窺って居ました。そこをフラッシュを焚いて撮ったのが左の写真です。
それにしても道路を横切らなかったら見付けられません、「闇に烏」、「藪に黒猫」です。
<06.06.29:#54>左は大阪城公園桃園に居た焦げ茶トラ[?]。初め柵のこちら側に居たのですが、私がカメラを向けたら向こう側に行き、その儘逃げるかと思いきや、生意気にも鉄柵の向こうから人間観察を始めました。こういう人間を小馬鹿にした態度こそ猫の特徴です。
<06.08.03:#54-1>下は大阪城公園の砲兵工廠跡近くの林に居た焦げ茶トラ[?]。如何にも暑いという表情で、クマゼミが鳴く薄暗い林の中で安心し切って、長々とグニャーと寝そべって居ました。猫は寒いと丸く縮込まり暑いと長く伸び、実に伸縮・変幻が自在な動物です。
ところで、左上の猫と右の猫に同じ猫番号を割り当てましたが、これは同一の猫です。顔の表情や体形が酷似し、決め手は右眼の下(←写真では鼻の左の位置)の薄茶色の斑の中の黒点が同じだからです。
即ち、この猫は桃園から京橋口の砲兵工廠跡迄の約250mの範囲を縄張にして居る様です。
<06.08.30:#55>左は大井川鐵道(=大井川鉄道)千頭駅(静岡県川根本町千頭)近くの大井川の土手に居た三毛[?]です。黒と茶トラと白の間の子の様です。
最初コンクリートの土手を河川敷に降り草叢に入る所を見付けたので、ニャーオと鳴き真似して呼び出したら、恐る恐る出て来て低木の葉の陰からこちらを見て居ます。距離は4m位で、もう少し近付こうとしたら土手を上がって逃げて行きました。
<06.09.08:#56>左下は桜之宮公園の枝垂桜の傍に居た茶トラ[♂]です。植木の茂みから出て来た所にカメラを向けたらクルリと向きを変え、私に二個玉を見せ乍ら草叢に入って行きました。そこで中腰に成ってこちらを向いた所を写したのがこの写真ですが、何とこの時ウンコをして居たという”ケツ礼”な猫です。
そう言えば前にも居ましたね、ケツ礼なヤツが。これも人間が恥や礼儀を知らなく成った所為でしょうか?
<06.09.08:#57>右下はノッシノッシと桜之宮公園を歩く黒トラと白の間の子[♀]で、人間に譬えたら渋茶婆さんです。左下の茶トラと同じ場所に居て私がニャンと言うと鳴き返しましたが、猫がウンコをして居る所を撮影するとは、お前の方がω礼(←ケツ礼と読む)だ、と言っている様でした。然もあ・り・な・ん!!
<06.09.10:#58>右は大阪市のビジネス街に在る西区の靱公園(うつぼこうえん)に居た白黒ブチ[♂]です。地図は▼下▼。
地図−日本・大阪市の橋と渡船場
(Map of bridges and ferries, Osaka -Japan-)
少し右眼が悪い様です。何故♂と判ったか、と言うと尻の黒い二個玉が写真に写っていたからです。
↑
黒い二個玉
<06.09.25:#59>左は桜之宮公園の藤田邸跡公園近くに居た焦げ茶トラ[♂]です。眠そうな顔をして居ます。
この猫は夕方はこの付近で良く見掛けました。他にも数匹ノラたちが居ますが、他は皆逃げて仕舞います。しかし夜に成ると皆出て来ます(後出)。
<06.09.27:#60,#61>左下は大阪城公園の新鴫野橋の近くに居た茶トラ[?](#60)です。初め橋を渡っていた所を見付けたのですが、私が近付くと土手に逃げ、漸く安心したのか寝そべった所です。
そして下を見ているのでその視線の方を覗いたら居ました、右下の焦げ茶トラ[?](#61)が橋の下に身体を長く伸ばして居ました。
さて、大阪桜之宮公園の藤田邸跡公園近くは日が暮れると猫たちの”夜会”の場に成ります。暗く成り人通りが無くなってもう安心とばかり数匹の猫が道路の上に出て来てゴソゴソ遣って居ました。勿論25日に撮影した焦げ茶トラも居ましたが、首輪に鈴を付けた飼い猫の三毛も1匹混じっていました。その中からノラ猫の新顔を載せて置きましょう。
<06.09.29:#62,#63>下の2枚が大阪桜之宮公園の藤田邸跡公園の塀の上に居た白と薄茶のシャムネコ擬き[?]と黒猫[?]です。
#62のシャム擬きは昼間もここで幾度か見掛けたのですが用心深い性格でカメラを向けると直ぐに逃げ出します。この日は暗かったのでカメラを向けても逃げなかったのですが、フラッシュでこの写真を撮ったら藤田邸跡公園の中に逃げ込んで行きました。
#63の黒猫は、やはり用心深くこちらの様子を窺って居ました。
猫たちはノラも飼い猫も一緒に成って、時々こうして”夜会”を開きます。春先の繁殖期に「ギャオ、ギャオー」と騒々しく鳴く声を聞いた方も多いでしょう。家の飼い猫が孕んだりするのは大抵こういう”夜会”の場に於いてです。
<06.09.30:#64,#65>この日、私はアカネ属トンボ(通称:赤トンボ)を求めて大阪府枚方市の山田池公園に行ってみました。そうしたら真っ赤なナツアカネが止まっている梅の木の傍にノラたちが居ました。
左下が灰色トラ[?](#64)、右下が黒猫[?](#65)。灰色トラはコントラストの弱い灰色の縞模様で、寝そべっては居ますが距離を保ちじっとこちらを見て居ます。黒は金網に隔てられた中に居ました。
山田池公園には他にも数匹ノラたちを見掛けました。ここは昆虫やノラ猫たちにとって好環境の様です。一見綺麗でも、表面的な見掛け倒しで管理され過ぎた”偽の花園”が多いのです、現代は。
<06.09.30:#66>左下は大阪桜之宮公園に居た黒と茶の間の子[?]です。
未だ子猫で大きな3〜4羽のカラス(烏)に付き纏われて居たので私がカラスを追っ払いました。聞く所に拠ると、産まれたばかりのノラの子猫はカラスの餌食にされるそうです。
私の観察では、ここ10年位の間に大阪の公園のカラスが急増し、プーのオッサン(=浮浪者)の数の急増と同期して居ると思えます。猫は元来が楽天家で無防備なので心配ですが、そこは”ノラに生まれた渡世の定め”と諦め、強く生き抜くしか有りません。
ところで、ノラ猫たちは草叢や藪の中を寝座にして居る為に相当藪蚊に遣られて居る様ですが、カラスに食われるよりはマシでしょう!
<06.11.08:#67,#68>次の2枚は静岡県の牧之原公園(島田市金谷)で撮影しました。
牧之原台地の頂上に在るこの公園は富士山を見る名所の一つで、この日絶好の天気だったので私は富士を見る為にタクシーを飛ばしてここに来たのです。
そしたら公園に着くなり左上の黒褐色のペルシャ猫擬き[?](#67)がニャー、ニャー鳴き乍ら出迎えて呉れました。ところがこの猫は常に最低1m位は距離を保ち、それ以内に近付こうとすると逃げます。写真を撮ろうとすると眼を瞑ったり欠伸(あくび)をしたり、ちょこまか動いたりと私の意と反対の動作をして厄介でした。以前にもペルシャ猫を載せましたが、これが本物のペルシャ猫かどうかは判りませんが。
右上は同じ公園に居た頭黒の白猫[?](#68)で、こちらは大人しく日溜まりでじっとして居て好感の持てる猫でした。
どちらも餌には在り付いている様で太って居ました。
猫を見た後は牧之原公園から見た富士山を是非ご覧下さい。
<06.11.12:#69>右は名古屋市東区の寺の境内をノソノソ歩いて居た黒猫[?]です。この写真を4〜5mの距離から撮った後に、もう少し近付こうとしたら逃げられました。相当こちらを警戒して居る様子でした。
この付近は寺町で表通り以外は車の通行も少なく、ノラ猫たちには良い環境です。
<06.12.03:#70>左は大阪府茨木市桑原の地福寺近くの安威川支流の川原で日向ぼっこをして居た茶トラ[?]です。
この日は私と一緒に何人もの人がこの川原の脇を通りましたが、20m以上離れた所に向こう向きに座っていたこの猫に気付いたのは私だけかも知れません。私は猫とトンボは遠くからでも見付けるのが上手いのです。という訳でズームで撮りました。この日はアキアカネも撮りましたが、やはり気付いたのは私一人でした。
今年は私がこの猫を撮った日頃に、兵庫県西宮市の夙川公園の松の木に登って降りられなく成った白猫が西宮消防署レスキュー隊員数10人に5日掛かりで救出されたと報じられて居ました。取り敢えずは良かったですが、猫は後退(ずさ)りして降りるのが苦手なのです。それにしても西宮消防署もヒマですねえ、いや結構結構、結構毛だらけ猫灰だらけ!、平和が一番です。
全国のノラ猫諸君、無事に歳を越してニャーア!
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07年の1月に私は各地を旅して回りました。そして各地のノラ猫に会って来ました。
<07.01.12:#71>右は徳島県吉野川市山川町(旧麻植郡山川町)の小さな八幡神社の境内で日向ぼっこをして居た褐色のペルシャ猫[?]です。人を恐れては居ませんが常に3m位の距離を保って居ました。
最近はこの様な外来の高級種がノラに成り下がって居る姿を時々見掛けますが、浅薄で身勝手なペットブームの落し子と言えます。
因みに、この町は麻を原料にした織物の麁栲(あらたえ)を毎年朝廷に奉納して居た古代忌部氏(斎部氏)の遺跡が点在して居る所で、麻植(おえ)という地名にその名残を留めて居ましたが、平成の大合併(住所は肥大化)で由緒有る名も消滅して仕舞いました。
<07.01.19:#72>左は東京都台東区の隅田公園に居た白黒ブチ[?]。鼻の先が中途半端に黒く成っているのがユーモラスです。このページに白黒ブチは既に数匹登場して居ますが、この様に鼻先が黒いのが半数位居ます。
<07.01.30:#73>右は愛知県犬山市の街をうろついて居た薄茶トラ[?]です、私もうろついて居ましたが。こちらから声を掛けても立ち止まること無く通り過ぎて行きました、急ぎの用でも有ったのでしょうか?、そうは見えませんでしたが。
<07.03.20:#74,#75>下の2枚は東京の南青山1丁目の青葉公園で撮影しました。天気が好く暖かかったので青山から霊園脇を通って乃木坂方面にブラブラ歩いて行く途中で見付けました。
左は腹白の黒トラ[?](#74)で、初めノコノコ歩いて居る後ろ姿を見付けたので追い掛けると自転車のタイヤの陰に隠れましたが、少し警戒心を解いて出て来た所です。この後小走りに去って行きました。
右は同公園の日溜まりで日向ぼっこをして居た茶トラ[?](#75)で、気持ち好さそうにして居たので邪魔をせず遠くからズームで撮りました。
この公園は都心のド真ん中ですが、直ぐ近くには青山霊園が在り喫茶店や食堂の残飯も漁れそうなのでノラ猫には好環境で、他にも数匹居そうです。
<07.04.10:#76>右は牛久シャトーに行った帰りに常磐線牛久駅(茨城県牛久市)近くの車庫で見付けた三毛[♀]で、尻尾は短く曲がって居ました。私がニャンと言って誘き出したのですが、脇から小さな子供が出て来たので驚いて大きな眼をして子供の方を見ている所です。この後直ぐに逃げて行きました。
<07.05.21:#77>左は大阪城公園最南の小さな池の付近に居た茶トラ[♂]、夕日に眼を眩しそうに細めて居ました。この辺で最近時々見掛ける顔です。08年には私と「友達」に成りました。
<07.06.07:#78>左も大阪城公園ですが、西門付近の歩道を横切っている所を見付けた黒トラの子猫[?]です。生け垣を潜って仕舞いましたが私がニャンと呼び掛けると、生け垣の向こう側で警戒し乍らこちらの様子を窺って居ました。そこでカメラを生け垣の上から向こう側に差し出して方角の見当を付けて撮ったのが左の写真です。
この怖い乍らも好奇心有り有りの顔は子猫特有の表情です。
<07.07.20:#79>右は東京の浅草田原町の歩道の植木の陰でこちらを窺っている白地に黒トラ[?]です。初め真夜中の歩道を歩いて居たのを見付けたので例に依ってニャンと声を掛けたら木の陰に隠れて仕舞いましたが、眼だけ光って見えていたのでフラッシュで撮りました。光線の具合で顔が灰色に見えて居ますが、実際には白地です。フラッシュの閃光を真面に浴びた様です。
<07.09.02:#80>左は神戸市須磨区一ノ谷町の安徳宮の裏を徘徊して居た三毛「?」です。一ノ谷と言えば源平の古戦場として名高い所で、北東には源義経の「逆落とし」攻撃で有名な鵯越筋(ひよどりごえすじ)を控え、南西には弱冠15歳で打たれた笛の名手・平敦盛を悼んで中世に建てられたと伝えられる敦盛塚が在ります。
まぁ、この猫はそんな歴史なんぞには無関係、ウロウロして居たのを私に呼び止められ祠の背後から暫しこちらを窺って居ました。
<07.10.10:#81>左は大阪市長公館(都島区)の塀の上に居た白地に黒トラ[?]です。尻尾が短い猫で警戒顔でこちらを見て居ます。太って居るのか、或いはお腹に子が居るのか(→そう成ると♀)、どちらかですね。
この塀の上は人の侵入を防ぐ鉄製の防護柵と有刺鉄線でガードされて居ますが猫は出入り出来そうです。
この付近にも数匹の猫が棲み着いて居て以前も紹介しました。
<07.10.31:#82,#83,#84>下の3枚は大阪駅西のホテル・モントレーB1に隣接する植え込みに棲み着いた猫たちで、階段を昇降して外界と自由に行き来して居ます。ここは大阪駅にお地下街と通じていて近くのサラリーマンから餌を貰って居る様です。何時からここに来たのでしょうか?
左下が白地に茶トラ[?](#82)で大人の猫です。中央下が三毛の子猫(白地に茶トラと黒トラ)[?](#83)、右下が白地に黒トラの子猫[?](#84)です。右下の子猫は体の左側面、即ち写真で見て右側の側面は真っ白です。
もう1、2匹居る様で、何れも人を恐れては居ませんが、今の所人に寄って来ることも有りません。皆上品な猫たちですが何時迄ここに居られるか、その内にここから追い出されるかも知れませんね。
<07.10.31:#85>左は桜之宮公園の藤田邸跡公園近くで夕方に見付けた白地に茶トラ[?]です。少し目脂(めやに)を付けた悪戯眼(まなこ)でこちらを警戒して居ます。顔を洗いなさい!
ここは日が暮れると猫たちの”夜会”の場に成ることは以前に紹介しましたが、未だ他の猫たちは出て来ません。
<07.11.04:#86>左下は笠置山(京都府相楽郡笠置町)に行く途中にJR関西本線の笠置駅 −因みにこの駅は桜の季節には美しい− の近くに居た三毛[?]です。ここは木津川の南岸、京都府南端部に位置し直ぐ南の奈良県柳生の里と柳生街道で結ばれ、後醍醐天皇の行在所が置かれた所です。
現在、笠置山には真言宗の古刹・笠置寺が残り山中の岩場は今でも修験道場です。この岩場で嘗て修験者達から「道案内猫の笠やん」と尊敬を集めた白地に茶トラ[♂]が修行して居たそうですが、1994年2月2日に山腹の駐車場脇で没し
愛し猫よ ひと声なりと 雪笠置
という句が添えられ追悼碑が建てられて居ます。
しかし、この三毛はどう見ても修行が足りない相ですね!
<07.11.17:#87>右は三重県桑名城跡の南外濠の外側の淵をうろついて居た白猫[?]です。今は座って後ろを振り返って居る所ですが、座っている石垣のしたは濠です。私は濠の内側から、新しいカメラの光学ズームが最大18倍(=486mm相当)という望遠の性能を試す為に撮影しましたが、結果はご覧の様に満足出来るものです。猫よりも来春からのトンボの撮影に威力を発揮して呉れそうです。
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<08.01.15:#88>右は香川県の屋島の屋島寺 −鑑真が開いたとされる古刹− の縁の下で日向ぼっこして居た三毛[?]です。もう老境に達した猫ですが、何とも言えぬ気持ち好さそうな表情をして居ます。
<08.01.19:#89>左は福岡県の西鉄小郡駅近くに居た黒トラ[?]です。この日はJR基山駅(佐賀県)で甘木鉄道に乗り換え小郡駅(福岡県)で西鉄に乗り換える途中、駐車場の車の脇の日溜まりで日向ぼっこをして居ました。
<08.02.01:#90>右は大阪市浪速区の大国主神社の軒下でこれ又日向ぼっこをして居た黒トラ[?]です。この猫はこの境内を寝座にして居る様で、ここへ立ち寄った時に少し探すと大抵何処かに居ます。人を可なり警戒して居て、ご覧の様に警戒顔でこちらを凝視し、2m以内に近付くと逃げて行きます。
この神社には大国主命の神使として狛犬ならぬ狛鼠が居ますが、その鼠を狙って居るのでしょうか?、ムッフッフ!
<08.04.08:#91>左は福岡県の水郷柳川の水路端の草叢に居た黒猫[?]です。地図は▼下▼。
地図−日本・柳川/大川/佐賀(Map of Yanagawa, Okawa and Saga, Fukuoka and Saga -Japan-)
この日私は西鉄柳川駅のレンタ・チャリ(=レンタサイクル)で柳川市や隣の大川市を走りましたが、或る水路端に差し掛かった時に猫の鳴き声が聞こえました。そこで声のする草叢の中を覗いて見ましたが「声はすれども姿は見えず」、やっと見付けたら全身真っ黒なこの猫でした。逃げ腰にこちらを振り返った一瞬です。
因みに柳川は北原白秋の故郷として有名ですが、ここが立花氏11万石の城下町 −平城(ひらじろ)の一種の水城(みずじろ)− だった事実は意外と知られて居ません。
餌皿
↓
<08.04.10:#92>右は広島県のJR三次駅近くに出現した、灰色トラの「卑弥呼」[♀]です。私は九州の旅の帰りにふとした好奇心(←実は何時もの”寄り道癖”)から、広島駅でJR芸備線に乗り換えて終点の三次(みよし)に行ったのです。
三次駅脇の路地裏の「cafe 卑弥呼」という店の猫だらけの”怪し気”な壁画(左上の写真)を暫し見惚れて居た時です。何処からか猫の鳴き声が聞こえたので振り向くと灰色トラが線路の方から出現し近付いて来たので、さてはお前が卑弥呼か!、と思わず叫びました。それで私が勝手に卑弥呼と名付けました。人には馴れて居る♀猫です。この壁画の横には営業日時の案内板が掛かり、それには"Pool"という名の♀の黒トラの絵が在りますが、この猫はそれとは違います。卑弥呼は駅の観光案内所で餌を貰って居る様で餌皿 −右上の写真の青いポリタンクの奥に見えて居る− が置いて在りました。半ノラですね。
猫の卑弥呼は
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)
にも載って居ます。
<08.04.22:#93>左は「私の庭」の大阪城公園の南外濠の外側の石垣上を何故か濠散歩して居た黒トラと茶トラの間の子[♀]です。この猫はこの付近で時々見掛けるので遊んで遣ったら私を怖がらなく成り今年から友達に成りました。大人しい性質です。
時々お年寄りがこの付近の猫たちに餌を呉れて居ます。
<08.05.28:#94>下の2枚は大阪城公園最南の小さな池の付近に居た茶トラの子猫[?]です。この池は私がちょくちょくトンボを観察に来る所ですが、この日は目当てのトンボが現れなかったので暇潰しに猫を撮りました。
先ず左下の写真をご覧下さい。人を恐れては居ませんが、こちらを警戒して見て居ます。そして体の前に見える半楕円形は木の根に作られた穴の入口なのです。私が♂か♀か確かめようと近付いたら、この穴の中に入って仕舞いました。暫く待って居たら眼をキョロキョロさせ乍ら穴から出て来ました。右下の写真が穴から顔と前脚だけ出た所、体は未だ穴の中です。後で穴の中を覗くと、中は結構広く子猫なら3匹位は入れそうです。こんな丁度良い大きさの穴を誰が掘ったのでしょうか、モグラですかねえ?
ところで、この子猫は母猫と一緒に居たのですが、母猫の顔を見たら直ぐ判りました、母猫は05年にこのページに載せた#37の茶トラです。#37の個性的な顔は忘れません!
そして父親は多分07年に載せた#77の茶トラだと思います。この子猫は混じりっ気無しの茶トラなので父親も茶トラに違い無いのです。#77の茶トラは今や私と「友達」に成って居て、池の向こう側などをウロついてる時に私がニャーオと言うと池の飛び石を駆け渡って来て私の足に頬を擦り付けます。この池には07年から春にクロスジギンヤンマ(黒筋銀蜻蜒)の♂が飛来します。
<08.06.07:#95>左は大阪市中央区の高津神社の南の公園に居た黒の子猫[?]です。人を警戒して、この様に低木の間に身を潜めて居ますが、その方が安全ですね。こちらがニャーと言っても返事をしませんが、興味有り有りの表情で眼を大きく見開いてじっと見詰める所は、やはり猫ですね。
<08.06.12:#96>右は大阪城公園最南の小さな池の付近に居た黒トラと白の間の子[?]ですが、この辺では新顔です。私がニャーと言うとニャーと鳴き返しますが近付くと逃げるという扱い難い猫です。大人の猫なので今更捨てられたとは考え難く、”流れ者”だと思います。
これから暫く様子を見てたら、この猫の素性も明らかに成るでしょう。
<08.06.21:#97>左は大阪城公園南外濠の外側に居た黒トラの子猫[?]です。これの親らしい黒トラが見当たらないので屹度ここに捨てられたものと思われます。つまり元は飼い猫の子ですがノラ猫渡世を余儀無くされた訳ですね。
しかし、この辺りで何匹も子を産み育てた#37の♀猫(右の写真(同日撮影))が自分の子(=#94)と一緒に連れて歩き子猫同士はじゃれ合って居たので安心です。#37も大分歳を取りました、3年前の顔と見比べてみて下さい。老いても憂いの有る個性的な顔は一目で区別出来ます。
<08.07.17:#98>左は大阪城公園青屋口近くに居た黒トラと白の間の子[?]、多分[♀]です。外濠付近を暑くて気怠そうにウロウロ歩いて居た所を声を掛けて、こちらを向いた瞬間にフラッシュを焚いたので素っ頓狂な表情をして居ます、オッホッホ!
<08.09.09:#99>右は播但線竹田駅前で乗用車の下に潜った三毛[?]です。地図は▼下▼。
地図−日本・兵庫県の城(Map of castles, Hyogo -Japan-)
初め道路の端でニャーニャー鳴いて居たのですが私が近付くとここに逃げ込みました。猫は良くこの様に車の下に潜り、車を盾に下から外界を窺います。
そこへ近所の小母さんが通り掛かると車の下から顔だけ出して再び鳴き始めました。すると小母さんは一旦家に入り小魚を2、3匹持って出て放り投げたら、魚を銜え道路端に持って行き嬉しそうに食べ始めました。
ここは兵庫県の北部で名城として名高い但馬竹田城が在り、ここからも山上の石垣が垣間見えます。
ところで、これで99匹に成りました。愈々次の猫が「ノラ猫百態」の100匹目です。乞う御期待!!
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08年は99匹目で終わりましたが、09年遂に100匹目に到達しました。03年に[百猫繚乱−ノラ猫百態]という副題を付けて掲載を始めてから6年目です。
<09.05.09:#100>猫番号=第100番の栄光に輝いたのは下にご紹介する白黒ブチ[?]です。場所は京都市左京区のケーブル八瀬駅(※5〜※5−2)の駅前です。この日は土曜日で私は三条大橋近くのレンタサイクル屋で自転車を借り大原に行った帰りの午後3時頃に立ち寄り休憩をして居ました。地図は▼下▼。
地図−日本・京都市洛東(Map of East of Kyoto city, Kyoto -Japan-)
左が駅西側の林の中から出て来た所で、背後の車輪が私が乗って居た自転車の後輪です。
中々こっちを向きませんでしたが、やっとベンチの前に座ったのが右の写真。
この日は土曜日でケーブルの乗降客が多いので人を恐れては居ませんが、1m以内に近付くと逃げます。ノラにしては品の良い顔です。
上の2枚の写真を撮った後、猫は蜥蜴(とかげ)を見付け追い駆けますが石垣の隙間に逃げられ暫く石垣の隙間に手を突っ込んでましたが、漸く諦め植木の背後に行き小休止をしました。
ここでケーブル八瀬駅周辺の地図(ポンチ絵)(※6)と風景をご覧に入れましょう。比叡山頂に行くにはケーブルカーからロープウェイ(※5−1)に乗り換える必要が在ります。勾配がきつい所では最早鋼索で引っ張る鉄道では無理で、ロープで吊るすロープウェイに成る訳です。
<ケーブル八瀬駅周辺の地図(ポンチ絵)>
○比叡山頂駅 延暦寺
│
ロープウェイ│
│
ロープ比叡駅○○ケーブル比叡駅
│
ケーブルカー│
│
ケーブル八瀬駅○ <#100の猫> ←┐
ケーブル八瀬駅と叡電八瀬駅 │
八瀬比叡山口駅○ は徒歩で5分位離れてる │私はレンタサイクル
│ │
│叡山電車 │
│ ├─ 大原
出町柳○○叡電出町柳 │
│ │
京阪電車│ │
│ │
三条○ レンタサイクル屋 ←───────┘
│
│ 帰阪
天満橋○
右がケーブル八瀬駅で望遠で撮った到着するケーブルカーです。写真の左上にホームを無人カメラが作動して居ます。ケーブルカー前面の丸い看板には
ガーデンミュージアム
比叡
と書いて在ります。
ケーブル八瀬駅を下って叡電八瀬駅を撮ったのが左の写真です。
右は駅の表札の拡大で
叡山電車 八瀬比叡山口駅
出町柳・修学院・鞍馬・貴船 方面のりば
と書いて在り、道路には「比叡山 大原方面」とデカデカと書いて在ります(左の写真)。
右は叡電八瀬駅で出発待ちをしている出町柳往きのワンマンカーです(1輌編成)。電光表示板にも「ワンマン 出町柳 EIDEN」と表示されて居ます。
これらケーブルや電車の写真は#100の猫を撮影した後に撮りました。それでは再び猫へ。
右の写真は小休止中の#100の猫に声を掛け、こちらを向かせて撮ったものです。左手の内側に黒班がご愛嬌です。第100番を記念して顔を大写しで載せました。
この後、私が手を伸ばし触ろうとしたら一目散に逃げて行きました、オッホッホ!
私はこの後、京都三条のレンタサイクル屋に自転車を返しに行き(ポンチ絵の地図を参照)、京都で一杯引っ掛けて帰りました。予は満足であるゾ!!
エルニーニョの「ノラ猫百態」は猫が100匹溜まったら終了です。思えば2003年から6年掛かりました。皆さん、どうも有難う御座居ました!!
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先ずは解題。このページのタイトルの解説を少々。日本語のタイトルが「ノラ猫狂詩曲」で何故英語のタイトルが
"What's new PUSSYCATS ?"
に成るのか?
pussycat は小児語で「猫ちゃん」とか「にゃんにゃん」とか言う意味だから良しとして、狂詩曲は rhapsody だろう、と仰る方も居られると思います。ご尤もです。通常なら
Rhapsody of PUSSYCATS 或いは PUSSYCATS rhapsody
と成る所です(pussycats を PUSSYCATS として居るのは強調の為です)。しかし、これは洒落(シャレ)或いは駄洒落、つまり言葉遊びなのです。その心は如何に?!
1965年頃に青春時代を過ごされた方、もっと有り体に言えばビートルズ世代の方は或いは覚えが有るのではないでしょうか?、ビートルズと同じ英国出身のトム・ジョーンズの1965年のヒット曲
What's new pussycat ?(邦名:何かいいことないか、子猫チャン)
を。この曲はあのバート・バカラック(B.Bacharach)が作曲し、トム・ジョーンズのアメリカでの最初のビッグ・ヒットと成った曲です。と言ってもこの曲を知っている方は少ないとは思います、この曲は日本では殆ど流行らなかったからです。バカラックが日本で大衆的に認知されたのは、先頃他界した映画俳優チャールス・ブロンソンが主演した1970年の映画『明日に向かって撃て』の中でB.J.トーマスが歌った
Raindrops keep fallin' on my head(邦名:雨に濡れても)
に拠ってです。
ところが私は、当時は進駐軍放送などと呼ばれて居たFEN(Far East Network:米軍の極東放送網)をラジオで良く聴いて居て、海外の新曲を直接聴くと日本で流行るポップスなどほんの一部にしか過ぎないことが解り、和製ポップスなどは当時から大嫌いでした(今でも嫌いです)。今ではFENを知る人も少なく成りましたね、FENはポップス中心でしたが、日曜日には讃美歌やクラシックも放送して居て、あのバッハ(J.S.Bach)のことを英語式に”バック”と発音して居たのを今でも良く覚えて居ます。そんな当時の私はトム・ジョーンズが
"What's new pussycat ?, wow wow..."
と歌うフレーズが大変好きだったのです。そういう訳でこのページのタイトルを私の大好きな曲から採り、pussycat を複数形にしたのです。これはもう、全く私の思い入れなのですよ。
次はBGMについて。前から私はノラ猫ニャン子たちの為に”子守唄”をプレゼントしようと思っていたのですが、2004年1月26日に遂にBGM(MIDI)を設置しました。ではバカラックの「何かいいことないか、子猫チャン」か?、と誰しもお考えに為ると思いますが、そうではありません。ショパンの「ワルツ第4番ヘ長調」、俗に「子猫のワルツ」と呼ばれて居るクラシック曲です、しかも三味線バージョン。猫たちはもうパニックです、何故って三味線の胴は猫の皮剥いで作るんでっせ!
つまりこのページの日本語タイトル、英語タイトル、そしてBGMは全くバラバラ・ハチャメチャ・ナンセンスな訳で、実にエルニーニョ的バランスなのです。そもそも猫と言うのは何を考えているのか、人をおちょくっている(※7)所が有りますから、少しおちょくり返して遣った迄です、ウワッハッハッハ!!!
ところで大阪には三味線用に皮剥いだ猫を供養する猫塚が在りまっせ、この猫たちに見せて遣りたいですね。
最後に我が友、道端のノラ猫たちよ
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
人ニモ苛(イジ)メラレズ
食イ物ニ気ヲ付ケテ
達者デにゃ〜お!!
◆◆◆参考資料 − 猫の雑学
ここでは猫について少々蘊蓄(うんちく)を垂れましょう。
(1)猫の語源
先ず語源については、漢字の「猫」の中国語の発音は「ミャオ」又は「マオ」(英語表記mao)で、同じ発音を有する「苗」に獣偏を付したもの、即ち鳴き声から来ているのが明らかです。
その「猫」を訓じた日本語の「ねこ」の「ね」は鳴き声、鼠(ね)、或いは寝(ね)の意味と、説が分かれます。「こ」は「小さなもの=小」又は「可愛いもの=子」を表す接尾語です。
因みに英語で猫の鳴き声を表す言葉はmew で、発音は「ミュー」です。mew は又、鴎(かもめ)の鳴き声にも使います。日本語でも鴎の一種に海猫(うみねこ)という鳥が居て、猫の鳴き声に似ているので名付けらました。
日本語でニャン子(にゃん子)という言い方は「鳴き声+子」ですが、猫は良く寝る動物なので私には「ねこ」の音(おん)の語源として「寝子(ねこ)」に実感が有り、「猫火鉢」という語も抱くと直ぐ寝て暖かい「寝子」から来ている様な気がします。
(2)「猫」を含む熟語や諺
この参考資料のタイトルを「猫の雑学」としましたが、猫は雑食です、アッハッハ。何でも食います、従ってウンコは臭い、だから猫は自分のウンコに砂を掛け、匂いを嗅いで綺麗に隠します。ここが飼い主にウンコを片付けて貰う犬とは大きな違いです。この様に自分のウンコを隠すのをネコババ(猫糞)と言い、「他人の金をネコババした」などと用います。
そこでこの様な熟語や諺を整理して、広辞苑の助けを借り乍ら列挙して置きます。
◆「猫」を含む熟語
◇猫脚(ねこあし):膳や机の脚の形状の一。上が膨み、中がやや窄(すぼ)まり、下が円い、猫の脚に似たもの。
猫足昆布は長切昆布・とろろこんぶとして食用。甘味が強い。
◇猫石(ねこいし):板塀などの土台の下端で柱の真下に据え付けた石。
◇猫板(ねこいた):(良く猫がその上で蹲(うずくま)るので言う)長火鉢の端に渡す引板。下種板・下衆板(げすいた)。
。
◇猫要らず・猫いらず(rat poison):殺鼠剤の一。黄燐を主成分とし、古くから使われた。1905年(明治38)「猫イラズ」の商品名で市販。今は毒物及び劇薬取締法の対象。
◇猫下ろし:猫が物を食い残すこと。又、その食い残した物。
◇猫掻(ねこがき):藁などで編んだ筵(むしろ)。蹴鞠の庭などに敷く。猫ぶき。
◇猫被り(ねこかぶり):本性を包み隠して、大人しそうに見せ掛けたり、知って居乍ら知らない振りをすること。又、そういう人。猫っ被り。
◇猫可愛がり(ねこかわいがり):猫を可愛がる様な甘やかした愛し方。
◇猫草(ねこぐさ):オキナグサの異称。季語は春。
・オキナグサ(翁草)は、キンポウゲ科の多年草。山野の乾燥した草地に生え、全体が白色の長毛で覆われるのでこの名が在る。葉は羽状。春先、暗赤紫色の六弁花を開き、後に多数の果実の集まりが長毛(花柱の変形)を風に靡(なび)かせる。根を乾燥したものは生薬の白頭翁で、消炎・止血剤とする。ネコグサ。
◇猫車(ねこぐるま):土砂運搬器の一。箱の前部に車輪が1個在り、後部の2本の柄で押して行く車。ねこ。
◇猫鮫(ねこざめ):ネコザメ科の海産の軟骨魚。全長約1mで頭が猫に似る。茶褐色で、体側に凡そ7条の幅広い褐色の横帯が有る。物を銜(くわ)えると暴れない習性が有る。サザエワリ。
◇猫三昧(ねこざんまい):嬰児又は胞衣(えな)を埋める共同墓地。兵庫県の一部で言う。
◇猫舌(ねこじた):(猫は熱い食物をきらうから言う)熱い物を飲み食いすることの出来ないこと。又、そういう人。
◇猫四手(ねこしで):ウラジロカンバの別称。
・ウラジロカンバ(裏白樺)は、カバノキ科の落葉高木。高さ約15m。深山に生え、皮に香気が有る。葉は楕円形、縁辺に二重鋸歯が有り、裏面の脈上に白毛を密生。4〜5月頃、葉腋に淡黄褐色の単性の穂状花を垂れ、円筒形の果穂を結ぶ。薪炭材とする。ネコシデ。
◇猫じゃらし:[1].江戸時代の帯の結び方の一。猫をじゃらすかの様に、帯の掛けと垂れとを同じ長さに2度結んで垂らしたもの。
[2].(穂で猫をじゃらすことから)エノコログサの異称。季語は秋。
・エノコログサ(狗尾草)は、イネ科の一年草。各地の路傍の雑草。高さ20〜40cm。葉は線形で互生、下部は鞘状に茎を包む。夏、緑色の犬の尾に似た穂を出す。近縁種も多く雑草と成る。エノコグサ。ネコジャラシ。莠(はぐさ)。
◇猫頭巾(ねこずきん):江戸時代、火消人足などが火事場で被る綿入れ木綿製の頭巾。表は紺無地又は型染め、裏は茶又は萌黄。
◇猫背(ねこぜ):首がやや前方に屈み、背が丸く成っていること。又、そういう人。亀背(きはい)。猫背中。
◇猫騙し(ねこだまし):相撲の立合いで、相手の目の前で両手を打ち合わせて相手を驚かす奇襲技。
◇猫っ毛(ねこっけ):猫の毛の様に、柔らかい頭髪。
◇猫綱(ねこづな):強情で人の言葉に従わないこと。
◇猫面(ねこづら):猫の顔に似て短い顔の人を卑しめて言う語。
◇猫撫で声(ねこなでごえ):猫を撫でる様に、当りを柔らかく発する声。相手を懐かせようとする時の声。一説に、猫が人に撫でられた時に出す声とも。
◇猫の舌:ハマグルマの別称。
・ハマグルマ(浜車)は、キク科の多年草。海辺の砂地を這い、葉は厚く切れ込みが有り、表面が猫の舌の様にざらつく。夏、黄色の小さな頭花を付ける。別称ネコノシタ。
◇猫の額(ねこのひたい):(猫の額が狭いことから)土地などが極めて狭いことの形容語。
◇猫蚤(ねこのみ):ヒトノミ科のノミ。体長2〜3.5mm。主にネコやイヌに寄生するが、人も良く刺す。
◇猫の目:猫の瞳が明暗に依って形が変わることから、常に変化し易いことの形容語。「―の様に変わる」。
◇猫目草(ねこのめそう):ユキノシタ科の多年草。山地の渓流の岸に生じ、高さ約20cm。全体は柔らかくて淡緑色。葉は卵形。早春、頂に淡黄色の小花を集め開く。果実は刮ハ(さくか)で縫線が有り、ここから2裂する様がネコの瞳孔に似るので言う。又、ハナネコノメ/ツルネコノメ/ミヤマネコノメソウなど数種の総称。季語は春。
・刮ハ(さくか/さっか、capsule)とは、乾果の一。乾性の子房の発達した果実で、熟すと縦裂して種子を散布する。アサガオ/ケシ/アブラナ/キキョウ科などの実の類。凵B
◇猫萩(ねこはぎ):マメ科の多年草。茎は蔓状で地上に伏臥し、淡褐色の軟毛を密生するのでこの名が在る。葉は小さな円形の3小葉から成る。夏、葉腋に白色で紫点有る蝶形花を開く。
◇猫八(ねこはち):江戸時代の物乞いの一。門に立って猫・犬・鶏などの鳴声を真似て銭を乞い歩いたもの。
◇猫糞(ねこばば):(猫が脱糞後、脚で土砂を掛けて糞を隠すから言う)悪行を隠して知らん顔をすること。落し物などを拾ってその儘自分のものにして仕舞うこと。「―を決め込む」。
◇猫火鉢(ねこひばち):側面に数個の穴をあけた土製の囲いの中に、小火鉢を入れた行火(あんか)。蒲団の中に入れて足を暖める。ねこ。
◇猫ぶき:猫掻(ねこがき)に同じ。
◇猫(ねこま):ネコの古称。〈和名抄18〉。
◇猫間(ねこま):扇の親骨の透彫(すかしぼり)の一種。或いは円く或いは細く連続して彫り透かし、猫の瞳の様に様々に形を変えたもの。
◇猫股・猫又(ねこまた):猫が年老いて尾が二つに分かれ、良く化けると言われるもの。
◇猫跨ぎ(ねこまたぎ):(魚の好きな猫でさえも跨いで通り越すという意で)不味い魚を言う。
◇猫目石(ねこめいし):[1].金緑石の一種。蜂蜜色で、結晶中に多くの線状の細孔が平行に集まり、磨くと猫の目に似た蛋白光の色彩を放つ。装飾に用いる宝石の一。キャッツ・アイ。
[2].石英の一種。[1]と同様の結晶構造で、外観も酷似して居るが、[1]よりは廉価。
◇猫飯(ねこめし):飯に味噌汁を掛けたもの。
◇猫柳(ねこやなぎ、pussy willow):カワヤナギ(川柳)の季節的な愛称。花穂の銀毛が猫を思わせるので言う。季語は春。
◇三つ口(みつくち、harelip)とは、上唇の中程が先天的に縦に裂けているもの。いぐち(欠唇・兎唇)。兎や猫は正常で三つ口状態である。
◆「猫」を含む諺
○一匹猫:これは私の造語です。私は群れて行動するのは余り好きでは無く、このサイトでもお解りの様に独自の立場を主張する人間ですので「一匹狼」的なのですが、狼程強く無いので、”一匹猫”とか”逸(はぐ)れ猫”と自分を称して居ます。
○借りて来た猫:普段と違って非常に大人して居る様。
○窮鼠猫を噛む:追い詰められた鼠が猫にも食い付く様に、絶体絶命の窮地に追い詰められて必死に成れば弱者も強者を破ることが有る。
○結構毛だらけ猫灰だらけ:大いに結構だ、の意のふざけた言い方。
○猫に鰹節:好物を近くに置いては油断の為らないことの譬え。
○猫に小判:貴重なものを与えても何の反応も無いことの譬え。転じて、価値の有るものでも持つ人に依って何の役にも立たないことに言う。豚に真珠。
○猫に木天蓼(またたび)、お女郎に小判:効果の著しい譬え。
・マタタビ(木天蓼)は、マタタビ科の蔓性落葉低木。山地に自生し、葉は円形、夏には葉面の半分が白変する。初夏、白色5弁の花を開き、液果を黄熟する。熱湯に浸して乾燥した果実は中風・リウマチや強壮に効が有り、名の由来は食べると又、旅が出来るからとする俗説も在る。若芽も食用。猫類が好む。ナツウメ。季語は秋。「木天蓼の花」は季語は夏。貝おほひ「さかる猫は気の毒たんと―や」(信乗母)。
○猫の首に鈴を付ける:(鼠たちが、猫の近付くことが判る様に猫の首に鈴を付けることにしたが、実行出来る鼠は居なかったという「イソップ物語」の話から)一見すると名案であり乍ら、実行するのが極めて難しいことの譬え。
○猫の子一匹居ない:生きて動く物が何も見られない。誰も居ない。人っ子一人居ない。
○猫の手も借りたい:非常に忙しく手不足な様に言う。
○猫も杓子(しゃくし)も:どんな人も。誰も彼も。何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も。
○猫を被(かぶ)る:猫被りをする。「猫被り」の項を参照。
◆「猫」の彫像など
○眠り猫:左甚五郎が日光東照宮の欄間に浮き彫りした「眠り猫」は有名。猫は良く寝るので解り易い題材です。
○招き猫:座って片方の前足を挙げて人を招く姿をした猫の像。顧客・財宝を招くと言うので、縁起物として商家などで飾る。
いやぁ、調べてみると沢山在るものですねえ、家猫の起源はリビアネコ(※1、※1−1)と言われる品種を家畜化したものですが、更に遡るとスカラベ(※3)と共に猫を神聖視したエジプト地方のアビシニアンが最古の家猫の様です。エジプトではミイラにされた猫も発掘されて居ます。
しかしそんな高貴な祖先とは程遠く、ノラ猫は殆どが雑種です
【脚注】
※1:猫(ねこ、cat)は、[1].広くはネコ目(食肉類)ネコ科の哺乳類の内、小形のものの総称。体はしなやかで、鞘に引き込むことの出来る爪、ざらざらした舌、鋭い感覚の髭(ひげ)、足裏の肉球などが特徴。一般には家畜のネコ(家猫)を言う。エジプト時代から鼠害対策としてリビアネコ(ヨーロッパヤマネコ)を飼育、家畜化したとされ、当時神聖視された。現在では愛玩用。在来種の和ネコは、奈良時代に中国から渡来したとされる。古称、ねこま。枕草子9「―を御ふところに入れさせ給ひて」。
[2].(猫の皮を胴張りに用いるから言う)三味線の異称。
(三味線を使うことから)芸妓の異称。
[3].猫火鉢の略。季語は冬。
[4].猫車の略。
[5].鞴(ふいご)の内側に付いていて、空気の出る孔を塞ぐ革。〈日葡〉。
※1−1:家猫(いえねこ、house cat)は、家畜のネコ。飼いネコ。家畜としての歴史はイヌに次いで古く、アフリカからインドに分布するリビアネコを家畜化したものとされる。品種はイヌ程顕著で無く、シャムネコ/ペルシャネコ/アビシニアン/ヒマラヤン/ニホンネコなど。
※1−2:アビシニアン(Abyssinian)は、ネコの一品種。古代エジプトで神聖視されて居た猫の子孫と言われ、イエネコの中では最古の品種とされる。1800年代にイギリス軍の兵士がエチオピアのアビシニア高原から持ち帰り、1883年のクリスタルパレスでの品評会以来人気を博し、今ではエチオピア原産とされる。体は筋肉質で短毛。毛色は褐色だが、毛は1本1本が根元の方から2〜4色に分れる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2:野良猫(のらねこ、homeless cat)とは、飼主の無い猫。野原などに捨てられた猫。どら猫。
※2−1:飼い猫(かいねこ、tame cat)とは、人家で飼っている猫。
※3:スカラベ(scarab)は、[1].タマオシコガネ(玉押金亀子)のこと。コガネムシ科の甲虫の一群の総称。体は楕円形で鈍い金属光沢の有る黒色。体長2〜3cm。獣糞を球状に丸め後肢で転がして運び、土中の穴に貯え、幼虫の食物にする習性が有る。日本には居ない。通称はフンコロガシ(糞転がし)。又ファーブルの「昆虫記」で有名。この虫を意味する語が生成の意味にも通ずるので天地創造の神の、その習性から太陽神の象徴として古代のエジプトで崇拝された。
[2].古代のエジプトで崇拝され、印章や首飾りに付ける護符として用いられた、タマオシコガネを象(かたど)ったもの。
※4:胞衣(えな/ほうい/ほうえ)とは、胎児を包んだ卵膜と胎盤。徒然草「御―とどこほる時の」。→後産(あとざん)。
※5:ケーブルカー(cable car)は、軌道に沿って移動する鋼索に依って運転する鉄道。鋼索鉄道。俗にロープウェイを含めることが有る。
※5−1:ロープウェイ/ロープウェー(ropeway)は、鋼索で運搬器を吊し、旅客/貨物/鉱石などを運搬する設備。主に山岳地方で用いる。単線式と複線式とが在る。空中ケーブル。架空索道。索道。
※5−2:八瀬(やせ)は、京都市左京区の一地区。比叡山西麓の高野川の渓谷に臨み、若狭街道に沿う。この村人は昔から八瀬童子と称し、朝廷の重要な儀式に奉仕した。
※6:ポンチ絵(―え)とは、(イギリスの諷刺漫画雑誌「パンチ」(Punch)から)寓意/諷刺の滑稽な絵。漫画。
※7:「ちょくる」とは、[1].戯れに触れる。嬲(なぶ)る。伎、傾城浜真砂「この立廻りのうち、大名皆々片鬢を―られたり、肩先を切られたり、手疵を負ふ」。
[2].(東北地方・新潟県・関西地方で)からかう。馬鹿にする。(主に関西で)おちょくる。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『枕草子』(池田亀鑑校訂、岩波文庫)。
●関連リンク
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資料−日本の相撲の歴史と仕来たり(History and custom of Sumo in Japan)
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