日本国の首都。1868年9月(慶応4年7月)、江戸幕府の所在地であった江戸を東京(東方に在る都の意:明治前期にはトウケイとも)と改称、京都から遷都。78年(明治11)府制を施行、89年これを15区に分けて東京市とした。1932年隣接町村を併合して35区と改め、43年府・市を廃して都制を布き、47年23特別区及び市・郡・支庁の区画を定めた。特に、23区の地域を東京と呼ぶ場合も有る。日本の政治・経済・文化の中枢。面積2186ku。人口1157万4千(内、23区は783万)。全27市。
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|台東区浅草|吉原新地(遊郭跡)|
東京都台東区の一地区。元は東京市35区の一。浅草寺(せんそうじ)の周辺は大衆的娯楽街。
吉原
▼東京都台東区浅草の地図 ↑
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江戸の遊郭。1617年(元和3)市内各地に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町に集めたのに始まる。1657年の明暦の大火に全焼し、千束日本堤下三谷(さんや)(現在の台東区千束)に移し、新吉原と称し北里/北州/北郭などとも呼ばれた。旧吉原を元吉原と呼び、新吉原をやがて吉原と呼んだ。江戸時代、公許の遊郭として庶民の生活と結び付いて、洒落本・人情本など江戸町人文芸発展の背景と成った。1956年に公布された売春防止法に依り遊郭は廃止。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・大門(おおもん)とは、 [1].大きな門。だいもん。
[2].邸宅・城郭などの第1の表門。正門。
[3].遊郭の入口の門。
遊郭の大門は「おおもん」と言います。▼下図▼に在る吉原大門は「よしわらおおもん」と読みます。吉原は浅草の一区画北側に在ります。
▼吉原新地(遊郭跡)
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浅草
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