2006年・大井川SL道中記
[大井川鉄道の旅・その3]
(Go by SL, Oi-river Railway, 2006)

−− 2006.10.14 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.12.11 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
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 ■はじめに − 千頭にて

 ★このページは<その2>「井川線あぷとラインの旅」編の続きです。これは大井川鉄道の目玉、本線のSL乗車紀行です。

 06年8月30日(水)の午前中に大井川鉄道(正式名称:大井川鐵道(株)、略称:大鉄又は大鐵)井川線の「南アルプスあぷとライン」を往復し<その2>に纏めました。
 このページはその続きの、即ち06年8月30日の午後千頭→大鐵金谷の本線SLの旅です。乗ったのは千頭15時23分発SL急行「かわね路号」です。千頭駅に12時45分に到着した後、SL乗車迄に約2時間半取ったのは千頭駅でSL資料館や千頭駅構内を見学する為ですが、その成果は<その4>「SLの人生」編に盛り込みます。

  ◆大井川鐵道本線の駅の住所

    大鐵金谷   :  静岡県島田市金谷
    新金谷    :  // // 金谷河原
    代官町    :  // // 金谷河原
    日切     :  // // 島
    五和     :  // // 竹下
    神尾     :  // // 神尾
    福用     :  // // 高熊
    大和田    :  // 榛原郡川根町 家山
    家山     :  // // //  家山
    抜里(ぬくり):  // // //  抜里
    川根温泉笹間渡:  // // //  笹間渡
       (ささまど)
    地名(じな) :  // // 川根本町地名
    塩郷     :  // // //  下泉、対岸が久野脇
    下泉     :  // // //  下泉
    田野口    :  // // //  田野口
    駿河徳山   :  // // //  徳山
    青部(あおべ):  // // //  青部
    崎平     :  // // //  崎平
    千頭(せんず):  // // //  千頭

  ◆SL急行券

 大鐵本線のSLに乗車する為には乗車券の他に、SL急行券(=座席指定、560円)が必要です。
スキャン0:大鐵の「SL急行券」。 右が往路で先に買って置いたSL急行券です。セピア色(※1、※1−1)のSL写真は古色然として郷愁を誘います、これも誘蛾灯商法的演出です。写真の下部には「大井川鐵道 笹間渡鉄橋附近」と記されて居ますが、後でこの橋を渡りますのでお・楽・し・み・に!
 私の座席は「1号車4番D席」と手書きされて居ます。以下に私が乗ったSL急行が停車する主要駅の時刻表と標高[m]・距離[km]表を載せて置きます(△1)。

  8月30日(水)
       千   駿   下    川   家   新   大
           河       笹根           鐵
           徳       間温       金   金
       頭   山   泉   渡泉   山   谷   谷

   時刻 15:23  15:34  15:47  16:01  16:09  16:41  16:46
   標高  299   248   214   155   143   69   93
   距離  0.0   5.4  12.0  19.5  22.4  37.2  39.5
                   ↑
                金谷行きのみ停車


 本線はこの主要駅は有人ですが、他は殆ど無人駅です。
 尚、以下の記述でSLの型式番号の詳細についてはココをクリックして参照して下さい。

 ■千頭駅のSLフィーバー

 私は駅員に乗車券を見せて駅の外に出ました。ここは静岡県榛原郡川根本町千頭(←05年9月20日の旧・中川根町との合併以前は旧・本川根町)、標高299mです。左下が千頭駅で、私はもっと田舎臭い駅舎を想像して居ましたが予想に反して中々モダンな造りです。
写真0−1:千頭駅舎。 私はSL資料館を見て駅周辺をうろついて居たら、右の「うどんそば」の幟が目に入って来ました。朝から何も食って無いので早速340円の山菜蕎麦を注文、これが旨かった!
 この時ドヤドヤと乗客が数10人改札から出て来ました。こんなに多い乗客が降りるのはSLです。時刻表を見ると私が乗るSLは13時12分に到着し、ここで燃料の石炭を積み込んで位置を換えて出発準備をします(※2)。
写真0−2−2:千頭駅に到着した大鐵SL「C11190」(前向き)。写真0−2−1:大鐵SL「C11190」の型番プレート。
 そう思って本線の3番線ホームに行くと居ました、右が到着したばかりのC11型蒸気機関車型番プレート(C11190)です。ご覧の様に千頭行きの下り線(=上り勾配)は前向き牽引(ノーマル牽引)で、これが”正常位”です。
写真0−3:千頭駅の風景。 到着列車の後部に行くと左の写真の様にSLの撮影を終えた乗客が未練がましく客車の写真を撮って居ます。大鐵の経営はこの様なSLに群がる”蛾”の集団の御蔭で成り立っていると言っても過言でありません!
 尚、客車の背後に見える青い主桁は駅の直ぐ東を流れる大井川に架かる川根大橋です。

  ◆暇潰しに大井川河川敷へ

写真0−5:千頭駅近くの大井川河川敷に居たオオシオカラトンボの♂。 未だ時間が有るので私は暇潰しに大井川の河川敷に行きました。駅前には観光客が可なり居ましたが、河川敷に降りたのは私を含めて2〜3人でした。
写真0−4:千頭駅近くの大井川河川敷に居た三毛猫。 私は暇潰しには事欠きません、その成果は左の三毛猫と右のオオシオカラトンボ(ほぼ実物大)です。他にギンヤンマも飛んでましたね。
 こうして暇を潰した後、SLの出発準備が完了した頃を見計らって駅に戻りました。

 ■千頭駅でSL車輌撮り捲り

  ◆客車

写真1−1−1:私が乗るSL急行の最後尾客車「スハフ42型」。写真1−1−2:客車「スハフ42型」の型番記名。 駅に戻ったら既に機関車を金谷側に付け換え、3番線ホームには最後尾客車が見えて居ます(左の写真)。右は最後尾客車の後面左側に書かれた文字で、この客車がスハフ42型重量が34.2tであることが読み取れます。
 この日客車は5車輌で前の方から1〜5号車です。
写真1−2−1:SL急行の客車内部。
 未だ出発迄40分も有り乗客は殆ど来て居ませんが、既に乗車可能だったので私は客車に乗り込みました。私の席は先頭客車前寄り右の窓側です。右の写真は私の席から客車内部の後部を撮ったもので、ご覧の様に未だ誰も乗車して居ません。
写真1−2−2:SL急行客車内の天井扇風機。写真1−2−3:SL急行客車内の網棚。
 昨年塩郷駅から見た様に冷房設備は天上の天井扇風機(左の写真)のみ、網棚(右の写真)は”文字通り”に網を張った棚です。
写真1−3:SL急行客車内の洗面所。写真1−4:SL急行客車内のトイレの扉。 私は自分の席に大きい荷物(=リュック)を置き、この車輌の後部に行ってみました。すると洗面所(左の写真)とトイレ(右の写真)が有りましたが、現在は使われて居ません。
 ご覧の様にトイレの木製ドアには「このトイレは使用できません」という貼り紙が貼ってありました。私はそれでも尚トイレの中を覗いて見たかったので、ドアを押したり引いたりしましたが、開きませんでした、アッハッハ!
 トイレを覗けず客車に興味を失った私はその儘機関車を見にホーム先端(=金谷寄り)に行きました。

  ◆機関車

 左下が先頭に連結完了し煙と蒸気を噴き上げているC11型蒸気機関車(前出)で、前面の型番プレート「C11190」 −動輪3軸、タンク機関車、C11型の190番目− と記されて居ます。ご覧の様に金谷行きの上り線(=下り勾配)は後ろ向き牽引(=バック牽引)です。昨年、05年に塩郷駅を通過して行った金谷行きSLもバック牽引でした。バック牽引の詳細<その4>を参照して下さい。
写真2−1:私が乗る大鐵SL「C11190」(後ろ向き)。写真2−2:SL「C11190」の製造銘板。
写真2−3:SL「C11190」の大鐵の社章。
 右上の上の写真は機関車側面の製造銘板です。銘板には
  「昭和十五年 川崎車輌 製造 No2361」
と記されて居て、日本が太平洋戦争に突入する前年の1940年に製造されて居ます。大戦を潜り抜けて生き延びて来たんですね。
 右上の下の写真は同じく機関車側面に刻印された大井川鐵道(株)の社章、即ち会社のマークです。
写真t−1:千頭駅構内の転車台(=ターンテーブル)。

 蒸気機関車の向きを切り換えるには転車台(=ターンテーブル)が必要で、実はこの千頭駅構内には”中古”の転車台が井川線のホーム先端の更に先に設置して在る(右の写真)のですが、普段はこれを使用せず連結位置だけを換えて、下り勾配(=上り線)はバック牽引します。この転車台はイベント時のみ使うそうです。
 転車台については<その4>で詳述します。
 


写真2−4:SLを整備する機関士。 暫くすると機関士が点検をしに遣って来ました(左の写真)。何やら色々と点検して居る機関士の後ろには燃料の石炭が見えて居ます(下の写真)。
写真2−5:SLの燃料の石炭。
写真2−6:SLの燃料釜の炎。 もうこの頃に成ると大人も子供も皆この機関車の周囲を取り巻いて居て、20〜30人の人集り(ひとだかり)が出来て居ます。点検が終わると機関士は燃焼釜の蓋を徐(おもむろ)に開けました。左が燃焼して居る釜の中の炎です。
 この写真は機関士が作業をして居る脇から覗いて撮ったものですが、機関士は聴衆を充分意識して”これ見よがし”に作業を続けます。この辺が私が大鐵の誘蛾灯商法と呼ぶ所以で、SLマニアや観光客に充分サービスし喜ばせます。まぁ大鐵の乗客は遠方からの観光客が殆どですからね、「観光客様は神様」な訳です!
写真2−7:煙と蒸気を噴出する待機中のSL。写真2−8:千頭駅から見える「奥大井音戯の郷」。 機関車内部を見終わった私が人集りの外に出ると、機関車は勢い良く煙と蒸気を噴出しました(左の写真)。丸で鯨の潮吹きの様です。今は無煙化に取り組んで居るとのことで黒い煙は余り出ません(少しは出る)。
 ホームの西側には「奥大井音戯の郷」という訳の解らない施設 −何故千頭がオルゴールなんや?− の建物(右の写真)が見えて居ます。

                     SL列車の走る向き(バック牽引)─→

 そして出発間際にC11190型蒸気機関車に乗った私の写真を通り掛かった人に撮って貰いました(右の写真)。良い記念です。バック牽引ですので、列車は右に向かって走ります
 私は直ぐに席に戻りました。するとSL列車は「ブウォーッ」と大きく汽笛を鳴らし、ゆっくり動き始めました。ホームで思い思いに写真を撮っていた10数人のSLマニアたちは、今度は一斉にこちらを向いて写真を撮り始めました。私たちのSLは又「ブウォーッ」と汽笛を鳴らしホームを後にしました。

 この写真は「私自身の写真集・海外と日本編」にも載って居ます。さあ愈々、”SL旅道中”の始まりです。途中、SL撮影スポットもご紹介します。

 ■SL旅道中

  ◆千頭〜駿河徳山

 千頭駅は現在は川根本町ですが旧は本川根町です。暫くの間は旧・本川根町地区を走ります。
写真3−1:汽笛を鳴らし蒸気を吐いて疾駆するSL。
 私の席は先頭客車前寄りの進行方向に向かって右の窓側の席です。これは私の注文の結果で、その訳はこれから先大部分は大井川を右手に見て進むからです。
 左は千頭駅を出発して直ぐの右カーブで撮ったもので、我がSLは汽笛を鳴らし横から蒸気を吐き出して力強い走りを見せて居ます。

 やがて列車は大きく蛇行する大井川を、千頭駅→[大井川第四橋梁]→[大井川第三橋梁]→崎平駅→[大井川第二橋梁]→青部駅、の様に橋を立て続けに3回渡ります。
写真3−2−1:大井川第三橋梁を渡るSL。 左の写真は大井川第三橋梁です。
写真3−2−2:牽引中のSLから顔を出す機関士。 機関車部分を拡大すると、運転士と機関士らしき人物が見えます。1人は窓から外に顔を出し、大井川の流れを見ている様です(右の写真)。
 ところで、ここも含め上に列挙した3つの橋梁の河川敷はSL撮影の好適地で、河川敷に三脚を立て望遠レンズでこちらを撮影して居る人を見掛けました。

 この後直ぐに崎平駅川根本町崎平)と次の青部駅川根本町青部)を通過して、以前の旧・本川根町地区から旧・中川根町地区に入りますが、両町は合併したので現在では川根本町の儘町名は変わりません。そして列車は最初の停車駅・駿河徳山駅川根本町徳山)に止まります。
 この駅の北800m位の所には徳山浅間神社が在り、毎年8月15日には風流踊り・鹿ん舞・狂言で構成され、国指定重要無形民俗文化財の「徳山盆踊り」で賑わいます。

  ◆駿河徳山〜下泉 − 大井川の素晴らしい眺望

写真3−3:車窓から振り返り見た大井川と淙徳橋。 対向列車と擦れ違い駿河徳山駅を出ると進行方向右手の車窓からの風景は180度のパノラマです。大井川が右手に近付いて来て視界が開けたのです。
 私はこのパノラマをビデオに撮りました。右はそのビデオから採った写真で、列車の右手後方の大井川淙徳橋(=国道362号に架かる橋)とその背後の北西の方角に控える山々 −板取山方面でしょうか− です。
 ★ビデオで映像とSLの音を擬似体験したい方は右の写真をクリックして下さい(size=694KB)。行き成り汽笛が鳴りますよ!
写真3−4:田野口駅付近のトンネルに右カーブで侵入するSL。
 右上の写真の辺りから列車は暫くの間は大井川を右手に見下ろして進む様に成り、左手には山地の斜面が迫ります。

 そして左は田野口駅川根本町田野口)付近のトンネルに右カーブで侵入するSLです。機関士が右の窓から顔を出して前方を見て居ます。
 この駅は幹が5本に分かれた五本杉津島神社川根大仏千葉山智満寺(曹洞宗)の最寄駅です。千葉山の山号は、平安時代に島田市千葉の千葉山(標高478m)に建つ千葉山智満寺(天台宗)の末寺として開山されたからで、現在の宗派が異なるのはその後室町時代に静岡市羽鳥の洞慶院より回夫慶文禅師を迎え曹洞宗に改宗開山されたからで、寺には「信州猫檀家」伝説も伝わって居ます(△2)。
写真3−5:田野口駅付近から振り返った南アルプス最南端の山々。
 左上のトンネルを抜けると再び右手後方の視界が良く成りました。
 右は田野口駅付近のトンネルを抜けた辺りから右手後方の眺望です。遠く北の方角に南アルプス最南端の山々が見えて居ますが、これが見納めです。
 そんな名残惜しい気分の裡に列車は又もや短いトンネルを潜り下泉駅川根本町下泉)に到着しました。
 この駅の東2kmの所には不動の滝が在ります。大岩がゴロゴロした渓谷の落差45mの滝で、古くは修験道の霊場でした。

  ◆下泉〜地名 − 思い出深い塩郷吊橋

 下泉駅を発って間も無く右手に見えて来たのが昨年見た塩郷ダム(左下の写真)と塩郷吊橋(右下の写真)です。この辺りの住所は下泉駅と同じ川根本町下泉で、対岸が久野脇です。
 塩郷吊橋はこの[大井川鉄道の旅]シリーズの出発点と成った橋で、私にとって特別な思い入れの有る橋です。
写真4−1:塩郷ダム。写真4−2:塩郷吊橋。

 塩郷吊橋を過ぎると直ぐに左手の塩郷駅川根本町下泉)を一瞬で通過し、そして直ぐに大きな弧の右カーブに入ります。このカーブを走る列車は塩郷駅から可なり長い間見ることが出来、昨年塩郷駅からSLを見送ったことを思い出します。

  ◆地名〜川根温泉笹間渡 − 日本一短いトンネル

 右下は次の地名駅(じな、川根本町地名)を通過する直前に潜る全長13m「日本一短いトンネル」[の一部]です。今回はこのトンネルの存在と位置が判って居ましたので、私は右の窓から顔を出しカメラを準備して待ち構えて撮りましたが、汽車のスピードは思ったより速く上手く行きませんでした...(>_<)。
                            日本一短いトンネル
                                ↓
写真4−3:塩郷駅下流の右カーブを走るSL。写真4−4:地名駅直前の「日本一短いトンネル」。

 そこで06年11月8〜9日にも大井川鐵道に乗って居ます −この時は寸又峡へ行ってます− ので、その時の写真を載せます。

    ◆◆06年11月8〜9日の日本一短いトンネル

 私は06年11月8日には大鐵金谷発13:24→千頭着14:40の各駅停車に乗りました。SLの写真は千頭→金谷だったのでトンネルを潜る方向は逆な事に注意して下さい。ワンマンカーのフロントグラスを通して撮って居ます、運転手さん暫く辛抱して下さい!
 左下の写真(14:08撮影)は地名駅から撮りました、ホームが少しだけ写って居ます。民家も見えて居ます。
 右下の写真(14:09撮影)は駅を出発して日本一短いトンネルを潜る直前です。トンネルの右脇を見ると、こんな所にも茶畑が見えます。
    
                                  ↑
                                  茶畑
 そして以下の写真が翌日寸又峡からの帰路のものです。千頭発11:42→大鐵金谷12:58の各駅停車です。右下の写真(12:13撮影)が日本一短いトンネルを潜る直前です。これがSLの写真と同じ方向から撮ったもので、地名駅のホームの先端が小さく見えて居ます。
 右の写真(12:22)はトンネルを過ぎて抜里(ぬくり)駅付近の茶畑です。ここは榛原郡川根町抜里です。
 静岡県はやはり「お茶」なのです!

 それにしても、トンネルに「ぺんぺん草」(※3)が勢い良く生えてる写真は最高で私は滅茶感動しました。「お茶」の話が出て来たので地元の川根茶を飲みましょう。

                (+_@;)
                ┌U_

 あぁ、旨い!!
 これで元に戻ります。
    {この節は06年12月11日に追加}

 地名駅を過ぎ長いトンネルに入る手前で榛原郡川根本町の旧・中川根町地区から榛原郡川根町に入り、間も無く川根温泉笹間渡駅川根町笹間渡)に停車します。

  ◆川根温泉笹間渡〜新金谷

 川根温泉笹間渡駅には金谷行きのみが停車しますが、ここで日帰りの温泉客を乗せて帰る為でしょう。駅を出ると間も無く笹間渡鉄橋(=大井川第一橋梁)を渡ります(左下の写真)。勿論下を流れて居る川は大井川で、橋の右側が上流です。
 冒頭のSL急行券の写真はこの橋の下流側、即ち左側の河川敷又は土手から、この列車とは逆の千頭行きのSLを写したもので、ここもSL撮影に恰好な場です。この日も何処かで誰かがこのSL急行を撮影して居るかも知れません。
 右下はこの橋の下で水遊びをして居る親子連れで、お母さんはSLを見上げて居ます。
写真5−1:笹間渡鉄橋を渡るSL。写真5−2:笹間渡鉄橋下の河川敷からSLを見上げる親子連れ。
 この橋を渡り終えると今迄ずっと進行方向右手に見えていた大井川は左手に見える様に成ります。
 この後、列車は抜里駅(ぬくり、川根町抜里)を通過し次の家山駅川根町家山)に停車します。ここは映画のロケ地に成ったり足地蔵大般若経600巻で知られる満家山三光寺など観光客の多い駅で、特に春の「桜トンネル」には大勢人が押し寄せます。ここで対向列車と擦れ違い更に観光客を乗せて再び走り始めました。

 家山駅の次大和田駅(おわだ、川根町家山)を通過しトンネルを抜けると島田市金谷地区(=旧・榛原郡金谷町)に入りますが未だ山の中、平成の大合併(住所は肥大化)で実態にそぐわない新地名が随分出現しました。
 右手に山の斜面が迫り来る中を列車は次の福用駅島田市高熊)を通過します。福用駅は八高山(駅の西方で掛川市との境、標高832m)の登山口で、山麓には何故か安閑天皇(※4)を祀る白光神社が在り、ここも嘗て修験の地でした。「八高」も「白光」も、読みは「はっこう」で同じです。
写真5−3:神尾駅名物の信楽焼の「狸の置物群」。 そして地蔵峠の長いトンネル(=地蔵峠隧道)を抜けると直ぐ神尾駅島田市神尾)ですが、ここも通過します。左は昨年も見た神尾駅名物の「信楽焼の狸の置物群」で、ここが「かみお たぬき村」です。
 最初に神尾駅山側に信楽焼の狸を置いたのはSLで乗客の世話係をして居た石原〆造さんでした。その後03年8月の台風で土砂崩れに遭い狸も殆ど押し潰されましたが募金運動などで05年3月に復旧しました。狸は今では崖崩れの守り神の役も果たして居る様です。
 「あぷとライン」に乗っていて気が付いたのですが、井川線の無人駅尾盛駅にも信楽焼の狸が置いて在る光景 −但し、ポツンと2〜3個だけ− を目にしましたが、あれはこの神尾駅の影響なのでしょうか?!
 駅西南の山中には竜門の滝が在ります。

写真5−4:客車のフロントガラスを通して撮ったSLのヘッド。 私の席は客車の先頭車輌、つまり私の車輌の前は機関車です。バック牽引して居るので、前の機関車はヘッドをこちらに向けている筈です。そう思い客車のフロントガラスを通して撮ったSLのヘッドが右の写真です。プレートの型番C11196やヘッドライトが見えて居ます。神尾駅と次の五和駅(ごか、島田市竹下)の間は4.8kmで本線で一番長い区間なので、こういう暇潰しをしました。
 五和駅の西1kmの地は遠州七窯の一つ志戸呂焼(※5)の発祥地・志戸呂で現在も数軒の窯元が在ります。ここは小堀遠州が綺麗寂びの「前押せの茶碗」を創らせた窯でもあります。

 五和駅を通過すると次の日切駅(ひぎり、島田市島)迄は0.7km、その次の代官町駅島田市金谷河原)迄は0.5kmと、逆に本線で最も駅間距離の短い区間を通過します。
写真6−1:日切駅手前の金谷消防署。 左は日切駅手前の和風様式の金谷消防署です、城みたいでちょっと珍しいので撮りました。建物の1階に救急車や消防車が並んで居るのが見え、その前の道路は国道473号です。
 日切駅は大鐵で一番新しい駅(1985年建造)で、近くには日限地蔵尊が在ります。
 次の代官町駅付近には金谷庁舎が在り金谷地区の行政の中心地です。
 ところで代官町駅の駅名の由来ですが、ここに代官屋敷が在ったという確証は無い様です。旧東海道は今の新金谷駅の少し北から金谷駅に掛けて真っ直ぐ伸びて居ましたが、慶長9(1604)年の大井川の洪水で島田宿が流された為に、東海道を一時的に今の代官町駅から五和駅辺りに北回りに迂回させた事実が有り、僅か11年間のことだった為地元では十一年東海道と呼ぶそうです。日切駅の消防署の意匠もこの様な話と関連するかも知れません。

写真6−2:新金谷駅で停車中のSLに群がる子供たち。 そして列車は新金谷駅島田市金谷河原)に停車します。右は停車中のSLに群がる人たちです。
 江戸時代には大井川の渡船・架橋が禁じられ、輦台渡し(れんだいわたし)などで対岸の島田宿との間を渡河した金谷宿が、この新金谷駅付近に在りました。その為この駅が大鐵中最も低地の駅(=標高69m)に成って居ます。
 この駅には大鐵の車輌基地が在り、この写真の背後にもSLやELや電車など色々な型の車輌が写って居ます。更に駅外のプラザロコ(Plaza Loco)という博物館にはドイツのコッペル社製SLの1275号「いずも号」が展示され、子供だけで無く鉄道マニアには重要なスポットです。
 駅南の宅円庵には日本左衛門(※6)の首塚が在ります。

  ◆新金谷〜大鐵金谷

写真6−3:大代川橋梁を渡るSL。 新金谷駅を出ると列車は右に大きく旋回しつつ這い上がります。左の写真は大井川支流・大代川に架かる最後の鉄橋の大代川橋梁を渡るSLで、私の前で子供が窓からSLが横に吐き出す蒸気を見て居ます。私の精神年齢はこの子と同じです、ウォッホッホッホ!!写真7−1:前年にJRの車窓から撮った大代川橋梁を渡る普通電車(近鉄車輌)。

 ところで、この橋はJRの車窓から見ることが出来ます。
 右の写真はJRの車窓から見た大代川橋梁で、近鉄特急車輌の普通電車が橋の上を渡って居ます。この写真は前年の05年11月24日に撮影しました。
 大代川橋梁付近は最も手っ取り早いSL撮影スポットです、何しろJR金谷駅から約1km(=徒歩で15分)、大井川鉄道に乗らなくても撮影出来る場所ですから。


 この橋を渡ると直ぐにJRの線路と平行に成って無事に終点・大鐵金谷駅島田市金谷に到着しました。左の写真は金谷駅で撮ったもので千頭〜金谷迄牽引して来たSLの力強い車輪 −C11190は動輪3軸− です。
  ↑     ↑  ↑
 1軸    2軸 3軸

 SL旅道中はこれにて終了です。面・白・か・っ・た!!

 ■結び − ”3拍子揃った軽さ”で重量級SLに乗る

 早めにSL急行券を買った為に先頭客車でしたが、これは客車から先頭で牽引するSLの雄姿を撮るには不都合でした、相当な急カーブで無いと見れないからです。
 しかし午前中、井川線を乗っていた時は曇りで時々薄日が射す程度でしたが、午後から少しずつ天気が回復し、駿河徳山〜下泉から南アルプス方面の眺望を後方に見る頃は可なり晴れて車窓風景を満喫出来たことは幸運でした。今回の旅は、この翌日の8月31日に横浜に居る必要が有ったので、天候に合わせて日程を組む訳には行かなかったのです。
 SLの車掌さんは中々の好々爺で、車内放送だけで無く各車輌にも一度は顔を出してサービスを振り撒き最後は童謡迄歌うという一端(いっぱし)のタレントですが、これも誘蛾灯商法的演出でしょう。しかし私は過剰な演出には然程興味は無く車窓からの風景に集中しました。

写真e:千頭駅で大鐵SL「C11190」の上でポーズを取る私。 右の絵は千頭駅で発車前にバック牽引のSLのヘッドに立ったです(元の写真はこちら)。夏季定番の半ズボンを穿いて如何にも軽っぽいですね。事実

  も軽く、も軽く、も軽い
   ↑    ↑     ↑
  楽天家  貧乏人  低能/低脳


”3拍子揃った軽さ”の私です。
 尤も世の中には私より更に上手(うわて) −否、下手(したて)か?− が居て、「尻が軽い」が付加されて”4拍子揃った軽さ”の女性も時々お見受け致します!
 「SL道中記」の次は”SLの人生”をご紹介します。大鐵SLの「数奇な運命」を知ったら、SLにも人生が有る、ということを屹度ご理解して戴けると確信して居ます。取り敢えず「川根茶」で喉を潤して下さい!
                (+_@;)
                ┌U_

 尚、[大井川鉄道の旅]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

φ−− つづく −−ψ

【脚注】
※1:セピア(sepia)は、有機性顔料の一。イカの墨汁嚢中の黒褐色の液を乾かしてアルカリ液に溶解し、希塩酸で沈殿させて製する。水彩画に用いる。
※1−1:セピア色(―いろ、sepia color)は、煤けた黒褐色で、古い白黒写真が褐色に変色した色を指すことが多い。

※2:大鐵金谷で貰った時刻表を詳しく見ると、夏の短いこの地方では8月27日(日)で夏休みモードは終了して居て、この日のSL運転は上り・下り共に1[本/日]、つまりオフシーズン・モードでした。

※3:ぺんぺん草(ぺんぺんぐさ)とは、(莢(さや)の形が三味線の撥(ばち)に似ているから言う)[1].shepherd's purse。ナズナ(薺)の別称。季語は春。
 [2].(転じて)荒れ果てた様子「―が生える」
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※4:安閑天皇(あんかんてんのう)は、記紀に記された6世紀前半の天皇。名は勾大兄(まがりのおおいね)、広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)。継体天皇の第1皇子。

※5:志戸呂焼(しとろやき)は、静岡県金谷町志戸呂に産する陶器。室町時代に開窯の瀬戸系で、遠州七窯の一。

※6:日本左衛門(にほんざえもん)は、本名浜島庄兵衛。江戸中期の盗賊(1719〜1747)。遠江国の生まれ。多数の手下を従えて、東海地方を中心に強盗を働いた。後に幕府に自首し処刑された。「白浪五人男」の頭目・日本駄右衛門(だえもん)のモデル。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※6−1:白浪五人男(しらなみごにんおとこ)は、歌舞伎脚本「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の通称。5幕。河竹黙阿弥作の世話物。1862年(文久2)初演。3世歌川豊国(初世国貞)の見立錦絵に暗示を得て、日本駄右衛門・忠信利平・南郷力丸・赤星重三・弁天小僧の五人を扱った白浪物。
※6−2:白浪物(しらなみもの)とは、盗賊を主人公とする歌舞伎狂言などの総称。講談の松林伯円(しょうりんはくえん)、歌舞伎の河竹黙阿弥が得意とした。「白浪五人男」「白浪五人女」「三人吉三」「鼠小僧」の類。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:「大井川鐵道(株)」公式サイト。

△2:「曹洞宗河根法窟 千葉山智満寺」公式サイト。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):SLの歴史や型式番号について▼
資料−SL発達史と日本SLの型式番号(The history and naming rule of SL)
サブページ(Sub-Page):駿河徳山駅付近を走るSLのビデオ▼
ビデオ−SL車窓から大井川(VIDEO - Oi-river from SL window)
千頭の大井川河原の猫▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)
千頭の大井川河原のオオシオカラトンボ▼
私の昆虫アルバム・日本編−トンボ類
(My INSECTS album in Japan, Dragonflies)

千頭駅でSLのヘッドに立った私▼
私自身の写真集・海外と日本編(My own PHOTO album in overseas and Japan)
私が夏季に半ズボンを穿く理由▼
一般人相対性理論(The general people theory of relativity)
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