大井川鉄道の”SLの人生”
[大井川鉄道の旅・その4]
(The 'Life of SL', Oi-river Railway)

−− 2005.10.06 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.10.14 改訂

 ■はじめに − 中古SLとリストラおじさん

 ★このページは<その3>「SL道中記」編の続きです。ここでは大鐵の”SLの人生”を辿ってみます。

アニメーションGIF:蒸気機関車(SL)。

 大井川鉄道(正式名称:大井川鐵道(株)、略称:大鉄又は大鐵)の本線(大鐵金谷駅←→千頭駅、39.5km)は、鉄道ファンやマニアがカマ(缶)と呼ぶ −その訳は後述します− SL、即ち蒸気機関車が私鉄では唯一現役で走っている路線です。しかも現有のC10型、C11型、C12型、C56型のSL機関車及び客車は何れも旧国鉄(現JR)の払い下げ車輌、つまり”お古”です。

 [ちょっと一言]方向指示(次) JRでは05年10月現在、例えば函館本線の「SLニセコ号」、只見線の「会津只見号」、磐越西線の「SLばんえつ物語号」、上越線の「重連奥利根号」(SL&EL)(※1)、予讃線の「讃岐路義経号」、豊肥本線(阿蘇高原線)の「SL阿蘇BOY号」などのSLが、現役で走行して居ます。

 ひょんな切っ掛けで大鐵のSLと遭遇した私は、これらのSLの誕生から往時の活躍と引退、そして大鐵に払い下げられて活路を見出す迄の、言わば”SLの人生”を辿ってみたく成りました。何故なら大鐵SLの辿った軌跡は、大企業をリストラ(※2)され中小企業で奮闘して居るオジサンの姿と妙にダブるからです。従ってこのページは、鉄道ファンや鉄道に詳しい人が書くものとは一味違ったものに成るでしょうが、それは見据える「視点」の違いに依るものです。
 煙を吐いて進むSLの姿は、人が荒い息を吐き乍ら疾駆する姿を連想させ、バーチャル(virtual)な現代的機器に比べ、リアル(real)な存在感と親しみを感じさせて呉れます。

 尚、機関車の英字略称は鉄道関係書籍で一般的な
  SL:蒸気機関車、DL:ディーゼル機関車、EL:電気機関車

を使用して居ます。

 ■大鐵の”SLの人生”

 それでは、これから大井川鉄道の”SLの人生”を見て行きましょう(△1)。
 尚、現在の日本のSLの型番は1928(昭和3)年車輌称号規定に則って統一的に決められて居ますが、それ以前の古いSLについては称号既定の適用外です(2100型/8620型/9600型など)。又、SLの型式番号の詳細についてはココをクリックして、このページの記述の参考にして下さい。

  ◆9600型 − 49616

 9600型(通称:クンロク型)は説明板に拠ると、大正時代(1912〜25年)を代表する貨物牽引用SLで約800台製造され、国内だけで無く台湾・カラフト・中国大陸 −中国は広軌なので改軌して約250輌が輸出され1982年頃迄使われました− でも活躍しました。速度は時速65kmと遅いですが力は強く貨物車50輌を引っ張りました。

 49616は1920年に川崎車輌(株)製で1976年に北海道北見機関区から大鉄に移籍しました。重量94.9t、牽引力900t

 大井川鉄道では9600型(通称:クンロク型)の49616が千頭駅に静態保存されて居ます。
 左の写真は2006年8月30日に撮りました(型番プレートも)。運行が可能ならば大井川鉄道では積極的に動態保存を行いますが、最早運行は無理と判断した様です。人間で言えば人生を全うし静かに永眠した状態です。
 SLの静態保存は他にも在ります。
  「2003年・福岡&大分食べ歩る記」
  「2005年・四国各駅停車の旅」

  ◆C10型 − C108

 C10型は短距離軽量旅客列車用として設計された近代型タンク機関車(※3)の最初の形式で、小回りが利きバック牽引も可能でしたが、車体が重く動きが鈍い為僅か23輌の新造に終わり、後継のC11形にその座を譲りました。

 C108は1930年川崎車輌(株)製造で、主に会津若松線区で活躍後1962年に旧国鉄を退職、岩手県宮古市のラサ工業(株)の専用線で貨車の入れ替え作業をするという”地味な仕事”を最後に引退しました。暫く工場預かりの身分で過ごした後、折からのSLブームで1987年に宮古市に「来ないか」と誘われ、宮古〜宮古港間の貨物廃線跡を復旧したJR東日本のSLリアス線「しおかぜ号」 −遊戯施設扱いで「はまぎく駅」←→「うみねこ駅」の1.4kmの区間を運行− に駆り出され、1987年〜89年の夏休みと一部の休日に貨車改造の客車2輌を牽引しました。又1992年には「三陸・海の博覧会」に出演して市役所前を中心に機関車のみの展示運転を披露しましたが、言ってみればこれらは臨時雇いのアルバイトでした。
 そして1994年に”豊富な職業経験”を買われて大鐵にトレードされ、最年長ですが大鐵入社順では前世紀迄新米 −今世紀の2001年にC11190が入社− という悲哀にもめげず、社内研修の後1997年10月14日の鉄道記念日から現場に復しSL急行「かわね路号」を牽引し、今では耳を劈(つんざ)く位の汽笛を発する程元気回復して居ますが、思えばこれが私が[大井川鉄道の旅]シリーズを書く切っ掛けと成りました。C108は同型唯一の生き残りです。
 その切っ掛けが05年8月13日の左上の写真で、塩郷駅に汽笛を鳴らし乍ら侵入して来る大鐵金谷行きのC108のSL急行「かわね路号」でした。ご覧の様に下り勾配の金谷行きはバック牽引(=後ろ向き牽引)です。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 型別SLの製造量について述べましょう。D51型が「デゴイチ」の愛称で鉄道ミーハーの圧倒的支持を得た大きな理由の一つは、その製造量に在ります。D51型は1936〜45年間に1115輌と、大量に製造されました。これに比べればC10型の23輌という数は非常に少ないことが解ります。目安としては型別製造量が200輌を超えれば量産機種と考えて良いでしょう。尚、車輌称号規定に拠れば「デゴイチ」は「動輪4軸で貨物牽引用のテンダー機関車」(※3、※3−1)である事が解ります。

  ◆C11型 − C11190、C11227、C11312

 C11型は1932〜46年間に381輌が製造された短距離軽量旅客列車用近代型タンク機関車の代表で、C10型を軽量化・スピードアップした改良機種です。

 C11190は1940年川崎車輌(株)製で、1950年に熊本機関区へ配属され昭和天皇の特別列車を牽引する栄誉に浴しましたが1974年に引退。2001年大鐵に入社し03年に営業運転を開始しました。大鐵入社順では一番後輩です。今はSL急行「かわね路号」として活躍して居ます。

 左の写真が06年8月30日に千頭駅に到着したC11190のSLで、ノーマル牽引です。
 右が出発準備が整ったC11190で、今度はバック牽引です。

 SL列車の走る向き(バック牽引)─→

 左の写真が私が乗ったC11190のSL急行「かわね路号」です。06年8月30日、この写真を撮り終わった後でSLがバック牽引する列車に乗って金谷迄帰りました。「ブウォーッ」という汽笛の音が懐かしいですね。

 C11227は戦時設計直前の車輌として1942年に日本車輌(株)で製造され北海道の札沼線や日高本線で活躍、最後は1973年から標津(しべつ)線で貨物車輌を牽くなど厳寒の”番外地”を転々としましたが、1975年遂に引退。しかし直ぐに75年に大鐵に拾われ、翌1976年7月9日最初の動態保存実施且つ最初のSL急行「かわね路号」を牽引して見事に復活しました。今や”大鐵SLの顔”としてファン・サービスに努めて居ます。

 C11312は1946年日本車輌(株)製の”戦後生まれ”で、東北や会津若松線区で戦後復興の為に働き75年に引退後、暫く松阪市のドライブインで排気ガスを吸って暮らす破目に成りましたが、1988年に若さを買われ大鐵に引き取られ、88年7月からSL急行「かわね路号」を牽引して居ます。大鐵SLでは最年少ですが、石炭の煙に生き返った心地です。

  ◆C12型 − C12164

 C12型は1932年に開発された経済性を重視した小型軽便の近代型タンク機関車 −その背景には物資不足や経済不況が有った− で、コストが安い為1932〜42年間に293輌と可なり量産され簡易支線や貨車の入替えで使用されましたが、やはり戦時下の御時勢、62輌は中国・インドネシアなどアジアに軍事供出されて居ます。

 C12164は1937年日本車輌(株)製で、木曽福島機関区に配属され中央西線などで活躍後、1987年7月25日(財)日本ナショナルトラスト(※4〜※4−2)所有で大鐵管理下で保存される事に成りました。重量50t、牽引力300t
 こういう列車をトラストトレイン(※4−3)と呼ぶそうですが、【脚注】に記した様に大井川鉄道は日本のトラストトレイン運動の推進役で、C12164はその第1号として象徴的存在です。

 [ちょっと一言]方向指示(次) このトラストトレイン運動の支援組織として鉄道サークルというボランティア団体が在り、月1回程度大井川鉄道の駅に集まり、列車の清掃や補修作業をして試乗して居る様ですので、篤志家鉄道マニアオタク骨董趣味の人閑人(ひまじん)にはお薦めです。

 尚、C12型は小型軽便の故に非電化私鉄が競って導入し、大鐵でも1935年にC12型121号として1輌を自前で発注、戦後1949年の全線電化で不要と成り1950年に岡山の片上鉄道(※5)へ売却して居ます。この様に大鐵も一時期は自前で列車を発注して居ました。

  ◆C56型 − 泰緬鉄道の生き残りC5644と
            戦友のC5631、C5623

 C56型C12型をテンダー機関車(※3、※3−1)化し長距離運転を可能にしたもので、1935〜39年に掛けて160輌が製造され、その内90輌が1941年に陸軍の南方作戦に徴用され、日本の狭軌(=1.067m)(※6〜※6−2)からメーターゲージ(=1m)(※6−3)に改軌されてタイ/ミャンマー/マレーシアなどの異国の前線に赴きました。
 C5644は大鐵SLの中で最も「数奇な運命」を辿りました。1936年三菱重工業(株)製で、最初は北海道の千歳線で貨客を牽引しましたが、1941年にタイに送られ泰緬鉄道(※7、※7−1)で太平洋戦争終了の1945年迄”強制労働”に従事しました。重量65.5t
 敗戦後はタイ国鉄に引き継がれ、タイ国鉄735号として活躍しましたが動力近代化に伴うDLの投入で廃車、暫くはタイ南部線のチュンポンに留置されて居ましたが、725号(C5631)と共に1979年に横浜港から陸揚げされ帰国した、という歴戦の古兵(ふるつわもの)です。帰国同年の79年に大鐵に移り、即79年7月末からタイ装備の儘現役復帰しました。テンダー(※3−1)はその後バック牽引用に改造され、「新春かわね路号」などのイベント列車の牽引やC11227との重連運転(※1)をして居ます。
 左上の写真は06年8月30日に千頭駅で撮影しました。


 一方、同じ運命を歩み共に帰国した戦友・725号(C5631)も大井川鉄道では無いですが、ここに載せて置きましょう。こちらは何と!、あの靖国神社に奉納されて居ます、蒸気機関車も”英霊”に成れるんですね。右の写真は2005年11月27日夕刻靖国神社遊就館(=博物館)に行き撮影したものです。C5631は日本車輌(株)製で当初は石川県七尾機関区を走行して居ました。
 更にタイで同じカマの飯を食った戦友・719号(C5623)は現地に留まり、現在カンチャナブリのクワイ川鉄橋駅前(※7−1)に展示されて居るそうです。
 

 最後に2006年10月現在での▼動態保存の大鐵SL車輌の略歴を下の一覧表▼に纏めて置きますので、参考にして下さい。
    {この章は06年10月14日に最終更新しました。}

2006年10月現在動態保存の大鐵SL一覧表([国]は旧国鉄)
型番号 製造年 製造元 大鐵以前の任地 大鐵入社年 現在
C108 1930年 川崎車輌 [国]会津若松
ラサ工業
三陸のイベント列車
1994年 かわね路号
C11190 1940年 川崎車輌 [国]熊本方面
昭和天皇特別列車を牽引
2001年 かわね路号
C11227 1942年 日本車輌 [国]北海道を転々 1976年 最初の
かわね路号
C11312 1946年 日本車輌 [国]東北、会津若松後面
松阪市ドライブイン
1988年 かわね路号
C12164 1937年 日本車輌 [国]木曽方面 1987年 最初の
Trust Train
C5644 1936年 三菱重工業 [国]北海道千歳線
泰緬鉄道
タイ国鉄735号
1979年 新春かわね路号

 ■SL急行「かわね路号」 − SLの動態保存

 SL急行「かわね路号」は大井川鉄道でのSLの動態保存という使命を背負って、前述の如く1976年7月9日にC11227に依る初運行以来、根強い人気に支えられ今や大鐵本線の中核を担って居ます。現在ではC108、C11190、C11227、C11312、C5644が、乗客数やイベントに応じて単独又は他のSLやELとの重連で牽引します。










 ■SL運行の為の諸設備 − 特にターンテーブルとバック牽引

 SL、即ち蒸気機関車は文字通り、蒸気機関を原動機として走る機関車ですが、高温・高圧の蒸気を発生させる為に水を沸かすタンク状のボイラー(※8)を必ず備えていて、鉄道ファンやマニアはこのボイラーをカマ(缶)と呼ぶ訳です。そして通常は石炭を燃料としてカマを焚きます。従ってSLを運転するには、先ず石炭を切らさず焼(く)べてカマを沸騰させる必要が有り、これが大変な重労働で熟練を必要とします。つまりSLの運転こそはダイナミックで職人的な”男らしい”仕事であり、DLやELには望むべくも無い醍醐味なのです。
 大井川鉄道ではSLを運行する為、新金谷車輌基地にはSLの給炭給水排煙の装置を設けて居ます。

 一方、千頭駅構内には機関車の方向転換用に英国製の転車台(=ターンテーブル)を設置して居ますが、実はこの転車台も新潟の旧国鉄赤谷線(※9)という超ローカル線が廃線に成った為の廃品で、終点の東赤谷駅に在った設備の移設で(△2のp144〜145)、ここにも”他人の褌(ふんどし)”活用精神が遺憾無く発揮されて居ます!!

 左がそのターンテーブルで、これを作った会社の銘板(右の写真)が在ります。この写真は06年8月30日に撮影しました。
    RANSOMES & RAPIER,LTD
       MAKER:
       LONDON.


 ターンテーブルの前の説明板に在る様に、確かにロンドンのランソムズ・アンド・ラピア社の製造です。説明板に拠ると、1897(明治30)年に製造輸入され当初は東北線で使用され、その後上記の如く新潟の赤谷線で厄介に成りましたが赤谷線も廃線に。他に行き場が無く困って居たのを、我等が大井川鉄道1980(昭和55)年に動態保存で引き取りました。1999(平成11)年にこのターンテーブルは有形文化財に登録されました。全長15m、自重17t、荷重95tです。{この段は06年9月15日に追加}

 蒸気機関車の向きを切り換えるにはターンテーブルが必要ですが、重たい蒸気機関車をターンテーブルで向きを変えるのは大変なのでターンテーブルは使わずに蒸気機関車の牽引の向きを変えるバック牽引という方法が在ります。勿論、牽引力はノーマル牽引の方が強い訳で、従って下り勾配(千頭→金谷)をバック牽引します。これを図示したのが▼下の図▼です。


  <ノーマル牽引(前向き牽引)>  上り勾配(下り線:金谷→千頭)
                     走行向き→
    金谷  ┌──┬──┬──┬──┐┬───\  千頭
        └──┴──┴──┴──┘┴───/
              客車       SL


  <バック牽引(後ろ向き牽引)>  下り勾配(上り線:金谷←千頭)
        ←走行向き
    金谷  ┬───\┌──┬──┬──┬──┐  千頭
        ┴───/└──┴──┴──┴──┘
         SL        客車

 如何でしたか?、SLに”人生”が在る様に転車台(=ターンテーブル)にも”人生”が在りました!!

 ■千頭駅のSL資料館

 そして千頭駅待合室隣にはSL資料館が在ります。



 これらについては、近々取材しようと思って居ますが、今はここ迄。
    {この章は06年9月15日に最終更新しました。}

 ■結び − ”SLの人生”に想いを寄せて

 人それぞれに人生が有る様に、SLにも”それぞれの人生”が有るんですねえ。今回大井川鉄道のことを色々調べて解ったことは、SLも中々どうして人間に負けず劣らずの苦労を重ねて来ている、ということです。特に泰緬鉄道に使役されたC56型SLの戦後の軌跡は正に「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」(※10)です。何かムズムズして来ましたね、泰緬鉄道を旅してみたいですね!
 又、人間の場合は大企業をリストラされて中小企業に行くのが普通ですが、大井川鉄道という中小企業は、大企業からのみならず零細企業のリストラ品も受け入れて居る点に「懐の深さと思い遣り」を感じました。大鐵は正に「SLの縮図」、それは取りも直さず「同時代を生きた人間の人生の縮図」と重なります。そういう意味でもやはり大鐵は希少な存在だ、ということを改めて実感しました。しかし、私がマーケティング分析した大鐵の希少性や個性やローカリズムを維持するのは、実は「言うは易く行うは難し」なのです。
 そもそもこの[大井川鉄道の旅]シリーズを掲載する発端は、05年の夏に”已むを得ぬ用件のお出掛け”の時間潰しの為に何となく大井川鉄道に乗って仕舞った事から始まります。普通だったらそれで終わる筈でしたが、乗った車輌に「思わぬ発見」をして仕舞ったのが運の尽き、大鐵の不思議な磁力に引き込まれて仕舞いました。そして”SLの人生”の哲学的考察に迄至った訳ですから、やはり「思わぬ発見」は新たな旅の第一歩に成り得ます。そして大鐵で余生を全うして居る現役のSLたちも何時の日か、千頭駅脇のSL資料館に資料として陳列される日が来るのでしょうか?!、ブワッハッハッハ!!
 ということで、大鐵のSL特集はこの辺でお開きにしましょう。一先ず「川根茶」で喉を潤して下さい。

                (+_@;)
                ┌U_

 尚、[大井川鉄道の旅]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

φ−− つづく −−ψ

【脚注】
※1:重連(じゅうれん)とは、列車を牽引又は推進するのに機関車を2両連結すること。3両連結の場合は3重連と言う。

※2:リストラは、リストラクチュアリング(restructuring)の略。
リストラクチュアリング(restructuring)は、(再構築再構成の意)〔経〕
 [1].短期債務を長期債務で置き換える債務の再構成。
 [2].企業の買収・合併、不採算部門の整理・人員削減などの手段に依って事業内容を再編成し、経営体質の強化を図ること。リストラ。
 補足すると、不採算部門の整理・人員削減は嘗ての「合理化」と同じ。我が国に於いては1980年代後半から「経営体質の再構築と強化」という本来の意味で使われ始めましたが、バブル崩壊後の92年以降「首切り」「追い出し」の意味で定着し、「リストラされた」などと使われ流行語にも成りました。流行った理由は、横文字の”カタカナ語”が持つソフトで曖昧な印象が”首切り隠し”に一定程度役立った為ですが、流石に2000年代に入ると「リストラ=首切り」は子供でも知って居ます。

※3:テンダー機関車(―きかんしゃ、steam locomotive with tender)とは、テンダーを後方に付けた蒸気機関車。テンダーの無いものはタンク機関車と言う。
※3−1:テンダー(tender)とは、蒸気機関車の後部に連結する石炭・水を積載する車両炭水車

※4:ナショナルトラスト(National Trust)は、「歴史的名勝及び自然的景勝地の為のナショナルトラスト」の略称。自然環境や歴史的環境の保存を目的に、1895年イギリスで発足した民間組織。世界各地に広まった同趣旨の運動をも指す。
※4−1:トラスト(trust)の原意は、同一業種で複数の企業が資本結合に依って合同・合併を行うこと。カルテルよりも結合の程度が高い。企業合同。
※4−2:財団法人「日本ナショナルトラスト」は、国民的財産である貴重な自然景観や掛け替えの無い文化財・歴史的環境を保全し、利活用し乍ら後世に継承して行くことを目標に、英国の環境保全団体であるナショナルトラストを範として1968年12月に設立された公益法人で、市民参加に依る保護対象の取得・修復・整備・管理・公開などの保護活動を積極的に行い、1984年特定公益増進法人(免税団体)に認定されて居ます(△3)。
※4−3:トラストトレイン(Trust Train)は、(財)日本ナショナルトラストがその趣旨に沿って貴重な鉄道車両を産業文化遺産として募金や寄付で取得し、市民参加で恒久的な保存・活用を進めるボランティア運動として、受け入れと整備・運行を担当する大井川鐵道(株)と組んで開始し、1987年7月25日にSLのC12164で実現の第一歩を踏み出しました。
 今では嘗ての特急「かもめ」や「さくら」の客車も大鐵で活躍して居ます。

※5:同和鉱業片上鉄道(どうわこうぎょうかたかみてつどう)は、同和鉱業(株)の前身の藤田組が柵原鉱山の硫化鉄鉱を搬出する為に1923年1月1日に片上〜和気間を開業し、次いで31年2月に片上〜柵原間の全線開通しましたが、1992年6月に廃止された岡山県の超ローカル私鉄です。

※6:狭軌(きょうき、narrow gauge)とは、鉄道のレールの間隔が標準軌間(1.435m、4ft8.5in)より狭いもの。日本のJR在来線の大部分は1.067m(3ft6in)狭軌。←→広軌
※6−1:軌間(きかん、gauge)とは、鉄道で、左右レール頭部内側間の最短距離。1.435m(4ft8.5in)国際標準軌間とする。ゲージ。日本の新幹線は1.435mの国際標準軌間である。又、在来線に新幹線が乗り入れられる様にしたものを3線軌条と言う。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※6−2:広軌(こうき、broad gauge)とは、鉄道のレールの間隔が標準軌間(1.435m、4ft8.5in)より広いもの。日本の在来線では狭軌(1.067mの軌間)が多いので、狭軌より広いものを言う事が多い(すると日本の新幹線(1.435m)は広軌に成る)。←→狭軌。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※6−3:メーターゲージ(meter gauge)とは、鉄道のレール間の幅(軌間)が1m丁度の線路。日本の狭軌(1.067m)よりも僅かに狭い。日本が戦時中に東南アジアのタイ/ミャンマー/マレーシアなどに敷設した軌間。

※7:泰緬(たいめん)は、タイ(泰)とビルマ(緬甸)(現:ミャンマー)のこと。太平洋戦争下に日本軍がタイのノンプラドックとビルマのタンビサヤとの間に強行敷設した鉄道。延長415km。酷使に因り連合国軍捕虜1万3千人、アジア人労働者数万人が死亡、国際的非難を招いた。ビルマ側は戦後撤去。
※7−1:旧泰緬鉄道(きゅうたいめんてつどう)は、戦後はタイ国鉄に移管されましたが、現地では建設当時から現在迄「死の鉄道(Death Railway)」と呼ばれ続け、現在はノンプラドック駅〜ナム・トック駅間約170kmをディーゼル機関車で運行して居ます。
 補足すると、途中のカンチャナブリには戦後の映画『戦場に架ける橋』で有名に成ったクワイ川鉄橋が在り、又、ナム・トック地区には峡谷の絶壁での架橋に多数の死者を出した木製高架橋(=アルヒル桟道橋)が残存し列車が最徐行で渡って居ます。

※8:ボイラー(boiler)は、密閉した鋼製容器内で水を加熱し高温・高圧の蒸気を発生させる装置。汽缶。蒸気缶。缶(かま)

※9:赤谷線(あかたにせん)は、新潟県の飯豊連山の鉄鉱石を搬出する為に新発田市〜東赤谷駅間に敷設された線でしたが、鉄鉱石産業の斜陽と共に赤字線に転落、1980年の国鉄再建法で真っ先に廃線対象と成り1984年に廃線されました。

※10:「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」とは、(徳川家康の訓言の一)人生は不断の努力と忍耐とを以てしなければ、これを立派に歩み通すことが出来ないという譬え。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:「大井川鐵道(株)」公式サイト。

△2:『私鉄の車両14 大井川鉄道』(飯島巖、白井良和、荒川好夫著、ネコ・パブリッシング)。

△3:「(財)日本ナショナルトラスト」公式サイト。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):SLの歴史や型式番号や
日本の鉄道記念日について▼
資料−SL発達史と日本SLの型式番号(The history and naming rule of SL)


SL静態保存▼
2003年・福岡&大分食べ歩る記(Eating tour of Fukuoka and Oita, 2003)
2005年・四国各駅停車の旅(Travel of Shikoku by local train, 2005)

希少性・個性・ローカリズムの大切さと困難さ▼
世界遺産登録で本当に遺跡や文化が守られるのか?(World heritage)
「思わぬ発見」は新たな旅の第一歩▼
「日本再発見の旅」の心(Travel mind of Japan rediscovery)
鉄道マニアや鉄道ファンや鉄道オタクの方にお薦め▼
「日本再発見の旅目次」−逆引き索引(Contrary reference of Japan)
「大井川鐵道(株)」公式サイト▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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