「日本再発見の旅」の心
[「日本再発見の旅」を考える#1]
(Travel mind of Japan rediscovery)

−− 2003.04.25 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2003.04.30 改訂

 ■はじめに − 日本という国について

 日本(※1)について改めて考えてみると、実に不思議な国です。国生みの神では無いですが、実に上手く造ったものだと感心させられます。例に依って広辞苑で引くと【脚注】※1の様に書いて在りますが、私が「感心させられる」のはこうした歴史的な事柄では無く、地理的・気候的な按配です。日本の標準子午線の通っている明石の東経135度、北緯34.5度を中心に、北海道の択捉島から琉球諸島の与那国島迄直線距離で約3350kmの小さな島の集まりの斜めに細長い島国です。
 何時も思うのはこの細長い島国が東西方向に向いていたら、北海道も沖縄も同じ気候に成って仕舞ってバラエティーに欠けて仕舞い面白く無いのです。これが上手い具合に丁度45度位傾いた方向に延びているので、東と西、北と南の差異が生じ、しかも北半球の主に温帯気候帯の上に位置して居る為に、「日出ずる国」として気候は穏やか且つ四季の変化に富み、四季折々の風物詩を見せて呉れます。私たちが海水浴とスキーの双方を楽しめたり、桜前線の北上という現象もこの御蔭です。更にこの細長い島国に背骨の様な中央山脈が通っているので、所謂表日本裏日本の気候をはっきりと峻別して居ます。この違いは特に冬に顕著です。そして最後に何と言っても周りを海に囲まれて居るということで、しかも暖流と寒流の双方に接して居ます。その御蔭で豊富な海の幸に恵まれ、国防上の利も大いに有り、アジアで唯二つ、タイと共に被植民地に成らなくて済んだ訳です。私達日本人は海など当たり前だと思って居ますが、世界には内陸の奥地で海を見ないで一生を終える人々が沢山居る、ということを忘れては行けないでしょう。
 ということで、先ずはこの地理的な按配(=バランス)に感謝、感謝です、人間感謝の気持ちが大切ですぞ(感謝の心の大切さについては、ココから参照して下さい)!

 ■旅心を誘うもの

 以上の様な訳で、狭い島国乍らも実に地理的な按配が良く取れて居ることがお解りでしょう。その結果、各地方毎の気候の変化にズレが生じ四季の移り変わりを更に修飾して、同じ時期でも地方地方に依って程良い差異が出て来ます。この差異こそ私達を旅に誘う源(=心に働き掛ける力)なのです。もし全国ノッペラと同じ気候風土だったら、私達はこれ程旅心に誘われることは無いでしょう。
 私にとっての旅、それも日本国内の旅、について言うならば、それは遠くへ行くことでは無い、ということです。遠くへ行く、豪華に行く、観光対象が沢山在る所へ行く、誰某が行ったから行く...、そういうのは私には関係有りません。勿論他人がそういう所へ行くことを一向に否定しません、どうぞご勝手に、私は私です。
 では私は遠くへ行かないのか、と言うとそんな事も有りません。遠くへ行く必要が有る時は行きます。しかし、遠くか近くかは、私の旅の価値には無関係だ、ということなのです。そう、正に私の為の旅なのです、誰の為の旅でもありません。この様に、旅心とは自分が今居る場所と何らかの差異を求めて移動することを誘われることですから、私が何かに心を動かされ何かを求めて、何処其処に行きたいと思った時から心の旅は始まり、その何処其処が例えば非常に近い小さな公園であっても、それは私にとって立派な旅なのです。「何か」とか「何処其処」とかが自分で判っている場合とそうで無い場合が有ります。前者は目的の有る旅であり、後者は当て所も無い流離(さすら)いの旅です。ま、私自身は流離いの旅をする年齢はもう過ぎましたが。
 江戸時代頃迄風水(※2)という考えに基づき方位で縁起を担ぎ、家を建てる時や、どの方角に頭を向けて寝るかとか、色々方角で決めていたのですが、その中に方違え(→後出)(※3)という歩き方が有って、厳密には陰陽道の法則(※3−1、※3−2)に従うのですが今の時代で言えば、同じ目的地に行くのに町の角でコインを投げて表か裏かで方角を決めたり、或いは昨日ツキが無かったので今日は悉く昨日と逆を行ったりすることです。これは今のプロ野球選手や相撲取りとか縁起を担ぐ商売の人は取り入れて居ます。私に言わせればこの方違えですら「日本再発見の旅」に成り得ます、つまり今迄と違う道を通り違う風物を体験し、そこに何か目新しい物事を発見出来るチャンスが大いに有るからです。 

 ■旅は身近な所から

 旅は身近な所から、これが私の持論です、何故そうなったかは後程説明しましょう。例えば私の場合、大阪に住んで居るので、北は大阪城公園・桜之宮公園・淀川河川敷・万博公園、東は生駒瓢箪山・四條畷神社・八尾空港、南は木津川河川敷・住吉大社・大仙公園・浜寺公園、西は尼崎界隈・武庫川河川敷・西宮広田神社・苦楽園などが取り敢えずのテリトリー、そう、猫がションベンして自分の領域の境界を知らしめるあの”縄張”です。
 私は天気が好い日これらの場所に自転車 −自転車は運動にも成り好天の日は気持ちが良い− で行きます、まあ、猫の巡回パトロールと同じです。そして季節の移り変わり毎の草木の様子や蝶やトンボの出現時期をそれと無くチェックしたり、河川敷に寝転んでビール飲み乍ら雲の形の変化を心行く迄眺めたりします。別に目的は有りませんが、こうするとその日の晩飯が実に旨い、唯それだけですが...、私は「飯を旨く食う」という行為が目的化して居るみたいですね、アッハッハ!!

 ■「思わぬ発見」こそ旅の醍醐味

 又、その日何処に行くかは全くその日の気分次第、前述の方違えと同じです。実は大仙公園や仁徳陵に行く手前に、堺市北三国ヶ丘町に方違神社なんて言うのも在るんです(→方違神社の地図)。これなども、全然知らなかったのですが、もう何年か前に大仙公園からの帰り道に「何時もと違う道で帰ろう」と思って”方違え”(※3)したら、知らない道を走っている間に偶然出くわした訳で、「こんな所に方違神社が在るのか?!」と「思わぬ発見」に感動した覚えが有ります。
 「こんな所に××××が在るのか、全然知らなかった?!」と感じる心、これこそ「日本再発見の旅」の極意です。
 ま、こんな具合に遣りますと、旅とは別に遠くへ行くことや、お金を使うことでは無い、そんなのはゼーンゼーン無関係!!、ということがお解り戴けたでしょう。要は如何に旅心を持つか、ということがポイントなのです。だから私に言わせると「連休に何処其処へ旅行に行って、渋滞で疲れて仕舞った」などと言うのは愚の骨頂の行為に成ります。更に私に言わせれば、皆が行楽地へ疲れに行って居る時に家でゴロゴロ思い切り寝るのも旅に成り得ます。そこで良い夢を見たり、連休後の旅に思いを馳せたり、心をリラックスさせること、これこそが旅の御利益です。旅の本当の面白さは予定のスポット巡りよりも寧ろ「思わぬ発見」の中に在るのかも知れず、そこから新たな旅の第一歩が始まる発展性を有して居ます。
 ところでこの旅の御利益、私はから学びましたね。猫は夢を見るんでしょうか?

 ■日本再発見の旅 − それは自分自身の再発見

 旅、それは心の持ち方ではないでしょうか?
 先程、如何に旅心を持つかと言いましたが、これは即ち心の中にポカンと空いた空間を持たせることなのです。心の引き出しの一つは空けて置く、きっちり詰めないことです。そうすると自然と心にゆとりが出て来て、心がフワフワと軽く成った様に感じられて来るのです。これが所謂心のゆとり、リラックスと言われる状態ではないでしょうか。
 心のゆとりが有って初めて、「思わぬ出会い」に「思わず感動」出来るのです。心にゆとりが無い状態、引き出しが全部塞がっている状態、生活や効率一辺倒に追われて居ると、「思わぬ出会い」に遭遇しても却って煩わしく感じるだけです。
 そして心にゆとりが出来るともう一つ効用が有ります。人間は単なる効率目的の生産機械とは違います、当たり前の事ですが。心にゆとりを持たせ、普段生活に追われて居る自分を、もう一人のゆとり有る自分が見詰め直す、或いは生活の自分とゆとりの自分が心の中で対話を交わす、そういう時間が人間には必要なのです。旅に出て環境が変わると自分を振り返ることが容易に成るのです、その為に日常性から離れて人は旅に出るのです。旅に出て、色々な観光地を巡ったりもしますが、最後は静かに自分自身と向き合い、生活に追われて居る自分を軌道修正して、再び明日からの日常的生活に戻って行くのです。
 ですから旅で「思わぬ発見」をしたりして感動することは、結局自分自身に帰って来ます。生活の自分とゆとりの自分が心の中で対話を交わすと、普段気が付かなかった自分が別の角度から見えて来ます。私はここに旅することの真の意義が有るのだろうと思って居ます、それは正に自分自身の再発見なのです!!

 ■旅を日常化する心 − 旅に関するエルニーニョの小定理

 上で「普段の日常性から離れて人は旅に出る」と述べました。多くの皆さんも旅は非日常と考えていることだと思いますが、私は逆に旅を日常化しようと思って居ます。旅を日常化、そう常に旅をするということです。皆さんは普段仕事や家事をして、連休とかに何処かに出掛けて旅をする、という方が多いと思いますが、私は普段旅をする、旅の合間に仕事をすることを心懸けて居ます。好い心懸けでしょ、人間心懸けが肝心です!
 日常的に旅をする訳ですから毎日遠くへ出掛けることは物理的に不可能で、必然的に関心は近場に向かいます。普段通勤で通う道、普段見る風景に、こちらが旅心を持って接すると、普段見えなかった物が見えて来ます。その時私は「これは面白い」と思いました、「こんな身の回りでも旅は出来るんだ」という発見です。そして私は思いました、身の回りの散策こそ旅の原点だ、と。これが「旅は身近な所から」を持論にしモットーとするに至った理由です。これについては更に[「日本再発見の旅」を考える#3]の
  旅は身近な所から(Usual and familiar travels)
に於いて詳論、特に実践的方法論を展開して居ますので、興味有る方はご覧下さい。{このリンクは03年4月30日に追加}

 さて、この様に常日頃から”善い”心懸けを持っていると会社の出張などは絶好のチャンスなのです −この時こそ会社のお金で遠くへ行ける訳ですから、しかも大抵平日だから混まない− こういうチャンスは逃がしては行けません。出張を旅に変換すること、は可能です。即ち
  「全ての出張や已むを得ぬ用件での”お出掛け”は”旅”に変化し得る」
のです。これを「旅に関するエルニーニョの小定理」と呼びます。ちょっとした機会を捉え有効利用するのは、旅を日常化する心の一つです。−−>この実践論は既に発表して居ますので、ココから参照して下さい。
 ですから皆さんも普段の通勤等を旅して仕舞うことを試みて下さい、今迄と違った”何か”が屹度見えて来ますよ!!

 ■結び − 究極の旅の極意とは

 以上で私が考えている日本の「旅」の考え方がお解り戴けたことでしょう。2002年11月から開設した当サイトに日本のあちこちの風景を幾つか掲載して来ましたが、ここらで日本の旅に関する意見(紀行文では無い)も載せて行こうかと思い付き、新たに【日本の「旅」論】というカテゴリーを新設し、その第1作として本稿を発表することにし「日本再発見の旅」を考える−第1作と名付けました。何故ならこれが以前から私の想い描いて来た日本の「旅」の中心テーマであり、その儘この「日本再発見の旅」コーナーの基本コンセプトに成るからです。
 最後に「心の旅」について持論を披露しましょう。先程寝ていても旅が出来ると言いましたが、旅は心の持ち方ですから現実に何処かに出掛けなくても「心の旅」は出来るのです。要は心の中にフワフワした空間を作りフワフワと考えて居れば良いのです、それで私は空想家と呼ばれて居ますよ(「エルニーニョ深沢とは何者か?!」をご覧下さい)、これこそ遊び心仙人の境地(※4)です。
 遊び心を持って空想・夢想の原野を駆け巡る(Do imagine)、これはもう究極の旅の極意です。皆さん、こんな私に何処迄付いてこれますかな?、アッハッハ!!
                (*_@)

 尚、[「日本再発見の旅」を考える]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

φ−− 完 −−ψ

【脚注】
※1:日本(Japan, Nippon)は、我が国の国号。古くは記紀に言う神武天皇建国の地とする大和(やまと)を国号とし、「やまと」「おほやまと」と言い、古く中国では「倭」と呼んだ。中国と修交した大化改新頃、東方即ち日の本の意から「日本」と書いて「やまと」とよみ、奈良時代以降、ニホンニッポンと音読する様に成った。現在も、読み方については法的な根拠は無いが、本辞典に於いては、特にニッポンと読み慣わして居る場合以外はニホンと読ませることにした。
 日本の現在の領土は、アジア大陸の東方、日本海を隔ててほぼ南北に連なる日本列島(北海道・本州・四国・九州及び付属島嶼)及び伊豆諸島・小笠原諸島・南西諸島から成る。4世紀に統一国家が成立し、それ以後、大和・奈良・平安各時代を経て、鎌倉幕府の創立と成り、政権は公家を離れて武家に移り、室町幕府に引き継がれる。次いで織田・豊臣(安土桃山)政権が生れ、更に江戸幕府265年間を経て明治維新に因り武家政権が終り、やがて立憲君主国と成る。明治の日清・日露、大正の第一次大戦に因り台湾・樺太を領有、朝鮮を併合、南洋群島を統治して全領土は約67万kuに達したが、太平洋戦争に敗れ明治以降の新領土の全てを喪失、略江戸末期の原形に復した。面積37万7千ku。人口1億2千5百万。首都は東京(1170万)。
※1−1:国号(こくごう、name of a country)とは、一国の称号。国名。

※2:風水(ふうすい)とは、[1].吹く風と流れる水。
 [2].fortune-telling by wind and water。方位と山川/水流などの様子を考え合わせて、都城/住宅/墳墓の位置などを定める術。特に、中国や李朝朝鮮では墓地の選定などに重視され、現在も普及。風水術。風水説。
 補足すると、風水古代中国の道教的宇宙観に基づく方位観念で、都城・住宅・墳墓の位置などを定める術で、日本にも古くから伝わり平城京、平安京、江戸城下町などは皆風水理論に従って建設されて居ます。家康は江戸城を中心とした風水固めを天海に仰ぎ、例えば寛永寺は丑寅の鬼門封じ、日光東照宮は江戸の真北の玄武の守りを固めるものです。

※3:方違え(かたたがえ)/方違い(かたたがい)とは、陰陽道(おんみょうどう)の俗信の一。他出する時、天一神(なかがみ)の居るとされる方角に当る場合はこれを避けて、前夜、吉方(えほう)の家に1泊して方角を変えて行くこと。枕草子25「―に行きたるに、あるじせぬ所」。
※3−1:陰陽道(おんみょうどう)とは、古代中国の陰陽五行説に基づいて天文・暦数・卜筮・卜地などを扱う方術。大宝令に規定が在り、陰陽寮が置かれたが、次第に俗信化し、宮廷・公家の日常を物忌・方違えなどの禁忌で左右した。平安中期以後、賀茂安倍の両氏が分掌。
※3−2:天一神(なかがみ/てんいちじん)とは、暦神の一十二神将の主将、或いは地星の霊と言う。己酉の日に天から下って東北の隅に居ること6日、転じて正東に居ること5日と言う様に順次に南・西・北を巡り、四隅に居ることそれぞれ6日、四方に居ることそれぞれ5日、計44日で、癸巳の日に正北から天に上り、天上に居ること16日、己酉の日に再び地上に下る。この神の天に在る間を天一天上と言う。下って地上に居る方角を「塞(ふた)がり」と言って、この方角に向かって事をすることを忌み、その日他出する時は方違えをする。源氏物語帚木「こよひ―、内裏(うち)よりはふたがりて侍りけりと聞ゆ」。

※4:仙人/僊人(せんにん)とは、[1].legendary wizard。道家の理想的人物。人間界を離れて山中に住み、穀食を避けて、不老/不死の法を修め、神変自在の法術を有するという人。
 [2].〔仏〕世俗を離れて山や森林などに住み、神変自在の術を有する修行者。多く外道を指すが、を仙人の中の最高の者の意で大仙、或いは金仙(こんせん)という事も有る。
 [3].unworldly man。浮世離れした人の譬え。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):堺の方違神社の地図▼
地図−日本・阪堺地区(Map of Hankai area, Osaka -Japan-)
参照ページ(Reference-Page):「日出ずる国」について▼
資料−聖徳太子の事績(Achievement of Prince Shotoku)
「感謝の心」の大切さについて▼
2003年・年頭所感−感謝の心を思い出そう!
(Be thankful everybody !, 2003 beginning)

「旅に関するエルニーニョの小定理」を既に実践▼
2003年・萩と山陰の旅(Hagi and San'in, 2003)
方違神社について▼
初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)
猫に学ぶ「ゴロ寝旅」▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)
空想家について▼
エルニーニョ深沢とは何者か?!(Who am I ?)


Select page:|1:旅の心(Travel mind)|2:温故知新(New in the past)
          3:身近な旅(Usual and familiar)

総合目次に戻ります。Go to Main-menu 上位画面に戻ります。Back to Category-menu