近畿地方北西部の県。但馬・播磨・淡路3国、摂津国の西半部、丹波国の一部を管轄。県庁所在地は神戸市。面積8384ku、人口545万。全21市。
・丹波(たんば)は、(古くはタニハ)旧国名。大部分は今の京都府、一部は兵庫県に属する。
・その「一部は兵庫県」に属するのが篠山市で、篠山(ささやま)は、兵庫県東部、篠山盆地に在る町(今は市)。山陰道の宿駅、松平氏・青山氏などの城下町として発展。篠山城跡が在る。現在では猪鍋が有名。
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|兵庫県全域|但馬八木城|但馬竹田城|
▼兵庫県の地図
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県北部の日本海側の地域を昔の国名で「但馬」と言い、八鹿は古代「但馬国養父郡屋岡の里(やおかのさと)と呼ばれて居た。屋岡は「八桑枝」のことで桑の葉が良く繁った様子を表して居て、何時の頃からか「屋岡」を「八鹿」と書く様に成ったと言う。
兵庫県養父郡八鹿町は、但馬のほぼ中央に位置し、京阪神と山陰を結ぶ交通の要衝。町内をJR山陰本線が南北に、国道9号が東西に貫き、国道312号が分岐してる。面積77.06ku、人口1万2千。
兵庫県最高峰の氷ノ山(標高1,510m)から流れ出た八木川が円山川に町の東部で合流し日本海に注ぐ。町最高峰の妙見山(標高1,142m)からは小佐川が谷を削って流れ、町の中心部で八木川に合流する。<以上「兵庫県八鹿町」公式サイトより要約>
▼養父郡八鹿町八木及び朝倉の地図
氷ノ山←
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竹田城跡は、兵庫県朝木郡和田山町竹田に在り、穴太積石垣が見事に残る中世山城(標高353m)である。嘉吉年間(1441〜43年)に山名持豊が家臣太田垣光景に命じて築城し太田垣氏が城主を務めたが、秀吉の但馬攻略で弟の豊臣秀長に与えられた。穴太積石垣は秀長の時に13年を費やし完成した。その後、赤松氏が城主と成ったが家康の時代に入ると即廃城(慶長5(1600)年)と成った。別名は虎臥城。
穴太積石垣(あのうづみいしがき)とは、織田信長の安土城築城を皮切りに近江穴太(あのう)の石垣師(=穴太衆)の整然とした強固な石垣を言い、その石積み技法は近世城郭の端緒を開いた。
▼但馬竹田城(但馬八木城との位置関係)
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