-- 2014.05.28 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2014.06.03 改訂
■はじめに - 当ページを急遽作った訳
2014年6月に『ブラボー、クラシック音楽!』という本を出版 -2004年10月1日から84回、「月一」のペースで同名の会を主宰してました- する事に決めたので、急遽このページを書くことにしました。出版直前の割り込み仕事は忙しい!
特にこのページを書くことにした理由は
池田の蓄音機おじさん(Old-fashioned phonograph mania in Ikeda, Osaka)
で登場する「池田の蓄音機おじさん」事川村輝夫さんは実は関西学院グリークラブの元学生指揮者(※1~※1-2)なのです。本人は隠して居る訳では無いですが”敢えて吹聴せず”を貫いて、最近は映画評論とかアコーディオンの演奏とかで悠々自適に世を送って居ます。私も敢えてバラす気は毛頭無いのですが、「池田の蓄音機おじさん」を『ブラボー、クラシック音楽!』の中に入れて上手く話を繋げる為には「池田の蓄音機おじさん」だけだと、どうしても唐突な感じに成って仕舞います。そこで「池田の蓄音機おじさん」を紹介するページを作り、それから登場して戴くことにしたのです。
尚、私が主宰してた会が【ブラボー、クラシック音楽!】(略称【ブラ・クラ】)と言いました。今後もしばしば出て来ます。
■川村さんとの出会い
私が初めて蓄音機おじさんの存在を知ったのが2010年11月7日(日)で大阪府池田市の「手回し蓄音機鑑賞会」に参加した時でした。この会を私に紹介して呉れたのが、池田市在住の”不良定年”氏でやはり【ブラ・クラ】の会員でした。これについては「池田の蓄音機おじさん」の冒頭をお読み下さい。
実は【ブラボー、クラシック音楽!】はその時にちょうど4度目の会場変更で、この3日後から新しい会場に移して開催したのです。これは偶然なのですが、今にして思うと「何らかの必然性」が在ったのでは?、と思えて来ます。
第71回:2010年11月10日(水)15時~17時15分 於[NS5]
(NS5はニューサントリー5の略)
ここの店長(マスター)の森美典さん、彼も関学グリーの出身でしかも川村さんと同期だそうです。このNS5は万博の1970年から営業してるジャズ・ライヴハウスの老舗です。そして第73回(2011年1月12日(水))にマスターのリクエスト曲の多田武彦作曲『男声合唱組曲「柳河風俗詩」』(詩:北原白秋)(※2)を皆さんと一緒に聴きました。このCDは何と関西学院グリークラブが1965年に米国カーネギー・ホールに遠征後に神戸国際会館で凱旋演奏した時のマスターテープから復刻したという貴重なCDでした。尚、多田武彦作品では
「多田武彦「男声合唱組曲「富士山」」」(作詞:草野心平)
の作品解説が在りますので興味有る方はご覧下さい。この中で「柳河風俗詩」もちらっと出て来ます。又、後で出て来る「多田節」についても記して居ます。
当日マスターが川村さんのケイタイに電話すると、川村さんは映画評論家として映画を物色して梅田界隈をウロウロしてるという事で会が始まる前にNS5に懸け付けて来られました。すると川村さんは今度は音楽評論家として後輩の演奏を可なり厳しく講評してましたね、もう内容は忘れましたが。そこら辺の事は「池田の蓄音機おじさん」に書いて在ります。
これでやっと川村さんが「池田の蓄音機おじさん」&映画評論家&音楽評論家&アコーディオン演奏家&...要するにマルチ・タレントである事が解って戴けたでしょう。尚、蓄音機(ちこんき)と発音するのが”旧き佳き”時代を知る人のステータスですゾ!
そんな関係でNS5には関学のOB/OGの出演者も出て居ます。
■関西学院グリークラブ
それでは関西学院グリークラブ(※1-1、※1-2)を簡単に紹介しましょう。学校はプロテスタント(メソジスト派)で神学部も在ります。次に「関西」の読みを言わねば為りません。「かんさい」では無く「くゎんせい」(英語表記でも Kwansei)なのです。これを関学グリーが「くゎん~せい」と恰好好く歌うのを聴いて真似しましたが上手く行きませんでしたね、アッハッハ。
グリークラブとは今では男声合唱団(※1-2)のことです。むくつけき男ばかりの合唱団、少々変態趣味的?、では有ります。男声合唱団が盛んなのは、そして上手いのは北欧です。イギリスも上手いですね。一説に拠ると、混声合唱団の場合は生身の人間ですから団員同士の恋(♂♥♀)がしばしば合唱団の存続を脅かすそうですが、男性合唱団ではその点ストイックで健全なのだそうです。しかし、男性合唱団の場合でも男性同士の恋(♂♠♂)が皆無とは言い切れませんよ、ムッフッフ!
関学グリーは『フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)』に拠ると、「関西学院本館講堂にて7、8人の生徒で歌われた賛美歌の4部合唱が始まりだといわれている」(山中源也『関西学院グリークラブ八十年史』関西学院グリークラブ部史発行委員会、1981年)と在ります。戦前の山田耕筰(彼もOB)や林雄一郎(純正調ハーモニーの導入)や、戦後は北村協一(OB)や畑中良輔、作曲家では多田武彦など、豊富な指導陣に恵まれ日本の男声合唱界を牽引して来ました。因みに、関西学院大学歌『空の翼』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)は後で出て来る日本歌曲の名曲コンビの作です。
東西四大学合唱連盟(略称:東西四連)というのが在り、慶應義塾ワグネルソサィエティー男声合唱団・早稲田大学グリークラブ・関西学院グリークラブ・同志社グリークラブから成る日本を代表する合唱連盟です。東西四連に登場する指揮者も日本を代表する人々です。
新月会はOB合唱団です。
■柳河風俗詩
私は柳川(※3) -最寄駅は西鉄柳川駅- にはちょくちょく行ってるのですが、この日(=2008年4月8日(火))は写真を撮りに来ました。この画面の写真は全てこの日に撮影したものです。▼柳川の地図は下▼です。
地図-日本・柳川/大川/佐賀(Map of Yanagawa, Okawa and Saga, Fukuoka and Saga -Japan-)
ところで、これは白秋生家・白秋記念館に在った自動販売機の横のビン・カン入れに北原白秋の「柳河風俗詩」(※2、△1のp70~75)の冒頭の一節が載って居たのです(左の写真)。3行目の「銅(かね)」という字が修正で貼紙して在りますが、修正された「銅」の字が小さく成って居ました。
この販売機とビン・カン入れの下部はカットしましたが海鼠壁(※4)をデザインして在りました。如何にも柳川です!
柳河風俗詩 白秋
柳河
もうし、もうし、柳河じや、
柳河じや、
銅(かね)の鳥居を見やしやんせ、
欄干橋(らんかんばし)を見やしやんせ。
(馭者(ぎょしゃ)は喇叭の音(ね)をやめて、
赤い夕日に手をかざす。)
薊(あざみ)の生えた
その家は、
その家は、
旧いむかしの遊女屋(ノスカイヤ)。
人も住まはぬ遊女屋。
裏の BANKO にゐる人は、
あれは隣の継娘(まゝむすめ)、
継娘。
水に映ったそのかげは、
そのかげは、
母の形見の小手鞠(こてまり)を、
小手鞠を、
赤い毛糸でくくるのじや、
涙片手にくくるのじや。
もうし、もうし、旅のひと、
旅のひと、
あれ、あの三味をきかしやんせ、
鳰(にほ)の浮くのを見やしやんせ。
(馭者(ぎょしゃ)は喇叭の音(ね)をたてて、
あかい夕日の街に入る。)
夕焼小焼、
明日(あした)天気になあれ。
※BANKOは、縁台。
鳰(にお)は、カイツブリの古名。
その欄干橋が三柱神社の太鼓橋です(右の写真)。早朝なので数人の船頭さんが欄干橋の袂で手持ち無沙汰の様子です。ここから川下りの船が出ます(→後出)。
北原白秋は1901年の「沖端の大火」で代々柳川藩の御用達を務めて居た生家 -沖端川の邉に建ち当時は酒造業も営んで居た- を類焼し家運は一挙に傾き、やがて破産し一家は故郷を失います(△1のp354)。「柳河風俗詩」は詩集『思ひ出』(明治44(1911)年刊)の中の一部ですが、そういう白秋の遣る瀬無い思いが伝わって来ます。
[ちょっと一言] 北原白秋の年賦の拠ると1901年の条に、「沖端の大火で類焼し、酒倉と六千余石の酒を焼失する。この時酒が附近の小川に流れ、人々が争ってこれを飲み、消防夫まで泥酔したと伝えられている。」と在ります(△1のp351)。
右の写真が北原家の酒の商標です(白秋記念館で撮影)。当時の右から左へ書く習慣に従って書いて在りますが、それを今日の左から右に直すと
福岡縣筑後國沖端村
北原長太郎
と書かれて居ます。酒の名は鳳凰(ほうおう)、ローマ字でHOUOUと記されて居ます。北原長太郎とは白秋の父の名で、父は当時酒造業に力を入れて居たのですが、既に説明した様に「沖端の大火」で家業は潰れました。
◆多田武彦作曲の『男声合唱組曲「柳河風俗詩」』
ところで、「柳河風俗詩」と言った場合もう一つの意味が在るのです。それが多田武彦作曲『男声合唱組曲「柳河風俗詩」』(詩:北原白秋)です。白秋の同名の詩から4篇(「柳河」「紺屋のおろく」「かきつばた」「梅雨の晴れ間」)を抜粋し曲を付けたもので1954年作と初期の作品ですが、私は数在る多田作品の中で『男声合唱組曲「柳河風俗詩」』が一番好きですね、明治の退廃的な情趣が感じられます。多田武彦は先程の「柳河」他数編に曲を付けたのです。そういう白秋の遣る瀬無い思いと退廃的な情感が、多田の抒情的な感性に依って更に心に沁みる曲に成って居ます。多田は関西在住で関学グリーとの関係が特に深いのです。そういう意味で多田の『男声合唱組曲「柳河風俗詩」』は数々の合唱団が採り上げて居ますが、やはり関学グリーの演奏が本名です。そして「多田節」をご存知の方には冒頭で歌われる「もうし、もうし、柳河じや、...」を聞いただけで、心に”沁みて来る”のです。
◆柳川の風景
柳川の風景をしばし堪能して下さい。左下は川下りの「ドンコ船」で、船頭が竹竿で操るのです。柳の葉の隙間から垣間見える所が良いですね。
中央下が川縁のカラタチ(枸橘・枳)です。山田耕筰作曲・北原白秋作詞の童謡「からたちの花」(1926年刊)は名曲中の名曲です。
右下が民家の屋根で羽を休めるシラサギ(白鷺)ですが、こういう光景は他では中々見られません。
それでは「からたちの花」を下に載せましょう(△1のp170~171)。
からたちの花 白秋
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ。
からたちは畑(はた)の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかったよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
山田耕筰・北原白秋のコンビには名曲が多いですね。『待ちぼうけ』『ペチカ』『砂山』『あわて床屋』『この道』など何れも心に残る作品です。
■結び - 柳川は古賀政男の生家とも近い
柳川の地図を見ると嘗ての城郭趾が明瞭に残って居ます。今の柳城中学校の所に立花氏10万9千石の水城趾の中心部が在ったのですが1872年の失火に因り焼失しました。今は城下町としてよりも水郷として「川下り」や「鰻の蒸篭蒸し」や「柳川鍋」(※3-1)が有名です。柳川鍋はここが本家本元なのです。因みに私は柳川鍋が滅茶好きですが、沖縄には「どぜう」(どじょう)は無い。鰻は10年前位からもう食いたいとは思いません(←これは年の所為です)が、鰻は有ります。更に沖縄地方ではエラブウミヘビ(※5)のスープなどを食しますのでお試しあれ。因みに、こちらではエラブウナギと言いますゾ。おっと食い物の話になると、ついその方に脱線する癖が有ります。
柳川では六騎(ろっきゅ)という方言が今に伝わり、平家の落ち武者が六騎(馬連れ)でこの地に隠れ住み漁師の様な事を生業にしたそうです。因みに、白秋の「柳河風俗詩」の中にも「六騎」という詩が在りますが、柳河にも平家伝説が有ったのですね。そう思い調べてみると柳川市の南隣の矢留町に六騎神社という小さな祠が在りました。
この日は柳川で1日中レンタサイクルを借り、午後は福岡県大川市大字三丸(旧:三潴(みつま)郡田口村)の古賀政男記念館・生家を訪ねました。ここも記念館として色々な物が展示されて居て面白かったですね。古賀政男は明治大学マンドリンクラブですね。古賀政男については音楽の本質的な部分即ち古賀メロディーの秘密が解明出来ましたが、その切っ掛けはこの日(08年4月8日)の生家訪問だったのです!!
興味有る方は▼是非こちら▼から。
地図-日本・柳川/大川/佐賀(Map of Yanagawa, Okawa and Saga, Fukuoka and Saga -Japan-)
古賀メロディーの秘密(Secret in Koga melody)
まぁ兎に角、これで何とか「池田の蓄音機おじさん」の”露払い”が出来ましたので、もう「池田の蓄音機おじさん」に入っても唐突感は無いでしょう。それではお後が宜しい様で!!
【脚注】
※1:関西学院大学(かんせいがくいんだいがく)は、キリスト教系の私立大学の一。米人宣教師ランバス(W.Lambuth、1854~1921)に依り1889年(明治22)創設された関西学院が1912年高等学部を設立、32年大学予科、34年大学を開設。48年現学制。兵庫県西宮市。
※1-1:グリー(glee)とは、合唱曲の形式の一。18世紀のイギリスに特有の、3部、又は4部の無伴奏男声合唱曲。→グリークラブ。
※1-2:グリークラブ(glee club)とは、[1].(Glee Club)1783年に始められたロンドンの男声合唱クラブ。1857年解散。
[2].転じて、男声合唱団。
※2:北原白秋(きたはらはくしゅう)は、詩人・歌人(1885~1942)。名は隆吉。福岡県柳川生れ。早大中退。与謝野寛夫妻の門に出入、「明星」「スバル」に作品を載せ、後に短歌雑誌「多磨」を主宰。象徴的或いは印象的手法で、新鮮な感覚情緒を述べ、又多くの童謡を作った。詩集「邪宗門」「思ひ出」、歌集「桐の花」、童謡集「蜻蛉の眼玉」など。
※3:柳川(やながわ)は、福岡県南西部の市。元、立花氏11万石の城下町。筑後川と矢部川とに挟まれた三角州に位置し、干拓地と水路が多く、水郷として知られる。人口4万3千。
※3-1:柳川鍋(やながわなべ)は、開いたドジョウと笹掻きにした牛蒡(ごぼう)を、浅鍋で甘辛く煮て卵で綴(と)じた料理。柳川。季語は夏。
※4:海鼠壁(なまこかべ)は、土蔵・塗屋などの外壁に方形の平瓦を貼り、その目地(めじ)を漆喰で海鼠形(蒲鉾形とも言う)に盛り上げた壁。
※5:エラブウミヘビ(永良部海蛇、broad-banded blue sea snake)は、(産地の鹿児島県沖永良部島に因む)海産のヘビ。尾は扁平、体長約120cm。背面は暗緑色で、暗褐色の環状斑紋が在る。猛毒。性質温和で牙も短い為に被害は少ないが、咬まれると致命的。日本には琉球諸島に多く分布。乾したものを食用。エラブウナギ。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『日本詩人全集7 北原白秋』(河盛好蔵・木俣修編、新潮社)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):柳川市と
福岡県大川市大字三丸(古賀政男記念館・生家)の地図▼
地図-日本・柳川/大川/佐賀
(Map of Yanagawa, Okawa and Saga, Fukuoka and Saga -Japan-)
@参照ページ(Reference-Page):純正律/純正調とは▼
資料-音楽学の用語集(Glossary of Musicology)
@補完ページ(Complementary):関学グリーのOBの話▼
池田の蓄音機おじさん(Old-fashioned phonograph mania in Ikeda, Osaka)
@補完ページ(Complementary):多田武彦の作品解説▼
多田武彦「男声合唱組曲「富士山」」
(Men's voice chorus 'Mt. Fuji', Takehiko Tada)
2010年11月10日(水)にNS5で初めて開催▼
「ブラボー、クラシック音楽!」を振り返って
(Recollection of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')
「古賀メロディーの秘密」解明の切っ掛けは08年4月8日の生家訪問▼
古賀メロディーの秘密(Secret in Koga melody)
2011年1月の【ブラボー、クラシック音楽!】の内容▼
ブラボー、クラシック音楽!-活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')