−− 2007.02.10 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2014.09.27 改訂
■はじめに − 歴史を”皮相的に浅薄に上撫で”する心
戦後の日本経済、特に91年後半のバブル崩壊の本質とその後の経済状況に対する私見や主張は、当サイト開設後間も無い03年2月に発表した
デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)
に於いて詳述して居ます。
今回は「或る必要性」に迫られて、重く構えずに社会風潮や世の中の皮相的な動きに焦点を当て戦後史を”皮相的に浅薄に上撫で”して、戦後の日本人の「意識」や「目標」や「心」がどの様に揺れ動いて来たかを炙り出す為に、この稿を起こしました。即ち戦後日本を”皮相的に浅薄に上撫で”した世相史、即ち皮相史です。
「或る必要性」の第1は次のことです。即ち、
ぶらり浅草(Drift in and trip out Asakusa, Tokyo)
の中で最初に提起し、その後幾つかのページの中で「戦後日本の分水嶺」として仮説的に触れて居る「1964年分水嶺説」(→後出)について、ここらでこの仮説の論拠を示さねば為らないと感じていたからです。例えば、この仮説が
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
の中では純喫茶のピーク時に応用されて居ます。
「或る必要性」の第2は、既に掲載して居る
いじめ問題について(About the BULLYING)
に於いて、今日の「いじめ問題」の原因が発現したのは何時頃か?、という問題をこの分水嶺説で裁断して居ますが、それに詳しい論拠を与える為です。このページで論拠を確り示して置けば以後に作成するページからも参照出来る訳です。
この説はずっと以前、そうですね1980年頃から漠然と私の中に在った考えです。その為に流行語(以下、この色の語が流行語です)(※1)をキーワード(keyword)にしました。何故なら流行語自体が”皮相的に浅薄に上撫で”した存在であり、世相の表面を皮相的に切り取っているからです。
■戦後日本の世相史
それでは大戦後の日本の歩みを辿り乍ら”皮相的に浅薄に上撫で”した視点から考えてみましょう。
(1)1945〜55年:メシ(飯)、インフラ整備、日米安保
日本は1945年8月6日に広島、9日に長崎と2発の原爆を浴びて恰もショック療法が効いたかの如くに大東亜共栄圏(※2)の「共同幻想」から目覚め(△1)、14日にポツダム宣言(※3)を受諾、翌日即ち1945年8月15日に昭和天皇が詔勅を発して無条件降伏(※4)というカタストロフィー(破局)を招じて敗戦(※5)しました。
”こてんぱん”に遣られ敗戦した後はGHQ(※6)に依る占領体制の下で文字通り何も無い「ゼロからのスタート」を余儀無くされ、復興を目指して再度「後進国」から再出発したのです。当時は進駐軍(※6−1)という言葉が大人達の会話やラジオで良く聞かれ、虱(しらみ)だらけの子供は頭からDDT(※7)の白い粉をぶっ掛けられ、都市部では焼け跡と闇市(※8)と米兵の腕にぶら下がるパンパン(又はパンスケ、※9〜※9−2)の姿こそが”敗戦状態”(=後進国状態)の象徴的光景でしたね。
[ちょっと一言] 「こんな女に誰がした」(※9−3)と歌われたパンパン(=日本産アヒル)は背の高い進駐軍の米兵(=米国産白鳥)にぶら下がって、正に”醜いアヒルの子”の話そのものでしたね。港町生まれの私の幼少の頃の記憶に拠るパンパンのスタイル的特徴は、真っ赤な口紅、パーマを掛けた巻き毛、だらし無く着た派手な色柄のワンピース、ピンクのハイヒールも居ましたがサンダル履きが多いのは哀れを感じさせ、ぶら下がり乍ら人前で突然哄笑したりと一様に退廃的でしたね。
日没後の公園の片隅で米兵と2人で車に乗り込み、発進しないのに車がユサユサ揺れ出した時には、子供心にも心臓が高鳴ったのを覚えて居ます。発車では無く”発射”オーライでした、ムッフッフ!
{尚、【脚注】の「パンパン」の語源の諸説については、07年5月17日に追加しました。}
性に飢えて居たのは日本人も同じです。極限状態の死線をさ迷って復員した男たちが”溜まってた物”を一気に噴出させたので1947〜49年にベビーブーム(※10、※10−1)が発生し、後に「団塊の世代」(※10−2)と呼ばれる世代的多数派が恰も大戦に因る人口減少を補填するが如きに誕生しました。これに驚いた政府は直ぐに優生保護法(※11)を成立させ、当時のマスコミも逸早く同調して「8000万人の幸福、狭い国土に無慮160万人の人口増加。せめて産み方のテンポなりを調整いたしましょう。」(△2のp220)などと産児制限や避妊薬に依る少子化(※11−2)を喧伝した事実は、又後で触れますが見逃せない点です。1949年には為替相場(※b)が1ドル=360円の固定相場制(※b−1、※b−2)が施行されました。
産業では乞食小屋みたいなバラック(※12)に替わる住宅・高層アパートや交通手段などのインフラ整備(※13)が至上課題であり土建業と重工業が日本を牽引し、建設現場や港湾ではニコヨン(※14)と呼ばれた筋肉労働者が溢れ、言わばカッコ付けずメシ(飯)を1杯でも多く食う為に皆が一丸と為って”牛馬の如く”働いた時代、集団主義の時代でした。皆が貧乏で貧乏が苦でも恥でも無い時代でしたが、「貧乏人は麦を食え」(※15)と”家畜扱い”された時には貧乏人たちは怒りましたね。
そんな中で1951年に締結された日米安保条約(※16)は戦後日本がアメリカを”主人”として仕えることを規定したもので、戦前の”鬼畜米英”と180度の違い(△xのp199)ですが、吠え掛かって行って腹を死ぬ程蹴り上げられた犬が逆に鼻を鳴らして”忠犬”を誓った形です。1953年にはテレビ(モノクロ、即ち白黒)の本放送が開始されました(△2のp90)。
それ以後は先進国に「追い付き追い越せ」(※17)を合言葉に −具体的には”主人”であるアメリカの電化生活を目標に− ”忠犬”日本は働きましたが、「オレも女の一人や二人をぶら下げて歩きたい」という裏返しの欲望に突き動かされて居たのかも知れません。そして朝鮮特需(※18)の後を受けた神武景気(※19)に乗って50年代中頃に慢性の「栄養失調」(※20)状態から脱出し狭い住居も手に居れ、日本は漸く発展途上国に這いずり上がることが出来ました。その為この時代の「ドケン・キンケン・リケン(=土建・金権・利権)」体質は以後の日本型開発や内需拡大の権化として日本人の脳裡に”刷り込み”(※c)され、以後開発と言うと「土建・金権・利権」に頼ります。
[ちょっと一言] 1947年10月、「法の威信を汚す可からず」として一切の闇商品を拒否した山口良忠判事が栄養失調の為に死亡しました。当時は配給食糧の不足・遅配が日常的で、それ故に庶民は物価の高い闇商品で辛うじて”飢え”を凌いで居たのです。この報道は当時の社会に大きな衝撃を与え、又、栄養失調で死ぬ人が絶えなかったので以後10年間位は「栄養失調」という言葉は単なる流行語以上に「呪縛力」を伴う不吉な呪文の様に聞こえました。
(2)1956〜64年:近代化路線と東京オリンピックで後発先進国に
飢える心配が無くなった後は、資源の乏しい日本は工業製品の輸出に力を入れ国産車を輸出出来る迄に成り、遂に1956年に「最早戦後では無い」(※21)と高らかに宣言し”復興から近代化へ”舵を切り換えました。それには経済だけで無く”下半身も近代化”しようと意気込み売春防止法(※22〜※22−3)を制定し58年限りで赤線(※22−1)を廃止しました。又、58年にはインスタントラーメン(※23)が初めて売り出されインスタント食品革命 −現在の我々はインスタント食品に囲まれて居ます− の先駆けと成りました。しかし先進国への道程(みちのり)は未だ遠く自家用車を持てる日本人は未だ未だ”お大尽”に限られて居ました。
[ちょっと一言] 私の幼少の頃は、大人たちが近所の大金持ちを”お大尽”と呼んで居ました。”お大尽”の奥様は大抵「ざあます言葉」を使い、やたらキャンキャン吠えるだけで怖く無い白いスピッツ(※24)という犬を飼って居ました。これらの3つの要素は何れも最近では遭遇しないので、これは三点セットとして1950年代の流行と考えられます。
東京オリンピック(東京五輪)はそんな日本人の希望と達成のメルクマール(※25) −解り易く言うと”目先のニンジン”− としての役割を果たしました。嘗て「麦食え」放言で一度は冷や飯を食った御仁が首相に成って1960年にブチ上げた「所得倍増」(=高度経済成長の標語)(※26)という手品の様な経済政策 −給料が倍に成り金回りが良く成るが”物価も倍”に成って釣り合う− は最大級の流行語に成り”ニンジン”への突進を後押ししました。
[ちょっと一言] 1963年11月23日(日本は勤労感謝の日、現地時間では22日)にはオリンピックに向け通信衛星に依る日米間テレビ宇宙中継の実験放送が行われたのです(△2のp90)が、アメリカから送られて来たのはケネディ大統領(JFK)の暗殺(※Ψ)という超超ビッグニュースでした。私は生放送で見て居ましたので、この衝撃は忘れる事が出来ません。後年私が”陰謀大好き”人間に成ったのは、この事件の影響だと思って居ます。
これでオリンピック直前に「三種の神器」(※27)と崇めて来た家電製品が勢揃いし、カラーテレビが出現し東海道新幹線も開通し、所期の目標であったインフラ整備を達成し、1964年10月10日に遂に目標の”ニンジン”を齧(かじ)り付き、敗戦という”臭い物”に蓋を被せることに目出度く成功しました。その御蔭で日本人は”インフレ信仰”(=途上国型高度成長)の盲信者(※26−1〜※26−3)に成って仕舞ったのですが、これが後で災いします。
[ちょっと一言] テレビは新聞・雑誌・ラジオなどの媒体(=メディア)に比べると、出現当初から通俗且つ低俗でした。この傾向を逸早く喝破して大宅壮一氏(※28)が言い放った「一億総白痴化」(1956年)は今日から見て金言です。以後テレビはマスメディアの主流の座に鎮座し国民愚民化に大いに貢献して居ます(→私の「大衆とメディア」の考察を参照)。後にケイタイ(携帯電話)がこれに加わりました。
++++ 東京オリンピック(The 18th Olympiad Tokyo) ++++
東京オリンピックとは1964(昭和39)年10月10日〜24日迄、この大会の為に建設した国立競技場(※29)を主会場に開催された第18回オリンピック東京大会のことで、アジアで開催する初の大会でした。日本が望んでいた柔道とバレーボール(←女子が「東洋の魔女」と異名を取る程強かった)の競技種目加入が認められメダル獲得に寄与しました。開催国日本は役員82人を含む439人の選手団を結成して全競技に参加し、開会式には古関裕而作曲の『オリンピック・マーチ』に乗って堂々の入場行進、テレビ(未だ白黒が圧倒的)でこの場面を見た戦中派の多くは涙しました。
参加国 94ヶ国
全参加選手 5596人
競技数 20競技(総種目数163)
日本の獲得メダル数 29個(金16、銀5、銅8)
事前の運動が効いて日本は柔道で金3、「東洋の魔女」で金1を獲得しました。”焼け跡”を踏み締めて育った日本選手はハングリー精神を発揮し獲得した金メダル数16(計29)は、アメリカの36(計90)、旧ソ連の30(計96)に次いで第3位でした。
又、開会式が行われた10月10日を「体育の日」として国民の祝日に加えることを1966年に制定し、2000年以降は「ハッピーマンデー制度」の適用で10月の第2月曜日と成り現在に至って居ます(以上のデータは主に『Microsoft エンカルタ総合大百科』より)。
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こうして東京オリンピック開催に依って、”アジアの優等生”として日本が後発先進国に追い付いたことを世界から認知されたのです。
ところで経済発展の観点から「先進国」と言う場合、「後発先進国」(=未成熟社会)と「主要先進国」(=成熟社会)を明確に区別して考える事が重要です。この区別が付いて無かった為に後にバブル崩壊を招くのです。繰り返しますが1964年の到達点は飽く迄も後発先進国です。
(3)1965〜70年:「物」崇拝と核家族化、「心の空洞化」の始まり
東京オリンピック以後の日本は「家付きカー付き婆抜き」「3C(=新三種の神器)」(※27−1、※27−2)という新たな崇拝物を設定し、所得倍増の総仕上げとして「伊弉諾景気」(※26−2)の高度成長(※26−1)を遂げた結果、人々は先進国らしく「物持ち」に成り国民の過半数が自家用車を持てる様に成り、皆が中流(※32)と感じられる格差が少ない”そこそこの豊かさ”を実現し昭和元禄(※32−1)と呼ばれました。すると人々の意識には個人主義と男女同権思想が芽生え、それぞれが「カッコ好く男女平等に生きる」方向に向かいました。67年から大流行したミニスカート(※33)はカッコ好さと女権の象徴です。70年安保闘争(※16−1)に向けて68年頃から結成された全共闘(※34)は多分にザ・ビートルズ(※35)の影響 −ビートルズは64年以降の日本でも諸文化に多大な影響を及ぼした− を受け個人主義的・気分的で、戦いの矛先はベトナム戦争(※36)にも向けられ60年安保闘争の集団主義とは異質な闘いでした。
しかし復興期のガツガツした態度は直ぐには改まらず、日本人が「先進国のマナー」を習得するのはエコノミック・アニマル(※30)(←日本ではモーレツ社員(※30)と呼んだ)という国際的非難を浴びた69年以後の事です。
一方、家電製品の普及で暇が出来「三食昼寝付き」(※37)の”身軽な身分”に成った女性の関心が家の外に向き出したのもこの頃です。しかし大多数は「所得倍増」後の物価高(※26)の為に共稼ぎ(※38)を余儀無くされ(←しかし乍ら共稼ぎは男女同権的スタイルであった)、母親の関心外に置かれた子供は”優しさ”という美名の下に叱られもしない代わりに一人ぼっちの「鍵っ子」(※38−1、→後で詳細に考察)として放置され、親の愛情の代わりに1人で遊べる「物」を与えられて”自閉症的”個人主義(=没社会的個人主義、※39)に埋没して行き、やがて彼等が大人に成る1980年代後半には自己中心的な”後ろ向きの精神病”の第1世代を形成したことは、後から顧みるとやはり東京オリンピックの年が「日本人の心」の大きな曲がり角だったこと(→後で詳細に考察)、この曲がり角こそ日本人の「心の空洞化」の始まりであったこと、を思い知らされます。
つまり「物」崇拝(=フェティシズム、フェチ)と核家族化(※38−2)は少子化政策の一環で、その本質は「旧来の「家」的な人間関係の解体」であり、それを遡源すると東京オリンピック直後に源を発して居るのです。家庭が解体され社会が解体されて人間同士の絆が薄れ”教育の技術化” −即ち、点取り主義、「心」よりも「物」「カネ(金)」志向− が65年以降から急速に進行しました。但し、私は”教育の技術化”は明治の欧化政策以降一貫して徐々に推し進められて来たと見て居ます。
[ちょっと一言] 07年の現在では”悪”と見做されて居る核家族化や少子化(後述)は、当時に於いては住宅や家電や自家用車の新たな需要を生み出す経済の推進力として”善”とされたのです。のみならず前述の様に”先進国的政策”として政府は敗戦直後から少子化政策を推進して来たという事実を忘れては行けません。
しかし、60年代末には成長の陰で水俣病などの公害(※40〜※40−4)が社会問題として表面化し、環境保護とかエコロジーという概念(※41〜※41−2)が公に言われ出しました。又、水質汚濁も社会問題に成り67年の下水道整備計画で水洗便所の普及が急務とされました。
1970年のザ・ビートルズの解散は一つの時代の終焉を象徴して居ます。解体された若者文化は以後二度と再び求心力を獲得することは有りませんでした。
{全共闘やビートルズについての記述は、07年10月4日に追加しました。}
(4)1971〜85年:成長の停滞、重厚長大から軽薄短小へ
70年代はウーマン・リブ(※42)という女権拡張運動 −90年代頃からはフェミニズム(※42−1)という言葉が使われ出した− が仇花的に広まり、私ども男は煽られました。しかし、もっと大きい変化はアメリカがドルを維持する事が出来なくなり71年8月にはドル・ショック(※b−3)に続き、遂に日本も変動相場制(※b−4)に移行したのです。これは1949年以来続けて来た固定相場制(※b−1)からの脱却です。そして2度のオイル・ショック(※43) −日本ではトイレットペーパー・パニック(※43−1)の印象の方が大きい− に見舞われ成長が鈍り、70年代後半には日本の所得と物価が”先進国並み”に高騰し、コストの安いアジア新興国に市場を奪われる様に成りました。即ち嘗ての日本が市場を獲得した時と逆の立場に立たされた訳で「追われる立場」に成った訳です。75年から始まったサミット(※44)の初回の6ヶ国のメンバーに日本も入り、経済的にはアジアの優等生として「先進国の一員」であると世界から認知された形です、政治的にはアメリカの腰巾着に過ぎませんが。欧州の先進国が日本人の狭い住宅を”兎小屋”(=軽薄短小な家)(※45)と揶揄したのはこの頃です。カラオケが普及したのもこの頃でしたね。
造船や重工業市場を奪われた日本は電子・システム産業へと産業構造の転換を図り、80年代前半には移行がほぼ完了し、筋肉労働者よりも頭脳労働者が重要視される様に成りました。殆どの企業で週休二日制(※46)が実施され、71年頃に出現したファーストフード(※47)やコンビニ(※48)が日常生活の中に普及・定着し”何時でも何処でもお手軽”に「物」が手に入る様に成り、軽薄短小(※49)が持て囃されました。”お手軽”なライフスタイルの登場です。そして以後の世相史に於いて重要度を増すオタク(※50)が出現したのも80年代前半です。
[ちょっと一言] この時期にファーストフードとコンビニが普及したことは大きな意味が有ります。即ちインスタント食品と合わせて後に問題と成る”自閉症的”個人主義やオタクの成長と増殖を生活面から支えたからです。軽薄短小を含めた”お手軽”なライフスタイルの蔓延はやがて「便利さを豊かさと勘違いする困った風潮」(次節で説明)を生み出します。と同時にファーストフードやコンビニが供する軟弱なハンバーグ(※47−1)やインスタント食品が日本人の「食」を軟弱にし、更にはこうした「食」の”ひ弱”さが精神の”ひ弱”さを誘発しました。
(5)1986〜91年:拝金主義とバブル崩壊、”後ろ向きの精神病”の表出
こうして一通り必需品としての「物」を手に入れた後は「ブランド志向」や「カネ(金)」に向かうのは当然の成り行きで、80年代中頃からの大型景気は「新人類」「ニュー・リッチ」(※51、※51−1)と呼ばれる軽薄な富裕層(=”浮遊層”) −「カッコ好さ」が価値基準の全てで外面志向的・拝金主義的・自己中心的な”ひ弱”な連中− を生み出しました。浮付いた思考の彼等は真っ当に働くことを嫌い「朝シャン」(※52) −今から顧みると「朝シャン」は潔癖症(※52−1)の萌芽で、徐々に若い世代に蔓延し挙句は主婦(娘)が亭主(父親)のパンツを箸で掴み自分の衣服と一緒に洗濯しない(2000年頃)などに増長しました− と投機に走り地上げ・土地転がし(※53、※53−1)で地価を吊り上げ転売し、ゴルフの会員権も転売し、更には”美術品転がし”が跋扈したり、と全く懲りない面々(※54)でした。私は既に03年の論考に於いて軽薄な”浮遊層”が作り出した風潮を、「便利さを豊かさと勘違いするコンビニエンス・リッチ(convenience rich)」(←これは私の造語)と喝破して居ます。
だぶ付いたカネで過剰融資に走った金融機関はマスメディアと結託して財テク・ブーム(※55、△3)を煽りブラック・マンデー(※56)も何の其の、遂に”ぽっと出”の証券レディーのボーナスが父親のそれを上回るという”賃金の逆転現象”を現出させ、地価の高い島国日本を売ってドル安と「双子の赤字」(※57)に悩む広大なアメリカ大陸を買い取り”全取っ換え”しても尚お釣りが来る程の成金国家に成り上がりました。
実は日本は88年には「1人当たりのGNP」が世界最上位のスイスやアメリカと肩を並べ、この時点で主要先進国に伸し上がって居たのです(←指標が現在のGDPに切り替わるのは1993年以降で、当時はGNPです)。89年1月7日に「昭和」から「平成」に改元しましたが今にして思えばこの頃、即ち1988〜89年が日本経済の曲がり角だったと言えます。バブル景気の”浮遊層”たち −彼等の多くは未だ若い− は最早ハングリー精神を喪失し、少しでも骨の折れる仕事を「3K」(※58)と蔑み後進&途上国から入国した不法就労者(※59)に肩代わりさせ、対社会では事勿れ主義と自己中心主義(=ジコチュウ)に埋没して行きました。こうした環境の中で増殖したオタクが89年に”奇妙な事件”(※50)を引き起こしたのを切っ掛けにオタクが中高年にも伝染し、更に「自殺・いじめ・登校拒否」などの”後ろ向きの精神病”が社会の表面にどっと吹き出して来たのが「平成」初頭です、吹出物の様に。これは1965年以降徐々に進行した「心の空洞化」が症状として発現したもので、「オタク」「新人類」「ニュー・リッチ」「3K嫌い」は「鍵っ子」が成人した姿です。
この様に跳ね上がり後ろ向きに成った”飼い犬”を危惧した”ご主人様”からアメリッポン(※60)と頭を叩かれたにも拘わらず更に拝金主義に突き進み、行き着いた揚句が91年後半のバブル崩壊というカタストロフィー(※61)で、カネも”浮遊層”も全て泡と消えたことは皆さんも良くご存知と思います。以下をお読み戴ければ解る筈ですが「平成」は日本人の精神が最も弛緩した時代と言えます。
この頃は確かにファジー(※62)な時期でしたが、遅くとも90年迄には景気や株高は経済の実態とは異なること、そして「後発先進国と主要先進国の違い」に気付き安定成長に切り換える必要が有ったのですが、湾岸戦争(※63)の勃発にも拘わらず却って戦争特需を期待してか更なる途上国型高度成長を盲信してその曲がり角に気付かず直進したのが破局の原因です。
[ちょっと一言] この経済的破局を招いた過程は、嘗て「向かう所敵無し」(←戦中の流行語)と驕って軍事的破局を招いた過程と全く同じで、日本人は原爆を浴びても懲りない面々(※54)ということでしょうか。「驕る平家は久しからず」(※64)という諺が在りましたが、これこそ鎌倉時代以降の超一級の流行語でした。故事に学ぶべきです。
この破局で「バブル」という言葉は一躍流行語に成り、お年寄りは水道のバルブと勘違いしたみたいですが、まぁ、いいじゃあ〜りませんか!(※65)
(6)1992〜99年:負の遺産と”日本版ビックリバンク”
バブル期の過剰融資は不良債権に変じ”負の遺産”はその後の日本経済を圧迫し、複合不況(※66、△4)とか構造不況(※66−1)とか言われリストラ(※67)という名の首切りが進行し、”浮遊層”に代わり「ニュー・プア」(※68)という”沈殿層”が析出し、彼等はフリーター(※68−1)をし安いモツ鍋(※69)を食って凌ぎました。95年の阪神淡路大震災にビックリした後、日本版金融ビッグバン(※70)なる虚言が垂れ流されましたが、国際ヘッジ・ファンド(※71、※71−1)が仕掛けた97年のアジア金融危機(※71−2、※71−3)には再びビックリです。
[ちょっと一言] 日本版金融ビッグバンの欺瞞性については「日本人の自己責任意識を問う」で03年に指摘して居ますが、銀行を例に取って要約すると、公的資金(=我々の税金、※72)をパクって銀行同士が合併し寡占化しただけで、行員の給料と手数料は高止まった儘サービスは悪く営業時間の改善が無い、という破廉恥な内容でした。これは金融システムなど解らん”下々”の連中が「銀行が潰れては困るぞ」という恫喝に負けた結果です。この時に1、2行潰し膿(ウミ)を出すべきだったのですが、結局今バカを見て居るのがその”下々”の連中ですので、自業自得(=自己責任)ですね。損をするのは常に馬鹿者、これはは古今東西の普遍的真理なのでしょう。
多くの企業倒産を尻目にバブル経済の元凶であった日本の”バンク”の連中は、弱者たる”下々”には貸し渋り(※73)乍ら”御上”を「ノーパンしゃぶしゃぶ」(※74)に接待と呆れた”日本版ビックリバンク”振りを発揮し、後に外国から日本の90年代は「失われた10年」と呼ばれましたが、実は精神的な意欲はそれ以前に失っていたことは前述した通りです。
[ちょっと一言] 「ノーパンしゃぶしゃぶ」 −風俗店では無く飲食店− の存在が表面化し流行語化したのは1998年に新宿歌舞伎町「楼蘭」の顧客名簿が暴露された時で、当時の大蔵省の幹部が収賄容疑で逮捕され官僚の一人が”自殺” −”自殺”は疑獄事件などに付き物で、多くの場合「限りなく”他殺”に近い」(※y)のですが− して居ます。事件発覚後、「楼蘭」は公然猥褻罪で当局にガサ入れされ閉店に至りましたが、暴露された権力側の報復の臭いがします。
ところで、この顧客名簿の筆頭に載っていた御仁が現日銀総裁の福井俊彦(当時は副総裁)で、後の06年には強引な手法で世間を賑わした村上ファンド(←総帥の村上世彰は証取法違反容疑で06年6月に逮捕)への投資で利益を得ていたことで再び名前が出るなど、懲りない面々(※54)の一人ですね。
(7)2000年以降:ニートやワーキング・プアの出現と「多老」社会
新しいミレニアム(millennium)(※75)に入り、不況は益々深刻でリストラという名の”下々”の首切りが遍く蔓延した時にはデフレ(※26−4)を”お化け”の如くに恐れましたが、それは現状認識の誤りと前述の”インフレ信仰”に拠る妄想だったことは「デフレ論議に疑問を呈す」の中で詳述して居ますので是非ご覧下さい。
この不況を公的資金(=我々の税金、※72)の投入という無反省な政策で”見掛けの企業業績”だけは一応回復させましたが個々人は低賃金を強いられ、若者は後述する「多老」に押し潰されて働く意欲を失いニート(NEET)(※68−2)に堕して、秋葉原辺りのメイド喫茶(直訳:女中喫茶)(※74−1) −非スケベ系コスプレ店(※74−2、※74−3)− に入り浸って辛うじて欲求不満を癒して居る有様です。因みにニートは「鍵っ子」が成長したオタクの子の世代で、意欲は無くてもカネ(金)は欲しいらしく彼等の多くは鼠講式の商法に嵌まって居ます。これらの無気力な若者は1965年以降徐々に進行した「心の空洞化」が原因の”後ろ向きの精神病”の重症患者ですが、社会も偽善や過保護から「甘えの構造」(△5)に陥り彼等を容認して居るので、何方もどっちですね、いやはや!
そして02年頃からテレビ界はヤラセ全盛時代(※76)を向かえ、06年秋頃から巷には「ワーキング・プア」(※77)なる”働き貧乏”が蔓延して居ますが、この「ワーキング・プア」の出現こそ1988年に提唱されたアメリッポン体制の帰着点(※60)なのです。に「先見性」をモットーに発言して居る私は「ワーキング・プア」の出現を04年初頭に予言して居ましたよ、アッハッハ!
[ちょっと一言] ワーキング・プア(working poor)なる言葉は06年の秋から流行しましたが、この言葉からは「働けど働けど猶我が生活楽に成らざり」(※77−1)の更に下を行く「働けば働く程貧乏に成る」という”蟻地獄に嵌まった働き蟻”を連想させられ、笑えます。国家のGDPが高くても「豊か感」を持て無い日本人の実態をズバリと射抜いた素晴らしい言葉です。「ニュー・リッチ」「中間管理職」「企業内起業家」など過去に吹聴された概念は全て幻想で、この「ワーキング・プア」だけが唯一正しい実在であると私は考えて居ます。
そしてもう一つ、新世紀に入った頃から逆ピラミッド型の年齢構成に対し、メディアに誘導された形で世論は「少子」に不安を抱き「多子化」を叫び付和雷同して居ますが、それは大きな誤りです。既に見た様に日本は敗戦直後から先進国型の少子化政策を推進して来たからそう成った迄で、相対的に逆ピラミッドの開き角度が大きいのは、当初の予想以上に延命医療技術が進歩し高齢者の余命が急速に延びた為です。故に日本の実態は「少子」では無く「多老」(←私の造語)、即ち老人が過剰な社会なのです。その論拠として本論考では日本は既に人口密度が充分過ぎる程高い為に狭い”兎小屋”に住んでいるという現実を一つだけ挙げるに止め、▼詳細は別稿▼に譲ります。
日本の現状は「多老」だ(Present Japan is the SURPLUS OLD-PEOPLE society)
数で勝る老人たちにはニートを張り倒す位の気概が欲しいですが、テレビの見過ぎやカラオケや同世代だけの娯楽に埋没したり”何時迄も青春”気分が抜けず老人のオタク化や幼稚化(或いは幼稚園児化)が進行し唯ダラダラと延命するのみで、若者に対し「示し」が付かないばかりか、現在国を挙げての問題に成って居る年金(※78)を食い潰す”粗大ゴミ”に成り下がって居るのが現状です。実は「少子だから子供を増やせ」という発想は「公的年金の原資を下支えする人間を増やせ」という短絡的な発想から出て来て居ます、衆愚ここに窮まれり(※76)ですね。
■考察1 − 1964(昭和39)年の分水嶺
以上の「戦後日本の世相史」の章の”藪睨み的分析”を踏まえた上で、「1964(昭和39)年分水嶺説」の論拠を示しましょう。
(1)戦後日本経済の2度の節目
先ず戦後日本の経済発展を図式的に纏めると下図の様に成ります。「デフレ論議に疑問を呈す」の成長曲線も参照して戴ければ、より解り易いでしょう。
[1].1945〜55年頃:後進国 ── 戦後復興期
1949年 :固定相場制を施行
1955年頃「栄養失調」から脱出
[2].1956〜64年 :発展途上国 ── 後進&途上国型成長期
1964年の東京オリンピック
(10月10日〜24日)
[3].1965〜87年頃:後発先進国 ── 後発先進国型成長期
1971年8月 :変動相場制に移行
1972年 :ローマクラブが「成長の限界」を発表
1988年に「GNP/1人」世界最上位
[4].1988年以降 :主要先進国 ── 主要先進国型成長期
1991年のバブル崩壊
即ち、戦後の日本経済は「後進国→発展途上国→後発先進国→主要先進国」の4つの段階を経て発展して来ました。中でも1964年の東京オリンピックが第1の節目を成して居て、それ以前を戦後復興期(=後進国型&発展途上国型成長期)と見做すことが出来ます。
東京オリンピックで日本はやっと戦前の国際的地位と自信を回復することが出来ました。オリンピック以後の暫くは後発先進国型成長期に入り、高度成長(※26−1)を続けましたが以前の様なガムシャラ(我武者羅)な態度とは異なる一定程度生活を楽しみ乍らの成長です。この頃、資源の枯渇や環境の悪化に因り「成長の限界」(※79、※79−1)が在る事を知りました。
その後、1988年に「1人当たりのGNP」が世界最上位に達し主要先進国入りした時が第2の節目だったのですが、日本はそれに気付かずに更なる高度成長を望んだ結果がバブル崩壊でした。
(2)「1964年分水嶺説」の論拠
○その1 − ”戦後的なる物”を葬った1964年
前節で指摘した様に、戦後日本の経済発展は1964年と1988年の2つの節目 −即ち曲がり角、転換点、ターニング・ポイント(turning point)− を経験しました。しかし
日本人の「意識」や「目標」や「心」という点から見ると
1964年こそが大きな分水嶺(=大転換点)だった
と私は考えて居ます。次にその論拠を開示しましょう。
1945年8月上旬に2発の原爆を浴びた上での8月15日の「無条件降伏での敗戦」という屈辱は日本人の深層心理の奥底に澱(おり)の様に沈殿し、時々精神的な”吐き気”を催させて来ました。それ故日本人は早くこの状況から逃れたく、日本中の風景から”戦後的なる物”を全て消し去りたかったのです。ガムシャラに働いたのもその為です。そんな日本人は1964年の東京オリンピックで漸く
”戦後的なる物”=”敗戦の屈辱”=”忌まわしい記憶”
=”戦争の戒め”=”カッコ悪い物”=”臭い物”
に蓋を被せ視界から隠すことが出来ました。そうです、日本にとって東京オリンピックは”戦後的なる物”を払拭する為の必要不可欠な埋葬儀式(=国葬)だったのです!
○その2 − 「心の空洞化」が進んだ1965年以降の歩み
埋葬儀式を完了すると1965年以後の日本は先進国を自負し、それ以前とは決別し新たな方向を模索して行きました。新しく芽生えた個人主義やミニスカートや核家族化は”戦後的なる物”との決別という意味で捉え直すことが出来ます。但し看過出来ない点は、「日本的な伝統」や「日本人の心」をも”敗戦の屈辱”と結び付け古い因習と見做して一緒に埋葬して仕舞った事です。溢れる「物」と引き換えに「人間関係の解体」と「心の空洞化」(=心の貧しさ)が65年に始まり、それ以前とは不連続な「心の段差」「心のズレ」を生じて居ます。
皮肉ですね、日本の皆さんが東京オリンピック以降「日本は豊かに成った」と誰しも思い込んで居たと思いますが、それは「物」の面のみであり逆に「心」の面は段々と「貧しくさもしく」成って来たことが、こうして東京オリンピック前後を比較・分析してみると浮かび上がって来ます。「心の埋葬」は「アイデンティティーの埋葬」でもあり、現在の日本が立脚点を見失って迷走して居るのは、その当然の帰結です。現在のテレビ界のヤラセもそれを見て嵌まる視聴者も「心の貧しさ」の一側面に過ぎません。
○その3 − 1988年の節目は経済の曲がり角
1988年の節目は1988〜89年の曲がり角を成し、ここを曲がり切れずにバブル崩壊に至り、その後も経済的な”負の遺産”を背負い長らく足を引っ張られたことは確かです。しかし、その足枷は経済(=「物」「カネ」)の部分が大きく、1964年と65年の様に「心」の段差は生じて居ません。バブルの”負の遺産”は経済が回復すれば取り戻せる類のものです。
以上で「1964年分水嶺説」の論拠を示し得たと考えます。
(-_*)
■考察2 − 分水嶺以降の鍵を握る「鍵っ子」
ところで、現在の「いじめ」や「学校現場の荒廃」や「遣る気の無い若者(=ニート)の問題」も遡源すると分水嶺に行き着き、しかも何れも「心の病」が原因です。それは分水嶺以後「物」を手に入れた代わりに「心」を失った為であることは既に述べました。今後、この「心の問題」をどう解決して行くかを考える上で、私が「世相史」の章を書いて居る過程で”或るヒント”を見出しました。
それはズバリ、1964年の分水嶺以降の鍵を握る「キーワード」は「鍵っ子」(※38−1)です。”自閉症的”個人主義(※39)の「鍵っ子」が成長し青年期〜成人期を迎えた80年代前半頃からオタク(※50)として世間の表面に登場し、バブル景気終盤には自己中心主義(=ジコチュウ)を生み”奇妙な事件”や「自殺・いじめ・登校拒否」を引き起こし”後ろ向きの精神病”を一気に表出させました。この病は”教育の技術化”や社会の過保護と密接に関連し乍ら遂には「鍵っ子」第2世代のニート(※68−2)に行き着きました。即ち
「鍵っ子」が成長 → オタク
オタクの子が成長 → ニート(NEET)
(「鍵っ子」[が成長したオタク]の子がニート)
という構図なのです。この様に「鍵っ子」が親子2代に亘り「心の空洞化」を進展させて居ることは、注目すべき点です。これは明らかに退化(※80)ですが、退化も「逆淘汰」という進化論の一範疇です。
幼少期に真っ当な「心」を取り戻す為には農村型の親子3世代家族や厳しい老舗の家庭教育などを見直し、躾(しつけ)や「生き方」の教育が、やはり大切だということです。これは皮肉にも分水嶺以後に日本が「捨て去って来たもの」で、私たちはそれを「再び拾い集める」必要が有りそうです。そうは言っても一旦穴の空いた「心」や失われたアイデンティティーを回復するのは、一個人なら兎も角、社会全体で回復するのは至難の業(わざ)と言わざるを得ません。
■「戦後日本の世相史」の総括と今後の舵取り
(1)「戦後日本の世相史」の総括
先ずは「戦後日本の世相史」の章を総括して置きましょう。この章に於いて戦後史を流行語をキーワードに”皮相的に浅薄に上撫で”して来ましたが、敗戦直後から分水嶺前には「追い付き追い越せ」に始まって「所得倍増」「三種の神器」など、分水嶺後は「家付きカー付き婆抜き」「3C」「軽薄短小」「財テク」「3K」などなど、マスコミやマスメディア(特に分水嶺以後はテレビ)に依って次々と目新しい標語が唱えられて来ました。そして日本人はその標語を「親鳥」と見做して生活の短・中期的目標に据え、恰も”刷り込み”(※c)された「アヒルの子」の様に良く付いて来たことが理解出来ます。この素直さには感心しますが鵜呑みにして居る点が、「向かう所敵無し」に盲従し原爆国家に竹槍で立ち向かい破局を招いた(△xのp34)、戦時中の苦い経験の学習効果が全く無しで私はちと怖い気がして居ます。
事実これらの標語に追従して来た結果、分水嶺以後には「物」を得た代わりに「心」を失い、現在は”後ろ向きの精神病”が蔓延し特に若い世代(=これからの日本を背負って立つべき世代)に於いて顕著です。何故そう成ったか?、それは上の標語を良く吟味すれば明らかです。即ち上の標語のバックには住宅産業、自動車産業、家電メーカー、証券会社などの「物」を売る企業の顔が見えて居ます。つまりこれらの標語は商業主義的CMのキャッチコピー −その時さえ売れれば良いという無責任極まり無い代物− に過ぎないのです。こんな代物を”指針”として来たら世の中変(へん)に成るのが当たり前で、「日本人は12歳の少年」と言ったマッカーサー(※5)の批評は卓見で、日本人は今でも「アヒルの子」状態を脱して居ません。又、「いじめ」「いじめられ」「ニート」の様に「物」を手に入れたら人生の目標を失って仕舞う現象も「日本の文化レベルが三流国以下」の証明です。そしてヤラセが日常化して居るテレビに飲み込まれ折角の学習効果を水泡に帰して居る現状を見ると「一億総白痴化」は完全に成就し、現在の「日本人の知能程度は幼稚園」と私は診断して居ます!!
この様に総括してみると、日本人は戦前から一貫して新聞やラジオやテレビなどのマスコミやマスメディアに乗せられブームに振り回され付和雷同し易い人種であることが明白ですが、メディアの洗脳力については
理性と感性の数学的考察(Mathematics of Reason and Sense)
の中で詳しく分析して居ますので、是非一読して下さい。
1945年に日本の敗戦という形で終わった第2次世界後に「ゼロからの再出発」をして、物質的には世界と肩を並べましたが、精神的には未だ成熟し切って無い状態です。その一因として私は、日本を妄想の果てに敗戦に導いた「戦争責任(=戦争の自己責任)」を統治者も大衆も曖昧化したことに在ると考えて居ますが、どうでしょうか?!
「国家の大計」と言わない迄も一貫した哲学の欠如
この様に世相史は世の中の皮相的事柄に人々が右往左往する姿を炙り出し中々面白いですね、正に「可笑しくもあり悲しくもあり」です。
(2)今後の日本の舵取るべき進路
日本は既に「主要先進国型の成熟社会」に属して居ることを確りと認識し、今後は
緩やかな安定成長、全方位外交に依る複数文明圏との共存、
そして文化輸出型の「目標にされる国」への解脱を目指す
ということが03年に発表した「デフレ論議に疑問を呈す」の主題であり主張でしたが、この主張は07年の現在も少しも変わらぬばかりか、益々重要度を増して居ると考えます。
(3)多老社会への対処
先ずは現状を「少子」では無く「多老」である、という正しい認識を持つ事が重要です。間違った前提は間違った結果を導くからです。食糧自給の面から見ても長期的視野に立って徐々に人口削減の方向に舵を取るべき、と私は考えて居ます。
非常に難しい問題ではありますが、私の持論は[多老社会を考える]シリーズに於いてデータを基に詳細な議論を展開して居ます。
■結び − 「日本人の心」を取り戻す為に
又「心」の話をして仕舞いましたね。まぁ、当サイトでは「文化」とか「心」とか「日本再発見の旅」などを中心的に扱って居ますので、話が「心」の問題に辿り着くのは当サイトの特徴です。日本人の「心の空洞化」や「アイデンティティーの喪失」の典型的な例として最近出現したニートを取り上げましたが、この論考の最後に「心の空洞化」の更なる例として昨今の無節操な”カタカナ語”の氾濫をもう一つ付け加えて置きましょう。
横文字の”カタカナ語”が持つソフトで曖昧な印象から
合理化、首切り → リストラ
働き貧乏 → ワーキング・プア
などの様に、好ましく無い印象の付き纏う日本語を故意に”カタカナ語”に言い換えて曖昧化する傾向が、バブル崩壊以後特に目立ちますが、悪しき傾向です。06年暮れに”御上”が言い出したホワイトカラー・エグゼンプション(white-collar exemption)(※yyy、※yyy−1)に至っては私ら”学”の無い者には全く意味不明、思わず「アンタら何人?」と叫びたく成りました。ニッポンの皆さん、正しい日本語を使うことが「日本人の心」を取り戻す第一歩ですゾ!
因みに私エルニーニョは、ホワイトカラーでもブルーカラーでも無くピンクカラーですので宜・し・く・〜、ウワッハッハッハ!!
{今度出版するに際し全ての章を推敲し2014年9月27日に最終更新しました。}
【脚注】
※1:流行語(りゅうこうご、vogue word, popular word)とは、或る期間、興味を持たれて多くの人に盛んに使用される語。
※2:大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)とは、太平洋戦争期に日本が掲げたアジア支配正当化の為のスローガン。欧米勢力を排除して、日本を盟主とする満州・中国及び東南アジア諸民族の共存共栄を説く。1940年、外相松岡洋右の談話に由来。
※3:ポツダム宣言(―せんげん、Potsdam Declaration)とは、1945(昭和20)年7月26日、ドイツのポツダムに於いてアメリカ合衆国・中華民国・イギリス(後にソ連が参加)が日本に対して発した共同宣言。正式名称は「米英中三国宣言」。戦争終結、日本の降伏条件と戦後の対日処理方針とを定めたもので、軍国主義的指導勢力の除去、戦争犯罪人の厳罰、連合国に依る占領、日本領土の局限、日本の徹底的民主化などを規定。日本は初めこれを無視したが、原子爆弾の投下、ソ連の参戦に因り同年8月14日受諾し、太平洋戦争(=第二次世界大戦の内のアジア地域の戦争)が終結。
※3−1:ポツダム(Potsdam)は、ドイツ東部、ベルリンの南西郊外に在る工業・文化・観光都市。サンスーシ宮殿他の多数の離宮・別荘などが在る。人口13万8千(1994)。
※4:無条件降伏(むじょうけんこうふく、unconditional surrender)は、[1].一切の軍事力を放棄して無条件に敵の支配下に入ること。
[2].相手国から出された降伏条件を無条件で受け入れること。ポツダム宣言受諾に依る日本の無条件降伏は[2]に当たる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※5:カタストロフィー(catastrophe)とは、[1].破局、突然の大変動や激変のこと。カタストロフ。
[2].〔数〕カタストロフィー理論/破局理論(catastrophe theory)。現代幾何学であるトポロジーの一分野で、1960年代にフランスの数学者ルネ・トムが創始した数学理論。不連続な過程を扱う。急激な変化を伴う自然・社会現象の過程を図形を用いて表すことなどに応用されて居る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※6:GHQ(General Headquarters, GHQ)とは、日本を占領した連合国軍総司令部。初代最高司令官(SCAP)はマッカーサー。占領政策を推進し、戦後改革を行なった。1951年の「対日講和条約」発効と共に廃止。
※6−1:進駐軍(しんちゅうぐん、occupation forces)とは、[1].他国の領土に進駐して居る軍隊。 [2].第二次世界大戦後、日本を占領して居た外国の連合国軍(その司令部がGHQ)のこと。占領軍。サンフランシスコ平和条約の発効後、駐留軍と名を変えた。
※7:DDT(dichloro diphenyl trichloroethane, DDT)とは、有機塩素系の殺虫剤の一。白色の結晶性粉末で水に不溶。クロロベンゼンとクロラールとを濃硫酸の存在下で反応させて作る。接触剤・毒剤の両作用を持ち、神経毒として強い殺虫効果を示す。1971年より農薬としては使用禁止。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※8:闇市(やみいち、black market)は、統制品とされた品物などを、法の網を潜って取り引きする闇商人(闇屋)が集まって市場の形を成したもの。ブラック・マーケット。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9:パンパンとは、(原語不詳)第二次世界大戦後の日本で、街娼・売春婦のことを指した語。特に占領軍将兵相手の日本人街娼・私娼の蔑称。パンスケ(パン助)。
補足すると、敗戦直後の1945〜60年頃迄は俗語として日常的に使われましたが、以後は次第に隠語化し表立って使われず、近年は死語化。
パンパンの語源としては
[1].pompom[英]。原意は自動高射砲・対空速射砲だが「性交」の隠語。
[2].パン1切れ[の金額]で体を売る女。
[3].「女性」を意味するインドネシア語 perempuan(プロムパン)のアメリカ訛り。
[4].ペンペンという三味線(つまり芸者)を表す擬音語のアメリカ訛り。
[5].委任統治時代の南洋 −ラバウル(現パプアニューギニア)やサイパン島など− に於いて日本海軍が慰安婦(日本人や朝鮮人の従軍慰安婦が主体)を指して呼んだ和製隠語で、ニューギニア語の「売春婦(pamuk)」が語源。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9−1:「助(すけ)」は、(「なごすけ」の略で、「なご」は「おなご(女子)」の略)女子、特に情婦の隠語。色(いろ)。
※9−2:委任統治(いにんとうち、mandate)とは、国際連盟の委任に基づいて、その監督下に特定の国家に依って行われた統治形式。国際連合の信託統治の前身。第一次大戦(1914.7〜18.11)の敗戦国ドイツ/トルコの旧植民地に適用され、戦勝国が直接に統治し、又は保護国とした。太平洋諸島中、赤道以北は日本が受任国であった。→信託統治。
※9−3:「こんな女に誰がした」は、敗戦直後の1947年に作られた「星の流れに」(作詩:清水みのる、作曲:利根一郎)という歌謡曲の一節で、1947〜50年頃の流行語にも成りました。谷真酉美の歌でヒットしたこの歌は街角で歌い継がれ、パンパンの退廃的情緒に溢れて居ます。当時の民衆はこの台詞に「こんな日本に誰がした」を想い重ねていた様です。
※10:ベビーブーム(baby boom)とは、出生率が急に高まった時期。特に、第二次大戦後の1947〜49年(第一次ベビーブーム)を指して言う。その後、第一次ベビーブーム世代が親に成り71年〜74年の第二次ベビーブームが到来した。
※10−1:ベビーブーマー(baby boomer)とは、ベビーブームに生れた人たち。ベビーブーム世代。日本では第一次ベビーブーマーを団塊の世代、第二次ベビーブーマーを団塊ジュニアと呼ぶ場合が多い。
※10−2:団塊の世代(だんかいのせだい、the first baby boom generation)とは、(他世代に比し人数が特に多い所から言う)1947〜49年の第一次ベビーブーム世代を指し、3年間で約800万人生まれた。堺屋太一が1976年に小説の標題として命名し、直ぐに流行語化した。
※11:優生保護法(ゆうせいほごほう、Eugenic Protection Law)とは、優生学上の見地から不良な子孫の出生を防止し、母体保護を目的とする法律。1948年制定。96年、優生思想を改正し母体保護法を制定。
※11−1:母体保護法(ぼたいほごほう、Mother's Body Protection Law)とは、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定め、母体保護を目的とする法律。1996年、優生保護法の優生思想を排除し改正。
※11−2:少子化(しょうしか、falling birthrate)とは、結婚年齢の上昇や結婚しない男女の増加に因り出生率が低下し子供の数が減少すること。1992年度の国民生活白書で使われた語。「―社会」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※b:為替相場(かわせそうば、exchange rate)とは、自国通貨と外国通貨との交換比率。例えば、1米ドルに付き100円という様に表す。為替レート。
※b−1:固定相場制/固定為替相場制(こてい[かわせ]そうばせい、fixed exchange rate system)とは、為替平価を設定し、この平価を中心に為替相場の変動を狭い範囲に固定する制度。戦前の金本位制や戦後のIMF体制がその例。←→変動[為替]相場制。
※b−2:IMF(International Monetary Fund, IMF)とは、国際通貨基金。国連専門機関の一。1944年のブレトン・ウッズ協定に基づき、加盟諸国の出資に依って設けた基金。比較的短期の融資に依って、各国が為替取引の制限を外して自由且つ多角的な取引を行い得る条件を整えることを目的とする。本部ワシントンD.C.。日本は52年加盟。しかし1971年8月15日のドル・ショックに由りIMF体制は崩壊した。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※b−3:ドル・ショック(dollar shock)とは、アメリカ大統領ニクソンが1971年8月15日にドルの金交換停止を含む新経済政策(=ニクソン宣言)を発表し、金・ドルを軸とするIMF体制を崩壊させたことで、翌日の株式が大暴落した。ニクソン・ショックとも言う。これを和らげる為に同年8月28日、それ迄の1ドル=360円の固定相場制から変動相場制へ移行した。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、一部「現代用語の基礎知識(1999年版)」より>
※b−4:変動相場制/変動為替相場制(へんどう[かわせ]そうばせい、floating exchange rate system)とは、為替相場を市場の実勢に任せる制度。金本位制/IMF体制は共に為替平価を一定とする固定為替相場制であったが、1971年8月に至り各国通貨、特に基軸通貨であるアメリカドルの価値維持が困難と成り、IMF体制が崩れて変動為替相場制に移行した。←→固定[為替]相場制。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※12:バラック(barrack)は、[1].粗造の仮小屋。仮建築。
[2].軍隊の休養に当てる急築の営舎。廠舎(しょうしゃ)。
※13:インフラはインフラストラクチャー(infrastructure)の略で、(下部構造の意)道路・鉄道・港湾・ダムなど産業基盤の社会資本のこと。最近では、学校・病院・公園・社会福祉施設など生活関連の社会資本も含めて言う。
※14:「ニコヨン」とは、日雇労働者の俗称。昭和20年代の半ば(=1950年頃)、職業安定所から貰う定額日給が240円(100円を「一個」として、二個四)程度であったから言う。
※15:池田勇人(いけだはやと)は、政治家(1899〜1965)。広島県生れ。京大卒。大蔵官僚を経て、吉田茂に知られ、自由党に入り、各省大臣を歴任。自由民主党総裁。1960〜64年首相。高度経済成長政策を推進。1950年(大蔵相当時)の「貧乏人は麦を食え」発言は有名。
※16:日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく、the U.S.-Japan Security Treaty)とは、日米二国間の安全保障を規定した条約の通称。
[1].1951年9月サンフランシスコに於ける「対日講和条約」調印と同時に日米間に締結された条約(正式名:「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」)。講和後も米軍が安全保障の為に日本に駐留基地を設定すること、外国の教唆・干渉に因る内乱時の出動条項を定めた。1960年に一旦失効。
[2].1960年に新たに新条約(正式名:「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」)を調印・発効。正式名に「相互協力及び」が付加された様に軍事行動に関して両国の事前協議制等を追加、逆に出動条項を削除。1970年から自動延長。ソ連崩壊を受けて1996年の「日米安保共同宣言」では「ソ連の軍事的脅威」に替わって「アジア・太平洋の平和と安定」を掲げ、内容を一部修正。
略称、安保条約又は日米安保条約。通常1960年以前は[1]を、以降は[2]を指す。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※16−1:安保闘争(あんぽとうそう)とは、日米安全保障条約改定反対の闘争。1959〜60年全国的規模で展開された、近代日本史上最大の大衆運動。取り分け60年の5〜6月は連日数万人がデモ行進し国会を包囲したが、結局条約は改定された。70年にも条約の延長を巡って反対運動が行われ、新左翼系学生の全共闘が組織された。
※17:「追い付き追い越せ」とは、この言葉が流行り出したのは、日米安保条約締結で日本の針路の道筋が見えて来た1950年代の前半で、以後64年の東京オリンピック迄の標語でした。
※18:朝鮮特需(ちょうせんとくじゅ)とは、朝鮮戦争(1950〜53年)の為に在日米軍が日本で調達する物資・役務に対する需要を言う。
※19:神武景気(じんむけいき)は、1956年から翌年に掛けての好景気。日本始まって以来という意味で名付けられた。
※20:栄養失調(えいようしっちょう、malnutrition)は、食物の摂取不足、又は摂取は十分でも消化・吸収の悪い時、或いは食物の成分の不均衡、特に蛋白質の不足に因り現れる異常状態。浮腫・徐脈・貧血・痩削・下痢などを伴う。
※c:刷り込み(すりこみ、imprinting)とは、[1].〔生〕多くの動物、特に鳥類に於いて最も顕著に認められる学習の一形態。ローレンツが最初に記載。生後間も無い特定期間内に目にした動物や物体が雛に固定的に認識され、以後それを見ると機械的に反応する。刻印付け。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、一部「Microsoft エンカルタ総合大百科」より>
[2].転じて一般用語として、特定の物事が短期間で覚え込まれ、その影響で以後の思考や行動が長期間に亘り規制される場合にも使う。洗脳と同様の作用を及ぼす。「―効果」。
※21:「最早戦後では無い」は、1956年に発表された経済白書の中の言葉。同自書では「回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化に依って支えられる」と説いている。
※21−1:経済白書(けいざいはくしょ)とは、経済企画庁が国民経済の年間の動向を総合的に分析し、今後の経済の動きと経済政策の方向を示唆する年次報告書。1947年(当時は経済安定本部)以来毎年発表。
※22:売春防止法(ばいしゅんぼうしほう、Anti-Prostitution Act)とは、売春を防止する為に売春を助長する行為などを処罰すると共に、売春を行う恐れの有る女子に対する補導処分及び保護更生の措置を定めた法律。1956年に制定され、1957年4月1日に一部実施、翌1958年4月1日に罰則適用の取締り規定が施行され、全面実施と成った。略称は売防法。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※22−1:赤線(あかせん)とは、(警察などで地図に赤線を引いて示したことから)売春が公認されて居る地域の売春業。俗には、1946年の公娼制度の名目廃止後に、売春を黙認されて居た遊郭・銘酒屋など。1958年の売春防止法の全面実施で完全廃止。「―地帯」。←→青線。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※22−2:公娼(こうしょう、licensed prostitution)とは、[1].公娼制度に拠り公認された娼妓。
[2].狭義には、1900(明治33)年の娼妓取締規則で許可された売春婦を指し、営業許可証としての鑑札と定期検診とを必要とした。1946年にGHQの要求で名目上は廃止されたが、一部は黙認され1958年の売春防止法の全面実施で完全廃止。←→私娼。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※22−3:青線(あおせん)とは、1946年の公娼制度の名目廃止後に外地から引き揚げた売春業者が、1958年の売春防止法全面実施迄、飲食店名義だけで営んだ売春業者。「―区域」。←→赤線。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※23:インスタント食品(―しょうくひん、instant food)とは、殆どその儘で、或いは簡単な調理で食べられる保存性加工食品。即席食品。麺類/コーヒーやジュース類/ご飯類など。
※24:スピッツ(Spitz[独])は、ドイツ原産のイヌの一品種。顔は短くとがり、耳は立ち、尾は巻く。純白のものが多い。第二次大戦後日本で多く飼われたが、今は少ない。愛玩用。
※25:メルクマール(Merkmal[独])とは、目印。指標。
※26:所得倍増計画(しょとくばいぞうけいかく、income-doubling program)とは、池田勇人内閣が1960年に発表し、翌61年から10年間で実質国民所得を2倍にすることを目標に立てた経済計画。所得倍増政策。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
補足すると、所得倍増計画は消費意欲を促しカネ(金)を循環させるインフレ誘導型景気刺激策で、結果として所得の額面は倍増しましたが、”物価も倍増”したので個人の支出/収入の割合は何ら変わらないというトリッキー(tricky)な政策でした。しかし、これで日本人は「物持ち」には成れました、”物価も倍増”したので「金持ち」には成れなかったですが。
※26−1:高度成長(こうどせいちょう)は、急激な経済成長。特に1955〜73年の時期の日本経済を言う。「―政策」。
※26−2:伊弉諾景気(いざなぎけいき)とは、1965年から70年に掛けて5年近く続いた好景気。神武景気や岩戸景気を上回る好況という意味を込めて名付けられた。
補足すると、池田内閣の「所得倍増計画」の総仕上げと成りました。
※26−3:インフレはインフレーション(inflation)の略で、(通貨膨張の意)通貨の量が財貨の流通量に比して膨張し物価水準が騰貴して行く過程。その原因に依り需要インフレ、コスト・インフレなどに分類される。←→デフレーション。
※26−4:デフレはデフレーション(deflation)の略で、(通貨収縮の意)通貨がその需要量に比して過度に縮小すること。通貨価値が高く成り、物価は下落するが、企業の倒産、失業者の増大など不況や社会不安を伴う。←→インフレーション。
※Ψ:J.F.ケネディ(John Fitzgerald Kennedy)は、アメリカ合衆国第35代大統領(1917〜1963.11.22、在位1961〜1963.11.22)。民主党選出。「穏健な進歩派」としてニュー・フロンティアを唱え、世界平和の為の外交を主張、テキサス州ダラスで遊説中に暗殺。当時の司法長官で弟のロバート(1925〜1968)も、68年大統領選出馬準備中に暗殺。
補足すると、J.F.ケネディの暗殺は20世紀最大級の謎です。米国政府は陰謀説を否定してますが、もしこれが陰謀で無いとすると世の中に陰謀は存在しない事に成って仕舞う限りなく”陰謀”に近い事件です。
※27:三種の神器(さんしゅのじんぎ)とは、この場合、「豊かな生活」=「アメリカ的電化生活」と目標を単純化した日本は、マスメディアが1955年頃から電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ(当時はモノクロ=白黒主体)を1セットとして呼んだ標語。
※27−1:「家付きカー付き婆抜き」とは、1960年頃から言われ出し、60年代の若い女性の結婚観を表した言葉。この中の「婆(ばばあ)抜き」が、結婚相手の姑(しゅうとめ)が居ない家、即ち結婚して親の居ない家に住むことを指し、核家族化を助長する合言葉に成りました。
※27−2:「3C(さんシー)」とは、「新三種の神器」と言われた「カー(car)、クーラー(cooler)、カラーテレビ(color television)」の頭文字の3つの "C" を指す。1966年に流行。
※28:大宅壮一(おおやそういち)は、大正・昭和時代の評論家(1900〜1970)。大阪府高槻市生れ。東大中退。辛辣・明快な社会・人物評論を特色とし、戦後ジャーナリズムで指導的役割を果す。著「無思想人宣言」(厳正中立、不偏不党を謳う)、「文学的戦術論」「炎は流れる」など。又、「駅弁大学」「恐妻」「一億総白痴化」など、時流に合った造語を得意とした。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※29:国立競技場(こくりつきょうぎじょう、National Stadium)は、東京都新宿区、明治神宮外苑に隣接する陸上競技場。第18回オリンピック東京大会(1964年)のメイン・スタジアム。総面積7万4千u。収容人員6万3千。
※30:エコノミック・アニマル(economic animal)とは、発展途上国に対する日本の援助活動を批判して、1969年にパキスタンのブット外相が用いたのが最初。後に、経済的な利益のみを追求する人間、特に経済大国に伸し上がった日本人を皮肉る蔑称に転じた。日本ではモーレツ社員という言葉 −1969年のテレビCMで小川ローザがミニスカートの裾を煽られ「オー・モーレツ!」と呟いた− が流行った。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※32:中流(ちゅうりゅう)とは、1967年の「国民生活白書」で、自分が属する階層に関して「上、中の上、中、中の下、下」の5段階でアンケート集計した結果、全体の約半数が「中」と回答した。
※32−1:昭和元禄(しょうわげんろく)とは、1967年の中流社会を、町人文化が興隆した江戸時代の元禄年間(1688〜1704)に擬えて呼んだ言葉。
※33:ミニスカート(miniskirt)は、丈が膝上迄の非常に短いスカート。ミニ。世界的流行を受けて日本では1967年に大流行。
※34:全共闘(ぜんきょうとう)とは、全学共闘会議の略称。1968〜69年の大学紛争に際し、諸大学に結成された新左翼系乃至は無党派の学生組織。70年安保闘争時代の学生運動の中心勢力。
※35:ザ・ビートルズ(The Beatles)は、イギリスのロック・グループ。リバプールで誕生。1960年代から1970年代の世界のポピュラー音楽界、若者文化に大きな影響を与えた。メンバーは
ジョン・レノン(John Lennon) リズムギターとボーカル(1940〜1980)
ポール・マッカートニー(Paul McCartney) ベースギターとボーカル(1942〜)
ジョージ・ハリスン(George Harrison) リードギターとボーカル(1943〜2001)
リンゴ・スター(Ringo Starr) ドラムス(1940〜)
の4人。1962年にリンゴが加わり、やがてビートルズ旋風を巻き起こした。1965年に外貨獲得の功績に依りエリザベス女王から勲章を授かる。1966年6月29日に来日。1970年解散。「抱きしめたい」「シー・ラブズ・ユー」「ア・ハードデイズ・ナイト」「イエスタデー」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」他。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※36:ヴェトナム戦争/ベトナム戦争(―せんそう、Vietnam War)は、1960〜75年の北ベトナム/南ベトナム解放民族戦線とアメリカ/南ベトナム政府との戦争。第二次インドシナ戦争とも言い、周辺諸国のカンボジアやラオスなどをも巻き込む。アメリカは軍事費の増大と国内及び世界で高まった反戦運動に苦しみ、1973年1月パリ和平協定に調印し撤退。1975年4月、解放戦線/北ベトナム軍が勝利して終結。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
補足すると、アメリカはこの戦争で枯葉剤を大量に散布し、当事者だけで無く奇形児など2世代目以降に後遺症を残した。
※36−1:枯葉剤(かれはざい、defoliant)は、除草剤の一種。アメリカ軍がベトナム戦争で化学兵器として使用したダイオキシンを含むものは、特に毒性が強く、散布地域に癌・先天性異常・流産・死産などが多発。
※37:「三食昼寝付き」とは、家電製品の普及で暇に成った主婦を揶揄した言葉。1966年頃から流行。
※38:共稼ぎ(ともかせぎ、working together couple, dual-income)とは、夫婦が共に働いて一家の生計を立てて行くこと。共働き。
※38−1:鍵っ子(かぎっこ、latchkey child)とは、共稼ぎ夫婦の子。両親が勤めに出て家に誰も居ず、何時も鍵を持ち歩いて居る為に付けられた名。1965年頃から言われ出した。
※38−2:核家族(かくかぞく、nuclear family)とは、夫婦とその未婚の子女とから成る家族。小家族と同義であるが、人類に普遍的であり、有らゆる家族の基礎的単位であるという主張を含んで居る。1960年頃から言われ出した。
※39:自閉症(じへいしょう、autism)とは、
[1].自分だけの世界に閉じ籠もる内面優位の現実離脱を呈する病的精神状態。現実との生きた接触を失うもので精神分裂病の重要な症状の一。
[2].早期幼児期に発生する精神発達障害。対人関係に於ける孤立、言語発達の異常、特定の状態や物への固着などを示す。早期幼児自閉症。
※40:水俣病(みなまたびょう)とは、有機水銀中毒に因る神経疾患。四肢の感覚障害・運動失調・言語障害・視野狭窄・震えなどを起こし、重症では死亡する。1953〜59年に水俣地方で、工場廃液に因る有機水銀に汚染した魚介類を食したことに因り集団的に発生。64年頃に新潟県阿賀野川流域でも同じ病気が発生(第二水俣病)。
※40−1:水銀中毒(すいぎんちゅうどく、mercury poisoning)は、水銀、又は無機・有機水銀化合物に因る中毒。無機水銀・金属水銀中毒は多くは慢性で、口内炎、震え、皮膚・腎臓の障害などを来すが、昇汞(じょうこう)は飲むと激しい急性消化管損傷・腎尿細管壊死(えし)・尿毒症を来して致死的。有機水銀中毒にはフェニル水銀中毒(農薬中毒)とメチル水銀中毒とが在り、後者は神経系を侵し水俣病として知られる症状を来す。
※40−2:公害(こうがい、public nuisance, pollution)とは、企業活動に因って地域住民の蒙る環境災害。煤煙・有毒ガスに因る大気汚染、排水・廃液に因る河川・地下水の汚濁、地下水の大量採取に因る地盤沈下、機械の騒音・振動・悪臭など。日本では高度経済成長を達成した1960年代中頃から問題が表面化した。
※40−3:公害裁判(こうがいさいばん、pollution litigation)は、公害を巡って、損害賠償や差止めを求める裁判。1960年代後半〜70年代前半に争われた熊本水俣病訴訟・新潟水俣病訴訟・富山イタイイタイ病訴訟・四日市喘息訴訟は、四大公害裁判と言われる。
※40−4:公害罪(こうがいざい)とは、事業活動に伴って人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命・身体に危険を及ぼす罪。行為者だけで無く会社等の法人も処罰の対象と成る。1970年に公害罪法を制定。
※41:環境(かんきょう)とは、
[1].surroundings。或る人間・社会集団を取り囲む状況。
[2].environment。生物の周りに在り、その生活機能に影響を与える外界の諸条件。水・空気や他の生物などの自然的なものの他、人為的なものも含まれる。
※41−1:環境破壊(かんきょうはかい、environmental destruction)とは、自然の復元力が損なわれた状態。特に人為に因って環境が変化し、その結果生物が正常な機能を果たし得ない状態を言う。
※41−2:エコロジー/生態学(せいたいがく、ecology)とは、生物と環境との関係や生物相互の関係に関する科学。対象とする生物集団に応じて、個生態学・個体群生態学・群集生態学・生態系生態学などに、又、対象とする場所に応じて、海洋生態学・森林生態学・都市生態学などに分れる。近年では生物群集と無機的環境との間に於ける物質の生産と消費との関係、即ち生態系の構造と機能とを物質代謝・エネルギー代謝の立場から解明しようとする研究が進んで来た。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※42:ウーマン・リブ(Women's Lib)は、(リブはliberationの略)女性に対する差別や不当な制約を無くそうとする女性の運動。女性解放運動。1970年代アメリカに始まる。
※42−1:フェミニズム(feminism)は、(femina[ラ]、女から)女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し組み替えようとする思想・運動。女性解放思想。女権拡張論。→ウーマン・リブ<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※43:オイル・ショック(oil shock)とは、1973年の第四次中東戦争の際、アラブ産油国がアメリカやオランダなどのイスラエル支持に対抗して原油の減産や値上げを行い、世界経済に大きな影響を及ぼしたこと(第一次)。78年のイラン革命に因る原油価格の急騰(第二次)。石油危機、石油ショック。
※43−1:トイレットペーパー・パニック(toilet-paper panic)とは、第一次石油危機の際、噂と憶測が先行し買い溜めが起こり諸物価が狂乱的に高騰 −狂乱物価と言われた− し、トイレットペーパーも買い溜めされ遂に市場から消えた現象。不安心理と付和雷同に因る恐慌の好例。
※43−2:パニック(panic)とは、[1].恐慌。
[2].(火事や地震などに遭った時に起る)群衆の混乱。個人の混乱状態にも言う。「―に陥る」。
※44:サミット(summit)は、(頂上の意)[1].1975年フランスの提唱に始まる主要先進国首脳会議。参加国は当初、米・英・仏・独・伊・日本の6ヵ国で、後カナダ・EU委員長・ロシアが加わって年1度開催され、国際通貨など共通の対外政策が広く討議される。最初提唱された背景には73〜74年の第一次石油危機の問題が有った。
[2].各方面の首脳会談。トップ会談。「環境―」。
※45:兎小屋(うさぎごや、rabbit hutch)とは、1979年のEC(欧州共同体)の非公式報告書の中で、日本人の狭い住居を形容した語。
※46:週休二日制(しゅうきゅうふつかせい)は、1週間に2日休日を確保する制度。一般には日曜日と土曜日だが、サービス業など曜日を土・日以外にシフトする業種も有る。週五日制。
補足すると、日本では1967年頃から隔週週休二日制が大手企業を中心に採用され始め、70年代中頃から大手企業で完全週休二日制に移行、80年代前半には中小企業にも完全週休二日制が行き亘り、1992年度からは国家公務員の完全週休二日制、2002年度からは公立学校の完全週五日制が実施されて居る。
※47:ファーストフード(fast food)は、(ファーストは「早い」の意)注文して直ぐ食べられ、又、持ち帰ることの出来る食品。ハンバーガー、フライドチキンなど。アメリカから始まる。日本では1971年のハンバーガーが最初。
※47−1:ハンバーグは、ハンバーグステーキの略。
ハンバーグステーキ(hamburg steak)とは、挽肉に刻んだ玉葱・パン粉・卵などを加え、平たい円形に纏めて焼いた料理。一説にドイツのハンブルクの名物、タルタル・ステーキの系統を引くことからの名とも。ジャーマン・ビーフステーキ。
補足すると、今の日本の食を席巻して仕舞ったハンバーグ・ブームは1971年に銀座に開店したマクドナルド・ハンバーガーから始まりました。
※48:コンビニとは、コンビニエンス・ストアの略。
コンビニエンス・ストア(convenience store)とは、食料品を中心にした小型セルフサービス店。適地立地・無休・深夜営業など便利さを特徴とする。日本では1971年頃に初めて出現し70年代末に全国に普及した。
※49:軽薄短小(けいはくたんしょう)とは、1983年に流行し、日本人の社会や生活の中で「軽くて、薄くて、短くて、小さい」物事、即ち半導体など先端的軽工業(=ハイテク産業)やサービス業、少数精鋭のベンチャー企業などが以後のトレンドとされた。同時にそれ以前の重工業中心の社会を「重厚長大」と呼んだ。←→重厚長大。
巷ではカルチャー・センターという名の各種の教養講座が開かれ、暇を持て余した主婦が軽々しく通うので「軽チャー」と呼ばれたのもこの頃。
※49−1:ハイテク(high-tech)とは、ハイテクノロジー(high technology)の略語。
ハイテクノロジー(high technology)は、高度な科学技術。先端技術。エレクトロニクス、メカトロニクス、バイオテクノロジー、新素材などの分野を指し、その製品をハイテク製品、産業をハイテク産業と言う。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※49−2:ベンチャー企業(―きぎょう、venture company)とは、創造力・開発力を基に、新製品・新技術や新しい業態などの新機軸を実施するベンチャービジネス(venture business)に果敢に挑む為に創設される中小企業。
※50:オタクとは、パソコンやファミコン、ビデオ、アニメなど一つの事にのめり込み、その世界の中に自分自身を全て投入して仕舞う人間。自分が入り込んだ世界から外部を眺めると全て客体化されて居る為に、友達に対しても「お宅は...」としか表現することが出来ない。その世界に於いて全ての事を知ろうとする知識欲には凄いものが有るが、それ以外に関しては殆ど無関心である。コラムニストの中森明夫が1984年に彼のコラムの中で名付けたものだが、一般的に成ったのは89年の連続幼女殺害事件の容疑者がアニメの中にのめり込んで居たことから言われる様に成った。おたく(お宅)。<出典:「最新日本語活用事典」>
※51:新人類(しんじんるい)とは、従来無かった新しい感性や価値観を持つ若い世代を異人種の様に言う語。1986年から広まった。
※51−1:ニュー・リッチ(new rich)とは、ファッションなどの外面と高級品志向で軽いライフスタイルの新金持ち層。1988年に流行。
※52:「朝シャン」とは、朝出掛ける前にシャンプーすること。資生堂のコマーシャル“朝のシャンプー”というフレーズが高校生の間で簡略化されたもので、1987年に流行。モーニング・シャンプー。当時の女子高校生は、朝食を抜いても朝シャンはすると言われた。又87年の夏、関東地方の水不足事態では東京都水道局が異例の「朝シャン」自粛を呼び掛けた。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
補足すると、朝から人前でシャンプーの香りを発散させたいという外面志向は軽薄な”浮遊層”の特徴で潔癖症の芽生えと見做せます。この頃、朝シャン機能付き洗面台が良く売れました。
※52−1:潔癖症(けっぺきしょう、neat paranoiac)とは、強迫神経症の一種で、或る物事に過度の不潔感を感じ気が済まない、とか強迫感を覚える症状。自分の手を不潔に感じ何度も洗う、電車やバスの吊革を不潔に感じ掴めない、他人が箸を入れる鍋料理を食べられない、など。不潔恐怖症。
※52−2:強迫神経症(きょうはくしんけいしょう、obsessive-compulsive neurosis)とは、不合理だと自分にも分かる観念や行為が自己の意思に反して現れ、これに不快な感情や強迫感を持つ一種の神経症。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※53:地上げ/地揚げ(じあげ)は、居住者や利用者を強引に立ち退かせ、細かい土地を纏めて、広い更地(さらち)を確保し地価を吊り上げること。「―屋」。1986年から横行しバブル景気の推進力に成った。
※53−1:「土地転がし」とは、関係者の間で土地の転売を繰り返し、値段を吊り上げて利益を得ること。バブル景気時に横行。
※54:「懲りない××」は、安部譲二著の務所体験本「塀の中の懲りない面々」に拠る。「塀の中」とは刑務所内のことで、所内の人間が失敗しても懲りずに欲ボケから又同じ失敗を繰り返す姿を諷刺したもの。1987年の発売と共に「塀の中」や「懲りない××」というフレーズが流行。
※55:財テク(ざい―)とは、「ハイテクノロジー(high technology)」を捩(もじ)って造語された財務テクノロジーの略。企業や個人が証券や不動産に投資するなどして、資金の効率的な運用を図ること。1986年に流行し、財テク・ブームを引き起こした。
※56:ブラック・マンデー(Black Monday)とは、(1929年の世界恐慌が木曜日に起こりブラック・サーズデー(Black Thursday)と呼んだのに対する言葉)1987年10月19日(月曜日)にニューヨークで起こった株価の大暴落。その影響は世界の主要証券取引所にも波及し、株価大暴落を招いた。「暗黒の月曜日」と命名。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※57:双子の赤字(ふたごのあかじ、twin deficits)とは、1980年代のアメリカで拡大した財政赤字と貿易赤字。レーガン政権下(1981〜89年)で増加した財政赤字が高金利とドル安を齎し、その結果貿易赤字が拡大した。
※58:「3K(さんケー)」とは、「きつい、汚い、危険」を伴う労働内容を指し、そのローマ字表記”kitsui,kitanai,kiken”の頭文字の3つの "K" を指す。1989年に流行。この頃は外国人労働者が急増した時期でした。
※59:不法就労者(ふほうしゅうろうしゃ)は、出入国管理及び難民認定法に違反して就労して居る外国人。在留期間の過ぎた不法残留の就労者と、就労資格の無い資格外就労者とが在る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※60:アメリッポン(Amerippon)とは、アメリカのブレジンスキー教授の言う「アメリカとニッポンの間の新しい連帯関係」のこと。意味は
Amerippon = America + Nippon
で、21世紀に掛けての国際的な秩序と安定を約束する中枢的な地政学的戦略関係。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
補足すると、1988年の氏の論文で初めて使われ、「新しい連帯関係」の実態は日米安保条約が規定する日米二国間の”主従関係”、即ち「米主日従」をより具体的に述べたもので「軍事大国アメリカが世界戦略を主導するので経済大国日本は経済で貢献し軍事費を負担せよ」という内容です。つまり「アメリッポン」とは「日本人は貧乏を甘受しアメリカ人の為に働け!」をジョークで表現した言葉です。
※61:バブル景気(―けいき)とは、1986〜91年上半期の、円高に支えられた「カネ余り」が株・債券、土地の資産価格の高騰を生み出した、投機的な実態経済と懸け離れた相場が引っ張った景気。当時は「超大型景気」と呼ばれたが、実態を伴なわない景気は90年の「バブル経済」という流行語を生み出し、遂に91年下半期に”泡”の様に弾け「バブル崩壊」を引き起こし、以後は「バブル景気」と呼ばれた。結局「伊弉諾景気」を超えることは出来ず、逆に「不良債権」という”負の遺産”を残した。
※62:ファジー(fuzzy)とは、(毳(けば)の様な、の意)人間の知覚・感情・判断に伴う曖昧(あいまい)さ。
補足すると、この曖昧さを工学や社会学や経営工学に応用したのがファジー理論で、日本では1980年代後半に導入され、1990年には「ファジー」という言葉が流行語にも成った。
※63:湾岸戦争(わんがんせんそう、Gulf War)は、1990年8月のイラクのクウェート侵攻に端を発し、翌91年1月17日から約40日間、イラク軍と米軍中心の多国籍軍との間で行われた戦争。イラクの敗北で3月3日停戦協定に調印。
※64:「驕る平家は久しからず」は、(平家物語の書出しに「驕れる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし」と、平家の衰亡を予言した文から)栄華を極めて勝手な振舞をする人は長くその身を保つことが出来ない。
※65:「...じゃあ〜りませんか」は、吉本興業のチャーリー浜が30年間使い続けて来たギャグで、1991年に突然流行語に。しかし露出過多と余りのワンパターンさに直ぐに飽きられ、逆にチャーリー浜がテレビから姿を消す結果と成りました。この辺がテレビの怖さです。
※66:複合不況(ふくごうふきょう)は、宮崎義一著の「複合不況」に拠る。バブル後の不況は、単に在来型の有効需要不足が原因では無く、在庫や設備調整などの循環的要素にバブルの後遺症が重層的に複合・連動した結果だ、とするのが宮崎説である。氏はバブル崩壊は「ストックの調整過程」であると説く。1992年の流行語。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※66−1:構造不況(こうぞうふきょう、structural depression)とは、循環的な不況では無く経済自体の構造、或いは経済環境の構造に原因を持つ不況。経済学上の厳密な定義は無い。構造的不況。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※67:リストラは、リストラクチュアリング(restructuring)の略。
リストラクチュアリング(restructuring)は、(再構築、再構成の意)〔経〕
[1].短期債務を長期債務で置き換える債務の再構成。
[2].企業の買収・合併、不採算部門の整理・人員削減などの手段に依って事業内容を再編成し、経営体質の強化を図ること。リストラ。
補足すると、不採算部門の整理・人員削減は嘗ての「合理化」と同じ。我が国に於いては1980年代後半から「経営体質の再構築と強化」という本来の意味で使われ始めましたが、バブル崩壊後の92年以降に「首切り」「追い出し」の意味で定着し、「リストラされた」などと使われ流行語にも成りました。流行った理由は、横文字の”カタカナ語”が持つソフトで曖昧な印象が”首切り隠し”に一定程度役立った為ですが、流石に2000年代に入ると「リストラ=首切り」は子供でも知って居ます。
※68:ニュー・プア(new poor)とは、擬似貧乏。そこそこの生活水準を維持して居るが、生活にゆとりが有る訳で無く、逆に苦しく成って来ているという相対的貧乏感。1992年頃から流行。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※68−1:フリーターとは、free[英] Arbeiter[独] の略で和製合成語。定職に就かず、アルバイトを続けることで生計を立てる人。バブル崩壊後の不況の中で1992年頃から社会現象化。
※68−2:ニート(NEET, Not in Education, Employment or Training の略語)とは、
[1].元々は1999年イギリス内閣府調査報告書の中で「教育を受けず労働も職業訓練もして居ない若年層」を指す語として使われたのが最初で、日本では若年無業者の意味で2004年頃から使われた。フリーターが一応アルバイトで就労して居るのに対し、ニートは学習及び就業意欲の無い者と解釈される場合が多い。
[2].転じて、遣る気の無い無気力人間を広く指す。<出典:「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」>
補足すると、ニートにオタクが多いのは、ニートの親が初代オタクだからで、没社会的消極性に共通点が見出されます。若くして働く意欲が無いのは甘えに起因する自閉症で、精神病の症状の一つです。
※69:モツ鍋(―なべ)は、(「もつ」は臓物の略)牛などの臓物を野菜と一緒に味噌で煮込んだ鍋料理。博多名物。
補足すると、安い「モツ鍋」はバブル崩壊後の1992年から10年間以上全国で流行。
※70:金融ビッグバン(きんゆう―、financial big bang)とは、1986年イギリスが実施した証券制度の大改革。宇宙創世の際の大爆発に擬えてサッチャー首相が命名。
これに倣って、1996年に橋本首相が発表した「わが国金融システムの改革 2001年東京市場の再生に向けて」に沿って、2001年迄に実現しようとする日本の金融制度の構造的改革を「日本版金融ビッグバン」(Japanese version of financial big bang)と言う。その骨子は銀行・証券・保険の相互参入や金融持株会社の解禁に依る自由化と、競争の促進に依るコスト削減です。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※71:ヘッジ・ファンド(hedge fund)とは、銀行からの借入に依り、元本の何倍〜何10倍、時には何100倍ものレバレッジ(てこ効果)を利かせ、運用先も世界中の為替・株式・債券市場に及び、特にデリバティブ(金融派生商品)を駆使して投機的に集中投資を行うハイリスク・ハイリターンのマネーゲーマー。IMFの調査では97年第三・四半期でのヘッジ・ファンドの取り扱う投資資金は1000億ドルに近い。ヘッジは「生け垣」という意で、元来は損失防止措置を表している。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
補足すると、コンピュータに組み込まれたマクロ経済の公式に従い”瞬時に自動的に”売買のタイミングを決め決済して仕舞うのが特徴。「公式」の基に成っているのは、1997年度ノーベル経済学賞受賞者のハーヴァード大学ロバート・マートン教授やスタンフォード大学マイロン・ショールズ教授らが”科学的”に構築した数式です。しかしこの2人を雇い入れ「最強のヘッジ・ファンド」と羨望を集めたLTCM社は、古典的経済学で分析可能な”ロシアのバブル破綻”を予測出来ず、98年夏に破産し”現代経済学の脆弱性”を露呈させました。
※71−1:デリバティブ(derivative financial instruments)とは、債券/株式など本来の金融商品から派生した金融商品。先物取引/オプション取引/スワップ取引などが在る。金融派生商品。
※71−2:アジア金融危機(―きんゆうきき、financial crisis in Asia)は、1997年のタイのバーツ減価を導いた国際金融市場の圧力はマレーシア、フィリピン、インドネシア、韓国へと波及して行き、結果的にタイ、韓国、インドネシアがIMFから支援を受ける形に追い込まれた経済危機で、急激に成長したアジア新興諸国の”構造的脆弱性”を露呈させる結果に成りました。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
補足すると、「国際金融市場の圧力」の裏に、主に米国に拠点を置くヘッジ・ファンドの為替相場での暗躍が有った、と私は見て居ます。その手法は正にギャンブル的なマネーゲームで、90年代末期のアメリカのバブル的な株高を誘発し、実態経済を空洞化(=真面目に働くのがバカらしい)させました。
※71−3:マネーゲーム(money game)とは、(和製英語)高金利・高配当を狙って投機的に行う投資や資金の運用。
※72:公的資金(こうてきしきん、public fund)とは、金融システムの安定化と預金者の保護の為に、政府が預金保険機構内に用意する金融早期健全化勘定の資金。破綻金融機関の損失補填や資本注入の原資に使われる。1999年には大手銀行15行に約7兆5,000億円を投入。全体で約25兆円が計上された。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
補足すると、資金源は我々の税金です。「公的資金」「損失補填」という言葉は1991年以降の流行語に成りました。
※73:貸し渋り(かししぶり)とは、金融機関が融資基準・融資条件を厳しくした結果、健全な企業迄が必要な資金を調達出来なく成ることを「貸し渋り」と言う。1998年の流行語。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※74:「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは、スカートの下にパンティを着けて無いコンパニオンがお酌をする、しゃぶしゃぶ店。略称はパンしゃぶ。80年代から既に存在し「ノーパン焼肉」を兼ねる店も多い。ノーパン喫茶を起源とし、所謂コスプレ系飲食店の一種と見做すことも出来る。
特に大蔵官僚の接待に使われ1998年に検察の手入れを受けた新宿の「楼欄」が有名で、表向きは風俗店では無く領収書が有効な飲食店(しかも料亭よりも安い)だったことが企業・官僚に重宝された理由。<出典:「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」>
※74−1:メイド喫茶(―きっさ、maid cafe)とは、オタク系コスプレ喫茶の一つ。電気街のメッカとして知られる秋葉原はファミコンの普及と共に1980年代中頃から家庭用テレビゲームの発売地としてゲームオタクの溜まり場に変貌、99年頃からゲーマーズ・カフェが出現し、その中から2002年に最初のメイド喫茶が出現。ヨーロッパの女中(maid)風の服に内向的なオタクたちが癒しを求めブームに成った。直訳すると女中喫茶。
※74−2:コスプレとは、コスチューム・プレー(costume play)の略語。略称のコスプレは以下の[2][3]の意味に使われる。
※74−3:コスチューム・プレー(costume play)とは、[1].(その時代の衣装を着て演じる衣装劇が原意)時代劇。
[2].日本では、性風俗産業の新商売の一つで、店の女性に色々な衣装を着せて客を楽しませること。この種の店としてコスプレ・マッサージや性感マッサージ、コスプレ・キャバクラ、コスプレ焼肉(「ノーパンしゃぶしゃぶ」も含む)など。
[3].又1980年代からはオタク産業としてマンガやテレビゲームのキャラクターの仮装などが登場。この種の店としてゲーマーズ・カフェやメイド喫茶など。
<出典:一部「現代用語の基礎知識(1999年版と2004年版)」より>
※y:「限りなく×××に近い[○○○]」は、(私は時々この表現を使いますが)村上龍の小説『限りなく透明に近いブルー』の小説のタイトルのパロディーであり、小説の内容には一切無関係です。
※75:ミレニアム(millennium)は、1000年間。千年紀。2000年〜2999年は新たな千年紀で2000年1月1日がその始まりの日に成る。1999年〜2000年に流行語化した。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※76:ヤラセ/遣らせ(prearranged performances)とは、事前に打ち合わせて自然な振舞いらしく行わせること。又、その行為や演出。
補足すると、日本のテレビ界は特にカラーテレビの普及以後、極端に「面白可笑しく、過激に、単純化」して見せることで視聴者を獲得して来ましたが、やがて過剰な演出や虚偽の演出へとエスカレートして行き、「報道の公正さ」に対する感覚のマヒ(麻痺) −テレビ業界人と視聴者双方の感覚のマヒ− を発症しました。その結果、スポーツが”見世物”に堕落し単純化や虚偽の番組が横行して居ます。この問題でも「ヤラセをした方が視聴率が上がる」という”衆愚”の実態を見て取ることが出来ます。
※77:ワーキング・プア(working poor)とは、正規雇用に就いて居るにも拘わらず、低賃金や養育費の支払いなどの為に生活保護の水準以下の生活を強いられて居る階層。2006年に流行。
※77−1:「働けど働けど猶我が生活楽に成らざり」は、石川啄木の歌集『一握の砂』のなかの「我を愛する歌」の中の次の歌の一節です。
はたらけど はたらけど 猶わが生活(くらし) 楽にならざり
ぢっと手を見る
※78:年金(ねんきん、pension, annuity)は、年を標準として定めた金額を定期的に給付する制度の下で、支払われる金銭。老齢・障害・死亡などに因り失う所得の保障を目的とする。制度の性格に依り公的年金・私的年金に分け、給付事由に依り老齢年金・障害年金・遺族年金などに大別。
※79:「成長の限界」とは、元々はローマクラブが1972年に刊行した最初の報告書の題名で、主著者はMITのD.H.メドウズ。その内容は「この儘人口増加や環境破壊が続けば、資源の枯渇や環境の悪化に因り100年以内に人類の成長は限界に達すると警鐘を鳴らして居り、破局を回避する為には、地球が無限であるという前提に立った従来の経済の在り方を見直し、世界的な均衡を目指す必要が有る」というもの。
※79−1:ローマクラブ(Club of Rome)とは、1968年にローマで初会合を開き結成した科学者/経済学者/教育者/経営者などの民間研究組織。特に環境汚染/人口増加などの面から人類の生存の危機に警告を発し、以後南北問題などに活動。
※80:退化(たいか)とは、[1].(regression)進歩して居たものが、その進歩以前の状態に立ち返ること。←→進化。
[2].(degeneration)生物体の或る器官・組織が、進化並びに個体発生の途上で次第に衰退・縮小すること。退行。「―器官」。
※xxx:IT/ITとは、(information technology の略で「情報技術」の意)
"information technology" という言葉は旧来から使われて来たが、「IT」という略語は旧態の情報技術には用いない(←旧態は、大衆的情報伝達が一方向的で相互交信は特定機関や業者間に限定されて居た)。コンピュータの高性能化・低価格化と通信の大容量化・高速化を基礎に、95年のWindows95と共に急普及したインターネットに依る情報通信の大衆化を受けて登場した、ビジュアルで会話的で大衆参加を特徴とする1995年以後の大衆参加型情報通信技術を指す語。特に旧態の部門毎の垣根を飛び越えて、企業間のみならず個人でも直接交渉(取引)・直接投書(投票)が可能と成り、産業や行政の構造改革を迫る技術革新として捉えられて居る。「―業界」「―革命」「―バブル」。
※xxx−1:IT革命(―かくめい、information technology revolution)とは、ITの技術革新性を誇張して言ったもの。日本国内で2000年に流行語化したが、外国ではIT革新/ITイノベーション(information technology innovation)と言う。
※xxx−2:ITバブル(IT bubble)とは、1995年のインターネット普及に始まる情報通信の大衆化に伴い、IT関連企業の急成長(←機に乗じた新興企業が多かった)に依ってITブームが起きバブル経済化したが、強引な過剰設備投資で過剰在庫を抱え、2001年末のエンロン社、02年夏のワードコム社の倒産で敢え無く崩壊。ブーム最中は「ITの進化は際限無き経済成長を可能にする」という能天気なニューエコノミー論が持て囃されたが、甘い幻想に終わった。<出典:一部「現代用語の基礎知識(2004年版)」より>
補足すると、破綻したITバブル企業は総じて”虚業”的体質が強く、経営も傲慢で粉飾決算や株価操作などが目立ち、モラルに問題有りでした。
※yyy:ホワイトカラー(white-collar)は、(筋肉労働者/肉体労働者に対し、白襟の服を着て事務所で働く人を言う)事務労働者。サラリーマン。←→ブルーカラー。
補足すると、サラリーマンは頭を使う事を期待されて無い「体(てい)の良い肉体労働者」という説も有ります。
※yyy−1:ホワイトカラー・エグゼンプション(white-collar exemption)とは、2006年の第1次安倍内閣で出て来た言葉で、要は「知能労働の成果報酬」という意味です。即ち、成果が上がらなければ何時間働いても報酬はゼロ、逆に成果が短時間で上がればそのコスト・パフォーマンス(cost performance)は高く成果に見合った報酬が得られるシステムで、人間の能力を報酬に反映させた制度。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『共同幻想論』(吉本隆明著、角川文庫)。
△2:『図説 日本のマス・コミュニケーション』(藤竹暁・山本明編、NHKブックス)。
△x:『定訳 菊と刀』(ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳、現代教養文庫)。
△3:『財テク幻想論』(青木雄二著、河出文庫)。
△4:『複合不況』(宮崎義一著、中公新書)。
△5:『「甘え」の構造』(土居健郎著、弘文堂)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):先見性は当サイトのコンセプトの一つ▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
@参照ページ(Reference-Page):阪神淡路大震災について▼
資料−地震の用語集(Glossary of Earthquake)
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デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)
@補完ページ(Complementary):「1964年分水嶺説」の初出▼
ぶらり浅草(Drift in and trip out Asakusa, Tokyo)
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懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
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