−− 2007.05.17 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2007.12.18 改訂
■はじめに − ピカソ盗まれるのニュース
[2006年・海外の話題#1]に於いて、04年8月に盗まれたムンクの『叫び』と『マドンナ』が06年8月に2年振りに発見された経緯を話題にしましたが、今度はパブロ・ピカソ(※1)の絵が盗まれたというニュースが飛び込んで来ました。
日本やアジア諸国では相変わらず鳥インフルエンザが流行して居る様ですが、これは[2004年・海外の話題#2]で殆ど書き尽くし目新しい状況の変化は無いので、絵画の話題を採り上げることにします。
■興味を引かれた盗難絵画と犯行手口
2月28日のネットニュースに拠ると、2月26日夜から27日未明に掛けて、パリ中心部7区のピカソの孫娘(=ディアナ.W.ピカソ)の自宅マンションから、ピカソ作の『人形を抱くマヤ』(マヤはディアナの母)と『ジャクリーヌ』の油絵2点とデッサン1点が何者かに盗まれました。パリ警察は、犯行当時ディアナのマンションには2人の家人が居たが、2人共寝ていて犯人は音も無く忍び込み家人に気付かれること無く犯行を終え、犯人がどの様に室内に侵入出来たかは依然謎である、と発表しました。盗まれた2点の油絵だけで5千万ユーロ(約80億円)の被害額に成るそうです。
私は被害額には関心無しですが、盗まれた絵画と犯行手口には大いに関心が有ります。先ず盗まれた『人形を抱くマヤ』(1938年作)はピカソが自分の娘マヤ(又はマイア)を描いた油絵、『ジャクリーヌ』(1961年作)はピカソの2番目の妻ジャクリーヌの肖像を描いた油絵です。これらの絵画は何れも壁に掛けられて居て、犯人(或いは犯行グループ)は防犯システムを掻い潜り、前者は額縁ごと、後者は額縁から絵だけを外して持ち去った、という見事な犯行手口です。丸で怪盗ルパン(※2)か怪人二十面相(※3、※3−1)の様です。そうなるとホームズ(※2−2)や明智小五郎(※3)の様な名探偵の登場が望まれる所ですが、探偵小説の様には都合好く運びません。そこで”迷探偵”エルニーニョで我慢して貰いましょう。以下は”迷探偵”の”迷推理”です。
■何か引っ掛かる物 − ”迷探偵”エルニーニョの”迷推理”
私はこのニュースを知って、「何か引っ掛かる物」を感じましたね。しかし何が引っ掛かっているのか?、は直ぐには解らなかったので盗まれた絵のことを少し調べてみました。但し、私は3月〜6月はドイツや大連に行ったり国内を旅したりで忙しく、7月に入って漸く”探偵”の仕事が出来た次第です。
(1)盗まれた油絵2作が描かれた背景
巨匠パブロ・ピカソ(以下パブロと記す)は芸術に於いて自由と反骨を貫きましたが、女性関係でも自由奔放でした。スペインのマラガ生まれで生来マホ的(※4)なパブロは「女が傍に居ないとダメな性質(たち)」ですが同時に「女に飽き易い性質」です。彼の幾多のスタイルの変容は崇拝するミューズ(=9人の芸術の女神、※5)の取り替えの賜で(→詳細は【参考文献】△1をお読み下さい)、それは”スペインの血”と言えるかも知れません。
1900年にフランスに出て制作を続けたパブロは1918年夏(36歳)に第1番目の妻オルガ・コクローヴァ −結婚前のオルガはあのセルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団のバレリーナ(※6、※6−1)でしたが、踊りの上手さよりも金持ちの娘という境遇を買われてのもの− と結婚します。パブロがオルガと知り合う切っ掛けを齎したのは”山師的多芸多才”のジャン・コクトー(※7)でした。そう言えばコクトーには『山師トマ』などという小説が在りました。
++++ ピカソとコクトーの生涯交流 ++++
新作バレエ『パラード(Parade)』の台本を書き上げたコクトーはバレエ界の革命児にして同性愛者ディアギレフのロシア・バレエ団での上演を実現する為に、1916年に音楽を斜に構える奇才エリック・サティに、舞台美術をキュビスム(※1−1)の旗手パブロ・ピカソに担当させたのが縁でした。翌17年5月の初演は奇抜な筋書と演出に未来派騒音音楽の先駆を成す楽曲を加えて、観客をして「人を馬鹿にするにも程が有る」と怒らせた程の前衛的なスキャンダルを巻き起こし(△2のp218)、正に「奇人変人たちの”狂演”」(=とんでもない共演)と呼ぶに相応しい新精神=エスプリ・ヌーヴォー(esprit nouveau)に溢れた内容でした(△3のp84)。
これを機にパブロは以後何度か同バレエ団の舞台美術を担当しますが、何と言ってもコクトーとの生涯続く交流が始まった事はパブロにとって最重要です。コクトーはパブロが「9人の女神」(※5、△1)を追い捲る姿を「ピカソに捧げるオード」という詩に留めて居ます(△2のp33)。
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パブロは21年に長男パオロ −唯一人の嫡子だが、父パブロからは”無能”扱いされ運転手をさせられて居た− を儲けますが、盗まれた『人形を抱くマヤ』のマヤはパブロの娘ですがオルガの娘では無いのです。では母は誰か?
貴族趣味で口煩くヒステリックなオルガとは数年で不仲に成り、結婚10年目の1928年には17歳のモデル嬢マリー・テレーズ・ワルテル(スイス人)と出会い、彼女の中に新たな芸術的霊感を喚起する光明を見出したパブロ −芸術家には良く有る話で、この場合マリーが女神− は、初めはオルガに隠れて囲って居ましたが、32年頃から公然とマリーと同棲を開始し −『鏡の前の少女』(1932年作)のモデルがマリー− 35年にマリーに産ませた庶子がマヤなのです。従って盗まれた絵に描かれたのは3歳のマヤという事に成ります。この絵の前年には代表作『ゲルニカ』(1937年作、※1−2)が完成して居ますので、パブロ絶頂期の作と言えるでしょう。この頃パブロがマヤをモデルにした油絵・素描・写真などが数多く残されて居ます。
[ちょっと一言] 因みに、パブロに政治的な主題の『ゲルニカ』を描かせた女神はドラ・マール(←これはフランス風の呼び名で本名はアンリエット・テオドラ・マルコヴィッチ、セルビア人)という知性溢れる女流写真家兼画家で、『ゲルニカ』の迫力にはマリーとドラの”取っ組み合い”の闘いが大いに寄与して居ます(△1のp167)。有名な『泣く女』(1937年作)のモデルがドラで、パブロが後(=1944年)に共産党員に成る切っ掛けを齎した人物です。
正妻オルガはマリーの妊娠を知って離婚を迫りましたが、パブロは遺産分けを嫌ってオルガと離婚せず −スペイン内戦(※1−3)が始まり手続きが出来なく成った所為も有る− オルガと生き残り競争を演じました。1955年にオルガが先に癌で亡くなりますが、パブロはその間にマリーやドラに代わる女神として画学生フランソワーズ・ジロー(フランス人)を得てクロードとパロマという庶子を産ませて居ます(パロマが生まれた時はパブロは何と68歳!)。しかし、その後フランソワーズとも亀裂が生じ彼女は1953年には他の若い画家の元へ走り去りますが、去る直前の相談相手はマヤでした(△1のp209)。フランソワーズは後にパブロとの生活を綴った手記を出版して居ます(△4)。
そしてフランソワーズと入れ替わりに現れた女神は南仏ヴァロリスの陶器工房の経営者夫人の従妹ジャクリーヌ・ロック(所謂「×一(バツイチ)」で子連れの未亡人、フランス人)です。パブロは1947年頃から陶芸に嵌まり、以来度々この陶器工房を訪れて居たので52年からこの陶器工房で働いて居たジャクリーヌ(当時26歳)とは顔見知りでした。彼女はパブロを「太陽」として崇め身内でも誰でも”パブロの城”を外界の喧騒から遮断し制作に没頭させました(△5のp10)。前妻オルガとの生き残り競争に勝ち晴れて”独身”に成ったパブロは逃げたフランソワーズへの仕返しの為に、既に54年から同棲して居たジャクリーヌを2番目の正妻としたのが1961年(パブロ80歳、ジャクリーヌ35歳)でした。盗まれた『ジャクリーヌ』は彼女と結婚直後に制作された絵です。ジャクリーヌは老境に入ったパブロから時折マミー(=お母さん)と呼ばれ(△1のp9)、母性へ回帰したパブロの最後の寄港地に成りました。
(2)油絵2作を結ぶ”奇妙な因縁”
こうしてパブロ・ピカソは凡そ芸術家として最高の名声を欲しい儘にした頂点の1973年に91歳で永眠 −葬儀は”無能”な嫡男パオロが一切を取り仕切った(△1のp233)− しました。その生涯は正に「女を芸の肥やしにしたオットセイ人生」(※8)と言え「英雄色を好む」を立証して見せました。しかし英雄とは往々にして暴君であり、周囲は暴君への忠誠と服従を強いられる(△5のp18)のも世の常で、
パブロの死後に『人形を抱くマヤ』のマヤの母親マリー・テレーズは4年後の1977年に首吊り自殺、『ジャクリーヌ』のモデルに成った2番目の妻ジャクリーヌ・ロックは目論見通り莫大な遺産を相続したにも拘わらず1986年にピストル自殺した。
のです。私が「何か引っ掛かる物」と感じたのはこれでした。盗まれた油絵2点は「モデル又はその母親が自殺した」という”奇妙な因縁”で結ばれて居たのです。
(3)”迷探偵”の”迷推理”
盗まれた油絵2作の油絵は画集にも載っていて世間に知られて居るので、盗んだ絵をオークション(※9)などの「公の場」で売って現金化することは不可能です。即ちカネ(金)目当ての犯行では無いでしょう。尤も美術マニアの大富豪の「私的な場」に於いて密かに現金化する道は残されて居ますが。
鮮やかな密室的犯行の手口と、この”奇妙な因縁”とを考え合わせると、”迷探偵”として私は犯人側は最初からこの油絵2作をセットで狙っていたのではないか?、と勘繰りたく成りますね。更に本当に犯人は居たのか?、という推理も成り立ちますが、今は何とも言えません。
{この章は07年7月14日に最終更新しました。}
■盗難に遭ったパブロ・ピカソの孫娘とは
パブロに気に入られ『人形を抱くマヤ』のモデルに成ったマヤ・ピカソは、偉大な父の姓と自殺した母マリーの悲劇を背負って成長し、ピエール・ウィドマイエール氏と結婚後オリヴィエ/リシャール/ディアナの3人の子供を産みました。今回盗難に遭ったのが、パブロ・ピカソの孫娘にしてマヤの末娘のディアナ・ウィドマイエール・ピカソで、ディアナは2005年に『Art can only be erotic』という本を出版して美術界で活躍して居る人です。ディアナにしてみれば実母マヤの幼い頃の面影が一世を風靡したキュビスム(※1−1)の手法で定着されて居る絵が盗まれたことは、大きな悔いと悲しみに違い有りません。
一方ジャクリーヌ・ロックにはパブロとの間に子は居ませんでしたが、前夫との間の娘キャシー(本名はカトリーヌ・ユタン)がジャクリーヌ自殺後のパブロの遺品を相続したものと思われ、2004年には日本で「ジャクリーヌ・コレクション」と銘打ったピカソ展が開かれました。
{この章は07年7月14日に追加}
■結び − 美術品の流通ルートの不思議
この様に有名画家や有名作品の美術品の盗難の場合は簡単に売却するのが難しかろう、とシロウト(素人)の私は考えて仕舞います。そこで何時も引っ掛かるのが犯行の目的や動機です。一体何の為に?、という疑問が付き纏う場合が多いのです。04年のムンク盗難事件でもそうです。私が「何か引っ掛かる物」と言ったのはそれも含みます。私の”迷推理”は結局犯人の目的や動機に迫ろうという試みです。
それにしても美術品の取引や流通の世界はシロウトには解り難い部分が多いですね、何かクロウト(玄人)だけの別の世界が在る様な気にさせられます。クロウトの世界の中で美術商とブローカー(※10)の境界は極めて曖昧且つ重なり合い、盗難されて世間から消えた有名絵画が熱(ほとぼり)が冷めた頃に、”美術商”を名乗るブローカーや政界のフィクサー(※11)を仲介して平然とこの世に復帰したりします。こういう場面をニュースで見たりすると美術品の場合、窃盗も流通ルートの一部の様な幻想に困惑させられます。事実、盗難美術品のブラック・マーケット(※12)の存在が実(まこと)しやかに話題や噂に登ったりします。
日本もバブル景気華やかなりし頃は”土地転がし”と同様に投機目的の”美術品転がし”が流行り、この手のアンダーグラウンドな人々がお天道様の下に顔を曝してメディアに登場したりしたのを覚えている方も多いでしょう。が、所詮は枯葉の下に棲息するゲジゲジ同様に日の当たる場所に這い出て来たら、お天道様の光線は眩しく結局再び腐食土の下に潜って行きましたが。
>>>■その後
●07年8月に盗難絵画戻り、犯人も逮捕
私は07年の夏は旅行したりトンボを追い駆けたり秋口には中耳炎を患ったりで、ピカソ盗難事件をすっかり忘れて居ました。そして例年の事ですが、年末に[海外の話題]に記した内容の続報や新展開や問題の解決などをチェックします。そうしたら本件に関しては8月に一応犯人が逮捕され問題は一件落着して居ました。
07年8月8日のAFP通信に拠れば、2月に盗まれたパブロ・ピカソの作品3点を所持していた3人組を8月7日に身柄拘束し事情聴取を行って居る、とのことです。見付かったのは油絵『人形を抱くマヤ』、油絵『ジャクリーヌ』、及び『21歳のマリー・テレーズ』と題されたデッサンの計3点、ということで2月に盗まれた3点に間違い有りません。犯人逮捕の切っ掛けは仏警察内の芸術品盗難を専門とするチームに美術関係者から通報が有り、重要犯罪を扱う内務省の特別捜査チームも捜査に協力し功を奏した様です。気になる作品の状態は良好ということで、私も一安心しました。
そして8月9日の同じくAFP通信では、逮捕された3人組は作品を市場の価格より遥かに低い価格で売却しようとして居た事が解りました。仏警察の捜査チームは7日朝パリの高級住宅地である16区で、3人組が買い手と取引を進めるべく準備して居る所を逮捕したそうで、驚く勿れ買い手も又窃盗犯だとか、いやはや。
「買い手も窃盗犯」とは、このページの「結び」の章で私が図らずも示唆した盗難美術品のブラック・マーケットが現に存在するということです。そう成ると美術関係者から通報とは、ブラック・マーケットで暗躍する”同じ穴の狢”からのタレコミ(=密告)という可能性が高いですね、売買の過程でトラブルでも有ったのでしょうか?!
しかし、それにも増して私が驚いたのは、このページの本文を書く時には題名が判らなかったデッサンの作品が『21歳のマリー・テレーズ』だった事です。マリー21歳と言うと1932年頃でピカソがモデル嬢のマリーと同棲し始めた時です。私が「何か引っ掛かる物」と感じ、その理由を盗まれた油絵2点は「モデル又はその母親が自殺した」という”奇妙な因縁”で結ばれて居たと本文の中で記しましたが、マリー・テレーズこそは盗まれた油絵の『人形を抱くマヤ』のモデル(=マヤ)の母親にして”自殺を遂げた当人”です!!
{この章は07年12月18日に追加}
【脚注】
※1:ピカソ(Pablo Picasso)は、スペインの画家(1881.10.25〜1973.4.8)。フランスに定住。その作風は「青の時代」(1901〜04年)、「赤の時代(バラ色の時代)」(05〜06年)の古典調から、キュビスム(立体派)を創始(09〜16年)、新古典主義(20〜25年)・超現実派・抽象派(26〜36年)、表現派(37年以降)など変転を極め、非凡な天分を以て常に斬新な境地を開拓。版画・彫刻・陶器も作る。作「アヴィニョンの娘たち」「ゲルニカ」など。
尚、リュイス(Ruiz)は父の姓、ピカソ(Picasso)は母の姓です。最初はパブロ・リュイス・イ・ピカソと父母の姓を並列して居ましたが、貧乏な絵職人の父を嫌ってかパリに出た頃(1900年)からパブロ・ピカソと母の姓のみを自称しました。
※1−1:キュビスム(cubisme[仏])、キュービズム(cubism[英])とは、(cube[仏、英]、立方体から)20世紀初めフランスに興った美術運動。物体を球体・円錐形・円筒形の基本的形態に分解し、それを点・線・面で幾何学的に再構成した。ピカソ/ブラック/グリスらに始まり、レジェ/フレネエ/ドローネーらを含み、詩人アポリネールが総合的に推進した。抽象芸術だけで無く近代絵画・彫刻・工芸全体に影響を及ぼす。立体派。
※1−2:ゲルニカ(Guernica[スペ])は、[1].バスク地方の町の名。スペイン内戦に於いて1937年4月フランコ軍を支援するドイツ空軍の爆撃に因り破壊され市民多数が死亡。
[2].ゲルニカ爆撃に衝撃を受けて描いたピカソの代表的絵画作品。戦争の惨禍をテーマにした大作壁画。1937年作。
※1−3:スペイン内戦(―ないせん、Spanish Civil War)とは、1936年7月スペインの人民戦線(共和国)政府とドイツ/イタリア両国の支援を受けたフランコ将軍派との間に起った内戦。2年8ヵ月余を経て、39年3月後者の勝利に帰した。スペイン内乱。
補足すると、フランコを支援したドイツはヒトラーのナチズム政権、イタリアはムッソリーニのファシズム政権で、後の第二次大戦の日独伊のファッショ同盟の先駆けを為した。
※2:アルセーヌ・ルパン(Arsene Lupin)は、(正しくはリュパンだが日本ではルパンが通り名)フランスの探偵小説家モーリス・ルブランの探偵小説の主人公である怪盗紳士の名。好敵手はガニマール警部と英作家コナン・ドイルが創作した名探偵シャーロック・ホームズ。
※2−1:モーリス・ルブラン(Maurice Leblanc)は、フランスの推理小説家(1864〜1941)。ルーアン生まれ。怪盗紳士アルセーヌ・ルパンを主人公とする一連の推理小説を書いた。「813」「水晶の栓」など。<「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※2−2:コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)は、イギリスの小説家(1859〜1930)。私立探偵シャーロック・ホームズの活躍する一連の推理小説で著名。名探偵の原型を創出し探偵小説界に多大な影響を与える。後、心霊術に染まる。「緋色の研究」「シャーロック・ホームズの冒険」。
※3:怪人二十面相(かいじんにじゅうめんそう)は、江戸川乱歩の少年向け探偵小説の主人公の一人の怪盗紳士。怪盗ルパンをモデルにして居る。もう一方の主人公は名探偵の明智小五郎と少年探偵団のリーダーの小林少年。明智小五郎と小林少年のコンビは、英作家コナン・ドイルのシャーロック・ホームズとワトソン助手に倣ったもの。
※3−1:江戸川乱歩(えどがわらんぽ)は、(米国の詩人・推理作家のエドガー・アラン・ポーに因む筆名)小説家(1894〜1965)。本名、平井太郎。三重県生れ。早大卒。「二銭銅貨」「人間椅子」「怪人二十面相」「少年探偵団」などを書き、日本の探偵小説の基礎を築いた。他に幻想・耽美的な「陰獣」「蜘蛛男」「紅蜥蜴」、評論集「幻影城」など。
※4:マホ(majo[スペ])とは、伊達男、粋な人、伝法肌。成らず者、無頼漢。
※5:ミューズ(Muse)とは、ギリシャ神話で学問・芸術を司る9柱の女神。ゼウスと記憶の女神ムネーモシュネーの娘たち。それぞれ叙事詩・歴史・悲劇・音楽・抒情詩・舞踏・牧歌・賛歌・喜劇・恋愛詩・聖歌・天文などを分担する。ギリシャ語名ムーサイ(単数ムーサ)。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※6:セルゲイ・ディアギレフ(Sergei Pavlovich Dyagilev)は、ロシア・バレエ団(=バレエ・リュス)の主宰者(1872〜1929)。パリを本拠として活躍。バレエの革新に寄与。
※6−1:ロシア・バレエ団/バレエ・リュス(Ballets Russes[仏])とは、1909年にディアギレフがパリで創設・主宰したバレエ団。振付師フォーキン、舞踊家ニジンスキー/パヴロヴァ/カルサヴィナらロシア帝室バレエの精鋭を集めて組織。同年パリで初公演以来、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」「ダフニスとクロエ」「三角帽子」など近代バレエの問題作を続々発表。1929年創設者の死で解散。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※7:ジャン・コクトー(Jean Cocteau)は、フランスの作家(1889〜1963)。稀有の才人で、詩・小説・演劇・絵画・映画・音楽・舞踊の諸分野で斬新な創作を試行。一時、阿片に嵌まる。小説「恐るべき子どもたち」「山師トマ」、戯曲「アンティゴーヌ」、映画「オルフェ」、評論「阿片」など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※8:膃肭臍(おっとせい、fur seal)は、(膃肭(おっと)はアイヌ語オンネウの中国での音訳)、臍(せい)は、その陰茎を臍と称して薬用にしたことから、我が国で動物名とした)アシカ科の海生哺乳類。体長、雄は約2.5m、雌は約1.3m(雄が倍位大きい)。体は暗褐色を帯びる。四肢は短く鰭(ひれ)状で、水中の動作は機敏、魚類を捕らえて食う。北太平洋に棲み、繁殖地はプリビロフ島、コマンドル諸島とロベン島しか知られて居ない。乱獲され絶滅し掛かったが、厳重な保護の結果回復、国際条約で捕獲を規制。南極近くの海には近似種のミナミオットセイが居る。一雄多雌の繁殖群(ハーレム)を作る。
※9:オークション(auction)は、競り売り。売主が二人以上の買手にその価格の競り合いをさせ、最高値を付けた人に売ること。競売(けいばい)。
※10:ブローカー(broker)は、商行為の媒介を業とする者。仲買人。仲立人。
※11:フィクサー(fixer)とは、(公正で無い遣り方で)陰で仲介・調停することで報酬を受ける黒幕的人物。
※12:ブラック・マーケット(black market)は、非合法な取引を行う市場。闇市場。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『ピカソの女たち』(R.M.ヘイスティ著、東珠樹訳、美術公論社)。
△2:『コクトー詩集』(堀口大学訳、新潮文庫)。
△3:『音楽の手帖 サティ』(秋山晃男編、青土社)。
△4:『ピカソとの生活』(フランソワーズ・ジロー/カールトン・レイク共著、瀬木慎一訳、新潮社)。1964年に出版されセンセーションを巻き起こし、後に映画化されて居ます。
△5:『マイ・グランパパ、ピカソ』(マリーナ・ピカソ著、五十嵐卓・藤原えりみ訳、小学館)。著者はパブロ・ピカソの孫娘(=パブロの嫡男パオロの長女)で、漂白剤を飲み自殺した長男パブリートの妹です。
●関連リンク
@補完ページ(Complementary):ムンクの絵が盗まれ戻って来た話題▼
2006年・ムンクの盗難絵画戻る
(Munch's stolen pictures returned, 2006)
07年冬も流行した鳥インフルエンザ▼
2004年・鳥インフルエンザ流行(Avian Influenza, 2004)
バブル景気華やかなりし頃の世相▼
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
ディアギレフが果たした役割の大きさ▼
「モダニズムの音楽」概論(Introduction to the 'Modernism Music')