§.対外援助ボランティア活動の在り方と私
(The way of foreign aid volunteer)

−− 2003.02.10 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.11.17 改訂

 ■はじめに
 先日(と言っても、もう1月前)「パーリャンに小学校をつくる会」の事務局から、年末に私がほんの僅か寄付したことへの、礼状が届きました。その前の12月初めには「つくる会」が国際ボランティア基金から助成を受けている為の、国際ボランティア基金の現地監査が有った旨の連絡状が来ました。

 ■色々有るボランティア活動の場
 ボランティア(※1)という外来の言葉と活動は現在の日本社会の中ですっかり定着しました。現在の日本のボランティア団体(個人的に活動して居る人も含めて)は、ユネスコ関連のものや国際的に活動して居るNGOから歳末助け合いや赤い羽根募金、或いはそれぞれの地域での活動迄、それこそゴマンと在ります。一般の人々も「何か自分の出来ることをしたい」という思いを持っている方は多く、多くの方々が何らかの意味でボランティアに関わっているのでは、と思います。
 そういう状況を踏まえて、「パーリャンに小学校をつくる会」を参考例に、発展途上国に対する対外援助の在り方援助型ボランティア活動の在り方について、の私見を述べたいと思います。
 [ちょっと一言]方向指示(次) ボランティアの語源は「義勇兵」(※1、※1−1)だそうで、現在の様に一般の人々が自ら進んで社会事業などに無償で参加する活動は、キリスト教の「隣人への愛」という博愛主義から来ているので、やはり欧米を中心に広まった概念です。唯、私がここで言って置きたいのは、ともすると日本には「他人に対する無償の善意的行為」が歴史的に無かったかの様に論じられて居ますが、それは浅薄な歴史認識だということです。確かにヨーロッパの様に宗教に基づいたものでは無いので組織性や広域性は有りませんし、生活の1%はボランティアに使うという様な明確な目的意識も数値目標も有りませんが、江戸時代頃の日本には「結い」(※2)と呼ばれた村の共同体組織や(※2−1)、都市の株仲間(※2−2)や「向う三軒両隣」(※2−3)の様な長屋の住人同士、の様に限定された「顔の見える範囲」の中では人々は助け合って生きて来た、ということを忘れては行けません。
 この様に元々日本人が持っていた互助精神が徐々に崩壊して行ったのは皮肉にも近代化と近代教育以後(後述)であり、隣人や他人は関係無いという極端な風潮が生まれたのは、核家族化が進み日本人が電化製品や車など”モノ(物)とカネ(金)”に向かって突っ走った頃ではないか、と私は見て居ます。


 ■「パーリャンに小学校をつくる会」の集金活動
 「パーリャンに小学校をつくる会」の活動は小ぢんまりとして、手作りの感じがします。この「つくる会」の遣り方は、口コミで募った趣旨への賛同者一人一人に郵便振替え票を送付して送金して貰うという遣り方で、電子マネー方式とは正反対の方法を採って居ます。そして送金者全員に「はじめに」に述べた様に礼状を送って居ますので、まあ、集金効率から見たら良いとは言えないと思いますね。
 しかし私はこれで良いと思います。「つくる会」はボランティア団体として中国の奥地に小学校を建設し、建設後は奨学金制度の整備など、お金が要ることは確かです。そういう意味では、より多くの人に会の活動を知って貰い、「広く多く」お金を集めることはこの会を永く継続的に運営して行く為には必要不可欠な事ですし、運営して行く側(=会のスタッフ)から見れば常に現実的に立ちはだかる最重要課題の筈です。ですが私は今の遣り方で良いと思って居ます、これで続けて行ける限りは。
 と言うのは、「つくる会」は現地に出向き現地の人々を直接支援する所に特徴を有する援助型ボランティア組織だと思うからです。広く一般の人々から寄付を募り何万人という会員を擁する集金型の組織は他に数多く在り、今の様にメディアが発達した時代では幅広く集めることは或る程度可能でしょう。例えばインターネットや或いはダイヤルQ2を利用した集金方法も在ります。だからこそ逆に「つくる会」の様に手作り的な団体が貴重なのです。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 私は「集金型ボランティア活動」を決して否定しません、如何わしい宗教組織の様に集めた金を教祖の私的財産にしたり、何処かの国のODAの様に不正な目的で使われたりしなければ。例えば或る国の難民を救援しようとしたら、やはり「お金」こそ力ですからね、現実的には。但し、集めたお金や物資を、それを必要として居る人々に間違い無く手渡す所迄責任持って行わないと、被援助国の政府高官のベンツに成ったり、援助国の役人や企業のエライさんのリベートや接待費や新たな収奪の手段に使われたりしますので、要注意なのです。

 私は昨年の春、この「つくる会」のスタッフや賛同者の皆さんと初めてパーリャンに行って来ました(その訪問記はココから参照して下さい)。そしてその時皆さんと色々な話をさせて戴き、それぞれの人がそれぞれの立場でそれぞれの想いを抱き参加して居るんだ、ということを知りました。同時に外国の僻地に学校を作るということの難しさも。難しさと言うのは、やはり日本のことを思うからです。ですから、ここで日本の近代の教育についての考えを少し述べさせて貰います。

 ■日本の近代教育の反省点
 日本は明治以降の近代化の過程で、教育に重点を置き西欧化政策を採って来ましたが、その結果所謂教育を身に付けた人々の多くは農村を捨てて都会に出て行き、そして結果として多くの農村は過疎化し、村そのものが存立出来なく成って農村は荒廃して行ったのです。それと同時に村の中で長い間培われて来た村固有の伝統文化も失われて仕舞い、今ではそれを継承して行く人も無くなりました。こういう「文化の固有性」を失った地方は単なる僻地に成るしかありません。そして荒廃したのは農村だけでは無かったのです、実は。今、盛んに言われて居る様に、都会での教育現場は子供達の心が荒み切って腐り切った状態に成り、皆が目指して来た”国民全員の高等教育”の実情は理想には程遠く、教育の低かった時代には農村の子供も都会の子供も基本的に持っていた日本人としての「心」或いは「心意気」すらも失って居ます。これを思うと「何の為の近代教育だったのか?」「誰の為の教育だったのか?」と痛切に思わざるを得ません。
 勿論、日本の高等教育は一定程度の成果を上げたとは思いますし、それに依って特に大戦での敗戦後の復興と成長(所謂高度成長)を為し遂げて来たのも事実でしょう。しかし又、その「負け戦(いくさ)」の大戦に突入させたのも、「高等教育」だったのではないでしょうか?
 そうなった原因は何処に有るのか、と考えてみると明治以降近代の教育は詰まる所”点を取る技術を教える教育”、即ち”教育の技術化”だったと言わざるを得ません。従って”教育制度”という枠の中で、教師は次第に「教える技術者」に成り、生徒や親の方も今通っている学校に対して「良い上級学校へ行く為のステップ(=踏み台)」としてしか見なく成り、最終目標の大学も「良い会社や役所に就職する為の方便」に成って仕舞い、即ち教育の全てが”技術化”して仕舞い「心」の部分が次第に抜け落ちて仕舞った結果です。”教育の技術化”は特に戦後著しく進み、戦後のそれを批評する論者は多いですが、私は明治の近代教育のスタートからこの傾向を内在させて居たのではないかと思って居ます。
 今の時点で顧みると、確かに高等教育の御蔭で日本にも頭のよさそうな人や立派そうな発言をする人が随分増えましたが、現在の国際情勢の中で日本の立場を適切に表現出来ない儘、強大国の論理にずるずると引き込まれ小間使いの様に使役されて居るのを見ると、やはり”技術化された教育”の限界を感じますね。やはり日本人の文化を背景にした日本人としての立脚点に立った発言をしないと、「立派な意見だが、日本の主張・立場は何処に有るんだ?」という事に成り、世界の誰も信用して受け入れて呉れはしません。国際的に今必要とされて居るのは、英語で上手に話すことでは無く、「日本の立場」というものをキッチリと説明することではないかと思います。その為には「日本人としてのアイデンティティー」(※3)が土台として必要なのですが、このアイデンティティーを少しずつ捨てて来たのが”教育の技術化”の実体だったと言えます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 日本の”教育の技術化”については何れきちんと自説を纏める積もりです。が、ここで一言だけ言わせて貰えば、生徒のボランティアも今では進学時の評価の対象に成って居ます、つまり「進学に有利だからボランティアする」という訳で、”教育の技術化”ここに窮まれりですね。実際NGOなどの活動を見ても、やたら”国際”という字が付いて、言わば政府からの援助金を受け易い華々しさに”人気”が集中し勝ちに見受けられます。私はそういう人達に言いたいですね、「小さな親切大きなお世話!!」と。

 ■パーリャン小学校に思う
 日本の教育については、これ位にして話をパーリャンに戻します。さて一般的に所謂発展途上国に学校を作る、と言うと何か無条件に「善い事」の様に思われ勝ちで、「それはええ事や、一つと言わずバンバン金集めてバンバン作ったらええやないか」と成って仕舞うのですが、私はどうもそう単純で無い様な気がします。と言うのは、やはり日本の農村の過去と現在を考えて仕舞うからです。パーリャンという所は私が子供の頃、山の中に田舎の親戚の家が在った時の様な状態で、GDPなどという今日的な指標では確かに貧しいのですが、だからと言って飢えている訳では無く、森林の中に畑や田を切り開いて、村落共同体を形成し、それなりに自給自足的な生活を営んで居ます。何よりも子供たちの心は純真で、眼は輝いて居ます。今の日本の子供の腐った魚の様な目をして居る子供は1人も居ません。制度化された学校には行けなくても、家や村の中で子供の時から親の仕事の一部を手伝い乍ら、「読み書き算盤(そろばん)」程度は自然と習い覚えて成長します。特にダイ族などは、仏教の信仰が厚く男子は一度は寺に預けられて寄宿舎生活を送り、それこそ技術では無く、「生きて行くとは何ぞや」ということをみっちりと仕込まれる訳です。つまり、今日の日本が取り返し不可能な迄に失って仕舞った「純真な心」と「豊かな森林」が今現在パーリャンには有る、ということを援助する側が肝に銘じないと行けません。
 それを「日本は金持ちに成ったから、貧乏国を援助して遣る」という驕った考え方で行うと、結局日本の農村が辿って来たと同じ様に、豊かな森林にブルドーザーを掛け、農村の過疎化を齎し、農村の文化を破壊し、農村青年を画一的で軽薄なシティ・ボーイに変貌させるだけの結果に成って仕舞います。否、驕った考え方では無く誠心誠意取り組んだとしても、そうなる可能性は充分有ります。何と言っても「近代化」という磁場のベクトルがそちらに向いて居るからです。
 だから私は、発展途上国の、特に教育の援助は難しいと思って居ます。僻地に学校を作って教育を促進するということは、一見文句の付け様の無い位「清く正しく美しい」ことの様に思われ、確かに10年〜20年位の短期的には教育を身に付けた若者が増え村にも恩恵を齎すでしょう、その限りに於いては「正しい」でしょう、しかし100年、200年というスパンで見たらどうでしょうか、200年後には村は無く荒れ地に成っているかも知れないのです。
 これは丁度杉を植林するのと似ている様に思えます。収穫を急ぐと結局無理な植林や伐採や、周りの森林の生態系のバランスを壊し、結局山全体を再生不能にして仕舞うのと似て居ます。ですから私は常に自分自身に対して、「これで善いのか、余計なお節介ではないのか?」、と懐疑的に成らざるを得ません。ですから全ての援助型ボランティアに共通した課題だと思うのですが、「援助する側の善意が、長期的に見て果たして善なる結果を生むか?」という問題は、常に謙虚に考慮を続けて行く必要が有る、と私は思う次第です。

 ■途上国援助に当たっての私自身の原則
 ま、人間、先のことを見通すことは、正に「言うは易く行うは難し」です。私も100%先が見えては居ない乍ら、一応何がしかのほんの微々たる応援をして居ますが、私自身が応援する時の自分自身に対する自戒を込めた原則が有ります。これは、前述の「驕った心」を戒める為です。この事は「世界遺産登録で本当に遺跡や文化が守られるのか?」という論考で既に公開して居ます −世界遺産に対する見解は本論と関係が深い− が、纏めると以下の事項です。
  [1].誰が誰の為に援助するのか?
    −−>「そこに住む人々がこれから先も子々孫々迄そこに住めること」
       を第1とし、住む人の立場で考える。
  [2].援助する場合はその地域の特性(=文化の固有性)に最大限配慮する。

ということです。
 つまり、[1]はその地域を我々訪問者の側からの安息の場所にしては為らない、況してやその地域の人々を将来我々の為に利用したり、日本企業の為の営利を図ったり、植民地支配を企てたり、そういう事は行けません、少なくとも私は荷担しないということです。[2]は幾らこちらが先進国だからと雖(いえど)も、所謂グローバル・スタンダードを押し付けたり、宗教を押し付けたり、或いは現地の人々の古来からの習俗習慣を野蛮だと見做して剥奪したり、民族・部族の言葉を禁止したり、変な男女平等意識を押し付けたり、そういう事は行けません、少なくとも私は荷担しないということです。
 「文化とはローカリティに価値が有る」というのが私の基本的立場で、これを私は文化のローカリズムとか文化の固有性と呼び、この「個人的見解」でもあちこちで一貫して述べて居ます。どんなに少数民族であっても、或いは文明的に遅れて居ても、その民族が永年掛かって築き上げて来た言語や考え方 −これらは日常の習俗習慣と渾然一体と成っている− は、その民族固有のものであり、固有であるからこそ民族としての同一性、即ちアイデンティティーたり得るのです。これをグローバリズムという大義名分に拠って、ブルドーザーを駆けるが如く押し潰すのは、大国の驕りです。幾ら金を持っていても物に溢れて居ても、この民族としてのアイデンティティーを持たないと結局利用されるだけ、という構図は今の日本がまざまざと証明して居ます。

 ■再びパーリャン小学校に思う
 前述の様な私の原則からすると、それに合致するボランティア活動と言うと、意外と少ない様な気がします。極端な話、自分で現地に入りコツコツ遣らなくては行けなく成りますが、正直言って私はそこ迄「善意」の使命感を持って居ません。「善意」の使命などと言うと、つい歴史上のイエズス会の修道士や子供の頃に駅で勧誘して居たモルモン教徒などを連想して仕舞い、どうしてもその様な行為に或る種の「ウサン臭さ」を感じて仕舞います。ま、冷たい人間なんでしょう、私は。
 という訳でこの「パーリャンに小学校をつくる会」の様な手作り的で、スタッフの皆さん一人一人の顔が見えて、スタッフの皆さんも幾らかは私と同じ様な懐疑心を持って活動して居る −この事は昨年(02年)パーリャン小学の視察に同行して色々話し合った中で知りました− ことも解り、この位の規模の活動が私には適当かなと思えるのです。
 現在は第3期工事がほぼ終わり、残るは単身教師住宅、多目的教室、トイレなどだそうで、すでにこの地域の450人位の児童が授業をして居るそうです。
 最後に、ここでは少数民族の言語も漢語と並行して行われて居る、とのことです。又、先生も校内の宿舎で生活して居るので、授業以外でも先生と生徒が共に場を共有し全人格的なスキンシップの出来る環境で学んで居るそうです。取り敢えずはこの子たちの将来に希望を見出し、夢を繋げることにしましょう。

 ■結び
 「はじめに」でも書いた様に、国際ボランティア基金の監査に藤本副会長、塩谷副会長、井原渉外担当、上田事務局長が参加したと書いて在りました。この前パーリャンに同行した時一緒だった方が殆どです。「顔の見える会」という実感が湧きました。

 >>>■その後
 「パーリャンに小学校をつくる会」は04年11月1日のパーリャン小学校の竣工式を以て解散しました。
 学校というハードウェアを作った後の奨学制度その他のソフトウェアの支援は新たに
  「パーリャン村の小学生を支援する会」
が既に04年6月頃から活動を開始して居ます。
    {この記事は04年11月17日に追加}

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:ボランティア(volunteer)とは、(義勇兵の意)志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに無償で参加する人。「―活動」「―精神」。
※1−1:義勇兵(volunteer) とは、徴兵に依らず自ら進んで応募する兵。傭兵と並ぶ志願兵制度の一種
※1−2:傭兵(mercenary)とは、雇傭契約に拠って俸給を与え、兵隊として働かせること。又、その兵。雇兵(やといへい)。「―制度」。

※2:結い(ゆい)とは、日本の農村に於ける共同体的な労働交換の慣習。血縁的・階層的関係などに依り農繁期などに相互に農作業を扶助し合うこと。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※2−1:講(こう)とは、[1].神仏を祀り、又は参詣する同行者で組織する団体。二十三夜講・伊勢講・稲荷講・大師講・富士講の類。
 [2].一種の金融組合又は相互扶助組織。頼母子講(たのもしこう)・無尽講の類。
※2−2:株仲間とは、江戸時代、江戸・京都・大坂などで、商工業者が幕府の認可を得て結成した同業組合。
※2−3:向う三軒両隣とは、自分の家の向う側の家3軒と左右2軒の隣家。日常親しく交際する近隣。隣保制度の単位とも成った。

※3:アイデンティティー(identity)とは、同一性。存在証明。
 [1].狭義には、人格に於ける存在証明又は同一性。或る人が持つ「自分が自分である」という意識の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められて居ること。自己の存在証明。自己同一性(又は自我同一性)。
 [2].広義には、集団に於ける同一性を指す。或る共同体の構成員が他の共同体とは異なる同一性や親近感を互いの裡に認め合うことが出来、それに依って強い同属意識(又は帰属意識)や絆で結ばれ、同じ立脚点に立って共通の目標や価値観を持つことが出来ること。「民族の―」「企業の―」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

●関連リンク
補完ページ(Complementary):日本の「文化の固有性」や
日本人のアイデンティティーについて▼
温故知新について(Discover something new in the past)
補完ページ(Complementary):世界遺産と「文化の固有性」について▼
世界遺産登録で本当に遺跡や文化が守られるのか?(World heritage)
対外援助の一つとしてのパーリャン小学校支援の活動▼
パーリャン村の小学生を支援する会
(Support team for Paliang's schoolchildren)

パーリャンに小学校をつくる会
(Construct team for Paliang's primary school)

パーリャン小学校訪問記▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

強大国の論理に使役されて居る日本▼
狩猟民族国家アメリカの本性(United States of Hunting people, America)
戦後の”教育の技術化”の背景や核家族化の問題▼
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
”教育の技術化”の成れの果て▼
いじめ問題について(About the BULLYING)


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