パーリャン村の小学生を支援する会
(Support team for Paliang's schoolchildren)


エルニーニョの一言。   *** エルニーニョからの一言 ***

 1997年に設立された「パーリャンに小学校をつくる会」(※1)は約800人の日本側の賛同者や寄付金支援者の援助に依り、1年生~6年生迄学べる「完全小学校」(中国では中心小学校とも)の諸設備(=ハードウェア)を建設し、2004年11月1日にパーリャン小学校での竣工式を以て第1段階の目的を達成することが出来ました。スタッフ及び賛同者が参加しての04年10月29日~11月11日迄の竣工記念旅行を最後に「つくる会」は解散しました。

 今後は「つくる会」の趣旨を引き継ぎ乍ら、奨学金制度の充実や生徒の教育環境のソフトウェア面を長い目で支援する為に、この
  「パーリャン村の小学生を支援する会」
が04年6月頃に設立され、既に支援活動を開始して居ます。今後は「支援する会」が援助活動の推進母胎と成ります。

 パーリャンは中国雲南省孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県のミャンマー国境に寄った所に位置して居ます。標高1200mの辺境地にラフ族、ダイ族、ワ族などの少数民族の集落が在ります。この地域から
  [1].自然の恵みを大切にする
  [2].自民族の伝統と文化に誇りを持つ
  [3].平和を愛する心を持つ

「明日のリーダー」が輩出することが期待されて居ます(※2)。
 尚、このページの背景は竣工式の日に撮ったパーリャン小学校の新校舎です。

基本データ
        ■概要
名称  :パーリャン村の小学生を支援する会
代表  :富樫 穎(さとし)
      大阪市立大学 生活科学部教授
設立趣旨:下記の「会の目的」を達成する為、支援活動の
     推進母胎として日本での寄付や情報発信をする
     尚、「支援する会」の設立趣旨は旧「つくる会」の
     趣旨を継承
するものです
      → 旧「つくる会」の趣旨
設立  :2004年6月
役員  :会長   目瀬守男(美作大学学長)
     副会長  藤本尚久(元美作大学教授)
          塩谷壽翁(大阪工業大学教授)
     事務局長 富樫 穎(大阪市立大学教授)

会の目的:本会は、中国雲南省孟連県パーリャン村に
      「パーリャンに小学校をつくる会」
     が建設した完全小学校に就学する小学生の
       奨学金ソフトウェア面
     での支援活動を中心に行う。
     それらの活動を通じて少数民族との交流を行う。 


事務局
 住所 :〒558-8585
     大阪市住吉区杉本3-3-138
      大阪市立大学生活科学部富樫研究室内
      「パーリャン村の小学生を支援する会」事務局
TEL :06-6605-2855
FAX : 同上
        ●パーリャン村について
地図   :→ 地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)
位置   :中国雲南省孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県の南西
      (雲南省の南西端に位置しミャンマー国境に近い)
      学区は孟馬鎮
標高   :1200m
集落数  :21の集落(自然村)
      (山間に点在し集落間の距離は長く、
       それぞれの集落は孤立して点在)
人口   :3381人、766戸(1997年11月現在)
民族の構成:ラフ族約7割、ワ族約2割、ダイ族約1割、
      他にハニ族、リス族が少数
▼事務局(大阪市立大学)の地図
事務局の地図。
地図の距離目盛。


  ●2004年11月1日のパーリャン小学校竣工式

 下の写真が日中の協力で完成した新しいパーリャン小学校の全景です。日本の山里を思わせる様な小川の流れる長閑(のどか)な風景です。しかし良く見て下さい、学校の校庭、そして学校に登る坂道に生徒や学校スタッフが溢れんばかりに立ち並び、我々の到着を今や遅しと待って居るのです。真っ赤な横断幕も見えます。これには我々一同、皆感激しました!!
 因みに2002年の完成途上の校舎と比べてみて下さい。
写真s:パーリャン小学校の全景。

写真0:キリスト教徒のギター弾き(リス族)。
 竣工式典は午前中催されました。学校に登って行く階段では生徒たちや中国側スタッフが並んで私たちの入場を迎えて呉れました。そんな中でギターを弾いてる人はリス族のキリスト教徒と言ってました(右の写真)。
 ここはミャンマーとの国境に近くミャンマーは嘗てイギリスの植民地でした。一方、インドシナはフランスの植民地で、そちらから追い詰められて来た少数民族も居ます。
 そういう経緯が有り、パーリャンにはキリスト教の少数民族が少なからず住んで居ます
 


 式典で挨拶に立った富樫会長は「3つのお願い」として、冒頭に掲げた[1]~[3]を大切にと話されました。その後日本から中国に小学校全景を描いた大きな絵が贈られ、リー先生等の現金の寄贈が報告されました。
写真1-2:竣工式歓迎式典でアコーディオン伴奏で唱う生徒たち。

 その後ビデオ撮影の新妻さんからアコーディオン(手風琴)を贈呈すると、早速先生の伴奏に合わせて歌を唱って呉れて居るのです(右の写真)。皆嬉しそうです。
 パーリャンの子供たちは、これは以前から感じて居た事ですが、この様に表情がとても素直なのです。
 左下の写真はリー先生と富樫会長にパーリャン小学校の名誉校長の証書が授与されました。証書を皆に見せているのは、中国側のスタッフとして尽力されたリー先生(厲仁玉上海同済大学教授)です。
 中央下は富樫会長が東北の「こけし」の贈呈です。
 そして右下は南湖さん(富樫会長夫人)が、我々日本人が「ふるさと」を歌う”にわか合唱団”の指揮をしている所です。背後の土手の上で生徒の父母や近在の方々がこの式典を見守って居ます。この竣工記念旅行には娘さんも参加して居ます。

写真1-1:竣工式歓迎式典で踊るダイ族の生徒たち。
 そしてパーリャン小学校の生徒の踊りが始まりました。
 左はダイ族の孔雀を象徴した踊りです。各生徒が右手で孔雀の頭を表現して居ます。因みにダイ族は小乗仏教です。

 右はラフ族の笠踊りです。
 ラフ族は清朝の漢籍には「倮黒」と出て来ます。ラフ(拉祜)は民族の自称で、ラフ語で「虎」を「拉」と称し、「火で食品を煮る」ことを「祜」と言い、拉祜は「虎の肉を煮て食べること」の意味です。ラフ族は嘗て狩猟民族だった時代が有ります。しかし今は農耕民族化し、宗教は大乗仏教を取り入れて居ますが少数はキリスト教(一部はカトリック)です。
 


写真1-3:竣工式歓迎式典で踊る富樫先生。 左が生徒たちと手を繋いで踊っている富樫会長です。竣工式に於いて富樫会長はパーリャン小学校の名誉校長に就任しましたが、これで少しは肩の荷が降りたのではないでしょうか。
 今迄の「パーリャンに小学校をつくる会」(富樫会長)は今回のパーリャン小学校竣工記念旅行(2004年11月11日迄)を以て解散です。後は「パーリャン村の小学生を支援する会」(目瀬美作大学学長が会長、富樫事務局長)が引き継ぎ、ソフトウェア面を長期的視野で支援する活動に移ります。

 実はこの日の記念式典では、私が2002年パーリャン小学校を初めて訪れた時に作り「2002年・パーリャン小学校視察の旅」に掲載した詩が我々日本人全員で朗読されました。恥ずかし乍らその詩「パーリャンの自然児よ」を下に転載して置きます。2年前に詩にしたこの気持ちは今も変わらない所か、生徒たちが大きく育って呉れることを願う気持ちは益々強く成って来て居ます。
 


    題 パーリャンの自然児よ

キラキララ キラキララ
小さな瞳が キラキララ
ああ、雲南の地のパーリャンで 自然児たちよ
育てや 素直に大らかに
進めや 苦難を乗り越えて
拓けや 明日を 民族の誇りを持って
歌えや 感謝と祈りを 自然の恵みに


               月海


  ●ちょっと遅い昼食

 式典は午前中で終了し、食事の準備が出来る迄暫く待ちます。午後1時過ぎに生徒たち待望の昼食です。今日は竣工式特別メニューで器を持って先生に御飯を装って貰います(左下の写真)。そして御飯には野菜が乗り(中央下)、更にもう1点野菜&芋スープ -しかも豚肉入り- が付きます(右下)。でもこの豪華メニューは今日だけです。


 左下はパーリャン小学校の生徒と先生が振る舞って呉れた豚肉の料理です。豚肉とネギの炒め物、生徒と同じ野菜&芋スープ(豚肉入り)、御飯です。旨かったですね!

 [ちょっと一言]方向指示(次) 実は本を出版する迄以下の事は伏せて置いたのですが、この豚料理は何と生きている豚1頭を男子上級生徒が絞めて呉れたのです、裏庭で。この事に気が付いた日本人は余り居ない筈です。私も豚の鳴き声で気付き行ってみたら男子上級生徒が数人で事切れた豚を運ぼうとして居たのです。豚は近所の農家から調達したのでしょう。そして女子上級生徒は料理の手伝いです。日本では考えられない素晴らしい光景です。何故素晴らしいか?、私はこれが人間が生きる基本だ、と思うからです!!。

 そして右下は昼食後に校舎に皆集まったので記念撮影です。前列左端で立って居るのが曹惠芬先生(雲南省中医中葯研究所)です。曹先生には2002年もお世話に為りました。


    {この節は2013年8月5日に本を出版するに当たり、写真を追加し文も大幅に加筆しました。}


  ●昼食の後

写真2:校舎の校庭の全景。
 昼食後の昼休みには生徒たちは思い思いに寛いで居ました。左は校舎の校庭の全景です。手前はバスケットボールに興じて居る生徒たちです。
 グラウンドの向こう側の校庭の端に
 「パーリャン小学校建設記念之碑」
が見えて居ます。

写真3:「パーリャン小学校建設記念之碑」と私。
 右の写真は「パーリャン小学校建設記念之碑」の前に立つ私です。首からぶら下げているピンク色のバッグは生徒たちが我々一人一人全員に掛けて呉れたもので、中にはこの地方特産のお茶が入って居ました。暖かい心遣いに感謝、感謝です!
 この碑にはパーリャン小学校建設に携わった方の全員の氏名が刻まれて居て、勿論私の名前も刻まれて居ます。私の名前の刻印を見たいという物好きな人右の写真をクリックして下さい。

 小学校の登り口にはビリヤードの台が在り生徒たちが遊んで居ました、これは2002年と変わり有りません。私たちはこの後ミャンマーとの国境を見に向かい、途中の小学校などを見学しました。
 「パーリャンに完全小学校を建てる」と一口で言っても、それぞれの少数民族で言葉(共通語として漢語が在る)も違えば、生活習慣も違う、宗教も違う(小乗や大乗の仏教からキリスト教まで居る)のです。辺鄙な場所の為にここでは先生も生徒も寄宿生活を送ります、或る意味でそれは都会の学校では味わえない”辺境故の美点”かも知れません。
 パーリャンと言った時、以上の思いが一度に溢れ出して来ます。パーリャンの自然児よ、又何時か会える日を願って、サラバ!!

 尚、嘗ての「パーリャンに小学校をつくる会(解散)」の画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
 

 おしまい 


【脚注】
※1:パーリャン(又はパーリァン)は「帕良」又は「帕亮」と書く。

※2:この3項目はパーリャン小学校竣工式にて旧「つくる会」の富樫会長が現地の生徒たちに「3つのお願い」として贈った言葉です。
 

下が「パーリャンの自然児」たちの笑顔です。
写真e:「パーリャンの自然児」たちの笑顔。
(^o^) この子たちの未来の為に支援活動にご協力下さい!! (^o^)

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):パーリャンの地図▼
地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)
参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
サブページ(Sub-Page):「パーリャン小学校建設記念之碑」
に刻まれた私の名前▼
パーリャン記念碑の私の氏名(Name of me in Paliang's monument)
随行記(Traveling):私のパーリャン小学校訪問記▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

私のボランティア論▼
対外援助ボランティア活動の在り方と私
(The way of foreign aid volunteer)

中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')

2004.11.17 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2013.08.05 改訂

♪BGMは多夢[TAM Music Factory]サイトのバナー。[TAM Music Factory]のオリジナル曲(MIDI)です。
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