パーリャンに小学校をつくる会
(Construct team for Paliang's primary school)


 ★お断り

 「パーリャンに小学校をつくる会」は学校建設という当初の目的を達成し、04年10月29日~11月11日の竣工記念旅行を以て解散しました。現在は
  「パーリャン村の小学生を支援する会」
奨学制度その他のソフトウェアの支援の推進母胎として、「つくる会」の趣旨を引き継いで既に04年6月から活動して居ます。以下の記事は過去の記録としてお読み下さい。


エルニーニョの一言。   *** エルニーニョからの一言 ***

 私と「パーリャンに小学校をつくる会」(※1)との出会いは「雲南桃源倶楽部」(北山昌夫会長)の紹介です。「つくる会」の富樫穎会長(大阪市立大学教授)から「桃源倶楽部」へ「つくる会」の紹介と小学校建設資金寄付の依頼が有り、それに応じて私が若干の寄付をしたのが始まりです。そして2002年春に「つくる会」のスタッフとパーリャン小学校を初めて訪問しました。その時の様子は「2002年・パーリャン小学校視察の旅」をご覧下さい。
 パーリャンは中国雲南省孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県のミャンマー国境に寄った所に位置して居ます。標高1200mの辺境地にラフ族、ダイ族、ワ族などの少数民族の集落が在ります。現在これらの集落から児童たちが集まり竹組みの貧弱な小屋で寝泊まりして学んで居ます。
 このページの背景は、02年春のパーリャン小学校初訪問の際の、昼食を食べている児童たちです。

基本データ
        ■概要
名称  :パーリャンに小学校をつくる会
代表  :富樫 穎(さとし)
      大阪市立大学 生活科学部教授
設立趣旨:→ 富樫会長の言葉 - 設立趣旨
設立  :1998年9月22日
     設立総会を開き、規約及び役員決定
役員  :会長   富樫 穎(大阪市立大学教授)
     副会長  藤本尚久(西日本工業大学教授→現美作大学教授)
          塩谷寿翁(大阪工業大学教授)
     渉外   井原 徹(西日本工業大学助教授→現九州女子大学教授)
     事務局長 上田博之(大阪市立大学助手→現講師)
     会計監査 武田 淳(佐賀大学教授)
          松尾有平(長崎総合科学大学助手)
会の目的:[規約1条]より
     本会は、中国雲南省孟連県パーリャン村に小学校を
     建設する事業を支援することを主目的とし、学校建
     設後は奨学金等に依る就学援助を行う。
     それらの活動を通じて少数民族との交流を行う。


事務局
 住所 :〒558-8585
     大阪市住吉区杉本3-3-138
      大阪市立大学生活科学部富樫研究室内
      「パーリャンに小学校をつくる会」事務局
TEL :06-6605-2890
FAX : 同上

会長への
 TEL:06-6605-2855(FAXも同じ)
        ●パーリャン村について
地図   :→ 地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)
位置   :中国雲南省孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県の南西
      (雲南省の南西端に位置しミャンマー国境に近い)
      学区は孟馬鎮
標高   :1200m
集落数  :21の集落(自然村)
      (山間に点在し集落間の距離は長く、
       それぞれの集落は孤立して点在)
人口   :3381人、766戸(1997年11月現在)
民族の構成:ラフ族約7割、ワ族約2割、ダイ族約1割、
      他にハニ族、リス族が少数
▼事務局(大阪市立大学)の地図
事務局の地図。
地図の距離目盛。


  ●「つくる会」設立以前のパーリャン村の小学校就学率の現状

写真1:旧校舎と現地の先生。 右はパーリャンの旧校舎をバックにした現地の先生のスナップです。
 1997年時点での中国政府の統計に拠るとパーリャン村では
    3年生以下の就学率=53%
    4年生以上の就学率=12%

だそうです。中国雲南省の計画では2000年には雲南省全体として小学生の就学率95%を目指して居たということです。達成されたんですかねえ?
 因みに北京や上海では昔の科挙制度が復活したのか大変な受験競争で、こうした「国内格差」も中国の大きな問題点ですが、まあ、国がデカイですからね。

  ●パーリャンに「完全小学校」を作るとは

 この会は雲南省の辺境の地パーリャンび「完全小学校」を作ることを掲げて居ます。では「完全小学校」とは一体何でしょうか?、先ずこの事から話しましょう。
 パーリャン村には現在小学校が村の全集落の約半分に在るそうです。しかし教室数は1つか2つで、3年生迄の教育で終わって仕舞います。これをここでは「不完全小学校」と呼びます。これに対して、1年から6年迄の授業をちゃんと受けられる学校をここでは「完全小学校」(中国では中心小学校とも)と呼び、「パーリャンに小学校をつくる会」ではこの「完全小学校」を作ることを目指して居ます。

 パーリャン村は山間、散在集落地域なので大半は寄宿舎に入る必要が有ります。教師宿舎も全員分必要です。従って
    学校づくり=教室+教員宿舎+生徒宿舎
の大事業と成ります。
 校舎は煉瓦造で中庭式に成りました。理由は重機類は殆ど使えず手仕事的な工事には煉瓦造が合うということの様です。
 建設資金の見積もり総額は日本円で約4300万円、分担については、日本側が7割(3000万円)、中国側が3割(1300万円)を負担することに決まりました。この日本側の分担金3000万円を趣旨に賛同する一般の寄付で賄おうというのが「つくる会」の資金活動です。

 左下の写真が中国側スタッフ(教育委員など)。右下が日本側スタッフで、井原氏(左)と上田氏(右)
写真2:中国側スタッフ。写真3:日本側スタッフの井原氏と上田氏。

  ●富樫会長の言葉 - 設立趣旨

 中国雲南省には26の少数民族が住んでいます。私は1986年1月にはじめて雲南を訪れ、少数民族の住文化に強い関心を抱きました。それ以来、雲南少数民族の住居・集落について日中の共同研究を重ねてきました。
 1996年11月、中国側の研究者を大阪に招き、「雲南ダイ族の神々と住文化」というシンポジウムを行いました。シンポジウムの翌日、その後の共同研究について話し合いました。私は以前から、学術的な調査研究をするだけでなくその地域で何か役立つことができれば、と考えてきましたので、中国側にそのような話をしました。その結果、貧困な少数民族地域で小学校をつくることを目指した基礎的な調査研究を日中共同で行うことになりました。こうして1997年1月から学校づくりの準備が始まりました。
 パーリャン村には5つの民族が住んでいますから、学校は民族混淆の場になります。したがって、漢語が共通語になり、漢語教育が行われます。漢語教育は漢化教育でもありますが、今は、そういう教育を受けた子どもたちの中からお互いの伝統文化を客観的に評価できる人材が育つことを期待するしかない、と考えています。そのことにどれだけ役立つのかわかりませんが、学校建築には各民族の伝統文化が表現された生活素材をできるだけはめ込みたいと思っています。
 できれば現地に行って少数民族の暮らしや子どもたちの実態に触れてみてください。そして、子どもたちの将来をともに考えたいと思います。
 最後に、多くの方々が「パーリャンに小学校をつくる会」に入会し、ともに学校づくりに参加されるようお願い申し上げます。


 <尚会長の言葉として、西日本工業大学の井原助教授のホームページの「設立趣旨」から抜粋して転載させて戴きました。太字は私の主観で強調させて戴きました。>
写真4:富樫会長と藤本副会長。

 左の写真は新校舎の前で撮ったもの。真ん中が富樫会長、左が藤本副会長、右が舛岡教授(東北工業大学)。
 2002年の視察の旅では藤本先生に往復のバス(禁煙組)の中でこれ迄のことを色々説明して戴きました。有り難う御座いました。
 → 基本データに戻る

  ●2002年12月時点でのパーリャン小学校の現状

写真5:パーリャン小学校新校舎。 左は2002年春にバスの車窓から撮った第3期工事途中の新校舎の全景です。
 校舎の手前に川が在り、そこから坂を登って行きますが、川の側道と校舎への登り道がちゃんと見えて居ます。
 2004年の竣工式の校舎と比べてみて下さい。

 「つくる会」の2002.12のニュースレターよりの抜粋すると、現在第3期工事の完了間近という段階で8割がた完成、部分的に新校舎や宿舎での授業に移行しつつ在る様で、11月には国際ボランティア基金の監査が有ったそうです。現在生徒数は413名、教職員は16名で、計画通り進んで居ます。
 教師宿舎と児童寄宿舎が同じ敷地内に在るので、先生と生徒は単に授業だけで無く共に触れ合い乍ら生活して居ます。又、少数民族出身の教師が複数配置され自分たの言語と民族教育も行われて居るそうです。
 残るは第4期工事のみで来年中の完成を目指して居ます。これでハードウェアは完了です。「つくる会」ではその後の奨学金制度など、ソフトウェア面の支援に重点が移ります。

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 ★以上掲げた記事で、スタッフの所属や役員の顔触れは変更される可能性が有ります。

 尚、現在の「パーリャン村の小学生を支援する会」の画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
 


 >>>■その後

 冒頭に記した様に、「つくる会」は04年10月29日~11月11日の竣工記念旅行を以て解散しました。現在は
  「パーリャン村の小学生を支援する会」

が活動して居ますので、引き続きご協力下さい。
    {この章は04年11月17日に追加}

 おしまい 


【脚注】
※1:パーリャン(又はパーリァン)は「帕良」又は「帕亮」と書く。
 

「子どもたちの実態に触れてみてください」と富樫会長が仰る通りです。
ここに背景と同じ写真を掲載します。
写真5:パーリャンの子供たち。(背景画と同じ)
この純真な笑顔は何物にも勝る宝です!!

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):パーリャンの地図▼
地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)
参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
随行記(Traveling):私の02年パーリャン小学校訪問記▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

「雲南桃源倶楽部」について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
私のボランティア論▼
対外援助ボランティア活動の在り方と私
(The way of foreign aid volunteer)

中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')

2002.12.10 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.11.17 改訂


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