*** ♂エルニーニョからの一言♀ ***
私が「雲南桃源倶楽部」の酒仙(※1)こと北山会長のことを知ったのは、或る会合で北山昌夫という今様ドン・キホーテ(※2、※2-1)がニッポンの窮屈さと家庭のシガラミから逃れる為、中国雲南省に逃避行を決め込んだ迄は良かったのですが、結局は敬愛する奥さんに連れ戻されたという話を聞いた時です。と同時に、その北山先生が当時日本人には余り知られて無かった西双版納(→後述)についての本『西双版納』(△1)を出版されたという紹介を聞いて、「これはオモロイ!」と思い、直ぐに本を買うことに決め北山先生の家に電話したのが切っ掛けです。しかしその時は未だ桃源倶楽部については知らなかったのです。確か98年の秋だったと思います。
そして翌年の年賀状で、「雲南桃源倶楽部」という会が在り、一緒に雲南の旅に行きませんかと書いて在ったので、「行かして下さい」と又々電話し、桃源倶楽部の会合に出たのが最初ですね。それから毎年メンバーの方々と雲南の旅を続けて居るという訳です。私は特に先生が自ら案内した旅を「雲南桃源旅行」と呼んで居ます。
尚、北山先生は「先生」では無く「さん」に、私が酒仙と呼んで居るのを「愚公亭塞翁」というペンネームにして呉れとの仰せです。この意味については先生、いや塞翁ご自身から後程語って戴きます(→後述)。
ここでは塞翁と西双版納との出会いについてお話しましょう。
基本データ |
■概要 名称 :雲南桃源倶楽部 1998年11月3日 参加者34名で結成。 (現在約150名) 代表者 :北山 昌夫 活動内容:数[回/年] 会員集会 数[回/年] 会誌「桃源報」の発行 1[回/年] 雲南桃源ロマンの旅 桃源祭(5、11月に東大阪市のバザーに出展など) etc 倶楽部 の趣旨:「雲南」をロマンの里、ユートピア(桃源郷) として、或いはこの地を日本人の源郷と考え る人達に、さらなる夢を与える集いにしたい と考えます。(抜粋) ホーム ページ:有り→最下行の関連リンクで (桃源倶楽部の詳細はこちらでどうぞ) □連絡場所=北山邸 住所 :〒659-0013 兵庫県芦屋市岩園町15-14 TEL :0797-31-1092 FAX : 同上 □「桃源倶楽部」会員集会の場所 名称 :スキャネット(株)大阪支社 代表者 :小池 隆彦(桃源倶楽部財務担当) 住所 :〒534-0024 大阪府大阪市都島区東野田町5-2-23 京橋セントラルビル7F TEL :06-6242-4477 FAX :06-6242-4478 |
●北山昌夫塞翁の略歴 1920年 兵庫県多紀郡南河内村(現篠山市)生まれ、 (大正9) 小学5年の時に大阪に一家転住 1939年 大阪府立北野中学校卒業 1940年 関西学院大学入学(法文学部) 1943年 10月に同校仮卒業、 12月学徒出陣で篠山歩兵連隊に入隊し 朝鮮に移駐 1945年 朝鮮より復員 1947 ~83年 伊丹市立東中学、大阪府立四条畷高校、 同茨木工業高校、同桃谷高校教諭を歴任 (主として社会科担当) 1983 ~85年 中国重慶の西南農業大学日本語教師 1997年 『西双版納 -悠々ロングステイのすすめ-』 を出版 1998年 11月3日 「雲南桃源倶楽部」設立 以後今日迄「雲南桃源倶楽部」代表 |
▼地図:スキャネット(株)大阪支社 |
●ペンネーム「愚公亭塞翁」の由来について
(北山塞翁ご自身の解説から)
□愚公:「列子湯問」の”愚公移山”より
昔、中国で北山の愚公が子々孫々に迄継続して行わせる計画の下に、長い年月を掛けて家の前の山を移す為に努力したという説話。「志有る者は事ついに成る」の譬え。毛沢東も「老三篇」の中で引用して居る。
□塞翁:「淮南子人間訓」の”塞翁失馬”より
塞翁(さいおう)は、辺境の砦に住む翁。北の翁。
昔、北方の辺境に住む或る老人の馬が逃げたのが始まりで、その馬が駿馬を連れて舞い戻る。ところが息子たちがその駿馬に乗り落馬し骨折する。偶々(たまたま)異民族の侵入に遭って五体満足な若者は戦争に駆り出され戦死して仕舞い、骨折した息子たちだけが助かる。
この様に不幸かと思えば幸せに、幸せかと思えば不幸が次々と起こる。人生は吉凶・禍福が予測出来ないことの譬え。
●北山塞翁と西双版納との出会い秘話
中国で最南部の雲南省の中で最南端に位置するのが西双版納、正式には西双版納(シーサンパンナ)タイ族自治州(州都:景洪市)です。北回帰線より南で熱帯(※3)に属します。「西双版納(Xishuangbanna)」の謂れについては△1のp7や「地図-中国・西双版納」を参照して下さい。
左の写真は景洪市の市民病院からこの街のシンボルの瀾滄江(=メコン川)(※4)をバックに撮ったものです。中央が北山昌夫塞翁で、左隣が景洪市民病院に勤めるチノー族の看護婦の白美蘭さん、右隣がその娘さんの松松(スンスン)です。
この看護婦さん、塞翁の著書『西双版納』にも良く出て来ます(△1のp12、92など)が、塞翁と雲南省、取り分け西双版納との結び付きを語る上で欠かせない人です。何でも塞翁が94年に景洪市で病気に成り入院したのが切っ掛けという話です(△1のp68~69)。
塞翁はここを非常の気に入り、最初に紹介した例の逃避行を決行する為に景洪市の街外れにマンションを買った(※5)のです(△1のp106)が、塞翁が特にチノー族に惹かれたのはこの看護婦さんの影響が大なのです。ま、偶(たま)には病気もしてみるもんですね。
ところで皆さん、塞翁はそもそも何でそれ程迄に -西双版納に骨を埋めても良いと思う程に- そんなに西双版納が気に入ったのか、という素朴な疑問をお持ちではないですか?、そう、こういう素朴にして単純な疑問は大切にしなければ行けません。
そこでお答えしましょう。『西双版納』に拠ると塞翁が最初にこの景洪市を訪れたのは1984年の1月です(△1のp69)。重慶・西南農業大学日本語教師を勤めたお礼として、当時外国人には開放されて無かった西双版納に中国政府から特別な許可が出て、予てからの希望でここに足を踏み入れることが出来ました。当時ここは辺境の地で「允景洪」(△1のp7)と呼ばれて居て、今日の様に飛行機の直行便は無く、スーマオ(思茅)を経由して山間の道を延々と車で走り続けてやっと辿り着いたと在ります(△1のp119)。山間の焼畑の土地ばかり見続けた後の、ここ景洪の広々とした沃野とメコンの流れと南国的な開放感、この感動はもう決定的でした。
と、本にはここ迄は書いて在るのですが、私はそれだけでは無いと思っているのですよ、実は。でそのプラスアルファの要素とは、やはり現地の人々との付き合いだと思いますね。上の看護婦さんもそうですが、庄洪路(=工芸品売り場通り)の商店会長(△1のp68)や塞翁の本に載っている多くの人たち、塞翁は今でもその人たちと付き合って居ます。そういう人と人との心の通った交流、簡単に言って仕舞えば友情或いは愛情、これこそが北山塞翁を捉えて離さない心の真実なのです。
又、塞翁は上の絵の様に[編集した実は写真]、現地の子供たちと戯れるのも大変お好きです。最後は塞翁自身に語って貰いましょう。
●北山昌夫愚公亭塞翁の言葉
エルニーニョさんは会員集会には来たり来なかったりですが、「桃源ロマンの旅」には毎回参加しています。旅は道連れと言いますが、エルニーニョさんと一緒に旅をすると本当に楽しいです。
ドン・キホーテ風に描きますと、オランダの風車ならただ眺めるのではなく、風車の羽根によじ登ろうとするのです。或いは羊の群れに出会うとその内の一頭に跨って群れに加わろうとします。単なる物見遊山とは一味違う旅が楽しめます。次回の旅が待ち遠しいです。
因みにエルニーニョとはスペイン語で「神の子」「神の手」の意味だそうですが、近年異常気象を引き起こすエルニーニョ現象(※6)が知られて居ますね。
とまあ、塞翁はドン・キホーテ風(△1のp3、66~67)に仰いましたが、右の写真がそうですね。これは風車や羊ならぬ「象の樹」(=ガジュマル(※7~※7-2))と呼ばれて居る樹ですが、そう左の方に鼻が伸びて目や耳の様なのが有って、背中の部分に跨って居るのが私ですね。この樹は勐養に在り西双版納では大変有名で天然記念物みたいな樹です(△1のp32~33)。ですからこの写真を撮った後、公園の管理人から非常に怒られた訳です。
しかし面白いからヤレヤレッと言ったのは桃源倶楽部の皆さんですぞ、北山塞翁も含めて、アッハッハッハ!
★その後、この写真は2000年11月10日に撮ったものですが、2000年に撮った中で唯一無事の写真(←原画は壊れました)です。{この箇所は04年12月18日と05年2月25日に追加}
*** エルニーニョからの二言目 ***
どうですか、『西双版納』(△1)には載って無い裏話、面白かったでしょう!
●「桃源」と「桃」について
最後にこのサークルの名称の一部の「桃源(Shangri-La)」について、その意味を記しましょう。広辞苑を引くと
「桃源」とは、(陶淵明の「桃花源記」に書かれた理想郷から)
俗世間を離れた別天地。仙境。武陵桃源。桃源郷。
と在ります(※8、※8-1、△2のp152~162)。つまり、平和な不老長寿の理想郷という意味です。「桃源郷」を和英辞典を引くと英語では"Shangri-La"(シャングリラ、※8-2)です。ところが私が訪ねた雲南の地が後でシャングリラ(香格里拉)に地名変更されました。
→ その理由を知りたい方は、ココをClick(about Shangri-La)
次は中国語の問題。「桃源」とは何故「桃」なの?、何故「葡萄源」ではないのか?、「葡萄」の方がワイン飲めて好いじゃん!、などと考えた事はないですか?
→ そう考えた方は、ココをClick(about peach)
{この節の記事は04年3月23日に追加}
ところで阪神淡路大震災(←芦屋は大変な被害を被りました)の事が塞翁の本の最後に載って居ます(△1の115~118)が、塞翁はこの大震災に”無常”(※9)を感じ逃避行(=日本脱出計画)を立てるに至ったと書いて在ります(△1のp42)、そうだったのか!!
尚、このページの背景画は北山塞翁が感動した肥沃な西双版納の大地に実る田園風景です。桃源倶楽部の話題は「外国旅行」のコーナーでも出て来ますので、そちらも宜しくゥ!!
●★●2005年2月25日以来、14年振りに更新
その理由は、遂に『雲南省と三星堆/成都の旅 ~雲南桃源倶楽部の思い出#1~』(△3)をこの度出版しました。この本は2019年6月1日に印刷屋から上がって来ました。北山塞翁は2014年12月1日付近に故人と成られました(享年94)ので、雲南桃源倶楽部の有志に依る追悼文特集を載せました(△3のp350~359)。追悼文特集を載せた本を塞翁の奥様に贈呈出来た事で、一応はほっとして居ます。
私は早速この本を雲南桃源倶楽部の人々や常連のメンバーに本を進呈し、一段落したのでこのファイルを14年振りに更新しました。副題が「~雲南桃源倶楽部の思い出#1」と成っているのは更に「#2」、「#3」...を出版する予定ですが、今は未だ未定です。
(^o^)/~~~
【脚注】
※1:酒仙(しゅせん)とは、俗事を離れ、心から酒を楽しむ人。転じて、大酒家・酒豪にも言う。
※2:ドン・キホーテ(Don Quijote[スペイン])は、[1].セルバンテス作の長編小説。前編1605年、後編15年刊。主人公のドン・キホーテは騎士道物語を読み過ぎて妄想に陥り、自らラマンチャ出身の騎士と成って痩せ馬ロシナンテに跨り、従士サンチョ・パンサを伴って遍歴の旅に出掛け、数々の滑稽な冒険を演ずるという風刺・諧謔小説。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
[2].転じて、空想的理想主義者。「―型の人物」。
※2-1:ドン・キホーテ型(―がた)とは、ドン・キホーテの様に、現実を無視し独り善がりの正義感に駆られて向う見ずの行動に出る人物の型。ツルゲーネフの分類に依る。←→ハムレット型。
※3:熱帯(ねったい、tropical zone, the tropics)は、赤道を中心として南北両回帰線(緯度23度27分)に挟まれた地帯。気候上では、これよりやや広く、1年間の平均気温がセ氏20度以上の地帯を指し、椰子の生育する範囲にほぼ一致する。
※4:瀾滄江(らんそうこう)は、メコン川(Mekong river)の中国名。東南アジア第1の大河。中国青海省南部、チベット高原東部に発源、山系の走向に従って南東流後に南流、中国雲南省およびラオス・タイの境を流れ、カンボジアを貫流、ベトナム南部で南シナ海に注ぐ。下流のデルタ地帯は水田地帯として重要。長さ4350km。
補足すると、北山塞翁はこの川に魅入られたと『西双版納』に書いて居ます。
※5:通称桃源ハウス(又は北山マンション)。会員はホテル代わりに使っても良いとのことです(但し自炊)。
※6:エルニーニョ現象(―げんしょう、ElNino effect)とは、(エルニーニョはスペイン語で「男の子」、特に「神の子(=幼な子イエス)」の意。元は南米ペルー沖の海面水温がクリスマス頃に高くなる現象に言った語)ペルー沖の太平洋東部赤道域の海水温が数年に一回1~2度上昇し、半年から一年半程度続く現象。
反対に、太平洋東部赤道域の海水温が平年より低く成る現象をラニーニャ現象(La Nina effect)(ラニーニャとはスペイン語で「女の子」の意)と言う。
エルニーニョ現象やラニーニャ現象が発生すると、大気の流れを変え、世界各地に異常気象 -異常な高温や低温、多雨(=洪水)や少雨(=旱魃)、冷夏や暖冬など- を引き起こし、経済活動にも大きな影響を及ぼす。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※7:ガジュマル(榕樹[中国語])は、クワ科の常緑高木。高さ約20m。広く熱帯/亜熱帯に産する。日本では沖縄/屋久島に自生、小笠原島などに植栽。幹は多数分岐して繁茂し、多数の気根を垂れる。葉は楕円形、又は卵形、革質、無毛。黄色、又は赤褐色のイチジクに似た小形の壺形花序を生ずる。防風林/生垣/観葉植物とし、材を細工物に使う。ガジマル。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※7-1:榕樹(ようじゅ)とは、〔植〕ガジュマルの漢名。
※7-2:気根(きこん、aerial root)とは、この場合、〔生〕空気中に露出した根。地上の茎/幹から出る不定根も在り、地中の根が地上に伸び出す事も在る。機能は、支柱根(トウモロコシ/タコノキなど)/呼吸根(マングローブ/ミズキンバイなど)/吸水根(フウランなど)/付着根(キヅタ)/保水根(ヘゴ)など、植物に依り異なる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※8:陶淵明(とうえんめい)は、六朝時代の東晋の詩人(365~427)。名は潜又は淵明、字を元亮とも言う。諡(おくりな)は靖節。江西の人。下級貴族の家に生れ、不遇な官途に見切りを付け、41歳の時の彭沢県令を最後に、「帰去来辞」を賦して故郷の田園に隠棲。平易な語で田園の生活や隠者の心境を歌って一派を開き、唐に至って王維・孟浩然など多くの追随者が輩出。散文作「五柳先生伝」「桃花源記」など。
※8-1:桃花源記(とうかげんき)は、東晋の陶淵明作。武陵の漁夫が道に迷って桃林の奥に在る村里に入り込む。そこは秦の乱を避けた者の子孫が世の変遷を知ること無く、平和で裕福な生を楽しんで居る仙境であった。歓待されて帰り、再び尋ねようとしたが見付からなかったという内容。
※8-2:シャングリラ(Shangri-La)とは、(J.ヒルトンの小説「失われた地平線」の中の理想郷の名から)
[1].地上の楽園、桃源郷。
[2].秘密基地。
<出典:「研究社 新英和・和英中辞典」、「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※9:無常(むじょう)とは、[1].mutability。〔仏〕一切の物は生滅・変化して常住で無いこと。諸行無常。方丈記「その、主と栖と、―を争ふさま」。←→常住。
[2].uncertainty。人生の儚いこと。
[3].uncertainty。人の死去。徒然草「―の身に迫りぬる事を心にひしとかけて」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『西双版納 -悠々ロングステイのすすめ-』(北山昌夫編著、三一書房)。
△2:『陶淵明全集(下)』(陶淵明作、松枝茂夫・和田武司訳注、岩波文庫)。
△3:『雲南省と三星堆/成都の旅 ~雲南桃源倶楽部の思い出#1~』(エルニーニョ深沢著、蛙ブックス)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):西双版納の謂れと地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
@参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
@参照ページ(Reference-Page):阪神淡路大震災について▼
資料-地震の用語集(Glossary of Earthquake)
@随行記(Traveling):中国雲南省の旅の真髄▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記
(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
北山塞翁と中国人との交流ついて▼
プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ(Snake liquor to Pu Liangsuo, China)
原画ファイルの破壊状況と破壊時期▼
初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)
雲南にシャングリラ(香格里拉)の地名が出現▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)
「桃源郷」や「桃」に纏わる話▼
大阪城の桃の花(Peach blossoms of Osaka castle)
エルニーニョ現象に因ると考えられる欧州の熱波▼
2003年・雲南で大地震、ヨーロッパは熱波
(The earthquake and heat-wave, 2003)
「雲南桃源倶楽部」のサイト▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')
2002.12.07 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2019.06.07 改訂