−− 2004.03.20 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.06.12 改訂
「春を告げる花」と言うと私は2月の梅、3月の桃、4月初めの桜ですね。そして既に
梅:「2003年・大阪城の梅便り」
桜:「日本全国花見酒」
を、近場の風景の中で特集して来ました。そこで今回は、「私の庭」である大阪城の桃(※1)を取り上げます。これで「春を告げる花」三部作完結という訳です。但し花の咲く順番に従って
梅を「春を告げる花#1」、桃を「#2」、桜を「#3」
とします。
大阪城公園桃園は梅林程には知られて居ません。何処に在るか?、と言うと北外濠の外(=北)の銀杏並木の北側で、大阪城ホール北西の新鴫野橋西側の細長い敷地です。まあ桃が咲いて無い時は単なる”空き地”にしか見えない所ですね。この”空き地”を1999年3月に整備して約4,400uの敷地に12品種(※2)、約200本の桃の木を植えて「桃園」にしたのです。
ということで、梅林よりは歴史が浅いのですが、気を付けてみると左下の写真の様にちゃんと「大阪城 桃園」と刻んだ石碑が在ります。桃園からは城の天守は銀杏の木の陰で見えませんが、代わりにOBP(大阪ビジネスパーク)の高層ビルやその上を伊丹空港へ向かう旅客機などが見えます(中央下の写真)。右下の写真が、石碑の脇から入って直ぐの所に咲く紅色の桃の「寒緋」(※2)とOBPのビル群です。
それでは、じっくりと春を告げる桃の花をご観賞下さい。
→大阪城の地図を見る(Open the map)
私は桃の専門的な事は解りませんので、梅の時と同様”見た感じ”即ち花の色で分類することにします。花の色で分けるとピンク(=桃色)、紅色、白なのです。
(1)桃色
「桃」の字を当て色を指定して居る桃色は典型的な桃花の色です。品種としては「矢口」(※2)が多いですね、左がそれです。
やはり桃色と言う如く、この色が最も「桃の花」らしいと思います。上の写真で枝振りや葉や花冠や蕾を良くご覧下さい。
(2)紅色
この桃園には紅(くれない)の濃い色の花の木が在り、中々艶やかな感じです。左下の写真は晴れ渡った青い空との鮮やかなコントラストの中で撮った紅色の「矢口」(※2)です。右下はその花冠です。
++++ 桃の神秘力と「桃の節句」の起源 ++++
旧暦の3月3日は「桃の節句」(=雛祭)と言い、雛人形を飾り菱餅・白酒・桃の花などを供えて、女子の成長を祝う行事です。雛人形に種々の調度などを供えて飾る遊びは、平安時代頃から貴族の子女の「雛遊び」や「雛合わせ」(※1−1、※1−2)として広まりました(←当時の貴族の子女や女房たちは雛を「ひいな」と発音しました)。
元々は流し雛(※1−3)又は雛流し(※1−4)として旧暦の3月3日の夕方に川や海に雛人形を流す行事でした。現在でも流し雛を行う地方が在りますが、雛は元は人形(ひとがた)として、神送りするものでした。それは中国から輸入された考え(桃は中国原産)で、中国神仙思想では古来から桃の木には「邪気を祓う力が有る」とされ、桃の魔除けの力を借り川の水で邪気を祓う習俗に由来して居ます。
中国では「典術」に
『桃は五気の精也。故に邪気を圧伏し百鬼を制す。故に今の人”桃府”を作り門の上に着けて邪気を圧(おさ)う。これ仙木也。』
と、又「神農経」には
『玉服これ(=桃)を服すれば、長生にして死せず。早くこれを服するを得ずして、死に臨むの日にこれを服すれば、其の尸(しかばね)天地を畢(お)えて朽ちず。』
と在ります(△1のp174)。この様に中国では昔から桃は「不老不死を授ける力」が秘められた仙木・仙果とされ、平和な不老長寿の理想郷という意味の「桃源郷」(※1−5、※1−6)の語源にも成って居ます。
この考えが日本に移入され、『古事記』(※3)に於いて「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国(※4)から逃げ帰る際、黄泉比良坂(よもつひらさか)(※4−1)で桃の実を3個投げて黄泉軍(=邪気の擬人化)を退散させることが出来、桃の実に意富加牟豆津美命(おほかむづみのみこと)という名を与えた」という話(△2のp26〜28)に成り、「桃太郎伝説」にも影響を与えて居ます。
旧暦の3月3日と言うと、新暦では例えば今年は4月21日です。現在は新暦の3月3日に行われる「桃の節句」も、江戸時代迄は現在より半月〜1ヶ月半位後(年に依って変動)に行われて居た事に成ります。
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尚、「端午の節句」と鯉幟の起源については、この度完成しました。▼下▼を是非
2004年・鯉幟の町−加須市(Kazo and carp streamer, Saitama, 2004)
参照して下さい。{このリンクは04年6月12日に追加}
(3)白色
ここ大阪城公園桃園では、太閤秀吉に因んで白色の品種を「関白」と名付けて居ます。白い花は清楚な感じで、遠くからは一見梅の様に見えます。
左が通常の「関白」、右が照手羽衣の「関白」(※2)で、ご覧の様に枝が上にスッと伸びているのが特徴です。この品種は遅咲きです。
下は白い花の花冠です。
(4)源平 − 白と桃色
「源平」は白い花と桃色の花とが混在して咲く品種を指します。源氏と平家の旗の色 −源氏は白旗、平氏は赤旗− に因んだ名称です。この品種も遅咲きです。
左下の手前が通常の「源平」、奥が枝垂れの「源平」(※2)です。
右が通常の「源平」の花冠です。ご覧の様に1本の枝から白の花と桃色の花が混在して咲くのが特徴です。
(5)桃園を振り返って
右が大阪城公園の桃園全体の様子です。OBPの高層ビルを背景に手前の白色の花の奥にピンク(=桃色)の花が咲き、ベンチも在り寛げる様に成って居ます。
ご覧の様に白い花は桃園全体のアクセントに成って居ます。
桃を詠んだ歌は梅や桜に比べると非常に少なく、「木の花は こきもうすきも紅梅。」と言い放った清少納言も、第2に桜、第3に藤を挙げ、桃については言及して居ません。前述の如く「桃源郷」と言う程桃を好んだ中国人と日本人との感性の違いと言えましょう。そんな中で次に紹介する『万葉集』巻19−4139は素直に「桃の花」を詠んで居ます(△3の(下))。
春の苑 くれなゐにほふ 桃の花
した照る道に 出で立つをとめ 詠人しらず
又、『万葉集』巻7−1358には
はしきやし 吾家の毛桃 本(もと)しげく
花のみ咲きて ならざらめやも 詠人しらず
と在り(△3の(上))、明らかに花よりも果実を期待して居ます。
一方、『紫式部集』(※5)には
おりて見ば 近まさりせよ 桃の花
思ひぐまなき 桜おしまじ 紫式部
と在り(△4のp28)、桜の枝を瓶に挿したら見る間も無しに花が散って仕舞うので、瓶に挿して見る場合は桃の花の方が勝ってるという内容です。
以上で大阪城公園桃園の桃の花を見て来ましたが、如何でしたでしょうか?、「桃で花見」もオツですよ、今後は大阪城公園の桃園を是非宜しく!
私は04年3月13日、16日、23日、そして31日に桃を撮影に行きました。13日は7〜8分咲きでしたが、16日は暖かく見頃で、左の写真の様に平日にも拘わらず多くの人が見に来て居ました。しかし照手羽衣と源平という品種(※2)は他の品種より遅咲きで31日に撮影しました。OBP上空の旅客機の写真は23日の撮影です。
関西では2月の梅に始まり、3月中旬の桃、そして4月初めの桜が咲いて「春満開」と成ります。ところで皆さん、このページと合わせて「梅」、「桜」のページの【脚注】をご覧下さい。梅も桃も桜も「バラ科サクラ属の落葉高木」だ、ということをご存知でしたか?、そこで一首。
春来たり 匂うは梅か 散るは桜
仲を取り持つ 花は太股(ふともも) 月海
オッホッホ!、桃に因んで私らしくピンキーな歌が出来ました。その心は
桃(もも)も李(すもも)も 太股(ふともも)も 桃の内
という訳です。
花を見乍ら春を迎える、これは奈良・平安の昔から日本人が受け継いで来た「日本人らしさ」の一つです。皆さんも是非、地元の公園などで季節に親しんで下さい、屹度何かの発見が有りますよ!!
このページは桃を特集しましたが、梅・桜と合わせて[春を告げる花]シリーズを構成して居ます。因みに梅・桃・桜は何れもバラ科サクラ属(※1)です。
尚、[春を告げる花]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
【脚注】
※1:桃(もも、peach)は、(狭義には「実」を表し、木は tree、花は blossoms を付加)バラ科サクラ属の落葉小高木。中国原産。葉は披針形。3〜4月頃、淡紅又は白色の5弁花を開く。果実は大形球形で美味。古くから日本に栽培、邪気を祓う力が有るとされた。白桃・水蜜桃の他に、皮に毛の無いツバイモモ(アブラモモ)、果肉が黄色の黄桃(おうとう)、扁平な蟠桃(はんとう)、観賞用の花モモなど品種が多い。仁・葉は薬用。季語は花が春、実が秋。万葉集19「春の苑紅にほふ―の花下照る道に出で立つをとめ」。
※1−1:雛遊び(ひいなあそび/ひなあそび)は、雛人形に種々の調度などを供えて飾ること。平安時代から貴族 −貴族の間では雛(ひな)を「ひいな」と言った− の子女の遊び。季語は春。
※1−2:雛合わせ(ひいなあわせ/ひなあわせ)は、物合(ものあわせ)の一。雛人形を持ち寄って、その優劣を争う遊び。中務集「七夕の絵の中宮の―に」。
※1−3:流し雛(ながしびな)は、3月3日の節句の夕方、川や海に流す雛人形。又、その行事(=雛流し)。雛は元は人形(ひとがた)として、神送りするものであった。
補足すると、鳥取県用瀬(もちがせ)町の「流し雛」用の雛人形が有名。
※1−4:雛流し(ひなながし)は、3月3日の夕方、紙などで作った雛人形を川や海に流すこと。祓(はらえ)の形代(かたしろ)を流したことに由来する行事。季語は春。
補足すると、特に和歌山市加太の淡島神社での3月3日の雛流し神事が有名。
※1−5:桃源郷(とうげんきょう、earthly paradise, Shangri-La)とは、(陶淵明の「桃花源記」に書かれた理想郷から)俗世間を離れた別天地。仙境。武陵桃源。桃源。
※1−6:桃花源記(とうかげんき)は、東晋の陶淵明作。武陵の漁夫が道に迷って桃林の奥に在る村里に入り込む。そこは秦の乱を避けた者の子孫が世の変遷を知ること無く、平和で裕福な生を楽しんで居る仙境であった。歓待されて帰り、再び尋ねようとしたが見付からなかったという内容。
※2:大阪城公園桃園の桃の品種は、矢口・関白・枝垂れ・照手羽衣(てるてはごろも)・寒緋(かんひ)・源平・京舞子・菊桃(きくもも)など12種類だそうです。白い花が関白、白とピンクの混合が源平、枝が横に広がらず上に伸びているのが照手羽衣、柳の様に下に垂れるのが枝垂れで、全体的には矢口が多いです。
※3:古事記(こじき)は、現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅で誦習した帝紀及び先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅に依り撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)迄、中巻は神武天皇から応神天皇迄、下巻は仁徳天皇から推古天皇迄の記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含み乍ら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
※4:黄泉(よみ、land of the dead, Hades)は、(ヤミ(闇)の転か。ヤマ(山)の転とも言う)死後、魂が行くという所。死者が住むと信じられた国。黄泉国(よみのくに/よもつくに)。黄泉(こうせん)。冥土。九泉(きゅうせん)。万葉集9「ししくしろ―に待たむと」。
※4−1:黄泉平坂/黄泉比良坂(よもつひらさか)とは、現世と黄泉との境に在るという坂。古事記上「猶追ひて、―の坂本に到りし時」。
※5:紫式部(むらさきしきぶ)は、平安中期の女房。生没年未詳(生年は970年代、没年は1010年代か)。藤原為時の女(むすめ)。女房名は藤式部、後に紫式部。源氏物語の「紫の上」と父の官位「式部丞」に由る名と言う説が有力。学者の父の影響で漢詩文の素養が有った。藤原宣孝(のぶたか)に嫁したが、間も無く死別。後、上東門院(一条天皇の中宮彰子)に仕え、その間、道長他の殿上人から重んじられた。中古三十六歌仙の一。著作は「源氏物語」の他、「紫式部日記」「紫式部集」など。<出典:一部「日本史人物辞典」(山川出版社)より>
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『中国神話伝説集』(松村武雄編、伊藤清司解説、現代教養文庫)。
△2:『古事記』(倉野憲司校注、岩波文庫)。
△3:『万葉集(上・下)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。
△4:『紫式部集 付大弐三位集・藤原惟規集』(南波浩校注)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):大阪城付近の地図▼
地図−日本・淀川、桜之宮と大阪城
(Map of Yodo-river, Sakuranomiya, and Osaka castle, Osaka -Japan-)
@参照ページ(Reference-Page):日本の旧暦の各月と季節▼
資料−「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
@補完ページ(Complementary):雛人形の詳細や雛遊びについて▼
2003年・人形の町−岩槻市(Town of dolls, Iwatsuki, Saitama, 2003)
@補完ページ(Complementary):「端午の節句」と鯉幟の起源について▼
2004年・鯉幟の町−加須市(Kazo and carp streamer, Saitama, 2004)
「私の庭」について▼
ここが「私の庭」だ!(Here is the territory of Me !)
旧暦と節句の関係について▼
2003年・交野七夕伝説を訪ねて(Vega and Altair legend of Katano, 2003)
「桃源郷」を求めてさ迷う人々▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
桃園近くの新鴫野橋から撮影した大阪城の夜景▼
黄昏の淀川〜大阪城(Twilight scene from Yodo-river to Osaka castle)