−− 2003.12.23 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.01.08 改訂
2003年12月9日(火)の夕方に私は初めて埼玉県岩槻市の土を踏みました。それは久伊豆神社を訪ねる為で東武野田線の岩槻駅に降り、直ぐタクシーで神社に向かいました。そしたら駅前に人形屋が立ち並んで居るので運転手に尋ねると、ここは「人形の町」だ、という答えでした。見ると町中を離れた住宅街の中に人形工房の家への案内板が道路の所々に掛けられて居ます。久伊豆神社からの帰りは元荒川の流れを見る為にタクシーで東岩槻駅に行きました。
という訳で9日は時間が無かった(←冬は日が短い)ので「人形の町」の様子を撮影出来ませんでしたが、私が住んで居る所がやはり「人形の町」の大阪松屋町に近いので、これも何かの縁と思い翌10日の夕方にもう一度岩槻に立ち寄り人形関連の写真を撮影しました。
(1)岩槻の人形の今
岩槻市は人口約10万の「人形の町」です。我が大阪松屋町が人形の問屋街なのに対し、こちらは雛人形・五月人形・御所人形や羽子板飾りなどを生産し全国に出荷してる「人形作りの町」です。私は今迄全く知りませんでしたが、屹度松屋町の問屋は岩槻の人形工房(後出)からも仕入れて居ると思います。

先ず右の拡大写真をご覧下さい。これは毎時の時報を告げる駅前ロータリーの仕掛け人形です。時報を告げる時刻に成ると駅前に琴の音が響き、その音楽に合わせ下方の3人の女性の人形が琴を弾き、時計の上の男性の人形が太鼓を叩き、真ん中に立って居る女性の人形が踊り出します。
左の写真の背後のビルが岩槻人形を代表する「東玉(とうぎょく)」本館ビル(埼玉県岩槻市本町3−2、後述)で、宣伝の垂れ幕が下がって居ます。
左上のビルには東玉人形の博物館が在り、人形の歴史や文化、江戸時代からの伝統を受け継ぐ人形から現代の名匠の作品、海外のアンティークドールなどを季節毎にテーマを設定して展示して居ます。又、人形作り体験や人形工房の見学も出来るそうです。
下の3枚の写真は駅前の人形屋さんで、大阪の松屋町でも見掛ける名前が見えます。




右がお店のショーウィンドーの中の3段の雛人形と羽子板飾りです。雛壇は他に5段、7段などが在り、一番上に乗って居るのが内裏雛です。
(2)岩槻の人形の昔
岩槻は室町時代に太田道灌(※1)が江戸の北の守りとして築いた岩槻城を中心とする我が国最初の城郭都市で、その後阿部氏12万石の城下町に成りました。地名は「岩を用いて築いた城」が語源で元は岩築(いわつき)で、その後「岩付」とも書かれ現在名に成って居ます。城跡は現在岩槻公園に成って居て、土塁や空堀が残り嘗ての城門・黒門も公園内に移築されて居ます。
江戸時代に成ると日光御成道の宿場町(※2)として栄え、岩槻の人形作りは元禄(1688〜1703年)の頃、京都の仏師・恵信が日光東照宮修理の帰途に岩槻で病に倒れ、医者の必死の治療で回復後、この地に留まり桐材から出る桐粉から人形の頭部を作る桐塑人形(とうそにんぎょう)の製法を編み出し伝えたことに始まったとされて居ます。元々この付近は昔から桐の産地で箪笥や下駄などの桐細工や木工技術が発達して居て、しかも桐塑作りに欠かせない胡粉に適した水も豊富な上に他にもこの地に留まった日光帰りの工匠たちが居たことや、大消費地の江戸に近かったことで人形作りが盛んに成りました。
そしてもう一つ逸話が在ります。岩槻城主の藩医・戸塚隆軒が趣味が昂じて作った人形の一つを嘉永年間(1848〜1853年)に城主に献上したら城主が大変気に入り、東国に於ける人形作りの王という意味で「東王(とうおう)」の作号を賜りま
した。しかし「王」は余りに畏れ多いとして「王」の字に点を入れて初代・東玉(とうぎょく)と名乗ったのです。これが東玉(現(株)東玉)の起こりで、今は6代目雛匠東玉に至って居ます。更に前述の恵信を治癒した医者こそ戸塚隆軒(=初代東玉)の祖先だと言うのです(△1)。
(*_-)
成る程。岩槻では伝統的に桐塑の「頭」作りを得意とし、現在は東玉(とうぎょく)を筆頭に300軒余りの人形工房と100店の卸小売店舗が在り、日本一の人形生産地です。特に雛人形は全国生産の8割を占めて居ます。
岩槻では他にのれん・ふろしき・晒木綿などに使用する岩槻木綿も有名です。
{この節は03年12月27日に追加}
今回私は埼玉県を中心に3日間あちこち行きましたが、正直言って埼玉県は観光の”穴”です...”穴場”では無くブラックホールの様な”穴”そのものなのです。何故なら関東地域の旅行案内書の出版状況を見ると、東京については腐る程在りますが、北関東だけは何故かスコンと抜けて日光迄飛んで仕舞います(東のチバラギ地方(※3)は少し在りますが)。その無視されて居る”穴”が埼玉県なのです。
埼玉県は東武鉄道を利用するのが便利で、羽生(はにゅう)駅で時間待ちして居る時、ふと売店を覗いて目にしたのが【参考文献】△2でした。中を見ると東武鉄道沿線の情報を網羅し(従って埼玉県だけでは無い)、しかも単なるお店情報では無く歴史や文化などが要領良く纏められて居るので早速買って読んだら(500円)、大変役に立ちました。この本は埼玉の”穴”を見事に埋めて居ます。
ところで前述の様な由緒有る伝統を持ち乍ら、岩槻市は現在他市との合併 −合併は今の流行− を模索中の様です。確かに飾り人形は今苦しい時期を迎えて居ます。人形だけで無く日本の伝統産業、もっと言えば日本文化そのものの存在の危機と言っても過言では無く、この状況は大阪松屋町でも同じです。埼玉県は県庁所在地の浦和市に活気が無い為、03年に浦和市・大宮市・与野市の3市を合併させて逸早く「さいたま市」を出現させましたが、そういう話題性や一過性の騒ぎは直ぐに過ぎ去って仕舞います。長期的な市政を実現するには、やはり埼玉の特徴或いは個性を地道に出して行く必要が有ります。そうしないと特徴の無い単なる東京の”ベッドタウン”(=寝に帰る街)(※4)に成って仕舞います、合併はそういう危険性も孕んで居るのです。
そういう意味で、まあ、私も埼玉県の悪口は相当書いて来ましたが(御免為さい)、埼玉は「彩の国(さいのくに)」などという変なコジツケ −埼玉は元々は「前玉(さきたま)」という由緒有る名でしたゾ!− は止め、岩槻の様な町をもう一度見直して欲しいですね。その為には埼玉は新興の横浜などより余程歴史の厚みが有る所なのだ、ということを地元の人が改めて再認識する必要が有ります。既に埼玉は”穴”そのものと言いましたが、一旦”ベッドタウン”に成ったら最後、埼玉の人は”自分の街に誇りが持てず東京に憧れるだけの田舎っぺ”に堕落するしかありません、それは更に深く希望の無い”穴”に落ち込むことなのです。既に横浜も東京のベドタウンとして可なり”埋没”して居ますが、地元の由緒を知らないのがベッドタウンの特徴ではあります。
その地元の由緒を知る事こそ「温故知新」なのですが、雛人形の歴史は平安時代の「流し雛」(又は「雛流し」)(※5、※5−1)や貴族の間で流行った「雛遊び(ひいなあそび)」(※5−2)や「雛合わせ(ひいなあわせ)」(※5−3)に迄遡り、平安時代の代表的な文学である『源氏物語』や『枕草子』にも「雛遊び」のことが載って居ます。例えば『源氏物語』−「末摘花」の帖には
例の、もろともに雛遊びし給ふ。繪など書きて、色どり給ふ。
と在り(△3のp253)、
『枕草子』第30段には
すぎにしかた戀しきもの 枯れたる葵。ひひなあそびの調度。
と在ります(△4)。
その後江戸時代初期に京都の御所で雛祭(=「桃の節句」)として催される様に成り、これが江戸城大奥などに伝わり、大名家や富裕な町人階級へと伝わり、一般化して行きました。又、中国伝来の思想から桃の木には「邪気を祓う」力が有ると信じられて居ます。「流し雛」の習俗が現在も残って居る地方は全国に在ります。
「端午の節句」(※6)に飾る五月人形も奈良時代迄遡り、厄除けの菖蒲(しょうぶ)を飾り蓬(よもぎ)などの薬草を皇族や臣下に配る宮中行事が、やはり江戸時代から武家に於いて甲冑・武者人形などを飾り庭前に幟旗や鯉幟を立てて男子の成長を祝う行事として一般化し、この武者人形が五月人形として定着したものです。5月5日にはやはり「邪気を祓う」意味から銭湯や家庭の風呂で菖蒲湯を焚いて入浴したりしました。
御所人形(※7)もやはり江戸時代中期に京都で創製され、参勤交代に伴なって江戸の武家に、そして町人に広まって行ったものです。
こうして見ると、どの飾り人形も世の中が安定し流通が盛んに成った江戸時代前期〜中期に武家や富裕な町人階級の間に急速に広まって行ったことが解ります、そしてそれが段々と庶民にも波及して行き江戸時代後半の飾り人形の最盛期を迎えます。
人形の需要が多く成ると作り手の方も顔や頭を作る頭師(かしらし)と衣装や飾り物を作る着付師(きつけし)に分業して行きます。衣装を着せる人形の代表が雛人形ですが、凝った物に成ると精巧を極め巧(たくみ)の技の競い合いに成り、その技(わざ)は代々受け継がれて行き今日の工匠に至ります。一方、木目込人形(きめこみにんぎょう)又は加茂人形と言うのが在り、これは人形の胴体に衣装の端を接合し固定させる(=決め込む)製法で、江戸中期に京都加茂神社で考案されたそうです。
現代人は雛人形に「願いを託す」ことや五月人形で「邪気を祓う」などという行為は迷信だと考えるでしょうが、そうでは無く、1年のサイクルの中に節目を設けて祝うことは、自分や家族が今在ることへの「感謝」の顕れであり、それが正に「節句の心」なのです。
{この章は03年12月27日に追加}
以前人形浄瑠璃についての論考を書きましたが、この記事を書く為にあれこれ調べて行く過程で飾り人形にも長い歴史、即ち長い人の営みの積み重ねが有るのだ、と改めて感じた次第です。
誰でも自分が住んで居る町や村はそれなりにローカルですが、私はそんな「地方の町の温故知新」を求めて旅をするのが好きです。この記事は冒頭に述べた様に予定外の偶然から生まれた「思わぬ発見」なのですが、これこそ旅の真髄、「日本再発見の旅」の醍醐味です。
尚、[埼玉を”押し広げ”る旅]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
>>>■その後 − 大阪の「人形の町」を掲載
当ページの制作に触発されて、同じく「人形の町」として関西で知られてる大阪松屋町を調べて大阪の「人形の町」のページを正月早々に掲載しました。大阪の松屋町は人形の問屋街です。岩槻で生産した人形も売ってると思います。
▼下のリンク▼からご覧下さい。
人形の町−大阪松屋町(Town of dolls, Matsuyamachi, Osaka)
{この記事は04年1月8日に追加}
【脚注】
※1:室町中期の武将・歌人(1432〜1486)。扇谷(おうぎがやつ)上杉定正の臣。名は資長。俗に持資(もちすけ)、入道して道灌。築城(江戸城、河越城、岩槻城)・兵馬の法に長じ、学問・文事を好んだ。定正に謀殺された。
※2:江戸時代の五街道の一つの日光街道(又は日光道中)のバイパスで、川口、岩槻を経由して幸手(さって)で日光街道に合流する。元和3(1617)年の2代将軍・秀忠の日光参拝以後、将軍の日光詣での正式コースと成った。それは警護の固い岩槻城が将軍の宿泊先として選ばれた為で、宇都宮城でもう1泊して江戸〜日光東照宮間を往復しました。
※3:「チバラギ」とは千葉県と茨城県を一纏めに括った言葉です。
※4:ベッドタウン(bed town)とは、(昼は大都市へ出て働き、夜寝る為にだけ帰る町の意)大都市の機能の地域的拡大・分化から、その周辺に衛星的に生じた住宅だけで産業を持たない地区。住宅都市。衛星都市。
補足すると、ベッドタウンとは文字通り”寝に帰る街”ですが、特に東京近郊の独自の文化を持たない田舎都市では東京へのアクセス・利便性のみに価値観を置いて居て、常に東京への劣等感を内包させて居るのが特徴です。
※5:流し雛は、3月3日の節句の夕方、川や海に流す雛人形。又、その行事(=雛流し)。雛は元は人形(ひとがた)として、神送りするものであった。
補足すると、鳥取県用瀬(もちがせ)町の「流し雛」用の雛人形が有名。
※5−1:雛流しは、3月3日の夕方、紙などで作った雛人形を川や海に流すこと。祓(はらえ)の形代(かたしろ)を流したことに由来する行事。季語は春。
補足すると、特に和歌山県加太市の加太神社や同じ淡島大明神を奉る淡島神社での3月3日の雛流し神事が有名。
※5−2:雛遊び(ひいなあそび、ひなあそび)は、雛人形に種々の調度などを供えて飾ること。平安時代から貴族 −貴族の間では雛(ひな)を「ひいな」と言った− の子女の遊び。季語は春。
※5−3:雛合わせ(ひいなあわせ、ひなあわせ)は、物合(ものあわせ)の一。雛人形を持ち寄って、その優劣を争う遊び。中務集「七夕の絵の中宮の―に」。
※6:端午の節句(たんごのせっく、Boys' Festival on the fifth of May)は、(「端」は初めの意。元は中国で月の初めの午の日、後に「午」は音通などに因り「五」に転訛)五節句の一つで5月5日の節句。古来、邪気を祓う為菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒に挿し、粽(ちまき)や柏餅を食べる。菖蒲と尚武の音通も有って、近世以降は男子の節句とされ、甲冑・武者人形などを飾り、庭前に幟旗や鯉幟(こいのぼり)を立てて男子の成長を祝う。第二次大戦後は「こどもの日」として国民の祝日の一。あやめの節句。重五(ちょうご)。端陽。
※6−1:五節句(ごせっく)とは、毎年5度の節句。正月7日(人日)・3月3日(上巳)・5月5日(端午)・7月7日(七夕)・9月9日(重陽)の総称。
※7:(元、京都の公卿の間に行われたからとも、西国大名が参勤交代の途次御所に伺候しその返礼に拝領したからとも言う)頭の大きな、体の丸々とした幼児の裸人形。享保(1716〜1736)の頃、京都で創製された。大内人形。拝領人形。御土産人形。
(以上出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:「(株)東玉」公式サイト。
△2:『東武本線ハイキング&ウォーキングガイド みちしるべ』(東武鉄道営業企画課編・発行)。埼玉・栃木・群馬方面の案内書としてお薦め。
△3:『源氏物語(一)』(山岸徳平校注、岩波文庫)。
△4:『枕草子』(池田亀鑑校訂、岩波文庫)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):ブラックホールについて▼
資料−天文用語集(Glossary of Astronomy)
@補完ページ(Complementary):「桃の節句」や桃の邪気祓いについて▼
大阪城の桃の花(Peach blossoms of Osaka castle)
@補完ページ(Complementary):人形や鯉幟の問屋街
人形の町−大阪松屋町(Town of dolls, Matsuyamachi, Osaka)
埋没する埼玉の扱き下ろしと再評価▼
東西三都物語(The 3-cities of east and west)
日本文化の危機的状況について▼
冷泉家時雨亭文庫(Reizei Shigure-tei library)
「感謝の心」の大切さについて▼
2003年・年頭所感−感謝の心を思い出そう!
(Be thankful everybody !, 2003 beginning)
「温故知新」について▼
温故知新について(Discover something new in the past)
人形浄瑠璃について▼
人形浄瑠璃「文楽」の成り立ち(The BUNRAKU is Japanese puppet show)
「思わぬ発見」は旅の醍醐味▼
「日本再発見の旅」の心(Travel mind of Japan rediscovery)