−− 2003.04.12 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2014.12.31 改訂
※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。 ★−−−暫くお待ち下さい(Wait a minute)−−−★ |
以前に「大阪城の梅便り」をお届けしましたが、今回は本命・桜をお届けしましょう。やはり日本の春は桜です。特に私は桜が無いと春が始まりません。桜の頃はぐっと暖かく成り、プロ野球も開幕し、女性も薄着に成って、何もかも春めいて来ます。日本の1年のサイクルは、役所を始め会社、学校、テレビ・ラジオの番組も、皆4月から始まります、皆桜と共に始まります。ですから花見(=桜の宴)は、これから1年の実りを予祝する行事でもあるのです。
ところで、桜の無い世界など考えられないと歌ったのは、かの在原業平(※1)で、彼は交野の渚院で次の様に詠じて居ます(『伊勢物語』第82段(△1)、歌は『古今和歌集』巻1−53(△2)にも在り)。
世の中に たえて櫻の なかりせば
春のこころは のどけからまし 業平
私も全く同感です。さあ、今日は「日本人の心」を桜に求めて花見酒で乾杯!
このページには日本の桜模様をこれから機会有る毎に追加して行きますよ、ボチボチと。ところで、月見酒を飲みたい方はココをクリック!{このリンクは07年10月30日に追加}
尚、桜の品種については末尾の「参考資料」に纏めましたので、随時参照して下さい。
大阪で手っ取り早く桜が見れるのはその名の通り桜之宮公園です。何と言っても桜が咲くから「桜之宮」な訳で、大阪のサラリーマンが花見と言ったらこの桜之宮公園やその西隣の南天満公園(後出)で、川端という立地条件では東京の隅田公園に匹敵します。隅田公園は夏は花火大会で大変賑わいますが、大阪ではこの川を天神祭の船渡御の船が行き交います。
桜之宮公園は大阪城公園に隣接し、天満橋から淀川の毛馬水道迄の大川端(淀川の支流)約4.2kmで、1923(大正12)年3月1日に開園し両岸は桜並木(約4700本の桜の木)に成って居ます。正に”大阪市民のオアシス”と言いたい所ですが、今はプー太郎(=ホームレス)のオアシスです、いやはや。
(>_<)
→ 桜之宮公園の地図を見る(Open the map)
下の写真は川崎橋(一番天満橋寄りの橋)から上流方向の桜之宮公園両岸の桜を撮ったもので、ご覧の様に両岸が満開の桜で埋まって居ます。川の真ん中で波飛沫を上げているのが水上バスで、通勤に利用して居る人も居ます。
下の2つはソメイヨシノの花。
下は大川左岸から独特のアーチを持つ桜宮橋(銀橋)越しに遠く大阪城を望んだ風景で、水上バスとミシガン型の遊覧船も見えます。こういう風景はやはり、江戸八百八町に対し浪速八百八橋と謳われた「水の都・大阪」を感じさせて呉れます。
→ 銀橋の夜景も是非ご覧下さい。
左は公園内の池のサギです。
右は公園で花見をする家族です。
左は大川左岸から桜越しに対岸のOAPタワーと帝国ホテル大阪を撮ったもの。因みにOAPは大阪アメニティパーク(Osaka Amenity Park)の英字略称です。
左は財務省付属の造幣局を対岸から撮影したもの。造幣局は遅咲きの八重桜が有名で、普通のソメイヨシノが散った頃咲き、「通り抜け」と称して、普段お金に縁の薄い庶民が貨幣を鋳造するお役所の庭を”束に成って”通り抜けます、立ち止まったら行けません。何か有り難い御利益でも有るのでしょう。
私は酒宴の伴わない見るだけの花見には興味有りませんね、増してや混雑など。
左は大川左岸の桜並木の散策風景。バックに川崎橋と水上バス、そして天満橋のビル街が見えます。天満橋は嘗ては淀川の本流で京都と船便で結ぶ八軒家船着場が在った所で、その向こうに北浜、淀屋橋と続き、米相場で賑わった所です。今は大阪ビジネス街の中心として、その賑わいを引き継いで居ます。
下は再び川崎橋からの眺めで、左下は大阪城、右下はOBP(大阪ビジネスパーク)のツインビルを望んだもの。この2つは大阪の街の新旧のシンボルです。
下は天満橋から西日射す大川と川崎橋を望んだ景色。ウーン、こうして見るとやはり「水の都」ですね、写真では。実際は?、...もっと川の水がキレイだったらねえ...、キレイにしましょ皆さん、少しずつ!
<以上、撮影は03年4月7日>
★桜之宮公園にユリカモメが飛来
上で桜之宮公園の桜は03年にたっぷりとお伝えしましたが、翌04年の桜満開時にユリカモメの群飛(※2)を撮影しましたので追加します(下の写真、△3のp136)。この写真は川崎橋から上流方向の風景を背景に入れて撮ったもので、03年にも同じ角度からの写真が在ります。
ご覧の様に嘴と脚が赤いのが特徴です。故郷はユーラシア大陸北部で、日本には冬鳥として渡来し、10月〜翌年4月頃迄各地で生活します。従って日本で見られるのは主に冬型(=冬羽)で、頭部が灰白色で眼の後方に灰黒色の斑紋が有るものです。しかし夏季は頭部前面が黒褐色に成り、英語名の
black-headed gull
は夏型(=夏羽)の姿に由来します。
この日はギャーギャー鳴き乍ら、ざっと100羽は居たと思います。花見客がパンなどの餌を空中に放り上げると沢山寄って来て見事に捕捉して食べるので中々の人気者です。実はこの時も川崎橋の上から餌を投げていた人が居たのでした。桜が散る頃にはユリカモメたちも北の故郷に帰ります。
このユリカモメは古くは「都鳥」(※2−1)と呼ばれ古歌に詠まれた鳥で、冒頭に引用した『伊勢物語』に於いて第9段の隅田川の渡しの場面は涙を誘う名場面として特に有名です(△1)。
<以上、撮影は04年4月2日>
南天満公園は天満橋の西から天神橋の間の大川右岸河川敷の公園で、桜之宮公園の西端に接して居て大阪の中心街・中之島の東です。
右は04年の南天満公園の夜桜の下での「恒例の花見」のスナップです。右から古やん、藤原税理士、その助手の菅野氏です。
私は1990年頃から1年も欠かさず毎年ここで「花見の宴」を開催してまっせ!!
<以上、撮影は04年4月1日>
{「藤原税理士事務所」へのリンクは2014年12月31日に外しました。}
桜之宮公園から見た大阪城が何度か登場しましたので、ここで大阪城内の桜をご覧戴きましょう。江戸時代迄は大阪のことを「大坂」と書きましたので、大阪城も嘗ては「大坂城」と書きましたが、当サイトでは通常は現代語表記の「大阪城」を使用して居ます。
左下は本丸から西の丸庭園の眺望、右下は天守北の山里丸に架かる極楽橋です。
<以上、撮影は04年4月6日>
天守閣と桜の組み合わせは伊賀上野城に譲りましょう。
いやあ、京都の桜も結構です。嵐山、哲学の道、鴨川と名所にも事欠きません。
が、今年は鴨川のみ。右の写真は七条辺りの鴨川の桜です。この日はここで花見をしました。
写っているのは誰でしょう?、勿論女性の方でっせ、何処かで見た顔ですね。
<以上、撮影は03年4月17日>
次ぎは古市古墳群の桜です。
→ 古市古墳群の地図を見る(Open the map)
先ず右は誉田(ごんだ)八幡宮の桜。古市古墳群は応神天皇陵が中心ですが、その応神天皇を祀って居るのが、この誉田八幡宮です。広い境内は大変立派です。
下は道明寺天満宮の参道ですが、参道も境内も桜で溢れて居て、この日は快晴・日曜・桜満開と条件が揃い参道には屋台がぎっしり繰り出し、境内は花見の家族ずれで一杯でした。天満宮と言うと菅原道真を祀り、「梅」ですが、拝殿の奥に広い梅林が在り、ちゃんと手入れされて居ました。
檜皮葺の拝殿はとても感じが良く、能舞台も在り、非常に庶民的な雰囲気の漂う神社で、私は大変気に入りました。
右は道明寺天満宮から津堂城山古墳へ移動する途中の大水川散策路沿いの桜並木。この大水川は浅い排水溝の様な川ですが、歩いて居る途中で亀1匹と鯉(屍骸)1匹とフナ数匹を見ましたが、水生生物が若干ですが棲息して居る様です。
下は津堂城山古墳のガイダンス棟前の菜の花畑と古墳の周縁 −専門用語では周庭帯(しゅうていたい))− に咲く桜です。写真左に桜の手前に濃いピンク色をした木は桃で、菜の花の黄色とのコントラストが実に見事です。
この古墳からは有名な水鳥型埴輪が出土して居ます。
<以上、撮影は03年4月6日>
ところで、私は05年5月14日に小型飛行機で古市古墳群の上を飛行、地上からでは見ることが出来ない大型古墳の全景を上空から撮影しました(百舌鳥古墳群も撮影)。この記事は
「2005年・空から大阪の古墳巡り」
をご覧下さい。{このリンクは05年6月2日に追加}
さて桜と城(特に天守閣)、これが又良く合うんですね。城は桜の花を添えると一層映え、桜は城という背景の上に浮かび出て美しさと艶やかさを際立たせます。
そこで伊賀上野城の登場です。今年1月ラオス留学生で忍者好きのプーペット君の博士論文提出の労をねぎらって、伊賀忍者村とこの上野城に来たのですが、その時ここは桜の季節はさぞ綺麗だろうな、と思っていたのです(この時の模様や伊賀上野城の詳細はココから参照して下さい)。
そうしたら偶々、伊賀猪田道(いだみち)に行く事に成り、その帰りに桜の伊賀上野城に寄ることが出来ました。来てみると日曜日ということで本丸の庭は案の定花見客で賑わって居ました。下は西日を受ける天守閣 −昭和10(1935)年再建の三層の大天守(右側)と二層の小天守(左側)− を斜め正面から撮ったものです。
→ 伊賀上野市の地図を見る(Open the map)
左は登り口から見上げた三層の大天守です(その左手前が二層の小天守)。
右は日本一の高石垣が在る西側から撮った天守閣です(左奥が大天守、右手前が小天守)。
こうして見ると伊賀上野城はやはり名城、そして城を映えさせるのが桜です。
<以上、撮影は03年4月13日>
ところで桜も梅も共にバラ科サクラ属の落葉高木で同属です。今の様に「花」と言えば桜を指す様に成ったのは平安時代の『古今集』以降 −『古今集』巻2「春歌下」では桜の歌が圧倒的− で、奈良時代の『万葉集』では寧ろ梅が中心でした(△4のp40、p83)。そういう意味で『万葉』の奈良から『古今』の平安京都への遷都は又、「花」から見ると梅から桜への嗜好の転換期だったのです。その「嗜好の転換」を如実に示して居るのが冒頭の業平の『古今』巻1−53の歌でした(△2)。
□万葉集(1425番歌、△5)
あしひきの 山櫻花 日竝(なら)べて
かく咲きたらば いと恋ひめやも 山部赤人
□古今和歌集(60番、73番、89番歌、△2)
み吉野の 山べにさける さくら花
雪かとのみぞ あやまたれける 紀友則
うつせみの 世にも似たるか 花桜
咲くと見しまに かつ散りにけり 詠人知らず
さくら花 散りぬる風の なごりには
水なきそらに 浪ぞ立ちける 紀貫之
□山家集(△6のp35)
吉野山 一むらみゆる 白雲は
咲きおくれたる 櫻なるべし 西行
上の歌の中で「咲くと見しまに かつ散りにけり」とか「散りぬる風の」と詠み込まれて居る様に古(いにしえ)の人々もやはり、桜花の散り際に強く心魅かれて居たのが窺い知れます。これが古来から桜に寄せる「日本人の心」なのでしょう。
この章の初めで、奈良から京都への遷都は梅から桜への嗜好の転換期だったと述べましたが、鎌倉前期の歌人である藤原定家が撰した『小倉百人一首』にもその嗜好がはっきりと出て居ます。即ち、百首の中に「梅の歌」が皆無に対し「桜の歌」は3首(61、66、73番歌)在るのです。又、桜の中では「み吉野」「吉野山」と登場する吉野山の桜(=山桜)が特に好まれた様です。そして面白いのは吉野山の桜の遠景を、紀友則は「雪」に譬えているのに対し西行は「雲」に譬えている −西行は吉野山に庵を結び吉野山を数多く詠んだ− ことです。この辺が詠み手の感性と言えるでしょう。
日本人は昔から桜を一際愛でて来ました、特にその散り際を。欧米人は違いますね、やはりチューリップや向日葵(ひまわり)の様なflower志向で、”目立って咲く”のを好みます。そもそも桜の花を英語では "cherry blossoms" と言いますが、これは直訳すれば「サクランボ(桜ん坊)の成る木の花」という意味で、欧米人は同じ桜に対してそもそも日本人と感じ方が全然違うということをいみじくも証明して居るのです。普段茶髪・金髪にしてハンバーグを食べていても、どうしてか桜に感動して仕舞う心、そこに「日本人の心」即ち「感性の秘密」が有る様な気がします。
私も桜のパッと咲いてパッと散る所が好きです、特に散り際の桜吹雪の中で飲む酒は又格別、グラス(否紙コップ!)に桜の花弁(はなびら)が舞い落ちて、風流ですねえ、絵に成りますねえ。右の写真は03年4月3日の恒例の南天満公園の花見の私です。
ということで、私は花見酒の飲み過ぎでもうヨレヨレです。でも未だ未だ行きまっせ、桜花が在る限り。皆さんも気合い入れて大いに花見のハシゴをして下さい。
最後に桜吹雪に寄せる私の歌でこの「桜の宴」のお開きとしましょう。
桜花 降り行く雪は 幻(まぼろし)の
花散る里の 君が面影 月海
このページは桜を特集しましたが、梅・桃と合わせて[春を告げる花]シリーズはこれで完結です。因みに梅・桃・桜は何れもバラ科サクラ属だということをご存知でしたか?
桜のバーチャル花見を充分堪能して戴けたと思って居ますが、ここ迄付き合って戴き有り難う御座いました。私はお酒が入ってますのでここらで失礼します、何方様もお元気で!
m(_=_)m (^o^)/~~~
尚、[春を告げる花]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
◆◆◆参考資料 − 桜学事始
一口に「桜」と言っても色々な品種が在ります。各品種を詳述する前に、先ずは「桜」一般について知って置きましょう。
●桜(さくら、cherry)は、(狭義には「実」を表し、木は tree、花は blossoms を付加)バラ科サクラ属の落葉高木又は低木の一部の総称。同属でもウメ・モモ・アンズなどを除く。中国大陸・ヒマラヤにも数種在るが、日本に最も種類が多い。園芸品種が非常に多く、春、白色・淡紅色から濃紅色の花を開く。八重咲きの品種も在る。古来、花王と称せられ、日本の国花とし、平安時代以降は「花」と言えば桜を指した。材は均質で器具材・造船材などとし、又、古来、版木に最適とされる。樹皮は咳止薬(桜皮仁)に用いる他に曲物(まげもの)などに作り、花の塩漬は桜湯、葉の塩漬は桜餅に使用。又、桜桃の果実(=さくらんぼ)は食用にする。ヤマザクラ・ソメイヨシノ・サトザクラ・ヒガンザクラなどが普通。季語は花が春、実が夏。
補足すると梅・桃・桜は何れもバラ科サクラ属です。そして桜が「木の花」の代表に成ったのは平安時代以降のことで、奈良時代及びそれ以前は梅が主流 −「万葉集」で、梅の歌118首、桜の歌44首− でした。
●桜桃(おうとう):バラ科サクラ属の落葉高木。花はサクラに似るが白い。果実は「さくらんぼ(桜ん坊)」と称して食用。西アジア原産で冷地を好む。セイヨウミザクラ(西洋実桜)。桜桃の名は、本来は中国原産の別種シナミザクラの漢名。季語は夏。
以下に日本の主な桜の品種について簡単に纏めて置きます。
○ソメイヨシノ(染井吉野):サクラの一種。各地で最も普通に栽植。花は葉の出ぬ先に開き、蕾(つぼみ)は初め淡紅色で、次第に白色に変わる。成長は早いが木の寿命は短い。エドヒガンとオオシマザクラの交雑種とされ、幕末の頃江戸染井村(現在の東京都豊島区巣鴨、駒込)の植木屋が桜の名所の吉野山に肖(あやか)って「吉野」の名で売り出したのが名称の由来で、明治初年に命名。桜前線は本種の開花日に依る。一部でヨシノザクラとも言われるのは誤称。
○ヨシノザクラ(吉野桜):古くからの桜花の名所奈良県吉野山のサクラで主にヤマザクラ。一部でソメイヨシノの誤称。
○ヒガンザクラ(彼岸桜):日本の中西部に多いサクラの一種。小高木で花季が早く、春の彼岸の頃、葉より先に淡紅色の美花を付ける。観賞用に栽植。コヒガン、アケボノヒガン、エドヒガンなど。
○オオシマザクラ(大島桜):サクラの一種。伊豆七島に自生する。新葉の赤みがうすい。花が白色大形で美しいので各地で栽培。ソメイヨシノの片親とされる。
○シダレザクラ(枝垂桜):エドヒガンの一変種。枝は細くて垂直に垂れ下がる。花は葉より前に開き淡紅色、単弁又は重弁。樹齢長く、高さ20mに及ぶものが在る。自生は無く、観賞用。シダレヒガン。糸桜。しだりざくら。
○ヤマザクラ(山桜):バラ科の高木。関東以南の山地に自生するサクラ。葉は卵形で若葉は赤褐色。4月頃、新葉と共に白花を開き、赤紫色の小核果を結ぶ。吉野山の桜はこの種。
○サトザクラ(里桜):オオシマザクラから園芸的に作られた桜の一変種。ヤエザクラなど園芸品種の大部分の元とされる。花は大きく芳香が有り、花期がやや遅い。
○カンザクラ(寒桜):ヤマザクラの一変種。葉はやや厚く、花は淡紅色。花期が非常に早く、暖地では2月頃満開と成る。
○カンヒザクラ(寒緋桜)/ヒカンザクラ(緋寒桜):サクラの一種。沖縄・台湾・中国南部に自生。日本の暖地にも栽培。2月頃、葉に先立って濃紅色鐘形の花を下垂する。緋桜。タイワンザクラ(台湾桜)。
補足すると、ヒカンザクラ(緋寒桜)という呼び方はヒガンザクラ(彼岸桜)と紛らわしいので、最近ではカンヒザクラ(寒緋桜)と呼ぶことが多く成りました。
○ヤエザクラ(八重桜):重弁の花の咲く、サトザクラの品種群。他の桜に遅れて開花。花色は淡紅・紅・淡黄色などを呈し、濃艶。ボタンザクラ(牡丹桜)。
○フジザクラ(富士桜):マメザクラ(豆桜)の別称。バラ科の低木、又は小高木。富士山の裾野、箱根・伊豆・房総地方に自生するサクラ。花は5〜6月に白色か淡紅色で小さく下向きに付く。盆栽とする。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【脚注】
※1:在原業平(ありわらのなりひら)は、平安初期の歌人(825〜880)。六歌仙・三十六歌仙の一。阿保親王の第5子。世に在五中将・在中将と言う。「伊勢物語」の主人公と混同され、伝説化して、容姿端麗、放縦不羈、情熱的な和歌の名手、色好みの典型的美男とされ、能楽や歌舞伎・浄瑠璃の題材にも成った。家集「業平集」。
※2:ユリカモメ(black-headed gull、百合鴎)は、カモメの一種(チドリ目カモメ科)。小形で、体は白色。冬羽は頭部白く、後頸・耳羽は褐色、雨覆いは銀灰色。夏羽では頭部が黒褐色と成る。嘴・脚は暗赤色。ユーラシア大陸北部で繁殖し、秋、日本に冬鳥として全国の海岸地帯に渡来。キャァーキャァーと騒がしく鳴く。伊勢物語「名にし負はばいざこととはむ都鳥」など、古歌に詠まれた隅田川の「都鳥」はこの鳥と言う。季語は冬。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2−1:ミヤコドリ(都鳥)は、[1].oystercatcher。チドリ目ミヤコドリ科の鳥。大形で、背面黒く腹面は白色。嘴は長く黄赤色、脚と眼も赤色。新旧両大陸の寒帯で繁殖し、冬期は南へ渡る。海岸に棲み、春秋に日本を通過。海岸の干潟や岩礁に群生し、貝類・甲殻類を捕食。ピッピッピッと大声で鳴く。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
[2].ユリカモメの雅称。古くから和歌・物語・歌謡などに現れる。上千鳥(うわちどり)。季語は冬。万葉集20「来ゐつつ鳴くは―かも」。伊勢物語「名にし負はばいざこととはむ―」。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『伊勢物語』(大津有一校注、岩波文庫)。
△2:『古今和歌集』(佐伯梅友校注、岩波文庫)。
△3:『山渓ハンディ図鑑7 日本の野鳥』(叶内拓哉・安部直哉・上田秀雄著、山と渓谷社)。
△4:『王朝びとの四季』(西村亨著、講談社学術文庫)。
△5:『万葉集(上)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。
△6:『山家集』(西行著、佐佐木信綱校訂、岩波文庫)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):桜之宮公園の地図▼
地図−日本・淀川、桜之宮と大阪城
(Map of Yodo-river, Sakuranomiya, and Osaka castle, Osaka -Japan-)
@参照ページ(Reference-Page):古市古墳群の地図▼
地図−日本・大阪の河内地方(Map of Kawachi country, Osaka -Japan-)
@参照ページ(Reference-Page):伊賀上野市の地図▼
地図−日本・伊賀と甲賀(Map of Iga and Kouga, Mie and Shiga -Japan-)
@参照ページ(Reference-Page):『小倉百人一首』の桜の歌▼
(61、66、73番歌)
資料−小倉百人一首(The Ogura Anthology of 100 Poems by 100 Poets)
@補完ページ(Complementary):花見酒を飲んだら月見酒▼
月見の宴(The MOON watching banquet in Japan)
在原業平の所縁の地▼
2003年・交野七夕伝説を訪ねて(Vega and Altair legend of Katano, 2003)
東京隅田川の花見風景や業平所縁の「都鳥」の歌▼
浅草、もう一つの風景(Another scene of Asakusa, Tokyo)
大阪の天神祭の船渡御▼
大阪天満宮の天神祭船渡御
(The Tenjin boating-festival of Tenmangu, Osaka)
桜之宮公園や銀橋、中之島や天神橋について▼
浪速八百八橋(808 bridges of Naniwa, Osaka)
桜之宮公園や銀橋の夜景▼
黄昏の淀川〜大阪城(Twilight scene from Yodo-river to Osaka castle)
大阪淀川のユリカモメと古名「都鳥」を詠んだ大阪の歌▼
”生きている”淀川の入江(Live CREEK in Yodo-river, Osaka)
八軒家(八軒屋)について▼
都島の鵺と摂津渡辺党(Nue of Miyakojima and Watanabe family, Osaka)
鴨川に居た女性は何処かで見た顔▼
まどかの外国あれこれ旅行{枠2}(Madoka's foreign travels {frame2})
古市古墳群と百舌鳥古墳群を空から訪問▼
2005年・空から大阪の古墳巡り(Flight tour of TUMULI, Osaka, 2005)
伊賀上野城の詳細▼
2003年・伊賀忍者村訪問記(Iga NINJA-village, Mie, 2003)
空蝉(うつせみ)の姿▼
私の昆虫アルバム・日本編−セミ類(My INSECTS album in Japan, Cicadas)
藤原定家について▼
冷泉家時雨亭文庫(Reizei Shigure-tei library)