河内、大和地方には古墳のメッカ、特に大型の前方後円墳が沢山在ることが特徴。
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|古代の河内・大和|古市古墳群|近つ飛鳥|百舌鳥古墳群|
▼古墳時代(3~6世紀)の河内・大和地方の地図と古墳群の分布図
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大阪府羽曳野市と藤井寺市に跨る大古墳群。全長420mの誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神天皇陵)の前方後円墳を中心に、径10m程の円墳や方墳など約百基から成る。
誉田御廟山古墳は面積は日本第2位だが盛り土の容積は日本最大です。
ところで、少し西には雄略天皇の陵墓とされる丹比高鷲原凌が在ります。雄略天皇は古市古墳群に在る允恭天皇の第5皇子で、478年中国へ遣使した倭王「武」、更に辛亥(471年か)の銘の在る埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘文に見える「獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)」に比定されているばかりか、『万葉集』や『日本霊異記』の冒頭に歌や逸話が載っている歴史上極めて重要な天皇です。又、少し南には清寧天皇凌と安閑天皇凌が在りますが、清寧天皇は雄略天皇の第3皇子で、安閑天皇は継体天皇の第1皇子です。この様に古市古墳群及びその周辺は又、雄略天皇の関連陵墓が在る地なのです。
▼古市古墳群の地図
雄略天皇陵←
人徳天皇凌←
↓ ↓
清寧天皇陵 安閑天皇陵
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大阪府南河内郡太子町近辺は、古市古墳群の東南東に当たり、又『万葉集』の歌で有名な二上山の西側の山裾で、古くは百済系の渡来人が住み、更に聖徳太子所縁の地として奈良の飛鳥(=遠つ飛鳥)に対し「近つ飛鳥」又は「河内飛鳥」と呼ばれる。聖徳太子御廟や推子天皇陵や小野妹子の墓などが在り、奈良の飛鳥と同じく飛鳥川が流れて居ます。
「近つ飛鳥」と奈良の飛鳥とは日本最古の官道・竹内街道で結ばれて居ました。
▼近つ飛鳥の地図
▲二上山
(雄岳と雌岳)
→奈良飛鳥へ
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大阪府堺市に在る大古墳群。全長480m余で、日本最大の面積を誇る大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を含む前方後円墳二十数基を始めとする百基以上の古墳から成る。仁徳天皇は応神天皇の子で、この大仙陵古墳(仁徳天皇陵)は誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の真西に位置し、竹内街道で結ばれて居た。
応神・仁徳系の政権はしばしば河内王朝と呼ばれる。
▼百舌鳥古墳群の地図
→応神天皇凌
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