<国内写真集>
月見の宴
(The MOON watching banquet in Japan)

-- 2007.10.30 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2016.12.07 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★---暫くお待ち下さい(Wait a minute)---★

 ■はじめに - Webで御月見は如何

 皆さん、Webで御月見は如何でしょうか?
 普段何気無く見てる、或いは見過ごしてる「月」をじっくり観て下さい。このページは「月の写真集」、言い換えるとWebで観月をするページです。月だけでは何か物足りないと仰る方にはちゃんと月見酒をご用意して有りますゾ、宴には酒は付き物ですからな。さ、さ、まぁ一杯!
               花札の図:「芒に月」。花札の図:「菊に盃」。

 何故これが月見酒か解らない方は花札の「こいこい」 -花札は当サイトのコンセプトの一要素- を遊んでみて下さい。当サイトのトップページでも花札の「おみくじ」オイチョカブ(※1~※1-3)を遊べますゾ、ブハハハハハ!!
 花見酒も飲みたいという酒飲みの方は下のページからどうぞ。
  日本全国花見酒(Cherry blossoms and banquet in Japan)

 私は07年10月に新しいデジカメを購入して大写しの月の写真が撮れる様に成りました(→後出)ので、今後も「月見の宴」を撮り続けて行こうと思ったので07年10月30日に当ページの初稿をWebサイトにアップロードしました。今後も月の写真を随時追加して行きますので宜・し・く!
 尚、月は暦と密接な関係が有り特に”文明開化”以前(=江戸時代以前)に長い間使われて来た陰暦(=旧暦)は「月の満ち欠け」に基づいて居ます。月の運行と陰暦との関係については
  資料-「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')

に纏めて在りますので、必要な時に参照して下さい。
 尚、各節の<××.××.××:○○○○>は××.××.××が撮影日、○○○○が撮影場所です。

 という事で月の写真をたっぷりと見て戴きますが、過去の月の風景を先ずご覧下さい。
 → 淀川の花火と上弦の月(2003年8月3日)
 → 滝廉太郎所縁の「荒城の月」(2003年11月30日)

  ●年度別目次(Yearly-menu)
    2005年
    2006年(無し)
    2007年
    2008年(無し)
    2009年
    2010年
    2011年
    2012年(無し)
    2013年
    2014年
    2015年(無し)
    2016年

 ■2005年

  ◆中秋の名月

 <撮影日=2005.09.19:撮影場所=大阪市>左は自宅で撮った満月(0:44頃撮影)です。撮影時刻が0:00を過ぎて居るので前日の日付(=9月18日)で月齢を計算する必要が有ります。すると月齢14.4です。
 この頃のデジカメはFinePix-E550という機種で光学ズームは最大4倍(約130mm望遠レンズに相当)です。画素数は2MBに設定。
 私は2007年に新しい機種(→後出)にしますにで、これはFinePixの旧型です。画質が新しい機種に比べると可なり落ちますが仕方無い所です。ま、当時は”こんなもん”だったのです。少しの間我慢して下さい。

 9月18日は陰暦8月15日即ち「中秋の名月」でした。因みに陰暦(=旧暦)では、

   1~ 3月:春
   4~ 6月:夏
   7~ 9月:秋
  10~12月:冬

です
(←「資料-「太陽・月と暦」早解り」を参照して下さい)。陰暦の秋は7~9月で、

  7月=初秋、8月=仲秋、9月=晩秋

です。つまり8月は「仲の秋」で、「初・仲・晩」は他の季節でも同様に付けます。厳密には「中秋」とは陰暦8月15日を指し、8月全体は「仲秋」と書きます。
 現在では便宜上1ヶ月遅れで「9月の満月」を中秋と呼ぶのですが、新暦9月は初秋で陰暦時代の様にピッタリとは合いません。実は陰暦(旧暦)と陽暦(新暦)のズレは約1~1.5ヶ月位有り年に依ってズレ方が違いますので飽く迄も便宜的なアバウトな対応付けです。

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 ■2007年

  ◆部分月食 - 月食は必ず満月

 <07.08.28:大阪市>この日は大阪で部分月食(月蝕) -日本の東北地方では皆既月食- が起こり、幸い好天に恵まれたので月食の様子を観察しました。「食(蝕)」を始め有らゆる天体現象は曇天・雨天では地上から観測出来ません。

  ↓21:25頃     ↓21:27頃     ↓21:29頃
写真070828-1:部分月蝕1。写真070828-2:部分月蝕2。写真070828-3:部分月蝕3。

  ↓21:33頃     ↓21:36頃     ↓21:50頃
写真070828-4:部分月蝕4。写真070828-5:部分月蝕5。写真070828-6:部分月蝕6(月蝕終了後の満月)。

 この日は陰暦7月16日月齢15.2の満月(←最後の写真が月食終了後の満月)ですが、月食は必ず満月の日に起こるのです。即ち、月食は月を地球の影が「蝕む」現象 -故に「月蝕」が本来の綴り- ですから月・地球・太陽が完全に一直線上に並んだ時に地球の影で起きる訳で、そういう意味では月食直前直後の満月は言わば「満々月」(←これは私の造語です、完全満月という意味)であり通常の満月は一直線から少しズレてるのです。

  ◆小望月(こもちづき) - 陰暦14日の月

 <07.10.24:大阪市>10月初めに新しいデジカメFinePix-S8000fdを購入しました。このカメラの特徴は光学ズームが最大18倍(約486mm望遠レンズに相当)という事なので、それを試す為に夜の月を目一杯の倍率、目一杯の画素数(8MB)で撮影してみました。勿論、三脚を使用し2秒タイマーをセットし手押しのブレを回避して撮りました。この日は陰暦9月14日月齢12.9の月(21:30頃撮影)です。
 満月のことを望月(もちづき)とも言いますが、陰暦14日の月は望月前夜の月という意味で昔の人は小望月(こもちづき)と呼びました。陰暦各月の13日の夜を十三夜と言いますが、特に陰暦9月13日の「十三夜の月」が名月とされてますので、この月はその翌日の月です。
写真071024:月齢12.9の月。

 ご覧の様に新デジカメの威力は抜群です。特に月面の左下の少し欠けてる部分のクレーターの凹凸(おうとつ)感凸凹(でこぼこ)感がリアルで私は大いに満足です。この様に新機種は画質が格段に向上しました。
 満月はノッペラした表情(→後出)ですが、小望月(陰暦14日の月)は凹凸が出て私は一番好きですね。
 

  ◆居待月(いまちづき) - 陰暦18日の月
写真071029:月齢17.9の月。
 <07.10.29:大阪市>右は明け方の月ですので前夜10月28日は陰暦9月18日月齢16.9の居待月(いまちづき)(5:05頃)の手撮りです。手撮りの最大倍率でどの程度撮れるかも試して置く必要が有ったからです。但し画素数は2MBです。
 これを見るとクレーターの凹凸も見え手撮りでも何とか行けるという感触が得られました。プロの写真家では無いので「そこそこ見れる」出来であれば良いのです。何事も現実に於いてはこの「そこそこ感(=程々感)」が大事です、所詮私の出来もそこそこですから!
 冒頭に述べた様に、この写真を撮って月の写真も「そこそこ」溜まったので当ページを作成しアップロードしました。

  ◆満月を新カメラで撮る

 <07.11.24:大阪市>次は満月の試し撮りです。当ページを掲載したので、やはり満月の大きい写真が欲しいと思ってた私は陰暦10月15日月齢14.2の満月(21:46頃)を三脚を据えて撮りました。
写真:071124:月齢17.9の月。

 これを見ると満月の月は光が真正面から当たるので凹凸感が無くノッペラした感じです。写真としては満月を外した方が面白(→同年10月24日の月を参照)という事が解りました。
 上述の如く、何故満月がノッペラした画像に成るかと言えば、光が全面に亘り正面から当たるからです。それに対し満月以外では月が欠けている部分の近くで光が斜(はす)に当たり凹凸が見えるのです。

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 ■2009年

  ◆十三夜の月 - 陰暦13日の月

写真090408:月齢12.5の「十三夜の月」。 <09.04.08:京都市>左下は陰暦3月13日月齢12.5の「十三夜の月」(19:30頃)です。この日は京都鴨川の枝垂桜などを見て夜友人と飲みに行く時に偶々空を見たら月が綺麗だったので撮りました。勿論手撮りですので少しブレて居ます。残念乍ら名月の誉れ高い陰暦9月13日の十三夜では無く”春の十三夜”でしたが良い月でした。
写真090409:月齢13.5の月。

 <09.04.09:大阪市>前夜の月が綺麗だったので、右は9日に自宅で改めて撮ったものです。陰暦3月14日月齢13.5の小望月(22:00頃)です。三脚を使ったのでシャープに撮れて居ます。

  ◆皆既日食 - 日食は必ず新月

 <09.07.22:大阪市>左下は月では無く太陽、厳密には太陽と月で即ち日食(日蝕)の写真(11:30頃)です。勿論、三日月形の明るい部分が太陽、それを右下から「蝕む」暗円が月です。
写真090722:日食。 即ちこの日は日本の九州地方で皆既日食が観測される日で大阪では午前11:05頃がピークという事でしたが、午前中は生憎の雨で分厚い雲が覆いピーク時は全くダメ。この写真はピーク後の11:30頃に少し雲が薄く成り太陽の光が見えた時に撮ったものです。コントラストを上げて有ります。
 天候が悪かったので三脚はセットせず期待もせずに、コーヒーを飲んで音楽を聴き乍ら時々窓から外を覗いた時の手撮りです。
 ところで、この日は陰暦6月1日の新月ですが、日食は月が太陽と地球の間に割り込み太陽・月・地球が一直線上に並んだ時に起きる現象ですので、地球側の月面は完全に太陽の陰と成ります。つまり日食は必ず新月の日に起こるのです。
 余談ですが、この日の為に九州トカラ列島の皆既日食観測ツアーが早くから組まれ予約で満員でしたがトカラも雨でダメ、往復に要した日数と高いカネが無駄に成ったとか。それに対し鹿児島空港から皆既日食観測旅客機を飛ばしたツアーが在り、こちらは雲の上に飛び出して日食を満喫したとか。
 ご覧の様に”ぼんやり”した写真ですが、時間もカネも使わなかった私はトカラ迄行って計画を棒に振った人に比べればマシと言うべきでしょう!

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 ■2010年

  ◆有明(ありあけ)の月 - 明け方の月

 <2010.10.02:大阪市>次は珍しい「有明の月」(6:18頃)です。月が珍しいのでは無く、この時間に貴方(貴女)が、そして私が起きている事が珍しいのです。
写真101002:月齢22.7の「有明の月」。
 どんなに早起きな人でも「有明の月」は陰暦の16日~晦日迄しか見れませんが、昨夜10月1日は陰暦8月24日月齢22.7「下弦の月」の1日後の月(←半月より1日分欠けて居ます)でした。その月が明け方迄残った言わば「曙の残月」です。
 私は夜型 -夜ごそごそ動いて昼ぐうたらに過ごす猫みたいな活動型- なので、「有明の月」など滅多に拝んだ事は無いのですが、この時はどうした弾みか「曙の残月」を見たので写真を撮りました。そんな私でも旅に出ると俄然早起きなので外国旅行などでは結構「有明の月」を見て居ます。しかし、朝が白々と明けた頃月などに遭遇しても中々気付き難く、空が澄み渡って無いとダメですね。
 『枕草子』「日は 入り日。」と夕陽を讃えた清少納言が、月に対しては「月は 有明の、東(ひんがし)の山ぎはにほそくて出(い)づるほど、いとあはれなり。」と逆に未明の「有明の月」が好いと宣う(△1のp279) -『枕草子』は好き嫌いの宣言集- のも肯けて、「有明の月」には通常の夜の月とは違った「秘めやかで風雅な趣」が感じられます。尚、清少納言が宣う細い「有明の月」は後で出て来ます。
 『万葉集』巻10-2300には

  九月(ながつき)の ありあけの月夜(つくよ) ありつつも
    君が来まさば 吾恋ひめやも
           詠み人知らず


が在ります(△2のp442)。この歌は秋相聞の中の「月に寄する三首」の内の一首ですが、どうも長月(ながつき)の「有明の月」が良い様です。
 「有明の月」は『小倉百人一首』にも多く第21・30・31・81番歌で詠まれて居ますが、その中で長月の「有明の月」を詠んだ歌は第21番歌

  今来むと いひしばかりに 長月(ながつき)
    有明の月を 待ち出でつるかな
            素性法師


です。もう一首、第30番歌

  有明の つれなく見えし 別れより
    暁ばかり 憂きものはなし
              壬生忠岑


をご紹介しましょう。これは「有明」のみで「月」を省略してますが「有明の月」を指してる事は明白です。何故、壬生忠岑(※2)の歌を挙げたかと言うと、平安時代後期に女流の手に成るとされる『有明の別れ』という王朝物語が存在したとか -それは『無名草子』(鎌倉時代初期成立)に「今の世の物語」の一つとして引用されてる(△3のp97)ので確かな事です- で、この「有明の別れ」という題が上の壬生忠岑の第30番歌に拠って居るとされてるからです。つまり「つれなく見えし別れ」の物語という意味で、この物語の主人公は「男装した姫君」という”訳有り”の人物の上に原本が800年間見付からず戦後に写本が偶然発見されたという二重に”訳有り”な稀有な書物です。私はこの写本を基に再構築した南條範夫の『有明の別れ』(△4のp9~15)という小説で以上の事を知りました。

  ◆旅先の満月で「前祝いの月見酒」 - 筑前深江駅

写真101220:R筑肥線の筑前深江駅で撮った満月に近い月。 <10.12.20:福岡県糸島郡>月の写真は自宅での撮影が多いですが、左の写真はJR筑肥線の筑前深江駅(福岡県糸島市二丈深江)で撮りました。この日は陰暦11月15日月齢14.4の満月に近い月(19:37頃撮影、手撮り)でブレずに上手く撮れました。今月は翌21日の月齢15.4の月が満月です。
 明日松浦鉄道で伊万里の松浦一酒造に行くので、この日は唐津に泊まる為に筑肥線に乗りましたが、何も無い筑前深江駅で唐津行きの列車を待つ間に月が綺麗だったので、そして他にする事も無いので撮りました。空気が冴え渡った夜でした。
 この夜は「前祝いの月見酒」で明日からの旅を予祝しました。
写真101222:熊本駅近くで撮った満月の晩の後の明け方の残月。
 <10.12.22:熊本市>右は熊本駅近くで撮った明け方の満月(7:09頃撮影、手撮り)です。撮影時刻が0:00を過ぎて居ますので月齢計算は前日の12月21日で行います。すると昨晩は陰暦の11月16日で月齢15.4の満月です。陰暦16日以後に明け方に残る月を「有明の月」と呼びますが、満月はどうなんでしょうか?
 これから西空に沈んで行く所で、ご覧の様に橙色の月でした。夕陽が橙色に成るのと同じ現象(→後で説明)です。手ブレが入り輪郭が暈けましたが、列車に乗らなければ為らないので撮り直しはしませんでした。

 私はこの後、出水(いずみ)に向かいました。

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 ■2011年

  ◆「三日月と上弦の月」の中間の月
写真110804:月齢4.4の三日月。
 <11.08.04:大阪市>右は「三日月と上弦の月」の中間の月(20:13頃)です。毎年8月4日に四天王寺の屋外の舞台で催される「篝の舞楽」を観賞してる合間に撮ったものです。この日は陰暦7月5日月齢4.4、2日後の8月6日が陰暦の七夕という日でした。そして8月8日が立秋でしたがこの様に陰暦七夕は常に立秋の前後に来ます。
 2011年の夏は天候不順でこの「篝の舞楽」の時だけ快晴でしたが、この後深夜から雨が降り出しました。
 「上弦の月」はこちらを参照
 「下弦の月」はこちらを参照

  ◆観月の名所 - 姨捨の月

 <11.09.08:長野県千曲市>左下はJR篠ノ井線の姨捨駅から松本方面の線路の上方(=南西の方向)に出てた月です。
写真110908-1:姨捨の月齢10.0の月。 この日は陰暦8月11日月齢10.0の月(18:38頃、画素数は4MB)です。姨捨とは例の姨捨伝説に因む名で、古くから更科(更級)と呼ばれたこの地方は現在では「田毎の月」の棚田で知られて居ます。私は2010年秋から姨捨の旅を重ね、実はこの写真の翌日に棚田と伝説の跡地を訪ね歩く為に又来たのです(←その話の詳細はここでは省略します)が、この姨捨駅(標高547m)からの眺望は何度見ても素晴らしく、この日は松本泊ですが駅から見た棚田(下の写真)を撮る為にわざわざ来ました。松本から来て姨捨駅着が18:16、駅で夜景と月を撮って16:50発の列車で松本に帰りましたので、僅か30分位の撮影でした。
写真110908-2:姨捨の夜景。
 右の棚田の写真は月を撮った直後にやはり駅から撮影しましたが、フィルム感度を上げる設定て撮りましたので、この様に明るく撮れました(三脚を使う)。姨捨は棚田でも知られて居ます。
 姨捨山冠着山(かむりきやま)、標高1252m)の姨捨伝説は平安時代の『大和物語』に依って全国に流布しましたが、この逸話の中で男が姨捨をした日は秋の満月の日とされ、男が姨捨を悔いて読んだ有名な次の歌

  わが心 なくさめかねつ 更級や をば捨て山に 照る月を見て

が添えられて居ます。ちょうど数日後の9月12日が陰暦8月15日の「中秋の名月」ですので、上の写真の月で姨捨伝説を偲んで戴ければ幸いです。実際に棚田の斜面に降りれば「中秋の名月」が冠着山から上る場所が在りそうです。
 ところで、現在棚田が広がる斜面や山麓は古来から観月の名所として都人にも知られ、

  月影は あかず見るとも 更科の 山の麓に ながいすな君
                  紀貫之(拾遺和歌集)

  あやしくも 慰めがたき 心かな 姨捨山の 月もみなくに
                  小野小町(続古今和歌集)

  月もいでで やみに暮れたる をばすてに
          なにとてこよひ たづねきつらむ

                  菅原孝標女(更級日記(△5のp69))


などの様に月を詠んだ数々の歌が残されて居ます。小町の「慰めがたき」は姨捨の「なくさめかねつ」を受けたもので、この様に伝説以後は姨捨山は「慰め難い」の譬えに用いられました。
 尚、JR篠ノ井線の姨捨駅はスイッチバック駅として”知る人”には知られて居ます。

  ◆月と木星の大接近

 <11.10.13:大阪市>この日は月と木星の大接近です。先ずは左下が陰暦9月17日月齢15.7の立待月(22:25頃)です。前夜が満月でした。
 そして右下が22:40頃に撮影した月と木星(22:55頃、写真下部の白点が木星)です。この日は天候が今一で三脚にカメラをセットしたら雲に隠れたりして待たされましたが接近した儘の状態で雲間に見え隠れしてましたので、雲の切れ間から木星が見えた僅かの隙に撮りました。
   写真111013-1:月齢15.7の月。写真111013-2:大接近した月と木星。

    ◆◆◆番外編 - 木星のガリレイ衛星を撮る!

 <11.10.26:大阪市>ここで番外編の意味ですが、当ページは月が主役で一般の星は前の「月と木星の大接近」の様に月と組んで初めて掲載されるのですが、今回は木星のガリレイ衛星(※3) -天文学史上非常に有名- という事で番外編として載せました。同年10月24、26日に単独の木星を撮影したら期せずして -1610年ガリレオ・ガリレイ(※3-1)が発見した木星の4つの大きなガリレイ衛星(イオ/エウロパ/ガニメデ/カリスト)(※3)- が写って居たのです。
 右が上手く撮れた木星とガリレイ衛星です。26日の未明の04:08に三脚を使って撮りました。5~6回シャッターを切った内の1枚が下の様にピタリと撮れて居た訳です。と言っても、肉眼やカメラのファインダーでは見えません。これはパソコンに取り込み後、画像の編集処理(コントラスト・明るさetc)で初めて浮かび上がって来るのです。
 私のデジカメはFinePix-S8000fdという機種で、光学ズームを最大の18倍(約486mm望遠レンズに相当)にしモードNで撮影しましたが威力を発揮して呉れました。

  公転半径: イオ < エウロパ < ガニメデ < カリスト
  公転周期: 1.8日    3.6日     7.2日     16.7日
  大きさ : ガニメデ > カリスト > イオ > エウロパ
       (水星より大)


というデータから判断すると、上の写真で上からイオ、木星、エウロパ、ガニメデ、カリストか(??)、更に詳細に分析する必要が有ります(△6のp38~41)。
 木星の大きさは惑星中最大(地球の約11倍)で、4つの大きなガリレイ衛星は公転周期が月に比べたら非常に短い為に”びゅんびゅん回転”してるイメージです。その為に1日毎にガリレイ衛星は位置を変えます
 是非、▼下の写真集▼を見て下さい。
  写真-木星(PHOTO - Jupiter, Japan)

  ◆下弦の1日前の月 - 二十三夜

 <11.10.20:大阪市>自宅から撮影しました。撮影時刻は未明の4:48なので月齢計算は前日の10月19日で行います。するとこの日は陰暦9月23日に相当し月齢21.7下弦の1日前の月です。
 本当は明日が厳密な下弦です(陰暦10月24日、月齢22.7の下弦)が、明日晴れるとは限りませんし、明日飲みに出掛けるかも知れませんので、略下弦だと思った所で写真を撮って居るのです。
 陰暦23日の夜は寧ろ厳密な意味で二十三夜です。昔はこの夜に月待 -酒宴を催して月を祭ること- をすれば願い事が叶うという信仰が在り、講(こう)に寄り集まり地域の人々の親睦を図りました。

 右上の写真も見事な半月です。凸凹感も出ています。10月半ばの未明は可なり寒く、こんな時間に月の写真を撮っているなんて私位でしょうね。もう未明なので、これは講破りですね。「この不届き者」という声が聞こえて来そうです、ワッハッハッハ!!
 「上弦の月」はこちらを参照

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 ■2013年

  ◆◆◆2011年12月2日に脳出血で倒れる

 ところが私は2011年12月2日(金)21時15分脳出血に倒れて仕舞いましたが、これについては彼方此方に書いてますので取り敢えずは
  日本、珍にして奇なる光景#2(The RARE and STRANGE scene 2, Japan)

を見て下さい。

  ◆◆◆2013年3月18日から沖縄に移住 - これぞエルニーニョ的転回

 兎に角、入院とリハビリの為に2011年12月~2013年2月半ば迄は休みました、別に仕事はしてませんが。そして2013年3月18日から沖縄(那覇市長田1-2-16)に移住する事にしました。3月19日に転入手続を完了し、晴れてウチナーンチュ(沖縄の人)です。その経緯の詳細を▼下のページ▼に纏めましたので、是非ご覧下さい。
  2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
    {このリンクは2014年4月30日に追加}

 これは正にエルニーニョ的転回です!!

                (*_@)

  ◆那覇市で初めての満月を撮影



 <13.07.23:那覇市>月齢14.8の満月(撮影時刻21:11頃)で、屋上から撮影しました。2007年11月24日の満月と比較してみて下さい。沖縄で撮っても大阪の満月と変わり有りません、当たり前です、ホッホッホ!!
 まぁ、これはデジカメの小手試しです、天体写真では普段余り使わない特殊モードとかが有りますので。で、遣ってみてデジカメの操作は略覚えていて、まぁ何とか使えるな、と思いました。取り敢えず一安心です。

 2013年はこれだけです。

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 ■2014年

  ◆月(有明の月)と木星と金星(明けの明星)

 <14.08.24:那覇市>左下の写真は月(有明の月)と木星と金星(明けの明星)(※4)で、撮影時刻は早朝の5:35頃です。もう明け方の撮影なので月齢計算は昨夜の8月23日で行います。昨夜は陰暦7月28日月齢は27.2と成ります。
 細い月ですね、実は8月25日の晩が新月なのです。位置関係は

   木星
    ・

       (有明の月)
   ・
  金星
  (明けの明星)


略正三角形です。
 実際は空はもっと明るいのですが明度を落としてあります。地面すれすれの東の空を3つの天体が上って来ましたが、後10分遅いと木星が、6:00位に成ると金星と月が見えなく成りますので撮影に余裕は有りません、これがギリギリのタイミングです。
 低い空は霞んで居ることが多く中々スキッとした写真は撮れないものですが、ご覧の様に雲が出ていたにも関わらず早朝の東の低い空が澄んでいて撮れました、幸運です。

 月を単独で撮影したのが右の写真で、時刻は5:38頃です。明度を落とさなければこの程度の明るさで間も無く見えなく成ることがお解りでしょう。これは2010年に見た「有明の月」です。しかも清少納言が「有明の月」は「ほそくて出(い)づるほど、いとあはれなり。」(△1のp279)と宣った通りの細い月齢27.2の「有明の月」です。その「有明の月」が木星、明けの明星と共に早朝の東の空で”人知れず”演じた一瞬だったのですが、一体何人の人が気が付いたでしょうか?

 左上の写真を見ると、そういう”あれやこれや”が思い出されます。

  ◆皆既月食の半影食

 <14.10.08:那覇市>この日は日本の広い範囲で皆既月食が見られ(←勿論好天候であれば)、月齢13.9の満月です(右の写真、20:43分頃撮影)。月食は必ず満月の日に起こること(←この日は陰暦9月15日です)、即ち月・地球・太陽が完全に一直線上に並んだ時(←「満々月」という造語を使いました)に地球の影で起きることは、既に説明しました。皆既月食が見える時刻は20:24~20:35です。
 ところが本土では大方天候は良好でした -大阪の”不良定年”は皆既月食の写真を撮ってメールで送って来ました- が、沖縄は雨混じりの曇り空で厚い雲で覆われ全然見えなかったのです、残念無念。私はデジカメを屋上で三脚にセットした儘”する事無し”でした。諦めて三脚を片付け始めていた時に、ほんの一瞬だけ雲が薄く成り月が姿を現したので慌てて手取りしたのが右の写真なのです。
 もう皆既月食(=本影食(※5)は終わって居たのですが、地球の影が光の回折現象(※6)で暫くの間”擬似月食”即ち半影食(※5-1)が見れるのです。この写真は皆既月食後の半影食のもので、又直ぐ厚い雲で覆われ何も見えなく成りました。

 ところで皆さん部分月食(黒色皆既月食(暗赤色では影の色が違うことに気付きましたか?、部分月食の場合は厳密に言えば少し斜(はす)から見て居ます -言い換えると本影の中に完全に入り切らない- から影は通常のですが、皆既月食の場合は完全に本影の中に入る訳ですが、この時波長の短い光(=青い光)は散乱(※6-1)し波長の長い光(=赤い光)は散乱の影響を受け難くいので、皆既月食の影の色は暗赤色なのです。これは夕日が橙色に見えるのと同じ原理です。回折も散乱も光が波動であることに起因して居ます。

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 ■2016年



  ◆中秋の名月

 <16.09.17:那覇市>沖縄に来て4年目に成りました、早いものです。あっと言う間に4年の歳月が過ぎ去りました。
 この日は「中秋の名月」ですが、今年は2日ずれて陰暦8月17日月齢15.8です。
 撮影データは、撮影場所は自宅の屋上、撮影時刻22:23、三脚使用です。光学ズームを最大18倍(約486mm望遠レンズに相当)にし、画素数4MBで撮影しました。
 昔は陰暦8月を月見月・桂月などと呼びました。

  ◆スーパームーン(満月)

 <16.11.14:那覇市>この日はスーパームーン(=満月)と呼ぶらしく、好天気に恵まれ陰暦10月15日月齢14.4です。
 月に1回は満月の日が在る訳ですが、スーパームーンとはその年の満月の中で最も月と地球の距離が短いのを言うのです。言い換えると、1年で最も満月が大きく見えるのです。
 撮影データは、撮影場所は自宅の屋上、撮影時刻20:04、三脚使用です。光学ズームを最大18倍(約486mm望遠レンズに相当)にし、画素数4MBで撮影しました。
 2つの写真は撮影時刻が約2時間30分違うので、月の暗い部分の傾きが少しずれて居ますが、この2つの写真は全く同一の撮影条件なのでスーパームーンが本当に大きいのか2つの写真を比較出来ます。写真の外枠はどちらも同じ[350pix × 350pix]です。月の直径を測定すると

    中秋の名月  : 直径91.5mm
    スーパームーン: 直径93.5mm

で、確かにスーパームーンの方が大きいです。直径を測定しなくても外枠と月の外縁との間隔を見比べれば一目瞭然では有りますが。

  ◆月(三日月)と火星


 <16.12.03:那覇市>先ず右の三日月です。撮影場所は自宅の屋上、撮影時刻19:36、三脚使用です。光学ズームを最大18倍(約486mm望遠レンズに相当)にし、画素数4MBで撮影しました。この日は陰暦11月5日月齢:3.6、所謂三日月です。月の表面が可なり凸凹(でこぼこ)して居るのが判ります。
 しかし今日は月が目的では有りません。左下の写真をご覧下さい。

 左の写真が、上の写真の数分後に撮った月(三日月)と火星(写真の左下の橙色の点)です。火星が赤っぽく見えるのはギリシャ神話で「戦いの炎」の色なのです。撮影時刻は19:41、三脚使用です。露出をオーバー気味に撮りましたので、月の影の部分が薄(うっす)らと丸く写って居ます。
 3日は天気予報では夕方曇りで余り期待はして無かったのですが、19:30~20:00位迄南西の空が晴れたので月と火星が撮れました。

 実はこの日は写真の下部に日没直後(=6:00頃)には金星 -宵の明星(※4-1)- も出ていたのですが、その時刻は雲が出て撮影出来ず、19:41には金星は沈んで居ました。
 月・火星・金星の写真は12月3~5日がチャンスでしたが、3日は上記の如くでダメ、4日は雨、5日は曇りでダメで、月と火星と金星(宵の明星)の写真は結局撮れませんでした。
 でも、月(有明の月)と木星と金星(明けの明星)を2014年8月24日の早朝に撮りましたね。
 火星の写真は▼下▼からご覧下さい。
  写真-火星(PHOTO - Mars, Japan)

  ◆上弦の月


 <16.12.07:那覇市>右が上弦の月です(撮影場所は自宅の屋上、撮影時刻18:27、三脚使用です。光学ズームを最大18倍(約486mm望遠レンズに相当)にし、画素数4MBで撮影)。この日は陰暦11月9日の厳密な意味での上弦です。
 今迄何故か、上弦の月を撮って無かった -と言うよりも旅先に手撮りで撮ったのは在るのですが- ので撮りました。
 見事な半月です。凸凹感も良く出ています。
 この日は二十四節気の大雪で、つまり本格的な冬を告げる日ですが、沖縄は今日も暖かかったですね。沖縄には雪は降りませんゾ!

 上弦の月は良くに見立てられ、七夕(陰暦7月7日)は織女と牽牛が1年に1度逢うという話ですが、これを古(いにしえ)の人々は天の川の上を上弦の月の「舟」に乗って2人が出逢う、と豊かに想像力を膨らませたのでした。だから七夕は本来は陰暦(旧暦)で遣るべきなのです。
 又、上弦と下弦とが在りますが、それぞれ

  上弦の月  陰暦の 7~ 8日
  下弦の月   // の22~23日


の月を言います。
 「下弦の月」はこちらを参照
    {この最後の記事は2016年12月07日に追加}

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 ■月について徒然に思う事

 (1)月を観るという文化

 紅葉を観たり、虫の声を聴いたり、を観たり」という日本人の楽しみ方はどうも欧米人の理解を超えてる様ですな。これは花見のページで既に述べた事ですが、彼等欧米人は花を観るならチューリップや薔薇か向日葵、桜ん坊は食べるもの、音楽会で音楽を聴くのが「聴く」であって、夜は芝居やオペラや映画を観るのが「観る」である、という具合に左脳の論理を思い切り働かせて理屈を述べます。そもそも欧米人のYes/No型の言語構造はこういう左脳優位の思考パターンの反映なのですが、これについては▼下の論考▼をお読み下さい。
  「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)

 しかし日本人は理性や論理や理屈よりも感性的で直感的でファジー(※7)な右脳思考です(△7のp50~55)から、外国人に何と言われようとも日本人は”そういう楽しみ方”を内心「雅(みやび)」と感じて居ます。それ故に満月のことを望月、半月のことを弓張月などと雅な名に呼び換えるのです。又、立待月居待月寝待月・有明の月などの呼び名も雅です。月が隠れて見えなく成る「月隠(つきごもり)」から月末を晦(つごもり)と呼ぶのも洒落て居ます。又、その隠(こも)って居た月が新たに出始めるのが月初めの「ついたち(一日、朔日)」元は月立(つきたち)なのです。これらの呼び名については▼下の資料▼を参照して下さい。
  資料-「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')

 「有明の月」の歌は既にご紹介しましたが「月」は万葉の時代から和歌の恰好の題材でした。ここで月を詠んだ有名な歌を『万葉集』から挙げて置きましょう。中でも巻1-8(△2のp46)の

  熟田津(にきたつ)に 船乗(ふなのり)せむと 月待てば
    潮もかなひぬ 今はこぎ出でな
            額田王


や、巻1-48(△2の55)の

  東(ひむかし)の野に かきろひの 立つ見えて
    かへりみすれば 月西渡(かたぶ)きぬ
        柿本人麻呂


の歌は、和歌史上で超有名且つ極めて重要な歌で非常に良く引用されますので、これ以上列挙する必要無いでしょう。こういう重要な歌に月が詠み込まれて居るという事実が大事なのです。因みに、人麻呂の歌の「かきろひ」とは陽炎(かぎろい)(※8、※8-1)の事ですが【脚注】の様に早速広辞苑に引用されてます。又、人麻呂が返り見た月は明け方ですから「有明の月」です。
 これらの歌や先程の月の雅な呼び名は日本人が昔から月を愛で月に親しんで来た民族である事の証左で、花鳥風月(※9)とか雪月花(※9-1)という表現も在ります。そういう感性の豊かさが無いとこれらの歌や呼び名は生まれて来ません。従って日本人の「月を観るという文化」世界に誇れる固有性の高い文化であると私は思う訳です。「文化の固有性」が大切だというのが私の持論ですが、それについての私の考えは▼下の論考▼をお読み下さい。
  温故知新について(Discover something new in the past)
  対外援助ボランティア活動の在り方と私(The way of foreign aid volunteer)
  日本の観光立国行動計画とは(The VISIT JAPAN program)

 (2)月と海の呼応

 私は「月海(げっかい)」と号し下手な歌を詠む時などに使って居ます。この「月海」と命名した心は当サイト開設時に開陳してますが、月に関して色々述べて来た当ページの最後に於いて恥ずかし乍ら再度心を開きましょう。何故”恥ずかし乍ら”なのかと言えば、人間は股と心は簡単に開かないものだからです、ブッハッハッハッハ!!
 海の潮の干満(=満ち干)が主に月の引力で起きて居る事は皆さんもご存知だと思いますが、月と海は密接な関係で結ばれてるのです。つまり

  海を照らす月月を映す海、両者は互いに呼応し同じ波長で共鳴し合って、「月の満ち欠け」「潮の満ち干」を繰り返す

のです。それで満月に照らされた夜の海をイメージして「月海」とした訳です。「空海に遠く及ばず」というパロディーの意味も込めてるのですが。
 そして海には波浪という別の波長が在ります。海岸に寄せては引く波の運動、これが私には「海の呼吸」に思え潮騒の音は海の呼吸音に聞こえるのです。引く時に息を思い切り吸い込み、その息を吐いて又波を打ち寄せる、それは我々人間を含めた生物の呼吸と全く同じだなと思えて仕舞います。そこで一首、

  海照らす 月を抱き寄す 夜の海
    何を語るや 阿吽の呼吸
          月海


と捻って月海と記した訳ですが、海月(かいげつ)と間違わないで下さいよ、海月はクラゲ(※10、※10-1)のことですので。しかし海面に漂うクラゲを月に見立てた昔人の想像力には脱帽ですが、これも「月を観るという文化」の賜と言えましょう。
 話を月海に戻して、上で月と海の密接な関係について述べましたが、皆さん花札の「芒に月」をご存知ですか?、ご存知無い方は冒頭の「月見酒」の札を見て下さい。あの赤い背景に白い月、その下に黒褐色の芒(ぼう)の札です。芒とはススキの事ですが、これが坊主の頭に見える事から坊主とも言います。この札をもう一度ここに提示しましょう。この事は沖縄に来てからの名刺の裏(=蛙ボックスの名刺)に書いてますゾ!!
花札の図:「芒に月」。
 右がその「芒に月」の札です。皆さん、これを良く見入って下さい。私はこの札を或る時まじまじと見て居たら、下方のススキの原、或いは坊主頭がに見えて来たのです。つまり満月と夜の海のイメージですね。月海という語は実はこの花札のイメージから生まれたものなのです、ムッフッフ!
 

 ■結び - 月見る月はこの月の月

 どうでしたか、Webの御月見は?
 月見酒で大分顔が赤くお成りですな。いやぁ、チビチビとですが何度も盃を重ねてましたので可なりの酒量ですゾ。何々、酔っ払って月が幾つにも見えて来たですと?、然もありなん!
 そう言えば江戸時代の戯れ歌に

  月月に 月見る月は 多けれど
    月見る月は この月の月
       詠み人知らず


などと戯(おど)けたのが在りましたな。この狂歌には「月」が8回も出て来ますので、これを詠んだ”有明の主水”さん(※2-1)も貴方(貴女)と同じく酔っ払って月が8つに見えたのかも知れませんな。しかし「月」が8回で八月、勿論陰暦(旧暦)の八月(=葉月)ですから「この月」とは陰暦8月を指すんですよ。昔は陰暦8月を「仲秋」と呼び、その満月を「中秋の名月」と呼び、「中秋」は厳密には陰暦8月15日を指します。つまり、この戯れ歌は「月を見るなら陰暦8月、中でも「中秋の名月」こそが一番」と言ってるんですね。けだし、陰暦八月を月見月・桂月などと呼んだ所以です。これぞ「言葉遊び」の真骨頂!、「言葉遊び」は当サイトのコンセプトの重要な要素ですゾ!

 ところで私は沖縄では鉄筋3階建ての3階に住み屋上を自由に使って居て、正に「月見の宴」を催したり、月や星の写真を撮る時にとっても重宝して居ます、ヤッホー!!
 尚、この「月見の宴」には中国のの話は余り出て来なかったですが、それは別ページで扱って居ますので▼下▼から参照して下さい。
  2011年・年頭所感-今年は大人しく(Behave yourself and keep quiet, 2011 beginning)
  2001年・夜行列車で成都へ(To Chengdu by NIGHT TRAIN, China, 2001)

-- 完 --

【脚注】
※1:「オイチョカブ/おいちょかぶ」とは、(「おいちょ(追丁・追帳)」は8、「かぶ」は9の数)カルタ賭博の一。手札と捲り札とを合せて、末尾が9又はそれに最も近い数を勝とする。別に種々の役上がりが在る。かぶ。
※1-1:追丁・追帳(おいちょ、おいちょう)とは、捲りカルタの8の数の札。又、末尾の合計が8に成る数。ひとりね「八ツあるを―といひ、九ツあるをカブとするよし也」。
※1-2:「かぶ」とは、(賭博用語)捲りカルタで、9の数の札。又、11と12の札を除いた40枚で行う賭博で、合せて末尾が9に成ったもの。
※1-3:捲りカルタ・捲り歌留多(めくりかるた)は、[1].天正カルタから花札へ変って行く途中に江戸後期に流行ったカルタ博打の一。48枚在って、花札の様に合せて行き、役が色々と在る。
 [2].(札を積み置き捲るから)花札の異称。

※2:壬生忠岑(みぶのただみね)は、平安前期の歌人(生没年未詳、900年前後の人)。三十六歌仙の一古今集撰者の一。忠見の父。歌風温和。歌学書「和歌体十種(忠岑十体)」は偽作とも言われる。家集「忠岑集」。
※2-1:有明の主水(ありあけのもんど、someone of unknown, Mr. Unknown)とは、「名無しの権兵衛」に近い仮作名。冬の日「―に酒屋つくらせて」(荷兮)。

※3:ガリレイ衛星/ガリレオ衛星(―えいせい、Galilei satellites)とは、1610年にガリレイがガリレイ式望遠鏡で発見した4つの衛星のこと。公転軌道内側から第1(イオ)第2(エウロパ)第3(ガニメデ)第4(カリスト)
   ・イオ(Io)は、木星の第1衛星。半径1,821kmで月よりやや大きい。1979年にアメリカの探査機ボイジャーが硫黄などに覆われた赤い表面の姿を捉え、火山の噴火を発見。公転周期は約1.8日
   ・エウロパ(Europa)は、木星の第2衛星。1610年ガリレイが発見した4個の衛星の内の1つ。最大光度6等。半径1,565kmで月より少し小さい。氷で覆われた地表の下に温かい水の存在が観測されて居る。公転周期は約3.6日。ユーロパ。
   ・ガニメデ(Ganymede)は、木星の第3衛星。直径が約5,300km(半径2,650km)で、水星よりも大きい太陽系最大の衛星。公転周期は約7.2日
   ・カリスト(Kallisto)は、木星の第4衛星。水星と同じ位の大きさ(半径2,400km)で、表面には多数のクレーターが在る。公転周期は約16.7日
※3-1:ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)は、イタリアの天文学者・物理学者・哲学者(1564~1642)。近代科学の父。ピサ大学・パドヴァ大学教授。ピサに生まれピサ大学で医学を修めた。数学や物理学に興味を持ち、在学中に寺院のシャンデリアの振れ方から振り子の等時性を発見。又、ピサの斜塔で落体の実験を行い、アリストテレスの力学の誤りを実証した。1609年ガリレイ式望遠鏡を製作し、太陽の黒点月の表面の凹凸木星の衛星を発見。これからコペルニクスの地動説を熱心に唱導したが宗教裁判に付され地動説の放棄を命じられた。1632年「天文学対話」を著したが、異議が出てローマに幽閉され数か月後に釈放された時、「それでも地球は動く」と呟いたと伝えられる。1638年「新科学対話」を著し、慣性の法則落体の法則を記述。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※4:明けの明星(あけのみょうじょう、morning star)は、明け方、東の空に見える金星。飛び上がり星。駆け上がり星。飯炊き星。啓明。←→宵の明星。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※4-1:宵の明星(よいのみょうじょう、evening star)は、日没後、西天に輝く金星。ゆうずつ。長庚(ちょうこう)。←→明けの明星。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※5:本影(ほんえい、umbra)とは、〔理〕物体に遮られて光源からの光線の全く達しない部分。月食は月が地球の本影の内に入ることに依って起る。←→半影。
※5-1:半影(はんえい、penumbra)とは、〔理〕大きさを有する光源から発する光に依って、物体が照らされた場合、その後方に生ずる影の内、幾分か光の射している部分。半陰影。半暗部。←→本影。

※6:回折(かいせつ、diffraction)とは、〔理〕波動に特有な現象で、波動が障害物の端を通過して伝播(でんぱ)する時に、その後方の影の部分に侵入する現象
※6-1:散乱(さんらん、scattering)とは、〔理〕波動や粒子線が他の粒子に依ってその方向を変え散らばること。

※7:ファジー(fuzzy)とは、(毳(けば)の様な、の意)人間の知覚・感情・判断に伴う曖昧(あいまい)さ

※8:陽炎・火光(かぎろい)とは、(「ちらちら光るもの」の意)
 [1].日の出前に東の空に差し染める光。万葉集1「東(ひむかし)の野に―の立つ見えて顧みすれば月西渡(かたぶ)きぬ」。
 [2].かげろう(陽炎)。
 [3].ほのお。
※8-1:陽炎(かげろう、shimmer)は、春の麗らかな日に、野原などにちらちらと立ち上る気。地面の近くで物が揺れて見える現象。日射の為に熱く成った空気で光が不規則に屈折されて起るもの。いとゆう。儚いもの、仄かなもの、有るか無きかに見えるもの、などを形容するのにも用いる。その際「蜉蝣(かげろう)」(カゲロウ目の昆虫)を意味することも有る。季語は春。古今和歌集恋「―のそれかあらぬか春雨のふる日となれば」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※9:花鳥風月(かちょうふうげつ)は、[1].天地自然の美しい景色。「―を友とする」。
 [2].(転じて)詩・絵画などの風雅な遊び。風流。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9-1:雪月花(せつげっか)は、雪と月と花。四季折々の好い眺め。つきゆきはな。和漢朗詠集「琴詩酒の友皆我を抛(なげう)つ―の時に最も君を憶(おも)ふ」。

※10:海月(かいげつ)とは、[1].海上の空に澄んでいる月。
 [2].海面に浮んだ月影。
 [3].クラゲの別称。日葡辞書「カイゲツ。ウミノツキ。即ち、クラゲ」。
※10-1:水母・海月(くらげ、jellyfish, medusa)は、
 [1].有櫛動物及び刺胞動物ヒドロ虫綱・ハチクラゲ綱の内、浮遊生活をしている世代のものの総称。体は透明な寒天質からなり、触手で餌を捕らえる。ビゼンクラゲ・タコクラゲ・ミズクラゲなど。季語は夏。古事記上「―なすただよへる時」。
 [2].(クラゲに骨が無いことから)確固たる主義が無くて、意見の常に動揺する人。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『枕草子』(池田亀鑑校訂、岩波文庫)。

△2:『万葉集(上)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。

△3:『無名草子』(富倉徳次郎校訂、岩波文庫)。

△4:『有明の別れ』(南條範夫作、講談社文庫)。

△5:『更級日記』(菅原孝標女著、西下経一校注、岩波文庫)。

△6:『ジュニア自然図鑑6 宇宙 太陽系・銀河』(磯部琇三監修、実業之日本社)。

△7:『右脳人間学』(藤井康男著、福武文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):花札や言葉遊びは
当サイトのコンセプトの一つ▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
参照ページ(Reference-Page):月の運行と陰暦(旧暦)との関係▼
資料-「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
参照ページ(Reference-Page):『小倉百人一首』の「有明の月」の歌
(第21・30・31・81番)▼
資料-小倉百人一首(The Ogura Anthology of 100 Poems by 100 Poets)
補完ページ(Complementary):日本人の心と花見、そして花見酒▼
日本全国花見酒(Cherry blossoms and banquet in Japan)
補完ページ(Complementary):陰暦(旧暦)についての先行ページ▼
(陰暦七夕と上弦の月の関係も)
2003年・交野七夕伝説を訪ねて(Vega and Altair legend of Katano, 2003)
補完ページ(Complementary):星と星座の写真集▼
星と星座の写真集-目次
(STARS and CONSTELLATIONS in Japan, Menu)

補完ページ(Complementary):JR篠ノ井線の姨捨駅や私の脳出血について▼
日本、珍にして奇なる光景#2(The RARE and STRANGE scene 2, Japan)
補完ページ(Complementary):脳出血で沖縄に移住した経緯▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
淀川の花火と上弦の月(2003年8月3日)▼
私の淀川(My Yodo-river, Osaka)
滝廉太郎所縁の「荒城の月」(2003年11月30日)▼
2003年・豊後岡城の「荒城の月」
(Moon over the ruined Oka castle, Oita, 2003)

私が猫みたいな活動型である訳▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)
『枕草子』は好き嫌いの宣言集という私見▼
2003年・大阪城の梅便り
(Japanese apricot blossoms of Osaka castle, 2003)

松浦一酒造見学の「前祝いの月見酒」▼
松浦一酒造とカッパのミイラ(Matsuura-ichi brewing and Kappa's mummy)
熊本の「有明の月」を見た後に行った出水▼
2010年・出水のツル探訪記(Cranes in Izumi, Kagoshima, 2010)
四天王寺の「篝の舞楽」▼
2011年・四天王寺の「篝の舞楽」
(The evening BUGAKU of Shitennoji, Osaka, 2011)

木星とガリレイ衛星の写真▼
写真-木星(PHOTO - Jupiter, Japan)
沖縄移住はエルニーニョ的転回▼
客観主義のエルニーニョ的転回(ElNino-like change of objectivism)
”不良定年”氏▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
火星の写真▼
写真-火星(PHOTO - Mars, Japan)
言語構造と思考パターンの関係や「言葉遊び」について▼
「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)
左脳思考と右脳思考について▼
理性と感性の数学的考察(Mathematics of Reason and Sense)
日本の「文化の固有性」や日本人のアイデンティティーについて▼
温故知新について(Discover something new in the past)
対外援助ボランティア活動の在り方と私(The way of foreign aid volunteer)
日本の観光立国行動計画とは(The VISIT JAPAN program)
ドビュッシー作曲『ベルガマスク組曲』中の「月の光」の原風景▼
ドビュッシー「ベルガマスク組曲」(Suite Bergamasque, Debussy)
中国では月にはヒキガエルが棲むと考えられている▼
2011年・年頭所感-今年は大人しく
(Behave yourself and keep quiet, 2011 beginning)

中国の「12個の月」の話や三星堆遺跡から出土したヒキガエルの石造彫刻▼
2001年・夜行列車で成都へ(To Chengdu by NIGHT TRAIN, China, 2001)
トップページの花札の「おみくじ」やオイチョカブ▼
ようこそ【エルニーニョの世界】へ(Welcome to ElNino's world)
私の号「月海」の心を開陳したページ▼
エルニーニョ深沢とは何者か?!(Who am I ?)


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