-- 2011.01.01 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2014.04.30 改訂
■はじめに - 今年は卯年
昨年は寅年だったので覇気が無い昨今の若者に対し「吼えよ若者!」と私の方が吼えて仕舞いましたが、若者が覇気を取り戻した様には全く見えません。又、虎の威に縋り「狛虎」が居る神社や「霊験有る張り子の虎」を売ってる神社に初詣でして「目覚めよ猛虎!」と阪神タイガースの優勝を祈願しましたが、ダメニャンの眠り猫を覚醒させることは出来ませんでした。何しろ勝負所の8月・9月の「ここ一番」という試合に悉く負けたら優勝の目は無いのです。まぁ、阪神が勝負弱い、夏場に弱いのは昔からですが。
愚痴は止めて、今年は卯年です。そこで例に依って兎(※1、※1-1)に纏わる話から始めますが、私は【ブラボー、クラシック音楽!】なる会を月1回主宰し今は余り歌われなく成った昔乍らの童歌(わらべうた)や童謡・唱歌を季節に合わせて毎回全員で歌うことにして居ますので、今年は童謡や唱歌の話を絡めてみましょう。
■兎に纏わる話
「兎に纏わる話」として思い付くのは「兎と亀」「因幡の白兎」「月に住む兎」などの童話です、先ずこれらの話を思い出してみましょう。
(1)兎と亀、兎と蛙、兎と狐 - イソップ寓話から
「兎と亀」の話は小学校低学年で真っ先に習うので皆さんも良くご存知でしょう。原典ははイソップ物語(※2、※2-1)です。話の内容は
「早足の兎と超鈍足の亀とが走り競争をしますが、兎が油断して途中で寝ている隙に亀に追い越され負けて仕舞った。」
というものです(△1のp263)。そして話の後で「油断大敵」とか「人間は持って生まれた才能よりも努力だ」という教訓を必ず聞かされたものでした。そもそもイソップは話の後に教訓的”落ち”を付けるのが大変好きな人でしたが、特に後者の教訓は私みたいな出来の悪いガキにも一抹の希望を与え、これぞ”バカでもチョンでも皆平等の戦後民主主義”にピッタリの話でした。
ところで、この話をそっくりその儘歌にしたのが『幼年唱歌「うさぎとかめ」』(作詞:石原和三郎、作曲:納所弁次郎、明治34年)で、以下がその歌詞です(△2のp106)。
1.もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか
2.なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの小山の ふもとまで
どちらが さきに かけつくか
3.どんなに かめが いそいでも
どうせ ばんまで かかるだろ
ここらで ちょっと 一ねむり
グーグーグーグー グーグーグー
4.これはねすぎた しくじった
ピョンピョンピョンピョン ピョンピョンピョン
あんまりおそい うさぎさん
さっきのじまんは どうしたの
以上が有名な「兎と亀」の話ですが、序でに余り知られて無いイソップ話から「兎と蛙」と「兎と狐」の話も紹介して置きましょう。「兎と蛙」の話は
「兎たちが最後は肉食動物に食われて仕舞う自分たち草食動物の悲しい運命を儚んで池に跳び込んで集団自殺しようと思い池に向かったら、蛙たちが吃驚して池に飛び込んだのを見て、自分たちよりもっと弱い存在が居ることを初めて知り自殺を思い留まった。」
というもの(△1のp149)で、世の中には「下には下が居る」という教えです。
「兎と狐」の話は
「或る兎が、贅沢な食事をしてると評判の狐の御馳走に興味を持って誘われるが儘に狐の家に付いて行ったら食卓には何も無く、自分がこれから料理されて食卓に供されるのだと気が付くものの後の祭り。」
というもの(△1のp150)で、兎は今流行りの”草食系”の代表的小動物ですから肉食動物や雑食動物から絶えず狙われて居るのです。
そう言えば「♪うさぎ追いし~♪」で始まる有名な『尋常小学唱歌「故郷」』(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一、大正3年)が在りますが、兎を追うとは兎狩りのことで、何でも食い食物連鎖の頂点に君臨する人間も兎を罠に嵌めて獲物とする訳です。しかし幼少の頃の私は「♪うさぎ美味しい~♪」だとばかり思って居ましたね。天下の広辞苑が「肉は食用」(※1)と記す様に実際に兎の肉は柔らかくて軽い味で美味しいのです(→兎の味については又後程触れます)。亥年に猪肉を食った私は卯年の今年は兎料理と洒落込みますかな、オッホッホ!!
ところで貴方(貴女)はウソップ物語 -これは”知の遊び”です- を御存知ですか?、ブワハッハッハッハ!!
(2)因幡の白兎(因幡の素兎) - インドネシア民話との関連
これも日本人なら誰でも知って居ますね、『古事記』の中に出雲神話の一つとして出て来ます。話の内容は
「兎が淤岐島から因幡国に渡る為に一計を案じ、鮫(わに)を海上に並ばせた上をピョンピョン飛び跳ねてまんまと渡り終えましたが、騙された事を知った鮫たちに皮を剥がれ痛くて泣いて居たところに、大国主命が現れ蒲の穂を毛皮の代わりとせよと教えられ救われた。」
というものです(△3のp42~44)。従って「しろうさぎ」とは皮を剥がれた状態の「剥き身の兎」、即ち「素(す)の兎」を指し、『古事記』に在る様に素兎(しろうさぎ)と書くのが本来でしょう。「素(す)」の用法は素手(すで)とか素饂飩(すうどん)と同じで、加えて素人(しろうと)と同様に「素」は「しろ」とも読みます。しかし一般には白兎で通用し、この話は白兎説話(又は白兎伝説)と呼ばれます。因幡国は現在の鳥取県東部で、鳥取県鳥取市には白兎説話を今に伝える白兎神社(→後出)が在ります。
付言すると『古事記』には、「兎族と鮫(わに)族との数比べをするからと兎が偽って鮫を並ばせ鮫(わに)の背中を渡り、渡り終えると今のは嘘さと言って剥き身にされた」のですが、そこへ先に現れた八十神(=大国主の兄弟たち)に「海水で剥き身を洗い山に登って風に当たれ」と騙され却って一層痛く成る場面が出て来ますので、この話にも「騙す者は何時かは騙される」という教訓が潜んで居ます。又、『古事記』では兎を助けるのは八十神の袋担ぎをして後から遣って来た大穴牟遅神(=大己貴神、※3)と記されて居ますが、大己貴神とは大国主命の別名で大己貴神と大国主命は同一人物です。
さて、問題は「鮫(わに)」です。本に依っては鰐鮫(わにざめ)(※4)とも表記されますが、原文(=漢文)を見ると「和邇(わに)」です(△3のp226)。実はこの話はインドネシア辺りの民話に祖形が見られ、「小鹿が川向こうの花を採る為に”ワニの数を数えるから”と騙して川に並ばせ背中を渡り、渡り終えると今のは嘘と言った」という話が変容したもの(△4の「だまされ鰐」(西ボルネオ)の後半、p82~83)で、単に兎が嘘吐きという共通性のみ為らず「数を数える為」という騙しの手口と渡り終わった後のバラシ迄もがそっくり同じです。インドネシアに棲む爬虫類のワニ(※4-2) -インドネシアのワニはクロコダイル(※4-3)- の話が、ワニが居ない日本では漁師たちに恐れられて居たサメに変容し「和邇(わに)」と当て字され、同時に小鹿 -厳密にはこの地方に居る豆鹿(※5)です- が兎に、川が海に変容したと考えられ、日本語の鰐(わに)が「鮫(さめ)の古名」を包含する(※4-2の[2])のもその為です。又、出雲地方の方言では鮫や鱶(※4-1)を今でも「わに」と呼ぶそうです(△3のp43の脚注)。
[ちょっと一言] この様な説話の伝播過程での変容は、現在日本で「蟻とキリギリス」のイソップ寓話として良く知られた話が、エジプト辺りの「蟻と甲虫」の話(←甲虫とはエジプトで崇められたスカラベを指す、△1のp186)に発し、地中海北岸辺りで「スカラベ → 蝉」に変容(△1のp253、△1-1のp129~131)し、蝉の居ないドイツ辺りで「蝉 → キリギリス(或いはコオロギ)」に変容した過程(←この変容は「私の昆虫アルバム・日本編-セミ類」で既述)と同様です。
更に言えば、インドネシアには他にも海幸山幸説話を彷彿とさせる話(△4の「釣針探し」(ケイ島)、p150~153)や猿蟹合戦に似た話(△4の「猿亀合戦」(セレベス島)、p104~107)などが在り、これらの各説話は黒潮文化圏の海洋民(※6)に運ばれて伝播して来た幾つかの話の一部でしょう。因みに記紀の海幸山幸説話にも鰐魚(わに)、鮫魚(わに)が登場します。この黒潮伝播説を補強する材料として、日本で琉球音階(或いは沖縄音階)と呼ばれるド・ミ・ファ・ソ・シの五音音階は沖縄固有のものでは無くインドネシア(バリ島も含む)やベトナム、タイなど東南アジアに共通するペロッグ音階(※7)に属する事、沖縄の泡盛はタイ米を原料とする焼酎で味も東南アジアの焼酎に近い事、沖縄にはフィリピンを始め南方系の顔立ちの人が多い事、を挙げて置きます。詳しい議論は▼下のページ▼をご覧下さい。
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
{このリンクは2014年4月30日に追加}
ところで、「和邇(わに)」は『出雲国風土記』(完本に近い唯一のもの)にも登場します(←風土記では「和爾(わに)」の字)。安来の郷の条に「飛鳥浄御原宮御宇天皇御世の甲戌年(=天武天皇2(674)年)に語臣猪麻呂(かたりのおみのいのまろ)の娘が毘売埼という岬で和爾(わに)に食い殺され、嘆き怒った猪麻呂が天神地祇及び出雲諸神の神威を頼み仇討ちを果たし和爾の腹を切り裂いてみたら娘の片足が出て来た。」と記され(△5のp141~143)、この話からも和邇・和爾が「人食い鮫」や鱶を指すことは明白です。現代に於いてはサメの腹から女の片足が出て来たりしたら大変な騒ぎに成りますが古代は大らかでしたね。
(3)月に住む兎 - インド起源の仏教説話
この話も古く平安末期成立の『今昔物語集』巻5第13話(※8)に「月の兎」として載って居ます。話の内容は
「今は昔、天竺に仏心篤い兎と狐と猿が居ましたが帝釈天は彼等の仏心を試そうと貧乏弱体の老人に変身して下界に降り養生を乞います。狐と猿は野山から色々な食物を調達して老人に食べさせますが、兎は何も調達出来ません。斯くなる上は自分の身を食物として供しようと考えた兎は狐と猿が熾した火の中に飛び込み焼け死んで仕舞います。これを哀れんだ帝釈天は元の姿に戻り、煙を発し焼け焦げた兎の姿を月に移し善行の鑑(かがみ)とした。」
というものです(△6のp21~24)。「今は昔」で始まるのが『今昔物語集』の特徴で巻1~5は天竺の話を集めたものですが、この「月に昇った兎」の元話はインドの仏教説話「ジャータカ」(※9、△7のp149)に在ります。
日本では月で兎が餅搗きをして居るとする所が多い様ですが、中国では嫦娥(※10)という仙女(※10-1)が住むともされて居ます。因みに、嫦娥の夫の羿(※10-2)は”3本足の烏(からす)が運ぶ10個の太陽”の内の9つを弓で射落としたとされる中国神話伝説上の有名な人物(△8のp15)で、こうしてこの夫婦は日月と結び付くのです。
”3本足の烏(からす)”と言うと皆さんは熊野本宮の八咫烏(※11)を思い出されるでしょう -八咫烏と熊野の結び付きは【脚注】※11の[1]を参照- が、八咫烏は道教的な中国神話中の金烏(きんう、※11-1)が起源でその話の内容から「太陽の象徴」と考えられます(→金烏につては又後で触れます)。右が熊野本宮の八咫烏です。
尚、中国では月にはヒキガエル(蟇/蟾蜍)が住むともされ(△8のp14、p17~18)、ヒキガエルは「せんじょ」(※11-2)と音読みして月を表します。上の「10個の太陽(十個の太陽)」の話は中国では大変有名(△8のp12~19、△8-1のp125~126、133)なだけで無く、神話伝説の内容が具体的に三星堆遺跡から出土して居ますので▼下のページ▼を是非ご覧下さい。
2001年・夜行列車で成都へ(To Chengdu by NIGHT TRAIN, China, 2001)
月は地球に対し常にほぼ同じ表面を向けて居ます -その理由は月の公転周期が自転周期と等しい為- が、月面に見える暗部の独特な形状は昔から人間の想像力を掻き立てて来ましたので、世界各地で様々な伝説が生まれ月に住むとされる動物や人間も多種多様で日本の『竹取物語』もその様な月への思いから生まれた物語の一つです。
そこで月の写真を1枚ご覧下さい。右の写真は07年11月24日21時46分頃に撮影した満月で、暗部を強調してみました。これだと耳の長い兎らしきものが見え、しかも座って杵を持ち臼で餅を搗いてる様に見えますね。この暗部を日本や中国では兎影(とえい)と言います(△9のp106)が昔の人の自然観察力には何時も感心させられます。尚、補正無しのこの満月の大写しの写真は「月見の宴」に掲載して在ります。
以上の様に「月に兎が住む」という考えが『今昔物語集』で我が国に紹介されて以来、この考え方は日本全国に定着し江戸時代の童謡集(行智本)にも『うさぎうさぎ』の童歌(わらべうた)が採録されて居ます(△2-1のp133、p6)。
うさぎ うさぎ なにょ見てはねる
十五夜御月さま 見てはねる
(4)かちかち山 - 知恵者の兎
兎が登場する話として小学校低学年で習った「かちかち山」(※12)を思い出しました。話の内容は
「悪さが過ぎて爺様に捕らえられ狸汁にさせられそうに成った狸が、爺様の留守に婆様を騙して殺し”婆汁”を作り婆様に化けて「狸汁だ」と言って爺様に食わせて逃げたので、話を聞いた兎が狸を山の柴刈りに誘い出し狸が背負った柴に火を点け火傷を負わせた上に薬と偽って背中に唐辛子を塗り更に痛くさせ、最後は舟遊びに連れ出し狸に泥の舟を宛がい沈めて殺し仇討ちを果たした。」
というもので、表題は柴に点火する時の火打石のカチカチいう音に由来します。中南米熱帯地域原産でコロンブス以後世界に広まり多分日本には布教に来たポルトガル人から伝えられた唐辛子が出て来ますので話の成立は室町末期頃でしょうが、狸残酷物語、兎が狸を徹底的に遣っ付けるこの話は江戸時代に昔話として広く流布し親しまれました。その背景には仇討ちを”善”とした当時の倫理観が在り、導入部の「悪戯好きで捕まる狸」(間抜けな狸)と中段の「婆汁狸」(悪賢い狸)と後段の「兎の狸成敗」(狸残酷物語)は元は別々の話だと指摘されて居て(△10のp31)、江戸時代の倫理観に沿って仇討ち話に再編されたのです。更に下ると太宰治は兎を冷淡な美女に、狸を美女に恋するが故に何度冷たく撥ね付けられても尽くし通す愚鈍な男に置き換え、昭和期の情話に再編して見せました(△11の「カチカチ山」)。
それにしても”婆汁”とは凄いですね。色々な食材や料理を食って来た私なので狸汁(※12-1)には興味有ります(←しかし動物園の狸の檻は他の動物より臭いので食指が動きません)が、”婆汁”は食いたく無いですな、ブハハハハハ!!
(5)鳥獣戯画で活躍する兎
京都高山寺の『鳥獣戯画』(平安後期~鎌倉初期の作で国宝)(※13~※13-1)という絵巻物では兎が猿や蛙と共に主役を演じ、猿と水遊びをしたり蛙と弓の競技をしたり相撲を取ったりする擬人化された兎が生き生きと描かれて居ます(△12のp2~35)。絵巻物には大抵の場合ストーリーが有ります -例えば09年の年頭所感で採り上げた『北野天神縁起絵巻』の様に- が、詞書が無い上に欠損が多いので作者も含め確かなことは判って居ません。そもそも『鳥獣戯画』(又は『鳥獣人物戯画』)という呼び名も後世のものです。
白描(※13-2)の戯画とは即ち今風に言えば墨で描いたモノクロのマンガ(漫画)、しかも日本最古のマンガでです。右の図は蛙と相撲を取る兎とそれを応援する兎たちの場面ですが、
この様に『鳥獣戯画』では兎が貧しい乍らも明るく無頓着に生きる民百姓の諷刺として登場して居ます。
(6)万葉集に詠まれた兎
『万葉集』には巻14-3529に
等夜(とや)の野に 兎(をさぎ)窺(ねら)はり をさをさも
寝なへ兒(こ)ゆゑに母に嘖(ころ)はえ
という詠み人知らずの歌(△13)が見当る位で、古人(いにしえびと)は歌の題材としては兎に関心を払わなかった様です。
(7)兎に付与された性格
こうして兎に纏わる話を幾つか見て来ると、登場する兎には幾種類かの類型的性格が付与されて居る事に気が付きます。即ち
[1].イソップの「兎と亀」では、自信過剰な間抜け
[2].イソップの「兎と狐」や「月に住む兎」では、”草食系”の天然弱者
イソップの「兎と蛙」では、「下には下が居る」ことを知る弱者
『鳥獣戯画』の兎でも、取るに足りない庶民という弱者
[3].「因幡の素兎」や「かちかち山」では、狡猾な知恵者(或いは嘘吐き)
ですが、これらの性格は人間が兎に対して普段持って居る顕在的・潜在的イメージの反映に他為りません。
やはり弱者の性格付けが多いのは草食小動物故に仕方無いですが注目すべきは[3]で、狡猾とか嘘吐きのイメージは兎の三つ口(※14)に起因するのではないかと私は思って居ます。別の例を挙げると、鶍(いすか)(※15、※15-1)という鳥は上下の嘴が噛み合わない為に性質が拗(ねじ)けているイメージが古来から被せられて居て、『日本書紀』神武紀に「且(また)夫(か)の長髄彦(ながすねひこ)の稟性(ひととなり)愎很(いすかしまにもと)りて、...」と在り(△14のp234)、継体紀にも「毛野臣(けなのおみ)、人と為り悖(もと)り很(いすか)しくして、治体(まつりごと)を閑(なら)はず。」と在る(△14のp206)如く、鳥名の「鶍(いすか)」は「拗けている」という意味の形容詞「很(いすか)し」(※15-2)の語源に成って居ます。三つ口のことを兎唇(※14-1)と言いますが、鶍(いすか)に対するイメージと同じく上唇の真ん中が生まれ付き縦に割れている三つ口の兎や猫は口先で人を騙すイメージが被せられて来たと考えられます。特に上の[3]に見られる様に狡智な計略に長けた兎を表現する言葉として狡兎という語が存在します。[1]の自信過剰は狡智に溺れた結果と解釈出来ます。
■熟語や諺の兎
熟語では脱兎(※16)とは文字通り「素早く俊敏に逃げる様」で「脱兎の如く」の様に形容します。兎角(とかく)(※17)とは本来は兎角亀毛(※17-1)なとと言い「在り得ないものの譬え」に使う仏教用語(※17の[1])で、ここでも兎と亀が対で使われてるのは面白いですね。しかし一般には副詞「とかく」の当て字(※17の[2])として出て来る事の方が多いです。当て字としては「兎に角」「兎も角」も使われます。兎唇(※14-1)は前述した如く「三つ口」の事、兎小屋は言わずと知れた我ら日本人の小っぽけな家、兎跳び(又は兎跳ね)は兎の様にピョンピョン跳ねて進むことで私も足腰の鍛錬の為に時々しますが中々きつい運動で、だから運動選手の練習メニューに加えられて居ます。兎馬(うさぎうま)とは耳が長い驢馬(ろば)の異称、兎耳(うさぎみみ)とは長い耳が転じて「人の隠し事を聞き出す事や人」、兎兵法(うさぎびょうほう)とは生半可で役に立たない計略、兎結びとは兎の耳の様に長い罠を左右に結び出す結び方、兎笛(うさぎぶえ)は兎狩りの時に兎を誘き寄せる笛、雉兎(ちと)とは雉や兎を捕る猟師の隠語です。因みに兎は鳥の様に1羽(わ)、2羽...と数えますが、日本人は明治の獣肉食解禁以前にも鳥肉だけは食すことが許され -坂本竜馬は暗殺される日に「軍鶏(しゃも)が食いたい」と言って軍鶏肉を買いに遣らせました- て居て、兎も鳥と同等扱いでした。
そして前述の様に日本や中国では兎は月の異名としても使われます。例えば玉兎(ぎょくと、※11-3)は月を表し、清元にも『玉兎月影勝(たまうさぎつきのかげかつ)』という歌舞伎舞踊が在ります。又、月の暗部を兎影と言い、烏兎(うと)(※11-4)は金烏玉兎の略で日と月 -前述の3本足の烏(※11-1)が太陽で兎が月- を表します。
諺では「二兎を追う者は一兎をも得ず」が良く知られ「同時に二つの事を追求すると一事も成功しない」の譬え、「兎に祭文」は「馬の耳に念仏」と同義、狡兎は前述しましたが「狡兎死して走狗(そうく)烹(こ)らる」は「敏捷な兎が死ねば猟犬は不用と成り煮て食われる」から転じて「有能な軍師も敵国が滅んだ後は却って邪魔に成り殺される」、「兎の登り坂」は兎が巧みに坂を登ることから「最も得意とする所で力を振うべき」、「兎の糞」は「物事が直ぐに切れて続かない」の譬えです。「株を守りて兎を待つ」は守株(しゅしゅ)(※18)とも言い「古い習慣に固執し進歩が無い」ことの譬えですが、譬えの元に成った中国の「兎が木の切り株にぶつかったのを見て以後、耕作を止めて切り株にぶつかる兎を待ち続けた怠け者の農夫」の話を歌にしたのが『童謡「待ちぼうけ」』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰、大正14年)です。以下に歌詞を抜粋しましょう(△2-2のp140)。
1.待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日 せっせこ(*) 野良かせぎ
そこへ兎が飛んで出て
ころり ころげた
木のねっこ
2.待ちぼうけ 待ちぼうけ
しめた これから寝て待とうか
待てば獲ものは駆けて来る
兎ぶつかれ
木のねっこ
...(中略)...
5.待ちぼうけ 待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
今は荒野(あれの)の箒草
寒い北風
木のねっこ
(*:白秋は方言で「せっせこ」としたが標準語の「せっせと」と記す版も多い)
つまりは兎に惚(ほう)けて当てに成らない事を当てにし続けた結果、耕作地は北風吹き抜ける荒れ野と化したという内容です。
■兎の味
昨年の年頭所感でも南方熊楠の『十二支考』という書物から話題を紹介しましたが、今年も兎に関する面白い話題を探して繙いたら「兎肉の缶詰」の話を見付けました。曰く「予ごとき貧生は在英九年の間、かの地方から輸入の塾兎の缶詰を常食して極めて安直に生活したがその仇をビールで取られたから何も残らなんだワハハハ。」だと。この本の著者の熊楠先生は私と同じ様に文中で笑って居ますが、ここで言う「かの地方」とはオーストラリアとニュージーランドのこと、「熟兎(なんきん)」とは飼い兎(rabbit)(※1)のことです(△15のp92~95)。因みに熊楠先生は1867年の卯年生まれにも拘わらず兎をバリバリ食べるてる訳で天晴れな心懸けです。私も先程予言した「卯年に兎を食う」の実行に義務感を覚えて来ました、ブハハハハ!!
熊楠先生に誘われて私も早速笑って仕舞いましたが、実際に兎は美味しいのです。私の感じでは兎肉は鶏よりも更に軽く寧ろ蛙に近いですね。非常に旨い兎ですが藤原俊成は「兎は青侍の食する物なり」と兎食を一蹴し、彼等高貴な人々は白鳥や鶴や雉や狸を食していた事が『明月記』(俊成の子の定家の日記)に記されて居る事は「日本の肉食文化の変遷」の中で既に紹介した通りです(△16のp341)。尚、藤原俊成・定家親子や『明月記』については私の「冷泉家時雨亭文庫」を参照して下さい。私も「時雨体文庫」の会員の一人ですので。
■兎と所縁深い神社
「兎を神使とする神社」が我が国には存在します。その内の幾つかを以下にご紹介しますので、卯年の今年はそれらを初詣ですると何かの御利益を授かるかも知れませんよ。
(1)白兎神社 - 主祭神が兎
鎮座地は鳥取県鳥取市白兎、「因幡の素兎」の神話(前述)を体現した神社です。勿論主祭神は白兎神で、白兎海岸に面したこの地は剥き身にされた素兎(しろうさぎ)が蒲の穂を纏って身を乾かしたとされる身干山だとされ、境内には素兎が身を洗ったとされる御身洗池 -旱天や豪雨に拘わらず水位が常に一定なので別名「不増不滅の池」と呼ばれる- が在り、沖合いには素兎が鮫(わに)の背を渡り来た淤岐ノ島が在ります。『古事記』に「今者(いま)に兎神と謂う」と在る様に神社成立以前から素兎は神と崇められ、助けて呉れた大国主命に対し「この八十神は、必ず八上比賣を得じ。袋を負へども、汝命(いましみこと)獲たまはぬ。」と八上比売(※3-1)を娶るのは大国主であると予言した(△3のp44)ことから、当社は「縁結び」に御利益が有ります。
本殿の土台には菊花を彫った菊座石が置かれて在るそうで、周辺や旧八上郡 -八上は八上比売の「八上」- の八頭郡若桜町などに散在する天照大神に関する不思議な伝承なども絡め皇室との関わりが取り沙汰されて居る神社で、白兎神社と称する社は内陸部の八頭郡にも数箇所存在します。
鳥取市白兎の白兎神社は「その後」の章をご覧下さい。
(2)岡崎神社 - 根拠薄弱の兎像で神社が商売繁盛
鎮座地は京都市左京区岡崎東天王町で、祭神は素盞鳴命・奇稲田姫命・八柱御子神です。当社の由緒書には「桓武天皇が平安京遷都(794年)の際に王城守護の為に平安京の四方に建立された社の一つで、都の東方(卯方)に鎮座することから東天王と称した。」と在り、東天王の名は今も町名に残って居ます。天王とは素盞鳴命の本地=牛頭天王のことです。牛頭天王や本地垂迹説については「2009年・年頭所感-聖牛に肖ろう」の中で詳述して居ますので興味有る方はそちらを参照して下さい。要するに仏法が広まった中世に神道の神々も仏や菩薩の化身であるという「仏主神従」の神仏混淆思想が定着し明治維新迄続いたのです。
この記述の中で兎と関係が有るのは「都の東方(卯方)」の箇所で、江戸時代迄は方角を中国風に十二支で表して居たので東は卯の方角、故に「卯→兎」というものです。由緒書にはもう1箇所「往時背後の紫雲山を始め境内一帯がうさぎの生息地であった事から、うさぎは氏神様の神使いと伝えられ」という記述が在りますが、兎の生息地に建つ神社など昔は沢山在った筈です。この様に「岡崎神社と兎との特別な関係」を説明する材料としてはどちらも根拠薄弱ですが、拝殿前の提灯の図柄を始め境内の彼方此方に兎の像が在り(右の写真)、中でも手水屋形(ちょうずやかた)に在る黒い厄除子授兎像は人気が有るとか。
由緒書の「方除厄除神としての信仰が絶えず」は牛頭天王が除疫神である事から当然で、これに「治承2年(1178)に、中宮の御産の奉幣を賜った事から、安産の神」としての信仰が加わったもので「うさぎが多産である事から子授けの神として祈願信仰されている。」様に成った模様で、御利益に成りそうなものを前部くっ付けた結晶が厄除子授兎像という訳です。まぁ、兎に角(とにかく)(←ここで「兎」の当て字を挿入したのは私の洒落です)、この便乗商法に依り当社は「厄除け・安産・子授け」という複数のセールス・ポイントを獲得し賽銭増額に繋げて居ますので、兎は先ずは神社に”商売繁盛”の御利益を授けたことに成ります。神社が御利益を得たと聞けば参拝者はその御零れ程度は戴けるだろう、と思い込んで仕舞うのが”しがない庶民の習性”です。
(3)調神社(つきじんじゃ) - 鳥居が無い個性派神社
埼玉県さいたま市浦和区岸町に鎮座する由緒正しき式内社。調(つき)(※19)とは年貢、即ち租庸調の調(ちょう)(※19-1)のことで、古くは「つきのみや」と称して居ました。祭神は天照大神・豊宇気姫命・素盞嗚尊ですが、特に天照と豊宇気姫がそれぞれ伊勢神宮の内宮と外宮の主祭神である事からお判りの様に伊勢神宮と関わりが深い古社で、律令制当時に伊勢神宮へ納める調(つき)の集積所と定められました。その為に境内に倉を立て貢ぎ物を収納し、その運搬用の荷車の出し入れの妨げに成らない様に鳥居を取り払って以後現在迄”鳥居の無い神社”として独自の立場を堅持して居ます。兎との関係は全くの語呂合わせで
調(つき) → 月(つき) → 月に住む兎
という連想ゲームの三段論法から兎を導き出して神使に担ぎ上げ”狛兎”を侍らせて居ます。
兎も角(←この「兎」の当て字は私の皮肉です)、今年は以上に挙げた神社が「カワイイ」以外の表現方法を知らない”ボキャブラリー貧困馬鹿ギャル”に受けそうです。そして女が集まる所に男が集まるのが世の常ですので、これらの神社”は賽銭倍増が見込めそうです。
■年頭のご挨拶 - 今年は大人しく
今年は卯年。”草食系”の兎が安全に生きるには大人しくするのが一番、「兎と亀」の兎の様に寝るのが一番良いかも。動くと却って目立ち肉食動物に捕まったり切り株に蹴躓いたりします。つまり、こんな不景気な世の中で動き回るとロクな事は無いばかりか、外に出て動いたら何かと金を使い”余計な出費”が嵩みます。そこで先ずは寝正月を決め込む事をお薦めします。とは言っても一年中寝てる訳にも行きませんから外出したら精々大人しく振舞って下さい、出しゃ張りは禁物です。
上述の「兎と所縁深い神社」を初詣でし御神籤でも引いてから一年の計を立てるのも良いでしょう。エルニーニョ即ち「神の子」という洗礼名を持つ私は神も仏もエホバもアラーも信じないので予言通りに兎を食う腹積もりですが、ムッフッフ!
それでは皆さん、今年一年お元気で!...(^O^)/
>>>■その後
●2011年3月31日(木)
今年は3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(=東日本大震災)で日本は現在大変な事態に陥って居ますが、私は春の「青春18きっぷ」で3月31日に鳥取市の白兎神社を生まれて初めて参拝しに行きました。本文に記した「兎と所縁深い神社」の中では一番重要な神社だからです。
JR山陰線鳥取駅から米子行きの快速列車(とっとりライナー)に乗り3つ目の末恒駅という無人駅で下車、地図ではここから西に1.5km位の所なので、車ばかり通り歩行者が全く居ない国道9号線を只管西に歩きました。暖かい日でリュックを背負って歩くと汗が吹き出て来ましたが約25分で一の鳥居に辿り着きました。一の鳥居を潜り二の鳥居へ行く石段の左右には、右の写真の様な兎が乗った新式の照明ボックス付き灯籠が3m置き位に並んで居ました。
神社北側の国道を越えると直ぐ白兎海岸で、因幡の素兎が鮫(わに)を騙して渡り来たという淤岐ノ島 -海面からの高さは目測で20m位、天辺には鳥居が建ち島全体が神域らしい- が割と近くに見えます(下の写真)。
鮫(わに)の並び 淤岐ノ島
↓ ↓
\
\ 陸地←
\
\───
写真の左方向が岩場の陸地ですが、ご覧の様に陸に向かって岩礁が連なり岩頭部が海面から出て居ます。潮が引いたらもっと岩が露出するので、成る程この海中の岩の連なりを鮫の並びに見立てたのかと、合点が行きました。
{この章は2011年4月3日に追加}
【脚注】
※1:兎(うさぎ、hare:野ウサギ, rabbit:飼いウサギ)は、(「う」は兎のこと、「さぎ」は兎の意の梵語「舎舎迦(ささか)」の転とする説と朝鮮語起源とする説とが在る)
ウサギ目の哺乳類の総称。耳の長いウサギ科と、耳が小さく小形のナキウサギ科とに大別。ウサギ科はオーストラリア・ニュージーランドなどを除く全世界に分布するが、以前居なかった地域にも移入されて野生化している。日本には北海道にユキウサギ(雪兎)、それ以外の地域にノウサギ(野兎)が居る。又、家畜としてカイウサギ(飼い兎)を飼育。耳長く、前脚は短く後脚は長い。行動は敏捷・活発で、繁殖力は頗る大。肉は食用、毛は筆に作る。おさぎ。季語は冬。
※1-1:啼兎(なきうさぎ、pika)は、ウサギ目ナキウサギ科の哺乳類の総称。1属14種。アジア東北部とロッキー山脈西部の草原や岩山に分布。その一種のシベリアから北海道に棲むナキウサギは、頭胴長15cm、尾は殆ど無い。毛色は茶褐色で、耳は丸く小さい。「ち、ち」と小鳥の様な声で良く鳴く。巣穴に夏の間に草を貯え、冬を過ごす。ハツカウサギ(二十日兎)、イワウサギ(岩兎)。
※2:イソップ(Aesop)/アイソポス(Aisopos[ギ])は、「イソップ物語」の作者と伝えられる前6世紀頃の古代ギリシャの寓話作者。サモス島の奴隷であったが、後解放されたと言う。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2-1:イソップ物語(―ものがたり、Aisopi fabulae)は、イソップが物語ったと伝えられる寓話集。前3世紀頃散文で編集、以後次々に増補された。1593年(文禄2)九州天草の切支丹学寮から刊行した邦訳が在る。伊曾保物語。
※3:大己貴神/大穴牟遅神/大汝神(おおなむちのかみ)とは、大国主命の別名。大名持神(おおなもちのかみ)とも。
※3-1:八上比売(やがみひめ)は、古事記神話で、大穴牟遅命(おおなむちのみこと)とその兄弟の八十神(やそがみ)とに求婚され、大穴牟遅命の妻に成った神。
※4:鰐鮫(わにざめ)とは、猛悪な鮫の俗称。鱶(ふか)。
※4-1:鱶(ふか、shark)は、サメ類の関西での地方名。関東などでは特に大形のものを指す。鰭を鱶鰭(ふかひれ)・魚翅(イウチー)と言って中国料理に用いる。ホオジロなどの様に狂暴で人を襲うものが在り恐れられる。ワニザメ(鰐鮫)〈和名抄19〉。
※4-2:鰐(わに)は、[1].ワニ目の爬虫類の総称。現存するのはアリゲーター/クロコダイル/ガビアルの3科約30種。東南アジア/インド/アフリカ/中国/アメリカ/オーストラリアに分布。爬虫類中最も高等な体制を持ち、形はトカゲに似て長大、8mに達するものも在るが2mも無いものも在る。体は角質の鱗で覆われ、尾は側扁し、水中進行の用をすると共に、獲物を叩く武器と成る。前肢は5趾、後肢は4趾、後肢の趾間に蹼(みずかき)が有る。皮は種々に利用。古代エジプトを始め世界各地で神聖化される。
補足すると、肉は食用にも成る。
[2].鮫類の古名〈和名抄19〉。
※4-3:クロコダイル(crocodile)は、クロコダイル科のワニの総称。吻端が尖り、頭が長い三角形で、口を閉じても、下顎の前から4番目の歯が露出する。熱帯に棲み、水辺に近付く人や獣を襲う種類が在る。ナイルワニ/イリエワニ(ウミワニ)/アメリカワニ/コビトワニ/マレーガビアル/ヌマワニ(インドワニ)など。体長2~7m。
※5:豆鹿(まめじか、mouse deer)は、ウシ目マメジカ科の哺乳類の総称。マメジカ(東南アジア産)、ミズマメジカ(西アフリカ産)の2属4種。有蹄類中最小で体長50~80cm、肩高20~40cm。角は無く、雄は上顎の犬歯が発達し、牙と成る。毛色は一般に茶、種に依り白の縦線や白斑が有る。熱帯雨林に棲み、夜行性。西アフリカ、東南アジアに分布。ネズミジカ(鼠鹿)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※6:黒潮(くろしお、Japan Current)は、日本列島に沿って流れる暖流。藍黒色で、幅は100km、流速は毎秒1.5m程度。フィリピン群島の東岸から、台湾の東側、南西諸島の西側、日本列島の南岸を流れ、犬吠埼沖に至って陸から離れ、太平洋の中央部に向かい、亜熱帯環流の一部を形成する。太平洋最大の海流。日本海流。黒瀬川。←→親潮。
※7:ペロッグ(pelog[インドネシア])とは、インドネシア音楽の重要な音階。半音を含む五音音階で3種類在り、基本の形は琉球音階に似る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※8:今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)は、日本最大の古代説話集。12世紀前半の成立と考えられるが、編者は未詳。全31巻(その内28巻現存)を、天竺(インド)5巻、震旦(中国)5巻、本朝21巻に分け、各種の資料から一千余の説話を集めて居る。その各説話が「今は昔」で始まるので「今昔物語集」と呼ばれ、「今昔物語」と略称する。中心は仏教説話であるが、世俗説話も全体の3分の1以上を占め、古代社会の各層の生活を生き生きと描く。文章は、漢字と片仮名に依る宣命書きで、訓読文体と和文体とを巧みに混用して居る。
※9:ジャータカ(Jataka[梵])とは、古代インドの仏教説話の一。釈尊が前世に菩薩であった時の善行を集めたもの。パーリ語のジャータカ(約550話を含む)の他、梵語のジャータカ・マーラーや漢訳の六度集経などが在る。絵画・彫刻などの題材と成り、広く親しまれた。闍陀伽。本生譚。本生経。
※10:嫦娥(じょうが)/姮娥(こうが)は、[1].[淮南子覧冥訓]中国古代の伝説で、羿(げい)の妻。羿が西王母から得た不死の薬を盗み飲み、仙人と成って月宮に入ったと伝える。
[2].転じて、月の異称。
※10-1:仙女(せんにょ/せんじょ)とは、[1].legendary witch。女の仙人。西王母/嫦娥(じょうが)の類。山姫(やまひめ)。
[2].fairy。妖精。フェアリー。
※10-2:羿(げい)は、中国古伝説上の人物。弓の名人。尭(ぎょう)の時、一度に10の太陽が出て人民が熱さに苦しんだので、尭の命を受けてその9個の太陽を射落し(←各太陽には烏(からす)が居て9羽の烏も射落した)、更に民に害をなす物を駆除したと言う。
※11:八咫烏(やたがらす)とは、(ヤタはヤアタの約。咫(あた)は上代の長さの単位)
[1].記紀伝承で神武天皇東征の時、熊野から大和に入る険路の先導と成ったという3本足の大烏。姓氏録に拠れば、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身と伝えられる。古事記中「今、天より―をつかはさむ」。
[2].中国古代説話で、太陽の中に居るという3本足の赤色の烏(=金烏(きんう))の、日本での称。〈和名抄1〉。
※11-1:金烏(きんう)とは、(太陽の中に3足の烏が居るという中国の伝説に拠る)太陽の異称。←→玉兎(ぎょくと)。
※11-2:蟾蜍(せんじょ)とは、[1].月中に居るというヒキガエル(蟇/蟾蜍)。
[2].月の異称。月蟾(げっせん)。
※11-3:玉兎(ぎょくと)とは、(月中に兎が住むという伝説から)月の異称。謡、俊寛「―昼眠る雲母の地」。←→金烏(きんう)。
※11-4:烏兎(うと)とは、[張衡、霊憲序](金烏玉兎の略。中国の伝説で、太陽には3本足の烏が、月には兎が住むとされた事に拠る)
[1].太陽と月。日月。
[2].歳月。月日。光陰。「―匆匆(そうそう)」。
※12:かちかち山(―やま)は、昔話の一。室町末期頃の成立か。狸に婆を殺された爺の為に兎が復讐したという筋で、勧善懲悪の寓意と知恵の勝利、又、任侠と復讐の精神を表したもの。「かちかち」とは兎が柴に点火する際の火打石のカチカチいう音に由来。
※12-1:狸汁(たぬきじる、raccoon dog soup)は、[1].狸の肉に大根/牛蒡(ごぼう)などを入れて味噌で煮た汁。
[2].蒟蒻(こんにゃく)と野菜を一緒に胡麻油で炒め、味噌で煮た汁。仏家で の代用とした精進料理。
※13:鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)は、京都高山寺に伝わる白描の戯画絵巻。「鳥獣戯画巻」「鳥獣人物戯画」とも呼ぶ。4巻。詞書が無い。甲・乙の2巻は12世紀半ば(平安後期)、丙・丁の2巻は13世紀(鎌倉初期)の作とされる。猿・兎・蛙などの遊びを擬人化して描いた甲巻が最も優れ、鳥獣を写生的に描いた乙巻が次ぐ。鳥羽僧正覚猷の筆と伝えるが確かな根拠は無い。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※13-1:覚猷(かくゆう)は、平安後期の天台座主・画僧(1053~1140)。源隆国の子。四天王寺別当・園城寺長吏などを歴任し、鳥羽上皇の厚遇を得て鳥羽離宮内の証金剛院に住み、鳥羽僧正と称された。仏教図像の研究をし、醍醐寺蔵「不動明王立像」などの本格的仏画の他、諷刺的な戯画にも巧みであったと伝えられ、「鳥獣戯画」の作者の一人に擬せられるが、確証は無い。
※13-2:白描(はくびょう、sumi drawing)とは、東洋画で、毛筆に依る墨の線のみで完成された絵。又、その技法。唐代に発達し、日本では平安時代に行われ、やがて鎌倉時代に繊細精緻な白描大和絵の絵巻類が創り出された。白描画。白画。
※14:三つ口(みつくち、harelip)とは、上唇の中程が先天的に縦に裂けているもの。いぐち(欠唇・兎唇)。兎や猫は正常で三つ口状態である。
※14-1:兎唇(としん、harelip)とは、上唇が縦に裂け、兎の唇の形を成すもの。胎生期に於ける鼻突起と左右1対の上顎及び下顎突起相互の癒合が不完全な為に起る。三つ口。口唇裂。いぐち(欠唇・兎唇)。
※15:鶍/交喙(いすか、crossbill)は、スズメ目アトリ科の鳥。小形で、スズメよりやや大きく、雄は暗紅色、雌は黄緑色。翼と尾羽とは黒褐色、嘴は上下食い違い、針葉樹などの種子を啄むのに適する。ヨーロッパ/アジアの北部に広く分布。日本には寒く成る頃来る。季語は秋。
※15-1:鶍の嘴(いすかのはし)とは、(鶍の嘴が交叉して居ることから) 物事が食い違って思う様に成らない事の譬え。浄、仮名手本忠臣蔵「する事なすこと、―ほど違ふ」。
※15-2:很し(いすかし)とは、[形シク](鳥名イスカと同源)拗(ねじ)けている。正しく無い。継体紀「毛野臣(けなのおみ)、為人(ひととなり)傲(もと)り―くして」。
※16:脱兎(だっと、run swiftly)とは、
[1].逃げ出す兎。
[2].動作の迅速なことの譬え。「―の勢い」「―の如く」。
※17:兎角(とかく)とは、
[1].〔仏〕兎の角(つの)。亀毛(きもう)と並んで、在り得ないものの例として挙げる。
[2].[副](「と」も「かく」も副詞。「兎角」は当て字)
[a].彼此(かれこれ)。何や彼や。色々。とこう(トカクの音便)。土佐日記「日ひと日、夜ひと夜、―遊ぶやうにて明けにけり」。「―の噂」。
[b].ともすれば。ややもすれば。狂、抜殻「―人といふ物は、此様な事をばゑて例にしたがる物ぢや」。「―失敗しがちだ」。
[c].兎に角。何にせよ。狂、宗論「―先へいて下され」。「―浮世はままならぬ」。
※17-1:亀毛(きもう)とは、亀の毛や兎の角は実在しないことから、非実在を譬えたもの。亀毛兎角、兎角亀毛。
※18:守株(しゅしゅ)とは、[韓非子五蠧「因釈其耒而守株、冀復得兎」](宋の農夫が、兎が偶々切株にぶつかって死んだのを見て、その後耕作をしないでその株を見張って再び兎を得ようと願った故事から)古い習慣を固守して時に応ずる能力の無いこと。少しの進歩も無いこと。
※19:調(つき)とは、みつぎ(貢、御調)。年貢。万葉集18「よろづ―まつるつかさとつくりたる」。
※19-1:調(ちょう)とは、この場合、(「徴(ちょう)」と通ずる)律令制の現物納租税の一。大化改新では田の面積に応ずる田調と戸毎の戸調とがあった。7世紀末から唐制に倣(なら)って成年男子の人頭税とし、繊維製品・海産物・鉱産物など土地の産物を徴収した。分量は、例えば麻布・栲布(たえのぬの)の場合に一人当り2丈8尺。他に調副物(ちょうのそわりつもの)という付加税も在る。みつぎ(貢/御調)。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『イソップ寓話集』(山本光雄訳、岩波文庫)。
△1-1:『万治絵入本 伊曾保物語』(武藤禎夫校注、岩波文庫)。
△2:『日本唱歌集』(堀内敬三・井上武士編、岩波文庫)。
△2-1:『わらべうた -日本の伝承童謡-』(町田嘉章・浅野建二編、岩波文庫)。
△2-2:『日本童謡集』(与田凖一編集、岩波文庫)。
△3:『古事記』(倉野憲司校注、岩波文庫)。
△4:『世界神話伝説大系15 インドネシア・ベトナムの神話伝説』(松村武雄編、名著普及会)。
△5:『新編 日本古典文学全集5-風土記』(植垣節也校注・訳、小学館)。
△6:『今昔物語-若い人への古典案内-』(西尾光一著、現代教養文庫)。
△7:『星の神話伝説集』(草下英明著、教養文庫)。
△8:『中国神話伝説集』(松村武雄編、伊藤清司解説、現代教養文庫)。
△8-1:『世界の神話伝説 総解説』(自由国民社編・発行)。
△9:『中国の十二支動物誌』(鄭高詠著、白帝社)。
△10:『桃太郎の誕生』(柳田国男著、角川文庫)。
△11:『太宰治(ちくま日本文学全集)』(筑摩書房編集・発行)。
△12:『コンパクト版 日本の絵巻6 鳥獣人物戯画』(小松茂美編、中央公論社)。
△13:『万葉集(下)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。
△14:『日本書紀(一)』(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注、岩波文庫)。
△14-1:『日本書紀(三)』(同上)。
△15:『十二支考(上)』(南方熊楠著、岩波文庫)。
△16:『明月記抄』(今川文雄編訳、河出書房新社)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):黒潮が巡る
インドネシアや東南アジア諸国の地図▼
地図-東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)
@参照ページ(Reference-Page):黒潮が巡る南西諸島や沖縄と他の海流▼
地図-日本・南西諸島と沖縄
(Map of South-West Islands and Okinawa -Japan-)
@参照ページ(Reference-Page):四川省広漢市の三星堆の地図▼
地図-中国・四川省の成都と三星堆
(Map of Chengdu and Sanxingdui of Sichuan, -China-)
@参照ページ(Reference-Page):太陽や月の運行について▼
資料-「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
@参照ページ(Reference-Page):十二支は時刻や方位にも使われた▼
資料-十干十二支(Chinese zodiacal signs and 60 years cycle)
@補完ページ(Complementary):黒潮文化圏の詳しい議論▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
@補完ページ(Complementary):10個の太陽(十個の太陽)など
神話伝説の内容が具体的に出土した三星堆遺跡▼
2001年・夜行列車で成都へ(To Chengdu by NIGHT TRAIN, China, 2001)
「狛虎」が居る神社や「霊験有る張り子の虎」を売ってる神社▼
2010年・年頭所感-吼えよ若者!(Roar, YOUNG MEN !, 2010 beginning)
昔から勝負弱い、夏場に弱い阪神タイガース▼
真弓阪神に期するもの(To director Mayumi of HANSHIN Tigers)
兎の肉は旨い▼
中国のヘビーなお食事-”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
亥年に猪肉を食った心▼
2007年・年頭所感-猪食いに吉有り
(Eating boar brings good luck, 2007 beginning)
ウソップ物語とは(これは”知の遊び”です)▼
風船爆弾は雅(みやび)な兵器(Balloon bomb is the elegant arms)
亥年の2007年に実際に猪肉を食った記録▼
日本、形有る物を食う旅(Practice of active meal, Japan)
「蟻とキリギリス」のイソップ寓話の変容▼
私の昆虫アルバム・日本編-セミ類(My INSECTS album in Japan, Cicadas)
黒潮文化圏について▼
まんこ/めこ/そそ/宝味etc(MANKO, MEKO, SOSO, HOUMI etc)
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月見の宴(The MOON watching banquet in Japan)
ストーリーが凄い『北野天神縁起絵巻』(牛頭天王や本地垂迹説も詳述)▼
2009年・年頭所感-聖牛に肖ろう
(Share happiness of Holy Ox, 2009 beginning)
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