−− 2006.07.10 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2007.02.10 改訂
■はじめに − 溢れる老人
今の日本、右を向いても左を見ても目に付くのは年寄りばかり。多いですね年寄りが、これが高齢社会(※1)です。高齢化社会(※1−1)という語の方が未だに一般的に良く使われますが、この語は「高齢社会に移行しつつ在る社会」という意味であり、既に高齢化が可なり進み年寄りばかり目立つ現状は「化」を取っ払って高齢社会と呼ぶべきです。実際に高齢化社会に入って35年、高齢社会に入って10年経過(※1、※1−1)してる訳ですから。
それにも拘わらず、或いはそれ故にと言うべきか現在の日本では、「年寄り」「老人」或いは「老齢」や「高齢」という言葉を避けて「年配者」とか「高年者」とか「シルバー世代」(※2)とかに言い換えて居ますが、この言い換えは実態を誤魔化し美化して居るに過ぎません。美化が過ぎると偽善に陥りますので気を付ける必要が有ります。実態を正しく把握する為に、私はこのページで敢えて「年寄り」「老人」という語を使い通します(→何歳以上が「年寄り」「老人」なのかは後で定義)。
私が幼少の頃は人生50年などと言われ、50歳過ぎたら周囲から「年寄り」として扱われ本人も何処と無く気難しい顔をし渋茶などを啜り乍ら周囲に睨みを利かせて居たものですが、今は平均寿命が延び70歳過ぎても額をテラテラ光らせて熟年とか「未だ青春」などと”軽っぽい”ノリでペラペラ喋りカラオケでJポップを歌ったりして物分かり良く周囲に迎合するばかりで、昔の様な長老や「年寄りらしい年寄り」が居ないのが現状で嘆かわしい限りです。しかし、その様に老化や死を覆い隠しても命有る者は必ず老いて死に至るのが「厳然たる必然」即ちそれが「自然の摂理」です(→「厳然たる必然」については後で詳述)。
そんな状況に対し前世紀終盤頃からでしょうか、日本の皆さん(=”マスメディア+大衆”)が口々に「少子」「少子」(※3)と言い出したのは。確かに日本は年寄りが多く相対的に「若年層の人口比率の過少」という現象、即ち年齢別人口構成が逆三角形的状況を来たして居るのは事実ですが、そこだけを捉えてそう簡単に「少子」と決め付けて良いものか私は疑問を持って居ます。後でデータで示しますが、この現象は戦後に「少子化」(※3−1)と「高齢化」が同時並行的に進行した「少子高齢化」の結果 −その「少子化」と「高齢化」の内容の違いについては後述− であり、しかも若年層と年寄りの人口比率は相対的な比較の問題であって、長寿国に成った日本は年寄りが溢れ「少子」よりも寧ろ「多老」と捉えることも出来るからです。この「多老」という言葉は私の造語ですので後で正確に定義しますが、文字通りに「老人の人口比率の過多」を指します。
「少子」か「多老」か?、「若年層の人口比率の過少」なのか「老人の人口比率の過多」なのか?、実は双方が一面の真理でそれぞれが正しいのですが、その捉え方に依って高齢社会日本の問題への対処の仕方が大きく分かれるので「大事な分岐点」なのです。そこで[多老社会を考える]シリーズの第1弾としての本論考では「い」の一番に、「少子」か「多老」か?、という問題に真っ向から斬り込むことにします。
■「少子」か「多老」か? − 正しい議論は正確なデータから
何事も先ず正確なデータをきちんと把握する事が大切です。正しい議論は正確なデータの上にのみ成り立つからです。そこで議論に必要なデータを見て行きましょう。
(1)日本及び世界の平均寿命の推移
先ず最近40年間位の日本及び世界の平均寿命の推移です。下の一覧表には平均寿命の高い国だけで無く、比較の為に主要先進国や各地域の主だった国や平均寿命の低い国もピックアップして居ます。
<表1 − 日本及び世界の平均寿命の推移>
(出典:Web の Economic & Social Data Rankings)
国名 1990〜2000年 1970〜1980年 1950〜1960年
男 女 男 女 男 女
日本 76.7 83.1 71.7 77.0 63.0 67.2
( 2位 1位 4位 8位 35位 39位)
アイスランド 76.7 81.1 72.4 78.4 70.4 74.8
スウェーデン 76.2 81.4 72.2 77.9 70.7 73.9
イスラエル 75.7 79.6 70.8 74.1 65.4 67.9
スイス 75.5 81.9 71.4 77.8 67.6 72.5
カナダ 75.4 81.3 70.1 77.5 67.4 72.5
オーストラリア 75.3 81.1 69.3 76.1 67.2 73.0
ノルウェー 74.8 80.7 71.8 78.1 71.1 75.0
フランス 74.0 81.9 69.2 77.1 65.1 71.2
ドイツ 73.4 79.8 68.5 74.7 66.0 70.6
アメリカ合衆国 72.9 79.1 68.7 76.3 66.4 72.5
韓国 69.7 77.5 60.3 67.3 48.6 51.6
中国 67.2 71.0 63.5 65.1 41.2 44.3
イラン 66.2 68.6 56.5 56.6 46.1 46.1
ブラジル 64.0 72.0 58.4 63.0 50.4 54.0
エジプト 64.0 67.6 51.9 54.4 42.5 44.9
北朝鮮 61.3 66.8 62.8 67.4 50.6 52.6
ロシア 60.3 72.7 63.3 74.2 61.5 68.6
-------------------------------------------------------------------
インド 59.7 61.4 52.3 50.9 41.5 39.9
イラク 57.7 60.8 57.8 59.7 46.1 47.9
ハイチ 47.3 50.6 48.1 51.1 37.9 40.5
ルワンダ 28.2 32.7 43.1 46.3 39.2 42.4
(菫色:男性寿命>女性寿命の逆転)
この表を見て世界的に共通して居る点は、第二次世界大戦後の50年間に男女共に平均寿命が5歳位延びていること、女性が男性を5歳位上回っていることです。更に良く見ると、北欧を中心とする元からの先進国は既に高寿命なので寿命の増加率は一定程度なのに対し、日本を始めとする後発国から先進国に伸し上がった国の寿命の増加率が著しく高いことが判ります。それは大戦後の後発国に於ける栄養状態の向上と医療技術の進歩に負う所が大でしょう。
日本に注目すると50年間の寿命の延びは男性で約13歳、女性で約16歳にも達し、2000年時点で日本人の平均寿命は男性が2位、女性は1位です。2000年迄の40年間での平均寿命の増加率は男性が1.22倍(=76.7/63.0)、女性が1.24倍(=83.1/67.2)です。その結果、新世紀を迎える頃に日本は世界一の長寿国に成りました。
(2)日本及び世界の人口密度の推移
下が日本及び世界の人口密度の推移です。やはり人口密度の高い国だけで無く、比較の為に主要先進国や各地域の主だった国や後進国もピックアップして居ます。
<表2 − 日本及び世界の人口密度の推移>
(出典:Web の Economic & Social Data Rankings)
順位 国名 2000年 1980年 1960年
[人/ku] [人/ku] [人/ku]
1 マカオ 24,641 14,002 9,589
2 モナコ 22,403 17,501 14,854
3 シンガポール 6,501 3,907 2,644
6 ヴァチカン 1,789 1,650 2,059
11 バングラデシュ 895 571 356
17 パレスティナ自治区 507 238 177
19 韓国 472 385 253
23 オランダ 389 346 281
25 ベルギー 338 323 300
26 日本 336 309 249
(26位 24位 22位)
30 インド 311 210 135
31 ルワンダ 305 197 110
40 ハイチ 286 197 137
41 イスラエル 275 170 95
50 ドイツ 231 219 204
54 北朝鮮 181 143 95
56 スイス 174 153 130
70 中国 133 104 69
88 フランス 107 98 83
120 エジプト 67 44 28
131 イラク 57 32 17
151 イラン 40 24 13
169 アメリカ合衆国 30 25 20
181 スウェーデン 20 18 17
181 ブラジル 20 14 9
206 ロシア 9 8 7
216 アイスランド 3 2 2
216 カナダ 3 2 2
223 オーストラリア 2 2 1
223 モンゴル 2 1 1
この表を見て解るのは、マカオ/モナコ/ヴァチカンの様に少し特殊な小国が上位を占め、バングラデシュやパレスティナ自治区の様な問題を抱えてる国も高密度に喘いで居ます。逆にアメリカ合衆国/スウェーデン/カナダ/オーストラリアなど「豊かな国」のイメージを有する西側先進国の人口密度は押し並べて低いという事実に注目して下さい。2000年に於いて先進国で密度が高いのが韓国/オランダ/日本です。
日本に焦点を当てると日本は発展途上国のインドと同程度です。日本人が「中国は人口が多過ぎて大変だ」と思ってる人口が世界一多い中国でも人口密度は日本の1/2.5程度で、日本人が直ぐ比較に持ち出すアメリカは日本の1/11、広大なシベリアを抱えるロシアは更に低密度で日本の1/37です。
40年間の日本の人口密度の増加率は1.35倍(=336/249)に増加して居ますが、不思議と順位は”ほぼ横這い”です。これは日本の人口密度の増加率が世界平均並みで突出したもので無い事の証左です。
(3)世界の人口上位国の人口の推移
そこで次に最近40年間位の人口上位国の人口の推移を下の表に纏めました。
<表3 − 世界の人口上位国の人口の推移>
(出典:Web の Economic & Social Data Rankings)
順位 2000年 1980年 1960年
国名 人口 国名 人口 国名 人口
[千人] [千人] [千人]
1 中国 1,273,979 中国 998,877 中国 657,492
2 インド 1,021,084 インド 688,856 インド 442,344
3 アメリカ合 284,154 アメリカ合 230,917 アメリカ合 186,158
4 インドネシ 209,174 インドネシ 150,072 ロシア 119,906
5 ブラジル 173,858 ロシア 138,660 インドネシ 95,931
6 ロシア 146,560 ブラジル 121,615 日本 94,096
7 パキスタン 142,648 日本 116,807 ドイツ 72,815
8 バングラ 128,916 バングラ 82,185 ブラジル 72,742
9 日本 127,034 パキスタン 79,297 イギリス 51,572
10 ナイジェリ 117,608 ドイツ 78,289 バングラ 51,224
----------------------------------------------------------------------
6,500,000
(アメリカ合:アメリカ合衆国、インドネシ:インドネシア、
バングラ:バングラデシュ、ナイジェリ:ナイジェリア)
これを見れば日本は人口の絶対数が増加して居ることは確かで、1968年頃に人口1億を超えたのです。1960年は9400万人ですが、そう言えば私が中高生の頃「9500万人のポピュラーリクエスト」(※4)という洋楽ポップス番組を聴いて居ました、あの頃は確かに9500万人だったのですね。人口の相対的順位は6位→7位→9位と徐々に下げて来ましたが、2000年時点で1億2700万人、人口の増加率では1.35倍(=127,034/94,096) −この値が人口密度の増加率と同じ値に成るのは国土の面積が変わって無いから”当たり前”− です。
(4)世界の出生率の推移
次に出生率(※5)の推移を見る為に最近40年間位の合計特殊出生率(※5−1)を載せます。合計特殊出生率とは日常聞き慣れない言葉ですが、1人の女性が一生涯に産む子供の数を推計して割り出したもので、単純に考えれば1組の夫婦が2人の子供を儲ければ人口は定常値(=静止人口)を保つので、これから先人口が増えるのか減るのかが一目瞭然に判るのです。実際には生まれた子が病気で早死にしたりするので静止人口を保つのは2.1[人/女性](※5−2)とされて居ます。
合計特殊出生率が多い国、アジア近隣の国、欧米先進国をピックアップして以下に纏めます。国別の比較や増減だけで無く静止人口値の2.1を目安に下表をご覧下さい。
<表4 − 日本及び世界の合計特殊出生率の推移>
(出典:Web の Economic & Social Data Rankings)
国名 1990〜2000年 1970〜1980年 1950〜1960年
[人/女性] [人/女性] [人/女性]
ニジェール 8.16 8.15 7.75
アフガニスタン 8.00 7.70 7.70
マリ 7.30 7.56 7.11
イエメン 7.24 8.50 8.25
ウガンダ 7.10 7.10 6.90
-------------------------------------------------------------------
フィリピン 3.89 5.75 7.21
インド 3.62 5.13 5.95
イスラエル 2.94 3.59 4.03
ベトナム 2.90 6.30 6.15
北朝鮮 2.18 3.34 3.99
タイ 2.03 4.47 6.40
-------------------------------------------------------------------
アメリカ合衆国 2.01 1.91 3.58
中国 1.85 4.09 5.91
オーストラリア 1.82 2.32 3.30
スウェーデン 1.79 1.78 2.22
イギリス 1.74 1.88 2.34
フランス 1.74 2.09 2.72
韓国 1.61 3.60 5.87
日本 1.44 1.94 2.42
ロシア 1.40 1.99 2.84
ドイツ 1.33 1.58 2.23
イタリア 1.25 2.11 2.34
この表を見ればアフリカやアジアなどの貧困な後進国程高出生率で言わば”野放し”状態 −この様な国では戸籍も整って無い場合が多い− で、先進国程低出生率で人口の国家管理が進んで居ること、日本を始めアジアの発展途上国も人口制限に努力して居ることが一目瞭然です。人口世界一の中国が1970年代の4.09から90年代に静止人口値の2.1を切り1.88迄落としたのは明らかに「一人っ子政策」の成果です。面白いのはアメリカとロシアの違いです。人口密度に余裕の有るアメリカは90年代に微増し2.01とは人口面で中国に対抗しようとしてるのか?、同じく人口密度が超余裕のロシアが90年代に日本より低い1.40とは広大なシベリアでは穀物が獲れない為か?、面白い数値です。
日本が2.1を切ったのが1960〜70年頃ですが、これは核家族化が定着し”鍵っ子”が出現した時期(※6、※6−1)と見事に符合し、”鍵っ子”は大抵一人っ子です。日本はその後も少子化が進み1990〜2000年には1.44と西欧先進国並みの出生率に成り、巷間言われてる程に日本が特に低い訳では有りません。
■データの総合と再検討
以上で各国の「平均寿命の推移」、「人口密度の推移」、「人口の推移」、「出生率の推移」を一通りデータで見て来ましたが、ここで4つのデータを総合して再検討し注意点を抽出してみましょう。
<注意点1>は、「人口密度の推移」を見れば明らかですが現在の日本の人口密度は”後進国並み”に高いという事実を確と認識すべきです。日本の皆さんが「中国やインドは人口が多くて大変だ」と言っているのを良く耳にしますが、それは人口の絶対数だけを見れば確かにその通りですが、しかし中国やインドは国土面積が広いので人口密度では日本はインドと同程度、世界一人口が多い中国の2.5倍で、日本人が何かと比較したがるアメリカ合衆国の10倍強の高密度です。一般に生物個体群には最適密度(※7)というものが存在するのですが、その観点から見ると日本の人口密度は既に臨界(=飽和密度)を超えて過密(=過飽和密度)なのです。
もっと解り易く言うと、日本人の家は単純平均でアメリカ人の家の略1/10の土地面積、だからアメリカ人の様なプール付きの住宅など殆ど存在せず押し並べて狭い”兎小屋”(※8)に住むことを余儀無くされた上に、過剰な人口密度は土地建物の価格を押し上げ以前提案した「食住エンゲル係数」(※9、※9−1)の値は高く庶民の生活は”食って寝て住む”だけでキツキツ、先進国で在り乍らとても「豊か感」など持て無いのが実態です。これについては03年に発表した
「デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)」
を是非参照して下さい。
[ちょっと一言] 更に言えば、我々日本に住む者は、日本の国土面積の半分以上が殆ど人が住まない山地だという事実に留意する必要が有ります。言い換えると日本の「居住可能な有効面積」は国土面積の約1/2なのです。山地は日本の自然環境を維持する為に必要ですから、どんなに宅地開発技術が進歩しても山地を潰す訳には行きません。上記の人口密度は人口値を単純に国土面積で割り算した値ですから、分母を「居住可能な有効面積」に置き換えれば居住可能地域の実質人口密度は人口密度の2倍に成る、という事は小学生低学年の算数です。どの国でも実質人口密度は人口密度より高い値に成りますが2倍以上の値を呈する国は少ない筈です。つまり、人口密度の統計値以上に日本の実質人口密度は更に過密であるという認識が必要です。
以上の様な状態にも拘わらず日本の現状を「少子」だと言って憚らない所を見ると、どうも日本の皆さんは人口(=人の絶対数)と人口密度(=単位面積当たりの人の数)の区別が付いて無い様に思えます。人口密度過飽和については後で別の角度から更に検討を加えます。
<注意点2>は、日本の現状を「少子」とする人の中でデータを見て言ってる人でも、単に出生率の漸次的低下しか見てない点が問題です。それを言うなら静止人口値2.1を下回った70年頃に声を上げる必要が有った筈ですが、当時は皆で核家族化を「是」として居ました。しかし今日「出生率の推移」だけで判断するのは誤りです。その理由は「人口の推移」を見れば明らかな様に、出生率が静止人口値以下に低下したにも拘わらず1960年以後に人口は40年間で1.3倍強の増加率で増加中、つまり”増え続けている”のです。しかも人口密度が既に過飽和であることは<注意点1>で指摘した通りですが、当然の事乍ら人口密度も1.3倍強の増加率で増加中です(「人口密度の推移」)。では人口が”増え続けている”理由は何か?、その答えが次ぎの注意点です。
<注意点3>は、出生率の低下にも拘わらず日本の人口が増加し続けた原因は「平均寿命の推移」を見れば明らかな様に、平均寿命の延び、即ち老人の平均余命の延びに在ります。即ち
1950〜1960年 1990〜2000年 増加率
男 63.0歳 → 76.7歳 1.22倍
女 67.2歳 → 83.1歳 1.24倍
です。その結果、総務省の統計に拠ると全人口に占める65歳以上の人の割合、即ち高齢化率(※1−2)は昨2005年に20%を超えました(→日本の高齢化率の推移は当ページの纏めとして最後に掲載します)が、これは
全人口の1/5が高齢者(※1−3)
という事です。
荒っぽい計算ですが、仮に寿命の延びが無く男女共に現在の平均寿命が64歳と仮定すると、65歳以上が占める20%をカット出来る訳で、現在の仮定人口は
仮定人口=127,034×0.8=101,627→ 仮定増加率=101,627/94,096=1.08倍
と成り、人口の仮定増加率は略1倍、つまり50年間で人口増加は殆ど無いという計算結果が得られます。
この結果を踏まえて私は
日本では65歳以上を「年寄り」「老人」とするのが妥当
と考えます。高齢化率の算定年齢も65歳を基準にし、生産年齢人口(※5−3)も65歳で線引きして居ますので。
そして65歳以上が殆ど居ないという仮定の下では、年齢別人口構成が逆三角形に成る事も無い、従って「少子」と騒ぐ必要も無い、という事を計算値が示して居ます。これは何を意味するのか?、その答えが次ぎの注意点です。
<注意点4>は、2000年迄の40年間に実際には1.3倍強の増加率を示した人口が、順位では6位→9位と下げて居るのは大戦直後からの日本の少子化政策の成果で、その間の出生率の低下がその事を端的に示して居ます。
++++ 大戦直後の日本の少子化政策 ++++
日本は対戦直後の1947〜49年にベビーブーム(※10)が発生し、後に「団塊の世代」(※10−1、※10−2)と呼ばれる世代的多数派が恰も大戦に因る人口減少を補填するが如きに誕生しました。これに驚いた政府は直ぐに優生保護法(※11)を成立させ、当時のマスコミも逸早く同調して
「8000万人の幸福、狭い国土に無慮160万人の人口増加。せめて産み方のテンポなりを調整いたしましょう。」(避妊薬)
「最も安全な受胎調節に!」(婦人体温計)
などと喧伝し(△1のp220)、産児制限(※11−2)という少子化政策を「先進国化政策」の一環として推進し、後進国型の多産に因る貧困 −貧困な後進国は現在も高出生率− を回避して来ました。
冒頭で触れた様に戦後の日本は「少子化」と「高齢化」が同時並行的に進行した「少子高齢化」ですが、以上の様に「少子化」は政策目標を掲げて達成したのに対し「高齢化」は政策では無く医療技術の進歩の結果である点が大きな違いです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今マスメディアに煽られて「少子」を嘆いて居る人々は大きな”勘違い”して居て、上記の如く日本が先進国の仲間入りをする為に戦後一貫して少子化政策(=産児制限)を推進して来た事実を忘れて居ます。つまり現在の「少子」は戦後の目標が想定通りに達成された日本の少子化政策の「当然の帰結」なのです。「若年層の人口比率の過少」を齎したのは少子化政策の結果では無く、老人の平均余命の想定外の延び(←「平均寿命の推移」を見よ)だったのです。
■人口密度過飽和の弱点 − 緊急時・災害時に機能不全
以上の様にデータを総合し再検討を加えて来ましたが、ここで人口密度過飽和な日本の現状について別の角度即ちシステム論的観点から検討を加え、皆さんが余り気付いて無い点を一言指摘して置きます。
人口密度過密・人口集中は人・物・カネ・情報が1ヶ所に集中し一見効率的の様に思えるかも知れませんが、都市を一つのシステム(※12)として捉えると過剰な人口密度の需要を支える為に物資・輸送・エネルギーなどの供給システムを「程好い値の最適値」 −人間を取り巻く自然環境システムと調和が可能な範囲の値− を超えて極大化せねば為らず、極大値を以てする極限設計はシステムの硬直化(=無理な張り詰め)を内在させ、平時はその「潜在的歪み」に気付きませんが需要が逼迫する緊急時・災害時に機能不全 −即ちシステムのパンク(※13)− を起こし無理を露呈します。
一方、システムの安定性(stability)と安全性(safety)を優先させる立場からはリダンダンシー(※12−1) −「冗長性」と約します、即ち「遊び」「余裕」「ゆとり」の事で効率一辺倒の対立概念− を持たせ、極大値では無く「程好い値の最適値」で最適化(※12−2)した弾力的システムの構築が肝要である、というのが私が長年遣って来た情報システム論/システム工学(※12−4)/自動制御工学(※12−5)の教えです。これを都市に当て嵌めてみると、極限設計は専ら集中性という「量」を追求するのに対し最適設計は快適さと安全性という「質」に重点を置くので「量」の飽和を制限する訳です。これは「腹八分目」が健康に良いのと同じ理屈 −昔の人は「腹八分に医者要らず」と言った− なので子供にも解る論理です。
快適で安全な都市を実現する為には「都市の適正規模」や「人間の最適密度」(※7)がどの程度かを算定する必要が有りますが、何よりも人口過密都市の諸問題を直視し過飽和状態を緩和する方向性を打ち出す事が肝要で、例えば東京について言えば首都機能の分散化は一方策です(△2のp86〜98、p204)。
{この章は06年8月14日に追加}
■私の主張 − 日本の現状は「多老」
前々章で引き出した4つの注意点、及び前章の人口密度過飽和の弱点を総合すれば、
現在の日本の「年寄が多く若年層が少ない状況」は
「多老」
であり、戦後の少子化政策よりも「想定外の平均寿命の延び」が原因
という事がお解り戴けると思います。つまり2000年迄の40年間での平均寿命の増加率が男女共に1.2倍強に成った事、言い換えると平均寿命が20%強も延びた事が最大原因で、日本の現状は「多老社会」であると結論付けることが出来ます。まぁ、ここ迄学者の論文みたいに詳細に検証しなくても<注意点1>で指摘した
日本の人口密度が臨界を超えて”インド並み”に過密(=過飽和状態)
という一点で年齢別人口構成が逆三角形の現状は「多老」と言う事が出来ます(インド人の皆さん、御免為さい!)。
そこで私の造語である「多老」及び「多老社会」を以下の様に定義します。
★★★<「多老」及び「多老社会」の定義>★★★
・多老(たろう、surplus old-people)とは、年齢別人口構成から見て65歳以上の老人が全人口の1/5以上を占めて過剰な状態、即ち高齢化率が20%以上の状態のこと。又、過剰な老人群を指して言う場合も有る。→少子。
・多老社会(たろうしゃかい、surplus old-people society)とは、年齢別人口構成上、老人が多過ぎ「多老」の状態を呈している老人過剰社会。言い換えると、必要以上に老人が多過ぎる社会のことで、この不必要な老人を余剰老人と言う。
以下は「少子」論に対する反論で、この人口密度過飽和状態の中で子供を増やして更に過密にしてどうするんだ!、という事ですね。バブル崩壊から現在迄の日本の慢性不況の最大原因は人口密度過密に在る、と私は考えて居ます。即ち、狭い日本には今以上のパイ(pie)が無い(※14)のです。パイ以上に人口を増やしたら餓死者が出るという事です。では「多老」なる現状をどう打開するか?、という問いには次代を担うべき若者に新しいパイを開拓する程の覇気も無いので、”手詰まり”感が漂います。
{この章は06年7月26日に<「多老」及び「多老社会」の定義>を追加し、一部を修正しました。}
■「多老社会」のイメージ − 枯れた花が美しいのか?!
「年寄り」「老人」は花に譬えると”枯れ花”です。「多老社会」のイメージは、花畑の若い新鮮な花々が周辺に群生する”枯れ花”群に覆い隠されて、少し離れて見ると”枯れ花”群ばかりが目立ち全体として”枯れ花畑”に見えて仕舞う状態に等しいのです。皆さん、もしこの様な花畑を見たら、それでも美しいと感じますか?
殆ど居ないでしょう。何事にも例外が存在しますので皆無とせず”殆ど”としましたが。だから私は「長生きは良い事」と単純に高齢社会(※1)を賛美してる今の日本の偽善に対し大声で叫びたいですな、即ち「枯れた花が美しいのか?!」と(既に2005年1月14日の掲示板の議論の中でそう叫んで居ます)。
そして”枯れ花畑”を美しく無いと感じた皆さんが、その花畑の管理者だったらどうしますか?
その儘の状態に行き成り新しい花の種を蒔く人は殆ど居ないでしょう。美観を損ねて居る”枯れ花”群を先に刈り取り除去する事から始めるのが常識人です。そして除去して場所が空いた後に花の種を蒔くのも常識人の行動です。つまり、過剰な”枯れ花”の除去が先なのです!
■上には上が居る! − 老人が大老人を介護する
しかし高齢社会が行き着いて、今や老人が大老人(parents of old-people)(←これも私の造語で、老人の親などを指す)を介護する時代です。これこそ正に多老の問題が縮図的に表れて居ます。60〜70歳台の老人 −本来なら介護される歳なのに− が、更にその上の大老人(主に85〜100歳以上)を介護しなくては為らないという、如何ともし難い問題が既に現実として私たちに突き付けられて居ます。実際に私の知り合いにそういう人が数人居ます。一例を書くと、私は偶々道で会ったので「お早う御座います。どちらへお出掛けですか?」と聞くでも無く挨拶言葉として言ったら「お袋の所へ。××の老人ホームに入っているんです。」と言うでは有りませんか。この人の歳など知りませんが見た所70歳は超えて居る様に見えますが、この人の親が未だ生きてるなんてその時初めて知りました。私は言葉を失い「今お幾つで。」と言ったら「9○歳です。体は弱ってるんですが未だ頭の方は確りして。」との返事でした。この人は自分で確りと歩いて居ますが、やはり年寄りの歩き方です。その人が更に上の親の面倒を看て居るのです。
老人が大老人の面倒を看る(或いは介護する)という問題は、長生きは良い事だとは単純に言い切れない現実を示して居ます。
{この章は06年7月26日に追加}
■「姨捨」の因習に見出す合理性
繰り返しますが、日本は大戦後ゼロからスタートし産児制限を導入し高度成長を遂げ主要先進国の仲間入りを果たし、栄養状態の向上と医療技術の進歩の御蔭で長寿国と成り、その当然の帰結として巷に「年寄り」「老人」が溢れる「多老社会」(=老人過剰社会)に成りました。バブル崩壊以後の慢性不況は”枯れ花”群が”若い花々”を覆い隠すが如くに、ダブついた年寄りが日本経済を圧迫して居る所為です。
誠に失礼且つ乱暴な話ですが、
”余剰老人”が2千万人位ポックリと逝って戴ければ、年金や高齢者医療や老人介護などの社会負担が激減し問題は一挙に綺麗さっぱりと解決する
のです。何故解決して仕舞うのか?、それは「多老」が根本原因だからです。しかし、それでは人を殺す事に成り誰も賛成しないでしょう。”枯れ花”の除去をするのは常識ですが”余剰老人”とは言え人間を除去するのは非常識です、今の社会では。しかし除去せずに人口密度が過飽和な国に於いて「少子」という認識から子供を増やす政策は、より負担を増大させるだけの愚策且つ偽善、正に「笑止千万」な話(※15)です。その様な砂糖を振り撒いた甘い偽善では無く、眼前に立ち塞がる「厳然たる真実」「厳然たる必然」を透徹した心で確と見据える事が必要で、その為には「少子」では無く「多老」という捉え方が必要なのです。
冒頭で『「少子」か「多老」か?、それぞれが正しいのですが、その捉え方が「大事な分岐点」』と述べたのは、その事を指して居ます。即ち図式化して示すと
「少子」という認識 → 「子供を増やそう」という発想
「多老」という認識 → 「老人を減らそう」という発想
と成り、現状打開策の方向性が正反対に成るからです。日本の現状は老人が過剰な「多老社会」、これが「厳然たる真実」です。だから「老人を減らそう」、これが「厳然たる必然」なのです。つまり「少子」では無く「多老」という捉え方は我々に「発想の転換」を迫って居るのです。
その「厳然たる真実」「厳然たる必然」を考えて行くと昔日本に在った「姨捨」(※16)に行き当たります、つまり「棄老」(※16−1)ですね。伝説化した古い因習ですが、今改めて考え直してみると根本原因たる”余剰老人”を棄てる訳ですから理に適った”合理的”な考え方です。日本を現状分析した結果、「多老」が慢性不況の根本原因と解って居ても「多老」の一掃に対しては”枯れ花”を刈る様には行かず”手詰まり”感が漂う中で、良く見掛ける様に若者の範にも成らぬダラダラと無為に生き長らえて居る”余剰老人”を姨捨伝説(※16−2)の様に”合理的”に減らして行く上手い方策は無いですかなあ。以下にそれを検討しましょう。
{この章は06年7月26日に追加、07年2月10日に最終更新しました。}
■日本から老人を減らす方策 − 積極案は外国移住
現在の日本の「多老社会」を”枯れ花畑”に譬えて話をしましたが、私は中年以下の若い世代が前面に出て溌剌と活躍し程好く世代交代するのが「健全な社会」の理想的な形だと考えて居ます。つまり一個の人間と同じく社会にも新陳代謝が必要で、それが適正に行われ若い活力が前面に漲る社会が生き生きした本来の「花畑」に相当します。老人は一歩引いて若い世代が血気に逸(はや)って”行き過ぎ”を犯した場合に苦言を呈する位で良いのです。その時に老人の「知恵と経験」が役に立ちます。昔は隠居(※17)という制度が在り「引き際」が肝心とされ世代交代が促されて来ました。戦(いくさ)を遣ってた時代には特に男は常に「死に際」を考えて行動し、それが「男の美学」と言われる一種の潔さを作り上げて居た様に思えます。
さて、”手詰まり”感が漂う「老人を減らす方策」ですが、前掲の論考「デフレ論議に疑問を呈す」中の「日本は今何をすべきか」の章で述べて居る事が一つの解決策です。その中の項目[2]と[5]が援用出来ると思いますので、その2項目を1つに纏めると
日本の老人は発展途上国に移住して、経験やノウハウを積極的に供与し文化で貢献する
と成ります。経済や技術での貢献は企業などの現役に任せ、老人は文化面で「知恵と経験」を生かすという事です。「日本から老人を減らす方策」ですから老人が外国に移住して仕舞えば、別に発展途上国で無くても何ら貢献をしなくても構わないのですが、文化貢献は移住する老人が前向きな目標を持てる為と現地人と仲良く暮らす為、発展途上国が良い理由は日本の甘ったれた老人が先進国に行ったらバカにされる恐れが有る為です。
しかし、日本人が外国に移住するには農耕民族の血筋が優勢故に移住抵抗値が高い事は比較民族学の論考(04年)に於いて既に分析した通りです。あのバブル景気華やかなりし1987年にシルバー・コロンビア計画(※2−1)という名の年金老人移住計画がブチ上げられた事が有りましたが、やはり日本人の移住抵抗値が高い為に計画倒れに終わりました。あの当時はジャパン・マネーが世界をブイブイ言わせて市場を席巻してる時で、この計画には好景気に驕り上から他国を見下す植民地主義的思想がチラと覗え南米のコロンビア国は嘸かし迷惑だったろうと察しますが、私が唱えてる移住は文化貢献ですから現地人と対等です。現地の文化を吸収し乍ら日本の文化を普及して行く活動です。
バブルの最中は好景気だから移住しなかったのかも知れませんね。今は慢性不況で年金も減額されなどして、逆に発展途上国や後進国への移住が現実味を帯びて来た、と私は思います。例えば年金額が5[万円/月]だと働かずに日本で暮らすには苦しいですが、発展途上国や後進国へ行けば円が10倍の価値を持つ所はザラに在り、50[万円/月]相当の生活が出来る訳で、年寄りは飲み食いも自ずと質素です −中にはそうで無い人も居ますが何事にも例外は付き物− から充分これで遣って行けます。10[万円/月]だと100[万円/月]相当で豪勢なものです。日本人も過去にはブラジル移住の先例も有りますので踏ん切りを付けて見習ってみては如何かと思います。年金を貰って移住するので日本経済の圧迫要因は取り除かれないのが難点ですが、”枯れ花”の老人が1千万人位日本を出て行けば人口密度過飽和は緩和されてスッキリする事は確実で、世代交代が促進され若い世代が前面に出る「活力に充ちた華やいだ社会」に成る事は必定です。
以上の様に「日本から老人を減らす方策」として外国移住が積極案 −老人が積極的に生きられ且つ社会も積極的に勧め得る案− です。
{この章は06年8月14日に追加、07年2月10日に最終更新しました。}
■「日本から老人を減らす方策」の消極案 − 「補遺ページ」で詳論
「日本から老人を減らす方策」のその他は、と言うと段々消極的に成って行きます。即ち、ぽっくり死、安楽死、即身成仏、老人徴兵制、姨捨・爺捨の棄老などなどで、老人には厳しく積極的に勧め難い内容です。しかし消極案では老人は平均寿命前に世の中から確実に消えて行きますので「活力に充ちた華やいだ社会」の到来が促進される上に、日本経済の圧迫要因が早目に取り除かれるという大きな利点が有るのも確かです。何故か?、それは姨捨の例で指摘した様に消極案の方が”合理的”(=理に適って居る)な方策だからです。
これらの消極案については「補遺ページ」の中で詳細に検討することにしますのでご覧下さい。...とこの原稿を書いてる最中に世間では「後期高齢者」(※1−4)という言葉 −何やら75歳以上の老人を指すらしい− が飛び交って居ます。どうやら政府が後期高齢者医療制度に関する法案をつい最近に可決成立した為で、この医療制度については未だ良く知りませんが「高齢者」に”後期”が在る事に”好奇心”が湧き興味を持ちましたので、その興味の内容も「補遺ページ」で言及します。「補遺ページ」は▼下をクリック▼してご覧下さい。
日本の現状は「多老」だ|補遺(The SURPLUS OLD-PEOPLE society, SUP.)
尚、「補遺ページ」に於いて最下行の蛙(カエル)のアイコン(the icon of Frog)をクリックすれば、ここに復帰します。
(-_*)/
さて、貴方(貴女)なら積極案・消極案のどちらを選びますか?、ムッフッフ!!
{この章は06年8月14日に追加し、「補遺ページ」へのリンクは06年11月3日に追加しました。}
■老害について − 高齢化率との関係に於いて
最後に「老害」という概念について私見を述べます。「老害」という語を時々耳にする様に成ったのが何時の頃か確と覚えて居ませんが、高齢化社会という語が使われ出して暫く経った1980年代だったと思います。老害とは文字通り「老人に因る弊害」の事ですが、老害には集合的弊害と個人的弊害の2種類が在り、当ページや「補遺ページ」で扱うのは専ら前者の集合的弊害です。
集合的弊害を考える場合には個々の老人の個人差は無視し、65歳以上の老人の塊(mass)としての集合的属性[の平均値]を問題にします。日本は1995年に高齢化率が14%を超えて高齢社会に入り、これを受けて政府は97年に75歳以上の老人に高齢運転者標識(※18)を導入しました。これは政府が老害を認識した結果の老害対策です。その後も高齢化は止まらず前述の如く2005年には20%を超えて老人が溢れた多老社会に突入し、老害は確実に経済を圧迫し不活発でチンタラした社会を現出させて居ます。しかも日本の高齢化は尚も進行中で2014年には高齢化率は25%を超え全人口の1/4が老人と推計されて居ます(出典:「現代用語の基礎知識(2004年版)」)。更に高齢化率が高まり高齢社会の14%の倍の28%を超えると「老人に因る公害」(=老人公害)が発生(※19)するでしょう。これは全人口の約1/3.5が老人、老人が溢れてパンク寸前(※13)の「臨界状態」という意味で臨界多老社会(critical old-people society)(←これも私の造語)と呼ぶべき状態 −既に日本の人口密度が臨界超えしてる事は前述しました!− です。そう成ったら老人そのものが”粗大ゴミ”の様な迷惑な存在と化します。それ故にそう成らない前に「早く手を打つ事」を主張して居る訳です、お解り戴けたでしょうか!
後者の個人的弊害は、老いて独善的我儘に成り周囲と摩擦が生じる現象ですが、これには大きな個人差が在り全くそう成らない人も居ますので、この場合は個人差を考慮して適用する必要が有ります。しかし老齢化に伴って考え方が固化するのは人間の一般的傾向ですから、老人の多くが個人的弊害を帯びて来るのは事実です。独善的我儘に病的妄想が混入し妄想の割合が高く成ると老人性パラノイア(※20)という”立派なビョーキ”で、自分だけで無く周囲の人間を自己中心的妄想の中に引き摺り込んだ晩年の豊臣秀吉が典型例です。
以上で述べた老害についての私の考えを図式的に纏めたものと、「日本の高齢化率の推移」と老害との関係を当ページの纏めとして以下に掲載します。
<老害(=老人に因る弊害)の図式>
┌[1].集合的弊害 → 多老 → 臨界多老で老人公害
│ (個人差を無視)
老人に因る弊害 ┤
└[2].個人的弊害 → 独善的我儘 → 老人性パラノイア
(個人差を考慮)
<表5 − 「日本の高齢化率の推移」と老害との関係>
(出典:総務省の統計)
年 高齢化率(65歳以上の老人の割合)
[%]
1950 4.9
1955 5.3
1960 5.7
1965 6.3
・1970 7.1 → 高齢化社会に
1975 7.9
1980 9.1
・1985 10.3(1/10超え) ─┐老害の兆候
1990 12.1 ↓
・1995 14.6 → 高齢社会に ─┐老
2000 17.4 │人
・2005 20.2(1/5超え) → 多老社会に │の
│集
------------------------------------------------- │合=老害
│的
・2014(推計) 25.0(1/4超え) │弊
↓害
?20xx 28.0(1/3.5超え)→ 臨界多老社会に→ 老人公害
多老という集合的な老害は「花畑」を”枯れ花”で覆い尽くし疲弊させて居ます。当ページの「日本から老人を減らす方策」積極案と「補遺ページ」で検討した消極案とを併用して、見た目も見苦しい”枯れ花畑”から”枯れ花”を除去して、”若い花々”が目立つ本来の美しい「花畑」を復活させる必要が有ります。”枯れ花”の除去こそが若い世代が前面に出る「健全な社会」を蘇らせる為の正しい道なのです。
正しい道への舵取りに成功した暁には人口密度がパンクした極大値社会に替わって、人口構成の均衡が取れた「程好い人口密度の”ゆとり”有る社会」が訪れる筈です(△3のページii〜vii)、そう成る様に最適設計する必要が有りますが。逆に少子化対策などと言って”枯れ花”を除去せずに子供を増やせば「潜在的歪み」を抱えた極大値社会から永久に脱皮出来ません。
{この章は06年9月9日に追加し、07年2月10日に最終更新しました。}
■結び − 「多老」は数年来の考え
私が物申すのは常に独自な意見を「敢えて言う」時だけで、この事は独自な意見を「敢えて言う」のは当サイトのコンセプトの一つで、「敢えて言う」場がこの「個人的見解」のコーナーなのです。「多老」という考え方 −それは上述の如く詳細なデータに則って現状分析し導き出した結論− は現在迄誰も言って無いので、敢えてこのページで提唱したものです。
しかし、「多老」という考え方は私の頭の中では数年前から去来し始め、既に2005年1月14日に掲示板の議論を纏めたページの中で「枯れた花が美しいのか?!」と叫んで居ます。イメージとしてはその頃から膨らみ今年(=06年)5月20日に初めて「「多老」を憂う」と題して「多老」という造語を初めて使い、その概念を我が掲示板に公表しました。実はその時点で当ページの詳細なデータ部分は出来上がり原稿も半分以上は書き上げて居たのですが、飛躍の無い論理で論証するのに1ヶ月以上の時間が掛かった訳です。今推敲し乍ら読み返すと我乍ら中々の労作に成りました。ここらで筆を置くとしましょう。長々とお読み戴いた方々には感謝です。
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尚、[多老社会を考える]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
【脚注】
※1:高齢社会(こうれいしゃかい、aged society)とは、高齢化が進み、高齢者の割合が高い社会。一般に高齢化率が14%を超えた社会を言う。日本は1995年に14.5%に達し高齢社会に成った。<出典:「現代用語の基礎知識(2004年版)」>
※1−1:高齢化社会(こうれいかしゃかい、aging society)とは、総人口の内、高齢者の割合が大きく成って行く社会。一般に国連の報告書に従い、65歳以上の人口の比率(=高齢化率)が7%を超えた社会を言い、日本は1970年をその始めとする。
※1−2:高齢化率(こうれいかりつ、rate of aging)とは、65歳以上の高齢者人口が総人口に占める割合。1956年の国連の会議で、当時の先進国のデータを基に高齢化の度合いを分類する為に提示された。<出典:一部「現代用語の基礎知識(2004年版)」より>
※1−3:高齢者(こうれいしゃ、old person, aged person / 集合的には old people, aged people)は、高齢化率の算定基準である65歳以上の人、と定義するのが妥当。
※1−4:後期高齢者(こうきこうれいしゃ、older person / 集合的には older people)は、(後期高齢者医療制度として2006年前半に広まった語)高齢者の中で、75歳以上の年長の人。
※2:シルバー(silver)は、[1].銀。銀色。
[2].(日本での用法。高齢者の頭髪がシルバーグレー(silver gray, silver grey)というイメージから)「高齢者の」の意。「―シート」「―産業」。
※2−1:シルバー・コロンビア計画(Silver Colombia Plan)とは、〔外来語年鑑1999年〕1987年に通産省が打ち出した政策。年金生活者を海外で豊かに生活させようというもの。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※3:少子(しょうし)は、一番年若い子。末子。
※3−1:少子化(しょうしか、falling birthrate)とは、結婚年齢の上昇や結婚しない男女の増加に因り出生率が低下し子供の数が減少すること。1992年度の国民生活白書で使われた語。「―社会」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
「1992年度の国民生活白書」について補足すると、1992(平成4)年度の「国民生活白書」が「少子」の言葉を使っている。その副題は「少子社会の到来、その影響と対応」であり、出生率低下問題を政府として初めて本格的に取り上げた。98年7月、政府は前年の出生率が史上最低の1・39を記録したことを受け、「少子化への対応を考える有識者会議」を設置し提言をまとめ、翌年より子育て支援計画「新エンゼルプラン」を推進して来たが、少子化の歯止めは掛かって居ない。今後、20〜30代の女性人口が減少し、将来も少子化傾向は止まらないと予想されて居る。<出典:「現代用語の基礎知識(2004年版)」>
※4:洋楽ポップスの日本でのヒットチャート番組。1962年〜67年迄、文化放送からラジオ放送された。
※5:出生率(しゅっしょうりつ、birthrate)とは、人口1000人に対する1年間の生産児数の割合。日本では10月1日現在の人口を算定の基準とする。死産を含む場合は出産率という。
※5−1:合計特殊出生率(ごうけいとくしゅしゅっしょうりつ、total fertility rate)とは、1人の女性が一生涯に平均して何人の子を産むかを予測した数値。妊娠可能な15〜49歳の全女性について年齢別の出生率を算出し、それを合計したもの。我が国に於いては1949年には4.32人だったが、73年は2.14人、98年は1.38人に成った。この数値が2.1人の時、人口は増えも減りもしない静止人口に成る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※5−2:静止人口(せいしじんこう、geostationary population)とは、人口の増減が無くなり、人口変動が静止した状態の人口。
※5−3:生産年齢人口(せいさんねんれいじんこう、productive age population)とは、生産活動に携わる年齢層の人口のこと。その国の生産能力を表す一つの尺度に成る。普通、15歳以上65歳(又は60歳)未満の人口を指す。→ 就業人口、労働力人口。<出典:「Microsoft エンカルタ総合大百科」>
※6:核家族(かくかぞく、nuclear family)とは、夫婦とその未婚の子女とから成る家族。小家族と同義であるが、人類に普遍的であり、有らゆる家族の基礎的単位であるという主張を含んで居る。1960年頃から言われ出した。
※6−1:鍵っ子(かぎっこ、latchkey child)とは、共稼ぎ夫婦の子。両親が勤めに出て家に誰も居ず、何時も鍵を持ち歩いて居る為に付けられた名。1965年頃から言われ出した。
※7:最適密度(さいてきみつど、optimum density)とは、生物の個体群に於いて一個体当たりの生存確率・増殖率・体重・寿命などが最高に成る個体群密度を言う。一般に、飽和密度との中間の値に成る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※8:兎小屋(うさぎごや、rabbit hutch)とは、1979年のEC(欧州共同体)の非公式報告書の中で、日本人の狭い住居を形容した語。
※9:エンゲル係数(―けいすう、Engel's coefficient)とは、家計の消費支出に占める飲食費の割合のこと。ドイツの社会統計学者エンゲルが1857年の論文で、この割合は所得が大きく成れば減少することを発表した。これをエンゲルの法則と言う。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※9−1:食住エンゲル係数(しょくじゅう―けいすう、Engel's coefficient for food and shelter)は、私の造語で、エンゲル係数の概念に「住」費用を含めること。即ち、家計の消費支出に占める飲食費+住宅費用の割合のこと。
※10:ベビーブーム(baby boom)とは、出生率が急に高まった時期。特に、第二次大戦後の1947〜49年(第一次ベビーブーム)を指して言う。その後、第一次ベビーブーム世代が親に成り71年〜74年の第二次ベビーブームが到来した。
※10−1:ベビーブーマー(baby boomer)とは、ベビーブームに生れた人たち。ベビーブーム世代。日本では第一次ベビーブーマーを団塊の世代、第二次ベビーブーマーを団塊ジュニアと呼ぶ場合が多い。
※10−2:団塊の世代(だんかいのせだい、the first baby boom generation)とは、(他世代に比し人数が特に多い所から言う)1947〜49年の第一次ベビーブーム世代を指し、3年間で約800万人生まれた。堺屋太一が1976年に小説の標題として命名し、直ぐに流行語化した。
※11:優生保護法(ゆうせいほごほう、Eugenic Protection Law)とは、優生学上の見地から不良な子孫の出生を防止し、母体保護を目的とする法律。1948年制定。96年、優生思想を改正し母体保護法を制定。
※11−1:母体保護法(ぼたいほごほう、Mother's Body Protection Law)とは、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定め、母体保護を目的とする法律。1996年、優生保護法の優生思想を排除し改正。
※11−2:産児制限(さんじせいげん、birth control)とは、社会的・経済的或いは医学的理由の為、受胎調節や妊娠中絶などの人為的手段に依って受胎、又は出産の制限・調節を行うこと。サンガー夫人らの提唱。産児調節。バース・コントロール。
※11−3:サンガー夫人(Margaret Sanger)は、アメリカの産児制限運動家(1883〜1966)。1922年以来しばしば来日して遊説。医師協会やカトリック教会の反対に遭い、度々投獄されたが、1929年には国際産児制限連盟を組織した。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12:システム(system)とは、複数の要素が有機的に関係し合い、全体として纏まった機能を発揮して居る要素の集合体。組織。系統、系。仕組み。
※12−1:リダンダンシー(redundancy)とは、[1].余分。冗長性。必要条件に対する十分条件を満たす要素の一つ。
[2].緊急の事態に備えて、平時から代替の物資を貯えたり、予備の施設を作って置くこと。
<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
補足すると、この概念はコンピュータに依る情報処理や通信の分野で逸早く応用され、情報システムの障害回避と復旧対策、伝送データの誤り検出と訂正対策として、設計時に組み入れる。
※12−2:最適化(さいてきか、optimization)とは、[工]ある系(システム)について、一定の状況の下で可能な在り方の中から最も好ましいものを選び出すこと、或いは最も好ましい状態に成る様に調整すること。線形計画法(LP)などのオペレーションズ・リサーチ(OR)の手法が用いられる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※12−3:オペレーションズ・リサーチ(operations research, OR, OR)とは、第二次大戦中、英米両国で発達した科学的・数学的な作戦計画の方法。その後、経営計画・生産計画・在庫管理などの意思決定に応用され、線形計画法(LP)/ゲームの理論/シミュレーションなどを用いて数学的に最適解を求める方法として発展。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12−4:システム工学(―こうがく、system engineering, SE)とは、複雑なシステムの開発・設計・運用・評価などを合理的に行う為の思想・手法・理論などを包含した基礎的工学。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12−5:自動制御(じどうせいぎょ、automatic control)とは、機械や装置の状態を予め設定した設定値に自動的に維持したり、経過を辿らせたりする様に制御すること。基本的な制御方式にフィードバック制御とシーケンス制御が在り、制御対象に依りプロセス制御(温度や流量などの制御)とサーボ機構(位置や角度の制御)に分けられる。オートマチック・コントロール。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※13:パンクは、(puncture「パンクチャー」の略)
[1].自動車や自転車などのタイヤの破れること。
[2].転じて、膨れ過ぎて破裂すること。又、適量を大幅に越えて機能が損われること。「電話回線が―する」。
※14:パイ(pie)は、[1].小麦粉・バターなどから作った生地で、果物の甘煮又は肉類などを包んだり、生地の上に乗せたりして、オーブンで焼いた洋菓子、又は料理。「アップル―」。
[2].分け合うべき収益・費用などの全体、総額。「限られた市場での―の奪い合い」。
※15:笑止千万(しょうしせんばん、very pitiable / highly ridiculous, quite absurd)とは、甚だ気の毒なこと。又、大層笑うべきこと。浮、好色万金丹「何と何とさても不慮なる事―と言へば」。「―な話だ」。
※16:姨捨(おばすて/うばすて)とは、親が老齢に成ると山へ棄てるという棄老の習わし。
※16−1:棄老(きろう)とは、老人を(山中などに)捨てること。「―伝説」。
※16−2:姨捨山(おばすてやま/うばすてやま)は、長野県北部、長野盆地の南西に在る山。正称は冠着山(かむりきやま)。標高1252m。田毎の月で有名。更級に住む男が、親代りの姨を山嶺に置いて逃げ帰ったが、折からの明月に後悔に堪えず、「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」と口遊み、翌朝姨を連れて帰ったという棄老伝説の地。大和物語・今昔物語などに所載。「―伝説」。
※17:隠居(いんきょ、retirement(事), retired man(人))は、
[1].世事を捨てて閑居すること。致仕。今昔物語集13「只―を好む心のみ有り」。
[2].家長が官職を辞し、又は家督を譲って隠退すること。又、その人、その住居。戸主が自己の自由意志に依ってその家督相続人に家督を承継させて戸主権を放棄することで、中世の武家法以来の伝統的な法制であるが、1947年廃止。
[3].江戸時代の公家・武家の刑の一。地位を退かせて家禄をその子孫に譲らせること。
[4].江戸小伝馬町の牢内囚人の顔役の称。伎、小袖曾我薊色縫「行きやア―と立てられて、見舞の初穂を喰ふ株だが」。
[5].当主の現存の親の称。又、老人の称。
※18:高齢運転者標識(こうれいうんてんしゃひょうしき)とは、普通自動車免許を持つ75歳以上の者が運転する時に、普通自動車に表示するマーク。表示は任意。1997年より実施。高齢者マーク。←→初心運転者標識。若葉マーク。
※19:公害(こうがい、public nuisance, pollution)とは、企業活動に因って地域住民の蒙る環境災害。煤煙・有毒ガスに因る大気汚染、排水・廃液に因る河川・地下水の汚濁、地下水の大量採取に因る地盤沈下、機械の騒音・振動・悪臭など。日本では高度経済成長を達成した1960年代中頃から問題が表面化した。
※20:パラノイア(paranoia)とは、体系立った妄想を抱く精神病。妄想の主体は血統・発明・宗教・訴え・恋愛・嫉妬・心気・迫害などで40歳以上の男性に多いとされる。分裂病の様な人格の崩れは無い。偏執病。妄想症。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『図説 日本のマス・コミュニケーション』(藤竹暁・山本明編、NHKブックス)。
△2:『スモール・イズ・ビューティフル(人間中心の経済学)』(E.F.シューマッハー著、小島慶三・酒井懋訳、講談社学術文庫)。
△3:『人口減少社会の設計』(松谷明彦・藤正巌著、中公新書)。
●関連リンク
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