§.日本の現状は「多老」だ|補遺
[日本から老人を減らす方策−消極案]
(The SURPLUS OLD-PEOPLE society, SUP.)

−− 2006.11.03 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2008.01.16 改訂

 ■社会にも新陳代謝が必要
 ★このページは本論(Main-issue)
  日本の現状は「多老」だ(Present Japan is the SURPLUS OLD-PEOPLE society)
補遺ページ(Supplement-Page)です。


 本論では日本の年齢別人口構成が逆三角形を成して居るのは「少子」では無く「多老」(←これは私の造語(※1))である事を論証し、日本の多老社会(※1−1)の歪みの根本原因は過剰な老人であり歪みを是正するには老人を減らすべきであると主張しました。そして「日本から老人を減らす方策」の積極案として外国移住を提案しましたが、消極案についてはぽっくり死安楽死即身成仏老人徴兵制姨捨・爺捨の棄老などの項目を挙げるだけで中身の説明はして居ませんでした。当ページでそれら消極案の方策を詳細に検討し乍ら紹介しましょう。尚、本論と同じく当ページでは
  65歳以上の高齢者(※1−2)を老人
として扱います(←その理由は国連の高齢化率(※1−3)の算定年齢も65歳を基準にして居るから)。
 その前に「消極案」の意味についてですが、「消極案」は多老社会の根本原因である老人の長命を無条件に是としない立場 −この立場は「少子」論者と正反対− で、”枯れ花”たる老人に「社会の新陳代謝」の大切さを認識して貰い”若い花々”との世代交代を老人に促すものです。まぁ、早い話が老人に早く死んで戴くという考え方ですから社会が積極的に勧め難い、それ故に「消極案」と呼ぶ訳です。しかし人間、己の死を積極的に評価し納得する為には何らかの大義名分が必要です。老人が納得出来る大義名分はズバリ
  何の為?  →  社会の新陳代謝の為
  誰の為?  →  若い人々の為

という事です。即ち、自然界の原理原則に照らしても日本の現状に照らしても
  老人の早死は「世の為、人の為」に成る
という事を充分に納得して貰う事が肝心です。

 ■消極案その1 − ぽっくり死
 先ず「ぽっくり(ポックリ)」という言葉の意味は【脚注】に在る様に、元々は「物が何の抵抗感も無く簡単に折れたりする様子」を表す副詞(※2の[1])でしたが、やがて「苦しみや痛みを伴わず或る日突然静かに死ぬ事」を表す副詞(※2の[2])に転じました。このページで使う「ぽっくり(ポックリ)」も専ら後者の意味で、何らの苦痛を伴わず椿の花が柄の元から一輪丸ごとポックリ落ちるが如くに或る日静かに息絶える「ぽっくり死」は老人がイメージする「理想的な死に方」の代名詞に成って居ます。思えば交通事故が多発し殺人事件や自殺が増加し延命技術が複雑怪奇に発達 −その裏には延命装置や器具を販売する側の商業主義が存在するのは明らか− した現代に於いては、寿命を全うし静かに自然死(※3)を遂げる事が難しいというのが皮肉な現実なのです。
 そんな現実を反映して老人達が「ぽっくり死」を憧憬する”ぽっくり願望”は膨らみ”ぽっくり信仰”へと変質しました。新たな民間信仰(※4)の誕生です。「需要在れば供給在り」で現在「ぽっくり寺」と通称される寺が全国に数10も散在し、大阪在住の私の近隣では
  阿日寺(あにちじ)  奈良県香芝市良福寺
  吉田寺(きちでんじ) 奈良県生駒郡斑鳩町小吉田
などが新聞・テレビなどで採り上げられ”ぽっくり信者”で可なり賑わって居ます。又、「ぽっくり地蔵」「ぽっくり観音」(←地蔵様・観音様は民間信仰の常連)と呼ばれる仏像が近所の老人の尊崇の的に成ったり、ポックリと成仏する為の「ぽっくり講座」が開かれて居る寺も在ります。
 この”ぽっくり信仰”の根底には浄土教の極楽往生の思想(※5)が在る様で、上に挙げた二寺は何れも『往生要集』(※5−1)を著した源信(=恵心僧都、※5−2)所縁の寺です。『往生要集』は欣求浄土(※5−3)を、「第一に、聖衆来迎の楽とは、およそ悪業の人の命尽くる時は、風・火まづ去るが故に動熱にして苦多し。善行の人の命尽くる時は、地・水まづ去るが故に緩慢にして苦なし。いかにいはんや念仏の功積り、運心年深き者は、命終の時に臨んで大いなる喜自ら生ず。...(中略)...即ち弥陀仏の後に従ひ、菩薩衆の中にありて、一念の頃(きょう)に、西方極楽世界に生るることを得るなり。」と説いて居ます(△1のp90〜91)ので、これは阿弥陀仏に依る西方浄土思想(※5−4)です。そこで”ぽっくり信者”たちはこれに依拠して”俄か善人”に成り済まし苦しまずに楽に死ぬ事を希求しますが、喜びを伴って死ねるのは悟りの境地に達した人だけでしょう。
 ところで、「ぽっくり寺」を巡りポックリ死ぬ為の有り難い講話を聴いても、それでスンナリと「ぽっくり死」出来る訳では無いという点が問題で、飽く迄も死を待たねば為らない難点が有ります。このページでは日本の多老社会を是正する為に「日本から老人を減らす方策」をテーマとして居る訳ですから、「ぽっくり寺」詣でした老人が”ぽっくり願望”を持つ同好の士と出会って却って元気が出て余計に長生きでもしたら矛盾も甚だしいという事に成ります。死を待っては駄目なのです。兎に角「死を推進する方向性」を見出す事が肝要です。

 ■消極案その2 − 安楽死
 そこで安楽死(※6)を検討しましょう。現在の解釈では安楽死は【脚注】に在る様に「助かる見込みの無い病人」を”人為的”に楽に死なせるという条件が付きます −その為に戦前迄は「安死術」という語が使われて居た(△2のp17)− が、「死を推進する方向性」を明確に有して居り、「ぽっくり死」を待つよりも当ページのテーマには”好ましい方法”と言えます。
 安楽死と似た概念で尊厳死(※6−1)という語が在ります。医療技術の急速な進歩に依って生命倫理(※7)の概念が微妙に成る中で、現在では末期癌患者などが本人の意志や希望で必要以上の延命治療を辞退して選ぶ死を指して居ます。「尊厳」とは蛙やモルモットみたいに肛門や鼻腔からカテーテル(※8)を突っ込まれたりメスで内臓を切り刻まれたりする実験動物的死や意識が無い儘の植物人間的死を拒否し、人間としての尊厳を保った儘で死にたいという本人の希望を尊重する意味からの命名で、それは「患者の自己決定権」 −治療方法を患者自らが選択し決定出来る権利− が有るという考え方に基づいて居ます(△2のp20)。その様な考え方から老人の終末医療(※9)やホスピス(※9−1)の在り方が近年著しく見直されて来て居ます。
 しかし安楽死や尊厳死が広く受け容れられる為には、それを希望する側と執行する医師との間の事前のインフォームド・コンセント(=医療に於ける「説明と同意」(※10)という考え方の浸透と制度化が前提に成ります(△2のp217〜219)。又、安楽死には「人の命」という”厳粛な問題”が絡むので専門的定義は実は非常に難しい様です(△2のp18の図)が、更にそれが社会通念として定着する為には医学的・法律的・社会的・宗教的など様々な見地から検討し障壁を乗り越えて社会的コンセンサス(=合意)を形成(※11)する必要が有ります。その様な合意形成の上でオランダは2001年4月に世界で初めて「安楽死法」を制定(※6)し安楽死合法化の先鞭を付けました(△2のp25〜35)。
 安楽死と概念的に重なり合うのが自殺幇助です。病気で苦しんで居る「本人の自発的意思表示や要請」に基づいて医師が薬を投与すると安楽死で、医師が薬を渡して本人が自ら薬を飲むと自殺幇助と成り、現在の日本では自殺幇助罪(※6−2)に処せられます(△2のp22)。又、慈悲殺(※6−3)という語も在り、これは本人が意思表示不能で尚且つ非常に苦しんでる場合などに、第三者(←家族も本人で無いという意味に於いて第三者に該当)が「楽にして上げよう」という”善意”から本人を殺害することで、これも殺人罪に処せられます。しかし切腹が罷り通って居た武士の時代に於いては「介錯」(※6−4の[2])という行為は「武士の情け」という美徳の一つであり切腹する場合には必ず介錯人が付いて切腹者が苦しまぬ内に背後から首を切り落としましたが、介錯は今日の慈悲殺に該当します。この様に安楽死・自殺幇助・慈悲殺の境界が曖昧な点は問題で、今後の課題でしょう。
                (-_*)

 以上で述べた様に、通念的な安楽死とは本人が「助かる見込みの無い病人」という立場に在る事が前提(※6)でした。しかし当ページの主旨からは、安楽死を希望する本人に「病気」という付帯条件を必要とはしません。即ち
  字義通りに「苦痛を伴わずに安楽に死ぬ」という単純な解釈
で良く、尊厳死や「安楽に死ぬ自殺」も広義の安楽死に含めて差し支え無かろうと私は考えて居ます。何故ならば「人の命」は確かに”厳粛な問題”ではありますが「多老」が社会全体の活力を奪い経済を圧迫して居る日本の現状は”深刻且つ憂慮すべき問題”である、とするのが当ページの立場だからです。そこで以下で「安楽に死ぬ自殺」について検討を加えます。

  ◆安楽に死ぬ自殺
 自殺には薬/首吊り/飛び降り・飛び込み/手首・頚動脈切り/ガス中毒/感電/入水/焼身など色々な方法が在り(△3のp2)、誰しも安楽に死ぬ方法として薬 −服用や注射− を真っ先に連想すると思いますが薬は失敗率が高く(=致死度が低い)(△3のp14)、著者は「首吊り以上に安楽で確実で、そして手軽に自殺できる手段はない。」と断言し首吊りを一推しに推薦して居ます(△3のp56)。私は自殺を試みた経験が一度も無いので首吊りがどの程度安楽かは実の所知りませんが「法医学者の研究によると首を吊るとすぐに意識が遠のき、手も足も動かそうにも動かせず、しかもこの過程で全く苦痛がないことが明らかになっている。」そうです(△3のp59)ので興味有る方はお試し下さい。但し、自殺の成功・失敗・苦痛について私及び当サイトは一切の責任を負いませんので、念の為。
 私は自殺については中立、つまり「死にたい人は死んだらエエやんか、生きたい人は生きたらエエやんか」という立場ですね。自殺幇助もしない代わりに自殺阻止もしません。何となれば「患者の自己決定権」と同じく私は人間には「死に方の自己決定権」が有るという考えで、生まれ方や親を選択し決定する事が叶わない人間は熟慮し自らの意思で死に方を決定するのは良い事と考えて居ます。勿論それには他人に迷惑を及ぼさない事が大前提です。従って私は健康な老人が冒頭に述べた「世の為、人の為」を慮って広義の安楽死をする事を大いに歓迎するものです、ムッフッフ!!
 まぁ兎に角、痛みと苦しみを最小限に出来る安楽死は自殺も含めて「手っ取り早く万人向きの死に方」と言えます。又、後述する様に死体や臓器の有効利用の道も開けて居ますゾ!
    {この節は06年11月14日に追加し、06年12月15日に最終更新}

 ■消極案その3 − 即身成仏、そして補陀落渡海
 次は即身成仏(※12)です。つまり、生身の人間が徐々に断食し、やがて絶食して即身仏(※12−1)と言われるミイラ(※12−2)に成る事です。ミイラと言うと我々は真っ先にエジプトを連想しますが、日本にもミイラは全国に20体位現存します(△4のp255)。日本にはエジプトの様なミイラ崇拝思想は在りませんが、空海の入定説話 −弘法大師空海が生身の儘で高野山奥の院に入定(※13)して居るという話− が流布されるに伴って密教僧や修験者の間に即身成仏への関心が高まりました。但し、実際には空海は荼毘に付されたという空海火葬説が有力です(△4−1のp6)。
 ところで宗教的最高点(=「究極の悟り」の境地)に同化する為に自らを死と融合させようとする思想は補陀落渡海(※14、※14−1)にも通底します。補陀落渡海とは南海上に在るとされる補陀洛山 −観音(※14−2)が住む浄土で南方浄土(※14)とも言う− に”生まれ変わる”為に操舵の無い小さな渡海船に乗り波間を漂流した挙句に海中に没するという壮絶な捨身(しゃしん、※14−3)の行(ぎょう)のことで、熊野の補陀落山寺の僧を中心に数10の記録が残されてますが、その内20〜30例位は確実とされて居ます(△5のp768〜769)。
 面白いのほ、その内の2、3例が”生きた儘”で琉球(=今日の沖縄)に漂着しその後が『琉球国由来記』(※15)などの琉球側文献に書き溜められて居ることです(△5のp768)。これなどは本来の補陀落渡海の目的に照らせば失敗例に当たる筈ですが、遠路遥々と海を渡って遣って来れたのは既に”生まれ変わった”と考えられたのかも知れません。琉球地方にもニライカナイ(※16)という「海の彼方の楽土」に憧れる信仰が在ります。
 遥か海上の浄土に憧れる心情は日本人が古来から持ち続けて居る常世信仰(※17)に発するという指摘(△5のp36)に同感ですが、ここでは深入りしません。補陀落渡海がどんなものか興味有る方は【参考文献】△5−1などをお読み下さい。

 ミイラの話に戻って、エジプトとの比較ではエジプトの夥しい数のミイラが冥界の神オシリス(※12−3)の審判を仰ぐオシリス信仰(※12−2)に基づく(△6のp120〜125、エジプトのミイラ製造法も記述)のに対し、中国や日本の即身仏の場合は最終的に衆生救済する弥勒菩薩(※18)が住む兜率天(※18−1)を理想の浄土と見做す弥勒信仰(※18−2)と結び付いて居るのが特徴(△4−1のp320〜321、△1のp143〜151)です。しかし両者で共通するのは「霊魂の不滅」が信じられ来世(※19)が信じられて居り、それは補陀落渡海でも同様です。
 まぁ、宗教的な話はこれ位にして私が勧める即身成仏とは、湯殿山などの先人のミイラの存在を、人生の終着駅に近付いた老人に見習って貰い悟りの境地に入って戴くというものです。そこで湿気の多い日本でどの様に腐敗しないミイラが作られるのか、について簡単に予習しましょう。

    ++++ 湿度が高い日本でのミイラ製造法 ++++
 日本のミイラ製造法(mummification)は中国伝来の方法を改良したもので、以下は【参考文献】△4−1のp83〜95に拠ります。
 先ず中国では蝉の抜け殻を表す「蝉蛻(せんぜい)」という語が「ミイラ化すること、又はミイラ」を指し、先ず数年間穀物を断ち木の実だけを食す木食行を行った後に断食して餓死入定、入定後は他者が死体を正座位・結跏趺坐・合掌などさせ甕棺 −2つの甕の口を向かい合わせる− に納めて3年間穴に埋め、掘り出して体を整形し布を張りを塗ります。
 日本も大筋は同じですが、松材の木棺に納めて同じく3年間穴に埋め、掘り出した時に生乾きの場合は樒や香の煙で燻し(=燻製)たり渋柿の汁を全身に掛けますが、漆は塗りません
 以上の様に、中国も日本も死体を土中の穴に3年間埋めて乾燥させるのが秘訣の様です。
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 やはり魚の干物(ひもの)を作るよりは行程が複雑ですね。自ら餓死してミイラに成る為には本人の確固とした信念(或いは意志)と修行が必要で、一人では心許無いので即身成仏道場が在った方が良いですね。難しく考える必要は無く、飽食時代を反映して全国各地に在る断食道場を一歩深めて改変すれば事足ります。それ迄の飽食の反省にも成り、悟りに近付くことが出来、その上「世の為、人の為」に成る訳ですから非常に”善い事”であると思って居ます。但し、強い意志力と修行が必要ですので即身成仏や補陀落渡海が出来る人は極少数という大きな欠点が有ります。日本のミイラからは正に”ミイラ取りがミイラに成った鼠”(※12−4)の死骸が出て来たり、その鼠にチンポの先を食われたりしてる話(△4−1のp55〜56)を知ったら尚更でしょう。
 現在では「覚悟」という語が殆ど死語に成り、終着駅に近づいた老人が悟りどころか尚も飽食人生に未練がましく”執着”して居る姿は「可笑しくもあり悲しくもあり」です。
                (>v<)

 以上は本人の意思に基づいた自発的(或いは主体的)な死、即ち何らかの意味での「自殺のすゝめ」(←これは1万円札の御仁の著作の表題のパロディー)でしたが、以下の方策には少し強制執行的な要素が介入します。
    {この章は06年11月14日に追加し、07年1月9日に最終更新}

 ■消極案その4 − 老人徴兵制
 この原案はブッシュJr. のアメリカがイラク侵略後の統治に親米各国の軍隊を掻き集め、日本もそれに応じ自衛隊派兵を決めた頃(=2004年の春)に浮かんで来たアイデアです。即ち、日本の役目は前線部隊では無く後方活動中心の兵站部隊(※20)ですから若き兵士よりも老いて無為な時間を貪って居る余剰老人(※1−1)を派遣した方が良いのでは?!、と思ったのが切っ掛けでした。
 その後、弟子のリチャード・プー氏の「老人皆兵制」論(06年5月17日)を受けて更に検討を重ねて来ました。実は「多老」という造語を初めて使ったのも「老人皆兵制」の掲示板の議論の応酬(06年5月20日の「「多老」を憂う」という題の投稿)の中でした。その中で私は『老人が「捨て身の敢闘精神を発揮する筈」と思うのは甘い幻想です。老人が生に執着し、幼児のように甘えているのが問題です。つまり老人が、否、老人のみならず社会全体が幼稚化(或いは幼稚園児化)しているのです。人生経験を積んで来た筈の老人が、若者に対し「語るべき言葉、伝えるべき心、示すべき行動を何一つ有して無い」というのが現状です。昔の無学な田舎の老婆でも、昔話や譬え話の1つや2つは持っていました。こういう不甲斐無い老人を大量に生み出したのは、責任を曖昧にして来た”戦後衆愚政治”の当然の帰結です。』と述べて居ます。

 その様な経緯の中での議論を一歩進めて、これを実行するには社会的抵抗が大きいという事を充分承知の上で、敢えて老人徴兵制の概念の定式化を試みます。
 先ず本論で記した如く全人口の20%強を占める65歳以上の老人を一律に徴兵制の対象にします。そして外国での国連軍などの兵站活動(食糧調達・輸送・連絡・修理など)/地雷撤去/災害復旧/医療・看護/選挙監視/児童教育などに派遣し、当初は後方部隊の補助作業や専門性の低い作業を担当させます。近年の軍事技術の進歩は非力な老人の前線活動さえ可能たらしめて居ますので徴兵制が定着し訓練を積めば前線配置も充分可能です。当然、派遣規模や派遣先は時と場合に応じて様々、危険度も前線・後方で様々ですが派遣期間中のみ危険度別の一定の給与を支給(←訓練期間中は無給)し、この給与額以上の年金を貰ってる人にはそれを充当、以下の人には不足額を付加する方法を採ります。
 こうして老人が彼方此方の外国に派遣されると、日本から老人が減る、現地での肉体労働に従事すれば日頃の運動不足の解消が出来る、飽食に起因する成人病にも良い、ボケ防止に成る、万が一命を落としても「老いた命」は将来有る「若き命」に比して「命の価値」が低いのは「厳然たる真実」ですから日本国として大した損失には成らない、と良い事尽くめです。そして所期の目的の作業を終了しても現地に定住する様に仕向けるのです。即ち、日本に戻って来たら年金はカット、現地に定住したら今迄通りの給与を支給します。
 徴兵という強制手段に依る海外派遣は、本論の積極案で述べた自発的な海外移住と同じ効果を齎します。従って日本は人口密度過飽和が緩和され若い世代が前面に出る「活力に充ちた華やいだ社会」に成ります。そもそも外国からの派遣部隊を必要とする様な国 −紛争国や無政府状態の国など− は所得水準が極めて低い場合が殆どですので、派遣先の老人達は10[万円/月]の給与で100[万円/月]相当の生活がエンジョイ出来る事は本論で述べた通りです。「紛争国で極楽浄土!」などというCMをテレビで流すのも一考です!
 この方策の問題点は徴兵逃れです。先の大戦中でもそうでしたが病気や病弱を理由に徴兵逃れされると、老人は殆ど何らかの”病気持ち”ですから、この方策は土台から崩れます。ここは「寝た切り老人」以外は全て徴兵するという確固たる態度が必要で、車椅子の老人でも現地の子供に本を読んで聞かせる位は出来ますから、それぞれの持てる力量に応じた仕事は相応に在る筈です。「寝た切り老人」以外で徴兵拒否した老人には年金全額カットの上に制裁金の一括納入を課す事です。制裁金は簡単に支払える額では徴兵制の効果が上がらないので高めに設定して5百万位が良いと思いますが、制裁金の妥当額については専門家に決めて貰えば済む話です。こう成ると金持ちは徴兵を逃れられる訳ですが、それは仕方無い事ですね。制裁金で無く刑罰を課したりすると話はギスギスして来ますので丸く収める為には何事も”抜け道”が必要です。仮に刑罰に処し逮捕すると刑務所で只飯食わせて養わなければ為らないので却ってコストが掛かりますが、制裁金を上納させればコストは削減されるのです。健康老人が「寝た切り」を装って擬装入院などした場合には、その老人を監視し散歩などさせずに死ぬ迄強制的に「寝た切り」にさせて置きます。すると徐々に足腰が立たなく成り死期を早めるので好都合という筋書きです。
 又、一部の金持ち老人は海外逃亡するでしょうが、これには年金全額カットの上に全財産没収で対処します。私は寧ろ老人が海外逃亡する派生効果に大いに期待します。何故ならば本人の自由意思で勝手に日本を出て行く訳ですから、老人削減の目的には合目的的行動である上に海外移住よりも”手間要らず、金要らず”で結構毛だらけです。逃亡先即ち移住先で余生を大いに満喫して戴きたいですな。
 この老人徴兵制の根底に在る重要な哲学は、苛酷で無い任務には「若き命」を温存し「老いた命」を投入するという「命の価値」を天秤に掛ける思想です。法制度的には貧富貴賎の別無く全ての人の命の価値は平等に扱われなくては為りませんが、国の将来という観点からは「若き命」の方を大切にする考え方は一般常識に合致するものであり且つ国家経営論的にも合理性が有ると考えます。

  ◆ニート徴兵制
 2000年頃からニート(NEET)(※21)と呼ばれる無気力な若者が社会の表面に表出し問題を投げ掛けましたが、ニートの親は1980代半ばに表出したオタク(※21−1)で、そのオタクは1960年代後半〜70年代前半の幼少時を「鍵っ子」(※21−2)として過ごした世代です。つまり日本のニートは1964年の東京オリンピック以降の豊かな時代の物質主義と親の「躾け」の欠如が親子2代に亘って影を落とした結果生じた存在です。この問題について興味有る方は本論に復帰後に「戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)」という論考を是非御一読下さい。
 当ページで問題にするのは、この不活発なニートなる存在は年齢が若い(←10代後半〜30代前半)にも拘わらず、社会的には全く”ぐうたらな余剰老人”と同じで、私の見る所この世代の50人に1人位の割合で存在してるので相当な数(=約50万人位)に上り、働き盛りの年齢にも拘わらず長命の親の脛を齧って居ます。偽善が万延する現在の日本は彼らを甘やかして居ますが、私は彼等も社会の無駄飯食いと考えますので老人徴兵制導入の際には同時にニート徴兵制も導入すべきと考えます。つまりニートの「命の価値」は老人並に軽いという厳しい見方です。
 ニートは精神的には疲れ切った老人以下の”廃人”に近い存在ですので、徴兵後の訓練は老人以上に厳しく「躾ける」事が肝心です。と言うのは、この節の始めに記した様にニートの発生は「鍵っ子」に遡っての親の「躾け」の欠如が原因ですから。彼らにはハングリー精神が皆無ですので、訓練目標を達成出来なかったら飯を食わせないという動物訓練法を適用すべきですね、体罰も大いに結構。勿論、老人と同じく訓練中は無給で何かの任務に就いた期間は一定額の給与を支給します。
 問題は訓練に依ってニートを”使える人間”に改造出来るか否か?、実は遣ってみないと判らないのです。改造出来れば大いに結構な話で、ニートの任務は海外に拘泥らず国内でも良しで、兎に角苛酷な肉体労働に従事させ心身を矯正します。それで更生したら御の字で徴兵を解き社会復帰させれば良いのです。私はニートの更生には個人差のバラつきが大きく、どんな方法で訓練しても駄目な”真性廃人”も相当居ると予想して居ますが。
 ニート徴兵制は「日本から老人を減らす方策」には直接寄与しませんが、老人徴兵制を敷いた際に老人の間から起こるであろう「何故老人だけを邪魔者扱いにするのか?」という不公平感から来る不平を緩和するのに役立つと考えて居ます。

 ■消極案その5 − 姨捨・爺捨の棄老
 次は姨捨・爺捨の棄老(※22、※22−1)です。先ず信州更科(今の長野県千曲市及びその周辺)の話として流布された姨捨伝説(※22−2)からご紹介しましょう。

    ++++ 信州姨捨山の棄老伝説 ++++
 【脚注】※22−2に在る話がこれで、平安時代前半成立の『大和物語』第156段(※23)が伝えるものです(△7のp190〜196)。
 信濃国の更級という所に男が住んで居ました。若い時に両親を亡くし伯母が母親の如くに男の面倒を見て来ましたが、男の妻は醜く老いて姑(しゅうとめ)の様な伯母が嫌いで事有る毎に伯母の悪口を男に吹き込みました。伯母の腰が曲がり二つに折れんばかりに成ると妻は「こんなに成っても未だ死なないなんて」と思い、遂に「伯母を深い山の中に捨てて呉れ」と男に頼みました。愚かな男は明るい満月の晩に「お寺で有り難い法会が在るので見せて上げよう」と言うと伯母は喜んで背負われました。男は高い山の麓に住んで居たので、その山に登り高い峰の一人では到底下りて来られそうも無い所に伯母を降ろすと、男は伯母の言葉に返事もせずに山を逃げ下りて来ました。
 男は家に帰ると、妻が腹立ち気に言った時は自分も腹が立ったが若い時から親の様に養って呉れた事が思い出され哀しい気持ちに成りました。まして伯母を捨てた山上から明月が出て居るのを見ると寝るに寝られません。男は

  わが心 なくさめかねつ 更級や をば捨て山に 照る月を見て

という歌を詠むと、又山に行って伯母を背負って戻るのです。それ以来この山を姨捨山と呼ぶ様に成り、「慰め難い」の譬えに姨捨山を言うのはこの話に因ります。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 この話は平安末期成立の『今昔物語集』巻30第9話(※23−1)に略その儘採用されて居ます(△8のp242〜244、△8−1のp442〜444)。又「わが心 なくさめかねつ」の歌は『大和物語』より成立年の古い『古今集』巻17−878に「題知らず、詠み人知らず」の歌として出て居ます(△9のp206)ので、更科地方には古くから姨捨伝説が存在した事は確かで、それが『大和物語』の話と同じかどうかは詳らかでは有りませんが。
 その姨捨山はJR篠ノ井線姨捨駅(標高547m)の西方の冠着山(かむりきやま) −長野県千曲市大字羽尾と東筑摩郡坂井村との境、標高1252m)− とされて居ます。姨捨伝説の祖型は上の様に男が姨と嫁の間で葛藤するもので、同時にここが観月の名所である事を暗に言って居るのです。駅の説明板に在る様な、お殿様のとか、設問が『竹取物語』やオペラ『トゥーランドット』ばりの”三設問”だったりとか、棄てられる姨さんが知恵者だったりとか、更には設問の1つが蟻通明神擬いの話は、全て後の時代の付会で可なり逸脱してると言わざるを得ません。
 姨捨山は他にも

  月影は あかず見るとも 更科の 山の麓に ながいすな君
                  紀貫之(拾遺和歌集)

  あやしくも 慰めがたき 心かな 姨捨山の 月もみなくに
                  小野小町(続古今和歌集)

  月もいでで やみに暮れたる をばすてに
          なにとてこよひ たづねきつらむ

                  菅原孝標女(更級日記(△10のp69))


などと幾つもの歌に詠まれて居ますので、信州更科の姨捨山は都の上流貴族の間では古くから有名で、特に都の女性からは一種の神仙郷の様なイメージで憧憬されて居た様です。そして上の歌からも解る様に多くの場合「月」が歌い込まれているのです。
 信州以外の棄老伝説を探すと、今では”意外”と少ないのです。意外と申しますのは、生産力が乏しい上に「貧乏人の子沢山」で古い因習に閉ざされて居た寒村では、妊婦の腹を蹴飛ばして堕胎させたり、嬰児・幼児の口と鼻を塞いで埋めたりと、戦前迄は所謂「間引き」(※24)は半ば公然と行われて居ました、特に田舎では。まぁ昔はコンドーム −これも戦後間も無い頃はサック(※25)と言ってました− が無かったですからね(←少数の好事家は魚の浮き袋をコンドームとして使って居たとか)。そして飢饉の時には人肉を食って飢えを凌いだという記録も在りますので、当然老人の「間引き」である棄老の痕跡がもっと残って居ても良いと思って居たからです。そういう伝説が残って居ると具合が悪いと考えた土地の人達が後の時代に揉み消した可能性も大とも言えます。
 そんな状況の中で岩手県の遠野市(※26)に棄老の話が在ります。

    ++++ 陸中遠野の棄老伝説 ++++
 『遠野物語』第111話は次ぎの如くです(△11のp68〜69)。山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナ壇の塙(※27)なるべし。境の神を祭るための塚なりと信ず、と注記)という地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野(れんだいの、※27−1、※27−2)という地あり。昔は60を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習ありき。老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊(ぬら)したり。そのために今も山口土淵辺にては朝(あした)に野らに出づるをハカダチと言い、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり。
 次いで第112話には次ぎの如くです(△11のp69)。ダンノハナは昔館(たて)ありし時代に囚人を斬りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。...<中略>...蓮台野の四方はすべて沢なり。
 ダンノハナに関する話は第114話迄続きます(△11のp69〜71)。
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 「壇の塙」は正に「あの世」と「この世」の境界なのです。蓮台野(※27−2) −一般に墓地・葬送地を言いますが遠野では風葬(※27−3)をしたかも− に似た語として、京都では火葬場の跡地を化野(※27−4)や鳥辺野(※27−5)と呼んで居ます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 風葬は今の時代では奇異に感じるかも知れませんが江戸時代迄の田舎では間引き・疫病に因る死など − 公表したくない死とか穢れが伝染する[と考えられた]死など− は風葬、即ち”野曝し”が当たり前の事でした。で、死体はどう成るか、と言えば犬に食われたりカラスに突かれたりと”自然浄化”される訳です。

 遠野地方に於いて老人が棄老される蓮台野は山では無くて四方を沢で囲まれた地で、特に里との行き来が可能な場所という点で姨捨山と大きく異なります。但し蓮台野と里を往来出来るのは捨てられた老人だけで一般の里人は蓮台野には入れません。つまり蓮台野に捨てられた老人は死ぬ迄の間は”特別な存在”なのですが、死を覚悟させられた老人が複数居る蓮台野のイメージは現代のホスピス(※9−1)と重なって来ます。

 以上が棄老伝説ですが、現代の社会で実際に姨捨・爺捨の棄老を実行したら「殺意を有する遺棄行為」と見做され、捨てた老人が死ねば殺人罪、死ななくても準殺人罪的な遺棄罪(※28)に処せられるでしょう。だからと言って昨今のメディアが吹聴する様にダラダラ生き長らえてるだけの余剰老人を煽て上げるのは偽善です。まぁ、腹の中は兎も角、表面的には偽善的ポーズで老人の長生きを褒め上げれば老人や周囲の人間から恨まれる事は有りませんから。しかしそれは”事勿れ主義”の態度です。
 それに対し当ページでは老人が余生を生きる事に対し価値論(※29)の導入を試みたいと思います。つまり腹を割って長生きの良し悪し(=功罪)を含めた「老人の存在価値」を論じましょう、ということです。はっきり言って、世の中には社会に必要な老人と不要な余剰老人とが存在しますが、その必要と不要の価値判断の基準を示すのが価値論であると考えます。そして不要な老人に対しては、企業が不要な社員にする如く”肩叩き”(※30)をする、即ちそれと無くそろそろ往生する時期ですよと進言する、それが現代の棄老思想というもので私は「人生肩叩き作戦」と名付けます。その際に重要なのは冒頭で述べた様に、貴方(貴女)の死は「世の為、人の為」に成るという事を良く説いて納得して貰う事です。そして我々は遠野の様なローカルな地方に於いて棄老が社会システムとして機能して居た事を知るべきです。
    {この章の以上の記述は06年12月15日に最終更新}

  ◆新造語「後期高齢者」に潜む”肩叩き”の思想
 そこで2006年前半に登場した「後期高齢者」なる新造語(※1−4)について述べましょう。この語とその概念は健康保険法の中の老人保健法(※31)を改正するに際し、”75歳”という区切りを設けて65歳以上の高齢者(※1−2)を前期高齢者(65〜74歳)後期高齢者(75歳〜)の2つのグループに区分する必要性から生じた事、そして法律の改正に伴って制度名を旧「老人保健制度」(※31−1)から「後期高齢者医療制度」に改めた事が調べた結果判りました。私は本論の初稿を改訂中にこの語を知ったのですが、本論及び当ページでは私が「多老」と命名した老人問題を扱って居るのでベスト・タイミングでした。ここでは法律の内容には立ち入らず、この語から受けるイメージについて感じた事を述べます。
 さて皆さん、この法律に拠って「貴方(貴女)は後期高齢者です。」或いは「貴方(貴女)は今年、後期高齢者に成りました。」と言われた場合を想像してみて下さい。そう言われて喜ぶ人は殆ど居ないでしょう、殆どの人は落ち込むと思います。何故なら今迄単に「高齢者」と呼ばれ慣れてた老人が或る日から”後期”という変な接頭語を冠して呼ばれたら急に老け込んだ様に感じて仕舞うからです。更に”後期”から直ぐに連想される言葉は”末期”で、これは老人には堪りません。この様に老人を落ち込ませる言葉を導入した事、それは即ち人生撤退を示唆する”肩叩き”に他為りません。
 又、遡って日本は1995年に高齢化率が14%を超えて高齢社会に入り、これを受けて政府は97年に”75歳”以上の老人に高齢運転者標識(※32)を導入した事は本論に記しましたが、今思うとこれは75歳以上の後期高齢者の概念を先取りして居ます。つまり後期高齢者に[後期]高齢運転者標識(=[後期]高齢者マーク)を車に貼付させて、本人よりも周りの車の運転者に、コイツは後期高齢者で運転が”とろい”(※33)から気を付けろ!、と注意を促す発想です。この発想は初心運転者標識(=若葉マーク、※32−1)と全く同じですが、運転経験豊富な後期高齢者にとってはマーク表示は少なからず屈辱的な気分にさせられたり、或いは「自分もそういう年齢に成ったのか!」と自覚させらりたり、で運転を止めさせる方向への”肩叩き”の効果が有ります。97年の時点では「後期高齢者」という語は生まれて無いですが、今の後期高齢者と同じ概念がその頃から潜在的には在ったという事です。
 「フーム、日本政府は中々遣るなあ!」、これが今の私の感想です。私が顰蹙(ひんしゅく)を買いそうな考えをこうしてシコシコ書いてる最中に、私が唱える「人生肩叩き作戦」を法律に盛り込んで実行に移してるとは、この件に関してだけはアメリカの傀儡政権にしては上出来です。と書いた瞬間に、何時も不出来な政府が何故上出来か?、という疑問が湧いた(←と言うよりも不審に思った)ので調べたら、
  新制度では後期高齢者の保険料は年金から天引きされる

のです。道理で!、ここがミソですな。我が政府は国民から金(カネ)を巻き上げる事ばかり考えてるみたいですな。しかし、これで”75歳”を超えると日本で生き難く成るので、言葉のイメージだけで無く法的にも”肩叩き”を執行する構えです。
 顰蹙は「買うもの」では無く「売るもの」であると心得ている私は、次は”末期高齢者”という概念を是非とも導入して貰いたいですな、ブワッハッハッハッハ!!
                (^o^)
    {この節は06年12月15日に追加}

 ■老人の死体の価値
 以上の論考の中で「命の価値」とか「老人の存在価値」などの形而上的価値論に触れて来ましたが、最後に形而下的価値論に言及します。つまり「老人の死体の価値」についてです。
 特に「安楽に死ぬ自殺」も含めた安楽死という方法は本人の意思に基づいて言わば”死を計画”する訳ですから、死後の臓器の利用・不利用についても予め取り決める事が可能です。しかも他の方法と異なって「死期を限定出来る」という大きな利点が有りますので臓器を含めた死体の利用について、ドナー(※34)とレシピエント(※34−1)の関係を結び易いのです。特にレシピエントの立場からは「死期を限定出来る」事は臓器移植に於いては手術日程を立て易いという大きなメリットが有ります。尤も老人の”老朽化した臓器”にどれ程の利用価値が有るのかは大きな問題点ですが、死体そのものを解剖実験に使うなどは老人の死体で充分に役に立ちます。日本も戦後に解剖体が不足した時期が在りました(△12のp95〜106)。或いは、生身の臓器や組織の利用では無く製剤にしたりバラして”人体部品”にして利用する方法も在ります(△12−1のp224〜225)ので、老人の臓器でも部分的には役に立ち得ると考えられます。まぁ、刺身で食えなくても擂り潰して魚肉ソーセージにしたら食えるみたいな利用法ですな。その利用法の詳細は専門家や専門業者に任せるとして、死体献体という形で医学の進歩・発展に貢献する方法が在るという事は知って置いて戴きたいですね。更に言えば、この様な形而下的な死体献体では万人が社会貢献可能なので、特に生前に形而上学的に余剰老人と見做されて居た御仁にとっては”最後の救済”を得る行為に成りますゾ!
 さて、モノが動けばカネが動く、これが世の常であります。昔の祭政一致の時代ならいざ知らず、近代社会に於いては人間の社会的行為を規定するのは「善悪」の道徳律では無く「需要と供給」の経済原則であり、供給者から需要者へモノが動けば返礼としてカネが動くのが貨幣経済の原則です。動くカネが”何ぼ”に成るか?、それこそは専ら経済学の対象であり、死体や臓器も例外では有りません。
 臓器移植を例に採れば、生命倫理や医療体制など様々な観点から問題が議論され日本では臓器売買は法的に禁止されて居るにも拘わらず、臓器が高額でヤミ取引されて居るという現実は臓器が圧倒的に需要過多(=供給不足という需給の不均衡の為です。経済原則が支配する世俗の社会では「需要有れば供給有り」、需要が有ればどんな危険を冒してでもそれを供給する人達が必ず現れるという事です。そして危険を冒す人は当然その危険の見返りを要求します。高額なヤミ価格の半分以上は非合法を掻い潜る為の”危険手当”として「○ヤ」の様な”危険な仕事を請け負う人達”に渡ります(△12−1のp141〜142、p155)。
 これが世の中の現実です。日本人レシピエントが外国へ行って臓器移植手術を受けるケースが多いのも、日本の体制 −臓器移植ネットワーク(※34−2)や臓器移植法(※34−3)など− が現実に対して余りにも立ち遅れている事が原因です。移植コーディネーター(※34−2)よりもヤミの臓器ブローカーの方が遥かに”実績”を上げて居る実態を直視するならば、今こそ偽善的建前よりも本音の議論が必要です。寧ろ
  オープンに死体や臓器の「市場」を形成し死体や臓器の売買と流通を公然化した方がヤミで「○ヤ」が暗躍する機会が無く成り価格も市場原理に従って妥当な額に落ち着く
という意見が一方では在ります。検討の余地有りと私は考えて居ます。
    {この章は06年12月15日に追加し、更に08年1月16日に人体や臓器の経済学的視点を追加し全体を最終更新しました。}

 ■消極案の評価
 以上に「日本から老人を減らす方策」消極案を検討して来ましたが、締め括りとして各方策の長所・短所、根底に在る哲学、関連する重要問題などを整理し纏めると以下の様に成ります。

  ぽっくり死   死を待たねば為らないのが難点
            自然死と往生観
  安楽死     万人向きで最も好ましい方法
            死に方の自己決定権 → 安楽に死ぬ自殺
                      → 死体や臓器の有効利用
  即身成仏    強い意志力と修行が必要、極少数しか実行不可能
  (補陀落渡海も)  「究極の悟り」の為に死と融合
  老人徴兵制   強制力で老人削減の推進力は大、社会的抵抗も大
          (老人の海外逃亡という派生効果を生む)
            命の価値 → ニート徴兵制
  棄老      現実の棄老は不可能、余剰老人に”肩叩き”
            老人の存在価値
            2006年に「後期高齢者医療制度」導入決定

 総合評価としては、現時点では安楽死が最も実行し易く社会的抵抗が少ない方策であると結論出来そうです。一方で徴兵制反対論などの社会的抵抗は大きいものの、老人徴兵制は老人の海外逃亡という[老人減らしの目的にとって]好ましい派生効果を生むという事も見通せました。
 私は自分の事を「偽悪家」(※35)だとは思って居ませんが、”枯れ花畑”の”枯れ花”を除去する為に、以上の消極案が積極案と合わせて有効に活用される事を希望します。更に言えば、偽善を捨て多老社会を見据えた社会システムを構築する必要が有るのです。

 尚、本論に戻るには最下行の蛙(カエル)のアイコンをクリックして下さい。(If you return to Main-issue, please click 'the icon of Frog' of the last-line.)
    {この章は06年11月14日に追加し、07年2月23日に最終更新}

−−− 以上 −−−

【脚注】
※1:多老(たろう、surplus old-people)とは、私の造語で、年齢別人口構成から見て65歳以上の老人が全人口の1/5以上を占めて過剰な状態、即ち高齢化率が20%以上の状態のこと。又、過剰な老人群を指して言う場合も有る。→少子。
※1−1:多老社会(たろうしゃかい、surplus old-people society)とは、年齢別人口構成上、老人が多過ぎ「多老」の状態を呈している老人過剰社会。言い換えると、必要以上に老人が多過ぎる社会のことで、この不必要な老人を余剰老人と言う。
※1−2:高齢者(こうれいしゃ、old person, aged person / 集合的には old people, aged people)は、高齢化率の算定基準である65歳以上の人、と定義するのが妥当。
※1−3:高齢化率(こうれいかりつ、rate of aging)とは、65歳以上の高齢者人口が総人口に占める割合。1956年の国連の会議で、当時の先進国のデータを基に高齢化の度合いを分類する為に提示された。<出典:一部「現代用語の基礎知識(2004年版)」より>
※1−4:後期高齢者(こうきこうれいしゃ、older person / 集合的には older people)は、(後期高齢者医療制度として2006年前半に広まった語)高齢者の中で、75歳以上の年長の人

※2:「ぽっくり」とは、〔副〕[1].with a snap。物が脆く折れたり、壊れたりする様。
 [2].pop off。長患いすること無く突然に死ぬ様。「―逝く」。
※2−1:ぽっくり病(―びょう、sudden death)とは、夜中に突然大声で唸って急死する病気。20〜30代の健康な男子に多く見られ、青壮年急死症候群とも言われる。過労・飲酒・心臓障害・体質などが挙げられて居るが、真の原因は不明。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※3:自然死(しぜんし、natural death)とは、寿命が尽きて死ぬこと。又、事故・殺害・自殺などに因らない死。

※4:民間信仰/民間宗教(みんかんしんこう/みんかんしゅうきょう、folk belief)とは、民間に伝承されて居る信仰。民俗宗教

※5:極楽往生(ごくらくおうじょう)とは、[1].この世を去って極楽に生れること。浄土往生。
 [2].安らかに死ぬこと。大往生
※5−1:往生要集(おうじょうようしゅう)は、仏書。源信の著。3巻、又はは6巻。985年(寛和1)成る。経論中から往生の要文を抜粋し、念仏を勧めたもの。文学・芸術に大きな影響を与えた。
※5−2:源信(げんしん)は、平安中期の天台宗の学僧( 942〜1017)。通称、恵心僧都。大和の人。良源に師事し、論義・因明学を以て知られたが、横川(よかわ)に隠棲。二十五三昧会を主導し、「往生要集」を著して浄土教の理論的基礎を築いた。他に著「一乗要決」など。
※5−3:欣求浄土(ごんぐじょうど)とは、心から喜んで浄土に往生する事を願い求めること。太平記20「厭離穢土の心は日々にすすみ、―の念時々にまさりければ」。←→厭離穢土
※5−4:西方浄土(さいほうじょうど)とは、阿弥陀仏の極楽浄土。人間界から西方十万億の仏土を隔てて在る。西方極楽。西方安楽国。西方十万億土。

※6:安楽死(あんらくし、euthanasia, mercy killing)とは、助かる見込みの無い病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること。オイタナジー。ユータナジー。安楽死を容認する安楽死法2001年にオランダ「要請に基づく生命の終焉並びに自殺幇助の法律」(←「要請に基づく生命の終焉」が安楽死を指す)を世界で初めて制定し、次いで02年にベルギーが第2番目の安楽死法を制定した。<出典:一部「現代用語の基礎知識(2004年版)」より>
※6−1:尊厳死(そんげんし、death with dignity)とは、一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、或いは迎えさせること。近代医学の延命技術などが、死に臨む人の人間性を無視し勝ちである事への反省から起こり、本人の意志で必要以上の延命治療を辞退して選ぶ死
※6−2:自殺幇助罪(じさつほうじょざい、aiding and abetting suicide)とは、自殺の意思有る者に有形・無形の便宜を与えて自殺させる罪。
※6−3:慈悲殺(じひさつ、mercy killing)とは、家族や第三者が、苦しみ悶えて居る人や重症な新生児などに対する同情や憐憫の情(=慈悲心)から、早く楽にして遣る為に殺害すること。現在では殺人罪と成る。<出典:「現代用語の基礎知識(2004年版)」>
※6−4:介錯(かいしゃく)とは、
 [1].assistant, attendant。付き添って世話すること。介抱すること。又、その人。後見。介添(かいぞえ)。平家物語10「この女房―して、やや久しう浴み、髪洗ひなどして」。
 [2].assistant of hara-kiri。切腹する人に付き添って首を斬り落すこと。又、その役の人。「―人」。

※7:生命倫理(せいめいりんり、bioethics)とは、(原語はビオス(生命)とエティケー(倫理)のギリシャ語からの造語)生命に関わる倫理。古来、患者の生命を委ねられる医師に求められてきた医の倫理に、人工授精・胎児診断など生殖への介入、臓器移植とそれに関わる脳死問題など、医療技術の発達に依り生じた新しい局面を加えた。広義には、組換えDNA技術など生命に影響を与える技術に関わる倫理も含まれる。バイオエシックス

※8:カテーテル(katheter[蘭], catheter)は、〔医〕体腔、又は膀胱・尿道・気管・食道・胃などに挿入して液体や内容の排出乃至薬液等の注入を図る為の管状の医療器具。ゴム・金属・プラスチックなどで作る。

※9:終末医療(しゅうまついりょう)/ターミナル・ケア(terminal care)とは、回復の見込みの無い疾患の末期に、苦痛を軽減し、精神的な平安を与える様に施される医療・介護。
※9−1:ホスピス(hospice)とは、(巡礼者の宿泊所の意)癌などの末期患者の身体的苦痛を軽減し、残された時間を充実して生きることを可能とさせると共に、心静かに死に臨み得る様に幅の広い介護に務める為の施設。又、その様な活動。家族もホスピスの対象に含まれる。

※10:インフォームド・コンセント(informed consent)とは、医学的処置や治療に先立って、患者側がそれを承諾し選択するのに必要な情報を医師から受ける権利。「説明と同意」。元々はアメリカに於ける医療過誤裁判の中で、1957年に医師が医学的侵襲を患者の同意無くして与えた場合には暴行(日本では「故意の傷害」)として罰するとした法理の名称。その後、ヒポクラテスの誓いの代わりにニュルンベルク倫理綱領を倫理規準とした裁判規準を追加して、1970年頃にアメリカで完成。医療に於ける人権尊重上重要な概念として各国に普及。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、「現代用語の基礎知識(2004年版)」より>
※10−1:ニュルンベルク倫理綱領(―りんりこうりょう、Nurnberg ethical platform)とは、第二次大戦、ドイツの戦犯(ナチスが主体)を裁くニュルンベルク裁判に於いて、公平を期す為に国際軍事裁判所が予め示した倫理綱領。
※10−2:ニュルンベルク裁判(―さいばん、Nurnberg Trial)は、第二次大戦の結果、国際軍事裁判所がニュルンベルク法廷でドイツの主要戦争犯罪人22人に対して行なった裁判。1946年9月判決、有罪者19名、内12名が絞首刑、3名が終身刑。

※11:コンセンサス(consensus)とは、意見の一致。合意。特に、国家の政策について言う。「国民の―を得る」。

※12:即身成仏(そくしんじょうぶつ、body death and attaining Buddha)とは、人間がこの肉身の儘で究極の悟りを開き仏に成ること。真言宗・天台宗・日蓮宗などで説く。
※12−1:即身仏(そくしんぶつ)とは、この肉身の儘で成仏した人。特に江戸時代、衆生救済の為に自ら断食死してミイラ化した行者を言う。
※12−2:ミイラ(mirra[葡], mummy[英]はmumiya[アラビア]に由来)は、(木乃伊は mummy の漢訳語)人間又は動物の死体が永く原形に近い形を保存して居るもの。天然的ミイラ人工的ミイラとが在り、天然的ミイラは土地の乾燥と、鉱物的成分、空気の乾燥、寒冷の為に、死体が自然に乾固したもの。人工的ミイラは主として宗教上の信仰から人間の死体に加工してその腐敗を防止したもので、エジプトインカ帝国ミャンマーなどに見られる。有名なエジプトのミイラはオシリス信仰と結び付いてBC3000年頃から人工的に作られた。日本では中尊寺金色堂に在る奥州藤原氏3代のミイラ湯殿山のミイラが有名。「―取りが―に成る」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12−3:オシリス(Osiris[ラ], Osiris[英])は、古代エジプトの神。天神と地神の子。イシスの夫。弟セットに殺されたが後に復活、冥界の支配者と成る。又、穀物神・耕作の神としてヘレニズム時代に最も崇拝された。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12−4:「ミイラ取りがミイラに成る」(join [take sides with] those one was supposed to restrain)とは、人を連れ戻しに出掛けた者が、その儘帰って来なく成る。転じて、相手を説得する筈が、逆に相手に説得されて仕舞う。

※13:入定(にゅうじょう)とは、〔仏〕[1].禅定(ぜんじょう)に入ること。平家物語10「高野山に性身の大師―しておはします」←→出定。
 [2].聖者が死去すること。入滅。平家物語10「御―は承和二年三月廿一日」。

※14:補陀落/普陀落(ふだらく)とは、(梵語Potalaka「ポータラカ」の音写で、チベットのラサに在るポタラ宮と同じ語源)観世音菩薩が住む山とされ、光明山/海島山/小花樹山と訳す。南インド、転じて南海上に在ると言う。日本では和歌山県那智山などに擬する。補陀落山(ふだらくせん)。補陀落浄土(=南方浄土、観音浄土)。
※14−1:補陀落渡海/普陀落渡海(ふだらくとかい)とは、補陀落を目指して小舟で単身海を渡ろうとすること。中世、熊野灘や足摺岬から試みられた。
 補足すると、補陀落渡海とは元来は補陀落浄土への強い信仰に基づく入水死 −主に操舵の無い渡海船を使う− を意味し、後年は熊野の僧などの死後の水葬の習慣をも指す。
※14−2:観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は、(梵語 Avalokitesvara 観察する事に自在な者の意)「妙法蓮華経」普門品(観音経)などに説かれる菩薩。大慈大悲で衆生を済度する事を本願とし、勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍。衆生の求めに応じて種々に姿を変えるとされ、三十三身が最も有名。又、六観音・三十三観音など、多くの変化観音が現れた。その住所は南海の補陀洛山とされ、中国では普陀山、日本では那智山を当てる。観音。観世音。光世音。観自在。施無畏者。
※14−3:捨身(しゃしん)とは、[1].〔仏〕修行・報恩の為に身を犠牲にすること。生命を捨てて三宝を供養したり、飢えた生物の為に身を投げ出したりすること。実際に焼身入水などに因って死に至る行が為されたが、王侯貴族が身を三宝の奴と成し、財物を寺院に寄進する場合も捨身と呼んだ。平家物語灌頂「―の行(ぎょう)になじかは御身を惜しませ給ふべき」。
 [2].自ら生命を絶つこと。

※15:琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)は、琉球王国の王府が編纂させた地誌康熙52(正徳3、1713)年に尚敬国王へ上覧された。諸制度、各地の諸風土、琉球独特の御嶽(うたき)の神名縁起類など、沖縄を研究する上で欠くことの出来ない資料とされる。

※16:ニライカナイとは、奄美・沖縄地方で、海の彼方に在ると信じられて居る楽土。そこから年毎に神 −赤また・黒また・まゆんがなし(真世がなし)など− が訪れ、豊穣を齎すと考えられて居る。

※17:常世(とこよ)とは、[1].eternity。常に変らないこと。永久不変であること。古事記下「舞する女―にもがも」。
 [2].「常世の国」の略。万葉集18「田道間守(たじまもり)―にわたり」。
※17−1:常世の国(とこよのくに)とは、
 [1].the eternal land beyond the sea。古代日本民族が、遥か海の彼方に在ると想定した国常の国。神代紀上「遂に―に適(い)でましぬ」。
 [2].the land of eternal youth, Heaven。不老不死の国。仙郷。蓬莱山。万葉集4「吾妹児(わぎもこ)は―に住みけらし」。
 [3].the land of the dead, Hades。死人の国黄泉の国。黄泉路(よみじ)。黄泉。(古事記伝)。

※18:弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、(梵語Maitreya、慈氏・慈尊と訳す)
 釈迦牟尼仏に次いで仏に成ると約束された菩薩。兜率天に住し、釈尊入滅後56億7千万年の後この世に下生(げしょう)して、竜華三会の説法に依って釈尊の救いに洩れた衆生を悉く済度するという未来仏。慈氏菩薩。弥勒仏。敏達紀「弥勒の石像一躯有(たも)てり」。
※18−1:兜率天(とそつてん)とは、〔仏〕欲界六天の第4位。内外2院在る。内院は将来仏と成るべき菩薩が最後の生を過し、現在は弥勒菩薩が住むとされる。日本ではここに四十九院が在ると言う。外院は天人の住所。覩史多天。知足天。
※18−2:弥勒信仰(みろくしんこう)とは、弥勒菩薩を本尊とする信仰。インドに始まり推古朝に日本に伝来、奈良・平安時代に最も盛んに成った。江戸時代には仏滅後56億7千万年後に弥勒が現世に再来するという信仰が富士信仰と習合して民衆に広がり、豊年や世直しを求める思想と成った。

※19:来世(らいせ)は、〔仏〕(未来世の略)三世(=過去世・現在世・未来世)の一。死後の世界。未来の世。後世(ごせ)。

※20:兵站(へいたん、impedimenta, supply trains)とは、作戦軍の為に、後方に在って車両・軍需品の前送・補給・修理、後方連絡線の確保などに任ずる機関。「―部」。

※21:ニート(NEET, Not in Education, Employment or Training の略語)とは、
 [1].元々は1999年イギリス内閣府調査報告書の中で「教育を受けず労働も職業訓練もして居ない若年層」を指す語として使われたのが最初で、日本では若年無業者の意味で2004年頃から使われた。フリーターが一応アルバイトで就労して居るのに対し、ニートは学習及び就業意欲の無い者と解釈される場合が多い。
 [2].転じて、遣る気の無い無気力人間を広く指す。<出典:「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」>
 補足すると、ニートにオタクが多いのは、ニートの親が初代オタクだからで、没社会的消極性に共通点が見出されます。若くして働く意欲が無いのは甘えに起因する自閉症で、精神病の症状の一つです。
※21−1:オタクとは、パソコンやファミコン、ビデオ、アニメなど一つの事にのめり込み、その世界の中に自分自身を全て投入して仕舞う人間。自分が入り込んだ世界から外部を眺めると全て客体化されて居る為に、友達に対しても「お宅は...」としか表現することが出来ない。その世界に於いて全ての事を知ろうとする知識欲には凄いものが有るが、それ以外に関しては殆ど無関心である。コラムニストの中森明夫1984年に彼のコラムの中で名付けたものだが、一般的に成ったのは89年の連続幼女殺害事件の容疑者がアニメの中にのめり込んで居たことから言われる様に成った。おたく(お宅)。<出典:「最新日本語活用事典」>
※21−2:鍵っ子(かぎっこ、latchkey child)とは、共稼ぎ夫婦の子。両親が勤めに出て家に誰も居ず、何時も鍵を持ち歩いて居る為に付けられた名。1965年頃から言われ出した。
※21−3:共稼ぎ(ともかせぎ、working together couple, dual-income)とは、夫婦が共に働いて一家の生計を立てて行くこと。共働き。

※22:姨捨(おばすて/うばすて)とは、親が老齢に成ると山へ棄てるという棄老の習わし。
※22−1:棄老(きろう)とは、老人を(山中などに)捨てること。「―伝説」。
※22−2:姨捨山(おばすてやま/うばすてやま)は、長野県北部、長野盆地の南西に在る山。正称は冠着山(かむりきやま)。標高1252m。田毎の月で有名。更級に住む男が、親代りの姨を山嶺に置いて逃げ帰ったが、折からの明月に後悔に堪えず、「我が心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」と口遊み、翌朝姨を連れて帰ったという棄老伝説の地。大和物語・今昔物語などに所載。「―伝説」。

※23:大和物語(やまとものがたり)は、平安時代の物語。作者未詳。951年(天暦5)頃成立、以後増補か。170余編の小説話から成り、前半は伊勢物語の系統を引いた歌物語、後半約40編は歌に結び付いた伝説的説話の集成。
※23−1:今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)は、日本最大の古代説話集。12世紀前半の成立と考えられるが、編者は未詳。全31巻(その内28巻現存)を、天竺(インド)5巻震旦(中国)5巻本朝21巻に分け、各種の資料から一千余の説話を集めて居る。その各説話が「今は昔」で始まるので「今昔物語集」と呼ばれ、「今昔物語」と略称する。中心は仏教説話であるが、世俗説話も全体の3分の1以上を占め、古代社会の各層の生活を生き生きと描く。文章は、漢字と片仮名に依る宣命書きで、訓読文体と和文体とを巧みに混用して居る。

※24:間引き(まびき、thinning out, culling)は、(畑の作物などを)[1].間引くこと。間に在るものを省くこと。間隔を空けること。「―運転」。
 [2].口減らしの為に親が生児を殺すこと

※25:サック(sack)は、[1].その中に差し込んだ物を保護する袋状のもの。
 [2].指サックに同じ。
 [3].(ルーデサックルーデザック(roed-zak[蘭])の略)コンドーム

※26:遠野(とおの)は、岩手県南東部の市。遠野盆地の中心、北上盆地と三陸海岸とを結ぶ交通上の要地。柳田国男の「遠野物語」で知られる。人口2万8千。

※27:塙(はなわ)とは、山の差し出た所。又、小高い所。重之集「たけくまの―に立てる松だにも」。
※27−1:蓮台(れんだい)とは、蓮華の形に作った仏・菩薩の像の座。蓮華台。蓮華座、蓮座。蓮台。華台。蓮(はちす)の座。蓮(はす)の台(うてな)。
※27−2:蓮台野(れんだいの)とは、墓地又は死者を葬送する所地名と成って居るものが多く、京都市北区に在る船岡山西麓の地は著名。
※27−3:風葬(ふうそう、aerial sepulture, exposure (of corpses))は、死体を樹上や山林・平地に運び、地中に埋めずに曝して置く葬法。樹上葬/台上葬/鳥葬などもこの葬法に含めて言う場合も在る。シベリア/モンゴル/インドなどで行われる。曝葬。空葬。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※27−4:化野/徒野/仇野(あだしの)とは、[1].京都の嵯峨の奥、小倉山の麓の野。「あだし」に掛けて、儚い物事の象徴と成る。火葬場の在った地として鳥部野と共に有名。源氏物語手習「―の風になびくな女郎花」。徒然草「―の露きゆる時なく」。
 [2].転じて、火葬場、又は墓場。父の終焉日記「おのおの卯木(うつぎ)箸折りて―にむかふ」。
※27−5:鳥辺野/鳥部野(とりべの)とは、京都市東山区の清水寺から西大谷に通ずる辺。平安時代の火葬場。鳥辺山。鳥部山。

※28:遺棄罪(いきざい、abandonment crime)は、扶助を要する老年者・幼年者・身体障害者・病者を、保護された状態から他の場所に移すことに因って、生命・身体に危険を齎す罪。主体が保護責任者の時は置き去りにすることをも含み、刑が重く成る。

※29:価値論(かちろん)とは、[1].〔哲〕axiology。価値とは何か、どの様にして認識されるか、価値と事実との関係、価値の体系などについての研究。
 [2].theory of value。財・サービスの価値、殊にその交換価値の本質・成立条件・増殖過程などを取り扱う経済学の領域。

※30:肩叩き(かたたたき、urge to resign)とは、(相手の肩を軽く叩いて)親密の素振りを示して言い包めること。特に、退職を勧めること

※31:老人保健法(ろうじんほけんほう)は、国民保健の向上及び老人福祉の増進を図ることを目的とする法律。老後に於ける健康の保持と適切な医療の確保を図る為、疾病の予防・治療、機能訓練の実施などを定める。70歳以上の老人医療40歳以上の者に対する保健事業について規定。1982年制定
※31−1:老人保健制度(ろうじんほけんせいど)は、70歳以上の老人、又は65歳以上の寝た切り老人を対象とする医療保健。1982年制定の老人保健法に拠り医療費は患者の自己負担分を除いた額の3割を国と地方自治体、7割を組合健康保険や国民健康保険で賄う制度。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※32:高齢運転者標識(こうれいうんてんしゃひょうしき)とは、普通自動車免許を持つ75歳以上の者が運転する時に、普通自動車に表示するマーク。表示は任意。1997年より実施。高齢者マーク。←→初心運転者標識。若葉マーク。
※32−1:初心運転者標識(しょしんうんてんしゃひょうしき)とは、普通自動車免許を受けて1年未満の者が運転する時に、普通自動車の前面及び後面に付ける標識。初心者マーク若葉マーク。←→高齢運転者標識。高齢者マーク。

※33:「とろい」とは、[1].鈍い。愚かだ。間が抜けて居る。傾城禁短気「粋なる大臣は―い太夫と見すかし」。
 [2].火などの勢いが弱い。→とろ火。

※34:ドナー(donor)とは、〔医〕(寄贈者・提供者の意)輸血の給血者、移植の臓器や組織の提供者。←→レシピエント。
※34−1:レシピエント(recipient)とは、〔医〕(受領者の意)他の人から提供された臓器・組織或いは血液を移植、乃至は輸血して貰う人。←→ドナー。
※34−2:臓器移植ネットワーク(ぞうきいしょく―、the Japan Organ Transplant Network)は、国内で臓器移植の仲介を行う厚生省認可の組織。全国を7地域に分け、各地域に移植コーディネーターを置き、臓器提供者が現れると家族への説明や臓器の搬送に当たる。1995年に日本腎臓移植ネットワークとして発足、1997年10月の臓器移植法の施行と共に現在の名称に成った。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※34−3:臓器移植法(ぞうきいしょくほう)は、臓器の機能に障害が有る者に、機能を回復又は付与する為に移植に必要な臓器を死体から摘出することを規定し、移植医療が適正に実施されることを目的とした法律。1997年成立。この法律で、生前に臓器提供を意思表示して居た者に限り、脳死をヒトの死と認める。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※35:偽悪(ぎあく、pretend to be evil)とは、(「偽善」の反対語としての造語)上辺だけ悪人であるかの様に振る舞うこと。態(わざ)と悪人振ること。「―家」。←→偽善。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『往生要集(上)』(源信著、石田瑞麿訳注、岩波文庫)。

△2:『許されるのか?安楽死 [安楽死・尊厳死・慈悲殺]』(小笠原信之著、緑風出版)。

△3:『完全自殺マニュアル』(鶴見済著、太田出版)。

△4:『日本のミイラ仏』(松本昭著、臨川書店)。
△4−1:『日本ミイラの研究』(日本ミイラ研究グループ編、平凡社)。

△5:『補陀落渡海史』(根井浄著、法蔵館)。
△5−1:『井上靖全集 第6巻』(司馬遼太郎・大岡信・大江健三郎監修、新潮社)中の「補陀落渡海記」。

△6:『古代エジプト文明の謎』(吉村作治監修、光文社文庫)。

△7:『大和物語(下)』(雨海博洋・岡山三樹校注、講談社学術文庫)。

△8:『今昔物語−若い人への古典案内−』(西尾光一著、現代教養文庫)。
△8−1:『今昔物語集 本朝部(下)』(池上洵一編、岩波文庫)。

△9:『古今和歌集』(佐伯梅友校注、岩波文庫)。

△10:『更級日記』(菅原孝標女著、西下経一校注、岩波文庫)。

△11:『遠野物語・山の人生』(柳田国男著、岩波文庫)。

△12:『流通する「人体」−献体・献血・臓器移植の歴史』(香西豊子著、勁草書房)。
△12−1:『ドナービジネス』(一橋文哉著、新潮社)。


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