−− 2006.07.10 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.07.28 改訂
■討論内容と投稿者
野毛・英雄氏、野毛英雄氏、リチャード・プー氏は変名癖の有る私の弟子です。氏は先ず軍事ネタから入って来ましたが、この中で彼は持論の老人皆兵制を持ち出しました。
日頃から偽善的表現(※1)にうんざりして居る私は、既に発表している「2005年・年頭所感−幸せ保存の法則」で自然界は「悪の論理」で貫かれて居る事を説き、プー氏の言う老人皆兵制は面白いと評価しました。この考えはやがて「枯れた花が美しいのか?!」、即ち「多老」(←これは私の造語です、※2)という概念に発展します。そして遂に2006年7月10日に当ページと同時に、別途「多老」の理論を
日本の現状は「多老」だ(Present Japan is the SURPLUS OLD-PEOPLE society)
に纏め発表しました。当ページを読めば「多老」理論がどの様に形成されたのかが、お解り戴けると思います。
投稿者▼
[1]:野毛・英雄氏、野毛英雄氏
リチャード・プー氏(女体総合研究所性痔部主任研究員)
[2]:私
進め1億火の玉だ 投稿者:野毛・英雄 投稿日:2005/01/04(Tue) 17:14 No.277
<板−1>
◆◆◆戦時中の航空雑誌が明かす日本の敗戦
やぁエルニーニョ氏。
あけましてオメで(←そういう言い方はちょっと卑猥ですな、ムッフッフ!)。
先日横浜で楽しい古本屋を発見しました。本だけでなくパンフレット、ポスター等むかしの紙類をなんでも売ってます。
そこで買ったのが戦時中の航空雑誌の航空朝日。
昭和17年2月号(勝ち戦の頃)
昭和19年9月号(負け戦の頃 紙が悪くうすい)
の2冊を買いました(←たった2年で紙の質を落とさざるを得ない状況だったんですな)。
いやぁおもしろかった。といっても勇ましい荒唐無稽な内容ではありません。
内容は
・撃墜したB29のエンジンを分析し、米国の徹底した共通化・モジュール化を褒めている
・わが国のエンジンの設計に余裕がないことを指摘
・わが国の工作精度・材質の低さを嘆いている
・日本機は防弾が貧弱と指摘
と、まるで戦後の航空雑誌そのままの内容です。実に冷静に技術的なことが書かれています。
さらに私はまだ入手していないのですが2065年7月号(昭和20年7月)には、
”戦後”の民間航空のことが語られていると某HPに掲載されてた。これは講和に期待していたんでしょうけど。
やはり常識のあるオトナはみんな負け戦を知ってて、テキトウに廻りにあわせて
一生懸命戦争するフリをしてたと思われる。前々から、敗戦後はみんな軍にだまされていたと一億総被害者になってるのは、あやしいと常々思っていたのですよ(マスコミの責任逃れが一番大きいだろうが)。
子供をだまして戦場に送り、年寄り連中は生き延びていたというのが現実なんでしょうなぁ。
やはり私の唱える60歳以上はイラク送りの「老人皆兵論」(→後出)を小泉くんも検討すべきでしょう。エルニーニョ氏ももうすぐでっせ。滅私奉公よろしく。
野毛英雄のSP2さんへ 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2005/01/10(Mon) 02:10 No.279
<板−1>
やあ、明けましてオメ!!!
しかし野毛・英雄さんは熱いですな、沸騰してまんな。年末には「おま○こ谷」、年始には「オメ」と。ところでポチ「・」は何でっか、マイナーチェンジですな。野毛英雄のSP2(サービスパックV2)ですかいな。
<...前半略...>
ということで、一つだけミスを指摘して今回は終わります。
>2065年7月号(昭和20年7月)
は2605年7月号(昭和20年7月)です。
当時の軍部(=皇軍)は神武天皇が即位したとされる「BC660年」を紀元として呼んでいたので、
昭和20年=1945年 → 1945+660=神武紀元2605年
なんです。
因みに今年はエルニーニョ紀元13年でっせ!!
No.277への返信 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2005/01/14(Fri) 03:30 No.283
<板−1>
◆◆◆枯れた花が美しいのか?! − 多老論
やあ野毛英雄さん、私が新年会に明け暮れている間に、先に進んで仕舞いましたな。先ずはNo.277への返信から書きましょう。
>一億総被害者になってるのは、あやしいと常々思っていたのですよ。
は全くその通りです。国を挙げて負け戦をした訳ですから、それぞれに「1/1億の責任」が有るんです。その責任意識が欠如した儘出来て仕舞ったのが戦後の無責任社会で、無責任な大人を見て育ったのが現在の無気力な若者です。そういう意味では戦中派には二重の責任が有る、というのが私の見解です。
>やはり常識のあるオトナはみんな負け戦を知ってて
も或る程度事実でしょう。ただ”多くの人”が、オカシイぞ、と感じた頃は「時既に遅し」だったのですよ。”多くの人”にそうと感じさせず「向かう所敵無し」と思わせていたのは野毛さんが仰る通りマスコミ、つまりマスメディアです(当時は新聞とラジオが中心)。そこでメディア論に入りましょう。
”多くの人”は何時でも何処でもメディアが正しい情報を伝達すると思い込んでいますが、ここに盲点が在るのです。結論だけ言うと、メディアは自らの存在価値を維持するために、”正しい情報”は温存し簡単には垂れ流さないということを知るべきですね。
勿論、野毛さんの言うように当時でも、「戦時中の航空雑誌」に冷静な見方が載っている訳で、そういう情報を自ら取得しに行けば”正しい情報”は得られるのです。しかし池の鯉がエサを貰うが如く口をパクパク開けて”垂れ流された”情報だけを鵜呑みにする連中には、何時の世でも”正しい情報”は得られません。そして何時の世でも”多くの人”は”垂れ流された”情報だけで付和雷同するのです。この悲しき存在の”多くの人”こそ大衆です。
メディアと大衆論については、既に「理性と感性の数学的考察」の中で、充分とは言えないが可なり突っ込んで私の考えを展開していますのでじっくりと読んで下さい。「充分とは言えない」というのは、これは[大衆民主主義論#1]でありこの後の「#2」「#3」...、が未だ書かれていないからです。しかし、この中で私は現在の日本では余り言われて無い「大衆の自己責任」ということをはっきりと指摘していますし、国家の破滅、即ち国家的カタストロフィー(※3)が何故いとも簡単に起こるのか、を私独特の手法で分析しています。野毛さんがやっと「自己責任論」の土俵に上がって来たことを嬉しく思います。
ところで「老人皆兵論」は面白い、大いにに進めるべきです。若者に生き方を示せずダラダラと無駄な時間を生き長らえている老人が多い昨今、これは急務です。「戦場にオムツを!!」を標語にしましょう。
そもそも「老人社会の美化」こそマスメディアが垂れ流している”誘導情報”で、あの負け戦も「戦争の美化」から始まったことを思い出す必要があります。こういう誤った考えは断固として粉砕する必要があります。こんなことは「枯れた花が美しいのか?!」、と考えれば自明の理です。
最後に
>エルニーニョ氏ももうすぐでっせ。
は当たりません。私はあのフランス革命の中で、マリー・アントワネットの露の一滴を浴びて生まれた人間です。つまり生年は1793年です。とうに200歳を超えている私は老人では無く、「超人」なのです、ムッフッフ!
マスコミは、みんなの喜ぶ姿が見たいだけ パート1 投稿者:野毛英雄 投稿日:2005/01/18(Tue) 09:10 No.285
<板−1>
◆◆◆大量無駄死(特攻・沖縄・市街地空襲・原爆)に
引き摺り込んだのは誰の責任?
やぁ、エルニーニョ氏
あい変らずなんでもマスコミのせいにしてますな。そのような態度は、なんでも米国の陰謀という典型的負け犬論者といっしょでっせ。
○マスコミは真実を報道すべし
○マスコミは体制を批判すべし
○マスコミは社会の木鐸たれ
なんてわが国の憲法に書いてあり、彼らが営利事業者じゃなければ、おおいにマスコミを責めてよろしい。でもそうじゃないでしょう。その時代の法律の範囲内で、好き勝手に"商売"するのは自由でっせ。「だったらいいな〜」と妄想してるやつらが悪いのであって、私は別にマスコミが悪いとは思いません。彼らは「お客さんに喜んでもらえるもの用意しときましたから」と思って発信してるだけでしょう?
わが国では客のレベルが低いから、内容も低いですがね。
これが有名な戦時中の台湾沖航空戦の大戦果誤報事件です。これをやらかすまでは、玉砕(要するに全滅負け)もわりときちんと報道されてました。ここから加速度をつけて大量無駄死(特攻・沖縄・市街地空襲・原爆)が始まりました。
当時、「日本の空母でさえそんな簡単に沈まない。まして米国のはもっと頑丈にできてる」と実際に戦って思ってた海軍将校は独自に調査して、敵は全然やられていないと上層部にきちんと報告してたそうな。しかし、「あ?、やっぱり?、でもみんな喜んでくれたし、いいじゃん」と訂正もせず、しかも”それを知ってて”、”敵が弱体化したことを前提とした作戦”を強行してフィリピン方面で大負けしたのです。
戦争指導者達は当事者のくせに確認をせず、「だったらいいな〜」と妄想しちゃったんですね。それでは戦後はどうでしょうか?
新聞社や国民は反省したか?
パート2へ続く(これも笑えまっせ〜)。
FMVNB80Jは欠陥商品 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2005/01/20(Thu) 18:21 No.286
<板−1>
<...前半略...>
しかし野毛英雄さん、
>あい変らずなんでもマスコミのせいにしてますな。
というのは当たりませんな。私は「大衆の自己責任」ということを言っているので、マスコミの所為にも政治家や軍部の所為にもしていませんよ。しかし自分が”負け犬”的奴隷家業にドップリ浸かりながら、自分と同じ境遇の”負け犬”をバカにするのは、正に「負け犬の遠吠え」というヤツでっせ!
早く”勝ち犬”になって下さい。しかし”勝ち犬”になったからといって貴方のように”負け犬”をバカにするのはいけません。”勝ち犬”になったら”負け犬”を思い遣る心が必要なのです。何故ならば一握りの”勝ち犬”が存在出来るのは多くの盲目的な”負け犬”がいる御蔭なのです。そういう事を説いているのが「幸せ保存の法則」です。
マスコミは、みんなの喜ぶ姿が見たいだけ パート2 投稿者:野毛英雄 投稿日:2005/01/26(Wed) 18:24 No.289
<板−1>
◆◆◆日本人の頭のレベルは12歳
やぁエルニーニョ氏。
マスコミ関係で、これもかなり笑えるネタを発見しましたよ。某新聞の戦後の記事より
----->
きょうは日本人を愛し日本人を最も信頼したマックアーサー元帥が日本を離れる日である。解任の十二日からわずかに五日間、日本の古武士にも似たあざやかな引き際に、われわれは、一層愛情の念を禁じえないものである。日本人のマ元帥に寄せる敬愛が、今日の日本を幸にしたということに、何人も異論はないはずである。
今われわれは、最も敬愛するマ元帥の去るに臨んで、長年の庇護から離れる肌さむさを感ずるものであるが、マ元帥の信頼に対して日本人が、忘恩の徒でなければ、平和日本の建設と民主主義国家としての前進を、心から再認識しなければならない。
ゆかりの「バターン号」で羽田を発つマ元帥は、別離のメッセージを国民に贈るが、それは必ず、日本国民に対する愛情を持った言葉で埋められるであろうし、マ元帥もさまざまの思い出をこめて旅立つことであろう。われわれもまた別離の愛情においてマ元帥と同様だと伝えたい。
<------
今となっては爆笑ものでしょう?
マッカーサーが本国に対して、日本人の頭のレベルは12歳と言ってたのは有名ですが、それは真実だなと思いますね。あと彼は、征服者に対してここまで卑屈になれるのは日本人だけとかも影で言ってたらしい。これも当たりすぎですよね。
たとえ負けても、もっと堂々としろよと言いたかったんでしょうな。だって、こんな相手とまじめに戦ってたのかと思うと、勝った方も情けなくなってくるじゃないすか。
こんなもんですから、今の日本の新聞の内容も、30年後には自国民にさえ爆笑されてますよ。でもそれでいいじゃないですか。私はマスコミ各社は、吉本興業と同じ大衆娯楽産業と思ってますから、彼らを責めません。
大衆が望むものを提供してくれているだけのありがたい存在です。一番彼らに影響されてるエルニーニョ氏も感謝してください。
新聞少年の野毛さんへ 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2005/01/28(Fri) 03:46 No.291
<板−1>
◆◆◆笑いは幸せの母
やあ、”新聞少年”の野毛英雄さん、常に30年前の新聞読んで暮らしたら、毎日笑って暮らせる訳ですね。笑いは幸せの母です。
そもそも新潟の地震やインドネシアの津波が有っても、本人自身か親戚か知り合いに被害者がいなければ”関係無い”訳です。自分に”関係無い”ことで大騒ぎするのは馬鹿げています。
そう言えば去年の暮れにちょっと飲みに行ったら、店の親父が「今年は色々有りましたねえ」なんて言ったので、私は「自分は何も無かったよ」と言って遣りましたよ。
どうですか、一つ「30年前の新聞を読む会」でも作って、「笑いと幸せの輪」を広げて行って下さい。
■独言...(*_-)
フムフム。
上のワシの文の中で
>そもそも新潟の地震やインドネシアの津波が有っても...
と在るのは、2004年10月23日に起きた新潟県中越地震と04年12月26日のスマトラ島沖地震を指しますゾ。
ところでマッカーサー元帥が本国に「日本人の頭のレベルは12歳」と報告したそうじゃが、今はもっと程度が下がって居るのではないかのう。即ち小学校高学年から小学校低学年に、或いは幼稚園児化してるかもよ(→後出)、フッフッフ!!
{この独言は2006年7月28日に追加}
現場保存の法則(麻雀) 投稿者:野毛英雄 投稿日:2005/02/02(Wed) 15:00 No.292
<板−1>
◆◆◆「幸せ保存の法則」とは
やぁ、エルニーニョ氏。
「幸せ保存の法則」を見ましたが、私の提唱していたの意味はちょっと違います。
本当に幸せが保存される(一定量)であるのではなく、そう思い、それを前提に成り立つ人類の価値観の愚かさを指しているのであります。
簡単な例では、ほぼ全ての宗教/道徳の考え方がそうです。
○善い行いをすれば救われる(幸福になる)。
この”式”を数学的に変形したのが、
○(不幸なのは)前世で悪いことしたから。
さらに発展して、
○よい時もあれば悪い時もある
○悪いことは続かない
なども同じ”妄想”からくる虚構の理論でしょう。果たして本当にそうなのか?
という問いかけが、宗教者だけでなく、無神論者も恐れる、人類究極の問いではないかと私は思っているのです。現実の生活では、そんなことはありえないとわかってるくせに、そう思いこんでしまふ。
ですから正確に言うと、幸せ期待の法則ですね。
俺はそれほど楽観論者じゃない、世界で一番不幸な人間だ!という人がいてもきっと経験あるはずです。後ろ姿の異性が振り向いた瞬間、「なーんだ」とがっかりしたことの方が多いでしょう?
それは”幸せを期待していた”からですよ。
あと、世間では応用編として
仕事量保存の法則
責任量保存の法則
などがあるようです。これは組織ではデキルやつがいると、必ずデキナイやつが発生するという法則らしい。
ゴルゴ13気取りの同志へ 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2005/02/03(Thu) 03:05 No.293
<板−1>
◆◆◆「衆愚民主主義」に於いては「多い」と「正しい」は同義語
オメガ幸国の同志、野毛英雄さん。そうです、貴方が説いているのは「幸せ期待の法則」です。我が「幸せ保存の法則」が説くところは
「善い行いをしても救われない(=幸福に成れない)者が必ず居る」
ということです。これは人々の「幸せ期待」に”頭を冷やせ!”と冷や水をブッ掛ける理論、即ちションベン理論です。
>後ろ姿の異性が振り向いた瞬間、「なーんだ」とがっかりしたことの方が多い
のは事実ですな。しかも更に言うなら、「後ろ姿」の時から「なーんだ」の方がもっと多い。これは世の中は圧倒的に”ブス”が多い、という証明になるでしょう。
しかし、この「多い」ということは多数決原理が支配する「衆愚民主主義」(※4)に於いては揺るぎ無い力(=パワー)なのです。「衆愚民主主義」に於いては「多い」と「正しい」は同義語です。”ブス”は正しい、”デキナイやつ”は正しい、...これこそが現代「衆愚民主主義」の根幹です。デキル貴方は少数派、異端、...つまり反民主主義的存在ですゾ!
そういう意味では貴方が以前、「他人に背中を見せて座らない」とゴルゴ13のように宣っていたのは頷けます。しかし未だ刺されずにヌクヌクと生きている所を見ると、貴方もそれ程異端視されていない、つまり取るに足りない存在かも知れませんな、ブッハッハッハ!!
塵箱を護美箱というがごとし 投稿者:リチャード・プー 投稿日:2006/05/17(Wed) 21:12 No.379
<板−1>
◆◆◆老人皆兵制度で偽善を剥ぎ取れ
やぁ、エルニーニョ氏。
団塊の世代を鉄屑、粗大ゴミとは誉めすぎでっせ。そんなもん生ゴミじゃないすか。資源じゃないですよ。
ところで私の老人皆兵制度は、実は何年も前から企画を練ってたアイデアなんですよ。エルニーニョ氏も認める様に、年寄り程保守的で自分は行かないくせに戦争が大好きですからな。これは古今東西過去未来どこでも同じ傾向があります。
老人が戦争を始め、若者が死ぬというというのは米国の言葉だったかな?
最近は米国の独り勝ちなんで聞かなくなりましたが、かつて軍縮条約というのがありました。それを現代によみがえらせればよいのですよ。
兵役は60歳以上に限ると国際条約で決めると、どの国も軍事費はかなり節約できます。なぜなら年寄りはハイテク兵器なんて使えませんからな。銃剣突撃だけでよろしい。しかももうすぐ死ぬ身ですから、常に捨て身の敢闘精神を発揮するはずです。
そして定期的に実戦を起こして、国際問題を解決すればよろしい。年寄りの数を減らせるし、老人は生きがいができてボケ防止になるし、若者の尊敬を受けるし言うことありまへんで〜。
「多老」を憂う 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2006/05/20(Sat) 04:24 No.381
<板−1>
◆◆◆社会全体が幼稚化(或いは幼稚園児化)
老人皆兵制度は結構ですが、制度という外的規制だけでは将来的にはダメですね。既にこの国は内から腐っている訳ですから。老人が「捨て身の敢闘精神を発揮する筈」と思うのは甘い幻想です。老人が生に執着し、幼児のように甘えているのが問題です。つまり老人が、否、老人のみならず社会全体が幼稚化(或いは幼稚園児化)しているのです。人生経験を積んで来た筈の老人が、若者に対し「語るべき言葉、伝えるべき心、示すべき行動を何一つ有して無い」というのが現状です。昔の無学な田舎の老婆でも、昔話や譬え話の1つや2つは持っていました。こういう不甲斐無い老人を大量に生み出したのは、責任を曖昧にして来た”戦後衆愚政治”の当然の帰結です。
これからの子供の教育には、外的規制よりも内面の鍛錬が必要です。例えば「切腹の精神」の効用です。昔のように12、3歳で「元服」させて自立の精神を身に着けさせることも必要です。「姨捨の合理性」を見直すべきです。
今の日本の世代構成の問題の本質は「少子」にでは無く「多老」(※2)に在るということを認識しなければなりませんな。人口密度が超過密な日本に於いて「少子」だから子供を増やせ、と言うのは偽善的暴論です。この場合、「多老」だから不甲斐無い老人を殺せ、と言うのが寧ろ責任有る意見です。
衆愚は”偽善”に流されますが、賢者は”真の善”を見据える必要があります。必要悪と言うか、”偽悪”(※1−1)の中にこそ”真の善”が在ります。そういう意味でプーさんの老人皆兵制度は評価出来る意見です。
ところで、団塊の世代を相手に”屁理屈”捏ねているプーさんは、生ゴミに湧く蛆虫の様ですな。
■独言...(*_-)
◆◆◆「悪の論理」が貫く「幸せ保存の法則」
フムフム。
世の中を綺麗事で済ませたいのは解りますが、中々そうは行かないのが現実です。現実と異なる綺麗事、そこに偽善が生まれます。実は自然界も「悪の論理」が貫かれて居ます。我々生物は全てが互いに「食う食われる関係の輪」の中に身を置いて生きて居るのです、これを食物連鎖(※5)と言う事は皆さんも御存知でしょう。▼下の論考▼をじっくりとお読み下さい。
「2005年・年頭所感−幸せ保存の法則」
今日の日本社会の歪みの原因の多くは「少子」では無く「多老」に起因して居ます。そして上の文が「多老」という語を使った最初の文、つまり初出という訳です。
「少子」と言って居る人たちは偽善者です。私の様に「多老」と言って居る人 −私一人ですが− は反対に偽悪者(※1−1)に成らざるを得ません。現状を「多老」と捉えたならば「枯れた花」は摘み取るしか無いのです。▼下の激辛論考▼をじっくりとお読み下さい。プー氏の老人皆兵制を受けて老人徴兵制についても論じて居て、この様な思想の連鎖を読み取って戴ければ幸いです。
「日本の現状は「多老」だ」
偽善社会と衆愚民主主義(=衆愚政治)は元来異なる概念乍ら、偽善が衆愚政治を、又逆に衆愚政治なら偽善社会を、という様に両者の間には”互いに引き合う”力が在る様な、或る種の親近性が在ります。そして今の日本社会を見ると両者共に大衆が望んで居る様ですな!
[偽善の皮を剥ぎ取れ!#2]に続きます、乞う御期待!!
(>v<)
尚、[偽善の皮を剥ぎ取れ!]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
{この独言は2006年7月28日に追加}
【脚注】
※1:偽善(ぎぜん、hypocrisy)は、本心からで無く、見せ掛けにする善事。「―的な行為」「―者」。←→偽悪。
※1−1:偽悪(ぎあく、pretend to be evil)とは、(「偽善」の反対語としての造語)上辺だけ悪人であるかの様に振る舞うこと。態(わざ)と悪人振ること。「―家」。←→偽善。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2:多老(たろう)とは、私の造語で、老人が過剰な社会を言います。「少子」か「多老」かは単に視点の問題では無く、社会の歪みの原因がどちらに在るのかを指す言葉で、今日の日本社会は「多老社会」なのです。従って「少子」政策を実施しても何の解決にも成りません。
※3:カタストロフィー(catastrophe)とは、[1].破局、突然の大変動や激変のこと。カタストロフ。
[2].〔数〕カタストロフィー理論/破局理論(catastrophe theory)。現代幾何学であるトポロジーの一分野で、1960年代にフランスの数学者ルネ・トムが創始した数学理論。不連続な過程を扱う。急激な変化を伴う自然・社会現象の過程を図形を用いて表すことなどに応用されて居る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※4:衆愚政治(しゅうぐせいじ、mobocracy, ochlocracy)とは、堕落した民主政治の蔑称。元、古代ギリシャのアテナイでの民主政治を、アリストテレスが「政治学」の中で「堕落した大衆に依る政治」として非難した語。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※5:食物連鎖(しょくもつれんさ、food chain)とは、生物が群集内で互いに捕食者と被食者の関係(=「食う食われる関係」)に依って連鎖的に繋がって居ること。この連鎖の始まりは必ず植物(=生産者)で、次は草食動物(=1次消費者)、肉食動物が2次・3次・・・と高次の消費者を占める。一般に高次のもの程大形で個体数が少なく成る。その連鎖が複雑な場合、食物網・食物錯雑とも言う。捕食連鎖・寄生連鎖、生食連鎖・腐食連鎖などに区別する。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
(以上出典は主に広辞苑です)
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):新潟県中越地震▼
資料−地震の用語集(Glossary of Earthquake)
@補完ページ(Complementary):メディアと大衆論▼
理性と感性の数学的考察(Mathematics of Reason and Sense)
@補完ページ(Complementary):「幸せ保存の法則」とは▼
2005年・年頭所感−幸せ保存の法則
(Law of conservation of HAPPINESS, 2005 beginning)
@補完ページ(Complementary):「多老」社会を考える▼
日本の現状は「多老」だ(Present Japan is the SURPLUS OLD-PEOPLE society)
「大衆の自己責任」について▼
日本人の自己責任意識を問う
(Self-responsibility consideration of Japanese)
マッカーサーが本国に「日本人の頭のルベルは12歳」と報告▼
狩猟民族国家アメリカの本性(United States of Hunting people, America)
スマトラ島沖地震▼
2004年・年末のスマトラ島沖地震
(Sumatran earthquake of the end of year, 2004)
オメガ幸国とは▼
言葉遊びを楽しもう!(Let's enjoy parody and jokes !)
世の中は圧倒的にブス(ブ○)が多い▼
「妻」「野の花」(柳田国男の悲恋)−布佐
('A wife', 'Field flowers', (K.Y's tragic love), Fusa, Chiba)
”偽悪”の中に”真の善”が在る▼
片手落ちの綺麗事を払拭せよ!(Sweep away unbalanced virtue !)
思想の連鎖とは▼
日本産アヒルと米国産白鳥(Japanese duck and American swan)
エルニーニョ紀元やマリー・アントワネットの露の一滴とは▼
エルニーニョ深沢とは何者か?!(Who am I ?)
今年のエルニーニョ紀元の年数はここで表示▼
ようこそ【エルニーニョの世界】へ(Welcome to ElNino's world)