−− 2005.01.01 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.02.10 改訂
■はじめに − スマトラ島沖で巨大地震が発生
2004年12月26日午前9時58分(日本時間)にインドネシアのスマトラ島沖で巨大地震が発生しました。04年の年末はパソコンを新しく購入し移行作業で忙しく、その上年末は年度の更新処理や年賀メールの処理で普段より数倍忙しいので、とてもこのニュースを04年に手を付ける事が出来ませんでした。しかし、これは2004年の話題です。
尚、東南アジアの地図は▼下▼を参照して下さい。
地図−東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)
又、このページを書くに当たり、良く言われる震度とかマグニチュードなどの「地震の強さ」や「世界共通の時刻」に基づく管理などについて、簡単な解説を▼下▼に
資料−地震の用語集(Glossary of Earthquake)
に纏めて在りますので、随時参照して下さい。
■取り敢えずの第1報(05年1月1日)
地震から一夜明けた04年12月27日15時の情報では「犠牲者の数は13,000人」、タイ南部のプーケット島では「市街地は平常通りだが、ビーチは壊滅状態」と特に沿岸部で津波被害が大きいと伝えて居ます(→「その後」の章を参照)。それから10時間後の28日1時の時点のネットニュースでは「インド洋沿岸10ヶ国で犠牲者の数が最大23、700人」と国際赤十字が発表したと報じ、僅か10時間で犠牲者の数が倍近くに急増し、この地震に因る被害(特に津波被害)は時々刻々と増えて居ます。犠牲者の国別集計は出揃って無いものの、凡そ以下の様な値です。
04年12月28日午前1時現在での「国別被害状況」
犠牲者の数
インドネシア 5,000
インド 3,000
スリランカ 12,000
タイ 866
ミャンマー 36
ソマリア 40
その他 2,758(←逆算値)
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計 23,700人
そして04年12月28日午前2時40分のニュースでは日本人の情報を、「日本からプーケット島などへのツアー旅行に参加していた邦人計16人の無事が確認されていない他、在留邦人ら10数人が行方不明となったり連絡が取れなくなったりしている。また、スリランカ政府閣僚は、死亡した外国人観光客19人の内8人が日本人だったと述べた。」と伝えて居ます。
ということで、元旦にも関わらず私は昨年のデータを基に取り敢えず第1報を記事にします。被害は未だ未だ拡大しそうです。今は未確認情報も含めて断片的なニュースが飛び交って居ますが、こういう時こそ付和雷同は禁物。この時点で断片的なニュースを追っ駆けるのは止め、もう少し「総合的だデータ」が得られる迄待ちましょう。
■新たな情報(05年1月6日)
今年の正月は新年の酒を飲み乍ら”この仕事”をして居ます。震源情報や「総合的なデータ」に相当する「国別被害状況」が得られましたので、追加記事を書きましょう。
◆スマトラ島沖地震の震源情報
発生日時 :2004/12/26 00:59(UTC)
07:59(Local Time)
09:59(JPN)
(UTC は協定世界時です)
位置 :スマトラ島北西 約160km(3.298°N, 95.778°E)
震源の深さ :10km
地震の強さ :Mw9.0 → Mw9.3に修正
(Mw はモーメント・マグニチュードです)
05年1月3日現在の「国別被害状況」
犠牲者の数
インドネシア 94,081
インド 14,872
スリランカ 29,744
タイ 5,046
マレーシア 74
ミャンマー 59
モルディブ 74
バングラデシュ 2
アフリカ東部 137
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計 144,089人
(アフリカ東部とはソマリア、ケニア、セーシェル、タンザニアなど)
犠牲者の数値は各国政府と公衆衛生当局の報告に基づいたものですが、12月28日の数値より俄然増えて居ます。特に震源地に近いスマトラ島を擁するインドネシアの犠牲者が急増しました。この調子だと今後被害状況は更に拡大する模様ですので、状況が落ち着く迄待つことにします。
当面、被災地住民への食料援助や仮設住宅設営などが緊急課題ですが、今回の被災地は赤道直下の熱帯・亜熱帯の気温が高い地域、且つ又、後進国に集中して居る為、腐乱死体などに因る衛生の悪化から感染症や伝染病などの2次災害が非常に心配です。又一部では「治安の悪化で食料等の救援物資の奪い合いや略奪やレイプや子供の誘拐などが発生して居る。」という報も有ります。
しかし、こういう事態の中でレイプとはいやはや...、人間は無政府状態に置かれると野獣に戻る、ということなのでしょうか?!、そう言えば阪神淡路大震災の時も神戸でレイプの噂が頻りでしたね。ひょっとするとレイプは人間の”動物”としての活力の源なのかも知れませんね、ムッフッフ!
(>v<)
■地震の原因と津波(05年1月10日)
今回の地震の震源地はジャワ海溝の延長線上に在り、ミャンマー〜アンダマン諸島〜ニコバル諸島〜スマトラ島東海岸〜ジャワ海溝の線は、インド・オーストラリア・プレートとユーラシア・プレートが鬩(せめぎ)ぎ合うプレート境界です。従ってこの地域では過去にも地震が頻発して居ました。今回もインド・オーストラリア・プレートがユーラシア・プレートの下に大きく沈み込んだことが原因でした。アメリカ合衆国地質調査所(USGS)に拠るとニコバル諸島付近の地表面が1〜2m移動したそうです。
◆既に最大規模の津波被害
そして被害を大きくしているのは津波です。アンダマン諸島/ニコバル諸島/スマトラ島/プーケット島/スリランカへは平均高さ10m −最高は34m− の津波が数回襲い、更に津波はインド洋西端のアフリカ東海岸迄到達して被害を齎しました。津波はリアス式海岸(※1)の様な入り組んだ場所(←日本の三陸沖が典型)では波高が高く成り、逆に広い大陸棚が在る場所ではエネルギーが吸収されて低く伝播速度も遅く成ります。
この時点で津波の犠牲者数としては、22,000人近くが犠牲と成った1896年(明治29年)の三陸沖地震に並ぶ最大規模の惨事と成ったそうです。ソマリアはアフリカ東部の国ですが、津波がインド洋を遥々伝播してアフリカ大陸東岸迄到達し被害を齎したとは、私が子供時代に経験した史上最大のチリ地震 −南米大陸を震源とする津波が日本の太平洋岸で多くの犠牲者を出した− を思い起こさせます。津波は外洋では時速7〜800kmというジェット機並みの速度で伝わります。
又、津波が来る直前には逆に海水が大きく引く現象が見られますが、これが前兆です。プーケット島でも津波直前に海水が大きく引いた時に、潮が引いた砂浜に撥ねる魚を獲りに行って犠牲に成った島民が大勢居たことを報道して居ました。これなど「盲、蛇に怖じず」(※2)です。今回の地震の被災地の多くが特に津波に遭ったことが無かったこと、つまり「地震、特に津波に関する無知」が被害を一層大きくして居る、と日本のメディアは指摘して居ます。しかし、実際に経験した人で無いと「大地が揺れる」とか「津波に飲まれる」などという現象は信じられないでしょう。我々日本人でも地震は”当たり前”ですが、津波はそんなに経験して居ませんから前述の東北の三陸海岸や、最近では北海道奥尻島の様に津波に遣られて居ます。
■■新情報追加記事(05年1月20日以降)
<05年1月20日追加記事>
1月19日のロイターなどの報道から、新たな「国別被害状況」が判りました。又、外国人観光客の被害状況も出て来ました。
05年1月19日現在の「国別被害状況」
犠牲者の数
インドネシア 166,320
インド 16,383
スリランカ 38,195
タイ 5,305
マレーシア 74
ミャンマー 59
モルディブ 74
バングラデシュ 2
アフリカ東部 137
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計 226,549人
外国人観光客死亡者 約340(内、日本人=40)人
これを見ると震源地に近いインドネシア以外の数値は収斂して居る様です。犠牲者数=22万人以上の殆どは津波に因るものです。又、クリスマスや年末の休暇と重なり欧米を中心とする観光客も多数居ます。
<05年1月21日追加記事>
国別の被害状況の詳細が出揃って来ましたので、特に被害が甚大だった所を幾つかピックアップしてみましょう。
○インドネシア
インドネシアでは何と言っても震源地に近く、スマトラ島北端のアチェ特別自治州やシムルエ島に被害が集中し、地震の揺れに因る家屋などの倒壊と津波の二重被害を受けほぼ壊滅状態で、政府は「国家災害非常事態」を宣言しました。
アチェは反政府組織に依る独立闘争の中心地で、アチェ人武装勢力は地震直後に停戦を宣言しましたが政府軍はこれに応じて居ません。
○インド
インドではニコバル諸島が震源に近く地震と津波の二重被害で壊滅的状態、次いでアンダマン諸島です。これらの島嶼部では数10の島が津波で水没した様です。インド半島ではベンガル湾に接する東部海岸に被害が出て居ます。
○スリランカ
震源のほぼ真西に位置するスリランカの被害は甚大です。1月19日現在の数値を見るとインドより面積も人口も圧倒的に少ないスリランカの犠牲者がインドの2倍以上に達して居ます。これは小さな島が津波に弱いことと「津波に関する無知」が齎(もたら)したもので、政府は「非常事態」を宣言しました。
○タイ
タイではアンダマン海に面する半島南西部や、リゾート地のプーケット島西海岸に被害が集中して居ます。プーケット島近くのピピ島は避難する場所も無く壊滅状態の様です。ここでも「津波に関する無知」が指摘されて居ます。
○マレーシア
マレーシアでもアンダマン海に面する半島南西部やペナン島が遣られましたが、西から来た津波に対しスマトラ島が防波堤の役目を果たし小規模な被害で済んで居ます。
○ミャンマー
ミャンマーでも半島南部と島嶼部に被害が出て居ますが、実際の被害は国が発表した数値より大きいのでは、とされて居ます。特にココ島では1,000人規模の犠牲者が出ているとの未確認情報も有ります。
○モルディブ
モルディブでは首都が在るマレ島の半分以上が冠水し空港が水に浸かり、交通や通信が寸断され首都機能は麻痺、政府は「非常事態」を宣言しました。
○バングラデシュ
バングラデシュはベンガル湾沿岸で若干の被害が出た模様ですが、詳細は不明。
○アフリカ東部
アフリカ東部ではソマリアの被害が一番大きく、その他ケニア、セーシェル、タンザニア、マダガスカルなどで被害が出て居ます。
○外国人観光客
外国人観光客の被災者は、クリスマスや年末の休暇を利用してモルディブやプーケット島などリゾート地で被害に遭った場合が多く、中には王族の血を引く者や大金持ちや有名人も含まれて居る様です。
<05年4月3日追加記事>
04年12月26日のスマトラ島沖地震(=本震)からほぼ3ヶ月経過した、05年3月29日午前1時10分(日本時間)に本震の震源地の南東約250kmの所を震源とする大きな余震が発生しました。
◆スマトラ島沖の余震の震源情報
発生日時 :2005/03/28 16:10(UTC)
23:10(Local Time)
2005/03/29 01:10(JPN)
位置 :スマトラ島西 約150km(2.065°N, 97.010°E)
震源の深さ :4.6km
地震の強さ :Mw8.5 → Mw8.7に修正
今回は本震の教訓を生かし発生から数10分後にタイ、インドネシア、ニコバル諸島などに向けて津波警報が発令され住民は避難したそうで、前回の様な大きな津波被害には至らなかったものの、震源地に近いインドネシアのスマトラ島沖のニアス島では地震の揺れに因って多くの建物が崩壊し300人位の犠牲者が出た模様です。
日本から本震の復興支援に当たっていたNGOなどの宿舎の一部が倒壊しましたが、全員無事とのことです。
{この章は05年4月3日に最終更新しました。}
■結び − 自然を知り自然に感謝
結局、29万人以上の犠牲者を出した今回のスマトラ島沖地震の災害は津波災害としては観測史上最大、Mw9.3は1960年のチリ地震のMw9.5に次いで観測史上2番目の規模でした。
{この段は05年4月3日に修正}
今回の地震の被害の殆どは津波という”天災”に因るものですが、被災地の行政当局や住民が地震や津波に遭遇した経験が無く、当局の津波警報や誘導が有効に為されず、更に住民も警報や津波前の海面異常の意味を理解出来なかった為、被害を拡大して仕舞いました。これは再三述べて来た様に「津波に関する無知」や制度的不備に因る”人災的側面”です。
しかし逆にプーケット島では地震後綺麗な海が戻ったという地元の話も在ります。日本人は生真面目で、こういう時にこういう話を出しませんが、世の中は「捨てる神在れば拾う神在り」(※3)、全てがマイナスでは無いとも言えます。こういう時はプラスの面を積極的に捉えた方が良いですね、反省も籠めて。
今回の地震と津波に因る被害は、傲慢に環境破壊を続ける人間たちに自然が警報を鳴らしたのかも知れません。我々も「自然に対する傲慢」に陥らない様にインド洋沿岸の被害を「他山の石」(※4)とすべきでしょう。その為には自然のシステムを知り、自然の恵みに感謝する心をもう一度思い出すことが大切だと考えます。
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>>>■その後
●05年10月のプーケット島旅行から帰って思い出した事
私が05年1月1日に記した「取り敢えずの第1報」で報じたプーケット島の津波被害の情報は、実は<04年12月27日15時21分>の記事からの抜粋でした。全文を載せると、「タイのプーケット在住13年になる旅行業、水野弘巳さん(48)は産経新聞の電話取材に応じ「市街地は平常通りだが、ビーチは壊滅状態」と惨状を語り、更に地震発生時について水野さんは「揺れに気づいた人の方が少なかったのでは」「体感では震度1ほどで、地震そのものによる建物の倒壊被害などは見当たらず、市街地の雰囲気は普段と同じ」と言う。」というものでした。
このプーケット島ガイドの水野弘巳氏は、偶然にも翌年の私たちのプーケット島旅行のガイドを務めたのです。ところがプーケット島旅行記は2005年12月1日に一旦手を付けたのですが、その後中断して仕舞い、略10年振りの2015年2月10日に漸く完成しました。その旅行記が▼下▼です。ここからは水野さん繋がりで入ります。
2005年・タイ国プーケット島の休日(Vacation of Phuket Island, Thailand, 2005)
{この章は2015年2月10日に追加}
【脚注】
※1:リアス式海岸(リアスしきかいがん、rias coast)とは、(イベリア半島北西岸で「入り江」をリア(ria[スペイン])と呼んだ事から)起伏の多い山地が、地盤の沈降又は海面の上昇に依って海面下に沈んで生じた海岸。湾/岬/島などが存在する出入りの多い複雑な海岸地形を造る。三陸海岸/志摩半島など。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※2:「盲、蛇に怖じず」は、物事を知らない為に、却って物怖じをせず、向こう見ずな事をする。盲蛇。近来俳諧風躰抄上「この道の重きを知らぬ者、目くら蛇に恐れずといへるごとく、口に任せて言ひ散す事」。
※3:「捨てる神在れば拾う神在り」は、一方で見捨てる人が居るかと思うと、他方で救って呉れる人が居る。世間は広く、世の中は様々だから、くよくよする事は無いことの譬え。
※4:「他山の石以て玉を攻(おさ)むべし」の略。[詩経小雅、鶴鳴](余所の山から出た粗悪な石でも、自分の宝石を磨く役には立つという意から)自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることが出来る、という譬え。
(以上、出典は主に広辞苑です)
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):東南アジアの地図▼
地図−東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)
@参照ページ(Reference-Page):地震について▼
資料−地震の用語集(Glossary of Earthquake)
@補完ページ(Complementary):地震&津波の翌年のプーケット島の旅
(現地ガイドの水野弘巳氏)▼
2005年・タイ国プーケット島の休日
(Vacation of Phuket Island, Thailand, 2005)
レイプは人間の”動物”としての活力の源か▼
エロレタリアート白色革命(White revolution by the eroletariat)
日本に来て初めて「地震」を知った人▼
忍者ぷーぺっと(Phouphet Kyophilavong)
世の中は「捨てる神在れば拾う神在り」▼
2005年・年頭所感−幸せ保存の法則
(Law of conservation of HAPPINESS, 2005 beginning)
自然を知り自然に感謝する心▼
2003年・年頭所感−感謝の心を思い出そう!
(Be thankful everybody !, 2003 beginning)