2005年・タイ国プーケット島の休日
(Vacation of Phuket Island, Thailand, 2005)

-- 2005.12.01 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.02.10 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★---暫くお待ち下さい(Wait a minute)---★

 ■はじめに - プーケット島でヴァカンス

 本ページは2005年12月1日に書き始め1日目の夕食迄を書いたのですが、中々時間が無くて、否、能力が無くて、中断した儘だったのです。しかし今度これを出版(←2013年から出版して居る)する事に決め、2015年2月10日に漸く完成させました。略10年のブランクが在った訳で、今日的な視点も加わって居ます。
 最初にプーケット島の地図や地震や津波の情報は▼下▼を参照して下さい。
  地図-東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)
  資料-地震の用語集(Glossary of Earthquake)
  2004年・年末のスマトラ島沖地震(Sumatran earthquake of the end of year, 2004)

 05年の10月26日(水)~31日(月)迄、タイのリゾート地のプーケット島へ行って来ました。何しろここは、昨年の04年12月26日午前9時58分(日本時間)インドネシアのスマトラ島地震(Mw9.3の巨大地震)が発生し、地震はそれ程でも無かったですが津波の被害が甚大だった所です。しかし、現地の人々は復興が早い。1年前の年末に未曾有の被害に遭ったにも拘泥らず現地の人々は生活が在ります。心のケアがどうのこうのと、そんな事言って居れないのです。現地の人々も肉親を亡くしたりして居るのですが、そんな事は封印して前に向かって進むしか無いのです。昔は日本もそうでしたがねぇ(→最後に再び言及)。

 地震の話はこれ位にして、プーケットのヴァカンスの凡その日程は以下の通りです。因みに、すっかり日本語に成ったバカンス/ヴァカンス(vacances[仏])(※1)ですが、これはフランス語で、英語ではバケーション/ヴァケーション(vacation[英])(※1-1)と言いますので、年の為。序でに私は va の発音を「バ」と表記するのは気持ち悪いので「ヴァ」を使います。但し、日本語では「バ」が多数派です。尚、ヴァカンスの本当の意味後で出て来ます

  26(水) 関空(深夜) →(機中泊)→ プーケット(朝)
  27(木) ヘー島で海水浴、子豚丸焼など豪華な夕食             (ホテル泊)
  28(金) トローリング(ヘー島~ラチャヤイ島の海域)/ゴルフ、岬で夕食  (ホテル泊)
  29(土) パトン・ビーチで海水浴、パラセーリング、街を探検、東屋で夕食  (ホテル泊)
  30(日) 早朝プール、田舎料理店で「鯰の塩焼」、最後の晩餐
 → バンコク(夜)
  31(月) バンコク(深夜) →(機中泊)→ 関空(朝)
                              <★青色がプーケット島での滞在>

 この様に往復共に機中泊でしたが、現地での移動は無し、3日間同じホテルに泊まり寛(くつろ)いでヴァカンスを満喫して来ました。今回は同行のメンバーについては伏せて置きます。何故?、プーケットに限らずバンコクやチェンマイなど、日本人男性がタイに行くのは「やるパック」(※2、※2-1)が通り相場、ヴァカンスを「やるパックで”マン喫”」した面々には色々と差し障りが有ろうというものです。因みに「やるパック”マン喫”組」は地震や津波など”へっちゃら”です。
 それでは皆さんも寛いでご覧下さい。

 ■ヴァカンス1日目 - 10月27日(木)

 (1)関空

 前日の26日(水)、我が阪神タイガースの日本シリーズ4連敗濃厚(←4連敗しました)な試合観戦を途中で打ち切り23時に関空に集合、搭乗手続きを済ませ出発を待機しました。
 右が関空で整備中の搭乗機でタイ航空のボーイング777型機です。
 予定通りかどうかは知りませんが、飛行機は午前2時近くに離陸し、プーケット国際空港に7時45分に着きました。現地の時差は日本より2時間遅れ、つまり現地時刻は5時45分で未だ暗かったのです。

 (2)プーケット

 タイ王国のプーケット島はマレー半島北西岸沖に位置し、バンコクから南へ約860kmのタイ南西部のアンダマン海に臨む、南北約50km、東西約20kmのタイ最大の島。面積800k㎡。元々は漁業が中心だったが、19世紀後半からスズ鉱山ゴムのプランテーションの開発が進み、精鉱・鉱石を南東岸のプーケット港から積み出す。
 1970年頃から観光開発が急速に進み、現在ではリゾートホテル/ゴルフ場/海洋スポーツ基地などの観光産業がトップ。20世紀初頭には僅か6千人だった人口は20万人に膨れ上がっている。島内の中心は南東岸のプーケット湾に面するプーケット・タウン(Phuket Town)


 島の北部に在る空港に着き先ずは両替です。この日の交換レートは

  1[円] = 約0.34[バーツ(Bahts)]

でした。つまり1[Bahts]=約3[円]、現地値段を3倍して日本円に換算して高いか安いか判断すれば良い訳です。

 左の写真が「2004年・年末のスマトラ島沖地震」の「その後」の章で紹介した現地在住日本人ガイドの水野弘巳さんです。私は朝はどの人が水野さんか判らずに -そもそも今回の旅行で私の見知った人は数名で旅行のメンバーさえ初対面の人の方が多かったのです- 居たのですが、この写真はこの日の夜にカラオケで撮りました(→後出)。実は現地に居る間は私が書いた記事など忘れて居ましたから、水野さんがスマトラ島沖地震の時に日本の新聞社の求めに応じプーケットから情報を提供して居た事は、日本に帰ってこの原稿を書き始めた時に思い出した訳です。
 水野さんはマイクロバス2台を用意して空港に迎えに来て居ました(以後はこのマイクロバスが我々の”足”と成ります)。我々はそれに乗り早速ホテルへ。


 右の写真は走行中に車の中から撮ったライトバン・トラックに現地人が立ち乗りして居る光景で、ざっと数えて12~3人も居ます。通勤でしょうか?、でも子供が居ますね、ワッハッハ!!
 又、乗合バスはフロントガラス以外は窓ガラスが無く屋根上は荷物が置ける構造に成って居ました。他にはバイクの2人乗りも良く見掛けました。
 これらはプーケットでは”普通の光景”です。

 そして左下が今回のリゾート基地、西海岸のパトン・ビーチ(Patong Beach)に在る25階建てのザ・ロイヤル・パラダイス・ホテル(The Royal Paradise Hotel)で、帰る迄ずっとここに泊まりました。先ずはホテルのチェックインです。

 中央下が私の部屋。ダブルベッドが2つとタイ式マッサージ用の小さいベッドが1つで、バス&トイレも豪華な感じです。
 右下は部屋から撮ったホテル中庭で、プールが見えて居ます。これなら寛いで過ごせそうです。

 

 (3)ヘー島(コーラル島)

 この日は雨が降りそうな曇り空でしたが、ホテルを出て早速チャロン湾(Chalong Bay)からヘー島(Ko Hae)(※3) -欧米人はコーラル島(Coral Is.、サンゴ島)と呼ぶ- に高速艇(約10人乗り)で渡りました。チャロン湾の船着場(←船着場は湾内に引っ込んでいる)から南南東へ10km足らずです。
 左の写真は我々の横をブッ飛ばす高速艇です。我々もこんな雰囲気でヘー島に渡ったのです。

 以下が初日のヘー島のビーチでのスナップです。
 左下はパラセーリング(parasailing)(※4)の光景で、写真下方のモーターボートが牽引して居ます。ここではお客が1人で飛んで居ます(→後日私が乗った時「舵取り」の兄ちゃんが同乗しました)。もうお気付きかと思いますが、このページの背景がパラセーリングの写真です。
 中央下がプーケットでは必ずお世話に為るシングァ・ビールです。缶には

        LAGER BEER(※5)
  THE ORIGINAL THAI BEER SINCE 1933

と書かれて居ます。タイ国の貯蔵熟成ビールです。
 右下は韓国のギャルのグループです。


 ビールを飲んでから海に入りました。左下が私、午前中は海水浴です。
 流石に海は透明感が有りヘー島のビーチの砂底迄見えます。そして海に入ると体長10cm位の熱帯魚の様な魚(中央下の写真)が沢山居ます。私はカメラを取りに一旦上がり再び戻って撮りました。私の海パンが写って居るでしょ。右下は中央下の写真の拡大です。
 昨年末のスマトラ島沖地震の際にプーケット島の人々は「津波直前に海水が大きく引いた時に、潮が引いた砂浜に撥ねるを獲りに行って犠牲に成った島民が大勢居た」と報道され、現地の人々の「津波に関する無知」を日本のメディアは指摘して居ましたが、この魚たちを見たら、それも肯けますね。こんな状況は日本では考えられないですから(最後に再び言及)。



 そして昼飯(右の写真)は何と言っても「海の幸」です。左上がエビ、野菜サラダ、チャーハン(炒飯)、手前が魚料理です。私は料理は軽めにしてビールを飲んでました。
 料理は中国風(→後出)です。

 昼飯後、私は自然観察をしました。昆虫好きの私はこの島に来た時から目を付けて居ましたが、左下の黒い蝶(名前不明、マダラチョウの一種)。
 右下のアサギマダラ(※6)が海の上や海岸近くの林の中を飛んで居ました。アサギマダラは海を渡り長距離飛行することで知られて居ますが、これは実際に島と島の間の海を飛んで居る姿を何匹も見ました。あの弱々しい飛び方で海を越えるとは全く不思議な蝶です。


 そして極め付きが下の2枚の写真の鳥、可なりデカく1m近く在ります。ちょっと離れた場所に居たので望遠です。何だと思いますか、これ?
 このバナナとか止まり木は明らかに人間が造ったもので、私は最初この鳥も模型かなと思いました。が、良く見ると写真の様に動いて居るので、やはり鳥です。帰国してから調べたら、これはサイチョウ(犀鳥)の一種(※7) -サイチョウは45種位在るそうです- です。しかし、何ともマンガチックな姿です。


 上座部仏教(=小乗仏教)(※8)に深く帰依するタイ族は左の様なタイ建築様式の小さな祠を作り仏を祀って居ます。日本の神棚の様な感じです。
 下はヘー島の我々が昼食をしたレストランとか土産物屋で、島は至って素朴です。


 午後2時頃から小雨が降って来たので、我々は再び高速艇に乗り島を後にしました。右上の写真は帰りの高速艇の水飛沫の後ろに見えたヘー島の全景です。

 (4)チャロン湾へ帰港

 下の2枚がチャロン湾の風景です。左下はプーケットの漁船です。右下はヨーロッパの帆船でしょうか。長閑な地方の漁港といった佇まいでした。


 昨夜は関空を深夜に発ち全員寝不足だったので、この後はホテルへ引き返し昼寝をして晩飯に備えることにしました。

 (5)プーケット・タウンで豪華な夕食

    ▲▲▲▲ここ迄は2005年に作成
            10年間のブランク
    ▼▼▼▼ここからは2015年に作成

 元々タイ族は中国西南部から出て居ますが、プーケットの食文化は中国文化が浸透しています。その訳は20世紀始めにスズ鉱の貿易や鉱山開発の労働者に大量の華人(中国人)の移民がプーケットに流れ込んで来たのです。
 この日のメインは1.5kg位有る子豚の丸焼(左下)です。これを北京ダック(※9) -中国語で烤鴨子(カオヤーズ)(※9-1)と言う- と同じ調理法で料理し、北京ダックと同じく皮だけを小麦粉(写真の右上)で包(くる)んでタレ(写真の左上)を付けて食べます。パリッとして香ばしく非常に旨かったですね。我々が皮を食べるとホテルの人は丸焼を引っ込めようとしたので、「何するんや、未だ食うとこぎょうさん有るやないけ」と誰かが言って、「皮を食われた肉の部分」を調理して貰い結局全部食って仕舞いました。確かに全体の3/4はこの肉の部分ですが今回のメンバーは食い意地が張って居ます。
 右下はカニの料理です、これも旨かったですね。他に魚料理とか野菜料理とか。飲み物はビールとタイの焼酎(←沖縄の泡盛の元)とフルーツジュースが出ました。タイはフルーツジュースが豊富です。


 (6)「やるパック”マン喫”組」はこれからが勝負

 「やるパック”マン喫”組」はこれからが勝負です。何処へ行ったか余り覚えて居ませんが、水野さんが案内するマイクロバスで出掛けました。これからは水野さんの独壇場です。車に乗って15分位で我々は或るナイトクラブに入りました。店では酒とツマミは頼まなければ為りません、これはルールですね。店ではロックバンドがギンギン遣っていて可なり煩かったです。
 そして左が”商品”です、ピンク系の暗い照明の中で望遠で撮りました。日本より若い娘(こ)も居ます、中には若過ぎてヤバイ感じのも居りましたが店は「そんな事は無い、合法です」と言ってました。
 こうやって顔見せ(※10)をして交渉する訳ですから、昔の花魁や今の大阪の飛田と同じです。今日の「やるパック”マン喫”組」は皆テイクアウト(take out) -お持ち帰り- を希望です。料金交渉が決まれば姫君たちは今夜一晩貴方の自由に出来るのです。但し、こうして顔見せして決めた訳ですから「ガバガバだった」とか「臭かった」とか言っても後の祭です。男は単純ですな!!

 我々はこの後カラオケに行きました、姫君たちを連れて。
 おっと、この娘は姫君とは違いまっせ。この娘はカラオケ屋の店員ですよ、ご覧の様にイカ&エビ野菜炒めのボリューム満点のツマミを持って来ました。我々が腹減ってると思ったんでしょうかねぇ。
 まぁ兎に角、皆自分の姫君に抱き付いたり頬擦りしたりし乍ら歌を歌いました。始めの水野さんの写真はここで撮ったという訳です。因みに、水野さんは姫君無しですよ、彼は未だガイドの仕事中ですから。
 夜も更けました(午前1時過ぎ)。右上がナイトクラブやカラオケが在った地区の夜景です。さぁ、この後は、解りますね、フッフッフ!!

 ■ヴァカンス2日目 - 10月28日(金)

 (1)トローリングでカツオ(鰹)釣り

 我々はマイクロバス2台でプーケット港に向かいました。
 左の写真はインドハッカハッカチョウ(八哥鳥)の仲間ですね。特徴の前頭部の冠羽が有ります。人が多勢通るプーケット港の旅行案内所近くの広場に何羽も居ました。
 我々はこれからプーケット港からトローリング船(※11)をチャーターし、南のヘー島(=コーラル島)~ラチャヤイ島間の海域に行きます。我々10名位が乗り込みます。4名は別行動でゴルフ(←多分プーケット・カントリークラブ)です。

 船ではビールとかは自由に飲めます、即ち最初から料金に含まれている訳。私も先ずビールを2缶位空けてから釣りをしました。
 左端が船長&操縦士です。私が「今日は天気が好いですね」と言うと「ああ、今日は海も静かだ」と答えました。
 左中が助手です。助手は釣った魚を料理します。タイにもこういう黒人が居ます。メラネシア人(※12)ですかねえ。
 右で釣をしてる私、でも私は釣れなかったですね。でも他の人が釣り上げました。
 左下が今正に釣り上げられるカツオです。右下が釣り上げられたカツオです。


 釣り上げられたカツオは助手が直ぐ料理します(左の写真)。ところが、この助手は全部空揚げにして仕舞います。日本人なら新鮮なカツオはカツオの叩き(※13)ですよ。
 そこで私は「おい、兄ちゃん、全部空揚げにしちゃうのか」「そうだ、今日は醤油持って来て無いんで」「馬鹿野郎!」と言った私は今切っている切り身を半分引っ手繰ると、その切り身を持って船の側面に寝そべり手を伸ばすと海に辛うじて届きます。船は左右に揺れてますからこちら側が低く成った時は十分届く訳ですね。こうして私は醤油では無くて「海の塩」カツオの刺身を食いました、滅茶・旨・か・っ・た。この味は一生忘れないでしょう!!
 カツオは全部で5、6匹位釣れました。その内2匹を持って帰り、後は船上で全て空揚げにされました...(>v<)。持ち帰った2匹はちゃんと日本からポン酢を持って来た(←ニンイクや薬味はこっちで調達できる)ので、カツオの叩きを晩の料理の一部にしました、これも滅茶旨かったですね(→後出)。

    ◆クジラ(鯨)が出現!!

   鯨           鯨
   ↓           ↓
 午前10時30分頃ですかねえ、左の写真、これは鯨の背鰭です。2頭見えて居ます。これは望遠で撮ったのですが、目測300m~500m位の所に鯨が現れました。私は目では鯨全体が海から飛び出しているシーンを2、3回見ましたが、これをカメラで撮るのは難しいですね。この写真も鯨全体が飛び出した後の写真で、どうしてもタイミングが遅れて仕舞います。
 鯨が居る所には左下の写真の様にカモメが集まって来ます。鯨は小魚やプランクトンを追い駆けて居ます。鯨が居る海域にはカモメの餌と成る小魚が居るのでカモメが集まります。同じく小魚を食べるカツオも集まって来るのです。そして最後にカツオを狙う人間も鯨の居る海域に集まるという訳です、右下の写真がプーケットの漁船です。という事で<鯨の居る海域>には皆必死で集まって来ます。我々の船長も船の舵を右に切ったり左に切ったりし乍ら<鯨の居る海域>に近付きます。時間にしたら10分位ですね、それが過ぎると又平穏な海に戻ります。


 でも私は面白かった。私は所謂ホエール・ウォッチングなどは好きでは有りませんね、偽善ですよ。今見た様にクジラを巡りカモメやカツオや人間たちの悠久な時間を通した関係性が有るのです。ホエール・ウォッチングの様に、この関係性を無視し単純化して人間とクジラだけの不自然な関係のみを取り出して「クジラが可愛そう」などと言うのは全く的が外れて居ます。ここに日本の捕鯨船が1艘加わって居れば、もっと面白かったですね、ワッハッハッハ!!

    ◆ラチャヤイ島の風景


 昼頃左の写真のラチャヤイ島(Ko Racha Yai)の近くで休憩しました(左の写真)。上陸はしませんでしたが、我々の仲間は海で泳いだ人も居ました。但し、ここは深い。
 



 ラチャヤイ島はプーケット島の南方23kmの島で、シュノーケリングやダイビングのスポットが在ります。

 右がラチャヤイ島の海、これは船から撮りました。ヘー島のビーチよりも更に綺麗な感じですね。
 この熱帯魚の様な魚が船の中から撮れるので、ここがダイビング・スポットだと言うのは解りますね、物凄く解り易い!!

    ◆プーケット港へ帰る

 午後は少し雲って来ました。右は昨日行ったヘー島で、昨日も撮って居ますので、もうお解りでしょう。

 ところで、右の二人お解りですか?、フッフッフ。この二人は台湾人です。この左側に人、見覚え有りませんか?
 今回は皆名前を伏せて居ますので、ここ迄。
 左下が我々がチャーターしたトローリング船です、もう降りましたが。
 右下が埠頭から帰る橋です。この辺りは遠浅なので埠頭迄はこの様な橋が必要なのです。今朝もこの橋を渡って来ました。


 左がプーケット港の風景です。トローリング船やクルーズ船やヨットが沢山見えます。今時間は2時30分頃です。
 

 (2)パトン・ビーチの繁華街で買い物

 その後はマイクロバスでパトン・ビーチに向かいますが、今日は海水浴はしません。パトン・ビーチの繁華街(←夜は何でも有りの歓楽街)を歩いて買い物などをしました、女性も3人居ます(ロシア人1名、台湾人2名)ので。私は買い物なんかせずに専(もっぱ)ら街の風景を撮りました。
 左の広告塔は滅茶目立ちます。
  TIGER ENTERTAINMENT

と在り、その下にバー、パブ、シーフードレストラン、ライヴバンド、ビールの店などが示して在ります。阪神タイガース・ファンの私はどうしてもに目が行きますが、この広告塔の天辺に居る虎は牙が鋭く強そうです(右の写真)。阪神タイガースの虎は、どうもあきまへんなぁ!

 左の店は SHIPWRECK と書いて在り、意味は難破船ですね。店の前は欧米人で一杯です。で、何を遣ってる店なんだと思い良く覗いて見ると、お客がビールを飲んでます(今の時間は約3時半です)。

 左は交通警察のポリスマンです。彼もメラネシア人(※12)なのでしょうか?
 右は道路の飾りを直してる所です。

 繁華街の観察は中々面白いですね。因みに、日本人には全然会わなかったですね。

 その後ホテルに帰ったのが5時前なので、午後6時迄しばし休憩です。私はシャワーを浴びました。

 (3)夕食はプロムテープ岬で

 プロムテープ岬(Cape Phrom Thep)はプーケット島で最南端の岬です。旅行案内書には景が素晴らしいと在りますが車の中で少し見ただけで着いた時には真っ暗で何も見えませんでした。我々は野外のレストランで食事をしました。オッ、昨夜の姫君を今日も連れている人が居ました、契約継続ですな!
 左の写真で、左からロシア人、水野さん、そして今回の旅行を企画した歯科医師(=歯医者) -彼は何度かプーケット島に来て居ます- です。私はこの歯医者に歯を治療して貰いました(2000年頃)が、2015年の今もびくともして無いです。治療の時は1ヶ月半毎日通いました。何しろ金のインゴット(※14)100gを持って行って「これで治療頼む」と言い更に20万を渡した事を覚えて居ます。
 それで今回の旅行は歯科医師や歯科技工士が多いのです。他に弁護士が1名、全く関係無い人が3名居ります。
 右の写真は私と水野さんと助手、私は相当顔が赤いですが日焼けと酒量の所為です。マイクロバスが2台と言いましたが、水野さんと助手で運転して居るのです。
 ところで旨い料理が出た時は能く遣るのですが、昼間釣ったカツオをアイスボックスに入れて2匹持って帰りカツオの叩きを作ったのですが写真に撮るのを忘れました。叩きはこの歯医者が作りました(←自称「料理研究家」、実際「カツオの叩き」は旨かった)。左上の写真の料理はカツオの叩きは疾っくに食い終わった後で、気が付くのが遅かった!!

 ここで水野さんの秘密をご存知ですか?、それを知りたい人はココをクリックして下さい。但しパスワードが必要です。滅茶滅茶刺激的です!!

 我々は最終(午後11時閉店)迄ここに居りましたが、もうお客は誰も居ません。左下の写真で遠くに明かりが見えて居ますが昼は旅行案内書に拠ると壮大なパノラマが楽しめるそうです。ここは岬の高台に在ります。


 水野さんと助手が運転するマイクロバスでパトン・ビーチに帰り、昨夜も午前1時過ぎ迄カラオケに居ましたが、今日もこれからカラオケに行きます。もう午前0時過ぎです、好きですなぁ!
 今日は「Pink Lady Club」(左の写真)に入りました。勿論、姫君を連れてる方は姫君を同伴で。まぁ、勝手に遣って下さい!
 

 ■ヴァカンス3日目 - 10月29日(土)

 (1)朝の散歩で


 今日はパトン・ビーチで海水浴です。そこで早朝、私はホテル周辺を散歩しました。そしたら左のシーンに出会いました。子犬が3匹お母さん犬のオッパイを吸って居ますが、日本では中々見掛けない光景です。お母さん犬は首輪をしているので飼い犬です。
 私は何故か、このシーンに感動を覚えました。

 (2)パトン・ビーチ

    ◆パトン・ビーチでトップレス - ヴァカンスの本当の意味

 パトン・ビーチ(Patong Beach)島内で最も繁華なビーチで、夜は歓楽街です。
 私はパトン・ビーチで又々感動するシーンに出会(くわ)しました。下をご覧下さい。説明は不要でしょう、トップレス(topless)です!!
 彼女たち(←イギリス人みたいな顔して居ますが)ドイツ以北の欧州人はトップレスは当たり前です。私は5月にドイツ人が日光浴をすると直ぐトップレスに成るのを経験して居ます。欧州人は日光の量が足りないので太陽に飢えているのです。
 そもそも欧州人が何故ヴァカンスを取るか?、それは太陽光を浴びる為なのです。陽光の量が足りないとビタミンD(※15)が不足し「くる病」(※15-1)に成って仕舞います。だからヨーロッパの北の人々はイタリアとか南フランスにヴァカンスと称して太陽光を浴びに行くのです。これがヴァカンスの本当の意味なのです。
 

    ◆パトン・ビーチでパラセーリング

 先ず1時間位海水浴をしました。そして愈々パラセーリング(parasailing)(※4)です。先ずは私で、私のカメラで舞い上がっている私を撮って呉れと旅行を企画した歯科医師に頼みました。

 左が空高く舞い上がる為の装備で海に落ちた際の救命用具ですね。
 右が舞い上がった所で、下が私、上が「舵取り」の兄ちゃんです。上手い人は舵取りも自分でします。私は初心者。
 右端が海全体を入れたもので、70~80m位は上がっている感じです。
 モーターボートは上の右端の写真の様に一旦向こう側に行き(即ち往路)、それから折り返して元の位置迄来て(復路)、乗客を着陸させます。
 左下と中央下が舞い上がっている私と舵取りの兄ちゃん。兄ちゃんは横に成って体全体で制御しているのが解ります。中央下がそれを大写しにして居ますが、兄ちゃんは丸でアクロバット(=”軽業師”)の様(※16)です。
 右端下は降りて来た瞬間です。


 私の感想。これは滅茶滅茶面白い!!
 でも実際に舞い上がっている時間はその時は長く感じますが、実際には3分位のものでしょう、5分は無いです。この感覚は何かと同じだなあと思ったらセスナ機に乗った時と同じです。実は私は今年(2005年)5月にセスナ機に初めて乗って居るのです。つまり、パラセーリングはセスナ機に乗った時と同じく実際の飛行時間は感じているより短いのです。セスナ機に乗った感想は▼下▼からご覧下さい。
  2005年・空から大阪の古墳巡り(Flight tour of TUMULI, Osaka, 2005)

 次は昨日登場したロシア女性の番です。この旅行でパラセーリングにトライしたのはこの二人だけです。
 先ず左は出発前、救命用具に身を包んだロシア女性。手前に居るのが軽業師的な「舵取り」の兄ちゃん(←彼も色が黒い)です、先程は見事なアクロバットを演じましたね。そして後ろにパラシュートを持った人が居ます。実はこのパラシュートを飛ばすには3人必要です。そして更にモーターボートの操縦士が必要で、準備が整うとモーターボートが発進します、するとパラシュートを持っている3人も駆け出し、モーターボートとパラシュートを繋いでる綱がピンと張った瞬間に「ガツン」と背中を蹴飛ばされた様な衝撃が在り、忽ち舞い上がります。
 右上がパラシュートが舞い上がった瞬間です。パラシュートを持っていた人がその後を走って居ますが、彼は助走に必要なので舞い上がって仕舞えばもう必要有りません。後は着陸に備えるのです。犬が2匹居るのは兄ちゃんたちの犬です。
 左下が空高く舞い上がっているロシア女性と”軽業師”です。
 右下が復路で間も無く着陸態勢に入る寸前です。パラシュートを牽引しているモーターボートが写真の右下に写って居ます。因みにこの写真はビデオから採りました。つまり1台のカメラで写真とビデオの両方を撮った訳で、私の技術も相当”魔術師”的ですゾ!













                                ↑
                             モーターボート

 左は飛び終わって得意のポーズではしゃぐロシア女性。犬が付いて来て居ます。

 右は海水浴客で賑わうパトン・ビーチです。写真の様に海水浴客のパラソルはビーチを埋め尽くして居ました、やはりパトン・ビーチの観光客は凄い!

 私はこの後再び軽く海水浴をし、それから昼飯を皆で食べました。

 (3)パトン・ビーチの繁華街を探検

 午後はゴルフをする人とかホテルで昼寝する人とか、それぞれで過ごす事に成ったので、私は一人でパトン・ビーチの繁華街を探検する事にしました。ここは昨日来て居ますが、どうも車で巡ると距離感とか方向感覚がはっきり掴めません。それで一人で行って見ようと思った訳です。
 直ぐに解りました、ホテルから歩いて7、8分です。先ず適当な店を見付けて入りました。この左下のゲームをしている店員の女の子にビールを頼み、同時に写真を撮って呉れるように頼みました(右下の写真)。私は上半身裸です、ここは熱帯。熱帯プーケットに乾杯喇叭飲みのビールが旨い、ワッハッハッハ!!
 お客は殆ど欧米人で日本人は居ません。もう店の時計は午後3時15分を指して居ます(中央下の時計の拡大写真を見て下さい)。

                時計
                ↓


 そして昨日も見た「TIGER ENTERTAINMENT」の広告塔が在りました、これは本当に目立ちます。この角度からはコブラが見えます(左下)。
 右下は「BANGLA BOXING STADIUM」「REAL FIGHTS」と書いて在りますので、ここで試合を遣る訳です。ボクシング・スタディアムですね、タイはボクシングが盛んです。



 金融機関のATM(現金自動預入れ支払い機)も在りました。今日は土曜日ですが機械は遣って居ます。


 知らない国の街の探検は非常に面白い!!

 (4)海辺の鄙びた東屋で夕食

 水野さんの案内で”とある半島”の鄙びた東屋(あずまや)(※18)が今日の夕食の会場です。
 どの位鄙びて居るかは、左右の写真の風景でお解りでしょう。左は地元村民の漁船が沈もうとする夕日にシルエットを作って居ます。右は我々の居る東屋の外灯が海辺の風景に溶け込んで居ます。
 私は”とある半島”が何処か水野さんに聞くのを忘れたので場所は不明です。

 そして今夜の料理はシーフードが主体(左下)です。エビとか玉子とか物凄くシンプルです。もうヴァカンス3日目で我々の口や胃袋も”さっぱり”した物を求めて居るので、今夜の料理はグッド・タイミングでした。我々も今夜は焼酎では無くウィスキー(中央下の写真)にしました、勿論ビールは水代わりに飲みましたが。それと店が出して呉れたフルーツジュース(←左下のオリーブ色のグラス)がとても旨かったですね、タイはフルーツジュースが豊富です。
 更に(右下の写真)が馴れてて非常に可愛かったですね。それからヤモリ(猫の下)も居ましたよ、これは略実物大です。ヤモリなど”鄙びた感じ”が良く出て居ますね、ワッハッハッハ!!



 ガイドの水野さんは夕食の場所をちゃんと考慮してますね、何気無い中に隠された技です。

 ■ヴァカンス4日目(最終日) - 10月30日(日)

 (1)朝からプール

 今日の午前中はホテルのチェックアウト以外は自由時間という事で、それぞれ買い物とか帰りの仕度とか昼寝とか。私は最後のヴァカンスなのでホテルで朝食を済まして直ぐに中庭のプールで水泳です、40分位ですかね。誰も泳いでないので気分は最高です。まぁ、朝の8時からプールに入る人は余り居ないとは思いますが。写真は台湾女性に撮って貰いました。
 私は足で立てる所でしか泳ぎません。25m位しか泳げないのです。温泉とか公衆浴場でお客が少ないと時々大浴場で泳いで居ます、アッハッハ!!

 (2)ホテルをチェックアウト


 部屋に帰る途中で右の様な、各部屋毎の部屋代の請求書が貼り出されて在りました、仕掛人は勿論旅行を企画した歯科医師です。この歯科医師は性格は好い加減ですが、こういう所は几帳面です、アッハッハッハ!
 私は自分の部屋の請求書を持って部屋に戻り、それから荷物を整理してホテルのチェックアウトを済ませました。

 (3)水野さんに頼んで、ナマズ(鯰)の塩焼を食いに行く

 10時前に水野さんに聞いてみました。「ナマズ(鯰)の塩焼(※19)を食いたいけど、どこか遣ってない?」「さあ、判らないけど田舎料理店なら遣ってるかも。」「田舎料理店連れて行って。」「じゃあ、行ってみましょう。だけど鯰料理を遣ってるかどうかは行ってみないと判らないよ。」という事で、運を天に任せました。荷物をホテルで預かって貰いマイクロバスで15分位で田舎料理店に着きました。鯰は有りました。私は厨房に入り、ジェスチャーで「鯰の塩焼」を説明しました。出て来る迄は心配だったのですが、見事な塩焼の出来上がりです。

 さて左右下の写真の味ですが、私が思ってた通り最高に旨い、ビールと良く合います。中国料理で鯰は白身でスープや空揚げでも非常に旨く「塩焼」でも絶対に旨い筈だ、と思って居たのですが、「塩焼」は中国料理には有りません。私は鯰の塩焼を是非食ってみたいと思って居たのですが中々その機会に巡り合えなかったのです。今回その機会を作り予想通り何の癖も臭みも無く旨かったので、私は非常に満足です。御負けに「きゅうり」とか「さっぱりした野菜の和え物」などが付いて可なり豪華な感じです。


 左が「鯰の塩焼」を食べに行った店。ご覧の様に全て竹製の調度類です。左に腰掛けて居るのが水野さんです。未だお客は少ないですね。それもその筈、この店に来たのが午前10時過ぎ、鯰の塩焼を食い終わってこの写真を撮ったのが午前10時45分位でした。
 水野さん、私だけの要望を聞いて貰い、本当に有難う!!

 (4)プーケットで最後の晩餐

 プーケットでのヴァカンスもこれが”最後の晩餐”です。最後の食事は街中のレストランで鶏肉と豚肉の鍋料理を食べました。プーケットの様々な思い出も全てこの鍋の中に放り込んで!


 左がこの店の店員です。
 我々はこの後プーケット空港からバンコクに移動しました。右上がプーケット国際空港のチェックイン(搭乗手続口)です、立方体に編集してみました。
 そしてバンコクから深夜の便に乗り換えて明朝関空に着きました。皆疲れて居ます、飛行機の中では余り眠れません。

 ■結び - 同床異夢の旅

 さあ、どうでしたか?、面白かったでしょう。上の記述で所々私が現地の人と会話をして居ますが、お前はタイ語が解るのか?、否全然解りません。でも相手はそう言ったに違い無いと思って居ますゾ、アッハッハ!!
 この位アバウトに成れれば海外旅行は楽しいですね。そもそも私が何故この旅行に参加したかと言うと、津波被害が甚大だった所には”生真面目な日本人”は来ないだろうという予測が在ったのですが、案の定私の予測は当たりました。私は生来、糞真面目・四角四面・野暮な日本人が大嫌いですので、「やるパック”マン喫”組」とは妙な所で馬が合ったのです。でも「やるパック”マン喫”組」とそんなに気が合った訳では有りません、言わば同床異夢(※20)、お互い他人には干渉しないという事です。
 今回の旅の収穫はパラセーリングを初めてした事と、「鯰の塩焼」を食った事ですね。後は水野さんの秘密を教えて貰った事です。それとタイ文化の基層部分で黒人(或いは黒っぽい人)が体制に組み込まれて居る事を知りました。トローリング船の助手、街で見掛けたポリスマンパラセーリングの軽業師的な舵取りなどです。彼等は明らかにアフリカ系とは異なります、やはりメラネシア系(※12)でしょうか。
 しかし、何と言っても私が最も心を動かされたのは未曾有の津波被害から1年も経って無いのに、現地の人は皆明るく必死に前に向かって居る姿でした。過ぎて仕舞った事をくよくよ考えても仕方無い訳で、やはり前を向いて行くしか無いのです。

    ◆東日本大震災の津波犠牲者は驕り・油断が無かったか?
       そして復興が遅い!

 前述した様に2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震では、現地住民たちの「津波に関する無知」を日本のメディアが指摘して居たと述べました。この報道には言外に低緯度地域の低知能という事が隠されて居ますが、それも事実なので仕方無いでしょう。問題は自ら高知能と思い込んでる日本人が、しかも地震大国の日本が、2011年3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の時の、特に津波に対する避難はどうだったのだろう、と思って仕舞います。勿論、地震発生から30分以内に来襲する津波から逃れるのは非常な困難が在る事は解りますが。
 東北地方の三陸海岸では江戸時代~現代迄、数多くの地震に見舞われその殆どが津波を伴うのです。三陸海岸はリアス式海岸(※21)で地形は入り組み、それだけに風光明媚ですが、一旦津波が発生すると津波の波高は高く成り伝播速度も増加します。嘗て1960年にチリ地震 -殆ど地球の反対側の地震- が発生した時、三陸海岸が津波の被害を受けた事は私が小学校の時に強く印象に残って居ます。要するに三陸海岸では地震津波は略セットなのです。
 それを考えると、東日本大震災の津波の犠牲者をもっと少なく出来たのではないか、と私は思いますね。スマトラ島沖地震の津波犠牲者を「津波に関する無知」とすれば、東日本大震災の津波犠牲者を何と呼ぶべきか?、「津波に関する驕り・油断」が無かったとは言えません。それが私の言う「自己責任型社会」なのです、今は偽善に覆われて居ます。
 それともう一つ、これは私は予想してた事ですが東日本大震災の復興は”案の定”遅いですな。福島は原発問題が有り遅いのは解りますが。ここで”案の定”と言ったのは、東北の人は「暗い」のです。これは私が言ったんじゃあ無いですよ、【参考文献】△1に

  〔青森・岩手〕(さらに東北一帯)内向的、陰気、暗い、ひっこみじあん、粘り強い

と書いて在るのです(△1のp339)。まぁ、私の友人などを見ても略当たって居ますが。要は心のケアがどうのこうのと言うよりも、前に向かって進まなければどうしょうも無いのです、プーケット島の現地人の様に。
 因みに私は1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)の被災者だという事を断って置きます。そして「天災は忘れた頃にやって来る」と言いますが、阪神淡路大震災を忘れない内に東日本大震災が来て仕舞いました、いやはや!

                (>v<)

    ◆2006年の「やるパック”マン喫”旅行」に奥様同伴とは
       - 皆どっちらけ!

 最後に、これは後から聞いた話ですが今回の旅行を企画した歯科医師翌年(=2006年)もプーケット島旅行を企画し実行しました。好きと言うか、懲りずにと言うか。
 ところが、2回目の旅行では”或る歯医者の奥様”が何故か「私も行く」と仰ったそうで、この歯医者だけ同伴に成りました。解るでしょ、「やるパック”マン喫”旅行」に奥様同伴とは。この歯医者だけは昼間は別行動で動物園や水族館を巡ったそうです。ところが困るのが夕食とカラオケですよ、1回目の旅行でもタイ人の姫君同伴でカラオケに行きました、場合に依っては翌日の夕食に姫君同伴です。カラオケは奥様同伴のその歯医者だけ出なければ済みますが夕食は一緒に取らない訳には行きません。しかし奥様の前でヤバイ話は出来ませんから結局皆ダンマリです。それで全員がシラケて仕舞ったのです。
 後でこのグループと飲みに行ったら、どうも良からぬ噂が奥様に漏れていたらしいのです、まぁ良く在る事ですが。それで私が「奥様にサービスが足りなかったのでは?、プーケットでして上げましたか?」と言ったら「馬鹿、プーケット迄行って嬶(かあ)ちゃんなんかと出来るか!」ですと、まぁ気持ちは解ります。この歯医者は私より5歳位年上です。例の歯科医師は「参った、参った、疲れた上に”金をドブに捨てる”旅行に成って仕舞い、何しに行ったか解らないよ。」とぼやいてましたね。「然もありなん」です、オッホッホ!!

                ◇◇◇

 でも1回目(=2005年)の旅行は滅茶滅茶面白かったですね。そして私が「鯰の塩焼」を食った事で去年のスマトラ島沖地震の厄払い(※19の[2])が出来たのではと勝手に思ったりしました、プーケット島の皆さん有難う!!
 これでプーケット島の旅行記を終わります。読者の皆さん、どうも有難う御座居ました!!

♪♪♪ おしまい ♪♪♪

【脚注】
※1:バカンス/ヴァカンス(vacances[仏])は、(主に保養地などで過す長期の)休暇。バケーション
※1-1:バケーション/ヴァケーション(vacation)は、学校・会社などのやや長い休暇。→バカンス

※2:「やるパック/ヤルパック」とは、日本航空のJALパック(JALPAK) -同社のパッケージツアー- を捩ったもので、タイや韓国などでセックス主体(=やる)の旅行を指す隠語。
※2-1:パッケージツアー(package tour)は、旅行業者などが主催して一般から参加者を募集し、運送・宿泊・観光などを一括した旅行費用を集めて行う旅行。パックツアー。

※3:ko はタイ語で「島」を表します。

※4:パラセール(parasail)とは、(parachuteとsailingから合成)パラシュートを付けて、自動車又はモーターボートに引かれて、空中に舞い上がるスポーツ。パラセーリング(parasailing)。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※5:ラガービール(lager beer)は、貯蔵タンクで熟成させたビール。日本では、多く、醸造後に加熱殺菌して貯蔵に適する様にしたものを指す。貯蔵ビール、貯蔵熟成ビール。←→生ビール。
※5-1:生ビール(なま―、draft beer、draught[英] beer)は、醸造した儘で、殺菌の為の加熱を行わないビール。生(なま)。ドラフトビール。←→ラガービール。

※6:浅黄斑(アサギマダラ)は、マダラチョウ科の大形のチョウ。翅は青灰色半透明で、前翅の翅脈と外縁に沿う部分は黒く、後翅の翅脈と外周部は濃褐色。幼虫の食草はガガイモ科の植物で、年に数回発生。長距離移動をする。

※7:犀鳥(さいちょう、hornbill)は、ブッポウソウ目サイチョウ科の鳥の総称。嘴は極めて長く大きくて下方に曲る。上嘴の基部から頭上に掛けて兜状隆起物が在る。繁殖期に雌が抱卵・育雛する間は樹洞内に閉じ籠もり、僅かに嘴が出るだけを残して入口を粘土で塞ぎ、雄が食物を運ぶ習性が在る。アフリカ/インド/東南アジアの森林に約45種。その一種のサイチョウは、大形で全長約1m。主に黒と白の羽色。マレーシア/インドネシアに分布。名前の由来は頭部に在る兜状隆起物がサイの角を連想させる事に依る。

※8:上座部[仏教](じょうざぶ[ぶっきょう]、Theravada[パーリ語])とは、〔仏〕部派仏教の一派。仏滅後百年頃、仏教教団は保守的な上座部進歩的な大衆部に根本分裂し、後上座部は更に説一切有部(せついっさいうぶ)など多くの部派に分裂した。東南アジアに伝わる仏教(南伝仏教)はこの上座部の流れに属する。
 補足すると、上座部仏教とは即ち小乗仏教のことであるが、小乗とは大乗の立場から批判的に言ったものなので、上座部仏教と呼んだ方が良い。

※9:北京ダック/ペキンダック(ぺきん―、Peking duck)は、[1].アヒルの一品種。中国原産。全身白色。
 [2].カオヤーズ(烤鴨子)に同じ。
※9-1:カオヤーズ(烤鴨子[中国語])は、丸焼きにしたアヒル(鶩)の皮を削ぎ下ろして、ネギ・甘味噌と共に薄焼きの小麦粉の皮に包(くる)んで食べる料理。代表的な北京料理北京ダック

※10:顔見せ(かおみせ)とは、娼婦を置く特殊料理店(←遊郭跡に多い)や風俗店で、客が予め娼婦の顔を見てから選択指名出来るシステムのこと。芝居の「顔見世興行」からの転用か。
 因みに、昔の遊郭で言われた「顔見世」とは、遊女などが初めて勤めに出る時、揚屋や客などを回って挨拶すること、で意味が異なる。

※11:トローリング(trolling)は、走る船から、餌又は擬餌を付けた釣り糸を流して、カツオ/カジキ/シイラなどの大形魚を狙う釣り。

※12:メラネシア(Melanesia)は、(黒い島の意)南太平洋の島々の内、経度180度以西の諸島の総称。パプアニューギニア/ソロモン諸島/バヌアツ/ニューカレドニアなどを含む。住民はパプア人メラネシア人マナ観念が見られる。

※13:叩き/敲き(たたき)という料理は、[1].魚、又は鳥獣の肉などを庖丁で叩いて作った料理。仁勢物語「汁菜は干菜蕪(かぶら)か穂蓼(ほたで)かも我が住む方の海人の―か」。「鰺の―」。
 [2].節取りをしたカツオの表面を焙り、厚めに切り薬味を掛けて庖丁の腹で叩いて味が浸み込み易くした料理。土佐作り。表面を焙るのは、寄生虫を殺す為。

※14:インゴット(ingot)は、溶融した金属を型に鋳込んで固化させたもの。これを加工して製品にする。鋳塊。鋼塊。

※15:ビタミンD(―ディー、Vitamin[独] D)は、魚類の肝臓/卵黄などに多く含まれる脂溶性ビタミン。血液中のカルシウムの量の調節に関係し、この欠乏は佝僂病(くるびょう)と成る。有用なものはD2(エルゴカルシフェロール)及びD3(コレカルシフェロール)。エルゴステロールから生成する。
※15-1:痀瘻病/佝僂病(くるびょう、rickets)とは、ビタミンD不足に因る小児の骨の形成異常。ビタミンDは皮膚で前駆体から光線に依り生成される為、日照の乏しい地方に発症し易い。カルシウムの吸収が妨げられ、骨端軟骨の化骨が進まず、骨が軟らかく、脊柱・四肢などの発育不全、異常な湾曲を生ずる。

※16:アクロバット(acrobat)は、軽業(かるわざ)。曲芸。又、それをする芸人。軽業師

※17:エー・ティー・エム(ATM)は、
 [1].asynchronous transfer mode。非同期転送モード。マルチメディア通信を効率的に行う為の伝送・交換技術。
 [2].automated teller machine。キャッシュ・カードや預貯金通帳を使用して、金融機関の預入れ・払戻し・振込みなどを自動で行える機械。現金自動預入れ支払い機

※18:東屋/四阿/阿舎(あずまや)とは、(東国風の鄙びた家の意)
 [1].hip roof。四方へ檐(のき)を葺き下ろした家屋。寄棟(よせむね)或いは入母屋造。正倉院文書「草葺―一間」。
 [2].bower。四方の柱だけで、壁が無く、屋根を四方葺き下ろしにした小屋。庭園などの休息所とする。亭(ちん)
 [3].催馬楽(さいばら)の曲名。
 [4].源氏物語の巻名。宇治十帖の一。

※19:鯰(なまず)は、[1].catfish。ナマズ科の淡水産の硬骨魚。体は長く伸び、50cmに達する。頭部は扁平で、口は大きく4本の長い口髭が有る。体表は滑らかで鱗が無い。背部は青黒く、腹部は白い。食用。日本/朝鮮半島/東アジアの沼/川に多く、春小流に来て産卵する。魚・エビ・カエルなどを捕食。体色の変化が多く、橙色のヒナマズや白色のシロナマズが居る。季語は夏。〈新撰字鏡9〉。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 [2].(ナマズが地中に居て地震を起すとの俗説から)地震のこと。
 [3].鯰髭の略。
 [4].鯰坊主の略。

※20:同床異夢(どうしょういむ)は、身は共に在り乍ら互いに心が離れ、又、共に事を為し乍ら意見を異にすること。

※21:リアス式海岸(リアスしきかいがん、rias coast)とは、(イベリア半島北西岸で「入り江」をリア(ria[スペイン])と呼んだ事から)起伏の多い山地が、地盤の沈降又は海面の上昇に依って海面下に沈んで生じた海岸。湾/岬/島などが存在する出入りの多い複雑な海岸地形を造る。三陸海岸志摩半島など。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『県別日本人気質』(河出書房新社編・発行)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):プーケットの地図▼
地図-東南アジア(Map of Southeast Asia, -Multinational-)
参照ページ(Reference-Page):地震について▼
資料-地震の用語集(Glossary of Earthquake)
参照ページ(Reference-Page):阪神タイガースは猛虎か眠り猫か?▼
エルニーニョの「六甲おろし(六甲颪)」(The Rokko-Oroshi)
補完ページ(Complementary):プーケットを襲った津波被害▼
2004年・年末のスマトラ島沖地震
(Sumatran earthquake of the end of year, 2004)

補完ページ(Complementary):パラセーリングはセスナ機に乗った時と
同じく実際の飛行時間は短い▼
2005年・空から大阪の古墳巡り(Flight tour of TUMULI, Osaka, 2005)
2005年の日本シリーズで阪神はロッテに4連敗▼
2014年、やっぱりトホホの和田阪神
(As I thought, Wada-HANSHIN is 'Tohoho'-smile, 2014)

泡盛について▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)
顔見せの飛田新地▼
阪堺電車沿線の風景-大阪編(Along the Hankai-Line, Osaka)
ハッカチョウ(八哥鳥)とか私が阪神淡路大震災の被災者で在る事▼
エイが向かいし島「江井ヶ島」(Rays went toward Eigashima, Kinki)
この台湾女性に見覚え有りませんか?
2004年・台湾”味試し”旅(Let's banquet and sing in Taiwan, 2004)
私は糞真面目・四角四面・野暮な日本人が大嫌い▼
「文化スケベ学」とは何ぞや?(What is the Cultural Sukebelogy ?)
自己責任型社会や偽善について▼
片手落ちの綺麗事を払拭せよ!(Sweep away unbalanced virtue !)


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