2004年・台湾”味試し”旅
[2004年台湾の旅#1]
(Let's banquet and sing in Taiwan, 2004)

-- 2004.08.31 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.02.10 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★---暫くお待ち下さい(Wait a minute)---★

 ■はじめに - ひょんな経緯(いきさつ)

 04年夏、私がシルクロードの旅から帰国して直ぐに、ひょんな事から急に台湾に行く事に成りました。何故に?、別に大した理由は有りません。大阪はミナミの某ラウンジ -この店のママは台湾出身で女の子達も台湾や中国出身者ばかり、因みに店の名は「メロディー(宗右衛門町)- の女連中が盆休みを大阪くんだりでボケーッとしててもしゃあ無いやんけ、ということで台湾に一時帰国する事に成ったのですが、これにこの店の客(=男連中)が相乗りして台湾旅行が企画された訳なのですが、何故か私も担ぎ出され「行くか?」、「行く」と実に簡単に話が決まって仕舞いました。
 まあ、こういう場合の”尻軽さ”が私の身上なのですが、何と言っても中途半端な拘泥りに囚われて居る日本よりは、食文化が骨太で野性味に富み且つ安い台湾なら面白かろうと思ったからです。結果的に以下の様な旅程でした。

  8/15(日) 関空 → 台北、台北の夜市で宴会 (台北泊)
    16(月) 台北で温泉&宴会&カラオケ    (台北泊)
    17(火) 台北 → 台南、台南で宴会&カラオケ&”H”
          台南 → 台北、台北で宴会    (台北泊)
    18(水) 台北散歩、台北 → 関空、夜はラウンジで打ち上げ


 この様に今回は”ちょんの間”ではありましたが、ひたすら「飲めや食えや歌えや、ハレルヤ!」の”味試し”旅(※1)を決行出来ました。
 尚、台湾の地図は
  地図-台湾(Map of Taiwan, -China-)

をご覧下さい。

 ■台湾”味試し” - 飲めや食えや歌えや、ハレルヤ!

 (1)8月15日(日)
写真1-1:台北でヤムチャのお姐様方。
 8月15日の午前中、関空から日本アジア航空の便で飛び立って台北に昼過ぎに着きました、時差は1時間、まあ詳しい時間はどうでも良いのです、私の場合は。それよりも夏休みの所為か関空も畿内も、従って台北空港もヤタラと混雑して居ました。
 先ずは空港で両替してから台北市内のホテル(Ψ1)に直行して取り敢えずチェックインし荷物を置いて一休み。そしたら直ぐにヤムチャ飲茶、※2)の店(Ψ2)に行くと言うので慌てて付いて行きました。この店は大変繁盛して居て20分位待たされ、やっとのことで席に着き先ずはパチリ(右上の写真)。
 この写真でヤムチャして居る面々が今回の引率者のお姐様方(左端が台北出身の美加ママ、彼女はタイ国プーケット島にも行って居ますよ)ですので、以後お見知り置きの程何卒宜しく~ッ!!{このリンクは2015年2月10日に追加}

                m(_=_)m

写真1-2:ヤムチャの点心。 そもそも今回の旅では往復の国際便チケットを渡されてただけで、旅程については何も聞かされて無かった、ということに私は台北に来てから初めて気が付きましたが改めて聞く気も起こらず、台湾旅行を祝しビールと紹興酒(※3)で乾杯!
 当ては点心(※2-1)です(左の写真)。茹でピーナッツ、鶏料理、透明な皮の饅頭、焼きソバ、スープなどなどを次々と注文しました。私はこの料理と酒を充分に堪能した後でお茶を飲み、ヤムチャを果たしましたゾ。結構なお手前でした!
 結局これが今日の「昼食」です。えっ、機内食を食っただろって?、あれは「朝食」でした!
写真1-3:士林夜市の光景。
 一旦ホテルへ引き返しシャワーを浴び休憩してから夜の街に繰り出しました。先ずは基隆河の北、圓山大飯店近くに在る士林夜市(右の写真)です。「夜市(Night Market)」と言うのは台北の屋台街です。
 しかし日曜の夜9時過ぎにこれだけ賑わうパワーは並み大抵では有りません。美加ママの話では昔は食い物屋の屋台もこの通りに出て居たそうですが、今は食い物屋は1箇所に集合して居ます。我々はそちらに向かいました。
写真1-4:士林夜市の中の通化街夜市の「関東煮」の店。
 ここが士林夜市の中の食い物屋の集合区域、通化街臨江観光夜市です。ここで私は面白い屋台を見付けました、何と「関東煮」の赤提灯です(右の写真)。
 私は日本の「おでん」のルーツを現在追跡中なのですが、これって大阪ではカントダキと発音するんでっせ!!
 


写真1-5:士林夜市の中の通化街夜市の「日寿司店」。 そしてもう一つが「日寿司店」という看板を出して居る寿司屋の屋台です(左の写真)。「日」は日本式或いは日本風という意味です。短冊に書いて在るメニューを見ると「××手捲」(=手巻き寿司)、「鐵火捲」(=鉄火巻)、「××魚片」(=お造り)、「腐皮寿司」(=稲荷寿司)などと在り、カウンターには客が数人座って居ます。
 しかし「郷に入れば郷に従う」私は日本風は避けて、別の屋台で”腐り掛け”のイカのスープ餡掛けお好み焼きという純台湾的料理を缶ビールと一緒に飲み下しました、ヘッチャラでっせ!
 又、寒天入りレモンジュース(※4)も飲みました、甘酸っぱくて美味かった。
写真1-6:雙城街で売っていたバンレイシ。
 屋台で「夕食」が済んだので、帰り掛けに中山北路3段裏手の雙城街に寄りました。中山北路は嘗て日本統治時代に建設された広い通りで、戦前は「宮前通り」と呼ばれて居て、戦後孫文の号が冠せられました。
 ここも通りにズラッ屋台が並んで居て、果物店には右の写真のバンレイシ(蕃茘枝)(※5)が在りました。大仏の頭の様な形をして居るので別名を釈迦果或いは釈迦頭と呼ばれて居る果物で、台湾で良く見掛けました。小型のメロン位の大きさで、この大イボの所を摘まんで、もぎ取って食べます。
写真1-7:雙城街の鍋料理の屋台。
 右は鍋料理の屋台です。「素食火鍋」「鮮味海鮮鍋」「鮮味什錦鍋」などの鍋物の他に「炒飯」(=焼き飯)、「炒麺」(=焼きソバ)、「什錦麺」(=ラーメン系)などのメニューも見えて居ます。
 隣の屋台では牡蠣鶏の丸焼き鶏の精巣腸詰めなどを売っていて、ミミちゃんが鶏肉を買って帰りました。
 


写真1-8:雙城街のレストランの料理。 夜市を暫く歩いて腹が減ったのでレストランで「夜食」(Ψ3)を食いました(左の写真)。この写真の左上が蜆(しじみ)の酒漬け、右上が茸の八宝菜、右下がこの店自慢の赤芋粥で、どれも美味でした。中国は大陸でも台湾でも「お粥文化」です。
 中でも「蜆の酒漬け」は台湾の名物料理で、大き目の活きた蜆を酒と醤油と味醂とニンニクで漬け込んだもの酒の肴には最高でお粥にも良く合います。因みに日本人は最初は下痢するらしいですよ。日本の松江(=宍道湖)の蜆なんて大した事は無かったですが、これは本当に旨い!!
 ここ迄食えば心もハレルヤ!

 こうしてホテルに帰りましたが、”味試し”はこれで終わった訳では無く、夕方コンビニで買い溜めしたビールや現地の焼酎(=高粱焼酎)を飲み乍ら夜市で買った「焼いた鶏の脚や首」を美加ママの部屋で食いました。これは深夜の「お八つ」です。

 (2)8月16日(月)

 16日の朝はオカズを色々自分で選べる方式の大衆食堂で「朝食」、私はと焜炉で温めて呉れるカレイの煮付けを食いました。そして午前中は市内見物と言うか、「お姐様方のお買い物」のお供です。先ず台北市で一番高い101階のビル・台北101大楼(TAIPEI110)(信義区)にタクシーで行きました。下の2枚が101大楼の威容です。私は最上階に登り市内を一望したかったのですが、このビルは一部未完成で最上階には行けないとのことなので諦めました。何しろ101階ですから最上階は300m位の高さの筈です。今後このビルが台北市のシンボルに成ることでしょう。
写真2-1:台北101大楼-その1。写真2-2:台北101大楼-その2。
 低層階のテナントは既に開店して居て -つまり”半開き”状態(→帰国後、全面オープンの報有り)- エスカレータで行くことが出来ます。そういう訳で私はお姐様方にくっ付いて101大楼の中をウロウロして居ましたが、急に思い付いて記念にTシャツを買いました。台北市は超モダンに変貌中です!

 台北市は西の中正区プレ・モダンとモダンなビルが混在する旧市街の中心で、海岸に沿って国内を一周して居る鉄道の起点・台北駅が在り、裏通りには生活の匂いのする商店や飲食店や市場などが在ります。中正区の表通りはビルの高さ制限が有るのでしょうか?、高々10階建て止まりです。
 それに対し市内東側の信義区には、市庁舎が在り101大楼貿易センタービルなどの超高層ビル群が建ち並び、更には建築中のビルも多く行政の中心として超モダンに変貌しつつ在る新市街です。
 旧市街と新市街を東西に結ぶのが市民大道で、更に縦横にバスと地下鉄が走って居ます。そして市の中央を南北に走る復興北路・復興南路にはモノレールが走って居ます。復興北路の北には松山区が在り、ここには国内便の飛行場・松山空港が在ります。又、台北駅と台南駅間は1~2年の内には超特急列車(=新幹線)で結ばれる予定です。
 因みに国際空港(=中正空港)は市内から西に6km程離れた桃園県に在ります。


 昼食には華西街観光夜市という海鮮市場に行ってみました。アーケードの入口には「北海道新鮮魚」と書いた看板が掛かって居ました(左下の写真)。
 アーケードの中には海鮮の食材や料理店、そして鼈(スッポン)料理店などが在りましたが、ここはやはり夜がメイン、未だ午後2時前だったので閉店が多かったですね。
 そんな中でお姐様方の中で唯一人”大陸”出身(=上海)のミミちゃんは所謂一つの「大人のオモチャ屋」を見付け、白昼堂々と入って行き、”何やら”のお土産を買って居ました(右下の写真)、ムムムッ?!
 ミミちゃんは如何にも大陸的ですねえ、根性が座ってまっせ...(~O~)。
写真2-3:華西街観光夜市のアーケードの門。写真2-4:華西街観光夜市の「大人のおもちゃ」の店。

写真2-5:坦仔麺の店で伊勢海老をパクつくミミちゃん。 それから担仔麺の店(Ψ4)で「昼食」です。伊勢海老の姿造り(左下の写真)や焼き貝を食いました。ミミちゃんも寿司をパクついて居ますね(右の写真)。この店は日本人客が多いそうで、この日も別のテーブルに商社マンらしき日本人が居ました。我々は勿論ビールを注文し、その後持ち込みした高粱焼酎を飲み干しました、もう最高!!
 そして最後は残った伊勢海老の味噌汁(右下の写真)。右の端にスプーンが見えてますね、これで食えと言ってるのでしょう。確かに味噌汁はジャパニーズ・スープですが、しかし私は日本人、日本式にズルズル音を立てて戴きました。
 何れの料理も味は絶品でした、心もハレルヤ!

写真2-6:坦仔麺の店の伊勢海老の姿造り。写真2-7:坦仔麺の店の伊勢海老の味噌汁。
写真2-8:檳榔で口の中が真っ赤な私。写真2-9:台北市内の檳榔店の看板。
 ところでホテルに戻るタクシーの運転手が檳榔(びんろう)の実(※6、※6-1)を噛んで居たので、1個貰って噛んでみました、不味い!
 運転手曰く、「眠気覚まし」だそうです。左の写真が檳榔の実で口の中が真っ赤に成っている私、これ自分で撮ったものでっせ。
 右の写真は後日撮った台北市内の檳榔店の看板です。市内はこの程度で済んで居ますが、郊外店の看板はネオンが点灯し、しかも店内には必ずカワユイ姐ちゃん(=小姐(xiaojie))(※7)が居て”怪しい”雰囲気が有ります、何でしょうかねえ、あの小姐は???

写真2-10:ホテルから北の陽明山を望む。 右がホテルの部屋から真北の陽明山を望んだ風景で、直線距離で2km位です。午後3時頃にホテルで男連中2人と合流し、夕方にはその陽明山の温泉に行くことに成っているので暫く休憩。
写真2-10-2:圓山大飯店。 温泉場にはタクシーで行きました。車は中山北路を北に進み圓山大飯店(左の写真)の西を抜け、西から回り込んで山を登って行き、約20分位で温泉場(台北市北投区)に着きました。
写真2-11:台北市北投区の温泉街の風景。写真2-12:入浴している私。
 左は温泉場を少し行き過ぎて、西日を遮り乍ら歩いて戻って来る仲間たちです。「川湯」とか「櫻崗」という看板が見えて居ます。
写真2-13:浴室の窓から見える101大楼。 右が我々が入った温泉の湯殿(Ψ5)で、私が入浴して居ます。
 更に右下が浴室の窓から見える101大楼です。
 入浴後は裏庭で夕涼みし乍ら生ビールを飲みました。ここは刺身や寿司などの日本料理の店で、お姐様方の一人は手巻き寿司を食べて居ました(←台湾人は刺身も食います!)。良く見るとこの辺り一帯には桜の木が植えられて在り、屹度春先は花見に絶好でしょう(多分見頃は沖縄と同じ頃)。そんな事を話して居た時、1匹のイトトンボが飛んで来たので私は早速撮影しました、それは写真集の「私の昆虫アルバム・外国編」に掲載いますので、ご覧下さい。

 さあ、この後は市内に戻り大宴会です。今夜は台北出身のお姐様の知り合いが遣っている「100元美食」が売りの居酒屋(Ψ6)で「夕食」、先ずは飲めや食えや!、ここでもビールと紹興酒で乾杯。
写真2E-1:「居酒屋」での宴会風景。写真2E-2:「居酒屋」で、台北のお姐様。
 左が全員の宴会風景、仲間が増えているでしょ。周りには他の客のテーブルが犇(ひし)めいて居て騒然として居ます、そこが居酒屋。
 右は全員写真を撮った時に席を外してたお姐様、昔は日本で働いてましたが今は台北に住んで居ます。彼女には中国茶の緑茶をお土産に貰いました、サンキュー!
写真2E-3:「居酒屋」の鯛の煮付け。
 さて料理ですが、ここではどれも一品100~200元位で安くて美味い!、そこが居酒屋です。
 先ず最初に海老の姿造り蜆の酒漬けを食いましたが、これは既に写真を載せてますので割愛。
 左の写真は日本のキンメダイの様な鯛の煮付けを鍋で暖めている所です。
 左下の写真はケチャップを掛けた茹でトコブシ(※8)です。
 右下の写真の左の皿は豚の腸の唐揚げ、右の皿は蒸し鶏です。
写真2E-4:「居酒屋」のトコブシ料理。写真2E-5:「居酒屋」の豚の腸の料理と蒸し鶏。
 料理は他にも色々出たのですが多過ぎて忘れました、アッハッハッハ!

 さあて、お次は「夜の部」です。お姐様方の表情をご覧に入れましょう。
写真2E-6:「居酒屋」で、美加ママ。写真2E-7:「居酒屋」で、ミミちゃん。写真2E-8:「居酒屋」で、エリちゃん。 写真は、左から美加ママ、中央がミミちゃんと台北のお友達(彼女も日本で働いて居たそう)、右がエリちゃんです。
 皆楽しそうですね。
写真2E-9:「居酒屋」のママと妹。
 右の写真の2人はこの店を経営して居る姉妹です、右がお姉さんで店のママ。この日はビールをじゃんじゃんサービスして呉れました。
 美人揃いで心もハレルヤ!


 飲んで食った後は、カラオケで~す、いざ歌えや!、レッツ・ゴー!!
 カラオケと為ると、やはりエリちゃんです、いやあ表情出てますねえ(左下の写真)。中央下は先程の居酒屋のママが歌に合わせて踊っている所です。
 右下の写真はこの店(Ψ7)の茱莉(じゅり)ちゃんです。年に一度は日本に来ているそうですよ。
写真2E-10:カラオケで、エリちゃん。写真2E-11:カラオケで、「居酒屋」のママ。写真2E-12:カラオケの店員、茱莉(じゅり)ちゃん。
写真2E-13:真夜中に営業する粥レストラン。
 歌い終わって居酒屋のママと別れて、ホテルへ帰るのかと思いきや帰りません、余程帰るのが嫌いな人種なんですねえ、我々は。歌ったら腹が減ったという訳で、真夜中に営業して居る粥レストランで「夜食」です(左の写真)。私はとオカズに蜆の酒漬けジャコを食いました。蜆の酒漬けは粥のオカズに最高!
 とことん食って心もハレルヤ!
 

 (3)8月17日(火)

 今日は台南に行きます。コーヒーとサンドイッチホテルで「朝食」し、至近距離の松山空港に向かいます。
写真3-1:松山空港の風景。写真3-2:台南空港の入口。 左の写真が松山空港で待機して居る国内便、背後の山には昨日行った温泉場が在ります。そして40分位飛べば呆気無く台南に着きます。台南には昼前に着きました。
 右の写真が台南空港のエントランスです。

  ◆台南市

写真3-3:台南のレストランの食材。 台南はエリちゃんの出身地、早速エリちゃんお薦めのレストラン(Ψ8)で「昼食&カラオケ」です。入って直ぐのフロアはパーティーや披露宴用の広い宴会場ですが、我々は個室に案内されました。そして早速食い物の材料を見に行って指差して注文しました。
写真3-4:台南のレストランの鶏の精巣。 左の写真が魚や鳥や豚肉の食材です。日本の影響で刺身のネタとか生魚が豊富に有ります。
 我々は前日から夜市で売ってた鶏の精巣を食いたい、キンタマ食いたい、と言い合って居ましたが、右の写真ががそれです。美味かったですよ精巣、鱈(たら)の白子の様な味でした。
 私は、この様に「形有る物をバリバリ食う」為にわざわざ台湾迄付いて来たのです。

写真3-5:台南のレストランの生簀の海水魚。写真3-6:台南のレストランの昼食風景。 左の写真は生簀の海水魚鱓(うつぼ)(※9)とか鰻(うなぎ)が見えて居ます。
 右がビールと紹興酒で乾杯した後の宴会風景、ミミちゃんが箸で摘まんで居るのが又もや伊勢海老の姿造り、その手前の鍋で煮込んで居るのが鮑(あわび)と鶏のスープです。他に蛙の姿炒めやこの地方特産のカラスミ(※10)などなどです。これで精巣卵巣を同時に食ったことに成ります。
 もう一つ、我々は海鼠(なまこ)のスープを食ったのですが、ここで食ったのか前日の居酒屋で食ったのか忘れて仕舞いました、ワッハッハッハ!

 そして最後が鼈(すっぽん)鍋(※11)です。先ずワイン割りの血を飲み、生の内臓を食い、肉や甲羅を鍋で煮込んで食いました。そして極め付きが丸雑炊(※11-1)で、左の写真は雑炊が湯気を立てている所です。つまりは鼈のフルコースなのです。写真3-8:台南のレストランでカラオケ。
写真3-7:台南のレストランでの「丸雑炊」。
 飲んだら食え、食ったら歌え!、という訳で昼の1時半にして早くもカラオケです。因みに "karaoke" は日本発の国際語ですが、大陸でも台湾でも中国人のカラオケ好きは日本人以上で呆れる程です。右の写真はミミちゃん、しんみりと歌って居ます。ここはその場で食い乍ら歌えるんでっせ!!

 午後3時頃に昼食&カラオケを終え、お姐様方の内の誰か(多分エリちゃんか?)が設定した企画に従って、車で”H”な小料理屋(Ψ9)に連れて行かれました。ここは台南県では無く隣の高雄県です。ミミちゃんも見届け人として付いて来ました。
写真3-9:高雄県の「愛香小吃部」の看板。 左が店の2階に掛けられた「愛香小吃部」の看板です、「愛香」とは何と無くソレっぽいですね。そして広辞苑を引くと「吃(きつ)」は「喫」に通じると在ります(※12)ので、日本的に翻訳すると「愛の香りの喫茶室」という意味に成ります。この看板が無ければ何の変哲も無い普通の田舎の家です。
 未だ4時で外は明るいのですが、案内のオバハン(→後出)に勧められる儘に中に入り2階の個室に通されると、もう満腹だと言ったのに茹でピーナッツ茹でイカ魚のスープ鱚(きす)の天麩羅が用意されて居て、田舎臭い小姐(※7)が数人入って来ました。我々は仕方無く不味いビールを飲みました。写真3-10:「愛香小吃部」での私。
 案内のオバハンは矢鱈と隣の小姐の「オッパイ触れ」と強引に勧めるので、そうしました。右は小姐のオッパイを揉む私です。この時忘れずに私のデジカメでこの写真を撮って貰ったのは、自分で言うのも何ですが流石です、これぞプロ根性でっせ!
 ここでの「遊び」は単純です。サイコロ振って小姐が負ければ服を1枚脱ぎ、私が負ければ100元を現金で支払うのです。服と言ってもブラウス、スカート、スリップ、ブラジャー、パンティ程度なので、10回位サイコロ振ってる内には相手はスッポンポンに成り、そこでもう1度勝てば「アソコを触れる」という仕組みです。
 案内のオバハンに訊いたら、嘗ては”本番”OKでしたが今はダメ。しかし小姐の居室が幾つか在る訳ですから、強引に”本番”に持ち込むことは可能と診断しました、その後どうなるか知りませんが、...(-_@)。
 尚、現在2週間の限定で「スッポンポンのその後で」(ココをクリック)のサービスを特別公開して居りますので、是非この機会にご覧下さい(←但しパスワードが必要です)。
                (^o^)


写真3-11:「愛香小吃部」近くの寺の本堂。 時間が経つのは速くもう5時です、そろそろ出なくては行けません。と言うのは再び台南空港へ引き返し6時半頃の便で台北に戻らねば為らないからです。ここから空港迄は車で30分以上掛かるのです。
 外に出て周りの景色を撮影しようと少し歩いたら驚きました。「愛香小吃部」の店は塔楼を2つ持つ大きな寺の参道に在るのです(右の写真が寺の本堂)、しかも斜め向かいが児童託児所(右下の写真)で、門には赤字で「私立薦善託児所」と在り、1~3歳児を募集する貼紙が貼って在りました。
 右の写真の本堂の扁額には寺の名が「玉門普蔵」(←古い字は右から読む)と書いて在りますが、「玉門」(※13)とは女性の陰門の異称です。これは出来過ぎでっせ、ムッフッフ!
写真3-12:「愛香小吃部」近くの託児所。 参道西口や本堂の東に在る山門の扁額には「金華賓殿」(←同じく右から読む)と在ります。更に西口山門と大通りを挟んで向かい側は小学校なのです。
 そして下の様な風雅な岩も有りました、何やら神聖な場所と言った雰囲気です。
写真3-11-1:風雅な岩。

 ここで述べた立地を下に▼解り易く図示▼しましょう。 

                  
                  ↑
     │  │                     2つの塔
     │  │   「愛香小吃部」  風雅な岩    │ ○ │
     │  │             △     │ ○ │
  小学校│  └+───────────────────┘   └+─
     │  ┌+───────┐┌────────┐   ┌──+─
     │  │西門      ││  □     │ □ │  東門
     │  │        ││ 私立薦善    寺の本堂
     │  │        ││  託児所   「玉門普蔵」
        <------------------------->
               約120m位


写真3-13:「愛香小吃部」の残飯を貰う猫。写真3-13-1:案内のオバハン。 左の写真のは我々が食べ残したイカや魚を貰って食って居ました。お前は上手くメシに有り付いたニャ~オ。尚、日本の猫の写真集はこちらです。
 最後にお世話に為った案内のオバハンを右に載せて置きましょう。

 ところで「私立薦善託児所」(上の写真)の立地条件はご立派です。ここで”人生の真実(まこと)”を幼い時から見て育つ子供は将来屹度大物に成るでしょう!!

 ここに来る時乗せて貰った車がトラブルで発進出来なく成ったので、我々は急遽タクシーで空港へ全速力で向かいましたが、途中西の地平線に真っ赤に沈む大きな夕陽を見て、私は清々しく心が洗われる心地がしました!

                (^O^)

  ◆再び台北市

 ということで台北に戻ったら台風の影響で雨、そこで一旦ホテルに戻り傘を差して出掛けると言うので、晩飯に行くのか?、と思いきやお姐様方がお買い物だとか。特にミミちゃんがチャイナドレスが欲しいそうで、他に行く宛ても無い私は美加ママが以前買った店迄付いて行きました。そこは仕立て屋兼ドレス販売の店ばかりが2階のフロアを占めるビルでした。ミミちゃんは迷いに迷って左下の写真のドレスと別のチャイナドレスを買いました。
 このドレスはお店で着るそうですので御期待下さい!
写真3-14:ドレスを試着するミミちゃん。写真3-15:ドレス屋で遊ぶ私。
 私は待ち草臥れて店に在ったパッドをTシャツの下に入れて遊んで仕舞いました(右上の写真)、後ろでお姐様が笑って居ます。


写真3E-1:鶏鍋屋で美加ママと妹夫妻。 やっとのことで、美加ママお薦めの鶏鍋屋(Ψ10)で「夕食」です。店のテーブルに着いたのは11時過ぎでした。美加ママの両隣はママの妹夫妻です。
 そして例に依ってビールと紹興酒で乾杯して、先ず前菜を食い、それから鶏鍋です。ここの鶏鍋は変わっていて、最初に塩味のアサリ鍋を食い、食い終わった煮汁にタレを足して、前の煮汁+鶏鍋を食い、次に前の煮汁+茸鍋(左下の写真)、次に前の煮汁+うどん鍋、次に前の煮汁+ヘチマと赤芋鍋(右下の写真)、という具合に常に前の煮汁に具を継ぎ足して行くのです。これが実に美味い!!
 ここ迄無駄無く食えば、心もハレルヤ!
写真3E-2:鶏鍋料理-その1。写真3E-3:鶏鍋料理-その2。
 この店を出たのがもう午前1時過ぎ、今宵は真っ直ぐホテルに帰りました。もう雨は上がって居ました。

 (4)8月18日(水)
写真4-1:帰国を前にホテルでお姐様方全員集合。
 早くも帰国の日に成りました。午前中は各々自由行動、私は何か台湾らしい風景を撮ろうと10時に散歩に出掛けました。台湾で目に付くのはバイクとコンビニと喫茶店で、これらについてはこちらの特集を参照して下さい。
 今日は台風の影響で非常に蒸し暑く、12時前に部屋に戻り再びシャワーを浴びてからチェックアウトしました。
 そしてホテルのロビーでお姐様方の記念撮影(右の写真)、はいチーズ!

 美加ママ、エリちゃん、ミミちゃんが我々と一緒に帰国します。そして何と今夜店を開けるそうですゾ、この「タフさ」には敵いません!!
 さらば、イラ・フォルモサ(※14)、...(^O^)/

 ■結び - 島国と海に適応した漢民族

 如何でしたでしょうか?、今回は「心もハレルヤ!という語をキーワードにして記述してみました。その心は、何も考えずに「飲んで食って歌う」と「心がスッキリ晴れて来る」という訳です。これで副題の「飲めや食えや歌えや、ハレルヤ!」の奥深い意味がお解り戴けたことと思いますが、オッホッホッホッホ!!
 それにしても、ちと私が出過ぎでしたかね、まあこれも座を盛り上げる為、お許し下さい。まあ以上の様に様々な料理の”味試し”をして来ましたが、台湾の味は基本的には広東風の様で、まあそれは当然なのですが(※15)、台湾の方が更に甘口です。私は味付けに於いては広州(=広東料理の本場)(△1)に一歩譲ると感じました。△1の著者は台湾の台南市生まれですが、その著者が「食在広州」(△1のp10)と言って居るので間違い無いと思いますが、皆さんはどうでしょうか?
 但し台湾に在り広州に無い料理としては海鮮料理ですね。広州や上海など、海鮮料理と言っても”大陸”では基本的には淡水性の食材が中心ですが、台湾では伊勢海老や鯛や貝類など海水性の食材を可なり摂り入れ、しかも日本と同様に刺身文化を受け入れている点が大きな特徴です。それは台湾の漢族が”島国と海(海鮮料理)”という地理的条件と環境の変化に少しずつ適応して来た結果と言えましょう。元々漢民族は大地の民で淡水魚以外は食べないし生食もしません。
 やあ、それにしても今回の旅は実に愉快で楽しかったですね。そこで最後に私から”軟弱な食文化”即ち”管理食”に浸り切っている日本人に一言。
 楽しかった訳は、外国に行って、やれ内臓はイヤだ、はイヤだ、はイヤだ、爬虫類はイヤだ、肉が硬い、などとホザク奴が一人も居なかったからでっせ!

  そんな奴はアジアに行くなあ~!!、ブワッハッハッハッハ!!!
  (そういう人は先ず国内で胃腸精神を鍛えてから行って下さい!)

                (>v<)

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 >>>■その後

 私が訪れた04年8月16日には下の数階しかオープンして無い”半開き”状態だった101大楼は、04年12月31日(大晦日)に、この時点で世界一の高さを誇る国際金融センターとして正式に全面オープンしたことをニュースで知りました。
    {この記事は05年1月14日に追加}

♪♪♪ おしまい ♪♪♪

【宿と店の資料】
Ψ1:「六福皇宮(The Westin Taipei)」。台北市南京東路3段133号。
Ψ2:「吉里港式飲茶」。台北市南京東路1段92号2樓。
Ψ3:「欣葉」本店。台北市雙城街34-1号。
Ψ4:「台南担仔麺」。龍山寺近くの華西街31号。台南担仔麺は肉味噌をのせた小さな椀で食べる汁麺。
Ψ5:SPA温泉日式料理「湯瀬 天母」。台北市北投区行儀路300巷1号。
Ψ6:生猛活海鮮「味道」、100元美食。台北市中山区建国北路2段90号。
Ψ7:「新世紀」。台北市天津街56号2F-5。
Ψ8:「海中鮮」。台南県永康市永大路2段1446号。
Ψ9:「愛香小吃部」。高雄県阿蓮郷の某所。
Ψ10:「一品花雕雛」。台北市吉林路170号。

【脚注】
※1:ハレルヤ(hallelujah)とは、(ヘブライ語で「神を讃め讃えよ」の意)旧約聖書詩篇に在る語で、キリスト教会の讃美歌に用いられる。喜悦又は感謝を表す。アレルヤ。
 補足すると、「ハレルヤ」という語或いは唱和のフレーズはヘンデル作曲の『オラトリオ「メサイア(=救世主)」』の中のハレルヤ・コーラスで圧倒的に有名です。

※2:飲茶(ヤムチャ)とは、(広東語)点心を食べ乍ら中国茶を飲むこと。
※2-1:点心(てんしん)とは、中国料理で食事代わりの軽い食品の総称。転じて、茶請けの菓子。

※3:中国の醸造酒の一。紹興の産。蒸した糯米(もちごめ)に、麦麹、酒母、糯米を漬けて乳酸発酵させた水などを加えて発酵させて造る。シャオシンチュウ。

※4:このジュースに使う緑色の皮で丸い形の柑橘類は、台湾の人はレモンと呼んで居るのですが、その色・形・大きさは日本の大分県のカボス(=ユズの一種)に似て居ます。

※5:バンレイシ/蕃茘枝(sweetsop, sugar apple)は、バンレイシ科の常緑低木。西インド(アンティル諸島)の原産。高さ約5m。葉は長楕円形、花は黄緑色で単性。果実は球形の集合果で黄緑色、肉質、芳香を有し、甘味強く美味。釈迦の頭の様な形をしているので釈迦果釈迦頭とも呼ばれる。アノナ。

※6:檳榔(びんろう)/檳榔樹(びんろうじゅ、betelnut palm, areca nut palm)は、ヤシ科の常緑高木。インドネシア・マレー地方の原産。熱帯アジアや南太平洋諸島に広く栽培。幹は直立し、円柱形で環紋が有り、高さ10~25m。幹頂から濃緑色の大羽状複葉を叢生。肉穂花序に単性花を開く。芽は食用。果実は鶏卵大で、キンマの葉に包んで噛み嗜好品とする。薬用・染料。同科のビロウ(蒲葵)は別種。
※6-1:キンマ(蒟醤、betel)は、「本草啓蒙」「和訓栞」に蛮語と在り、タイ語又はビルマ語の転訛。マレーシア原産のコショウ科の常緑蔓性低木。コショウに似る。葉は大きな心臓形で、先端は尖り、光沢が有る。夏、黄色の細花を開き、液果を結ぶ。雌雄異株。葉・根・種子を健胃・去痰(きょたん)薬とする。その葉を採って檳榔子(びんろうじ)・石灰と共に噛んで嗜好品とする。

※7:小姐(シャオチエ、xiaojie)とは、(男性から)女性を親しんで呼ぶ語。現代中国語で「小姐」は、お嬢さんの意。

※8:床伏・常節。ミミガイ科の巻貝。アワビに酷似するが小形で、殻長約7cm。殻に有る孔の内、終りの7~8個は貫通して居る。殻表は帯緑赤色、殻口内面は真珠光沢が強く美しい。日本全国に分布し浅海の岩石下などに棲み、食用とする。ながれこ。ながらめ。万年鮑。

※9:鱓(うつぼ、moray)は、ウツボ科の海産の硬骨魚。全長約80cm。太いウナギ型で美しい斑紋が有る。口は大きく、歯は強大。沿岸の岩の間に棲み、性質は凶暴で烈しく噛み付く。タコを好んで食べる。ナマダ。食用及び水産皮革の原料。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※10:鱲/鱲子(からすみ)は、(形が唐墨(=中国製の良質な墨)に似る)ボラの卵巣を塩漬にし、圧搾乾燥したもの。茶人・酒客が珍重する。長崎の名産。

※11:鼈(スッポン/すっぽん、soft-shelled turtle)は、カメの一種。爬虫綱カメ目スッポン科。甲羅は軟らかな皮膚で覆われ、他のカメと異なり鱗板は無い。又、中央を除いて骨質板の退化が著しく、縁辺は軟らかい。頸は長く、自在に伸縮する。背部は淡暗青灰色、腹部は白色、口吻は尖って良く物を噛む。前後肢共に3爪を具える。本州・四国・九州の河川・池沼に棲む。肉は美味、滋養に富み、血は強精剤とされる。又、広義にはスッポン科のカメの総称。アジア/アフリカ/アメリカに約20種。蓋(ふた)。川亀。泥亀。丸(まる)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※11-1:まる(丸・円)とは、上方で、スッポン(鼈)の異称。浮世風呂2「―とは何だヱ。御当地でいふすつぽんぢやがな」。

※12:吃(きつ)は、[1].吃(ども)ること。「吃音」。
 [2].「喫」の通用字。食べること。転じて、受けること。「吃水・吃驚」。

※13:玉門(ぎょくもん)は、[1].玉で飾った立派な門。
 [2].陰門の異称。

※14:イラ・フォルモサ(Ilha Formosa)とは、1544年のこと、台湾海峡を通過したポルトガル人は、海上に浮かぶ美しい緑の台湾島を見て思わずイラ・フォルモサ(麗しの島、麗島)と叫んだ、と伝えられて居る。ポルトガル語で "Ilha" は「島」、"Formosa" は「麗しい」を表す。台湾人は「美麗宝島」と呼ぶ。これが元で19世紀頃迄英語の Formosa は台湾の旧称。現在は Taiwan。

※15:台湾に移り住んだ漢民族は広東や福建や浙江など、大陸南東部の漢人が主流。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『食は広州に在り』(邱永漢著、中公文庫)。しかし著者は台湾の台南市の生まれです。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):台湾の地図▼
地図-台湾(Map of Taiwan, -China-)
参照ページ(Reference-Page):広州の地図▼
地図-中国・広東省の広州(Map of Guangzhou of Guangdong, -China-)
補完ページ(Complementary):「形有る物をバリバリ食う」という
肉食の哲学▼
「肉を食らう」ということ(Carnivorous life)
引率者のお姐様方はプーケット島に行っている人も居ます▼
2005年・タイ国プーケット島の休日
(Vacation of Phuket Island, Thailand, 2005)

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