地図-中国・広東省の広州
(Map of Guangzhou of Guangdong, -China-)

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 ■広東省の広州(Guangzhou of Guangdong)

 ▼広州の地図(Map of Guangzhou)


 この地図は2001年11月の印刷で、2004年8月迄の広州空港(白雲国際空港)はご覧の通り非常に近くに在りました。2004年8月からは名前を引き継いだ広州白雲国際空港面積が5倍に成り、北京首都国際空港上海浦東国際空港と並ぶ空港です。その代わり空港へのアクセスは遠くなり広州市内からタクシーで30分位掛かります。
 因みに、中国語では飛行場を「飛機場(feijichang)」又は「機場(jichang)」と言い、国際空港を「国際機場(guoji jichang)」ます。

 ○広州(こうしゅう、Guangzhou)は、中国広東省の省都。珠江デルタ北部に位置し、古来中国南部最大の貿易港。華南地域の経済・交通の中心。人口385万4千(1995)。別称、穂城羊城
  ・華南(かなん、Huanan)は、中国南部の称。今日の行政区分では、広東・海南両省と広西チワン族自治区を指す。福建/香港/マカオ/台湾を含める事も有る。
  ・広東(カントン、Guangdong)は、中国南部の省。省都は広州。面積約18万㎢。別称、粤(えつ)。華僑の出身地として古くから知られ、海外との経済交流が盛ん。民国時代には孫文ら革命派の根拠地として、北方軍閥に対立する革命勢力の拠点と成った。
  ・華僑(かきょう、overseas Chinese)は、中国本土から海外に移住した中国人及びその子孫。東南アジアを中心に、全世界に散在する。牢固たる経済的勢力を形成し、その本国への送金は、中国国際収支の重要な要素を成していた。第二次大戦後は二重国籍を捨て、現地の国籍を取得する者が増加し、彼らを華人と呼び、中国籍を保持した儘の者を華僑と呼んで両者を区別する場合が在る。唐/宋代以後、東南アジア方面に移住する中国人が増え、19世紀以後は全世界に広がった。現在、その数約2,000万人。その地域の商業/貿易上の主導権を握るものが多い。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

 ○香港(ホンコン、Xianggang, Hong Kong)は、中国本土の南に在る特別行政区。香港島と九竜半島と、その付属諸島から成る。アヘン戦争の後、1842年香港島60年九竜半島南端部イギリスに割譲され、98年九竜半島の大部分と付属諸島とから成る新界が租借地となった。深水の良港で、自由貿易地域として繁栄。1997年中国に返還。国際的な金融/貿易センター。人口671万(2001)。
  ・阿片戦争(あへんせんそう、Opium War)は、1840~42年清朝の阿片禁輸措置からイギリスと清国との間に起った戦争。清国が敗北し、列強との不平等条約締結、中国の半植民地化の起点と成る。イギリスは広東1港で行われた清との貿易で、中国へのの流出に悩み、この為インド産アヘンの密輸出を激増させた。清は林則徐を広東に派遣して密輸禁止の強い処置を執らせ、これに対してイギリスは「貿易の自由」を侵害するものとして海軍を派遣し天津・南京を攻撃した。1842年清は屈服して南京条約を結び、上海など5港を開き、香港島を譲り、又賠償金を払うことを約し、翌年には関税自主権を奪われた。→アロー戦争(第二次阿片戦争)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

 ○マカオ/澳門(Aomen, Macao)は、中国南部、広東湾口に在るマカオ半島と2島から成る特別行政区。古くは濠鏡澳/阿媽港とも書き、日本では天川(あまかわ)と称した。1557年以来ポルトガル人の居住を許し、1887年割譲。中華人民共和国成立後もイギリス領香港ホンコンと並んで特殊な地位を占めたが、1999年中国へ返還賭博観光業が盛んだが、工業化も進む。人口48万8千(2005)。

 ○深圳(しんせん、Shenzhen)は、中国広東省南部、香港の北に隣接する新興都市。1980年経済特別区が設置されて以来、外国資本の急速な進出に依って工商業が発展、香港との結び付きも強い。人口700万8千(2000)。

 ○客家(はっか、Hakka)とは、中国の広東省を中心に南東部の諸省に於いて、嘗て華北から南下移住して来た漢族の子孫として、他の漢族や少数民族とは区別されて来た集団。独特の習俗を保ち、言語も独自の方言を話す。
 補足すると、嘗て中原地方に住んで居たという言い伝えを持ち、現代の中国政府の中核に客家出身者を多く輩出して居ます。故郷を追われはしたが逆境に強く血の団結で結ばれ進取果敢な性格は”中国のユダヤ人”と呼ぶに相応しく、”中原”という言葉はチャイニーズ・シオニズム(Chinese Zionism)の標語なのです。
  ・客家語(ハッカご、Hakka language)は、中国語の一方言。国内漢民族の5%近くが使用し、広東/福建/四川/江西/湖南/広西/台湾など分布は広域。東南アジアなど客家系華人の間でも広く使用。

 イギリスやポルトガルの帝国主義と、広東人の金(かね)の為なら何でも遣る(=四つ足は机以外は何でも食う、飛ぶものは飛行機以外は何でも食う)という旺盛な華僑精神と、これに客家チャイニーズ・シオニズム(Chinese Zionism)とが微妙にブレンドされた”奇妙なバランス”が広州をここ迄発展させたと言えましょう。
 この精神は正に「食在広州」(食は広州に在り)と言われる通りですが「ゲテモノ食い」との区別は曖昧です。2003~04年SARS(SARS:重症急性呼吸器症候群)の発祥は広州でハクビシン(中国語では花面狸を食った事が原因とされて居ます。特に野生動物を食うのが好きで蛇/犬(狗)/猫~センザンコウ迄食います。広州の街の西側には新源蛇鳥禽蓄綜合市場(通称:動物市場)が在りましたが、SARSの流行に因り2004年1月5日閉鎖されました。


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