<海外写真集>
中国名花-花の写真館
[「野に咲く花」と「浮世の花」]
(Chinese Flowers)

-- 2005.01.04 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2017.06.20 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★---暫くお待ち下さい(Wait a minute)---★

 ■はじめに - 中国の「野に咲く花」と「浮世の花」

 実は写真の原画がパソコンのトラブルの所為で見ることが出来なく成ったことに04年12月18日に初めて気が付き、急遽翌年の05年1月4日から当ページを作り始めました。日本国内の原画も被害に遭いました。その原因については詳細に検討して在りますので▼下▼を
  初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)

ご覧下さい。
 こうして取り敢えず05年3月24日迄に写真の貼り付けを完了しましたが、未だ各写真の説明とかはメモ書き程度、写真の順番も考慮外でその儘に成って居ましたが、漸く
  1999年・雲南の旅(昆明/西双版納/大理)(Kunming, Xishuangbanna, and Dali of Yunnan, China, 1999)

を書き始めて少し経った2016年10月24日当ページを纏める事を思い立って書き始め、「1999年・雲南の旅」を書き終えた2017年6月20日に当ページも完成しました。言わば当ページ「1999年・雲南の旅」は兄弟の様な関係に有ります。という事で約11年の中断が有りました、まぁ、私には良く有る事です。
 私は中国の雲南省を中心に華南地方や四川省成都など、主に中国西南部を旅をして来ました。それは主に「雲南桃源倶楽部」(会長:北山昌夫)の旅と、同じく雲南省の「パーリャンに小学校をつくる会」(会長:富樫穎)の旅です。尚、北山先生は自ら「愚公亭塞翁」と自称し、私にもご自分の事を「愚公亭塞翁」又は「塞翁」と呼んで呉れと仰ったので、以来私は北山先生の事を「塞翁」と呼ばせて貰って居ます。又、北山塞翁の本(△1)も参考にして下さい。

 そして様々な風景や地元の人々の生活や食事などをカメラに収めてこのページの旅行記にも記しましたが、日本に無い綺麗な花々も沢山撮って来て可なり溜まりましたので、このページで一挙に、ドバッと大公開することにします。
 私は花の名前については詳しく無いので殆ど解らないのですが、それは解り次第更新して行くことにして、先ずは展示することにします。このページは言わば「花の写真館」で、100枚近く有りますので、宜しく!

 ところで花を大別すると、世の中には「野に咲く花」「浮世の花」(※1)とが在る様です。そこで当ページでは両者を合わせて展示して行きます。貴方(貴女)は「野に咲く花」「浮世の花」の「どちらの花」がお好きですか?、ムッフッフ!!
 尚、各写真は必ずしも時系列で並んでる訳では有りませんので、念の為!

 ■花・その1 - 野に咲く花(Flowers-1:Flowers of nature)

 (1)パーリャン地方の花

 パーリャン(帕良/帕亮)雲南省孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県に在ります。一口で言えば辺境でミャンマーとの国境が控えて居ます。

  (1)-1.勐海のお茶製造工場の「野に咲く花」

 西双版納(=景洪市)から孟連県に行くには勐海(モンハイ)、瀾滄(ランソウ)を経由して行きます。02年3月28日の朝、景洪市のホテルを発ったバスは勐海のお茶製造工場に寄りました。ここは名高い普洱茶(プアール茶)の本場です。そのお茶製造工場の庭で撮ったのが下の2枚です(何れも名称不明)。
  花の写真3:花の写真5:

  (1)-2.孟連のホテルの「野に咲く花」

 下は02年3月29日の朝に孟連のホテルの庭で撮った名称不明な花(左下の写真)とブーゲンビレア(右下の写真、※2)で、小さな白いのがです。ピンクの3弁のものは(ほう)又は苞葉(ほうよう)(※2-1~※2-2)と言って、実はなのです。
花の写真1:花の写真6:

  (1)-3.パーリャン小学校の「野に咲く花」

 下の2枚は02年3月29日の午後パーリャン小学校の校庭で撮りました。何れも名称不明。
  花の写真2:花の写真4:

 (2)西双版納の「野に咲く花」 - 雲南桃源倶楽部の傣族民家体験宿泊

 02年10月22日~24日朝迄西双版納嘎洒(ガサ)鎮曼弄楓村の玉さん一家に体験宿泊しました。ここは01年3月に桃源倶楽部の中川・松岡両氏が調査で訪れた所です。中川さんの報告に拠ると、この家はタイ式高床式住居の農家で、幾つか比較した中ではトイレも清潔で体験宿泊には一番良いと在ります。又、車で40分位の所に温泉も在るとのことです。費用は三食付きで100[元/1人1日](≒1500円)だそうです。そして嘎洒鎮には西双版納空港も在ります。傣族民家体験宿泊記は▼下▼を参照して下さい。
  2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)

 以下の西双版納の花は全て02年10月22日に体験宿泊した民家の近くや寺院で撮影しました。
花の写真7:花の写真8:

 左にアサガオ(朝顔)の様な花も見えます(△2のp35~37)。
 右の花は名称不明です。

 左下ヘリコニア・ゴールデントーチ(Heliconia 'Golden Torch')です(△2のp261)。バナナの様な葉がヘリコニアの特徴の様で、ヘリコニア・ロストラタ(→後出)の仲間です。
 右下はカンナ(※3、※3-1)です(△2のp88)。これは球根(※3-2)です。原産は中南米
 花の写真10:花の写真11:

 下はハイビスカス(※4)で日本ではブッソウゲ(仏桑華)(※4-1)とも言いますね。中心に突き出しているのが雌蕊(めしべ)です(△2のp213)。
花の写真9:

花の写真12:
 左はハイビスカスの仲間のフウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)(※4-1)です(△2-1のp210)。ハイビスカスは全て園芸種ですが、本種が原種中国南部原産という事なので西双版納は原産地です。長い雌蕊(めしべ)が下に垂れ下がって居ますが本の写真もそう成って居ますので、これが正常なのです。それにしても面白いですね。実は和名の風鈴は雌蕊が垂れ下がり”風鈴”の様だから付いた名なのです。
 その雌蕊の付け根でモンキチョウ(紋黄蝶)が蜜を吸ってます。私はチョウ(蝶)やトンボ(蜻蛉)には物凄く詳しいのですが花については全くの素人です、悪しからず。
 


花の写真14:
 右は6弁花ですが名称不明です。

 左下ヘチマ(糸瓜)(※5)です、写真の右側にが見えてますね。熱帯アジア原産という事なので西双版納は原産地です。実(み)は食用で西双版納でも食べます。
花の写真15:
 実(じつ)は私はヘチマと言ったら風呂で”垢すり”に使う物と思っていて「ヘチマを食う文化」が有る事を45歳位迄知りませんでした。それを私に気付かせたのは1995年に旅行した韓国です。韓国の或る会社の社員食堂の昼食の味噌汁 -全社員が同じ定食- で出て来たのです。説明役の人が「これはヘチマです」と言ったので、私は聴き間違えたと思い思わず聞き直して仕舞いましたね、でも旨かったです。帰国してから調べたら沖縄などは日常的に食べて居るのです。
 更に2004年台湾に行った時もヘチマ料理が出て来ました。2013年から私が沖縄に来たらヘチマは日常的に食べます。豚肉とヘチマの味噌炒めが旨いですよ、一丁作りましょうか?、アッハッハ!

花の写真17:

 右はボタン(牡丹)(※6)です(△2のp268)。中国原産で昔から牡丹皮漢方薬として利用して来ました(△3のp41~42)。
 


花の写真18: 左は臙脂色の茎から青い花が咲いて居ます。民家の煉瓦部分を這う様に延びて居ました。
 右の写真の様に斑入りの葉がとても綺麗です。
 これはコリウス(Coleus[ラ])の一種(※7~※7-1、※2-2)です。コリウスは沢山の園芸種が存在します(△2のp126)。
 コリウスは又後で出て来ます

 下はトロロアオイ(黄葵/とろろ葵)(※8、※8-1)ではないか、と思います(△2-1のp206)。中国原産だそうです。日本では根の粘液 -だから「とろろ」と言う(※8の「補足」を参照)- を和紙の糊(のり)に、又薬用として利用して来ました。別名をハナオクラと言います。
 又、脱線しますがオクラ(okra)(※8-2)は旨い。私の大好物はオクラ納豆で、これはネバネバしたパワーを倍化して居ます。特に浅草の「宮ちゃん」のオクラ納豆「オクラ+とろろ芋+納豆+玉子の黄身」で、これはもうパワー3倍化で味の芸術品です!
 ところで西双版納には納豆が在り、これが日本に伝わって居るのです。
 花の写真19:


花の写真20:
 右に見えるのは不思議な形をして居ます。バナナに様な大きな葉と原色の如何にも熱帯の植物の感じがします。これはヘリコニア・ロストラタ(Heliconia rostrata)です(△2のp261、△2-1のp327)。
 ヘリコニア属バショウ科で熱帯アメリカや太平洋諸島に分布。タイやここ雲南にも在ります。名前の由来はギリシャ神話のヘリコン山(Helicon)に因んで付けられました(△2のp261、△4のp231)。
 

 (3)華南地方

  (3)-1.華南農業大学の「野に咲く花」

 以下は02年10月20日に撮った華南地方 -広州が中心地- の花です。前日(=19日)黄先生(=華南農業大学の黄寿山教授)の務める華南農業大学の招待所に泊まりました。大学内の招待所なのに食事は街中のレストラン並みに豪華なものでした。華南地方の花は中緯度的な花が多く草花の他に木に咲く花も綺麗です。
 以下、華南農業大学内で撮った「野に咲く花」が続きます。
花の写真25:花の写真26:


 左は名称不明。
 右も名称不明です。これは木の花ですが、この木が何本も在りました。

花の写真28:花の写真29:

 左は名称不明。
 右も名称不明です。
 


花の写真31:
 左は既に出て来たカンナ(※3)のアメリカンレッドクロス('American Red Cross')です。ご覧の様に真っ赤な花が特徴です。カンナは中南米が原産地です(△2のp88)。


 ここ迄が華南農業大学内の花です。

  (3)-2.広州の「野に咲く花」

花の写真33:
 右は02年10月20日に撮った広州市街中の花です、名称は不明です。



 20日の昼食は広州市のレストランで黄先生お薦めの蛇料理を食べました。
 

  (3)-3.再び広州の「野に咲く花」

 私たちは20日の夕方に昆明と西双版納に行き、26日再び華南農業大学の招待所に泊まりました(←2002年の雲南桃源旅行の旅程を参照して下さい)。
花の写真34:

 左は再び02年10月27日広州市で撮りましたが、名称不明です。小さな花ですが非常に綺麗です。

  (3)-4.3度目の広州の「野に咲く花」

 私はこの旅で三度(みたび)広州を訪れました。以下は02年11月2日に広州市で撮りました(←2002年の雲南桃源旅行の旅程を参照して下さい)。
花の写真38:

 右は名称不明です。花は漏斗形をして居ます。
花の写真30:花の写真36:

 左は名称不明。
 右も名称不明です。
 

 (4)桂林地方の陽朔の「野の咲く花」

 2002年10月30日桂林の漓江下りをしました。そして翌日の31日桂林漓江下りの船着場である陽朔の街を堪能しました。陽朔には色々な思い出が有ります。下の蝶(スジグロマダラシロチョウ(筋黒斑白蝶))と花(マリーゴールド(※9))も02年10月31日に陽朔で撮りました。
 スジグロマダラシロチョウは熱帯及び亜熱帯に居り、台湾/中国南部/インドネシア/タイなどに居ます。マリーゴールドはキク科メキシコ原産です(△2のp279、△2-1のp242)。
  花の写真37:
花の写真35:
 右も同じ花壇に在った綺麗な葉です。これはコリウス(Coleus[ラ])(※7~※7-1、※2-2)の一種です。コリウスは大変が美しく園芸品種が多く色々なものが在ります(△2のp126)。
 

 (5)中甸の「野に咲く花」

 中甸県(※10)には2001年10月17日の午後~20日の朝迄居ました(←中甸は2002年1月から香格里拉(シャングリラ)と地名が変わりました)。中甸は雲南省の北の外れに在り、麗江から更に北にバスで6時間位の所に在るチベット族の街です。標高約3300mの高地で朝夕は寒くマツタケの産地です。
 下は2001年10月17日の午後に中甸に着く前に小中甸という村で撮影した灌木(名称不明)の紅葉はです。ご覧の様にヤクの牧草地に自生して居ます。それにしても実に見事な紅葉です。写真の右側で写真を撮っているのは欧米系のガイジンさんです。
  花の写真23:
  花の写真24:

 下は翌日(01年10月18日)の午前中碧塔海で撮った草や花 -名称不明- です。チベット族は大変厳しい自然環境の中で生活して居ます。碧塔海は標高4000m近い高地で、私たちもホテルで小型酸素ボンベを買わされました。即ち、それ程生活環境が厳しいので、碧塔海に咲く花は寒さに耐える為に地面にへばり付く様に生えて居ます。私たちは遊覧ボートの乗って楽しみました。
  花の写真21:花の写真22:

  →花見を終了する(End)
  →1.花・その1の先頭に戻る(Flower-1)
    {この章は05年3月24日に写真の貼り付けが完了、その後中断し、2017年6月20日に最終更新}

 ■花・その2
    - 浮世の花(Flowers-2:Flowers of this frivolous world)

 さて花にも色々在りますが、以下の様な花は如何でしょうか。その心は

  我が花は 野に咲く花のみ 花にあらず
      浮世の花も 花なればこそ
    月海


ですぞ。
 しかし、「うきよ」とは元来「憂き世」(※1の[1])と書き、仏教的な「無常の世」を嘆いた言葉なのです。この事は既に▼下の論考▼で
  「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)

述べて居ます。今その部分をここにコピーして置きます。
(▼「「言葉遊び」と遊び心」からの▼コピー▼)

 「うきよ」とは元来は「憂き世」と書き現世の儚さを言うのに使いました -【脚注】※1の[1]に在る『伊勢物語』の他に、『源氏物語』(用例:△5のp19など)や『小倉百人一首』(用例:68番95番歌)では専ら「憂き世」と表記)- が、江戸町人は現世の楽しさを謳い「浮き世」「浮世」と軽佻浮薄に洒落のです。こういう単語の置換言葉遊びであることは既に述べました。

 ここに書いて在る通り、平安時代は「憂き世」と書き「生きることは苦しいこと」という仏教的概念が支配して居ましたが、江戸町人たちはこれを「浮き世/浮世」と読み替えて「浮世絵」とか「浮世風呂」とかの現世利益的/享楽的なものへと変質させました。これは江戸町人文化の洒落なのです。
 街角や市場や有りと有らゆる場所でこれでもかと咲いて居る浮世の花の表情をトクとご覧下さい。

 (1)パーリャン小学校の「浮世の花」

                旧校舎では竹の覆いに隙間が空いている
                 ↓  ↓          ↓ ↓↓
 2002年3月29日の午前パーリャン小学校授業の様子を見させて貰いました(右の写真)。先生が左端(←胸が膨らんでいる)と3人の女生徒が何かの作業をして居ます。後ろの黒板には字が書かれて居ます。
 それよりも私が一番面白かったのは、教室の後ろで写真を撮っている私を生徒の一人が振り返って見ている事です。面白がってばかりでは行けませんね。
 「パーリャンに小学校をつくる会」の新しい校舎を建てている最中で未だ完成はして無いので授業は粗末な旧校舎で行われて居ました。旧校舎は木の柱の骨組みにで覆いをしただけの、隙間だらけの粗末な建物でした(右の写真の上部)。
                       ↑ 私を見ている目

 皆さん、ここは中国の一番南の地方で普段は暖かいのですが、山間地なので冬に成るとが降りる時も有るそうで、とてもそんな寒さに耐えられる作りでは有りません。この事は
  2002年・パーリャン小学校視察の旅(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

で詳しく書いて居ますので、是非ご覧下さい。

浮世の花の写真7:浮世の花の写真11:
 左は29日の昼食時に撮りました。6年生位の女子生徒です。私は他の男の生徒の給食(=キャベツ丼)を少し食べさせて貰いました。

 右は29日の昼休みに校庭で撮った先生です。カメラを向けたら少しはにかんだ様な笑みを浮かべました。

 その後、「つくる会」は2004年11月1日パーリャン小学校での竣工式を迎える事が出来ました。▼下▼から
  パーリャン村の小学生を支援する会(Support team for Paliang's schoolchildren)

竣工式の模様を参照出来ます。

 (2)「パーリャンに小学校をつくる会」の旅

  (2)-1.西双版納の「浮世の花」

 パーリャン小学校の視察を終え、02年3月30日には西双版納(景洪市)市場で撮りました。
 左下の「浮世の花」はラッキョウ(薤/辣韭)か(?)、を売って居ました。
 右下は私がカメラを向けたらご覧の様に恥ずかしがって仕舞った「浮世の花」は子供洋品に橙色のリボンを付けて居ました。
 浮世の花の写真1:浮世の花の写真2:
                 ↑       ↑
               ラッキョウ   橙色のリボン

 左下は果物屋の女の子で彼女の周りにはリンゴ(林檎)が並べられて居ました。この「浮世の花」は青春真っ只中を謳歌している様です。
 中央下の小母ちゃんは色々な魚(=淡水魚)を売って居ました、下の赤いプラスチック容器に魚が入って居ます。特に西双版納は瀾滄江(=メコン川)(※11)が市内に流れているので瀾滄江産のウナギ(鰻)を売って居ました、ウナギも赤いプラスチック容器に入ってました。以上が02年3月30日の市場で撮ったものです。
 右下の「浮世の花」は同日版納のレストランの女店員傣族です。我々はここで西双版納で最後の食事をし、この後飛行機で昆明に行きます。
浮世の花の写真3:浮世の花の写真4:浮世の花の写真5:

  (2)-2.昆明の「浮世の花」

 以下は02年3月31日の午前中昆明市内で撮りました。
浮世の花の写真6:
 先ず我々は「お茶屋」に寄りました。中国は何と言っても「お茶文化」の国です。右の写真の様に、若い女性が「お茶」のサービスをし「お茶」を飲み乍ら「お茶」を選ぶ事が出来る所です。写真の「浮世の花」は中々手付きが良く色々なお茶を紹介してくれました。
 私もプアール茶(普洱茶)を買いました。何しろパーリャンは普洱茶の本場を横切って行くのですから。六大茶類は緑茶・白茶・青茶・黄茶・黒茶・紅茶が有り、普洱茶は黒茶です。
浮世の花の写真8:
 左は昆明市で結婚式を挙げた新郎新婦が街中を歩いて居ます。
 右下は街路でピンク色の制服を着たお姉様とお兄様が子供に化粧をしているのかなと思ったら、子供は2人共ケイタイを見て居ます。結局、何をして居るのでしょうか??
浮世の花の写真9:
浮世の花の写真10:
 右は花鳥市場(=景星街)「鳶凧(とんびだこ)」を売っていた「浮世の花」です。詳しくは「中国のケッタイな人々」をご覧下さい。




 この日の午後の飛行機で我々は帰国しました。
 

 (3)「雲南桃源倶楽部」の旅

  (3)-1.版納賓館の「浮世の花」

 「雲南桃源倶楽部」(会長:北山昌夫)版納賓館(正式には西双版納賓館)は「切っても切り離せない」のです。その事は▼下のページ(=当ページの兄弟ページ)▼をお読み下さい。
  1999年・雲南の旅(昆明/西双版納/大理)(Kunming, Xishuangbanna, and Dali of Yunnan, China, 1999)

 版納賓館「浮世の花」たちは1999年に写真を撮りましたが、冒頭に記した様に原画ファイルが破壊されたので在りません。

 右の写真はチュ・ピンファン(鄒浜仿)さんです。この写真は「2002年・パーリャン小学校視察の旅」で来た時に02年3月27日に撮ったものです。私が西双版納(=景洪市)に来ると知ると、北山塞翁はプ・リャンスオ(浦良鎖) -この人は塞翁と西双版納を結ぶキーマンですが当ページには「むさ苦しい男」は載せない決まりに成って居ますので悪しからず、アッハッハ!- に言伝(ことづて)を託したので、「つくる会」の夕食を食べずに街に出てホテル(=観光酒店)の近くでプ・リャンスオが豚の焼肉のフルコースを御馳走してくれました。その時にチュ・ピンファンが付いて来たのです。
 私はチュ・ピンファンには大変な思い出が有ります。彼女は漢族日本語が非常に上手かった事を覚えて居ます。しかも日本語学校に通った訳では無く、殆ど独学と言ってました。1999年と2000年に彼女と会ってますが、その時はチュ・ピンファンは版納賓館の従業員でした。
 そんな訳で私は何でも彼女と良く話をしました。彼女は「日本に行きたい」と何度も言って居ましたが、その後、彼女は日本に来て愛知県の農家に嫁いだという話を聞きました。

 次は哈尼(ハニ)族リ・アーチン(李亜琴)です、写真は塞翁の本からスキャナーで採りました(△1のp40、本では玉光香と名乗る)。この写真には95年10月20日の日付が入って居ます。1999年の旅では版納賓館でアルバイトをしていて日本語はたどたどしかったと思います。しかし塞翁の本には95年時点で「版納賓館の事務室で働く」と書いて在ります(△1のp40)ので版納賓館で4~5年働いている事に成ります。
 私は1999年と2000年に西双版納でリ・アーチンに会って居ます。2000年彼女は公安警察官と婚約し婚約者にも会って居ます。そして彼女は2000年から日本の近畿大学に留学しました、塞翁が保証人に成った様です。
 2008年は結婚した彼女の家(昆明)に行き、御主人とかその友人たちのパーティーで御馳走に成りました。この時の写真は在ります。{2008年の旅の記事は2017年6月20日に追加}
 以上の様な事で、版納賓館には思い出が沢山詰まって居るのです。

浮世の花の写真27:
 02年10月21日西双版納(景洪市) -景洪は西双版納傣族自治州の中心都市- に来ました。この日は北山会長(←私は塞翁と呼んで居ます)は桃源ハウス(←塞翁が西双版納で購入したマンション)に泊まり、我々は版納賓館に泊まりました。

 以下の2人は同日版納賓館で撮ったもので、何れも版納賓館の従業員です。左の「浮世の花」は傣族民族衣装風の制服を着ています。

 下の「浮世の花」は漢族日本語がとても上手です。独学だそうです。名前を聞きそびれました、残念!
  浮世の花の写真29:
 

 この後、我々は傣族民家に体験宿泊をしました。
 そして10月24日に版納賓館に再び泊まり版納賓館の従業員を撮りました。下の二人です。この二人は私が「景洪ナイト・フィーバー」をした前後にホテルのカウンターに居ました。
 先ず左下の「浮世の花」は漢族です。この子は私が「景洪ナイト・フィーバー」に出掛ける前、即ち22:00過ぎにホテルに居て私を送り出してくれました。
 右下の「浮世の花」は傣族です。この子は私が翌日の0:30頃「景洪ナイト・フィーバー」からホテルに帰った時に私を迎えてくれました。傣族の民族衣装風の制服を着て居ます。
浮世の花の写真26:浮世の花の写真28:

  (3)-2.傣族民家体験宿泊の「浮世の花」

 下の2人は02年10月22日に撮りました。景洪市で体験宿泊する民家は玉さん一家ですが、この「浮世の花」は隣村の傣族の村長の娘さん(姉妹)です。手前が姉です。結局、玉さんと村長の家に分宿する事に成りました。
浮世の花の写真17:
 下は塞翁「浮世の姉花」の運転するバイクタクシーに乗って隣村の玉さんの家に移動する所です。バイクを運転する姿がカッコイイですね!
浮世の花の写真18:

 右が我々が体験宿泊した西双版納の嘎洒(ガサ)鎮曼弄楓村玉さん一家の長女、右がお母さんです。
 このお嬢さんは景洪市のテレビ局のタイ語放送のキャスターです。何時も夜バイクで出掛け朝の8時頃帰宅します。この「浮世の花」は美人で聡明で、嘸(さぞ)や引く手数多でしょう。
 この写真は02年10月24日の朝食後に撮りました(小池さんが撮影)。2泊の体験宿泊を終え玉さん一家とはこれでお別れをしました。
 お母さんは竹製の捕獲網で川魚を採る真似をして貰い、ご主人
には餅を搗く臼と杵で実演して貰いました、お婆さんも臼と杵を使って居ました。タイ族はモチ米文化(糯米)です。ここで体験した事は身に沁み付きました。本当に有難う!!
 

  (3)-3.西双版納の市場や屋台の「浮世の花」

 以下は傣族民家体験宿泊を終えた02年10月24日の9:00頃景洪市市場を撮りました。市場には豚の脳味噌鼻付き顔面の皮血豆腐が在り、私の様な”好き者”を飽きさせません。それと同時に「浮世の花」も見逃さずに撮りました。
浮世の花の写真20:
 上の「浮世の花」は朝御飯を食べて居ます。ここは米屋です、前に米の袋が並んで居ますね。米は売る程在りまっせ。市場の売り子が御飯米線を食べて居る場面は良く見掛けます。

 右の「浮世の花」は市場の見物客(=私と同じ)です、傣族の民族衣装を着て居ます。元気が漲(みなぎ)っていてピチピチしてますね!

 左下の「浮世の花」は未だ「あどけない顔」をしていて、この子は店の売り子です。
 右下のお姉さんも売り子です。お姉さんは成熟した「浮世の花」(←胸が膨らんで居ます)でご覧の様に愛想良く笑い、竹籠に野菜を入れて売って居ました。左下の「あどけない子」の周りにも”空の竹籠”が沢山置いて在るので、この2人は姉妹だと思いますが、実は「あどけない子」の後ろにもう1人女の子が居るので3人姉妹だと思います。
 浮世の花の写真21:浮世の花の写真22:

浮世の花の写真23:
 右の「浮世の花」も野菜の売り子です。キャベツとかトマトを売って居ます。民族衣装を着て居ますが、これは何族でしょうか?、傣族とは異なります。ちょっとエキゾティックな顔をして居ます。

 この写真も02年10月24日の10:00頃に撮りました。街中の屋台で、竹に糯米(もちごめ)を詰めたものを焙って居ます。私は1999年にも竹御飯(糯米)を食べましたが今回も買いました。2元(約30円)です。傣族麦藁帽子を被った小母さん=「浮世のしぼみ花」 -1999年も小母さんだった、同じ人かどうかは覚えて無い- は持っている鉈(なた)で竹を割ってくれ、熱々の糯米は滅茶旨い。全然味付けはして無く竹の内側の薄皮の香りだけがするのです。傣族はモチ米文化です。
 この写真は「1999年・雲南の旅」にも載ってます。
 02年10月24日は竹御飯を私や松岡さんのみならず、何と塞翁も買いました!

  (3)-4.「雲南桃源倶楽部」所縁の「浮世の花」

浮世の花の写真25:
 右の女性はプ・リャンスオ(浦良鎖)西双版納の庄洪路で店を出している工芸品売り場の店員です(工芸品店で02年10月24日に撮影)。因みにプ・リャンスオは工芸品売り場の商店会長です。
 右の「浮世の花」に興味有る人は「プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ」をご覧下さい。私は大いに興味有りますゾ!

 下は左から、北山塞翁が信頼を寄せている基諾族(チノー族)の看護婦の娘さん(名前は松松(スンスン))(西双版納の市民病院で02年10月24日に撮影)、ヘ・チャンリ(賀長利)の娘さん(西双版納空港で02年10月25日に撮影)です。彼女は「2002年の景洪ナイト・フィーバー」にも載って居ます。
 そして次が尹君(←初期の雲南桃源旅行の通訳)の娘さん(昆明で02年10月25日に撮影)。私たちの前で琴を弾いてくれました。
 皆それぞれ「浮世の愛花」に成長して居ます。
浮世の花の写真32:浮世の花の写真30:浮世の花の写真31:

  (3)-5.昆明の「浮世の花」

浮世の花の写真33:
 左は02年10月26日に撮りました。ここは昆明市。この帽子を見て下さい。これは回族の帽子で、ここは回族の人たちがお店を出して居る通りです。回族とは回教のことで、つまりイスラーム(イスラム教)。従っては一切出しません。それ故に、こういう店を「清真」と呼び、この様にイスラームの店が集まっている通りを「清真」通りと呼びます。「清真」通りはイスラームが居る所には必ず在りそれ程イスラームは豚を嫌うのです。中国人は豚が大好きですから。
 この店はイスラム的惣菜を作って販売して居て「浮世の花」が一生懸命売って居ます。色々な炒め物やヤキソバが並んで居ます、ピーナッツも在ります。
 この通りにはラーメンを出す店が在り、結構行けます。
 

 (4)麗江/中甸 - 雲南省の北部

  (4)-1.麗江の「浮世の花」

 下の2枚の写真は01年10月15日に撮りました。
 右下は麗江の白沙村土産物売り場の「浮世の花」を撮りました、彼女はナシ族(納西族)です。白沙では白沙壁画(←但し、撮影禁止)を見学しました。この子が手に持っているのが煙管(きせる)と灰入れです、確か120元位のを80元位に値切って買いました。
 私は白沙では他の店で掛け軸を1本買い、又「素焼の小便小僧」も5個買いました。最初1個10元と言っていたのですが何と「5個で10元で良い」(2元/1個)と言うので、どう成ってるんでしょうかね?!
 白沙は大研鎮から北に12kmの所に在る、嘗てのナシ族の豪族・木氏土司(※12)の本拠地で明・清時代は麗江の政治・文化の中心地だった所です。木氏は明の時代にはチベット軍と金沙江の長江第一湾で戦い侵入を防ぎました。

 その後で更に鄙びた束河村に行きました。左のガイドの和玉梅さん(ナシ族)が麗江の「疎水の水源池」が在ると言ったからです。行き着いた所は龍泉寺の「九鼎龍潭」でした。恐らくここは束河村の唯一の観光スポットです。池の辺(ほとり)には東屋が在り東屋の天井には極彩色を施したトンパ文字でぎっしりと埋め尽くされて居ました。東屋では現地の男たちが麻雀をして居ました。

  (4)-2.中甸の「浮世の花」

 中甸(※10) -2002年1月以降香格里拉(シャングリラ)と言います- はチベット族が住む地域です。下の2枚は01年10月19日に中甸で撮りました。
浮世の花の写真13:
 左は「松茸綜合交易市場」の近くのホテルでお茶をした時のチベット族の従業員の呉紅梅さん「紅梅」とは佳き名ですね。大体中国のホテルで民族衣装を着ている女性は地元の少数民族で、スーツを着ているのが漢民族の様です。因みにこの「浮世の花」は松岡さんの大の”お気に入り”です。
      
浮世の花の写真14:

 右は、この日が中甸での「最後の晩餐」ということで市街地に在る豪華な門構えの西蔵民族レストランでチベットの民族料理を食べることに成りました。
 写真の様な豪華なチベット族の民族衣装を着た「浮世の花」が出迎えて呉れました。
 ヤク肉の鍋料理「西蔵風鍋」は最高です!
 

 (5)成都の「浮世の花」 - 四川省

 松岡さん/直美ちゃん/私の3人は成都へも行きました。左下は成昆鉄道の客室乗務員です。01年10月20日昆明駅で撮りました。「浮世花たち」は美人揃いです。
浮世の花の写真12:浮世の花の写真16: 列車が停車して居る間はホームに降りて直立不動です。又、客車の端には小さな机と椅子を備えた半畳位の狭い乗務員室が在りますが、夜行列車では彼女たちは時々この机上に頭を沈め仮眠して居ます。

 右は帰りの成昆鉄道の客室乗務員です。01年10月23日成都駅で撮りました。この「浮世の花」は松岡さんに2ショットで撮って貰いましたが、松岡さんがシャッターを押す瞬間に、ご覧の様に彼女はプイと横を向いて仕舞いました、アッハッハ!!

浮世の花の写真15: 左は01年10月22日成都の都江堰で撮りました。左が「雲南桃源倶楽部」直美ちゃん、中国名は「阿美」です。今は雲南民族学院に留学中で中国語OKです。
 右は成都のガイドの魏敏さん -聡明な四川大学の女学生で日本語も上手い- です。
 今夜は成都で魏敏さん推薦の火鍋料理で「豚の脳味噌」を食いました、これは暖まるで!
 

 (6)華南地方/広州

  (6)-1.華南農業大学の「浮世の花」

浮世の花の写真43:華南農業大学内の売店。日曜の朝6:30にもう肉饅を売って居ました。この子の顔は肉饅みたいです。 華南即ち広州です。左は02年10月20日に撮った華南農業大学の売店の店員です。この「浮世の花」はアンパンの様な顔をして居ますね、あっ失礼!

浮世の花の写真44: この後、我々は西双版納昆明と巡り、02年10月26日に再び華南農業大学へ来ました。北山塞翁と黄先生の結び付きの強さを表して居ます。

 右の「浮世の花」は02年10月26日に撮った華南農業大学のレストランの従業員です。大学内のレストランなのに豪華です。

  (6)-2.2度目の広州の「浮世の花」

浮世の花の写真45:浮世の花の写真34: 左は02年10月27日に泊まった広州のホテル(天翔大酒店)の従業員です。何故か笑いを堪えている様でした。02年の雲南桃源旅行では、これで2度目の広州訪問です(←2002年の雲南桃源旅行の旅程を参照して下さい)。

 右は02年10月28日午後に広州から桂林地方の三江(→直ぐ下に出て来る)へ向かうバスに同乗した「浮世の花」です。
 

 (7)桂林地方

 私は02年10月28日の午後~11月1日の朝迄、桂林地方に入りました。桂林地方とは桂林市三江県漓江下り・興坪・陽朔を指します。

  (7)-1.三江の「浮世の花」

浮世の花の写真36:
 左の2人は02年10月28日に泊まった三江県ホテル(風雨橋迎賓館)の従業員です。2人共侗族(トン族)です。背後に見えるのは侗族独特の風雨橋の模型です。

 侗族は釘を1本も使わずに見事な風雨橋を造ります。これは観光案内に出て居ますが、観光案内に出て無く現地に行った人間しか知らない事は侗族は発酵食品の名手です。韓国のキムチ(=発酵させた漬物)の唐辛子を使用して無い発酵漬物が在る事です。私は02年にこれを食べました。
 それから中国には醸造酒(=清酒)が無いとされて居ますが、侗族は醸造酒を造って居ます、これも発酵技術です。私は09年に侗族の村で実際にこれを飲みました(←このホームページ(HP)は未だ出来て無い)。又、糯(もちごめ)酒も在りました。私は「2002年・三江のトン族を訪ねて」に於いても「侗族には醸造酒が在るのでは(?)」と述べて居ます、それは醸造酒らしき酒を飲んで居たからです゚。{この段は2017年1月10日に追加}

 02年10月29日の14時過ぎ、三江の食堂で私たちとタクシーの運ちゃんは昼飯です。未だこのタクシーには龍勝の棚田に行って貰わねば為りませんし、その後はバスで桂林に行かねば為りません。
 私たちは急いでいたので、ちょうど小学5、6年生の「浮世の花」(=ロリータ(Lolita))が食べている定食(右の写真)と同じ物 -中川保さんが良く言ってた”三元飯”です- を注文しました。他人が食っている物を指差して注文するのは余りマナーが有る行為では有りませんが、しかしこの方法が一番確実なのです。
 私が御飯を撮ったので吃驚した表情をして居ます、この日は時間が無いので許してね!
 

  (7)-2.桂林の「浮世の花」


 02年10月29日の夜桂林の興開賓館に泊まり、晩飯は外の飯屋に行きました。右の黒いスラックスの「浮世の花」は飯屋の娘で私たちが寒そうにしていると、真っ赤に練炭を熾してくれ私たちの近くに持って来てくれました。
 明日は漓江下りです。

  (7)-3.興坪の「浮世の花」

 02年10月30日桂林の漓江下りを終え船着場の陽朔を過ぎ興坪という小さな村に泊まりました。
                               
浮世の花の写真35:浮世の花の写真37: 左は興坪往きのバスの中で撮った「笑い上戸」の「浮世の花」です、ここは未だ陽朔です。彼女らは壮族(チワン族)か(?)。彼女たちは興坪の手前の村で居りました。

 そして右は私たちが鶏鍋をしてる時に現れました。見た所4、5歳です。この子は鶏鍋屋の娘です、壮族(チワン族)でしょうか?
 私が旅行案内書(△6)を見乍ら鶏鍋を造っていると本を覗くので貸してやったら珍しい物を見る様に、本を見てましたね。実際珍しかったでしょう、日本語の本なんて。

 この日は鶏鍋の残り汁を使って日本的な雑炊もしました。鶏鍋も雑炊も上手かった。私はこの子を北山塞翁の「希望の星」として捧げます!!
 2017年6月20日にこの記事を追加してますが、既に2014年北山塞翁は逝去しました。この子は多分今生きていると思います。もし写真を撮った時(=02年)が4歳と仮定すれば、今年(=17年)には19歳なのです。もう結婚していても、子供を生んでいても何ら不思議では有りません。この様に若い子供は10年経てば大きな変化が有るのです。それに引き換え、私の様な老人は「唯年を取る」だけ、その間に少しずつ「死」に近づいて居るのです。{この段は2017年6月20日に追加}

  (7)-4.陽朔の「浮世の花」 - 「桂林の漓江下り」の船着場

 02年10月31日陽朔の街を探検し、陽朔に泊まりました。陽朔は「桂林の漓江下り」の船着場です。従って陽朔の街はカフェやピザの店が何軒も在り、街は欧米系のガイジンが闊歩して居ます。そういう点で昨日泊まった陽朔からバスで約1時間20分興坪とは雲泥の差が有ります。
 下はインターネットカフェのねえちゃん(小姐)黄運萍という名前です。背景に "On Line Cafe" と書いて在りますね。時々メールを呉れます。彼女は「浮世の花」に憧れて居ます。彼女の詳細については▼下▼をご覧下さい。
  陽朔インターネットカフェの小姐・黄運萍(Hello, Huang Yunping !)
  黄運萍、広州へ修行に出る(Huang Yunping in Guangzhou)

 何でも「大都会でインターネットやコンピュータ関連の[Big business]をしたい」と言ってたのは知って居ましたが、03年2月頃から広州に出て仕事をしているそうです。しかし「井の中のカエルちゃん」、どういう事に成りますのやら!
  浮世の花の写真38:

 下の4人も陽朔でのスナップです、何れも02年10月31日に撮影。欧米系のガイジンの「浮世の花」も居ます、これが陽朔の特徴です。その隣は寺院の塔の前にいた「浮世の花」です、夕方撮りました。
浮世の花の写真40:陽朔の外人さん。浮世の花の写真39:浮世の花の写真42:ボーイッシュだけど女の子です。胸の膨らみで判りますよね。浮世の花の写真41:
 右の「浮世の花」は水餃子/蒸餃子の屋台の子です(←焼餃子は在りません)。そこで蒸餃子とビール(啤酒)を注文し久々に餃子を食いました。

 右端の「浮世の花」はその後に寄った売店の女の子です。
 

 (8)3度目の広州 - 「憂き世の花」と「浮世の花」

 02年11月1日は再び広州に入り、沙面 -植民地時代の租界地- の広東省外事辨招待所(=ユースホステル)に泊まり、松岡さんと私は夜の珠江遊覧船 -珠江ナイトボートと呼ぶらしい(△6のp46)- に乗りました。小池さんはホテルで休みました。
浮世の花の写真46:沙面の花売り娘。
 右の女の子は遊覧船の乗り場でスナック菓子飲み物(←アルコール類は無し)を売って居ました。遊覧船は船内でも食事やビールなどを売っているので、果たしてこの商売が儲かるのか?、甚だ疑問ですが...。遊覧船では船賃に込みの摘みとジュースで我慢しました。するとこの「憂き世の花」(※1の[1])は船内で売っているより安い値段で売ってる筈ですね。その辺の事情に詳しい客はこの「憂き世の花」から買うのでしょう。この「マッチ売りの少女」(※13~※13-1)に幸せ来たれ!!
 しかしマッチ(match)(※13-2)は今日では殆ど見ませんね、今の子供たちはマッチを知って居るんでしょうか?

浮世の花の写真47:浮世の花の写真48:
 翌2日はホテル(流花賓館)に泊まりましたが、左の「浮世の花」は流花賓館の従業員です。

 その後、外に晩飯を食いに行きました。右の「浮世の花」は広州市盤福路の「福仙来酒店」の女店員です。ここの「大盤」は日本の「すき焼」の鍋の様な大きい鉄板を使った所謂鉄板焼き。牛肉の大盤豆腐の大盤、めちゃ旨い!

  →花見を終了する(End)
  →1.花・その1の先頭に戻る(Flower-1)
  →2.花・その2の先頭に戻る(Flower-2)
    {この章は05年3月24日に写真の貼り付けが完了、その後中断し、2017年6月20日に最終更新}

 ■結び - 私は西域人が好み

 (1)写真の貼り付けを終えて

 冒頭に記した様に原画ファイルが破壊された事を知り急遽当ページを05年1月4日から作り始め、何とか同年3月24日に取り敢えず写真を貼り付ける事が出来ましたが、破壊される前の2002年12月以前に作り始めていたら、と返す返すも悔いが残ります。まぁ、私も色々忙しい状況には有ったのですが。
 当ページは時系列的に見れば2001年の中甸(=香格里拉)が最初に成るのですが、やはり西双版納(景洪市) -「雲南桃源倶楽部」「パーリャンに小学校をつくる会」- を最初に持って来たかったので、こういう配置に成りました。これも原画ファイルの破壊が無ければ1999年と2000年の西双版納が時系列的にも最初に来ていたのです。
    {この節は05年3月24日に作成}

 (2)私の "My girl"
      - チャルチャン(且末)の「浮世の花」は2017年には満開!

 写真の貼り付けが終わると私は安心したので、05年3月24日~2016年10月24日迄は当ページは”ほったらかし”であった事は冒頭に記した通りです。
 当ページは2001~2002年「野に咲く花」「浮世の花」の写真を元に構成しました。特にチベット族の呉紅梅さんを気に入った松岡さんや、興坪の4歳位の女の子は北山塞翁の「希望の星」として紹介しました。そこで、最後に私の "My girl" を紹介しましょう。
 その前に小池さんの事を書きます。小池さんは奥様一筋です。実は私は小池さんの奥様に一度だけ会って居るのです。それは雲南桃源倶楽部が東大阪市のバザーに出店した時です。私は奥様の写真も撮ったのですが、上に書いた様にこれは原画ファイルが破壊された為に今は在りません。中々の美人です
 中川保さんのHPの「雲南桃源倶楽部の歩み」に拠ると、東大阪市で開催したバザーは2000年8月~2003年11月迄に6回開催して居ますが、小池さんの奥様が来られたのが何時だったは、もう覚えて居ません。但し他の写真から言える事は、2002~2003年は一部破壊されましたが破壊を逃れた写真の方が圧倒的に多いので、私は2001年ではないか、2000年では無い、と思って居ます。

                             
 それでは私の "My girl" を紹介します。次の1枚だけが2004年の写真で唯一の例外です。04年シルクロードの旅(或いはタクラマカン砂漠の旅)をしましたが、04年6月29日の朝バヤンゴル・モンゴル自治州(△6-1のp294)のチャルチャン(且末)という街で撮ったものです。朝食でナン(※14)を食べ、これから朝市に行く途中でした。

 可愛いですね、小学校1年位でしょうか。中国人というイメージとは違いますね。イラン系とかトルコ系とかの西域人(※15)の独特の顔が私は好きなのです。小学1年とすれば2017年は19歳で、今は「浮世の花」が満開です。もう結婚していても何ら不思議では有りません。
    {この節のここ迄は2016年10月24日に追加、2017年6月20日に最終更新}

 どうでしたか、お楽しみ戴けたことと思います。あなたは「野に咲く花」と、「浮世の花」と、どちらがお気に召しましたでしょうか?、又お会いしましょう!
 (Which do you like 'flowers of nature' or 'flowers of transient world' ?, thank you and see you again !)
    {この段は05年3月24日に作成}

-- 完 --

【脚注】
※1:憂き世/浮き世/浮世(うきよ)とは、(仏教的な生活感情から出た「憂き世」と漢語「浮世(ふせい)」との混淆した語)
 [1].wretched life, transient world。(憂き世)無常の世。生きることの苦しい世。儚い世。伊勢物語「散ればこそいとど桜はめでたけれ―になにか久しかるべき」。「つらく苦しい―」。
 [2].this world。(浮き世/浮世)
   [a].この世の中。現世世間。人生。太平記11「今は―の望みを捨てて」。「―の荒波にもまれる」。
   [b].享楽の世界。恨之介「心の慰みは―ばかり」。
   [c].近世、他の語に冠して、現代的・当世風・好色の意を表す。「浮世絵」。

※2:ブーゲンビレア/ブーゲンビリア(Bougainvillea[ラ])は、(ブーガンヴィルの名に因む)オシロイバナ科イカダカズラ属植物(その学名)。南米に10種ほど分布。又、同属の観賞用蔓性木本、又は低木。枝にはが付き、卵形で先が尖った葉を互生し、先端に3枚の苞(ほう)に包まれた小花を付ける。苞は紅/桃/白色など、園芸品種も多く、広く暖地や温室で栽培。イカダカズラ(筏鬘)
※2-1:苞(ほう、bract)とは、〔生〕花や花序の基部に付く。通常の葉に比して小形で、時に鱗片状を成すが、種に依っては色彩の美しい花弁状を呈するものも在る。苞葉
※2-2:花序(かじょ、inflorescence)とは、花が茎、又は枝に付く並び方。或いは花を付けた茎、又は枝。総穂花序集散花序、又は無限花序有限花序とに大別される。

※3:カンナ(Canna[ラ])は、カンナ科の春植球根植物。茎は緑色平滑で約2m。葉は大形の楕円形で先端が尖り、やや芭蕉の葉に似る。夏秋、長い花茎に花弁様の雄蕊(おしべ)を持つ花を総状に付ける。中南米産の原種からヨーロッパで改良され、品種が多い。又、広くはカンナ科カンナ属植物(その学名)で、中南米/インドなどに分布。アンデス地域では根を食用にする種も在る。ハナカンナ。オランダダンドク(阿蘭陀檀特)。季語は秋。
※3-1:檀特(だんどく〉は、カンナ科の多年草。インド原産で古くから観賞用に栽培。茎は緑色平滑で高さ2m内外。夏から秋、葉間から花茎を出し、鮮紅色の花弁様の雄蕊を有する花を総状に付ける。漢名、曇華
※3-2:球根(きゅうこん、bulb)は、球状、又は塊状をした地下茎や根。鱗茎(スイセン/ユリ/チューリップ/タマネギ)、球茎(サフラン)、塊茎(ジャガイモ/カラジウム)、根茎(ショウブ)、塊根(ダリア/サツマイモ)などが在る。

※4:ハイビスカス(hibiscus)は、アオイ科フヨウ属の熱帯性常緑低木で、ブッソウゲ(仏桑華)などを親として観賞用に改良された園芸品種群の総称。現在では3000以上の品種が在り、大部分はハワイで作出された。花の基本形は5枚の花弁、長く突き出た雌蕊(めしべ)、それを取り巻く雄蕊筒である。高さ2~5m。熱帯を代表する花として世界の暖地で広く栽培され、ハワイの州花、マレーシアの国花。ヒビスクス。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※4-1:仏桑華/仏桑花、扶桑華/扶桑花(ぶっそうげ、China rose)は、アオイ科の常緑低木。中国南部の原産。高さ約1~3m。夏から秋に、大形で紅色、又は白色のムクゲに似た一日花を付ける。雌蕊(めしべ)は長く、その周囲に多数の雄蕊が合体。扶桑仏桑。園芸品種がハイビスカス。季語は夏。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※5:糸瓜/天糸瓜(へちま)は、[1].ウリ科の蔓性一年草。熱帯アジアの原産。茎は長く、巻鬚(まきひげ)で他物に絡み付く。葉は掌状で3~7に浅裂。夏、5弁の黄花を開く。雌雄同株。果実は円柱状で若い内は食用、完熟すると果肉内に強靱な繊維組織が網目状に生じ、これを晒して汗除け垢すりなどに用いる。唐瓜(とうり)とも言い、「と」の字(いろは順の「へ」と「ち」の間=「へち間」)が名の由来と言う。季語は秋。〈日葡辞書〉。
 [2].つまらぬ物の譬え。糸瓜の皮(へちまのかわ)。一休狂歌問答「世の中は何の―と思へども」。

※6:牡丹(ぼたん、peony)は、この場合、ボタン科の落葉低木。中国原産。中国で花王と称する。観賞用/薬用に古くから栽培。高さ1m余。葉は羽状複葉。4~5月頃、直径20cmも有る美花を開く。園芸品種が多く、色は紅/紫/白/淡紅など。根皮は漢方生薬の牡丹皮で、駆血(くおけつ)剤。頭痛/腰痛/婦人病などの治療に用いる。二十日草。深見草。名取草。山橘。季語は夏。〈色葉字類抄〉。→寒牡丹。

※7:コリウス/コレウス(Coleus[ラ])は、シソ科コレウス属植物(その学名)。熱帯アジアなどを中心に100種以上が在る。その一種の一年生観葉植物コリウスは、ジャワなどの原産。高さ30~60cm。葉は卵形/柳葉/縮緬葉(ちりめんば)などがあり、長さ15cmに達する。色は紅紫に緑/黄を交えて美しい。花は小形、青色で穂状(すいじょう)花序園芸品種が多い。ニシキジソ(錦紫蘇)。キンランジソ(金襴紫蘇)。
※7-1:穂状花序(すいじょうかじょ)は、総状花序の一つ。長い花軸に柄のない花が多数着くもの。ネジバナなどの花序。

※8:黄葵/とろろ葵(とろろあおい)は、アオイ科の一年草。中国原産。高さ1m余。夏秋の頃、茎頂に黄色で底部は紅紫色、大形5弁の花を1日だけ開く。花後、楕円形の蒴果(さくか)を結ぶ。根の粘液は和紙の糊料、又、胃腸炎/咽頭炎などに薬用。漢名、黄蜀葵(おうしょっき)ハナオクラ(花オクラ)
 補足すると、「とろろ」とは、根の粘液の粘り気を言う語で「とろろ昆布」や「とろろ芋」と同じ用法です。
※8-1:蒴果(さくか/さっか、capsule)とは、乾果の一。乾性の子房の発達した果実で、熟すと縦裂して種子を散布する。アサガオ/ケシ/アブラナ/キキョウ科などの実の類。蒴。
※8-2:オクラ(okra)は、アオイ科の一年草。高さは約1.5m。アフリカ原産とされる。日本への果菜としての導入は比較的最近。花は黄色大輪で、一日花。若い莢(さや)を生食/煮食する。オクロー。アメリカネリ。ガンボ。陸蓮根(おかれんこん)。

※9:マリーゴールド(marigold)は、キク科の一年草。メキシコ原産の観賞用植物数種の総称。高さ30~50cm。葉は羽状複葉。夏に球状の頭花を開く。園芸品種が多く、花色は黄/橙赤など。孔雀草。紅黄草。万寿菊。

※10:雲南省中甸県(うんなんしょうちゅうでんけん)は、2002年1月香格里拉(シャングリラ)県と名称変更されました。私は雲南桃源倶楽部の有志と2001年10月17~20日、即ち名称変更の1.5ヶ月前に中甸を訪れました。従って私には中甸という名前の方がピッタリ来ますので、中甸で通します。

※11:瀾滄江(らんそうこう)は、メコン川(Mekong river)の中国名。東南アジア第1の大河。中国青海省南部、チベット高原東部に発源、山系の走向に従って南東流後に南流、中国雲南省およびラオス・タイの境を流れ、カンボジアを貫流、ベトナム南部で南シナ海に注ぐ。下流のデルタ地帯は水田地帯として重要。長さ4350km。

※12:土司(どす)とは、元、明、清の時代に少数民族の首領に世襲の官職を与え、その地を支配させた制度。

※13:マッチ売りの少女(―うりのしょうじょ、The little match girl)は、アンデルセン(1805~1875)の創作童話の一つで、1848年に発表。話の内容は、大晦日の夜、少女は寒空の下でマッチを売っていたが売れなかった。マッチが売れないと父親に怒られるのだ。夜が更け冷えるのでマッチを1本擦ると少女はクリスマスの幻影を見、残りのマッチを全部擦ると優しい祖母と昇天した幻影を見た。新年の朝、少女はマッチの燃え滓を抱えて微笑み乍ら死んでいた。経済的に全く恵まれない少女時代を送った作者の母をモデルにしたと言われている。
※13-1:アンデルセン(Hans Christian Andersen)は、デンマークの詩人・作家(1805~1875)。オーデンセ生まれ。オペラ歌手・俳優を志してコペンハーゲンに出たが何れも失敗して貧困生活を送る。長編小説「即興詩人」、連作短編集「絵のない絵本」、自伝「わが生涯の物語」の他、「火打箱」「親指姫」「人魚姫」「醜いあひるの子」など150編を超える童話で著名。デンマーク語名アネルセン。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※13-2:マッチ/燐寸(match)は、摩擦に依って発火させ火を得る用具の一つ。軸木の頭薬(塩素酸カリウム/二酸化マンガン/硫黄など)と、容器などに塗付した側薬(赤燐/硫化アンチモンなど)とを摩擦させて発火する安全マッチが普通。粗面ならどこにでも摩擦させれば発火する摩擦マッチも在るが、こちらは今日では殆ど製造されない。擦付木(すりつけぎ)。福沢諭吉、実業論「就中帽子、洋傘、―の如きは単に輸入品のみを用ひたりしに」。「―を擦る」。→マッチポンプ。

※14:ナン/ナーン(naan[印])とは、インド/西アジア/中央アジアなどの平焼きパン。小麦粉を水で捏ねて発酵させ、薄く伸ばして壺形の竈の内側に貼り付けて焼いたもの。

※15:西域(せいいき/さいいき、Western Territory of Chinese)とは、中国の西方諸国を中国人が呼んだ汎称。広義にはペルシャ/小アジア/シリア/エジプト方面まで含む。狭義にはタリム盆地(東トルキスタン) -新疆の天山南/北路地方- を言い、漢代にはオアシスにイラン系諸族が分散・定住して小都市国家が分立、西域三十六国と総称され、唐代に掛けて東西交通の要衝。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『西双版納 -悠々ロングステイのすすめ-』(北山昌夫編著、三一書房)。

△2:『色でひける 花の名前がわかる事典』(高橋竜次・勝山信之共著、成美堂出版)。
△2-1:『花の事典 知りたい花の名前がわかる』(金田初代・金田洋一郎共著、西東社)。

△3:『カラーブックス 漢方薬入門』(難波恒雄著、保育社)。

△4:『ギリシア神話小事典』(バーナード・エヴスリン著、小林稔訳、教養文庫)。

△5:『源氏物語(二)』(山岸徳平校注、岩波文庫)。

△6:『地球の歩き方D05 広州・桂林と華南 2002~2003年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。
△6-1:『地球の歩き方D07 西安とシルクロード 2003~2004年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):パーリャンの在る孟連県の地図▼
地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)
参照ページ(Reference-Page):西双版納の地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
参照ページ(Reference-Page):華南や広州の地図▼
地図-中国・広東省の広州(Map of Guangzhou of Guangdong, -China-)
参照ページ(Reference-Page):桂林地方の地図▼
地図-中国・桂林地方(Map of Guilin region, -China-)
参照ページ(Reference-Page):雲南省の香格里拉(旧:中甸)や
麗江の地図▼
地図-中国・雲南省北部(Map of Northern part of Yunnan, -China-)
参照ページ(Reference-Page):昆明と雲南省の地図▼
地図-中国・昆明と雲南省(Map of Kunming and Yunnansheng, -China-)
参照ページ(Reference-Page):四川省の成都の地図▼
地図-中国・四川省の成都と三星堆
(Map of Chengdu and Sanxingdui of Sichuan, -China-)

参照ページ(Reference-Page):中国雲南省の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
参照ページ(Reference-Page):「憂き世」を詠んだ『小倉百人一首』の歌▼
(68、95番歌)
資料-小倉百人一首(The Ogura Anthology of 100 Poems by 100 Poets)
補完ページ(Complementary):原画ファイルの破壊状況と破壊時期▼
初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)
補完ページ(Complementary):当ページを纏める切っ掛けに成った
兄弟の様なページ、西双版納の市場の納豆や竹御飯(糯米)や
基諾族の看護婦の娘さん(名前は松松さん)▼
1999年・雲南の旅(昆明/西双版納/大理)
(Kunming, Xishuangbanna, and Dali of Yunnan, China, 1999)

補完ページ(Complementary):「憂き世」と「浮世/浮き世」▼
「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)
補完ページ(Complementary):嘎洒(ガサ)鎮曼弄楓村の
タイ族民家の体験宿泊記▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
横顔(Profile):「雲南桃源倶楽部」について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
横顔(Profile):「パーリャンに小学校をつくる会」について▼
パーリャンに小学校をつくる会
(Construct team for Paliang's primary school)

横顔(Profile):2004年11月1日のパーリャン小学校竣工式の模様と
竣工式以降の「支援する会」の活動▼
パーリャン村の小学生を支援する会
(Support team for Paliang's schoolchildren)

中断は私には良く有る事▼
2007年・加古川沿岸ローカル鉄道の旅
(Local railway trip along Kako-river, Hyogo, 2007)

雲南省孟連ダイ族ラフ族ワ族自治県のパーリャンの旅▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

私が初めて「ヘチマを食う文化」を知ったのは韓国▼
私の外国旅行(Travel of my foreign country)
沖縄では日常的に「ヘチマを食う文化」が在る▼
梅田に「物外館」という店が在った!('Butsugaikan' on my mind)
台湾にも「ヘチマを食う文化」が在る▼
2004年・台湾”味試し”旅(Let's banquet and sing in Taiwan, 2004)
浅草「宮ちゃん」のオクラ納豆は味の芸術品▼
日本、形有る物を食う旅(Practice of active meal, Japan)
華南地方の旅▼
2002年・”脱雲南”桃源紀行(Escape from Yunnan, China, 2002)
広州で黄先生お薦めの蛇料理を食う▼
民族変わればゲテモノ変わる(About the bizarre food)
陽朔は桂林の漓江下りの船着場、桂林の飯屋の娘▼
2002年・桂林の漓江下り(Go down the Lijiang of Guilin, China, 2002)
中甸(=香格里拉)県の灌木の紅葉や植物、
呉紅梅さんや西蔵民族レストランの「浮世の花」▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)
瀾滄江産の鰻、豚の鼻付き顔面の皮など▼
中国のヘビーなお食事-”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
昆明の花鳥市場▼
中国のケッタイな人々(Chinese strange persons)
2000年の雲南桃源旅行とリ・アーチン(李亜琴)▼
2000年・雲南の旅(河口/元陽/紅河etc)
(Hekou, Yuanyang, Honghe etc. of Yunnan, China, 2000)

2002年10月24日の「景洪ナイト・フィーバー」前後の
版納賓館の「浮世の花」たち▼
2002年の景洪ナイト・フィーバー(Jinghong night fever, China, 2002)
プ・リャンスオの工芸品売り場の店員▼
プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ(Snake liquor to Pu Liangsuo, China)
2002年の昆明の尹君の娘さん▼
2002年・尹君のお父さんの思い出
(Memories of Mr.Yin's father, China, 2002)

回族の「浮世の花」がイスラム的惣菜を作って売っている▼
昆明の「清真」通り('Qingzhen' street of Kunming, China)
麗江の白沙村の土産物売り場の売り子や束河村のガイドの和玉梅さん▼
2001年・麗しの麗江(Beautiful Lijiang, China, 2001)
成都の直美ちゃんとガイドの魏さん▼
2001年・夜行列車で成都へ(To Chengdu by NIGHT TRAIN, China, 2001)
三江の侗族(トン族)の従業員、練炭を熾してくれた桂林の飯屋の娘▼
2002年・三江のトン族を訪ねて(Dong zu of Sanjiang, China, 2002)
ロリータ(Lolita)とは▼
超甘コンプレックス論(Super sweet theory of COMPLEX)
興坪の笑い上戸や北山塞翁の「希望の星」▼
2002年・桂林の興坪(Xingping of Guilin, China, 2002)
陽朔のインターネットカフェの小姐(黄運萍)について▼
陽朔インターネットカフェの小姐・黄運萍(Hello, Huang Yunping !)
03年2月頃から広州に出て来たという黄運萍▼
黄運萍、広州へ修行に出る(Huang Yunping in Guangzhou)
私の "My girl" の原産地▼
2004年・新疆とタクラマカン砂漠の旅
(Travel of Xinjiang and Taklimakan Desert, China, 2004)

中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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