2004年・新疆とタクラマカン砂漠の旅
[憧れのシルクロード!]
(Travel of Xinjiang and Taklimakan Desert, China,
2004)

-- 2006.03.09 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2019.03.28 改訂

 ■はじめに - タクラマカン砂漠について

 タクラマカン砂漠(※1)は新疆ウイグル自治区(※1-1、※1-2)に在ります。タクラマカン砂漠の地図は▼下▼からご覧下さい。
  地図-中国・タクラマカン砂漠(Map of Taklimakan Desert, -China-)

 広辞苑で新疆の「疆」の字を調べると、

  疆(きょう)は、境。区切り。果て。「疆域・辺疆」。

と出て来ます。
 漢和辞典で見ると、

  疆  〔音〕キョウ〈キャウ〉
  境。境界。限り。「疆域・辺疆・万寿無疆」。

 広辞苑でも漢和辞典でも、意味は辺境/辺疆です(←最近は辺疆は殆ど使われませんが)。広辞苑に拠ると、新疆(Xinjiang)は「新しい土地」の意(※1-1)と在りますが、新疆はやはり辺境/辺疆という意味でしょう、私はそう思います。
 私は日本に於いて辺境”境の地”に少なからず興味が有りますが、新疆ウイグル自治区は日本の辺境とはイメージが異なります。日本の辺境地は県境の人里離れたイメージ -例えば信州と越後の”境の地”に糸魚川静岡構造線が在る様に- ですが新疆ウイグル自治区は広いのです。しかも新疆はタクラマカン砂漠なので砂漠の経験が無い人にはイメージが茫洋として仕舞います、鳥取砂丘とは規模が違います。確かに砂嵐とか人を寄せ付けない厳しさも有りますが。新疆が”辺境/辺疆”のイメージを漢族などに与えたのは「不毛の砂漠」の所為だった筈です。そしてウルムチ烏魯木斉Urumchi)(※1-3)が新疆ウイグル自治区の区都です。
 ところが20世紀の文明は価値観を一変しました。「不毛」と思われて居た砂漠から石油が産出する事が解った為です、即ち「宝の砂漠」に変貌したのです。しかし、この問題は一先ず置いて先に進みます。

 私は子供時代から大分変わった子供で、その最たる物が昆虫採集それもトンボの採集ですが、私は空想的に西域(※2)やシルクロード(※2-1)という言葉に”漠然とした憧れ”を抱いて来ましたが、今度憧れの地を旅するという夢の様な心地です。特に西域にはオアシス(※4)のイメージが付いて回り、考えは直ぐ空想的に成り、自分が砂漠の隊商に一員としてラクダに乗って旅して仕舞うのです。つまり空想と現実の境界が曖昧な少年でした。
 ウイグル族(Uighur)(※1-2)はトルコ系民族です。02年に昆明で会った乾葡萄を売っていたオッサンはトルファン(※5~※5-2)から出稼ぎに来て居ました。如何にもトルコ系の顔です。


 ここで時差について記して置きましょう。中国は全て北京時間、即ち日本との公式時差は1時間ですが、新疆ウイグル自治区の時差は実際には北京よりも2時間、日本とは3時間時差が有ります。従って22:25と言っても実際には19:30位の感じです。実際に現地では実情に合わせた現地時間で動いて居ます。




 ■


イスラム教徒の女性が顔を隠す為に使うスカーフを「ヒジャーブ」と呼びます。









 ■チャルチャン(且末)

















 可愛い女の子を見付けました、私の "My girl" です。04年6月29日の朝バヤンゴル・モンゴル自治州のチャルチャン(且末、Qiemo)という街で撮ったものです(△1のp294~296)。朝食でナン(※15)を食べ、これから朝市に行く途中でした。

 私の "My girl" を「中国名花集」に登録しました。{この段の写真と記事は2016年10月24日に追加}































































































































 ■結び









♪♪♪ おしまい ♪♪♪

【脚注】
※1:タクラマカン砂漠(Taklimakan/Taklamakan/Takelamagan Desert)は、中国新疆ウイグル自治区の天山南路に在る中国最大の砂漠タリム盆地の流砂から成る砂丘地帯。面積32万㎢。
※1-1:新疆ウイグル自治区(しんきょう―じちく)は、中国北西端に位する西域の主要地域。新疆(Xinjiang)「新しい土地」の意。東西に走る崑崙・天山・アルタイの3山脈とその間に拡がるタリム/ズンガリアの両盆地とから成る。清の乾隆(1736~1795)年間、中国の版図に入り、1882年省制をしく。1955年新疆ウイグル自治区と成る。ウイグル族が住民の5分の3を占める。灌漑農業/牧畜業が盛んで、石油などの鉱物資源が豊富。ウイグル族/漢族/モンゴル族など多民族が居住。古来、シルクロードを通って東西文化が交流し、多数の都市国家が興亡した地で、都市遺跡/仏教遺跡が散在。区都はウルムチ(烏魯木斉)。略称は新(シン)。新疆維吾爾自治区。面積約160万㎢。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1-2:ウイグル(Uighur、維吾爾)は、唐から宋/元に掛けてモンゴル/甘粛/新疆方面に活動したトルコ系民族鉄勒(てつろく)の一部族から起り、唐中期の744年、突厥に代ってモンゴル高原に制覇、840年内乱とキルギス族の襲撃の為に四散。新疆に移ったものは西ウイグル王国を形成して独自の文化を発達させ、西域のトルコ化を促進、後に元に帰属、次第にイスラム化した。現在の新疆ウイグル(維吾爾)自治区主要住民。ウイグル文字から蒙古文字/満州文字が派生。現在のウイグル族は約7百万人。回紇/回鶻(かいこつ)。
※1-3:ウルムチ(烏魯木斉、Urumchi)は、中国新疆ウイグル自治区の区都。天山山脈の中部北麓に在る要衝。1763年築城して迪化(てきか)と命名。1953年現名に改称。嘗て隊商貿易の中心地。解放後は鉄鋼/機械/化学などの工業が発達。1991年カザフスタンと結ぶ鉄道が開通し、政治/経済/文化/交通の要地。人口128万(1995)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>




※2:西域(せいいき/さいいき、Western Territory of Chinese)とは、中国の西方諸国を中国人が呼んだ汎称。広義にはペルシャ/小アジア/シリア/エジプト方面まで含む。狭義にはタリム盆地(東トルキスタン) -新疆の天山南/北路地方- を言い、漢代にはオアシスにイラン系諸族が分散・定住して小都市国家が分立、西域三十六国と総称され、唐代に掛けて東西交通の要衝。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2-1:シルクロード(Silk Road)は、(古代中国の特産品で在ったがこの道を通り、西アジアを経てヨーロッパ/北アフリカへ齎されたから言う)絹の道。絹街道。中央アジアを横断する東西交通路に対して名付けた称。ドイツの地理学者リヒトホーフェンがSeidenstrassen([独])と呼んだことに始まり、後スタイン"Silk Road"という語をその著作に用いた。今日では北方の草原ルートや南方の海上ルート(海の道)を含めて言う傾向に在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>





※4:オアシス(oasis)は、[1].砂漠中で水が湧き、樹木の繁茂している沃地。生物群集の形成隊商の休息などに役立つ。大きな所では集落が出来、農耕も行われて居る。水は泉/外来河川/地下水道/深井戸などから得ている。
 [2].慰安と成るもの。又、その場所。「都会の―」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>




※5:トルファン/トゥルファン(吐魯番、Turfan)は、中国、新疆ウイグル自治区、天山南路の東北部の地。漢代より漢族の屯田が行われ、5~7世紀、その移民に依り高昌国が建てられたが、後に唐に併合された。人口20万。海面下100m以下に在り、カレーズ(地下水路)を利用する綿花ブドウ(葡萄)などの栽培が盛ん。付近に交河(こうが)故城/高昌故城/アスターナ古墳群/ベゼクリク千仏洞などが在る。又、「西遊記」で有名な火焔山が北側に在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※5-1:高昌(こうしょう)は、漢末から西方に移住した漢族が5世紀中葉(460~640)にトルファン(吐魯番)地方に建てた植民国家。西域に於ける中国文化の中心。唐に滅ぼされた。王家は沮渠(そきよ)氏/闞(かん)氏/麹(きく)氏など。
※5-2:カレーズ(karez[ペルシャ])/カナート(qanat[アラビア])とは、イランなど西アジアの乾燥地帯で発達した灌漑用地下水路。中国語では坎児井。





※10:天山山脈(てんざんさんみゃく)は、中央アジアに在って、西はキルギス、東は中国領に亘る多くの山脈の集まり。延長2450km。最高峰はポベーダ峰7439m)。
※10-1:天山北路(てんざんほくろ)は、中国新疆ウイグル自治区の天山山脈以北の地域。天山/アルタイ両山脈の間に在る盆地。古く東西交通の要路。ジュンガリア(Dzungaria)
※10-2:天山南路(てんざんなんろ)は、中国新疆ウイグル自治区の天山山脈以南の地域。崑崙/天山二大山脈間の盆地。古く東西交通の要路。東トルキスタン。→タリム。





※11:崑崙(こんろん)とは、[1].中国古代に西方に在ると想像された高山で、美玉を産するという山。書経の禹貢/爾雅/山海経などに見える。西王母が住むと言う。崑山。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 [2].→崑崙山脈
※11-1:崑崙山脈(こんろんさんみゃく)/クンルン山脈(―さんみゃく)は、中国西部のチベットと新疆ウイグル自治区の境を東西に走る大山系。全長約2500km。パミール高原から東へ伸びて、最高峰はコングール山7649m(→次がムズターグ山(慕士塔格山、ムズターグアタ)の7546m)。年代を経た褶曲山脈で、万年雪を頂く峰や氷河が多い。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>







※15:ナン/ナーン(naan[印])とは、インド/西アジア/中央アジアなどの平焼きパン。小麦粉を水で捏ねて発酵させ、薄く伸ばして壺形の竈の内側に貼り付けて焼いたもの。















※30:ペルシャ/ペルシア(Persia、波斯)は、(イラン南西部の古代地名パールサ(Parsa)に由来)イランの旧称。アケメネス朝/ササン朝/サファヴィー朝/カージャール朝などを経て、1935年パフレヴィー朝が国号をイランと改めた。
※30-1:イラン(Iran)は、西南アジア、カスピ海の南に位置するイスラム共和国。旧称ペルシャ(又はペルシア)。1935年改称。79年までは王制。砂漠/荒地が多い。世界屈指の産油国。住民の大半はペルシャ人でイスラム教(シーア派)を信じ、公用語は現代ペルシャ語。面積163万3千㎢。人口6728万(1995)。首都テヘラン


    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『地球の歩き方D07 西安とシルクロード 2003~2004年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。





●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):タクラマカン砂漠や
新疆ウイグル自治区の地図▼
地図-中国・タクラマカン砂漠(Map of Taklimakan Desert, -China-)




参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)

”境の地”について▼
2003年・磐座サミットin山添(Iwakura summit in Yamazoe, Nara, 2003)
”境の地”の具体例:信州と越後の”境の地”に糸魚川静岡構造線が在る▼
東西三都物語(The 3-cities of east and west)

トンボの昆虫採集▼
私の昆虫アルバム・日本編-トンボ類
(My INSECTS album in Japan, Dragonflies)






イスラム料理を「清真」と呼ぶ理由やトルファンは私の憧れの地▼
昆明の「清真」通り('Qingzhen' street of Kunming, China)







私の "My girl" を「中国名花集」に登録▼
中国名花集-花の写真館(Chinese Flowers)



「中国の少数民族」について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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