▼タクラマカン砂漠の西部の地図(Map of the west part of Taklimakan Desert)
▼タクラマカン砂漠の東部の地図(Map of the east part of Taklimakan Desert)
○タクラマカン砂漠(Taklimakan/Taklamakan/Takelamagan Desert)は、中国新疆ウイグル自治区の天山南路に在る中国最大の砂漠。タリム盆地の流砂から成る砂丘地帯。面積32万㎢。
○新疆ウイグル自治区(しんきょう―じちく)は、中国北西端に位する西域の主要地域。新疆(Xinjiang)は「新しい土地」の意。東西に走る崑崙・天山・アルタイの3山脈とその間に拡がるタリム/ズンガリアの両盆地とから成る。清の乾隆(1736~1795)年間、中国の版図に入り、1882年省制をしく。1955年新疆ウイグル自治区と成る。ウイグル族が住民の5分の3を占める。灌漑農業/牧畜業が盛んで、石油などの鉱物資源が豊富。ウイグル族/漢族/モンゴル族など多民族が居住。古来、シルクロードを通って東西文化が交流し、多数の都市国家が興亡した地で、都市遺跡/仏教遺跡が散在。区都はウルムチ(烏魯木斉)。略称は新(シン)。新疆維吾爾自治区。面積約160万㎢。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・ウイグル(Uighur、維吾爾)は、唐から宋/元に掛けてモンゴル/甘粛/新疆方面に活動したトルコ系民族。鉄勒(てつろく)の一部族から起り、唐中期の744年、突厥に代ってモンゴル高原に制覇、840年内乱とキルギス族の襲撃の為に四散。新疆に移ったものは西ウイグル王国を形成して独自の文化を発達させ、西域のトルコ化を促進、後に元に帰属、次第にイスラム化した。現在の新疆ウイグル(維吾爾)自治区主要住民。ウイグル文字から蒙古文字/満州文字が派生。現在のウイグル族は約7百万人。回紇/回鶻(かいこつ)。
○西域(せいいき/さいいき、Western Territory of Chinese)とは、中国の西方諸国を中国人が呼んだ汎称。広義にはペルシャ/小アジア/シリア/エジプト方面まで含む。狭義にはタリム盆地(東トルキスタン) -新疆の天山南/北路地方- を言い、漢代にはオアシスにイラン系諸族が分散・定住して小都市国家が分立、西域三十六国と総称され、唐代に掛けて東西交通の要衝。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
○天山山脈(てんざんさんみゃく)は、中央アジアに在って、西はキルギス、東は中国領に亘る多くの山脈の集まり。延長2450km。最高峰はポベーダ峰(7439m)。
・天山北路(てんざんほくろ)は、中国新疆ウイグル自治区の天山山脈以北の地域。天山/アルタイ両山脈の間に在る盆地。古く東西交通の要路。ジュンガリア(Dzungaria)。
・天山南路(てんざんなんろ)は、中国新疆ウイグル自治区の天山山脈以南の地域。崑崙/天山二大山脈間の盆地。古く東西交通の要路。東トルキスタン。→タリム。
○崑崙(こんろん)とは、[1].中国古代に西方に在ると想像された高山で、美玉を産するという山。書経の禹貢/爾雅/山海経などに見える。西王母が住むと言う。崑山。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
[2].→崑崙山脈。
○崑崙山脈(こんろんさんみゃく)/クンルン山脈(―さんみゃく)は、中国西部のチベットと新疆ウイグル自治区の境を東西に走る大山系。全長約2500km。パミール高原から東へ伸びて、最高峰はコングール山の7649m(→次がムズターグ山(慕士塔格山、ムズターグアタ)の7546m)。年代を経た褶曲山脈で、万年雪を頂く峰や氷河が多い。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
○シルクロード(Silk Road)は、(古代中国の特産品で在った絹がこの道を通り、西アジアを経てヨーロッパ/北アフリカへ齎されたから言う)絹の道。絹街道。中央アジアを横断する東西交通路に対して名付けた称。ドイツの地理学者リヒトホーフェンがSeidenstrassen([独])と呼んだことに始まり、後スタインが"Silk Road"という語をその著作に用いた。今日では北方の草原ルートや南方の海上ルート(海の道)を含めて言う傾向に在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・オアシス(oasis)は、[1].砂漠中で水が湧き、樹木の繁茂している沃地。生物群集の形成、隊商の休息などに役立つ。大きな所では集落が出来、農耕も行われて居る。水は泉/外来河川/地下水道/深井戸などから得ている。
[2].慰安と成るもの。又、その場所。「都会の―」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・カレーズ(karez[ペルシャ])/カナート(qanat[アラビア])とは、イランなど西アジアの乾燥地帯で発達した灌漑用地下水路。中国語では坎児井。
○ウルムチ(烏魯木斉、Urumchi)は、中国新疆ウイグル自治区の区都。天山山脈の中部北麓に在る要衝。1763年築城して迪化(てきか)と命名。1953年現名に改称。嘗て隊商貿易の中心地。解放後は鉄鋼/機械/化学などの工業が発達。1991年カザフスタンと結ぶ鉄道が開通し、政治/経済/文化/交通の要地。人口128万(1995)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・ホータン(和田、Khotan, Hotan)は、中国新疆ウイグル自治区南部に在るオアシス都市。人口18万6千(2000)。ホタン。→于闐(うてん)。
・カシュガル(Kaxgar、喀什噶爾/喀什)は、中国新疆ウイグル自治区タリム盆地北西隅の都市。漢より唐の間、疎勒(そろく)の名で知られる。1759年より清朝の版図に入る。新疆南部の経済の中心地。東西交通の要地。人口34万1千(2000)。
・庫車(クチャ、Kuqa, Kucha)は、中国新疆ウイグル自治区、天山山脈南麓のオアシス都市。古代の亀茲国(きじこく)の地で、付近にキジル石窟など仏教遺跡が多い。人口41万(2004)。→亀茲国(きじこく)。
・亀茲国(きじこく)は、中国の史書に見える西域諸国の一。今の中国新疆ウイグル自治区庫車(クチャ)地方。後漢の班超が西域都護として駐在、唐代には安西都護府が置かれた。仏教文化が栄えた。
・アルタイは、この場合、Aletai、阿勒泰。中国新疆ウイグル自治区北のロシアのアルタイ山脈南西麓の街。カザフ族が多く住む。青銅器時代のチェムルチェク古墳群や鉄器時代の岩絵、ハナス湖と中国/ロシア/モンゴルの国境に友誼峰(4374m)が美しい。石人が在る。面積1万1481㎢、人口22万(2003)。
・トルファン/トゥルファン(吐魯番、Turfan)は、中国、新疆ウイグル自治区、天山南路の東北部の地。漢代より漢族の屯田が行われ、5~7世紀、その移民に依り高昌国が建てられたが、後に唐に併合された。人口20万。海面下100m以下に在り、カレーズ(地下水路)を利用する綿花/ブドウ(葡萄)などの栽培が盛ん。付近に交河(こうが)故城/高昌故城/アスターナ古墳群/ベゼクリク千仏洞などが在る。又、「西遊記」で有名な火焔山が北側に在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・高昌(こうしょう)は、漢末から西方に移住した漢族が5世紀中葉(460~640)にトルファン(吐魯番)地方に建てた植民国家。西域に於ける中国文化の中心。唐に滅ぼされた。王家は沮渠(そきよ)氏/闞(かん)氏/麹(きく)氏など。
・ハミ(哈密、Hami)は、中国新疆ウイグル自治区東部のオアシス都市。東西交通の要衝。哈密瓜(はみうり)が特産。クムル。人口38万9千(2000)。
・敦煌/燉煌(とんこう、Dunhuang)は、中国、甘粛省北西部の市。古来、西域との交通の要衝。市街の南東に4~14世紀の美しい壁画/塑像を持つ世界遺産の千仏洞(莫高窟)が在り、20世紀初め以来その壁の中から貴重な文書/仏典等を発見。人口18万8千(2000)。
・楼蘭(ろうらん、Loulan)は、西域の地名。クロライナ(Kroraina)の音訳。鄯善(ぜんぜん)国の首都で、嘗てロプノールの西岸に在った。前2世紀以前~5世紀頃迄栄える。スウェーデンの探検家S.ヘディンが1900年に遺跡を発見し、ガンダーラ文化の影響を示す遺品、漢式鏡/漆器などを出土。長い間、楼蘭遺跡が発見されなかったのは、ロプノールが「さまよえる湖」(←S.ヘディンが命名)で在る為、位置が定まらなかった事に由る。→鄯善。
・鄯善(ぜんぜん/ぴちゃん、Shanshan)は、前2世紀以前~5世紀頃迄栄えた西域の大国。天山南路の南道、ロプノールの南辺を中心に、クロライナ(楼蘭)/ミーラーン/ニヤなどの諸都市を支配した。インド系のカロシュティ文字を使った文書を出土する。→楼蘭。
・ロプノール/ロブノール(Lob-Nor、羅布泊)は、中国、新疆ウイグル自治区タリム盆地東端の砂漠に在る塩湖。標高768m。位置/形状は絶えず変動(→探検家のS.ヘディンの「さまよえる湖」が命名した事は有名)。流入するタリム河/孔雀河の河道と水量の変化やダムに依り現在は干上がる。蒲昌海。塩沢。
○ヘディン(Sven A.Hedin)は、スウェーデンの地理学者・探検家(1865~1952)。東トルキスタン/チベットなどを踏査して、楼蘭など古代遺跡を発見、中央アジア研究の発展に貢献。学術報告のほか、旅行記「さまよえる湖」他を著す。
・大谷光瑞(おおたにこうずい)は、浄土真宗本願寺派第22世法主(1876~1948)。京都の人。1902年に探検隊(←大谷探検隊:1902、08、12年の3次派遣)を率い中央アジアの考古学的調査に貢献。法号、鏡如。
・橘瑞超(たちばなずいちょう)は、浄土真宗本願寺派僧侶・探検家(1890~1968)。名古屋生れ。大谷光瑞の探検隊の第2次、第3次中央アジア探検に参加。著「中亜探検」。
タクラマカン砂漠の地は、古くからシルクロードとか西域と呼ばれ、不毛の砂漠地帯にロマンティックな幻想を与えました。
中でも1900年のS.ヘディンの楼蘭遺跡発見は大きな衝撃を与えました。取り分けロプノールの「さまよえる湖」(←S.ヘディンが命名)(△1のp119~121)という名、楼蘭(△2のp7~14、244)という非中国的の名は、西域に大いに夢を与えました。これに触発され日本では大谷探検隊が組織され西域の楼蘭周辺(=中央アジア)を調査/探検をしました。大谷探検隊の橘瑞超は1909年頃に中国の前涼(※1)の将軍・李柏が焉耆(えんき)の王に送った、漢語で書かれた手紙の草稿を楼蘭遺跡の西南50kmの地点から発掘しました。李栢文書と言われるこの資料は328年頃に紙に書かれて居り、紙に書かれた物としては世界最古に属します(△2のp18、229~233)。
しかし1964年にロプノールで中国初の核実験を行い、更に上流のタリム河にはダムが出来、もうロプノールは”さまよわない”だろうと言われ、現在は干上がって居ます。
【脚注】
※1:前涼(ぜんりょう)は、五胡十六国の一つ(301~376)。涼州刺史と成った漢人の張軌が甘粛省蘭山道以西の地に拠って建てた国。9世で前秦の苻堅(ふけん)に滅ぼされた。
※2:焉耆(えんき)は、中国の史書に見える西域諸国の一つ。今の中国新疆ウイグル自治区の焉耆回族自治県。ウイグル名カラシャール。唐代には安西四鎮の一つで西域統治の一拠点。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『ヘディン中央アジア探検紀行全集10 さまよえる湖』(ヘディン著、深田久弥・榎一雄監修、関楠生訳、東洋文庫協力、白水社)。
△2:『東洋文庫1 楼蘭-流砂に埋もれた王都』(A.ヘルマン著、松田寿男訳、平凡社)。