2003年・磐座サミットin山添
[磐座探検#3]
(Iwakura summit in Yamazoe, Nara, 2003)

−− 2003.12.01 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.12.31 改訂

 ■はじめに − 因縁の山添村

 03年11月22日(土)、23日(日)、24日(月=振替休日)に「第4回イワクラサミット」が「イワクラサミット in 山添」(→過去の開催は後出)という名称で「山添村ふるさとセンターふれあいホール」(収容人数486席、奈良県山辺郡山添村大字大西)で開催されました。山添村の磐座昨年(=02年)12月22日の冬至の日に大国見山を探検した後にほんの少しだけ訪ねた場所で、この[磐座探検]シリーズ第1作の「2002年冬至・石上奥の大国見山」(=[磐座探検#1])に於いて期せずして

  『山添村は京都府・奈良県・滋賀県・三重県の県境に位置し車でないと行き難い所ですが、逆にそれ故に神秘な遺跡が残って居ると言えます。...<中略>...磐座信仰を研究する者にとって山添村は”怪しくてオモロイ”所でっせ!』

と紹介した場所でした。ま、どんなに行き難いかは地図をご覧下さい。
写真1:山添村ふるさとセンターの前で有志の皆さん。
 そんな偶然の因縁から前回山添村を訪問した「日本磐座岩刻文字研究会」(会長:森之宮神社の石崎宮司)の有志の皆さんと私の計5人は乗用車2台に分乗して、11月22日(土)のサミットに参加しました。右が有志の皆さん(右端が石崎さん)と山添村ふるさとセンターです。
 さて、山添村は「山添村イワクラmap」(△1)というパンフレットを発行し今回のイワクラサミットを開催するなど何故か磐座に力を入れていて(→後で詳述)、当センター造成工事中に出土した花崗岩の塊(※1)を山添長寿岩(左下の写真、前に居るのは私) −直径7m、推定重量600トン(△1)− と命名して「ふるさとセンター」の庭の真ん中にデンと屋外展示して居ます(右下の写真が説明板)。
写真2:長寿岩の前の私。写真3:長寿岩の説明板。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 「山添村ふるさとセンター」は1988年に発案された「ふるさと創生基金」 −別名:「ふるさと創生1億円事業」、1億円を地方交付税給付対象の市町村(※2)に”ばら蒔いた”− の1億円を基に建てられ、1998年4月にオープンしました。

 成る程、新しそうな施設だと感じましたが建てて4年目だったのですね。では、イワクラサミットの会場「ふれあいホール」に入りましょう。

 ■初日のイワクラサミットに参加

 22日のプログラムの中核は

   14:40 基調講演「イワクラと神々の考古学」
             水野正好(奈良大学教授)
   15:50 パネルディスカッション
         「巨石遺構と古代文明」「山添村の巨石遺構」
           <パネリスト>
             水野正好(奈良大学教授)
             後藤昌男(日本暦学会副会長、東亜天文学会評議員)
             渡辺豊和(建築家、京都造形芸術大学教授)
             柳原輝明(都市計画家、山添いわくら文化研究会顧問)
             北出 清(山添村村長)
           <コーディネーター>
             鈴木 旭(歴史作家)

というもので17:40に閉会。
 因みに翌23日は午前中の研究発表の後、午後から山添村の磐座として大小様々の岩の遺構が散在する神野山の見学会が、翌々24日は午前中のみで中峰山の見学会が組まれて居ました。

 (1)基調講演

写真4:基調講演の水野先生。 左は基調講演を行なう水野正好奈良大学教授。先生は「クラ」とは「大切な物を置く場所」を指すとし
  倉・蔵・倉(くら):穀物を置き貯蔵
  鞍(くら):人体を置く
  枕(まくら):頭を置く
  宝倉(ほくら):財宝を置く
  座(くら):物や人を乗せる台
  磐座(いわくら):神々が座す台
と成り、磐座信仰が形成されたという話から始め、大神神社の御神体山(=神奈備山)としての三輪山、九州の沖ノ島(※3)の祭祀遺跡などの話をされました。
 特に沖ノ島調査の体験から島の祭祀遺跡は磐座空間であるという話は面白かったですね。尚、磐座や神奈備山や三輪山などの基礎知識については「日本磐座岩刻文字研究会」のページを参照して下さい。
 そう言われれば

  神庫(ほくら) → 祠(ほこら) → 神社(かみやしろ)

と成り、神社も元々は「神宝を納めて置く庫(くら)」(※4)だったのですね。

 ところで水野先生の話は硬い学問的話に笑いを交えて聴衆を引き込み、その話術の巧みさには感心しました。その事を石崎宮司に話すと、宮司曰く「幼稚園化した今の大学がその程度ということ。学問的話一辺倒では学生に飽きられるので自然と話術が”シロウト向け”に成り上手く成る。」と。これには私も全く同感。最高学府たる大学に”学問する気が無いシロウト”が大挙して押し寄せてる現実こそが問題ですな、これが日本の高進学率の実態です。あの湯川博士はボソボソと聴き取り難かったことを思い出しました。
                (>O<)

 (2)パネルディスカッション

 左下がパネルディスカッションの様子です(右下はテーマプレートの拡大)。
写真5:パネルディスカッションの様子。写真5−1:パネルディスカッションのテーマプレート。
 パネルディスカッションでは一通り各人の研究・意見発表が行われ、磐座や巨石文化(△2)の研究の意義や考古学との連携の必要性(△2−1のp25〜42)などが話され、その為には「イワクラ(磐座)学会」設立が急務であるという意見が出されました。
 会場には予め「イワクラ(磐座)学会設立準備委員会」(委員長:渡辺豊和)設立主旨が配られ、それは『私達は「イワクラ」を国際語として通用させることをめざして当学会を設立する。』という文言で結ばれて居ました。
 我々はパネルディスカッションを聴き終わって、閉会の辞を待たずに退場して帰路に着きました。磐座に関心を持ち時々ですが磐座探検を実行して居る私には得る所が有り面白い内容でした。水野・渡辺・鈴木の各氏については著書で或る程度の考えは知ってましたが、現山添村村長が磐座に可なりの知識と意欲を持ってる事が解りました。486席の会場は満席でサミットは盛況だったと評価出来ます、初日だけの参加ですが。
 このイワクラサミットも元々は「イワクラ学会」設立の為のデモンストレーションとして企画されたみたいです。過去を調べると

  1999年11月:第1回「イワクラサミット in 山岡」(岐阜県山岡町)
  2000年11月:第2回「イワクラサミット in 足摺」(高知県土佐清水市)
  2001年11月:第3回「イワクラサミット in 福島」(福島県飯野町)
  2003年11月:第4回「イワクラサミット in 山添」(奈良県山添村)

です。02年が無かったので今回は2年振りの開催だった訳です。

 ■山添村の磐座空間

 (1)山添村の磐座空間

 先ず山添村の磐座空間にはどんな物が在るか、[磐座探検#1]にも若干記しましたが【参考文献】△1から列挙して置きます。

    ○布目湖
      牛ヶ峰岩屋桝型(大字北野):02年に探検
      天王の森(大字峰寺)

    ●神野山(こうのさん):標高619m、「神が宿る山」とされる
      鍋倉渓・竜王岩・大師の硯石(大字大塩)
      王塚・天狗岩・八畳岩(大字伏拝)

    ○菅生
      菅生あたごさん(大字菅生)

    ○遅瀬
      遅瀬鏡石・遅瀬亀石(大字遅瀬)

    ○中峰山
      舟岩(大字中峰山)
      神波多神社(大字中峰山):主祭神は素盞鳴命

    ●岩尾神社
      巨石や鏡岩群(大字吉田):主祭神は岩尾大神、磐座信仰の典型


 この中で見逃せないのは「神が宿る山」とされる神野山と磐座信仰の典型である岩尾神社ですので●印を付けました。特に神野山は「神」の字を冠し、山麓の「伏拝」という地名は正に「ひれ伏して拝む」意味を持つ(※5)ので名称からして神憑り的ですが、神々しい山に自ずと頭(こうべ)を垂れやがて伏拝するのは日本の「神」信仰の原型です。神波多神社を挙げたのは付近に波多野という地名も在り古代渡来豪族の秦氏との関係が臭うからです。
 後は行くっきゃ無いですね。

 (2)磐座に個性を打ち出す山添村

 地図を見ると、山添村の北隣が温泉郷や「桃仙の梅」で知られる添上郡月ヶ瀬村、南隣が女人高野の室生寺で知られる宇陀郡室生村です。両隣が観光のセールスポイントを有するのに対し山添村にはそれが無い、つまり今迄は「山添村には”田舎”というイメージ以外の特徴が無い」というのが現実でした。
 山添村の北出清村長が地元のリーダーとして「村興し」の為に村内に点在する磐座をセールスポイントの中心に据えようとする強い意欲を今回参加して感じました。パネルディスカッションを聴いて村長自身が磐座や岩石遺跡の意味を可なり勉強してると感じられたからです。今回のイワクラサミットを村が誘致したのかどうかは知りませんが、山添村には磐座を探求するサークルも在り村民の磐座への関心度は高いのだと思われます。
 その意欲や関心度が端的に現れて居るのが【参考文献】△1です。このパンフレットは略地図も付し上記の山添村の磐座空間を探索する良き案内役を果たすと同時に「村の個性」、即ち「文化の固有性」が前面に出て居る秀作です。それに引き換え【参考文献】△1−1は自然・健康・安らぎなどの陳腐な綺麗事イメージを羅列しただけの没個性、即ち”田舎”というイメージ以外の特徴が無い”何処にでも在る”代物です(←ま、こういうパンフも村としては必要なのでしょうが)。
                (-_*)

 磐座を村のセールスポイントにしたのは勇気有る決断です、そういう所は中々無いからです。何故「中々無い」かと言うと、磐座という言葉や概念は世間一般では認知されて無い少数派アイテム −それを認知させようとして居るのが「イワクラ(磐座)学会設立準備委員会」− だからで、大きな滝や鍾乳洞や珊瑚礁などのミーハー・アイテムとは大きく異なるからです。後者は学校の教科書にも出て来ますが磐座は教科書には出て来ないので一般の人は殆ど知らない無縁な領域です。”知る人ぞ知る”(=大多数は知らない)磐座を売り出して人を呼び込もうとする作戦はマーケティングで言う所の顧客や商品の「差別化」(※6)です。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 「差別化」は当サイトのコンセプトの一つです。超個性的なページ作りで、常に刺激的で激辛な話題 −当ページも激辛− を提供して居ます。商品の差別化 −即ち当サイトの各ページのデザインや主張の独自性− は当然顧客 −即ち当サイトの読者− の差別化を齎し、当サイトは万人向きでは無いのです。しかし、そういう意図を理解して下さる少数の読者の方々とは密度の高い議論を重ねて居ます。

 即ち、手っ取り早く何でも揃うデパートやスーパーマーケットの商法では無く、特殊な指向性を持つ顧客層に特化して個性的な商品を売り込むブティックの様な専門店の商法です。つまり量では無く「質」が問われるという事です。こういう専門店が一番強みを発揮するのは先鋭化しブランド化(※6−1)した時ですが、山添村の磐座が全国の”知る人ぞ知る”人々を寄せ付ける磐座のブランドに成れるかどうか、それは偏に「質」に懸かって居ると言えるでしょう。
 その「質」を保証するものは「学問としての磐座学」です。この分野は未だ未開拓ですので、山添村が「学問としての磐座学」構築に寄与し「学問としての磐座学」に基づいて山添村の磐座空間をアピールすれば、山添村が磐座のブランドに成れる可能性は大いに有ると考えます。{この段は03年12月18日に加筆修正}

 ■私の主張 − 学問としての磐座学

 ではその「学問としての磐座学」とは何か、如何に構築して行くべきか?
 私はもっと実証科学としての考古学との連携 −これはパネルディスカッションでも討論されましたが− を図り科学的年代測定法を導入して予断や論理の飛躍を排した「実証的態度」で磐座を研究し古代史学の体系の中で矛盾の無い立場を確立する事が必要だと考えます。実は私が主張するこの立場は渡辺豊和氏や鈴木旭氏が推進する「イワクラ(磐座)学会」の立場とは可なり異なるものです。私は以前から渡辺氏や鈴木氏の本は若干読んで考えの何程かは存じて居ますが、彼等は少なからずオカルト的擬似科学(※7、※7−1) −そもそもオカルトは擬似科学を内包して成り立って居る(※7)− に傾斜して居るからです。嘘だと思う方は彼等の著書をお読み下さい。
 又、各地の磐座ファンや磐座指向のサークルも岩石に残る紋様や文字的痕跡を安易に古代文字とか聖紋とか”神の刻印”とか言い、年代も飛躍的に遡ったりしますが、こう成ると新興宗教に嵌まった信者と同じです。この人達は確かにその方面の知識は非常に豊富ですが、そういう岩石をもう”信奉”して居ますから学問では無く宗教に近く成って居ます。
 私は擬似科学を否定する者では有りません。擬似科学が太古から世界中の地下水脈を流れ続けマグマ(※1−2)が花崗岩などの岩石を化成した様に、占星術が天文学や宇宙物理学を生み、錬金術が化学を生み、ゲーテやシェークスピアなどの泉に噴出しては文学や芸術を豊かに潤して居る点に於いて、寧ろ擬似科学の独創的想像力を積極的に評価する者 −「文化の地下水脈」に光を当てる事当サイトのコンセプトの一つ− ですが、学問としては別です。学問として擬似科学を強引に推し進めれば「旧石器捏造問題」と同じ結果を招くでしょう。
 磐座研究はこの様な”危うい”部分を内包して居るのでアカデミズム(=大学などに籍を置き権威を重視する立場)の研究者が敬遠して来た為に学問として未開拓な分野です。しかし私は現在の神社という整った参拝形式が形成される以前の日本の「神」信仰の原型として磐座信仰を重視する立場です。現に大神神社の様に磐座信仰を今に残す神社が少数乍らも存在し山添村の岩尾神社もその一つでしょう。「神が宿る場」として崇められる磐座は、岩場を行場(ぎょうば)とする修験道の聖地(※8)と重なる場合が多く見られます。又、円錐形の形の整った山(=今日では「××富士」と呼ばれる山、古くは神奈備山)は古代人に聖山として特別に畏敬されて来ました。それは円錐形の山は遠くから見れば三角形(=ピラミッド型)をして他と識別し易くシンボル的な目印(=ランドマーク)に成り、それを目標として神が降臨する、即ち円錐形の山は神の依代(※9)の役割を果たすと考えられたからです。大和三山(=耳成山・香具山・畝傍山)が低山にも拘わらず特別な意味を込めて歌われたのはその為です。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 三角形に見える日本のシンボル的山を最初にピラミッドと呼んだのは、日本オカルト学の中で特異な位置を占める酒井勝軍(かつとき、1874〜1940)です。彼が最初にピラミッドと名付けたのは広島県帝釈峡の葦嶽山で、キリスト教徒であった彼は当時の国家主義的日本と歩調を合わせ「ピラミッドは天皇の世界君臨の象徴であり、そのルーツは日本に有った」、「ユダヤのシオニズム運動は世界の日化運動に他為らず、メシアとは日本天皇である」という日ユ同祖論を唱えました。彼の主張自体は非常に妄想的で磐座信仰解釈に擬似科学(※7−1)を持ち込む端緒に成りましたが、古代の神奈備信仰に眼を向けさせた点神奈備山の象徴性を指摘した点は今日一部の研究者からは支持を得て居ます

 ところで「神の依代」という考え方は日本だけで無く中国雲南省やインドシナ半島の諸民族にも見られ、私は弥生人米文化高床式住居と共に寧ろそちらが源流ではないかと考えて居ます(△3のp62、p268〜269、△4のp485〜486)。又、世界各地に点在する巨石記念物(※10)も在り、それらとの関連を比較文化学的観点から考察する事も必要で、更には太陽・月・星など天体観測に使われた形跡の有るものなどは古い時代に遡った天文現象を解明する古天文学(←日本では斉藤国治氏が草分け、△5)や天文考古学 −古天文学や天文考古学は近年やっと開拓された発展途上の学問− の導入が不可欠です(△2−1のp64〜96)。その様な意味で磐座は興味有る学問対象なのです。
 以上の様な観点から私は権威的保守主義とも擬似科学とも一線を画し、在野のフロンティア精神(※11)を以て「学問としての磐座学」に迫りたいと思って居ます。
    {この章は03年12月18日に追加}

 ■結び − ”境の地”が古代遺跡を温存させた

 山添村は奈良県山辺郡、前述の様に北隣の月ヶ瀬村は添上郡、南隣の室生村は宇陀郡、と同じ奈良県で隣り合ってるのに郡が違うのです。そして西隣は奈良県奈良市(北側)と山辺郡都祁村(南側)ですが東隣は三重県上野市(北側)と三重県名張市(南側)という具合です。更に月ヶ瀬村の北隣は京都府相楽郡、上野市の北隣は滋賀県甲賀郡です。それ故に[磐座探検#1]に於いて山添村は京都府・奈良県・滋賀県・三重県の県境に位置し車でないと行き難い所ですが、...』と記したのですが、更にこのページの冒頭に引用しました。
 この様に山添村は”境の地”に位置する辺境(※11−2)ですが、逆にそれが世間の俗化の波を防ぎ「旧き佳きもの」を温存山添村は”怪しくてオモロイ”所たり得て居る訳で、言わば”境の地”の恩恵と考えることが出来ます。関西で俗化を免れてる場所は皆この様な”境の地”に位置してる様に思えます。謎を秘めた山添村の磐座や巨石・岩石遺跡群を是非探検したいですね、フロンティア精神 −フロンティア(frontier)には「辺境」の意味が有る(※11−1)− を以て。
 今回の「イワクラサミット in 山添」の1年前に山添村の磐座空間の一部を探検して居たという偶然の因縁からインドアのイワクラサミットに参加し、アウトドアの肉体的探検はしませんでしたが”知の探検”をしたという意味で当ページを[磐座探検]シリーズに加えます。

 尚、[磐座探検]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

 >>>■その後

  ●04年5月に「イワクラ学会」設立

 本文で「イワクラ(磐座)学会設立準備委員会」について記しましたが、その後どうやら2004年5月に正式に「イワクラ学会」が設立され、7月には学会会報創刊号が発行されました。主な顔触れは

  会長  :渡辺豊和(建築家、京都造形芸術大学教授)
  副会長 :鈴木 旭(歴史作家)
  専務理事:柳原輝明(都市計画家、山添いわくら文化研究会顧問)

と何れも「イワクラサミット in 山添」の参加メンバーで、水野正好先生(奈良大学教授)は名誉会員です。
    {この追加記事は04年12月31日に追加}

φ−− おしまい −−ψ

【脚注】
※1:花崗岩(かこうがん、granite)は、深成岩の一。石英・正長石・斜長石・雲母などを主成分とする大陸地殻の代表的岩石。完晶質粒状の組織を成し、堅牢・美麗なので建築・土木用材として賞用、又、分解したものは陶器製造の材料。御影石(みかげいし)。グラニット。
※1−1:深成岩(しんせいがん、plutonic rock)とは、火成岩の一。マグマが地下の深所で冷却固結して生じたもの。結晶化し、粒状組織を成す。花崗岩・閃緑岩・斑糲岩(はんれいがん)の類。深造岩。
※1−2:マグマ(magma)とは、溶融した造岩物質(メルト)を主体とする、地下に存在する高温の流動物体。メルト中に結晶を含み、水などの揮発成分が融け込んで居るのが普通。地上に出れば火山ガスと溶岩流などに成る。固結したものが火成岩で、成分は二酸化ケイ素が主。岩漿(がんしょう)。

※2:地方交付税(ちほうこうふぜい、local allocation tax)とは、基準財政収入が基準財政需要に充たない地方公共団体に対して、国が交付する財政調整資金。1954年に従来の地方財政平衡交付金を改称。財源には所得税・法人税・酒税・消費税・たばこ税などを一定の割合で当てる。

※3:沖ノ島(おきのしま)は、玄界灘に在る島。福岡県宗像郡大島村に属する。大陸との往来の安全を願う信仰の対象と成り、宗像神社の神域として保護。古墳時代以降の多くの祭祀遺跡が確認され、貴重な奉献品が発見されて居る。

※4:神庫(ほくら)とは、(ホはの意)
 [1].神宝を納めて置く庫(くら)。〈垂仁紀訓注〉。
 [2].やしろ(社)。ほこら(祠)。神社。拾遺和歌集雑恋「稲荷の―に女の手にて書き付けて侍りける」。
※4−1:秀(ほ)とは、(「穂」と同源)秀でて居ること。抜き出ること。外に現れ出ること。古事記中「国の―も見ゆ」。垂仁紀「神庫(ほくら)」。

※5:伏拝(ふくはい)は、ひれ伏して拝むこと。

※6:差別化(さべつか、differentiation)とは、他との違いを明確にして、独自性を積極的に示すこと。「他社製品との―を図る」。
※6−1:ブランド(brand)とは、(焼印の意)商標。銘柄。特に、名の通った銘柄。「―商品」。

※7:オカルト(occult)とは、(ラテン語「隠された」の意)[1].超自然的なもの。神秘的なもの。隠れたもの。
 [2].神秘的・超自然的な事柄を研究する一種の擬似科学。ヨーロッパの中世にはキリスト教とスコラ哲学が画一的原理と成った為、全ての異教的なもの・呪術的なものが広大なオカルトの世界を作り、占星術・魔術・悪魔学などを研究する学者が多く現れた。現代では、所謂心霊現象を始め科学的合理主義信仰に反する全てのものがオカルトと呼ばれる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※7−1:擬似科学(ぎじかがく、pseudo-science)とは、表面的には科学的と思える実はそうでは無い学説のこと。厳密に検証すれば、普遍性・客観性・論理性・実証性などに於いて反証出来るが、民間療法などの様に広く一般に信じられ流布した事例や、今日的見地からすれば擬似科学に入る占星術錬金術が天文学や化学が確立以前は科学とされて居た事例も在り、その概念範囲は時代的に変化する。それに対し故意に正当な科学であるかの如くに擬装した悪質なものも在り、近年では新興宗教悪徳商法に利用される場合が多い。擬装科学。似非科学。

※8:修験道(しゅげんどう)は、役小角(えんのおづぬ)を祖と仰ぐ日本仏教の一派。日本古来の山岳信仰に基づくもので、元々山中の修行に依る呪力の獲得を目的としたが、後世の教義では、自然との一体化に依る即身成仏を重視する。中世に天台系の本山派と真言系の当山派が確立した。

※9:依代・憑代(よりしろ)とは、神霊が招き寄せられて乗り移るもの。樹木・岩石・人形などの有体物で、これを神霊の代りとして祭る。形代(かたしろ)。

※10:巨石記念物(きょせききねんぶつ、megalithic monument)とは、新石器時代から金属器時代初期に巨大な石を用いて築いた墳墓や建造物。石の構造に依ってドルメン(支石墓)/メンヒル(立石(りっせき))/ストーンサークル(環状列石)と言う。世界各地に類例が在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※11:フロンティア精神/フロンティア・スピリット(frontier spirit)とは、開拓者精神。進取の気性。
※11−1:フロンティア(frontier)は、[1].国境地方。辺境。特に、アメリカの西部開拓に於ける新開拓地域
 [2].(科学などの)最前線。未開拓の分野。
※11−2:辺境/辺疆(へんきょう、borderland, frontier)とは、中央から遠く離れた国境(くにざかい)。又、その地。辺界。太平記25「―常に侵し奪はるといへども」。「―を守備する」。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:パンフレット「山添村イワクラmap−巨石、時空(とき)を超えて」。これは山添村の個性を出した秀作。
△1−1:パンフレット「山添村さんぽmap」。これは田舎丸出しの没個性。

△2:『巨石文化と太陽暦の謎』(藤芳義男著、新國民社)。
△2−1:『古代文明 天文と巨石の謎』(吉村作治監修、光文社文庫)。

△3:『縮刷版 文化人類学事典』(石川栄吉・梅棹忠夫・大林太良・蒲生正男・佐々木高明・祖父江孝男編、弘文堂)。

△4:『歴史読本・特別増刊 日本人の起源を探る』(新人物往来社編・発行)。

△5:『星の古記録』(斉藤国治著、岩波新書)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):「差別化」や「文化の地下水脈」に
光を当てる事は当サイトのコンセプトの一つ▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
参照ページ(Reference-Page):山添村の地図▼
地図−日本・奈良県石上神宮と山添村
(Map of Isonokami and Yamazoe, Nara -Japan-)

横顔(Profile):「日本磐座岩刻文字研究会」について▼
(磐座や神奈備山や三輪山の基礎知識)
日本磐座岩刻文字研究会(Megalith and ancient sign club)
横顔(Profile):森之宮神社について▼
鵲森宮と「美しい日本文化研究所」
(Kasasagi-Morinomiya and Elegant JPN culture)

補完ページ(Complementary):日本人の「神」信仰の原型▼
2003年・年頭所感−感謝の心を思い出そう!
(Be thankful everybody !, 2003 beginning)

日本の「文化の固有性」ついて▼
温故知新について(Discover something new in the past)
何処にでも在る没個性への警鐘▼
世界遺産登録で本当に遺跡や文化が守られるのか?(World heritage)
旧石器捏造問題を裁断▼
旧石器発掘捏造はマスコミ犯罪だ
(Mass media led the paleolith fabrication)

東南アジアに見られる「神の依代」▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

弥生人の米文化や高床式住居の源流▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
比較文化学とは▼
民族占い(Comparative Ethnologic approach)
”境の地”の恩恵▼
2003年・伊賀忍者村訪問記(Iga NINJA-village, Mie, 2003)


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          4:元出雲(Original Izumo)

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