*** ♂エルニーニョからの一言♀ ***
私が鵲森宮(通称:森之宮神社)の石崎宮司とお会いしてからもう10年位に成りますね、その時は神社の宮司さんとは知らなかったのですよ。石崎先生は以前から失われ行く日本的なもの、日本文化を培って来た日本的精神を復興させようと考えて居られ著作の出版とかで訴えて来られた方です。そして更にそれを推進すべく「美しい日本文化研究所」を立ち上げ言わば日本のルネサンス運動を日本で展開して行こう、という時でしたね。お会いして色々話を伺って居る内に宮司さんだということが判った、という次第ですね。
私はこの「美しい日本文化研究所」のセミナーに出たり、毎年年始に近畿一の宮を巡って参拝する会に同行したり、「鵲(かささぎ)」に因んで七夕伝説のセミナーに参加したり、或いは何やらの趣旨で音楽会に出たりハイキングに行ったり、と神道に拘泥らない付き合いをして居ます。ですから何かの会合とかでバッタリ会ったりすることも度々有ります。
石崎先生の活動は非常に多岐に亘り、最近では霊気漂う磐座(※1)や古代岩刻文字を探索研究する「日本磐座岩刻文字研究会」を設立したりして、言わばこの先生は幾つもの”顔”を持って居られるのですが、ま、取敢えず神社の紹介から行きましょうか。
基本データ |
■神社の概要 名称 :鵲森宮(かささぎもりのみや、通称:森之宮神社) (石崎宮司に拠ると鵲森之宮では無く、 鵲森宮が正式名称です。) 宮司 :石崎 正明 創建 :崇峻天皇2年(589年) 本社祭神:聖徳太子、 用明天皇と穴穂部間人皇后(聖徳太子の父母) 奥社祭神:天照大御神、素戔嗚尊、月読命 境内社 :五幸稲荷社 名称の 謂れ :推古天皇の時代に、我が国の鉄鋼業の祖と言われる 吉士盤金(きしのいわかね)が朝鮮から持ち帰った 鵲を献上し、この森で飼ったのに因む。 → 鵲と森之宮神社の深い関係 住所 :〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14−4 TEL :06-6941-9294 FAX :06-6941-9290 |
■「美しい日本文化研究所」概要 名称 :財団法人「美しい日本文化研究所」 代表 :石崎 正明 趣旨 :「美しい日本文化研究所」の目指すものは 以下の約款に記されて居ます。
催し :毎月各種セミナーやハイキングなど有り。 □本部 住所 :アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ □日本支部 住所 :〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14−2 鵲森宮ビル2F(神社の隣) TEL :06-6910-8578 FAX : 同上 |
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●宮司・石崎正明氏の略歴 1942年 大阪市生まれ 1965年 國學院大学文学部卒業 1976年 関西大学修士課程修了 現在 (米)財団法人「美しい日本文化研究所」所長 (株)シントウUSA代表取締役 著書 『あなた、ニッポン人? −あなたの日本人度をはかる100のテーマ』 『いま、子どもに伝える51の伝言』 『「心美人」してますか? −愛される女性になるための98のヒント』 『日本語演習』 詩集『あああああ』 詩華集『白馬恋情』(しろうまこいごころ) 歌集『戀花人』(こひはなびと) 『心の育て方−感性の扉を開こう』 他多数 |
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▼地図 |
●項目の目次(Item-menu)
鵲(かささぎ)について
鵲と森之宮神社の深い関係
石崎宮司の言葉
石崎宮司との付き合い(神社の催し)
石崎宮司との付き合い(「美しい日本文化研究所」の催し)
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●鵲(かささぎ)について
広辞苑に拠ると以下の様に解説が在ります。
(朝鮮語の慶尚南北道方言カンチェギからか)スズメ目カラス科の鳥。カラスよりやや小。肩羽と腹面とが白色である他は黒色で金属光沢が有る。北半球の中北部に広く分布し、日本には17世紀に朝鮮半島から持ち込まれたとされる。佐賀平野を中心に北九州に生息し、天然記念物。村落付近の高木の枝に大きな巣を造る。かちがらす(勝鴉/勝ち烏)。朝鮮烏。高麗烏。烏鵲(うじゃく)。
右上が鵲の図(広辞苑より)で、現在佐賀県の県鳥に指定されて居ます。ヨーロッパではその鳴き声から、不吉な鳥とされて居る鵲(※2)は中国、朝鮮、日本では目出度い知らせを告げる鳥とされ、旧暦7月7日の七夕の夜、牽牛星と織女星とを会わせる為鵲が両翼を広げ(或いは鵲の群れが翼を連ね)て天の川に橋を渡すと言い伝えられ、和歌などにも詠まれて居ます。その中で有名なのは何と言っても『新古今集』の中納言家持(=大伴家持、※3)の巻6−620の歌
鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
でしょう(△1)。この歌は『小倉百人一首』の6番歌にも採用され、境内にはこの歌の歌碑が在りますので注意して見て下さい(家持は七夕の歌も詠んで居ます)。更に近松も『曾根崎心中』−「道行」の冒頭で「梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも、われとそなたは女夫星(めをとぼし)。」と語らせて居ます(△2のp43)。石崎宮司とは03年に交野の七夕伝説の地や枚方の鵲橋を訪ねました。
→ 交野の七夕伝説を直ぐ見たい(look now TANABATA legend of Katano)!
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●鵲と森之宮神社の深い関係
『日本書紀』の推古5(597)年の段に「冬十一月の癸酉の朔(ついたち)甲午に、難波吉士磐金(なにわのきしのいわかね)を新羅に遣す。六年の夏四月に、難波吉士磐金、新羅より至りて、鵲二隻を献る。乃ち難波杜(なにわのもり)に養はしむ。因りて枝に巣ひて産めり。」と在り(△3のp86〜88)、この「難波杜」が東生郡森村の森神祠、現在の森之宮神社という訳で、これが当社が「鵲」の名を冠する根拠です。付近からは縄文の森ノ宮遺跡も発掘され、ここは古代から開拓が進んで居た地域なのです。
尚、吉士氏(又は吉師・吉志)(※4)は外交に携わって居た新羅系渡来氏族で、難波吉士は今の大阪市西成区岸里に住んで居ました。
それでは石崎宮司の言葉を載せることにしましょう。その前に、先生の著書の中に『あなた、ニッポン人?』が在りますが、「美しい日本文化研究所」の本部が米国マイアミだなんて、石崎先生、あなたはCIAですか?
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●石崎宮司の言葉
エルニーニョ深沢、この人は捉えどころのない人、と言うのがいいのかも判らない。それだけ茫漠としたところが有るのである。コンピュータを駆使して仕事をしているらしい。(それだけでも凄いことであるが)その内容は詳しく知らない。
それでいて、神社参拝にも参加してくれるし、「美しい日本文化研究所」の集まりにも来てくれる。
当然このホームページも普通の人よりも、優れた技術で作られている。それでいて洒落けもある。
こんなに沢山紹介していただいたら、どう御礼していいのか判らない。私がホームページを作らないでもいいのである。なんと有り難い人であろうか。
さて、私はというと、いつまでも僕でいたいと思っている。つまり社会の僕である。社会の片隅で、何か社会に貢献できたらと思っている。
その一つとして、「美しい日本文化研究所」で、本を四冊ほど出した。
『あなたニッポン人?』『心美人してますか』
『今、子どもに伝える51の伝言』以上は「出版文化社」、『心の育て方』は「たま出版」である。
最後に僕のことをCIAだなんて、何を仰るウサギさん、アメリカの情報は色々つかんではいるが、僕はCIAではありません!
●石崎宮司の弟さん
尚、石崎宮司の弟さんも久太郎町の坐摩神社(別名:猪加志理(いかすり)神社)の宮司をして居て、この人は今全国の一の宮を全部参詣する悲願を立てて居ます。年始の近畿一の宮の正式参拝には毎年ご一緒して居ます。
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●石崎宮司との付き合い
◆神社の催し
神社の写真集が在ります。写真集を開く方は
ココ(Look photographs of shrine)
をクリックして並列的に見て下さい。
これが神社の催しなのか「美しい日本文化研究所」の催しなのか定かでは無いのですが、毎年年始に近畿の一の宮を巡って正式参拝する旅(日帰り)に同行して居ます。これは大変面白いし勉強に成りますね。特に由緒正しい神社の宮司さんなどから直接話を伺える貴重な機会です。今迄参拝した神社と新年の参拝予定神社は以下の通りです。
2000年 籠神社(このじんじゃ) − 丹後国一の宮
京都府宮津市字大垣の元国幣中社。
祭神は彦火明命と豊受大神。
★海部(あまべ)氏第81代の宮司さんに貴重な話を伺いました。
2001年 伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう) − 淡路国一の宮
兵庫県淡路島の津名郡一宮町多賀に在る元官幣大社。
祭神は伊弉諾尊。多賀大明神。
★同じ神を祀る多賀大社や伊勢神宮との関係を話して
戴きました。
2002年 椿大神社(つばきおおかみのやしろ) − 伊勢国一の宮
三重県鈴鹿市山本町の元県社。
祭神は猿田彦大神他。
★ここは猿女氏(さるめし)の流れを汲む神社で、猿田彦
は今では芸能の神様。伊勢には他に猿田彦神社が在る。
2003年 気比神宮(けひじんぐう) − 越前国一の宮
福井県敦賀市曙町の元官幣大社。
祭神は伊奢沙別命・日本武尊・帯中津彦命・
息長帯姫命・誉田別命・豊姫命・武内宿禰。
★『日本書紀』の都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)伝説で有名。
2004年 丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ) − 紀伊国一の宮
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野。
祭神は丹生都比売大神(天照大神の妹の稚日女命とされる)、
丹生高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神。
★丹(に、たん)とは硫黄と水銀が化合した赤土のこと。
古代この水銀を発掘・管理したのが丹生氏で、この神社の
東方には丹生川が流れ付近は今でも赤土で丹生神社が多い。
2005年 伊和神社(いわじんじゃ) − 播磨国一の宮
兵庫県穴粟郡一宮町。
祭神は伊和大神(大己貴神)・少彦名神・下照姫神。
★山陽道と山陰道を結ぶ街道の盆地に約5万5千uの鎮守の杜
を有し、祭礼では台風回避を祈る風鎮祭、
21年毎の一つ山祭、61年毎の三つ山祭が有名。
2006年 敢国神社(あえくにじんじゃ) − 伊賀国一の宮
三重県上野市一之宮の元国幣中社。
祭神は大彦命(四道将軍の一人)。
元々は敢国津神(あえくにつかみ)を祀った社。
付近の御墓山(みはかやま)古墳が大彦命の墓とされる。
★安産守護の桃太郎岩が在る。
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◆「美しい日本文化研究所」の催し
「美しい日本文化研究所」の催しとしては、具体的には外部の講師を招いてセミナーを開催したり、場合に依っては野外へ出掛けて行くことも有ります。私も「美しい日本文化研究所」の全貌は知りませんしアメリカの本部へ行ったことも有りませんが、荒廃する日本文化への危機感という点では共通認識を持って居ます。
今迄で私が一番楽しかったのは、室生山荘(※5)での中国琵琶と横笛の音楽会と月見の宴ですね、あれは良かったですね、そして翌日は室生寺近くをハイキングしましたね、温泉も入りましたね、あれは最高でした。
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*** エルニーニョからの二言目 ***
今、皆さんの周りに「日本を語れる日本人」が一体何人居るでしょうか?、日本の正月や季節毎の行事の意味を、ハラハラと散る桜を愛で虫の声に聴き入り紅葉を美しいと感じる日本人の感性を、例えばそれを外国人にきちんと説明出来る人が一体何人居るでしょうか?、それは単にペラペラと外国語を話すことでは有りません。日本人が「日本人の心」を理解しているかどうかが問われて居るのです。
...余り居ない筈です。そう成って仕舞った要因には色々有ります −教育の問題、社会の問題、マスメディアの問題など− が、間違い無く石崎宮司は数少ない「日本を語れる日本人」の一人です。そうした状況の中で日本文化の良さを再発掘して世界に向けてアピールして行く為の活動拠点が「美しい日本文化研究所」です。
尚、「日本磐座岩刻文字研究会」の画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
【脚注】
※1:磐座(いわくら)とは、(イハは堅固の意)[1].神の鎮座する所。岩座。
[2].山中の大岩や崖。
※2:ロッシーニのオペラに『泥棒かささぎ』という作品が在りますが、ここでも鵲(かささぎ)は銀食器を盗む泥棒に仕立てられて居ます。これは鵲が葉樹の種子などを巣や地中に針隠す性質に起因して居ます。
※3:おおとものやかもち。奈良時代の歌人(717?〜785)。三十六歌仙の一。旅人の子。越中守を初め、中央・地方諸官を歴任、783年(延暦2)中納言。万葉集中歌数最も多く、その編纂者の一人に擬せられ、繊細で感傷的な歌風は万葉後期を代表。
※4:吉士・吉師・吉志(きし)とは、[1].新羅の官名。17等中の第14等。
[2].大和朝廷で、外交・記録などを職務とした渡来人に対する敬称。後に姓(かばね)の一と成る。
※5:室生山荘は、元バレーボール選手でオリンピック金メダリスト中野眞理子さんの別荘で、室生寺に在ります。翌日のハイキングでは台風の災害で再建されたばかりの、「苔むした感じ」が取れて仕舞った室生寺が印象的でした。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『新古今和歌集』(佐佐木信綱校訂、岩波文庫)。
△2:『曾根崎心中・冥途の飛脚』(近松門左衛門作、祐田善雄校注、岩波文庫)。
△3:『日本書紀(四)』(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注、岩波文庫)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):天の川について▼
資料−天文用語集(Glossary of Astronomy)
@参照ページ(Reference-Page):『小倉百人一首』の鵲の歌(6番)▼
資料−小倉百人一首(The Ogura Anthology of 100 Poems by 100 Poets)
@参照ページ(Reference-Page):聖徳太子について▼
資料−聖徳太子の事績(Achievement of Prince Shotoku)
@サブページ(Sub-Page):森之宮神社の写真集▼
鵲森宮写真集(Photographs of Kasasagi-Morinomiya)
@随行記(Traveling):七夕伝説巡り(磐座探検も含む)▼
2003年・交野七夕伝説を訪ねて
(Vega and Altair legend of Katano, 2003)
@随行記(Traveling):一の宮初詣で▼
2003年・気比神宮初詣で(Kehi shrine, Fukui, 2003 beginning)
2004年・丹生都比売神社初詣で
(Nifutsuhime shrine, Wakayama, 2004)
2005年・伊和神社初詣で(Iwa shrine, Hyogo, 2005 beginning)
@随行記(Traveling):天神祭▼
大阪天満宮の天神祭船渡御
(The Tenjin boating-festival of Tenmangu, Osaka)
『曾根崎心中』の舞台▼
[人形浄瑠璃巡り#2]露天神([Puppet Joruri 2] Tsuyu-tenjin, Osaka)
七夕の意味や日本文化に対する私の危機感▼
冷泉家時雨亭文庫(Reizei Shigure-tei library)
難波吉士の居住地▼
阪堺電車沿線の風景−大阪編(Along the Hankai-Line, Osaka)
「鵲の橋」やユーラシアの鵲▼
鵲(かささぎ)の故郷を訪ねて(Magpie's hometown)
鵲森宮のサイト(07年春に開設)▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')
2002.12.10 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2007.05.20 改訂