-- 2003.02.20 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
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02年10月19日からの2週間、「雲南桃源倶楽部」の旅の前半は予(かね)てからの酒仙(=北山塞翁)の希望で、10月22、23日の僅か2日間ですが、雲南省西双版納タイ族自治州(州都:景洪市)でタイ族の民家に”体験宿泊”し、彼等と寝食を共にし交流を深めました。雲南桃源倶楽部結成の趣旨に『「雲南」をロマンの里、ユートピア(桃源郷)として、或いはこの地を日本人の源郷と考える人達に、さらなる夢を与える集いにしたいと考えます。「雲南」には、中国で最も多くの少数民族がそれぞれの伝統を守って生活しており、雲南を旅して彼等の生活と文化に接する事が出来ます。』と在る通り、これぞ正に「雲南桃源旅行」の目指す所であります。
「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」と言いますが、雲南の少数民族の一つであるタイ族の生活を体験してみることは、単なる観光とは異なり、自分自身のルーツに立ち返りそこから謙虚に世界を見直すという、これこそが少数民族地域の旅の真髄を究める「心(こころ)」です。正に北山塞翁が泣いて喜ぶ旅なのです。尚、「雲南桃源倶楽部」や塞翁についてはココから、「西双版納」の地図と謂れについてはココから参照して下さい。
今回体験宿泊する所は2001年3月に桃源倶楽部の中川・松岡両氏が調査で訪れた所で、
嘎洒(ガサ)鎮曼弄楓村の玉さん一家
です。中川さんの報告に拠ると、この家はタイ式高床式住居の農家で、幾つか比較した中ではトイレも清潔で体験宿泊には一番良いと在ります。又、車で40分位の所に温泉も在るとのことです。費用は三食付きで100[元/1人1日]だそうです。
それではロマンの旅・真髄編の開幕です。普段行けない所なので、成るべく写真を沢山載せますので、アルバムを見る様な気持ちでご覧下さい。尚、掲載写真には小池さんの撮影した写真も使わせて貰って居ます。
その前に2002年の雲南桃源旅行(第4次旅行)のグループ構成と全日程を簡単に記します。今回の旅行は幾つかのグループ別の行動の組み合わせで成り立って居ます。
(1)グループ構成
グループ構成は以下の様に成ります。
A.北山塞翁(桃源倶楽部会長)
B.中川夫妻(桃源倶楽部)
C.小池、松岡、私(桃源倶楽部「食み出しトリオ」)
D.唐華英さん(上海人)
E.山村グループ(山村、小渕夫妻) - 旅の道連れ
です。山村グループは10月21日、景洪へ行く飛行機の中で偶然知り合い、タイ族民家へ一緒に行く事に成りました。
(2)旅の全日程
10/19(土) 関空 → 広州 華南農業大学招待所 A,B,C
20(日) 広州 → 昆明 銀天大酒店 A,B,C
21(月) 昆明 → 景洪 版納賓館と桃源ハウス A,B,C,D,E
22(火) タイ族民家 A,C,D,E
景洪市ホテル B
23(水) タイ族民家 A,C,D,E
景洪市ホテル B
24(木) 版納賓館と桃源ハウス A,B,C,D,E
Aの「番外編」裁判
25(金) 景洪 → 昆明 銀天大酒店 A,B,C,D
Eと別れる
26(土) 昆明 → 広州 昆明滞在 B---> *
華南農業大学招待所 A,C,D
27(日) Aは帰国、Dも帰省
天翔大酒店 C
28(月) 広州 → 桂林 三江・風雨橋迎賓館 C-->「解脱編」の旅
29(火) 桂林・興開賓館 C
30(水) 興坪・興坪旅館 C
31(木) 陽朔・陽朔大地酒店 C
11/ 1(金) 桂林 → 広州 沙面・省外辨招待所 C
2(土) 流花賓館 B,C<---合流-- *
3(日) 広州 → 関空 帰国 B,C
さて21日の午前中は昆明の市場を見物し、私は狗肉のスープを食べて来たるべき民家宿泊に備え、景洪行きの飛行機に乗り込みました。この飛行機の中で偶然山村さん率いるEグループと巡り合い、「インターネットで桃源倶楽部のことも知っているので、是非タイ族民家に同行させて呉れ」と言うので、この日から行動を共にする事に成りました。
又、Dグループ(1人ですが)の唐華英さんも空港で合流し総勢10人と成りました。そして宿舎の版納賓館にチェックインした後、[2002年雲南桃源旅行・番外編]の主人公のプ・リャンスオ、桃源ハウスの住人ヘ・チャンリ、通訳の李文革君の案内で外に繰り出し、皆で前祝いをしました。
右上の写真が右から北山塞翁、唐さん、プ・リャンスオ夫妻、松岡さんです。右が左から山村さん、小渕夫妻です。山村グループとはお互いに自己紹介をしました。彼女等は川崎から来られたそうです。これで明日から仲良く遣れるというものです。
さて、西双版納の地図を見る方はココをクリック(Open the map)です。
さて22日の朝、プ・リャンスオは版納賓館からマイクロバスで嘎洒(ガサ)鎮の村の村長の家(左下の写真:屋根の形と高床が特徴、一見2階建てに見えますが床上の住居部分は1階だけの平屋です)に我々を案内しましたが、ここは目的の楓村の家では無かったのです。ま、プ・リャンスオの思惑が有ったのでしょう。プ・リャンスオはここで帰り、以後は通訳の李君が同行します。
しかし、この村長中々商売上手で娘2人にお茶を淹れさせ、何とか我々を引き留めようとするので、取り敢えずはここで休憩することにし、近所の寺を案内して貰ったり、村の現状を色々と話して貰いました。それに拠ると、ここは30数戸の集落で庭先が汚れるので最近ではブタは飼って無く、村の各家も古く成っているので近々区画整理をして家々を近代的なもの(と言ってもレンガ造り)に建て替える計画だ、と言って地図を広げて説明して呉れました(右下の写真)。伝統的な高床式住居は段々無くなって行く趨勢に在ります。
そう言えば、余談ですが私が初めて景洪市を訪れた1999年、市内を輪タク(2人乗りの座席を自転車を漕いで運ぶ)が走っていて、珍しかったので良く乗り回したものでしたが、これも今は走って居ません。年々近代化して行って居ます。



私はお茶を戴いた後、家の周りの南国的な花やトンボを撮影したりしました。右は多分ヒメキトンボ、下は如何にも南国的なハイビスカスの花です。

左下が、この辺りで良く栽培して居るポン柑。右下はシャモ、日本では闘鶏をさせる鳥です。この辺りでは良くシャモと犬を飼っていて、ブタは見掛けませんでした、さっき村長さんの言った通りです。



右が村の寺です。タイ族は仏教(小乗仏教=上座部仏教)の信仰が厚く、村には必ず寺が在ります。
左下が村長自慢の娘さん、我々を寺に案内して呉れました。右下は寺の庭に鮮やかに咲いて居たロストラタです。バショウ科ヘリコニア属で熱帯地方の植物です。



寺の入口にはお供え物が在り(左の写真)、仏教以前の土着の信仰を垣間見せている様です。
ところで供え物の中に粽(ちまき、※1)が見えます。粽と言うと日本では「端午の節句」の食べ物と思われて居ますが、タイ族は粽を日常食(後述)にして居ます。

寺の中には金色に輝く仏像が安置され、右の写真の様に天井から帯状の布が沢山ぶら下がって居ます。何処かエキゾティックですね。
又、左下の写真の様な、木を組み合わせた何かのお呪いか或いは日本の神の依代(よりしろ)の様な、仏教以前の土着の信仰を思わせるものが在ります。先程の寺の入口のお供え物などもそうですね。ああいうお供え物は村の入口や出口(所謂村の結界)、或いは村の中心とされる所にも有り、彼等の信仰の原点を垣間見せて居ます。
右下は寺に隣接する墓地で、仏塔と犬小屋の様な格好をした墓が見えます。因みにこの辺りは土葬です。


村長とその娘さんは左下の写真の様に再びお茶を淹れて呉れました。そして村長曰く「もう昼食の準備をして仕舞った」と言うので、到頭ここで昼食をご馳走に為る事に成り(中々商売上手です)、村長の家の隣の家(村の会計さん)に上がったら、右下の写真の様にお婆さんが糸を紡いで居ました。しかし、この糸車(※2)はスゴイ!



そして右が昼食のオカズ。大きいフナの様な焼き魚、ウリ、ナタネの茎の炒め物、カボチャの葉のスープなどです。ウリは何も味付けは無く、辛くて酸っぱい物(後で山村さんが解説して居る竹の子味噌です)をミソの様に付けて食べます。これは酒(焼酎)のアテにグー。
日本と同じ様にこれらのオカズでご飯を食べます。
さて、すっかりご馳走に為った後、前述の様にここが本来の目的地では無いので、我々は隣村へ移動すると言ったのです。ところが、ここの村長さん「ナニワの商人(あきんど)も顔負け」の商売上手ですね、もう夕食と宿泊の準備もして仕舞ったと言うではありませんか、「かなわんなあ、もう」、負けました、仕方無く我々はここと、当初目的の玉さん一家に分宿することにしました。そして中川夫妻、我々食み出しトリオ、北山塞翁、そして李君が移動する事に成りました。
移動はバイクタクシーです。村長に呼んで貰ったら忽ち5、6人が集まり、何と村長の娘さんも運転手に早替わりです(下の写真)。

こうして、この日の夕方に椰子の木の生る嘎洒鎮曼弄楓村の玉さん一家に着きました(下の写真の家、写っているのは通訳の李君)。門の有る立派な家です。2年前に調査に訪れた中川さんに確認して貰い、確かにここだとのことです。中川さんは2年前に撮った玉さん一過の写真を手渡したりしました。

中川さんは役目を終えバイクタクシーで、奥さんと一緒にホテルに帰りました(下)。又、北山塞翁も元の村に引き返して行きましたので、この日こちらに泊まるのは我々「食み出しトリオ」と通訳の李君、あちらの家に泊まるのが北山塞翁、唐さん、そして山村グループです。

さて、ここ嘎洒鎮曼弄楓村は景洪市を南側に回り込んだ所で、この家の近くの田圃からは下の写真の様に景洪市の市街地と市のシンボル景亮瀾滄江大橋(新橋)が見えます。この田圃の畦道を通って行くと、街迄バイクで20分位だそうです、直線距離では街と近いのです。

しかしこの田園風景は好いですね、稲穂が撓(たわわ)に実っていて、豊かな風景だと思います。西双版納の春の水田の目に滲みる様な緑色も印象的でしたが、この風景も忘れられません。「西双版納」の語源がタイ語の「田の在る12の村」だという話が充分に納得出来ます!!
この田圃にも日本の赤トンボやムギワラトンボ(実はシオカラトンボの♀)に似たトンボが飛んで居ました。ここは熱帯湿潤気候地帯なのです。10月後半とは言え、気候は日本の真夏の様で、しかも非常に湿度が高く「蒸し暑い」のです。ですから下の田圃の写真だけ見ると日本の秋の様に見えて仕舞うのですが、気候は真夏。写真を撮りにここ迄10分位外に出ただけで、陽光に照らされもう汗だくでした。→実はこのページの背景画はこの田園風景なのです。
それぞれ散歩とか昼寝とかで時を過ごし夕食、と言っても特別な料理では無く彼等が何時も食べて居る、言わば「普段着の」食事です、それが我々の望む所でもありました。食事は2階(実は1階。2m近い高床なので2階の様な感じがして仕舞います。)の居間で家の人と一緒に戴きます。
左下の写真の様にオカズは野菜が中心。糖尿病でお悩みの方はこういう所で暮らすと良いですよ!
右下の写真ですが、左からこの家のご主人と奥さん、そしてこの村の村長さんです。


食後は地酒(タイの焼酎)を飲み乍ら、タイ族では伝統的に「婿入り婚」(日本も昔はそうだった)で、ここのご主人もそうだ、という話をして呉れました。つまり母系性家族制度なのです。
[ちょっと一言]
今の日本人はこういう伝統的な事に無知で生半可にテレビなどに洗脳されて、日本やアジアは男尊女卑だと思い込まされて形式的な男女平等観を振り翳す人が多いので、困ったものです。タイ族では伝統的に女が家と土地と血筋を守り、男は労働力として他人の家に入るのです。しかし家では男(=婿)が”主人”であり、女(=家の主)は男を立てる訳です。この日も奥さんがタイ式に我々に酒を注いで呉れましたが、タイ族の女性は客を持て成す時は膝を着いてしなやかに酌をし自分は決して飲まない、と話して呉れました。こういう伝統は決して男尊女卑でも無ければ女尊男卑でも無いのです、昔からの積み重ねであり、これこそが無形の文化遺産なのだ、と私は思って居ます。
食後も酒を飲み乍ら色々な話を聴きました。この村は約130戸、450人位の人口だそうです。この村でももうブタは飼って無いとのことです。
ご主人は2001年に共産党に入党したそうです。多分村の役員か何かに成る準備でしょう。この家の娘さんは2人共大学を出ているそうで、そんな家はこの村でここだけなのだそうです。家も門が有って近所の中では立派です、玉さん一家はこの村の名士なのかも知れません。そしてエライさんに成る為には、共産党に入党する必要が有るのです。
さて、この居間の奥が寝室なのですが、寝室の中には決して他人を入れないという話です。又、この家にも長寿のお爺さんとお婆さんが居るのですが、寝室の一番奥の一番静かな所にはお爺さんとお婆さんが寝て、真ん中がご主人と奥さん、そして居間の出入口に一番近い所が子供たちだそうで、間仕切りなど無いそうです。
はて、困った。酒の勢いも手伝って、我々「食み出しトリオ」はここで本領を発揮!
つまりその、筒抜けの寝室でご主人夫婦は如何にして「所謂一つの夫婦の営み」をイタすのか?、その際子供たちに気付かれないのか?、という大問題に斬り込んだのですが、この肝心な所で通訳の李君が通訳拒否の態度を示し、結局ウヤムヤ(ご主人はニヤニヤ)、宿題を残す結果と成りました!

という様な訳で夜も更け寝ることにします。我々の寝床は同じ居間に布団を並べて、所謂雑魚寝(ざこね)。右がその寝床の前でご主人夫婦を囲んで撮ったものです、何っ、布団が見えない?、そうです、バックのピンク色をしたのが蚊帳(かや)で、布団はその中。懐かしいですねえ、日本と遠く離れて居ても、文化の繋がりが有るんだな、と実感しました。えっ、蚊帳を知らない?、お父さんかお母さんに聞いて下さい。
夜も日本の夏と同じ様に蒸し暑かったですね、実際には蚊は居ませんでしたが、何しろ南方の蚊はマラリア(※3)を媒介する種(※3-1)が居ますから、気を付けないと行けません。それではお休み為さ~い、ア~ァ。
(~_~)...
さて第2日目の朝ですが、安眠を妨害するヤツが居ました、それは鶏、シャモですね。これが朝早く未だ暗い内から鳴き出し、1羽が鳴くともうダメ、後は近所中の鶏がコケコッコーと遣り出して眠って居られません。仕方無く暗い内から起き出したらこの家のご主人がゴムの樹液採りに出掛ける所でした。そう、こちらの生活習慣ではこれが正しいのです!
こんなに早く起きても遣る事が無いので、取り敢えずトイレに行きました、懐中電灯を持って。右がトイレの写真。♂用と♀用ではありません。♂も♀も共通、右側がトイレで穴が空いて居るだけの便器(勿論跨いでしゃがむ式)が1つ在るだけで、脇に水の入ったバケツと柄杓が置いて在って、用を足した後、柄杓で水を流す方式で、言わば手動式水洗トイレという訳です。左側は井戸で水が無くなったら左側の所のポンプ式井戸からバケツに水を汲むのです。紙は自分で持参。
あ、そうそう、実はトイレの中に紙を容器に入れて在るんですが、私は持参した紙(=ポケットティッシュ)が少なかったので、思わずこれを拝借しようとしたら、ウヘッ、これ使用済みの紙ではありませんか、暗いから判りませんよね、危ない所でした。そして新たな疑問が湧いて来たのです。アレッ?、私は使用した紙は便器の中に捨て固形物と一緒に流して仕舞ったのですが、現地の人は流さずこの容器に捨てているのですね、そうか、このトイレの肥(こえ)はじわじわと溜池に流れ出し...、そうですね、環境を汚染しない為なんですね。ところで昼間食べたあのフナみたいな魚は、その溜池みたいな所に泳いで居て
魚 → <人>
↑ ↓
川や池 ← トイレ
という「人と魚とトイレの仲良しサイクル」が完結して居る様です...。ウーッ、これ以上考えると便器に落ちそう!
もう一つ、ここのトイレの入口には布で中が隠せる様に成っていて、入口にこの布が掛かっていたら使用中と、外からも判る仕掛けです。が、もうここ迄来たらしませんよ、そんなメンドウな事、女性陣はどうだか知りませんが。
然う斯うして居る内に夜も明けて来て朝食と成りました。朝食は至って質素。どうやら朝はバナナが主体の様で、バナナそのまんまのやつと、バナナの入った薄焼きパン(インドのナンの様なもの)がメイン、後は若干の野菜等でした。この薄焼きパンが甘くて口に合わなかったので麺を作って貰い食べました。
朝食の後、散歩して居たらゴムの樹液の集配所に出くわしました。左の写真のバケツに入って白く見えるのが樹液です。青年(少年?)の後ろに楕円形に見えるのがタンクローリーです。昨日バイクタクシーに乗ってこちらに来る時、やけにタンクローリー車(と言っても日本のとは違い、焼き玉エンジンでポンポンポンと鳴らして走るあれです)と擦れ違うので、何かな?、と思っていた疑問がこれで解決しました。昨夜の「大問題」は未解決ですが、アッハッハ。
昨夜のご主人の話では、この辺りでは食べる物は殆どが自給自足(つまりお金が要らない)で、殆ど唯一の換金作物がゴムだそうです。ここの家のご主人もゴム山を持っていて朝早く(4時前)からゴム山に出掛けて行きます。ゴムは即日お金に換金されるそうで、1バレル何ぼかは知りませんが、ご主人で年間4万元(この頃のレートで1万円=630元位ですから、約63万円)と仰って居ました。皆さんこの数字良く覚えて置いて下さいね。
ところで、隣村分宿組の昨夜から今朝に掛けての様子が判りましたので、それをここに挿入することにしましょう。この日隣村に分宿したのは北山塞翁、唐さん、そして山村グループです、以下は山村さん(ペンネームはミドリコ)の報告です。
○10月22日夕方~23日朝までの分宿組の様子(ミドリコさんの日記より)
【10月22日夕食】
椅子も竹テーブルも竹ジュータンも竹垣根も竹台所用品も竹、かまどは木をもやしトイレは村に一つ、共有。トイレの後に池が...トイレと池はきってもきれぬなかでした。
夕食準備、することもなく見ている、野菜は畑からとってきたもの、なす・きゅうり・とまと・たけのこ・いんげん...。魚は村の養殖池から、まさか、村の共同便所に直結の池からのものではないと思うけど。にわとりは庭をかけずりまわっているものが、正真正銘の産直で、生きたまま台所に、これからつぶすという、う~~ん、思いきって見ることに。頚動脈を切って、失血死、血は茶碗の中に、死んだはずのにわとりは竹籠の中に、ヤレヤレ。卒倒することなくみとどけた。と、おもったら、籠の中で断末魔のバタバタ、一目散に退散。この鶏のスープ、鶏の味が濃厚にでていてすこぶる美味。香菜ともピッタリの相性、でもいけません、一番上ににわとりの頭が、白目をつぶって鎮座してます。これを客人にと勧められたら一大事、先手必勝で書記さんにお薦めする。まだこりずにかき回すと、黒々とした鶏の足がレンゲに乗ってしまった。もう、止めにした、鶏を食べようとするのは。(←あの、すいません、エルニーニョです、ちょっと割り込ませて貰いますが、そちらの食事の方が断然よかったですね、羨ましい!、鶏スープ飲みたい!!)
夜は、この二役に書記夫婦も参集、村の三役(村長・会計・書記)が一同にかいしての歓迎の夕食となる。この書記さん、酔うほどに、今夜の料理はうまくないと、辛くないからうまくない、としきりにのたまう。いつもはもっと辛いそうだ。試しに、かれらがつけて食べている辛味調味料を舐めて見たが、辛いのなんの、味がぜんぜんわからないほど。炒菜数種・豚肉・鶏肉スープ三種と、食べきれないほどの料理が、テーブルに盛り上げられている。料理にも「たけのこ」は重要な一角をしめている。スープといわず、炒菜はあたりまえ、珍しいのは、ゆでた野菜や生のきゅうりをつけてたべる調味料、日本で言うならさしづめ金山寺味噌、新鮮な筍をすりおろし、塩を振って五日間放置、日中30℃を超す真夏日、5日もたてば醗酵して
くる。これに香菜をどっさり入れて出来上がり、名前は不明だが。わたしはかってに竹の子味噌と命名、ビールのあてに、生きゅうりにこれをつけながらいただくのもなかなかおつなもの。夜9時になると村の広場で、タイ式盆踊り、裸電球一つの明かりの下、村の女の人2、30人が 踊ってくれる。タイ族の衣装で、昼間着ていたのとはちがいあでやか、裸電球のあかりでも充分に華やかさがつたわってくる。しきりに輪にはいれと誘われる。わたしのもっとも不得意分野の「歌舞音曲」、ここまで来たらそんな寝言はいってられません。重いカメラバッグを肩から提げながら、二巡・三巡、毎回手振り、足つき、腰の振り、が変わるきわめてややこしい踊り。わたしはインドネシア人でもインド人でもないんだぞ!、とぼやきつつも、相方の困ったような顔、後の女のこの笑いころげんばかりのようすを見つつ、わたしも笑いをさそわれていた。夜は、高床式の二階(←実は1階)で、おやすみなさい。涼しい薄いふとんをかけて休む。午後の蒸し暑さをすっかり忘れさせてくれる。
【10月23日朝】
隣村に移動、トラクターに乗って。ガタガタ道、チベットのギャンツェで乗ったトラクターを思い出す。高山病の頭痛をかかえて、トラクターは揺れるたびに頭を締め付けられんばかり。
ギャーギャー騒ぎながら乗っていた途中、地平線に景洪の街並みが見渡せる。着いたところは昨日の村より規模が大きそう。村の入口に、数人の商いながら市がある。家の造りは高床式で同じだが、ここではトイレ・シャワールームが庭の片隅にある。
ということで、我々は散歩をして時間を潰し、昨夜隣村に分宿した人たちの到着を待ち、10時半頃到着と相成りました。
昼休みに近所の子供たちが帰って来たので、北山塞翁は早速日本から持参のジェット風船を実演し子供たちにプレゼントしました(下の写真)。因みに雲南では、ここだけで無く、小学校の児童は昼食を食べに帰宅します。そして昼食後再び学校に行きます。


午後はそれぞれ昼寝をしたり散歩をしたり、私は又トンボの写真を撮る為に散歩に出掛け、その成果が有りました。左は西双版納で最もポピュラーなトンボですが、名前は判りません(ほぼ実物大)。
尚、ここで撮影したトンボは「私の昆虫アルバム・外国編」というページに別に纏めて在りますので、トンボに興味が有る方はそちらを参照して下さい、私が何故トンボに拘泥るのかも解りますよ!
さて、第1日目の章でも述べたのですが、こちらは大変蒸し暑く、特に昼はじっとして居ても汗が出て来ますので、もう全員汗だく、体はベトベト状態です。シャワーを浴びたかったら、先程のトイレの隣の井戸からバケツに水を汲んで頭から被るしか無いので、誰も水浴びもして居ません。そこでバイクタクシーで30分位の嘎洒鎮中心街の温泉に出掛けることにしました。温泉に行く途中、嘎洒鎮の手前で着陸態勢に入っている旅客機が真上を通過して行きましたよ。
下がその温泉で、大人2元、子供1元です。日本の様にスッ裸には成りません。これは女湯です、\(^O^)/。


左が男湯。我々「食み出しトリオ」がパンツを穿いた儘入っている所を北山塞翁に撮って貰ったものです。気持ちよさそうでしょ、ところがこれ、見ると入るは大違い!
湯温は丁度好いのですが、こちらの人は湯舟の回りで体を洗い下着の洗濯をします、別にするのは一向に構わないのですが。その洗った汚水をこの湯舟に流し込むんですワ、これどういう神経してるんでしょうかね、ったく。ま、しかし、これが現地体験の真髄ですから、腹を括りましたね、人間諦めが肝心ですゾ!
ま、何だ彼んだ有りましたが、入ってる時は気持ち悪かったんですが、出たらさっぱりしましたね、やっぱ。
温泉場から無事バイクタクシーで帰ったら奥さんと長女が夕食の仕度をして居ました。右の写真がこの家の台所。こちらを向いて居るのが奥さんで、後ろ向きなのが長女です。このお嬢さんは景洪市のテレビ局のタイ語放送のキャスターです。何時も夜バイクで出掛け朝の8時頃帰宅します。奥さんの後ろに大きな電気冷蔵庫が見えるでしょ、ここにはカラーテレビも在ります。電話も在り、意外と電化されてます。
電気冷蔵庫が村の全ての家に在る訳では無いのですが、電化の勢いは急速で、文明の波は津波の如くです。だって街が目に見える所に在るんですからねえ、無理も有りません。この辺りの子供が大きく成る頃は皆家で農業をし乍ら、街にサラリーマンしに通う様に成ると思います。これって日本の滋賀県辺りと同じってことですね。
ところで、こう遣ってドンドン電化して行ってるんですが、風呂が無いんですよね、銭湯も無い。さっきみたいに温泉に入るのも近場の人だけで、我々みたいに出掛けて行く人は居ませんね。10月後半でこれだけ蒸し暑いのに、一つはここの人は汗を掻かないですね、そして二つ目には風呂に入らない。私は事有る毎に「文化の固有性」について言及して居ますが、こう見て来ると日本人の風呂好きは、可なり日本人固有の文化ではないかと思えて来ます。
さて、愈々夕食、野菜中心で大体昨日と同じ(右の写真)。好いんですよ、普段着の生活を体験しに来たんですから!

その後、分宿組が合流して来て、この日の夜はとっても賑やかに成りました(右の写真)。
食事中もビールや地酒(強い焼酎)を飲みましたが、私は食事が終わって更に地酒に専念しました(他の日本人が余り飲まなかったので)。
左の写真はこの家のご主人と北山塞翁が中国式の乾杯、つまり焼酎を小さな猪口に注ぎ、お互いに一気に飲み干し、空いたら又注ぎ飲み干す...というタフな儀式です。先生大丈夫かな、と覗き込んで居るのが唐さんです。
唐さんは上海人でシャイですから、この人、最初は中々食べ物を口にしませんでした(昨日の昼食のこと)。
この後この乾杯のオハチがこちらに回って来たので、私は一気に飲まず、ご主人に「チビチビ、チビチビ」と日本語で言って、チビチビ遣りました。
その後、この家のご主人は色々な生活用具を持ち出して、ジェスチャーで実演して見せて呉れました。下は餅を搗く臼と杵です。実はタイ族はモチ米文化で、粽(※1)などにして日常的にモチ米を食べるのです。
右下がこの家のお婆さんと北山塞翁です。




左が川魚を採る竹製の捕獲網と採れた魚を入れる竹籠を用意するご主人。
右はその竹籠を担ぐ小池さん。
左が竹製の捕獲網で川魚を採るジェスチャーを実演して呉れる奥さんで、この夜はタイ族の人々の生活を知る大変好い機会でした。
さてこの夜の最後はタイ族の女性が着るドレスを出して来て、山村さん(左下)と唐さん(右下)が着てみました。山村さんは少し苦しそうですね、唐さんは昔京劇に所属したことが有るらしく、科(しな)を作りポーズを決めて居ます。


ということで、とても楽しい一夜でした。又、この日は女性が居たので昨夜の宿題はお預け、アッハッハ。
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さて、寝る前に会計の話。我々の滞在費は100[元/1人1日]です。これは中川さんが以前調査に来た時の値段です。一万円=630元として1元=15.9円=約16円とすると、例えば私は2泊で200元=3200円で、「安いやないか」と為るのですが、それは為替格差の所為なのです。この家の2日間の収入は
1日目=4人=400元
2日目=9人=900元
で、計1300元です。
ところで先程この家の現金収入は年間で4万元と書きました。ということは
40000/1300=30.8=約30倍
です。つまり、この家は我々に「普段着の持て成し」を2日間しただけで、何と年収の1/30を、特別の労働をせずに得るのです。ここが外国旅行の難しい所ですね、日本人から見たら非常に安い金額が、現地の人から見たらベラボーなのです。初めに行った村の村長が何とかして我々を引き留めた訳が、これでお解り戴けたでしょう。
貴方(貴女)がもしここの現地の人だったらどうします?、鶏の鳴く声と共に飛び起きて、でかいバケツ担いで山の中にゴムの樹液採りに行くのがアホらしく思えて来ませんか?
私はケチで言っているのでは無く、我々のちょっとした行動が、現地の価格破壊を起こし、皆が先祖代々続けて来た家業のゴム栽培を止めて仕舞い、皆観光客相手の専業民宿に成って仕舞う、という事態が起こる可能性は充分有るのです。事実、日本の農村・漁村はそう遣って本来の家業を放棄して来たのです。
ですから、私や、桃源倶楽部の少なくとも一緒に旅行して居るメンバーは、こういう為替格差の大きい地域では日本円では無く、現地の通貨を基準に考える様にして居ます。
因って我々の会計担当の松岡さんは、日本人から見たら非常に安い金額ですが、値段交渉では甘い顔をせずにシビアに交渉しました。
この辺に関し、良いアイデアや経験をお持ちの方は、このサイトのメールか掲示板でご連絡下さい。
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2日間の思い出を胸に、出発です。出発の朝、全員でテラスに出て記念撮影、通訳の李君に撮って貰いました。後列左端がテレビ局から朝帰りしたばかりの長女(先程の写真では後ろ向きだった)です。

以上の様な2日間で、非常に貴重な体験で面白かったですね。この後版納賓館に戻り、桃源倶楽部の面々は昆明に、山村グループは西双版納を更にさ迷う旅を続けるそうです。この家のご主人は別れ際、私に大きな声で「チビチビ、チビチビ」と言って呉れました。
皆さん、どうも有り難う! (^o^)/
諸般の事情からこのページの作成が遅れましたが、本編と既に公開して居る[2002年雲南桃源旅行・番外編]が02年の雲南桃源倶楽部の雲南の旅の全てです。この後、私を含めた桃源倶楽部「食み出しトリオ」は”脱雲南”を目指し、更に「解脱の旅」を続けます。その旅の様子は既に
2002年・”脱雲南”桃源紀行[2002年雲南桃源旅行・解脱編#1]
に纏めて在りますので、そちらをご覧下さい。
但し、解脱編の中で「解脱雲南即知雲南」を説きましたが、「解脱の旅」はこのページで述べた雲南の真髄(=奥義)を究めた上で初めて達成可能と為る彼岸の境地です。この奥義を究めずして行き成り彼岸に飛び立とうとするのは外道(げどう)です。奥義を究めずして真の心の安住は在り得ませんよ!
尚、[2002年雲南桃源旅行]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
【脚注】
※1:ちまき。(古く茅(ちがや)の葉で巻いたから言う)端午の節句に食べる糯米粉・粳米粉・葛粉などで作った餅。長円錐形に固めて笹や真菰(まこも)などの葉で巻き、藺草(いぐさ)で縛って蒸したもの。中国では汨羅(ベキラ)に投身した屈原の忌日が5月5日なので、その姉が弟を弔う為に、当日餅を江に投じて虬竜(きゅうりょう)を祀ったのに始まると言う。伊勢物語「人のもとよりかざり―おこせたりする返事に」。
※2:糸車(いとぐるま、spinning wheel)は、繭・綿などから糸を紡ぎ出し、又、それを縒り合わせるのに用いる車。竹の車と紡錘(つむ)とから成る。紡ぎ車/紡車(ぼうしゃ)/糸繰車(いとくりぐるま)/糸縒車(いとよりぐるま)/糸取車とも。
※2-1:錘/紡錘(つむ)とは、[1].糸巻などの心棒。
[2].糸を紡ぐ機械の付属具。太い針状の鉄棒で、これに管を差し込んで回転させ、撚(より)を掛け乍ら糸を巻くもの。緒巻(おまき)。
※3:マラリア(malaria)は、ハマダラカの媒介するマラリア原虫の血球内寄生に因る伝染病。赤血球内で増殖・分裂して血球を破壊する時期に発熱。隔日に高熱を発する三日熱、最初の発作から2日平温が有って4日目に高熱を発する四日熱、及び不規則な熱帯熱(悪性マラリア)に分れる。瘧(おこり)。黒水熱。
※3-1:ハマダラカ(羽斑蚊・翅斑蚊、anopheles)は、ハエ目カ科ハマダラカ亜科の総称。翅に黒斑が有り、物に止まる時は後脚と腹部とを上げて体を斜めにする。雌はマラリア・バンクロフト糸状虫などを媒介する。アノフェレス(anopheles)。
※3-2:マラリア原虫(malaria protozoan)は、コクシジウム目の胞子虫(ほうしちゅう)類。マラリアの病原体。4種在ってそれぞれ起す症状が異なる。何れもハマダラカに因って伝染される。プラスモディウム。
(以上、出典は主に広辞苑です)
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):西双版納の謂れと地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
@補完ページ(Complementary):2002年”脱雲南”の旅▼
2002年・”脱雲南”桃源紀行(Travel piece of Huanan, China, 2002)
@横顔(Profile):「雲南桃源倶楽部」について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
嘎洒(ガサ)鎮曼弄楓村タイ族村で撮影したトンボについて▼
私の昆虫アルバム・外国編(My INSECTS album in foreign country)
粽(ちまき)を食べる日本の「端午の節句」について▼
2004年・鯉幟の町-加須市(Kazo and carp streamer, Saitama, 2004)
「神の依代」などの仏教以前の土着の信仰▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)
2002年10月26日(土)の昆明の記事▼
昆明の「清真」通り('Qingzhen' street of Kunming, China)
その後、ミドリコさん(=山村さん)が寄稿された旅行記▼
ミドリコの2000年・チベット旅日記
(Travel diary of Tibet by Midoriko, China, 2000)
ミドリコの2004年・タクラマカン周遊記
(Around the Taklimakan by Midoriko, China, 2004)
「雲南桃源倶楽部」のサイト▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')