2002年の景洪ナイト・フィーバー
[西双版納大橋の近くの遊技場
(Jinghong night fever, China, 2002)

-- 2003.02.20 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2016.02.26 改訂

 ■はじめに - 夜の街へ飛び出す

 2002年10月24日(木)の夜、私は一人で西双版納(=景洪市)の夜を散歩&探検しました。景洪市はこれで3回目(=三回目の雲南桃源旅行)なので街の様子や方向感覚が大分判って来ました。{このリンクは2015年6月12日に追加}
 ここで10月24日がどういう日だったのか、を明確のする為に「雲南の旅(真髄編)」から旅程を▼下▼にコピーします。グループ構成は雲南の旅(真髄編)をご覧下さい。

                 <宿泊>
        ...<前半略>...
 10/23(水)          タイ族民家      A,C,-->「真髄編」の旅
                景洪市のホテル    B
   24(木) <景洪市民病院>  版納賓館と桃源ハウス A,B,C,   <景洪市民病院>はC
                           Aの「番外編」裁判
       <景洪ナイト・フィーバー>                    <景洪NF>は私
   25(金) 景洪 → 昆明  銀天大酒店      A,B,C,
           <滇池>                        <滇池>は塞翁と私
                           と別れる
        ...<後半略>...

 上の旅程に在る様に、タイ族民家の体験宿泊を終え一旦版納賓館へ戻り、直ぐに景洪市の市場へ行き、プ・リャンスオ(浦良鎖)の家に行きました。山村グループとはここで別れ、午後には庄洪路のプ・リャンスオの店に寄り、看護婦の白美蘭さんの居る景洪市民病院に行きました。
 この日は大曼么(ターマンメ)の桃源ハウス(△1のp43、106~109)に寄る為に夕食を早目に済まし、北山塞翁と唐さんと小池さん/松岡さん/私の”食み出しトリオ”はプ・リャンスオの車で桃源ハウスに向かったのです。桃源ハウスで何が行われたか、については下に詳しく書いて在りますので、▼下▼を
  プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ(Snake liquor to Pu Liangsuo, China)

をお読み下さい。今夜は北山塞翁と松岡さんは桃源ハウスに泊まりました。

 そして我々は明日は昆明に帰るのです。又、景洪には来ると思いますが何時来るかは判りません。景洪の夜の風景を見れるのは今夜しか有りません。

 版納賓館に帰って来たのが22:00を少し過ぎていました。右がその時の版納賓館の従業員です、この子ほ漢族です。私は冒頭に記した通り、景洪市の方向感覚は略判りますので思い切って一人で夜の街に飛び出しました。この子は「中国名花集」に登録しました。{このリンクは05年1月4日に追加}

 ♪サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday night fever)♪という曲が大分前に流行りました(←後で調べたら1977年のジョン・トラボルタの映画とビージーズの歌)が、02年10月24日は木曜日なのでエルニーニョのサースデイ・ナイト・フィーバー(Thursday night fever)です。そこで表題を「2002年の景洪ナイト・フィーバー」と洒落てみました。
 景洪市の地図は▼下▼をご覧下さい。
  地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)

 それでは皆さん、景洪市の夜景を十分楽しんで下さい!!

 ■2002年10月24日(木)の景洪ナイト・フィーバー

 以下の写真は全て明るく処理して居ます。

 (1)孔雀湖と景洪東路

 版納賓館を出て西に向かい先ず孔雀湖に行きました(左下の写真)。

 孔雀湖には正に孔雀が尾羽を広げている様な大きな樹が在りました、高さは2m位です。
 その後景洪東路を東進しました。右が景洪東路です。右上の写真の歩道で緑色に見えているのはプラスチック製のゴミ箱です。

 (2)西双版納大橋

 下の4枚は西双版納大橋です。
 左下は西双版納大橋の上です。実は私は西双版納大橋を渡った事が無かったので渡りたかったのです。向こうから家族連れが遣って来ます。この家族連れとすれ違って橋の真ん中位迄行って又引き返しました。
 暗いのでシャッタースピードが極端に遅いので写真はどうしてもボケて仕舞います。

 瀾滄江(=メコン川)右岸を北上すると遊歩道が在り、右の写真はそこから撮った西双版納大橋です。
 

    ◆空から見た西双版納大橋 - 西双版納大橋の銘板写真

 ここで02年10月21日(月)に昆明から来た飛行機から撮った西双版納大橋を紹介しましょう(左下の写真)。瀾滄江が見え西双版納大橋が小さく写って居ます。
 西双版納大橋を拡大したのが右下の写真です。右上の写真はこの拡大写真と同様の角度から撮ったものです。


 [ちょっと一言]方向指示(次) 西双版納大橋は1995年に建設を開始し1999年に完成して居ます。この2つの橋の呼び方は可なり混乱して居り、私が中国で買った地図や「地球の歩き方」でも下の様にマチマチです。

        塞翁の本      中国で買った地図   景洪市城区図   景洪市城区図
        <1997年>     <2000年>      <1999年>    <2000年>
        (△1のp72)  (△2のp106)  (△2-1)   (△2-2)
  北橋    景洪大橋      瀾滄江大橋      瀾滄江大橋    允景洪瀾滄江大橋
  新大橋   -----     景亮瀾滄江大橋    瀾滄江新大橋   西双版納大橋
                              (在建)

 因みに『地球の歩き方』(1999~2000年)(△2-3のp114)だは北橋が瀾滄江北橋、新大橋は在りません。現地の景洪市で2000年に発行した△2-2だけが西双版納大橋に成って居ますので、以後私はこれを採用し使って居ました。
 しかし、この問題は解決しました。西双版納大橋の銘板(ネームプレート(nameplate))の写真が載って居ます(△3)ので、これが正式名称です。このサイトからその写真を拝借します(右の写真)。
 私が思うに、建築中のこの橋は当初は瀾滄江新大橋などの案が在り、地図を出版する都合から案で出版せざるを得なかったものと思われます。エフタロウさん、有難う!!
    {この西双版納大橋の写真は2016年2月26日に追加}

 (3)西双版納大橋の近くの遊技場は面白い!

  (3)-1.ビリヤード

 瀾滄江右岸の遊歩道から然程離れて無い所に遊技場が在り結構賑わっている所が在りました。

 最初にビリヤード場(※1)を見付けました。この写真をご覧下さい。もう23時を過ぎているのに、この盛況です。これは大人の社交場ですね。日本にはカジノ(※2)が発達してないので本当の大人の遊び場が非常に少ない。江戸時代には吉原の様な花魁(おいらん)の居る場が有りましたが、...。
 しかし写真のお姉さんは中々カッコイイですね。景洪市にこういう所が在ったとは全く知りませんでした!

 中国の路上ゲーム麻雀(麻将)中国象棋トランプビリヤードの4種類が在ります。興味有る方は▼下▼を
  中国の路上ゲーム(Chinese street-games)

ご覧下さい。
 中国ではビリヤードは日本よりも盛んです。「中国の路上ゲーム」でも書きましたが、中国では場末の市場などでビリヤードをしている光景を良く見掛けます。そんな例としてパーリャン小学校の出入口の所にビリヤードの台が在り近所の人たちがゲームを遣って居ました。私もちょっとだけ遣らせて貰いました。私はその光景を写真に撮りホームページ(HP)に載せて居ます。▼下▼からご覧下さい。
  2002年・パーリャン小学校視察の旅(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

 ボランティアでパーリャン小学校を建てているのに態々(わざわざ)ビリヤードをしている所を載せなくても良いだろう、考える日本人が多いと思います。しかし私は違うのです。私の外国旅行は「全て見た儘有りの儘、何も足さない、何も引かない」をモットーに書いて居ます。パーリャン小学校の出入口のビリヤード場を載せた事の良し悪しは読者にお任せします。

  (3)-2.シミュレーション・ゲーム

 これはゴーカート(※3)成らぬシミュレーション・ゲーム(※3-1)です(左の写真)。
 奥の方でお父さんと息子が遣って居ますので、その部分の拡大が右です。ご覧の様に自動車を模擬体験する為に、前方にテレビ画面が在ります。
 でも、このシミュレーション・ゲームの運転時間は既に終了して居ます!

 これは遊園地(※2-1)ですね。正真正銘のゴーカートは中甸に在りました。私は子供の頃に横浜の野毛山遊園地でゴーカートに乗った覚えが在ります。因みに、野毛山には動物園と遊園地が在りましたが遊園地は今は在りません。

  (3)-3.メリーゴーラウンド(回転木馬)

 これはメリーゴーラウンド(回転木馬)(※4、※4-1)です(左の写真)。
 この写真も奥の方にお父さんと息子が居ますので、やはり拡大します(右の写真)。
 でも、このメリーゴーラウンドは動いてません、もう営業運転は終わって居ます!

 これも遊園地です。私はメリーゴーラウンドはやはり野毛山遊園地で乗りました。

                \(~O~)/

 ということで、ここは深夜に遣る大人の社交場と、昼間営業する子供向けの遊園地の両方が有ります。しかし、大変面白かったですね!
 さあ、急いで帰らなければ!!

 (4)版納賓館に帰って

 いやぁ、それにしても、あの遊技場は滅茶オモロかったですねェ。西双版納大橋の近くに深夜遣ってる遊技場が在るなんて全く知りませんでした、これは「思わぬ発見」でした!

 左が「景洪ナイト・フィーバー」から版納賓館に戻って時にホテルのカウンターに居た従業員です。この子はタイ族(傣族)です。タイ族の人は民族衣装を着る決まりに成って居る様です。もう時刻は0時半位で日付は10月25日に変わって居ます。明日(←実は今日)は飛行機で昆明に帰ります。この子は「中国名花集」に登録しました。{このリンクは05年1月4日に追加}
 ところで君は、私の帰りを待ってたんじゃあ、無いよねェ。えっ、私を待っていた、あちゃ~~!

            (>o<)

 私は同室の小池さんを起こさない様に、部屋にそっと入り、静かにシャワーを浴びて寝ました。しかし今日(←実はもう昨日)は色々な事が有ったので -特に「桃源ハウスでの裁判」- 中々眠れませんでした。2002年の第3回雲南桃源旅行は本当に色々な事が有ったのです。

 ■10月25日(金) - 西双版納空港から昆明へ


 今日は昆明に帰る日です。左は版納賓館の庭で朝食後に撮ったブーゲンビレア(※5~※5-2)で、小さな白いのがです。

 ところで、私は04年にパーリャン小学校竣工式で雲南に来て居ますが、その時には版納賓館は無くなって居ました。何でも03年に経営者が代わったみたいで旧版納賓館は改装され名前も変わりました。パーリャンの関係の人たちも版納賓館を惜しんで居ました。
 私は何気無くこのブーゲンビレアを撮ったのですが、この亜熱帯の花が期せずして版納賓館を偲ぶ最後の写真に成りました。版納賓館にはこの「景洪ナイト・フィーバー」を始め数々の思い出が在ったのです!!{この版納賓館が無くなった話は04年11月17日に追加}

 我々は西双版納空港へ向かいました。私は昨日の桃源ハウスで被告に成ったプ・リャンスオ(浦良鎖)(△1のp68、70)が顔を見せるかな、思って居ましたが本人はヘッチャラな顔で版納賓館に現れ空港に見送りに来てくれましたましたので私は大いに安心しました。この様にプ・リャンスオは好漢(=好ましい漢族なのです。尤もプ・リャンスオは昨日、桃源ハウスで同じ上海出身の唐さんという女性に何か言われた時は向きに成って反論して居ましたね、この時は上海方言を使ったと思われます。

 ヘ・チャンリ(賀長利)(△1のp68)は仕事で来れませんでしたが代わりに娘さん(右の写真)が見送りに来ました。この時、中学2年生です。北山塞翁は空港で彼女に「しっかり勉強して高校に進みなさい。」と言って居ました。西双版納の特に少数民族の子は学校に行かない子が多いのです、ヘ・チャンリは漢族ですが。離婚した奥さんが少数民族?、私は奥さんについては何も知りません。ヘ・チャンリの娘さんは「中国名花集」に登録されて居ます。{このリンクは05年1月4日に追加}
 こうして北山塞翁、中川夫妻、唐さん、それに小池さん/松岡さん/私の”食み出しトリオ”は飛行機に乗り込み、昆明に帰りました。

                (^O^)/

 それでは皆さん、御機嫌よう!!

                ◇◆◇◆◇

    ◆追伸

 という具合で一旦本ページを終わったのですが、上のヘ・チャンリの娘さんは2007年に結婚しました。私は結婚式のビデオ(←今では結婚式場が制作します)を桃源ハウスで見せて貰ったら、もの凄い美人です。02年に中学2年(14歳位)ですから07年には19歳、結婚しても何ら不思議では無いのです。私はこのビデオを写真に撮りましたので皆さんは「2008年雲南回帰の旅・番外編」で、その写真が見れるのです!!
    {この追伸の記事は08年11月14日に追加}

♪♪♪ おしまい ♪♪♪

【脚注】
※1:ビリヤード(billiards)は、室内競技の一。ラシャ張りの長方形の台上に数個の玉を置き、棒(キュー)で突いて他の玉に当てて勝敗を争うもの。15世紀頃イギリス/フランス両国に始まり、日本には1850年(嘉永三)頃オランダ人が伝えた。玉突き撞球(どうきゅう)。

※2:カジノ(casino[伊])は、この場合、(小邸宅の意)ルーレット/カード/ダイスなどを備えた公認の賭博場。元、ダンスなどの娯楽設備の有る集会所。
※2-1:遊園地(ゆうえんち、amusement park)は、遊覧/娯楽などの為の設備を整えた場所。

※3:ゴーカート(go-cart)は、遊園地などに在る、乗って遊ぶエンジン付の小型自動車。
※3-1:シミュレーション・ゲーム(simulation game)は、自分で判断/操作して、或る世界を模擬体験するゲーム。乗り物操縦/戦争・政治・経営戦略/スポーツ/動植物等の飼育など幅広い。

※4:メリーゴーラウンド(merry-go-round)は、回転木馬。
※4-1:回転木馬(かいてんもくば、merry-go-round)は、遊戯器具の一つ。直立軸の周囲に木馬を配置し、その軸を回転させる事に依って木馬も回る様にしたもの。メリーゴーラウンド

※5:ブーゲンビレア/ブーゲンビリア(Bougainvillea[ラ])は、(ブーガンヴィルの名に因む)オシロイバナ科イカダカズラ属植物(その学名)。南米に10種ほど分布。又、同属の観賞用蔓性木本、又は低木。枝にはが付き、卵形で先が尖った葉を互生し、先端に3枚の苞(ほう)に包まれた小花を付ける。苞は紅/桃/白色など、園芸品種も多く、広く暖地や温室で栽培。イカダカズラ(筏鬘)
※5-1:苞(ほう、bract)とは、〔生〕花や花序の基部に付く。通常の葉に比して小形で、時に鱗片状を成すが、種に依っては色彩の美しい花弁状を呈するものも在る。苞葉
※5-2:花序(かじょ、inflorescence)とは、花が茎、又は枝に付く並び方。或いは花を付けた茎、又は枝。総穂花序集散花序、又は無限花序有限花序とに大別される。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『西双版納 -悠々ロングステイのすすめ-』(北山昌夫編著、三一書房)。

△2:『雲南省地図冊(2000年版)』(雲南省測絵局編、中国地図出版社)。2000年に元陽県新街で購入。
△2-1:『景洪市城区図』のパンフレット(1999年景洪で発行)。1999年に景洪で購入。
△2-2:『西双版納傣族自治州旅游交通図』のパンフレット(2000年景洪で発行)。2000年に景洪で購入。
△2-3:『地球の歩き方104 雲南・四川・貴州と少数民族 1999~2000年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。

△3;『Pickup! フォートラベルからのおすすめ情報』の公式サイトの旅行記「中国雲南省旅行(その1) バンコク→昆明→西双版納(シーサンパンナ)景洪」(著者:エフタロウ)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):雲南省の西双版納の地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
補完ページ(Complementary):雲南の旅(真髄編)の旅程▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
補完ページ(Complementary):北山塞翁、
プ・リャンスオ(浦良鎖)を裁く!▼
プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ(Snake liquor to Pu Liangsuo, China)
横顔(Profile):嘗ての「つくる会(解散)」の活動▼
パーリャンに小学校をつくる会
(Construct team for Paliang's primary school)

横顔(Profile):パーリャン小学校竣工式の模様▼
パーリャン村の小学生を支援する会
(Support team for Paliang's schoolchildren)

横顔(Profile):雲南桃源倶楽部や雲南桃源旅行について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
雲南桃源旅行の時期▼
私の外国旅行(Travel of my foreign country)
「景洪ナイト・フィーバー」前後の版納賓館の「浮世の花」▼
中国名花集-花の写真館(Chinese Flowers)
中国の路上ゲームとビリヤード▼
中国の路上ゲーム(Chinese street-games)
パーリャン小学校の近くでビリヤードをする人々▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)

2001年の雲南省中甸(現:香格里拉)で見付けたゴーカート場▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)
「思わぬ発見」は旅の醍醐味▼
「日本再発見の旅」の心(Travel mind of Japan rediscovery)
2007年にヘ・チャンリ(賀長利)の娘さんが結婚
(2008年雲南回帰の旅・番外編)▼
西双版納でタンゴ、何でや?(TANGO in Xishuangbanna, why ?, China)
中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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