中国の路上ゲーム
[中国の”明け透け文化論”]
(Chinese street-games)

-- 2003.03.30 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2010.03.24 改訂

 ■はじめに - 

 中国を旅して気が付いたことは、彼等が仕事の合間や或いは仕事をし乍ら路上屋外で興じているゲームは、麻雀(麻将)(※1~※1-2)/中国象棋(※2~※2-2)/トランプ(※3~※3-1)/ビリヤード(※4)の何れかで、極偶にチェス(西洋将棋(西洋象棋))(※2-3)を見掛けます。そして或る地域で、例えば麻雀が行われていると大体その地域は麻雀が行われて居ます。
 以下にその様な例を写真を通じて見て行きます。





















 そして、それを隠さない。全く”明け透け”(※6)です。


 ■麻雀

  ◆雲南省麗江で


 2001年10月15日

 この旅は▼下▼から。
  2001年・麗しの麗江(Beautiful Lijiang, China, 2001)






















 ■象棋

  ◆雲南省中甸(香格里拉)で

 2001年10月19日の午後、雲南省中甸県 -02年から香格里拉(シャングリラ)に名称変更- の街中で撮影したもので、中国では象棋(※2-1)と書きます。中甸県はチベット族の街です。


 この旅は▼下▼から。
  2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)

















 ■チェス


















 ■トランプ






























 ■ビリヤード







 2002年10月24日の景洪市の夜景とビリヤード
  2002年の景洪ナイト・フィーバー(Jinghong night fever, China, 2002)
































 ■その他

  ◆雲南省中甸(香格里拉)で

 下の2枚が2001年10月19日の午後、雲南省中甸の街中で撮影したものです(何れも小池さんが撮影)。
 遣って居るのは私で、先ず道端でタマを飛ばすゲームをしました(左下の写真)。盤には「奨」という字が書いて在り「奨励」とか「表彰」を意味します。赤色と紺色のタバコが賞品で、まぁ単純な博奕(博打)で、私は小銭を摩られました。
 右下が輪投げでタバコを取るゲーム(小池さん撮影)で、こちらも博奕で私は小銭を摩られました。右端に「雲南桃源倶楽部」の松岡さんが見て居ます。
  

 この旅は▼下▼から。
  2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)





















 ■結び - 






-- 完 --

【脚注】
※1:麻雀/麻将(マージャン、majiang[中国語の麻将], mah-jongg)は、室内遊戯の一種。中国では麻将と書く。普通四人で行う。用具は牌(パイ)と称し、骨材に諸種の彫刻を施して裏に竹片を接合したもので、万子(ワンズ)筒子(トンズ)索子(ソーズ)の1~9各4枚と文字牌である三元(白板・緑発・紅中)四喜(東・南・西・北)各4枚との計136個。競技は、荘家(親)を決め、他の三人が散家(子)と成って、各13枚の牌を配り持ち、各自が牌の取捨を行なって規定の組合せを早く終った者が和了(ホーラ)を宣し、各自の得点を計算する。順次、親が替わって4巡して一荘(イーチャン)が終り、その時の得点で勝敗を決める。清代に流行日本には大正末期に伝わった。
 補足すると、麻雀は中国語ではスズメ(maque)を表し、ゲームのマージャンは麻将(majiang)と書きます。起源は清代「骨牌」というカルタゲームから作ったとされて居ます。
※1-1:一荘(イーチャン、yizhuang[中国語])とは、(中国語)マージャンで、1試合のこと。競技者4人が順次に東南西北四風の各々の親を一巡して終る。因みに半荘(ハンチャン)とは一荘の半分で、現在の日本では殆どこの形で行われる。
※1-2:沖和(チョンボ、chonghe[中国語])は、元々麻雀用語で、間違って上がること。転じて、単純な失敗。間違い。ミス。

※2:将棋/象棋/象戯(しょうぎ、shogi, Japanese chess)は、室内遊戯の一。二人で将棋盤を挟んで相対し、盤面に配置した駒を交互に動かして闘わせ、相手の王将を擒(とりこ)にした(詰めた)ものを勝とする。インドに起り、日本には遣唐使や入唐僧などに依って中国から象棋が伝来したと言う。大将棋・中将棋・小将棋などが在り、現今の将棋は小将棋に中将棋の飛車角行を加えたものから、日本独自に発達相手から取った駒を自軍で使えるのが特徴。「―を指す」。
※2-1:象棋/中国象棋(しょうぎ/ちゅうごくしょうぎ、シャンチー、xiangqi[中国語])は、二人で行なう室内遊戯の一。駒(棋子)の数は黒紅16個で、盤の中央に河界が在る。上手(うわて)或いは年長者がの駒を持つ。の影響を受けていて、駒の形は円形で、駒は桝目の交点に置く。取った駒は取り捨てで使えない。将(帥)は将棋の王将に相当するが、勝負は相手の将(帥)を動けなくする事「将帥不対面」 -将と帥の駒は間に他の駒を置かずに同一線上に対面しては為らない- というルールで縛られ、その様な状況に追い込まれたら負け(将死)。起源は6世紀頃成立日本の将棋の原型とされる。
※2-2:碁/棊(ご、go, weiqi[中国語])は、二人相対し、361の目を盛った盤上に交互に一つずつ黒・白の碁石を並べ、地を広く占めた方を勝ちとする遊戯。3000年程前中国に生まれたと言われるが、バビロニア、又はインド起源説も在る。日本には783年吉備真備が唐から齎したと伝えられ、平安時代には貴族の間で流行した。戦国末期に京都寂光院の僧本因坊算砂(さんさ)が出て織田・豊臣に仕え、徳川家康に依って名人碁所に任命されてから、幕府の扶持(ふち)を受けた本因坊井上安井囲碁四家から多くの名手が出、年中行事として御城碁(おしろご、将軍の御前対局)が行われ、又碁所の地位を争って技を競った。明治期の混乱の後、1924年21世本因坊秀哉(しゅうさい)を中心に日本棋院が創立されてから碁界は近代化に向かった。囲碁。烏鷺(うろ)。手談。宇津保物語初秋「われこの御―に勝たむとも思はず」。「―を打つ」「碁会・碁盤」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2-3:チェス(chess)は、西洋将棋(西洋象棋)。白・黒16個ずつの駒、即ちキング(王)クイーン(女王)各1、ビショップ(僧正)・ナイト(騎士)・ルーク(城)各2、ポーン(卒)8を、縦横8列の六四枡(ます)から成る市松模様の盤上に並べ、相手の王を詰めた方が勝ち。将棋に似るが、取った駒は使えない
 補足すると、発祥はインドチャトランガ -チャトランガはサンスクリット語で「4つの軍団」です- という盤上遊戯で、ガジャ(象)アシュヴァ(馬)ラタ(戦車)パダチ(歩兵)の4つの軍団が元です。だからチャトランガから発展したゲームは「将棋」よりも「象棋」の方が相応しいのです。

※3:トランプ(trump)は、(切り札の意)外来のカルタの一種。一組53枚のカードで、ハートダイヤクラブスペードの各13枚ずつの4組とジョーカー1枚が在る。各一組はキング(王)クイーン(女王)ジャック(兵卒)の3枚の絵札及びA(エース)から10迄の10枚の数札から成る。プレイングカードカード西洋カルタ
※3-1:カルタ(carta[葡]、歌留多、骨牌)は、(carta[葡]は card[英] に相当)南蛮貿易の始まった16世紀後半ポルトガル人に依って伝えられたとされる。遊戯又は博奕の具。小さい長方形の厚紙に、種々の形象又は詞句・短歌などを書いたもの数十枚を数人に分け、形象・詞句・短歌に合わせて取り、その取った数に拠って勝負を定める。花札歌ガルタいろはガルタトランプなど種類が多い。特に、歌ガルタいろはガルタを指す。多く、正月の遊び。

※4:ビリヤード(billiards)は、室内競技の一。ラシャ張りの長方形の台上に数個の玉を置き、棒(キュー)で突いて他の玉に当てて勝敗を争うもの。15世紀頃イギリス/フランス両国に始まり、日本には1850年(嘉永三)頃オランダ人が伝えた。玉突き撞球(どうきゅう)。





※6:明け透け(あけすけ)は、(アケ(明)スケ(透)の意)包み隠さない事。有りの儘。「―に言う」「―な人」。



    (以上、出典は主に広辞苑です)


【参考文献】
△1:『世界のゲーム事典』(松田道弘著、東京堂出版)。

●関連リンク

参照ページ(Reference-Page):雲南省の香格里拉(旧:中甸)の地図▼
地図-中国・雲南省北部(Map of Northern part of Yunnan, -China-)



参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)

横顔(Profile):雲南桃源倶楽部について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)


2001年の雲南省麗江の旅▼
2001年・麗しの麗江(Beautiful Lijiang, China, 2001)
2001年の雲南省中甸の旅
(2002年から中甸は香格里拉に名称変更されました)▼
2001年・紅葉の中甸(Red leaves of Zhongdian, China, 2001)


2002年10月24日の景洪市の夜景とビリヤード▼
2002年の景洪ナイト・フィーバー(Jinghong night fever, China, 2002)



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