西双版納でタンゴ、何でや?
[2008年雲南回帰の旅・番外編
(TANGO in Xishuangbanna, why ?, China)

-- 2008.11.14 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2017.06.20 改訂

 ■はじめに - 6年の歳月は中国人にとって長い!

 もう今を去る事6年前の2002年にはプ・リャンスオが主役を張り
  プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ(Snake liquor to Pu Liangsuo, China)

を発表しました。「雲南桃源倶楽部」(北山昌夫会長) -自ら愚公亭塞翁と呼ぶ- のメンバーの共通の友人達(=何れも中国人)の人間関係を暴露し爆笑を誘ったと思いますが、2008年は事態が急転回しました。
 中国は今正に高度成長の真っ只中に在りますので「人心」(※1)も大きく変わろうとして居ます。雲南桃源倶楽部の仲間の浦良鎖(プ・リャンスオ)賀長利(ヘ・チャンリ)李文革(リ・ブンカク:日本語読み)李亜琴(リ・アーチン)、そして塞翁が最も愛情を注いで来た看護婦の白美蘭(ハク・ビラン:日本語読み)さんも大きく変わろうとして居ます。2002年から6年の歳月は中国人にとって長いのです!
 今年08年の春に、私と「桃源倶楽部の「食み出しトリオ」+紅一点」が満を持して雲南省西双版納タイ族自治州の景洪市を訪れる「雲南回帰の旅」をしました。そして中国の友人達に再会し旧交を温めましたが、以下にお話する様に6年の歳月はやはり大きかったのです。何と言っても2002年に主役だったプ・リャンスオが行方不明で主役の座を降り、代わって主役を奪ったのはヘ・チャンリ(賀長利)です。彼は02年には訳有ってすっかり悄気(しょげ)て居ましたが。
 これからお話する事は「2008年の景洪市の旅」と密接に関係が有り「2008年の景洪市の旅」の一部を成して居ます。舞台は李亜琴が3月23日の昆明の亜琴邸、後は3月21日の景洪の「曼闘傣宴府」での食事会です。景洪市の地図と「2008年の景洪市の旅」は▼下▼から
  地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
  2008年・雲南の思茅/景洪/昆明(Simao, Jinghong, and Kunming of Yunnan, China, 2008)

ご覧下さい。

 ■ヘ・チャンリ(賀長利) - 西双版納でタンゴ、何でや?

 左下の写真が大曼么(ターマンメ)のマンション群です(北山塞翁の『西双版納』より、△1のp106)。
 今回の主役=ヘ・チャンリ(賀長利)は黒龍江省佳木斯(ジャムス)(※2)の出身で、彼が非常に寒い佳木斯から非常に暑い熱帯の景洪に遣って来たのも90度位の方向転換です。
 実は前にヘ・チャンリ自身から聞いたのですが、彼の父はジャーナリストで彼の父の文章が文化大革命を推進する政府(=毛沢東派)に睨まれ逮捕されたとかで、ヘ・チャンリは遥々佳木斯から雲南の地へ逃げて来たのです。
 塞翁が「市井の哲人」(△1のp68)と呼ぶ様に彼は常に物静かな酒豪です。そういう経歴の為か彼は肉体を使う労働に就き、今は景洪市の金象賓館でホテルマンとして働いて居ますが実体は”困ったらお任せ”の万屋(よろぞや)です。そして一人娘を育てて来たのですが、その娘さんが去年(=2007年)結婚したのです。そしたらヘ・チャンリ自身も新妻を迎えたのです!!
 ここ迄の話を写真を入れて説明しましょう。


    ◆娘さんの結婚




    ◆ドン・キホーテの”暫しの夢”







    ◆リ・ブンカク(李文革)君のこと

 ここで李文革君の事を少し書きましょう。彼は文化大革命の始まった1966年に生まれたのでこの名が付けられた吉林省延吉出身(※2-1)の朝鮮族です。ヘ・チャンリとは二人共「雲南省に住む北方人」で何かと気が合う様です。
 私は「プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ」の中で、李君の事を「ガイドとしてはイマイチですが」と書いたのは、2002年当時はガイドに成って日も浅く桃源倶楽部の航空券のリコンファーム(※10)でチョンボをした事を指して居るのですが、今では彼は国際的旅行ガイドに成長しました。彼は元々日本語が出来るので日本人の案内や、国際道路でカンボジアやベトナムにも出掛けるとこの日語って居ました。非常に一本気な男です。2002年にはキムチが無いと食事が進まないと言ってましたが、今はどうなのでしょうか(?)。

                (-_*)

 ■プ・リャンスオ(浦良鎖) - 今回は脇役


 我々はプ・リャンスオの家(右の写真)迄行きましたが彼は不在、と言うよりも行方不明でした。小池さんが買った手土産のサラカヤシ珍味感が有りましたが、結局我々が食しました。
 プ・リャンスオがちょっと気懸かりですが私は余り心配して居ません、プ・リャンスオの事ですから。[2002年雲南桃源旅行・番外編]では堂々と主役を張りましたが、不在じゃ主役は張れません。今回は”役落ち”です!

    ◆プ・リャンスオの思い出

 ここで2002年のプ・リャンスオ宅の内部の写真を載せましょう。
 右の写真はタイ族民家ホームステイが終了した2002年10月24日の午前中のプ・リャンスオ宅の内部です。彼の家は1階で、写真にはプ・リャンスオ、李文革君、そしてこの後別れる山村グループが写って居ます。

 左が庄洪路の入口で「民族工芸品市場」と書いて在ります(北山塞翁の『西双版納』より、△1のp10)。プ・リャンスオの店はここから入って直ぐの所に在ります。2002年の時はこの商店街の商店会長をして居ました。
 この商店街にはミャンマー人(旧:ビルマ人(緬甸人))が結構居て人慣れした笑顔を浮かべ翡翠や宝石を売って居ます。私も翡翠のネクタイピンを数個買いました。ミャンマー人というのは色が相当黒く彫りも深く、西双版納に多いタイ族とかベトナム人とは明らかに異なります。

 右は2002年の「パーリャンに小学校をつくる会」の建設途中の小学校の視察旅行で景洪に寄った時に、プ・リャンスオと版納賓館で働いていた女性・鄒浜仿です。この2人は1999年から景洪での友人です。
 2002年3月27日(水)の18:45に昆明を発ち -昆明→景洪の飛行機は当初16:50発でしたが予定が変更に成ったのでパーリャンの仲間は昆明で早めの夕食を取りました- 19:45頃景洪空港に着き、20:30頃ホテル(=観光酒店)に荷物を下ろしプ・リャンスオに向かえに来て貰いました。
 そして21:00頃から街に繰り出して屋台で豚の焼肉のフルコースを食い話が盛り上がりました。プ・リャンスオ曰く「コースの最初は尻尾の軟骨から食べ、それから内臓、そして腹、ロース、肩の肉を食べるんだ」と言いました。中国のタレは甘く無いので結構食えます。尻尾から食べるのは大きな豚1頭でも尻尾は1つで少ししか無いからだ、と中国人的発想です。通りには屋台が一杯並び景洪は蒸し暑いので屋台は凄く理屈に叶って居ます。

 一方この女性にも色々思い出が在ります。彼女は版納賓館に勤めていて1999年の桃源旅行から知って居ます。1999年~2002年は版納賓館が常宿で、賓館に居る北山塞翁を絶えず人が訪ねて呉れプ・リャンスオやヘ・チャンリなどもそうした仲間でした。
 しかし2004年には版納賓館は経営者が代わったらしく名前も変わりました。右が往年の版納賓館(正式名:西双版納賓館)で入口に「西雙版納賓館」と書いて在りました(北山塞翁の『西双版納』より、△1のp16)。このホテルはドミトリー(※11)も在り中は熱帯や亜熱帯の植物が生えホテルの小姐(シャオチエ(xiaojie))たちとも直ぐ親しく成れて良かったですね。
 彼女もそういう小姐の一人です。彼女は日本語が可なり流暢に喋れ何れ日本で働きたいという希望を持って居ましたが、その後彼女は日本に来て愛知県の農家に嫁ぎました。今どうしているでしょうか?...、幸せである事を祈ります。彼女は李亜琴(←当時は景洪賓館でバイトしてた)とも知り合いでした。
 もう一つ、この思い出を今喋ってももう時効でしょう。実は彼女は1999年に見た時は”腋毛”を生やしていて凄くそれがセクシーでしたね、ワッハッハッハ!!
 段々少なく成りましたが、中国では年頃の娘さんが”腋毛”とか”髭(くちひげ)”をうっすらと生やしているのを時々見掛けました。こういう事は日本でも在って、私が子供の頃は人前でオッパイを赤ん坊に飲ませて居る母親を何人も目にしました。

 右が庄洪路の民族工芸品市場通りで、これは2002年3月30日(土)パーリャンの旅の最後に寄った時のものです。夕方4時~5時位ですが急に物凄いスコールで写真でも雨が垂直に叩き付ける様に降っているのが解ります。私はこの時濡れない様に店で暫く待って居ましたが10分位したら何事も無かった様にパッと止みました。

 店先にぶら下がっているのは西双版納名物の瓢箪を利用した葦笛 -中国名:葫芦絲葫蘆/葫葦/葫芦は瓢箪のこと(※12)- で、私は2000年に葦笛(葫芦絲)を買い、今年は葫芦絲の楽譜(△2)を買いました。西双版納に来ると常に流れている葦笛の曲が在るのですが、その曲の名が『有一个美麗的地方』(作曲:楊韮)という曲です。この楽譜には色々な曲が載って居ます。

 この後、昆明に飛びました。私とプ・リャンスオは馬が合う所が在って要するに明るくてアバウトなのです。私は几帳面・真面目・四角四面、要するに模範的日本人が嫌いです。だから、そういう日本人と一緒に居る時は心が落ち着かず自分が異邦人であると意識せざるを得ません。私は外国旅行では日本人と会いたく無いですね、ブワッハッハッハ!!
 ところで2002年3月27日私がプ・リャンスオと会ったのは北山塞翁のメッセージを伝える為でした。北山塞翁、ちゃんと言伝(ことづて)を伝えましたよ、もうどんな内容か忘れましたが!!

                (*_@)

 ■ハク・ビラン(白美蘭) - 恋多き女性











 ■リ・アーチン(李亜琴) - 真言密教に熱を上げる








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お元気で。‏
差出人: xxxxxxxxxxxx
送信日時: 2008年4月15日 11:16:45
宛先: xxxxxxxxxxxx

深沢さんへ
 先日は家まで来てくれて、本当に有り難うございました。
 私3月27日に、主人の両親と浙江省へ行きました、一昨日昆明に帰って着ました。また、中国に来られたら、昆明まで遊びに来て下さい、それでは、松岡さんに宜しくお願いします。


                   2008年4月15日
                     李 亜琴より

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RE: お元気で。‏
差出人: 深沢 エルニーニョ (xxxxxxxxxxxx)
送信日時: 2008年4月17日 3:22:28
宛先: 李亜琴 (xxxxxxxxxxxx)


李亜琴 様へ
 エルニーニョ深沢(=コアラ)です。メール有り難う。日本語のメールが綺麗に届きました。そのまま日本語で返信します。
 3月26日に帰国後
   3月28日~31日:九州
   4月 5日    :岐阜
   4月 6日    :兵庫県出石
   4月 7日~10日:九州
   4月13日    :滋賀県
と飛び回って忙しい!
 昆明ではお世話に為りました。戴いた高山鉄観音はおいしいです。
 ところで私のメールアドレスはこの<xxxxxxxxxxxx>の他に、もう1つ<xxxxxxxxxxxx>在りますが非公開。いたずらメールが多いので公開していません。
 昆明で撮った写真を通常使っている<xxxxxxxxxxxx>からメールで送ります。受信に時間が掛かると思いますが、長いメールがそれだと思って下さい。
 ご主人様にも宜しく!
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 ここで「xxxxxxxxxxxx」は実際のメールアドレスが入って居ましたが個人情報なので伏せます。

 ■結び - 

 (1)ドタバタ劇の味わい







    {当ページは2017年7月16日に全ての章を最終更新}

 尚、[2008年雲南回帰の旅]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

-- 完 --

【脚注】
※1:人心(じんしん)とは、[1].public mind。人間の心。人々の心。民心。「―を掌握する」。
 [2].real intention。本然の性で無い心。私欲に覆われた心。浄、凱陣八島「戯言(けげん)も思ひより出、戯動(けどう)もはかりごとより起こる。これ皆―のなせる所」。
※1-1:「人心の同じからざるは其の面(おもて)の如し」とは、[左伝襄公三十一年]人々の心がめいめい違っているのは、その顔が同じで無いのと同様である。

※2:佳木斯(ジャムス/チャムス、Jiamusi)は、中国黒竜江省の東部、松花江下流の工業都市。4本の鉄道が交わり、省東部の経済・文化の中心。人口78万6千(1995)。
※2-1:延吉(えんきつ、Yanji)は、中国吉林省東部の都市。延辺朝鮮族自治州の政府所在地。少数民族向けの総合大学である延辺大学が在る。人口35万6千(1995)。








※10:リコンファーム(reconfirm)は、航空機の予約済み座席の再確認。

※11:ドミトリー(dormitory)は、
 [1].[a].(学校などの)寄宿舎、寮。
   [b].共同寝室(小室に分かれている事も在る)。
 [2].dormitory suburb [town]。郊外住宅地、ベッドタウン。
<出典:「研究社 新英和・和英中辞典」より>

※12:葫蘆/葫葦/葫芦(ころ)とは、[1].瓢箪(ひょうたん)。
 [2].夕顔(ゆうがお)の漢名。






    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『西双版納 -悠々ロングステイのすすめ-』(北山昌夫編著、三一書房)。

△2:『葫芦絲 巴鳥実用教程』(李春華編著、民族出版社)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):西双版納の地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
参照ページ(Reference-Page):パーリャンの在る孟連県の地図▼
地図-中国・孟連(Map of Menglian, -China-)


参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)

補完ページ(Complementary):2002年の景洪の中国の友人達▼
プ・リャンスオに蛇酒を捧ぐ(Snake liquor to Pu Liangsuo, China)


横顔(Profile):「雲南桃源倶楽部」について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)

2002年10月25日の西双版納空港のヘ・チャンリ(賀長利)の娘さん▼
2002年の景洪ナイト・フィーバー(Jinghong night fever, China, 2002)




2002年のタイ族民家ホームステイの思い出▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)

2002年当時の「パーリャンに小学校をつくる会」の活動▼
パーリャンに小学校をつくる会
(Construct team for Paliang's primary school)

庄洪路の民族工芸品市場通り▼
2002年・パーリャン小学校視察の旅
(Report of Paliang's primary school, China, 2002)



2000年に買った瓢箪を利用した葦笛(中国名:葫芦絲)▼
2000年・雲南の旅(河口/元陽/紅河etc)
(Hekou, Yuanyang, Honghe etc. of Yunnan, China, 2000)


中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')

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         |5:番外編(TANGO in Xishuangbanna, why ?)|

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