2008年・雲南の元陽/緑春etc
[2008年雲南回帰の旅#3]
(Yuanyang, Luchun etc. of Yunnan, China, 2008)

-- 2008.06.04 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2017.07.16 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
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 ■はじめに - 今回の旅程

 ★このページは[2008年雲南回帰の旅#2]の続きです。ここから元陽/緑春に入ります。

 今回の「雲南回帰の旅#3」の旅程を[雲南回帰の旅#1]から▼下▼にコピーして置きます。

    ◆旅程の一部

        2008年3月                    <宿泊>
                ...<前半略>...
   19(水) 金平 → 元陽の棚田 → 新街鎮 → 緑春    天興酒店
   20(木) 緑春 → 江城 → 思茅(普洱市)         金孔雀大酒店
                ...<後半略>...
    *.が2度目の訪問地


 今回行く所も田舎なので詳しく書きます、写真も多いです。しかし個々の写真は小さいという事をご了承下さい。
 尚、雲南各地の地図は▼下▼を適宜参照して下さい。
  地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)

 又、これらの地域は少数民族(Ethnic Minorities)と言われる人々が多く住んで居ますので、雲南省の少数民族については
  資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)

を参照して下さい。
 [雲南回帰の旅#1]でも書きましたが、当ページの記事は「全て見た儘有りの儘、何も足さない、何も引かない」をモットーに書いてます。それでは[雲南回帰の旅#3]をお楽しみ下さい。

 ■3月19日午後 - 元陽の棚田を見て緑春へ

 (1)元陽県の冷墩

 今日の午前中迄は金平県、箇旧市を走って来ましたが、ここからは元陽県です。元陽県の少数民族は哈尼族・彝族・傣族・苗族・瑶族・壮族などです。

 先ずこれから行く場所の地図を載せますので適宜参照して下さい。相変わらずバスの路線図からの借用ですが、これが判り易いのです。

 12:08頃に元陽県の冷墩(Lengdun)に着き又パスポート・チェックです。ここから元陽迄はミニバスが出て居るというので今迄乗って来た箇旧往きバスはここ迄です。
 はて冷墩は?、私が持って居る2000年の地図には「冷墩」は載って居ません(△1)が、バスの路線図には右図の様に載って居ます。
 冷墩は多分新しい街 -見る限りでは「市」が在るだけで「街」と言えるのかどうか(?)- で、箇旧→冷墩のコースも新しく出来て主要道路に成ったのです。つまり冷墩は東西の主要道路と南北の箇旧へ通じる主要道路との交差点なので交通・国境管理の要衝なのです。
 冷墩の名物はバナナです(左右の3枚、12:10頃)。ご覧の様にモッコリした小振りのバナナです。
 売っているのはハニ族の女性で目立ちますねェこの衣裳は。
 ところで、この民族衣装を着た女性ですが若い女性が少なかったですね、殆どが小母さんです。いやぁ、どうも済みません。何しろ私は「全て見た儘有りの儘、何も足さない、何も引かない」を忠実に守って居る訳でして...。
 左はだだっ広い道路です(12:15頃)。写真の右端に紅河を渡った橋が僅かに見えて居ます。
 そして右が左の写真の一部の拡大ですが、左から松岡・山村・小池の3人がバナナを食べて居ます。山村さんの情報通り冷墩のバナナは最高です。バナナは腹に溜まるので通常は1本、良く食べて2本ですが、ここのバナナは香りが有って旨いので10本位食って仕舞いました、それ程旨い!!

 午前中、左に蛇行した紅河の所で見たのと同じ攀枝花(はんしか)です、こちらは少し葉が有ります(右側はその一部の拡大、12:15頃)。

 (2)元陽へ


 ミニバスは12:27に冷墩を発ちました。左が出発直後のミニバスの内部乗客は我々だけです(12:28頃)。
 ミニバスはその後左折して紅河を渡り元陽県に入り5分位で元陽(南沙)の街に入りました。以後暫くは元陽(南沙)の風景です。

 左の写真は窓から体を乗り出して撮った元陽(南沙)の街です(12:39頃)。南国的な並木と観光地に良く在る電気バスが走って居ますが、県庁にしては街が閑散として居ます、車の量も少ないです。
 右が反対車線の観光地に良く在る電気バスで運ちゃんは小母ちゃんでした(12:41頃)。
 左は右側車窓から撮った牛肉店「老憨 牛肉店」と在ります(12:47頃)。中国で牛肉店は少ないので、もしかしたらイスラムかも知れませんね。
 この辺の街路樹は実が生って居ます(12:48頃)。何と言う木なのでしょうか(?)


 もう元陽(南沙)の街を抜けて30分位経ちます(13:35頃)。左は畑の木に綺麗な白い花が咲いて居ました。何と言う木なのでしょうか(?)

 (3)新街鎮

 もう新街鎮に入った様です。新街という街は前にも出て来ましたが時々見掛ける名前です。左下の写真で小母さんは白い粉の袋(←セメントか(?))を1つ担いで運ぼうとして居ます(13:47頃)。右端に赤い字で縦書きで「×銷售点」と書いて在りました。ところが左に見えるトラックは白い粉の袋を荷台に積んで大量に運んで居るではありませんか、小母はん大変やね。裏地が赤のコートは金平の馬の毛皮と同じです。
 中央下は「新苗幼兒園」即ち幼稚園です(13:49頃)が、ミニバスは右に折れて幼稚園脇の細い道に入って行きます。
 右下がミニバスの右車窓から撮った街の風景ですが新街鎮の街は斜面にビルがぎっしり建って居て、もっと田舎だと思って居た私はちょっと意外でしたね(13:51頃)。


 ミニバス13:52頃に新街鎮に着きました、冷墩から1時間半です。
 左がホテル前の広場から写したホテルで壁に縦書きで「雲梯順捷酒店 YUN TI SHUN JIE HOTEL」と書いて在ります(13:54頃)。「雲梯」「雲南の梯田」(←棚田(※1)のことを中国語で梯田と言います)を表します。
 左の写真で、ホテルの右端に鼓楼[の様な]建物(※2)が見えて居ますが、それを正面から撮ったが右下です(13:54頃)。
 そう言えば左上のホテルの屋根は鼓楼の屋根に似せた形をして居ます!

 以下、右上の写真の細部を見て行きます、中々面白いですよ。

 先ず正面の黄色い部分を拡大したのが左下の写真で、これは欄間(※3)で透かし彫りが入って居ます。日本でこれを注文したら造る職人が非常に少ないので”ちゃち”な造りでも滅茶高いでっせ!
 鼓楼の下部は売店が在りお客の姿が見えます。それと右端には通路が在り人が通って居て「清和月」と書いた広告灯が見えて居ます。いやぁ、面白い!



 我々はホテルに荷物を置いて再び出て来ます。このホテルを出るには上のホテルの写真でホテル前の広場をずっとこちら迄来て回り込む必要が有ります(←そこにも別の鼓楼が在る)が、その少し手前に外を覗ける所が有るのです。

 覗いて見たら、足元には屋台の屋根です(左の写真、14:18頃)。通りには黄色地に赤で「多美多餅屋」と書いた看板も在ります。
 もう外に出ました、右は唐揚げ屋です(14:18頃)。

 左が”鍋焼き米線屋”で松岡さんが何やら衛生状態を吟味して居ます(14:23頃)。
 OK?...、OK。という事で鍋焼き米線とビールがこの日の昼飯です(14:28頃)。中々行けます。実はこの店は上の「多美多餅屋」の隣でした!

 昼飯の後は腹ごなしの散歩です。左下は果物屋です(14:53頃)。一番手前の籠に入ってるのはイチゴ(苺)です、他にスターフルーツ(或いは五斂子(ごれんし))、リンゴ、ミカン、琵琶などです。バナナ屋も在りました。
 中央下はサトウキビ(砂糖黍)で私は1本買って齧(かじ)り乍ら歩きました、値段は忘れましたが1本5元位とちゃう、西双版納では1本1元でした(15:05頃)。
 ところで砂糖黍は象の好物です。象は不味そうな固そうな砂糖黍を1度に10本位バキバキ音を発してあっと言う間に平らげて仕舞います。私は1999年の雲南桃源旅行で象に乗って居ます、そんな事を思い出し乍ら食べました。
 そしてホテルの広場入口のオート三輪で後ろの荷台には人が5、6人乗って居ました(15:09頃)。
 そして、ここにも鼓楼が見えて居て -ホテルの脇の鼓楼とは別- 造りは同じです。この鼓楼の向こうがホテル前の広場の端です。ホテル前の広場は元々寺院が建っていた所で、寺院建築では鼓楼は講堂の左右に1対存在します(※2)ので、ホテルを建てる際に鼓楼のみを1対残した事、前にも述べた様にホテルの屋根を鼓楼に似せて造って在りますので、元々在った寺院の事を少し知りたいですね。
 我々はここで棚田見物に行くタクシーを見付け山村さんが値段交渉して150元で出発です。

    ◆元陽の棚田(梯田)と哈尼(ハニ)族

 元陽の棚田については▼下▼を是非ご覧下さい。
  雲南省元陽の棚田(梯田)(Rice terrace of Yuanyang, Yunnan, China)


元陽は、人口は約35万人。主にハニ族、イ族が多く住み、唐の時代から続く棚田は「世界一」と称され、県内の棚田の総面積は12万ha(日本の総面積は22万ha)田の間を流れる用水路は4653本にもなり、ある場所は五千段を越えるところもあるそうです。他の地域と違って、普段から民族衣装を着ている人が多く、中国で最も一番民族衣装の着用率が高いそうです。
他の地域と同様、少数民族は標高によって棲み分けがなされていて、海抜100メートルから2000メートルの間に、低い順にタイ族、チワン族、イ族、ハニ族、ミャオ族、ヤオ族と住んでいるそうです。間もなく世界遺産に登録されるようです。県の中心は新街鎮より1時間下った南沙、また標高1500前後あるので、雨季は多少寒いそうです。





攀枝花




中国語では「棚田」とはいわず「梯田」といいます。
世界の奇跡といわれておる元陽の棚田は中国国内海外のカメラマンたちの人気の観光地です。これらの棚田は、ハニ族が400年かけて作り上げた雲の梯子(はしご)で美称(びしよう)とも呼ばれています。傾斜10°~70°の斜面に、大小様々な形状の異なる棚田が谷間から海抜2000mまで登りつめ、段数は約5000段もあり、山の頂上から麓までびっしりと占める水の張った水田は規模といい、幻想的な景観でした。
現在、道路整備や展望所の増設等を行っており、今後ますます観光化されて、世界遺産登録と合わせて、カメラマンの人気になると思いました。
元陽周辺の棚田の3つのエリア
1. 壩達観光エリア:箐口、全福庄、麻栗寨など区域
2. 猛品(老虎嘴)観光エリア:、阿猛控、保山寨など区域
3. 多依樹観光エリア:多依樹、愛春、大瓦遮など区域
そのなかの最大級の「猛品棚田」は1133haあり、段数が5000段になります。



 ここでは中国式に棚田を梯田(※1)と呼びます。元陽の梯田は大まかに

  壩達梯田 :箐口、全福庄、麻栗寨、勝村などの区域
  多依樹梯田:多依樹、愛春、大瓦遮などの区域
  老虎嘴梯田:勐品、保山寨などの区域

の3箇所に分かれます。これら3箇所の地図のイメージを▼下▼に示します。但し、実際の道路はどの道も曲がりくねって居ますので、そのお積もりで。
 梯田とは全然関係有りませんが、私が印象深いと語った攀枝花(はんしか)という植物の名と同じ名称の地名が勐品の近くに在りますので、それも記しました。やはり攀枝花という植物は元陽と所縁が有るのです。


         元陽(南沙)
       ↑   ↑
  約27km│  ││
       ↓  新街鎮
       ↑  ││
   約6km│  ││箐口 壩達梯田(主要道路から約10km)
       │ 主││ ハニ族
       ↓ 要││ 民族村│  多依樹梯田(主要道路から約20km)
    ──────┤├────┴────────────
       ↑ 道││全 麻 勝    多 愛 大
       │ 路││福 栗 村    依 春 瓦
  約12km│  ││庄 寨      樹   遮
       │  ││
       ↓  ││
     老虎嘴梯田││勐品
          ││保山寨
     攀枝花  ││
          ││
           ↓
         緑春(大興鎮)
 

      ●箐口 - 壩達梯田の一部

 タクシーは15:15頃出発し約20分で一番近い箐口の壩達梯田の一部が見えて来ました。主要道路から見えるのは壩達梯田老虎嘴梯田どちらも一部のみで後は脇道に分け入らないと見えません。タクシーは主要道路を走って勐品に向かう途中ですので、車窓から見えるのは壩達梯田の一部なのです(左下の写真、15:35頃)。これらの写真はタクシーが少しスピードを落とした左車窓から撮ったものでタクシーは間も無くここを通過しました。

 そして女の人が梯田の中に立って居ました(右の写真、15:36頃)。この女性は民族衣装は着て居ませんが哈尼(ハニ)族でしょう。
 先ずは梯田として誰でも想像出来る風景です。

      ●勐品 - 老虎嘴梯田

 それから25分位で勐品に着きました、老虎嘴梯田です。新街からは45分位です。ちょっと脇道に入って貰い良い位置でタクシーを降りました。2、3撮影場所を変えましたが、吾木香(われもこう)の様な枝が生えている、この場所が気に入りました、近くにはススキも生えて居ます(16:08頃)。向こうの山の斜面にも梯田が見えます。水田全部に水を張った梯田ですが余りに凝縮して居ますので部分的に拡大した写真を次に載せます。

 左下が16:10頃、右下が16:12頃です。


 そして左が16:13頃です。何とも幻想的な眺めです。
 私はタクシーに戻り暫く行くと目の前を水牛の群れが緩やかな坂を登って居ます(16:21頃)。前の方に人が写って居ますが水牛の後ろにも人が居ます、写真の左下方から竹の鞭が見えてますが、これで尻を叩くのです。
 この辺りは牛耕が盛んな様です。

      ●多依樹 - 多依樹梯田

 約30分後に多依樹に着きました。多依樹梯田だけは脇道に入り込まねば撮れません
 タクシーを降りると右の写真の様な遊歩道が出来て居て、萱葺き屋根風の建物はトイレです(16:50頃)。多依樹梯田はこの様に「世界遺産」に登録しそうな雰囲気を感じました。その思いを更に強くしたのは帰りの空港で、広州白雲空港の搭乗通路に「元陽の梯田」のデカイ写真が在ったからです、勿論他の観光地の写真も在りましたが。
 左下が16:54頃、右下が16:55頃です。これらの写真の様に遥か下に梯田が在ります。
 

      ●全福庄、箐口 - 壩達梯田の別の表情

 我々は17:00頃にタクシーで帰りましたが、先程一部しか見れなかった壩達梯田を裏の方から回り込んで居ます。タクシーはスピードを少し落としますが止まらずに走り続けました。

17:17頃、全福庄


 タクシーが走って居るので近景が”飛んでいる”のが判ります。



17:20頃、箐口





17:20頃、17:24頃





    {この節は2017年7月16日に最終更新}

    ◆元陽の思い出 - 前回は素通り

 前回、元陽に来たのは2000年ですが前回は南回りで来て今回とは逆です。それと前回はチャーター便(ジープ)で道路は至る所で工事、しかも1日遅れで元陽(南沙)に宿泊する予定が洪水で止まれず、多分新街(新街鎮)に変更しました。


 寧ろ元江の方が思い出が有り元江に着いたのは夜10時過ぎ頃だったと思いますが、元江へ行くには峠を越すので暫く真っ暗の中を走った後で遠くの下界にポツンと僅かな明かりが見え、それが少しずつ大きく成って来るのを飽きずに見ていました。この時多分緑春で買った向日葵(ひまわり)の種を食べ乍ら行った事を思い出します。そして先程述べた雲南省の地図(2000年版)(△1)は翌朝元陽の超市(スーパー)で買ったのです。この地図帳を広げると時々元陽の事を思い出します。
 それから紅河県の紅河(迤薩鎮)も印象深いですね。紅河は山の天辺に在り可なり遠くから見え最後に一気に登って行きますが”田舎の街”という感じがしました。現地人が麻雀 -牌が日本より大分大きい- を遣って居たのですが中川さんが進み出て、「ちょっと遣らせて呉れ」と言って少し遣り、中川さんは「皆安い役で直ぐ上がって仕舞うので余り面白く無いね」と言ってました。兎に角、紅河沿いの街が印象深いのです。

                (-_*)

 ■3月19日夕方から深夜 - 新街鎮から緑春へ

 (1)新街鎮から緑春へ

 17:37頃ホテルに引き返すと、松岡さんが時刻表を調べ18:30発の緑春往きのバスが在ると言うので、皆でどうするか図った所「これ以上新街鎮に居ても仕様が無い」という事になり急遽ホテルをキャンセル -ホテル代(300元位)の半額はキャンセル料として取られました- し緑春へ向かう事に成りました。実はこれには深い訳が在るのです!
 大忙しです。バスの発着場所はミニバスが止まった所では無くもっと遠くへ下った所に在り、ホテルで教えて貰った通りに階段を下りて何とか辿り付けました。しかし、こういう緊急時でも写真を撮るという私のプロ根性を見て下さい。いやぁ、単に面白半分に撮ってるだけです!
 左がその階段の手摺が少しだけ見えて居て背景は元陽の山々です(17:53頃)。
 右は下りて来る途中に咲いてた桃[の様な花]です(17:55頃)。
 バスの発着所と言うよりも空き地と言った方が実情に即して居ます。
 左端が我々が乗る元陽→緑春のバスです(18:58頃)。このバスは元陽発で新街鎮は中継地で既にお客が乗って居ます。
 「雲南普客」と在り、「発車時間 下午6:30分」と在ります。「午後」の事を「下午」と言うんですね、すると「午前」は「上午」に成ります。
 それよりも2番目に「哈播」「黄草嶺」「老猛」と在りますが、緑春(大興鎮)は緑春県に入ると直ぐなので、これらは全て元陽県の経由地かと思いきや「老猛」金平県の「老勐」です。老勐は元陽県と金平県の県境に在るのです(→上の地図を参照)、いやぁ面白いですね!

 バスは予定通り6:30に出発しました。左下は沈もうとする夕日です(18:53頃)。
 右の2枚がバスの右車窓から撮った勐品の老虎嘴梯田です(18:59頃と19:12頃)。
 近景が”飛んで”居るので走っているバスから撮った事が判るでしょう。新街から勐品は45分位掛かりますので中央の写真は勐品より手前で、右が勐品です。棚田の写真は明るさを明るくして在ります、念の為。

 (2)緑春(大興鎮)

 22:20頃緑春(大興鎮)に着きました。緑春県の少数民族は哈尼族・彝族・瑶族・傣族などです。ここは2度目で、しかも前は宿泊しているのに思い出は無いですね。...(>v<)。
 それにしても冷えます、ここは海抜が高いのです。

 松岡さんは早速明日のバスの時刻をチェックです(22:23頃)。
 明日は江城を通って思茅に行きますが、果たしてどちらのバスか?、明朝が楽しみですね。
 ホテルは客運站近くの天興酒店に決めました。後は飯食って、風呂に入って、寝るだけです。今夜は暖房が必要です。では皆さん、お休みなさい!

 ■3月20日午前中 - 緑春から江城へ

 (1)緑春から江城へ

 朝6:00頃の外は真っ暗ですが、私はハニ族の娘さんをパチリ(6:09頃)。フラッシュを焚きたい所ですが我慢して撮ったらやはり相当手ブレが有ります。
 中央が今出て来たホテルの天興酒店です(6:11頃)。
 右は売店に朝食のお菓子を買いに行ってパチリ(6:27頃)。今度はハニ族の小母さんです。
 私は緑春は2度目ですが前回は昼間通過してるだけなので思い出は有りません。今回思い出が少し出来ました。

 バスは予定通り6:40に出発しました。出発時は未だ暗かったのでバスは撮ってません。

 そこで最初の休憩地 -ここは何処だ?- でバスの写真を撮りました(左の写真、8:55頃)。もう出発してから2時間15分経過して居ます。そしてフロントグラスには右の様に「思茅-江城-緑春」と在ります。昨夜の時刻表の6:40発の思茅往きに乗ったのでした。今日は非常に眠くここに着く迄は殆ど寝てました、済みません。
 それにしても寒い、多分ここは海抜が高いのです。左上の写真をご覧下さい、山村さん(←一番バスに近い女性)を始め皆厚手のジャンパーなどを着て居ます。多分バスは8:50頃ここに着いて9:00頃に出発だと思います。何故かと言うと、皆トイレ休憩を済ませバスに乗り込んでいるからです。
 さて、何処か判らなく成りましたが写真に撮って居たのです(右の写真、8:56頃)。「大水溝客運站 発車時間表」と在り、ここは大水溝、もうそんな所迄来てたのか!

 大黒山に着きました。大黒山とは日本の山みたいな名前です。

 オート三輪のタクシーが3台客待ちをしてました(9:56頃)。運転手は何れも若い兄ちゃんです。最近では中国でもオート三輪は中々見掛けないですが私たちが今回廻ってる地方では有りましたね、羅平(羅雄鎮)、元陽の新街鎮で見て居ます。それだけ田舎を旅してる訳で私は大いに満足です。即ち、これらの地方はそれだけ”田舎度”が高いのです。
 ここで運ちゃんの朝飯タイムを取りますので、この休憩は30分です(9:57頃)。左の写真のシャッターが閉まっている店の両側は米線とか飯屋です。
 で、シャッターが閉まっている店は家電の修理屋で、看板の拡大が右で「緑春支公司大黒山維護点」と在ります。
 左は欧米系の迷子が自分は漢字が読めないのでどっちに乗ったら良いのか判らないと言ってます(10:00頃)。「何処へ行きたいんだ」「rice terrace」「じゃ反対方向だ!」...と言うのはウソ。本当は会話の中身は全然知りません
 兎に角、この外人は我々のバスに乗りませんでした。
 右上はハニ族の姉ちゃんが砂糖黍を売る準備をして居ます(10:03頃)。

 (2)緑春県と江城県との県境 - 架橋工事で3時間弱の遅れ


 10:30頃やっと出発、後15分位で緑春県を抜けるかと思いきや架橋工事でストップ!!
 ここは緑春県と江城県との県境に来ましたが未だ緑春県です(10:41頃)。道路の左下に川が流れて居て、この川は季仙江です。遮断機が見えて居ますが、その遮断機の根元に「○に慢」と在り「前面施行 車輌慢行」せよ、という事です。ハニ族の女性も居ますね。

    ◆昆虫撮集で大いなる成果 - キミスジ

 私は昆虫採集では無く”昆虫撮集”(←これは私の私の造語です)をするのですが、要するに昆虫を採るのでは無くデジカメで撮影して蒐集する訳です。主にトンボと蝶が対象です。尚、昆虫については
  資料-昆虫豆知識(Insect Trivia)

を参照して下さい。
 言い遅れましたが、ここは可なり暖かく大分海抜が下がってます。大水溝の様に厚手のジャンパーなど着てたら暑いです。
 左は日本にも居るイチモンジセセリ(一文字挵)です(略実物大、10:47頃)。この蝶は本州南部/台湾/中国南部/ヒマラヤなどに分布します。
 右はハラボソトンボ(腹細蜻蛉)です(略実物大、10:53頃)。名前の通り腹が細くてスリムで私は大変気に入って居ます。中国南部/東南アジア/台湾/南西諸島/九州などに分布し、タイ族の民家に宿泊して時にも撮って居て西双版納では一年中棲息して居ます。
 左は日本に居ない種で、私は取り敢えずオレンジミスジと呼んで居ます(実物の約1.5倍、11:16頃)。

 分布は台湾/中国南部/東南アジア北部でしょう。帰国してから図鑑で調べましたが載って無かったですね。
 右の2枚は日本の近縁種のミスジチョウ(三筋蝶)(何れも略実物大、大阪府四條畷市で撮影)で、翅の紋様が似ている事は一目瞭然ですが、日本の種は色が農褐色に白なのに対しオレンジミスジは農褐色に橙色なのです。
 私は後日随分と調べた結果、やっと『熱帯アジアの昆虫』という大型本に巡り合え、見るとキミスジ(黄三筋)(△2のp58)と載ってました。でもねぇ、黄色では無くオランジ色なのです、せめてダイダイミスジ(橙三筋)にして欲しいですな。


 この間、バスは少し進みましたが又ストップです(左の写真、11:46頃)、もう1時間経ちました。私は又自分の趣味に没頭します。
 右は翅を畳んで居るので名前は不明ですがタテハチョウ(立羽蝶)の仲間です(略実物大、11:54頃)。崖の所に居ました。

 左は道路上のバッタです(略実物大、12:02頃)。

 こうして約1時間半の工事中待機は殆どの人にとっては全く無駄な時間ですが、私にとってキミスジは「大いなる成果」でした、ウォッホッホ!!

                \(^o^)/

    ◆県境の工事中の橋を渡る

 左の様な「通告」が貼り出して在りました(12:13頃)。「緑橡橋至下江橋将実行階段性封閉施行」と在りますので緑橡橋~江橋迄工事をしている様です。そして「通車時間」は、
  凌晨01:00分-早晨07:30分
  中午12:30分-中午13:00分
  下午18:30分-下午19:30分
だけです。今は12:13頃ですから12:30から江城県に行く橋を通過出来る訳です。

 それで季仙江に架かる橋を渡る箇所に来ました(右の写真、12:44頃)が、車は一定の車間距離を空けて1台ずつ渡ります物凄い砂煙が上がって居て渡っている車の姿が見えません(←原画を見ると橋の先端と中央に2台の車が確認出来ました)。この橋をこれから渡りますが、私は渡っている最中の写真を撮ろうと待ち構えて居ましたが砂煙が凄くそれ所では有りませんでした。
 バスは橋を渡り終え3分後には対岸の江城県に入りました、今度は季仙江が右側車窓に見えます(左下の写真、12:47頃)。帰国してから地図を見ると緑春県から江城県に行くには季仙江を渡らなければ為りません、他に迂回路は有りません。又、季仙江は赤く濁って居ますが紅河の支流では有りません。
 中央下は緑春県の石の構造物の拡大です。私はこういう建物には住みたく無いですね、皆さんはどうですか?
 そして橋をオートバイで渡っている女性が大分砂煙が収まった写真に写って居ました(右下の写真)。もう左下の写真では殆ど見えないです(矢印↓で示してますが)が原画では写っているのです。大体皆さんにお見せしている写真は原画の10%~16%位なのです。

    オートバイで渡っている女性(殆ど見えない)
        ↓
 オートバイの女性
    ↓


                (-_+)

 (3)江城県

 まぁ兎に角、江城県に入りました。江城県は正式には江城哈尼族彝族自治県と言います。少数民族は哈尼族・彝族・傣族・瑶族・拉祜族・回族・布朗族などですが、如何にも辺境の県ですね。

 ところが橋を渡ったと思ったら又バスはストップです(右の写真、12:52頃)。

 それから1時間経って居ますがバスは100~200m位進んだだけです(左下の写真、13:51頃)。右の写真と左下の写真を見比べて下さい、右側に在る建物はトイレです。
 左下の写真を良く見ると、上部にロープが在り野猿の原理で橋の上を荷物を運搬して居ます(中央下の拡大写真)。
 私は更にカメラの光学ズームが最大18倍(=486mm相当)という望遠を活かし運搬している人を撮りました、男性が2人です(右下の写真、13:51頃)。若い人とベトナム人の様な菅笠を被った年寄りです。カメラの威力ですね、顔まで判ります、原画はもっと大きいのです。実際ベトナム人を使っているかもね!

      荷物を運搬している人
         ↓

 それにしても架橋工事には滅茶感激です!!

    ◆2000年の雲南桃源旅行が思い出される

 この架橋工事を”実況中継”したら、2000年の雲南桃源旅行(塞翁が案内した旅)を思い出さない訳には行きません。初めての1999年の旅は比較的観光地が多く時間的にも余裕が有りましたが、2000年の旅は塞翁も”本当の雲南の旅”を目指しローカルな所が多く成りました。私が特に道路工事や車のトラブル(←2000年はマイクロバスやジープを旅行会社にチャーターし通訳(尹君)を同行しました)が多発した河口→金平→元陽→(紅河)→元江(←紅河宿泊の予定を元江に変更)の区間は特にローカルで忘れる事は出来ません。
 2000年頃の中国はそれこそ彼方此方で道路を掘り返し、雨が降れば泥んこ道に土砂崩れ、晴れたら濛々たる砂煙、大体この区間で真面に舗装された道路なんか殆ど無く精々が簡易舗装で、だからこそ今道路工事をしてるんだという訳です。車がトラブった場合も、乗り合いバスだったら[今回の河口へ行くバスの様に]ヘラヘラ笑って居られますが、チャーターした車だったら我々も手伝わなければ為りません。もう何処だか場所は忘れましたが、しかしこの区間で、坂の斜面でジープの車輪が泥んこ道に取られ皆で押したり引いたりしてやっと車を引き上げた事が有りました。又、車が良くオーバーヒートを起こしボンネットを開けて休ませました、その度に車の予定はどんどん遅れるのです。
 そんなこんなで予定通りに車が進まず毎日2時間~6時間位の遅れで、時には宿に着いたら日付が変わってたりしました。ですから2000年の旅は一部(否、大部)の人には大変評判が悪く、私とホテルが同室の人も[北山塞翁には直接は言いませんが]私に随分不満や文句を言って居ました。そして雲南桃源倶楽部から離れて行きました。
 やはり”常識的”な人は予定通りを望む訳で、私や松岡さんの様に予定通りに行かない旅を面白がって居た連中や仕方無いと思ってる人が2002年のタイ族民家に宿泊した面々です。もっとはっきり言えば、それ以降雲南の旅を続けた人は我々4人と中川さんだけです。ですからタイ族民家宿泊から我々の旅に合流した山村さんは兵(つわもの)ですね。小池さんは北山先生の教え子です。北山塞翁は残念乍らその後体力が衰え2002年が”多分最後の雲南桃源旅行”に成るでしょう。そういう諸々の意味で「2002年のタイ族民家宿泊の旅」はエポックを成した旅と言えるのです。
 私が2000年の雲南桃源旅行に物凄く愛着を持って居る事は、この文章を読まれた方には解って戴けるでしょう。今では道路事情が2000年の時より格段に良く成っている事を強く感じます。

                (-_*)

 それなのに、それだのに、未だこの様な工事が辺境の地では行われて居るとういう事に私は2000年にタイムスリップしたかの様な錯覚に見舞われました。
 14:00頃バスはやっと出発しました。間も無く季仙江 -江城県の県境に季仙という街(或いは村)が在ります- から離れ、その支流を右側車窓に見ながら進みますが、それも無くなり漸く嘉禾辺り(14:40頃通過)から道が良く成りました。私は眠く成り暫し居眠り。

 気が付くとバスは江城(勐烈鎮)に着いたみたいです(15:47頃)。左側のビルの看板で「江城」の字が読めますね。右側のビルには「旅社」の看板が出て居ます。
 工事が無かったら大黒山から2時間位でここに来ている筈ですので大黒山を10:30に出発しているので13:00には着いて居ます。架橋工事の影響で3時間弱の遅れです。

 この後は康平曼克老を通って思茅市 -実は思茅市は2007年1月(=我々がこの旅をした前年)普洱市に成りました!- に入ります。

 写真はもう江城県の最後の辺り -曼克老の辺り- を走って居ます(18:00頃)。棚田(梯田)が写って居ますが、棚田を下から見上げる角度なので判り難いかも知れませんね。
 しかし江城哈尼族彝族自治県の哈尼(ハニ)族は元陽の大規模な棚田を造っている民族ですゾ!

 本編はここ迄です。普洱市の思茅区より先は[雲南回帰の旅#4]で扱います。

 ■結び - 旅行記を書くに当たって

 ここで私が何を頼りに旅行記を書いて居るかと言うと、実は頼りにする物は無いのです。




元陽/緑春/江城

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♪♪♪ つづく ♪♪♪

【脚注】
※1:棚田(たなだ、rice terrace)は、急な傾斜地を耕して階段状に作った田。膳棚田(ぜんだなた)。特に各段の田が狭く多数密集してるものを千枚田と言う。
 補足すると、中国語では梯田と言います。

※2:鼓楼(ころう/くろう)は、寺院で時を報ずる太鼓を懸けた楼。鐘楼と相対して講堂の左右に建てた。今は多く楼門の上に懸ける。

※3:欄間(らんま)は、天井と鴨居(かもい)との間に、採光通風装飾の為に、竹の節格子(こうし)透かし彫・又は丸彫彫刻の板を取り付けてある部分。出入口上方の明り取りなどにも言う。




    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『雲南省地図冊(2000年版)』(雲南省測絵局編、中国地図出版社)。2000年に元陽県新街で購入。

△2:『熱帯アジアの昆虫』(浜野栄次著、講談社)。



●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):西双版納の地図▼
地図-中国・西双版納(Map of Xishuangbanna, -China-)
参照ページ(Reference-Page):中国雲南省の少数民族▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
参照ページ(Reference-Page):蝶の分類学と特徴▼
資料-昆虫豆知識(Insect Trivia)

補完ページ(Complementary):曲がった棚田が好きな私
([米食日本の棚田の美]シリーズ)▼
2010年・京都樒原の棚田(Rice terrace of Shikimigahara, Kyoto, 2010)
補完ページ(Complementary):西双版納のハラボソトンボや
「タイ族民家宿泊の旅」はエポックを成した旅▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
補完ページ(Complementary):元陽の棚田(梯田)▼
雲南省元陽の棚田(梯田)(Rice terrace of Yuanyang, Yunnan, China)

横顔(Profile):雲南桃源倶楽部や雲南桃源旅行について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
カメラの光学ズームが最大18倍という望遠の威力▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)


中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')

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         |3:元陽/緑春(Yuanyang, Luchun)|4:思茅/景洪/昆明(Jinghong, Kunming)
         5:番外編(TANGO in Xishuangbanna, why ?)

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