2002年・”脱雲南”桃源紀行
[2002年雲南桃源旅行・解脱編#1
(Escape from Yunnan, China, 2002)

−− 2002.11.20 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.07.07 改訂

 ■はじめに − ”脱雲南”の心

 この記事は当サイト開設準備中の時から書き始め、02年11月20日サイト開設と同時に掲載した最初のページと成りました。
 02年10月19日からの2週間、雲南桃源倶楽部の旅の前半(真髄編)は予(かね)てからの北山塞翁の希望で、雲南省西双版納でタイ族の民家や北山「桃源」ハウスに滞在型宿泊をするのがメインテーマでした(尚、「雲南桃源倶楽部」や塞翁についてはココから参照して下さい)。
 しかし小池・松岡・私の3人(=桃源倶楽部「食み出しトリオ」)にとっては、西双版納で塞翁と行動を共にし大義名分を果たした後どうするか、実はこれこそがメインテーマでした。10月27日に広州で塞翁の帰国を見送った後、10月28日に華南(Huanan)に脱出(※1)を決め先ず桂林に飛びました。ここからが我々の旅の始まりで、「解脱雲南即知雲南」がその「心(こころ)」です。そこで私は後半の旅”脱雲南”桃源紀行について報告をします。
 尚、当ページの記事は「全て見た儘有りの儘、何も足さない、何も引かない」をモットーに書いて居ます。又、「解脱編#1〜#2」は話が単独で完結して居り、「解脱編#3〜#4」は前の話を引き継いで居ます。

 ■「2002年雲南桃源旅行の後半(解脱編)」の旅程

 この[2002年雲南桃源旅行・解脱編]シリーズ(=雲南桃源倶楽部の旅の後半)の旅程を、真髄編の全旅程から下にコピーして置きます。

 (1)グループ構成

 グループ構成は以下の様に成ります。
  A.北山塞翁(桃源倶楽部会長)
  B.中川夫妻(桃源倶楽部)
  C.小池、松岡、私(桃源倶楽部「食み出しトリオ」)
  D.唐華英さん(上海人)
です。山村グループは10月21日、景洪へ行く飛行機の中で偶然知り合い、タイ族民家へ一緒に行く事に成りました。

 (2)旅の後半の旅程

        ...<前半略>...
                 <宿泊>
 10/26(土) 昆明滞在                B-->*:中川夫妻は別行動
       <昆明の「清真」通り>          C
       昆明 → 広州  華南農業大学招待所  A,C,
   27(日)                     Aは帰国、も帰郷
                天翔大酒店      C
   28(月) 広州 → 桂林  三江・風雨橋迎賓館  C-->「解脱編#2」の旅
   29(火) 三江→龍勝  → 桂林・興開賓館    C-->「解脱編#1」の旅
   30(水)  午前      漓江下り       C-->「解脱編#3」の旅
        午後      興坪・興坪旅館    C-->「解脱編#4」の旅
   31(木) 興坪→陽朔    陽朔・陽朔大地酒店  C-->「解脱編#1」の旅
 11/ 1(金) 桂林 → 広州  沙面・省外事辨招待所 C-->「解脱編#1」の旅
   2(土)          流花賓館       B,C<---*:中川夫妻が合流
   3(日) 広州 → 関空  帰国         B,C
    {03年8月14日に「解脱編」の完成に合わせ記事を最終更新しました。}

 ■三江、龍勝 − 10月28、29日

 (1)華南から三江へ
写真1:三江へ行く途中のバスのパンク修理。
 広西チワン族自治区・桂林から西北に車で半日程の所に三江というトン族の村が在り、トン族は楼閣を備えた風雨橋鼓楼の建築が有名です。28日私たちは桂林から三江に向かいましたが、途中三江県の斗江鎮でバスがパンクしました(右の写真)。その為に桂林から約3時間の予定が4時間に成りましたが何とか三江県の県庁・古宜鎮に辿り着きました。

 (2)風雨橋と鼓楼

 翌29日は小雨が降って大変寒かったのですが、やはり来て良かったと思いました。彼等の服装も地味な黒に近い紺色です。
 午前中は三江トン族自治県程陽郷馬安寨に行き、5層の楼閣を5つ備えた美しい外観の程陽風雨橋(左の写真)を見に行きました。水稲が黄色に実って居ます。
写真2:三江のトン族の集落と鼓楼を望む。 午後泥んこ道を戻る途中で見付けた八江郷八斗寨の7層の鼓楼と集落(右の写真)です。鼓楼は各集落に必ず1つ有り、集落の公民館的役割を果たして居ます。鼓楼の内部には大きな太鼓 −これを叩き集会や村の催しなどの情報伝達に使う− が有り「鼓楼」の名の由来です。
 私たちが”連行”されたガイドの家の主人も伝統を受け継いで大工です。彼等は地酒を出して歓待して呉れたのですが、この酒が日本の清酒の様な味と香りなのに驚きました。もっと飲みたい!!
 トン族はもう一つ大変歌が好きで、日本も古代には在った「歌垣」が今でも行われて居て、歌謡文化が非常に盛んな民族です。
 村人たちは竹でという楽器を作り鼓楼に集まって居ました。日本で通常演奏されるものよりずっと大きなものが在り、吹くとボーッという低音が響きます。私は荷物に成らない一番小さな笙を一つ買って来ました。これは普通の音がします。この村の真ん中には鉄道が通っていて、思わぬ所で列車が通過するのを見掛け嬉しく成りました。彼等は普段この線路の上を歩いて田畑に通って居ます。

 (3)龍勝の棚田
写真3:龍勝の棚田。
 28日、桂林へ戻る途中で更にヤオ族の大規模な龍勝の棚田(中国では梯田と書く、右の写真)を見に行きましたが、所謂展望スポットでは霧が濃くて殆ど見えませんでした。しかし龍勝や三江では至る所で棚田を目にしました。観光的には元陽やこの龍勝が有名ですが、中国南西部では小規模な棚田は極普通の有り触れた光景で、今迄何回と無く見て居ます。
 尚、三江のトン族の鼓楼や龍勝の棚田についてはより詳しいページが有ります。
 

 ■桂林・漓江流域の興坪、陽朔 − 10月30、31日

 (1)興坪

 30日は桂林川下り。桂林は観光地で皆さんご存知と思いますので省略します。この日は興坪という鄙びた漁村に宿泊。陽朔(桂林川下りの船着場)からバスで1時間半です。非常に鄙びた所で、私は思わず日本の西伊豆辺りの漁村(例えば妻良や土肥)を連想して仕舞いました。ここには小学校と中学校が在り、対岸の中洲から渡し舟で通って来る生徒も居ます。景勝の地ということも有ってキャンバスに風景を写して居る生徒の姿を良く見掛けました(左下の写真)。
 夜は皆で鶏鍋を注文し残り汁で雑炊を作って食べました(右下の写真)、タマラナイ。中国の人は雑炊が珍しいらしく私たちが雑炊を作る間ずっと見ていました。
写真4:漓江沿岸の漁村「興坪」。地元の中学生が奇岩風景を写生して居ます。写真5:興坪で鶏鍋を食べた後、日本風に雑炊。

 (2)陽朔

 31日は陽朔に泊まることにして早々と荷物をホテルに預け1日中ぶらつくことにしました。陽朔は桂林観光客の吹き溜まりで、欧米系の観光客が大変多くこの日も数10人のブラジル人の団体と出会(くわ)しました。
写真6:陽朔の西街(West Street)通りのカフェの前。 西街通りにはカフェやピザの店が何軒も在ります。左の写真は欧米系で賑わうカフェの前の小池さん(左側)と松岡さん。
 この後私たちもこの若干俗化したカフェに入りました。
 又、陽朔では常に桂林の奇岩が背景に在ります(右上の写真)。写真には白いモダンな旅館群、バイクタクシー、電気自動車、人民服を着て自転車に乗っている女性が写って居ます。陽朔ではモダンとレトロが共存して居ます。


写真7:夜の陽朔の裏通り。「浴足」のねえちゃんと値段交渉する小池さん。 陽朔は町全体に明るい雰囲気が漂い人々は陽気でアッケラカンとして居ます。私は掛け軸を買いましたが左の店では買いませんでした。{このリンクは2015年7月7日に追加}
 通りのインターネットカフェ(下の写真)で自分宛てにメールを打ったりして時間を潰しました。
 夜には「浴足」という一見理髪店の様な怪し気な店のねえちゃんが客を誘って居ます(右上の写真)。「浴足」の詳細はココをクリック!!

陽朔のインターネットカフェのねえちゃん−Huang Yunping。 左の写真が、そのインターネットカフェのねえちゃん小姐)です。帰国後、この写真を彼女にメール送信して遣ったら大変喜んで居ました、ムッフッフ!
    ▼▼▼
 そうしたら、02年12月14日の返信メールに陽朔で撮った自分の写真を送って来たので、「愉快な仲間たち」のコーナーに彼女のページを開設しました。
 →彼女のメッセージと写真を見る!
  {ねえちゃんの返信メールの記事は02年12月14日に追加}
 →「中国名花集」を参照。{このリンクは05年3月24日に追加}

 ところでウンコボーイはここ陽朔の産です。この写真を見たウンコボーイの母親はアッケラカンと大笑いして居ました。

 その陽朔。左は街の花園で夕方撮った熱帯/亜熱帯産のスジグロマダラシロチョウです。花はマリーゴールド(※2)です。詳しくは「中国名花集」を参照して下さい。{このリンクは05年3月24日に追加}
 右がご存知、我らのウンコボーイです!!
 

 ■広州 − 11月1〜3日

 (1)広州新源蛇鳥禽蓄綜合市場や清平市場

写真9:広州「動物市場」の外観。この様に大変広い。 「食在広州」と言われる様に、広東省の広州(※1−1)ではネズミヘビサソリ孔雀イモリサンショウウオゲンゴロウなどが居る、街外れの広州新源蛇鳥禽蓄綜合市場という大きな卸売り市場(通称:動物市場)を見物しました(右の写真)。
 勿論普通の豚や山羊の他に犬や猫や爬虫類や孔雀迄居て丸で動物園の様ですが、全て食用です。私もヘビを食べました、旨い!!
写真10:[広州動物市場で] 食用猫。しかし特別な猫では無く、極普通の猫です。写真10−a:[広州動物市場で] ハクビシン。 左が03年前半猛威を奮ったSARSの感染源と目されるハクビシン(右の写真、※3)も動物市場に居ましたよ!!
 もう一度言って置きますが、この市場に居る動物は全て食用です。
写真11:サソリ。写真12:[広州清平市場で] 体にヘビを巻き付けているヘビ売り。こんなのはヘッチャラです。
 街中の清平市場でも蠍(さそり)(左の写真)や(右の写真)を売って居ました。
    {この節は03年5月末に知った「SARS感染源は広州のハクビシンか?」というニュースを受けて03年6月14日に記事を改訂しました。}

 (2)沙面

写真13:広州沙面のユースホステル。 嘗ての植民地時代の租界地で、イギリス的な雰囲気が漂う沙面(シャーメン)が珠江に面して在りますが、ここにユースホステル(※4)が在ります(左の写真)。金色で「廣東省外事辨招待所」「GUANGZHOU YOUTH HOSTEL」と在ります。写真正面が入口で上階が各客室です。「招待所」と言うと中国では下級の宿泊所、或いは行商宿のイメージが在りますが、宿泊客は欧米系の外国人が殆どで日本人は非常に少ないですし、料金も「招待所」並みで大変リーズナブルです。
写真14;広州沙面のナイトクルーズ風景。 日本ではペアレントが夕飯後に蘊蓄を喋るというイメージが有りますが、ここはそんな面倒臭い事は一切有りません。兎に角、私たちは大変ここが気に入り、11月1日はここに泊まりました。直ぐ傍は沙面公園で散歩が楽しめます。
 1日の夜は松岡さんと珠江のナイトクルーズ船に乗りました(右の写真)。この船には軽い「食事」が付くと書いて在ったのですが、ミネラルウォーターとピーナッツだけでした、トホホッ!
 

 (3)広州の最後の日

 2日の午後は私一人で広州の街中を散歩しました。左が羊城(※1−1)と言われる広州のシンボルの五羊石像(越秀公園内)で、紀元前300年頃に羊に乗った5人の仙人が空から舞い降り黄金の穂を広州に齎し、仙人は天に戻ったが5頭の羊はこの地に残り五穀豊穣の象徴に成ったそうです。
 「食在広州」、何でも食って仕舞う広州人なので私はてっきり動物市場蛇・犬・猫・孔雀・ハクビシンの5つの魂の化身かと思いましたね、アッハッハッハ!!
 公園を過ぎて南の方に足を伸ばし当ても無く盤福路という曲がった緩い坂道を下って行ったら鉄板焼きの店にお客が可なり集まっていて、ガラス窓を通して店の中が覗けます。見ると結構旨そうで、今夜の晩飯はここにしようと思いました。それでホテルに帰り小池・松岡さんを連れて来たという訳です。
 左が盤福路の「福仙来酒店」の女店員です、私は可愛い子は直ぐ撮って仕舞うのです、「中国名花集」を参照。{このリンクは05年3月24日に追加}
 ここの「大盤」(右の写真:小池さんが撮影)は日本のすき焼の鍋の様な大きい鉄板を使った所謂鉄板焼き。写真の左側が牛肉の大盤で白く見えるのはニンニク、右側が豚肉の大盤。どちらも滅茶旨い!

 その後、2日の夜には昆明から来た中川さん夫妻と街中のホテルで合流しました(広州では中川さんの長男夫妻も一緒でした)。
 左の写真は2日夜にホテルマンに撮って貰ったもので、後列左から小池さん、中川さんの長男、中川さんの奥さん、長男の奥さん、前列左から中川さん、松岡さん、私です。

 そして3日の朝に一緒に帰国しました。右は広州の白雲空港を飛び立つ飛行機です。
 

 ■結び − 我知道「解脱雲南即知雲南」

 斯くして我々3人(=桃源倶楽部「食み出しトリオ」)は雲南からの解脱を敢行し、どうやら成功した様です。そして三江(解脱編#2)漓江下り(解脱編#3)興坪(解脱編#4)については別途詳細記事が在りますので是非お読み下さい。我々3人は雲南以外の中国にも俄然興味が湧いて居ます。
 私は何故か今の広州が好きに成りました。古いゴチャゴチャした所に近代の権化である高層ビルやマクドナルドなどが侵食して来ていて、その侵食の最前線、即ち近代と前近代の境目がはっきりと見て取れるからです。そしてヘビでも猫でも何でも食って仕舞う人間たちが、丸でネズミかゴキブリの様にその境目を突き抜けたり這いずり廻って居る光景は、とても怪しい魅力に溢れて居ます。
写真e:中国経済開放のシンボル「エロ本」。段々こうなりますぞ!
 左の写真は桂林空港で見付けましたが差し詰め開放のシンボルでしょう。嘗ての上海もそうだったのでしょうが、こういうアナーキーな怪しさは、既にすっかり管理され飼い馴らされて仕舞った日本には無い魅力でパワーを感じます。
 私は全ての旅行記を「全て見た儘有りの儘、何も足さない、何も引かない」をモットーに書いて居ます。上の写真も今の桂林空港の「有りの儘」の状態に過ぎません。

 そういう訳で私は又何時か広州を訪れてみたいと思って居ます。多分その機会は有るでしょう。そして次回は是非サソリを食ってみたいという、”暗黒”の欲望にかられて居ます。今回も又ハプニングに事欠かない面白い旅でありました。我知道「解脱雲南即知雲南」です。最後に旅の先々でお世話に為った方々に「謝謝、謝謝」!!

                m(_=_)m

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♪♪♪ おしまい ♪♪♪

【脚注】
※1:華南(かなん、Huanan)は、中国南部の称。今日の行政区分では、広東・海南両省と広西チワン族自治区を指す。福建/香港/マカオ/台湾を含める事も有る。
※1−1:広州(こうしゅう、Guangzhou)は、中国広東省の省都。珠江デルタ北部に位置し、古来中国南部最大の貿易港。華南地域の経済・交通の中心。人口385万4千(1995)。別称、穂城羊城

※2:マリーゴールド(marigold)は、キク科の一年草。メキシコ原産の観賞用植物数種の総称。高さ30〜50cm。葉は羽状複葉。夏に球状の頭花を開く。園芸品種が多く、花色は黄/橙赤など。孔雀草。紅黄草。万寿菊。

※3:ハクビシン(gem-faced civet, 白鼻心)は、(中国語では花面狸食肉目ジャコウネコ科の哺乳類。体長50cm程。毛色は全体に黒褐色で、顔、四肢、尾は黒い。名は鼻の白い線に由来。目の下、耳の下に白斑を持つ。インド/マレーシア/中国など東南アジアに広く分布。日本では、移入されたと思われるものが野生化。雑食性・夜行性で、ミカンなどを食害。生殖器の近くに麝香腺を持ち、特殊な香りの分泌液(霊猫香)を出す。

※4:ユースホステル(youth hostel, Jugendherberge[独])は、青少年に清潔で安い宿泊施設を提供する目的で設けられた宿泊所。1909年ドイツのR.シルマンが創始。日本でも51年以来行われる。略称:YH、JH[独]。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):カルスト地形や
桂林地方(桂林・三江・龍勝)の地図▼
地図−中国・桂林地方(Map of Guilin region, -China-)
参照ページ(Reference-Page):広州の地図▼
地図−中国・広東省の広州(Map of Guangzhou of Guangdong, -China-)
参照ページ(Reference-Page):中国の少数民族▼
資料−中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
参照ページ(Reference-Page):ウンコボーイは陽朔の産▼
ウンコボーイ(Unko-boy)
補完ページ(Complementary):02年の雲南桃源旅行(真髄編)▼
2002年・雲南タイ族民家宿泊記(Homestay at Dai's-house, China, 2002)
補完ページ(Complementary):SARS感染源=ハクビシン?▼
2003年・新型肺炎SARSとは?!(The SARS, new pneumonia, 2003)
補完ページ(Complementary):SARS感染源=ハクビシン説の追究▼
2003年・SARS−感染源はハクビシン?!
(The SARS, what is the source ?, 2003)

横顔(Profile):「雲南桃源倶楽部」について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
横顔(Profile):陽朔のインターネットカフェの小姐▼
陽朔インターネットカフェの小姐・黄運萍(Hello, Huang Yunping !)
私が陽朔で買った掛け軸▼
中国の掛け軸(Chinese Hanging scroll)
「浴足」について▼
中国のケッタイな人々(Chinese strange persons)
陽朔のスジグロマダラシロチョウ(蝶)とマリーゴールド(花)や
陽朔のインターネットカフェの小姐や広州の「福仙来酒店」の女店員▼
中国名花集−花の写真館(Chinese Flowers)
中国の「食」について▼
中国のヘビーなお食事−”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
中国の少数民族について▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')


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          3:桂林の漓江下り(Lijiang)4:桂林の興坪(Xingping)

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