2007年・加古川沿岸ローカル鉄道の旅
[「金物の街」の三木市を中心に]
(Local railway trip along Kako-river, Hyogo, 2007)

-- 2007.09.11 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2016.05.16 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★---暫くお待ち下さい(Wait a minute)---★

 ■はじめに - 

 初秋の07年9月10日(月)、私はJR加古川線周辺のローカル鉄道に乗る小旅行をしました。



湯の山街道

その昔、羽柴秀吉が三木城攻めをした折、三木から湯の山(有馬温泉)迄何回か作戦行動を起こしている。
それ以来、「湯の山街道」と呼ばれ、徳川時代も参勤交代や西国からの湯冶客が往来した街道である。



 私は07年9月11日から当ページを書き始め、纏める上での中心を何処に置くかと考えた結果、当ページは三木市を中心にすべしという結論に至りました。三木市には金物神社が在り、ここは「金物の街」(→後出)なのです。それで話題が「鍛冶の神」に行き着くので、それについては別のページの論考に纏める事にしました。そして論考が出来上がったのが08年8月6日でした(→後出)。しかし、その儘当ページの事を忘れて仕舞いました。まぁ、私には良く有る事なのです...(>o<)。

 その間、私の環境は大きく変わり(←この頃は大阪に住んで居た)、今は沖縄に住んで居ます。その経緯については▼下▼をご覧下さい。
  2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)

 2015年6月に出版の原稿 -今は出版をして居ます- が一段落したので、本ページの様に途中で中断しているものを探し出して、偶々これを再び書き進める事に決めました。しかし、又中断するかも知れませんね、...今度中断したら待っているのは「私の死」しか有・り・ま・せ・ん・ゾ!!
 という事で2015年6月14日から再び本原稿を書いて居ますので、宜しく!!




 ■JR加古川線 - 加古川駅~厄神駅

 JR山陽本線の新快速に乗ると丁度1時間で大阪駅から姫路駅迄行ってしまいますが、姫路の1つ手前の新快速停車駅が加古川駅です。この駅から加古川に沿って北に遡り谷川駅迄延びる支線がJR加古川線で、谷川駅でJR福知山線に接続します。

 普段この駅で降りることは全く無いですが、この日は時刻表も持たずに適当に出掛け大阪駅11:00発の新快速に飛び乗り11:45分頃加古川駅で下車し加古川線のホームに行きました。加古川線は昼は15分間隔に出ていて、私は11:54発の列車(2輌編成のワンマンカー)に乗りました。
 右がJR加古川線の先頭車輌から見た対向列車です。全線電化されて居ますが単線で一部行き違い用に複線に成って居ます。沿線は平坦な郊外の趣きで、民家の間に所々田圃や畑が見えます。
 終点厄神駅には12:07分に着きました。

 ■三木鉄道 - 厄神駅~三木駅

 私は厄神駅で三木鉄道に乗り換えます。しかし三木鉄道のホームに行って時刻表を見たら11:55に出た後で12:55迄待たねば為りません。1時間に1本です。帰りの時間も算段する必要も有り私は改札に戻り、たった1人でJRと三木鉄道の両方の”駅守”をして居る初老の人(←駅長でしょうか?)に両面に両線の出発時刻が印刷された時刻表を貰い、近くに見るべき物が在るか尋ねたら、何も無いという返事でしたが時間潰しに外に出てみましたが仰る通りでした。駅名に成っている厄神八幡は少し遠く12:55発には間に合いません。

 左が厄神駅の駅名板です。
 右が線路に止まったシオカラトンボの♂(ほぼ実物大)です。トンボと格闘すると時間を忘れることが出来まっせ!

 然う斯うする内に列車が入線し乗客が降りて来ました。

 左が三木鉄道の列車とホームです。列車は1輌編成のワンマンカーです。
 三木鉄道は来年の08年3月で廃線が決まっているので鉄道マニアらしき人が3人(それぞれ別)、一眼レフと三脚で頻りに列車やホームの写真を撮って居ました。三木鉄道1985年にJRから経営を引き継いだ第三セクター線(※1)ですが、神戸方面に行くお客は神戸電鉄粟生線を利用する為年々客が減って居ました、加古川方面には余り行かないですね、車も在るし。
 12:55発の列車には15人位が乗りました。鉄道マニアも乗りました。

 左下が出発前の車内で、天井から風鈴(※3)が2つ吊り下がって居ます。風情が有りますねぇ。私も風鈴が好きで家で鳴って居ます、更に何個か持って居ます。

 そこで風鈴の拡大が右の写真です。9月10日は未だ暑いので冷房の空気の吹き出し口にぶら下がって居る風鈴は涼を誘います。風鈴の一つの短冊には「風流」と書いて在り、もう一つの短冊は字が小さくて読めません。そしてマスコットが1つ。

 左上の写真で帽子を被っている人は運転士兼車掌 -この列車はワンマンカーです- で、左が運転席で運転をして居る所です。






 列車は厄神駅→国包→宗佐→下石野→石野→西這田→別所→高木→三木駅とノロノロ進みます。沿線には田圃が点在して長閑ですが、私の目を一番引いたのは線路の枕木を所々覆う雑草(左の写真)で、ぺんぺん草(※4)の生えた線路はローカル鉄道の風情満点です!!


 やがて列車は終点の三木駅にゆっくりと進入して行きました。右は三木駅構内の様子です。背後の小高い小山は三木山で、その上に見える高層建築群の一画に三木市役所(後出)が在り、その右側の森は大宮八幡宮の鎮守の杜(後出)と、その背後の山頂部に三木山森林公園が在ります。


 列車は13:08に三木駅に到着、厄神駅から僅か13分でした。左が三木駅の駅舎(福井2丁目)です。駅舎内には「義経進軍路」と書いたマップが貼り付けられ、どうやら源義経が平氏を一ノ谷(※5、※5-1)に攻め入る時に三木を通過したらしいです。
 鉄道マニアたちも出て来て駅舎を撮影して居ましたが、彼等は皆今の列車の折り返しで帰るみたいです。
 私は駅舎の外に在る「三木市案内図」で大体の地形を頭に入れました。
 私は市内散策の為に三木駅前の車道を東に歩き始めました。

 ■三木市内

 三木市は兵庫県南部の市。伝統的な金物の街及び酒造米の生産地として著名な旧城下町。現在も大工道具・作業用工具・家庭用金物が製造される。人口7万8千。

 ということで私の目当ては大宮八幡宮三木城址金物神社なのです。

 (1)湯の山街道


 三木駅の北側を東西に走る道路は県道でしょうか?、沿道には左の様な卯建(※6)を備えた古風な民家も在りました。ここは福井1丁目辺りですが旧街道にはこういう民家が良く在りますが、これは羽柴秀吉が三木城攻めの際に三木から湯の山(=有馬温泉)迄作戦行動を起こして出来た「湯の山街道」の名残で、江戸時代も湯治客の往来で賑わったそうです。

 (2)大宮八幡宮

 車道を避け斜め右の歩道に入るとやがて「参道」と刻まれた石碑が現れ、その奥には白い石造りの鳥居(=一の鳥居)が建って居ます。ここからは大宮八幡宮(本町2丁目19番)の神域です。一の鳥居を潜って長い石段で三木山に連なる小山を登って行くと石段の上に平坦地が開け二の鳥居と社殿群(右の写真)が現れました。
 「御本殿」と題した境内の立て札に拠ると、大宮八幡宮は応神天皇(八幡の神)を主祭神とするのは勿論ですが、他に中筒之男命(住吉の神)、熊野久須毘命(熊野の神)、素戔嗚尊(祇園の神)、国水分神(蔵王の神)、天照皇大神(伊勢の神)、天児屋根命(春日の神)、賀茂別雷神(賀茂の神)、建御名方命(諏訪の神)が配され、本殿は天和2(1682)年の建立と記されて居ます。ここで国水分神(くにのみまくりのかみ)(※7)は古事記の国之水分神を指し流水の分配を司る神です(△2のp23)。
 大宮八幡宮の公式サイトに拠ると、この小山は古代からの祭祀場で、現在の平坦地の背後の山上には磐境(※9)が築かれ孝徳天皇の代には祠が祀られ、『播磨国風土記』(※11)の美嚢郡(みなぎのこおり)の条に「高野里の祝田社(はふりたのやしろ)に坐す神は、玉帯志比古大稲男玉帯志比売豊稲女なり」と記された場所の様です(△6のp123)。後に天永2(1111)年に山上から平坦地に遷座し祝田宮(はふりたのみや)と呼ばれ、稲作豊穣を司る宮が八幡宮(=源氏が武神として信奉する宮)に摩り替わったのは別所頼清が東播守護として三木に入城後の戦国の黒雲立ち込め始めた時の様です。天正8(1580)年の別所氏滅亡時に社殿は悉く焼け、3年後に秀吉の命に拠って再建されました。
 祭事としては、毎年1月第3日曜日に秀吉が北隣の月輪寺(真言宗高野山派)に奉納したされる赤鬼・黒鬼の面を被って舞い無病息災を祈る鬼追式がユニークで、江戸時代初期から続いて居ます。
 鎮守の杜では、ミンミンゼミとツクツクホウシが鳴き -これって関東的です!- 、オニヤンマが私の目の前を横切って行きました。

 (3)別所長治の首塚(雲龍寺)

 私は八幡宮を後にし月輪寺の北を通る車道を少し登って行くと車道の反対側に「三木城主 別所長治公 照子夫人 首塚」(※14)と記された立て札と立派な門を見付けましたが、ここは高源山雲龍寺(上の丸町9)の一画です。
 左が門の奥に建つ2体の供養塔の様な形の塚です。秀吉に攻められ万事休した三木城主・別所長治は遂に天正8(1580)年1月17日に開城し夫人と共に自刃しました。首級は秀吉から安土の信長に送られたのを雲龍寺7世が信長に願い出て首級を持ち帰りここに埋葬し塚を建てました。

 (4)市役所エリア

 首塚前の車道を更に登り切った高台に市役所や公共施設が在ります。駅から見えた高層建築群はこれですね。ここはバス停の市役所前です。左はバス停の北西に在る市役所と「みっきいホール」(上の丸町10番、ホールは市役所の3階)です。
 道路はここで三木山森林公園と市街地を結ぶ道路と合流し三叉路に成っていて私は三木城址に行く為に北へ、即ち市街地の方へ下って行きました。が、城址に行くには首塚迄戻って北へ向かうべきだったと後で判りました。

 道形(みちなり)に北へ下って行く途中で鋸歯のマンホール蓋(右の写真)を見付けました。良く見ると外側は鋸の歯、内側が不明(?)だったので後でネット検索したら金槌と鋸を並べたもの、真ん中は三木市の市章です。成る程、三木市は「金物の街」でしたね。この様に日本のマンホール蓋のデザインには街の個性や特徴 -意匠的情報- が鋳込まれて居るのが普通で、何の予備知識が無くてもマンホールからその土地柄を窺い知れる場合が多々有ります。
 さて、北に向かえば城址に行き当たると思って進んで居たら鉄道のガードや踏切に出会して仕舞いました。これは神戸電鉄の線路です。城址は神鉄の線路より南に在る筈、さては道に迷ったと知り線路を頼りに東へ進んだら神鉄の恵比寿駅(大塚1丁目)に着きました。
 恵比寿駅は三木一の丸駅より1つ東の駅です。時刻表を見て私は神鉄に乗り三木一の丸駅で下車することにしました。

 (5)播磨三木城

14:45  47
16:17  37

 左が神鉄の三木一の丸駅の駅舎(上の丸町)で、恵比寿駅も三木一の丸駅もローカル鉄道の風情です。
 城址は一の丸駅の直ぐ南側に在る筈ですが、駅の出口は北側に1つだけ、つまり回り込まねば為りません。駅北側の車道を少し西に行くとガード(右の写真)が在り南に道が続いて居ます。この道を南に行けば良いことは一目瞭然ですがガードに掛けられた看板には右の写真の様に「ナメラ商店街」と書いて在ります。片仮名で「ナメラ」とはケッタイ且・珍妙・トンデモナイ名前ですが、今は抑えて先ずは城址に行く道を探しました。

 このガードを潜って石畳の道を少し進むと直ぐ左側に細い急な石段が在り、登り口の柱に「三木城址」と書かれて居ます。石段を登り切った上に本丸跡(上の丸町775番地)が在り、西の美嚢川(みなぎがわ、加古川の支流)に向かって城壁らしき物(右の写真)が復元されて居ます。本丸跡には説明板復元図合戦図別所長治石像などが立ち、現在は「史蹟上の丸公園」として整備されて居ます。

 別所氏最後の長治は秀吉に攻められここで自刃したことは前述しましたが、左が別所長治辞世の碑

  今はただうらみも
   あらじ諸人のいのちに
    かはる我が身とおもえば


と刻まれて居ます。他に「別所家一族の辞世」碑も建てられて居て、「兵(つわもの)どもが夢の跡」の思いを一段と深くさせられます。

 本丸跡には「かんかん井戸」(左下の写真) -石を投げ込むと「カンカン」と音がしたから- という直径3.6m、深さ25mの大きな井戸が今も残って居ます。
 右はかんかん井戸の中を覗いた様子で、可なり深そうです。一瞬石を投げ込んでみたい衝動に駆られましたが止めました。
 後にこの井戸から別所氏愛用の(あぶみ)(※16)が出土し雲龍寺に今も保管されて居ます。
 

 (6)金物神社

 金物神社は本丸跡(上の丸町775番地)に在りました(城址には他に稲荷神社も在ります)。この神社は「金物の街」に因み、兵庫県西脇市大木町 -旧・多可郡日野村大木、平成の大合併(住所は肥大化)以前には付近に多可郡中町鍛冶屋という地名も在った- の天目一神社(あめのまひとつじんじゃ)から祭神を勧請して昭和10(1935)年に創建されました。そういう訳で祭神は天目一箇神(又は天目一命)(※18、鍛冶の神)、金山毘古命(※18-1、鉱山の神)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)(※18-2、鋳物の神)の三柱です。天目一箇神は名前から解る通り一つ目(=独眼)です。そして伊斯許理度売命(又は石凝姥命)は元々は、天照大神が天の岩戸に隠れた時にを作った神で鏡作部(かがみつくりべ)の遠祖であり、その様な神が全部で5つ在り五部神(いつとものおのかみ)(※18-3)と言います。ここでは鋳物の神に転用されて居ます。
 隣の上ノ丸稲荷神社と共に鞴祭(※18-4、※18-5)の12月8日 -本来は旧暦11月8日ですが、ここは月遅れです- には「金物の街」三木市(←マンホール蓋を見よ!)が大いに力を入れて居り、当日は夜明けから大勢の参拝客が訪れるそうです。

 ところでギリシャ神話では「火と鍛冶の神」ヘパイストス(※19)で、彼は生まれつき体が捩じれて醜かったので母親ヘラから嫌われ遂にオリュンポスの山(※19-1)から投げ捨てられた為に跛(びっこ)に成りました(△7のp223)。そしてヘパイストスの弟子がキュクロプス(※19-2)という生まれ乍らの独眼の巨人 -キュクロプスは複数居る(△7のp93)- で、今では神の鍛冶師と考えられて居ます。
 日本の天目一箇神は上で述べた様に独眼で、ギリシャのキュクロプスも独眼です。しかも両者共に「鍛冶の神」です。ギリシャ神話と日本神話の類似は実に不思議な事です。妖怪漫画家水木しげる氏は『山海経』の解説で「雷神は世界共通、鍛冶神に関係があり、鍛冶神の特徴は片目または片足である。鍛冶神の零落したものといわれる一本ダタラはやはり片足であり、山爺も片足だ。」と言って居ます(△9のp203)。



 これについては当ページの守備範囲を超えますので、「鍛冶の神」について興味有る方は▼下のページ▼を是非ご覧下さい。
  鍛冶の神-ギリシャと日本の神話の類似(God of blacksmith, resemblance of myth of Greece and Japan)
    {このリンクは08年8月6日に追加}

 (7)金物資料館と「村のかじや」記念碑

 三木市金物資料館の前庭には唱歌「村のかじや」記念碑が在りますが、この歌が学校の教科書から姿を消したことを惜しみ金物特産地として古くから鍛冶屋が栄えた当地にこの歌を永遠に残そうと昭和53(1978)年に建立されたものです。碑には

  1.しばしも休まず つち打つひびき
    とびちる火玉よ 走る湯玉
    ふいごの風さえ 息をもつがず
    仕事にせいだす 村のかじや


という「1番の歌詞」と楽譜が刻まれて居ます。
 元々この歌は大正12(1923)年に『尋常小学唱歌』の歌の一つとして作られました -作詞・作曲者不明- が、当初の文語体の歌詞はその後昭和17(1942)年に『初等科音楽』収録の際に国民学校では口語体を教える必要性から

  暫時(しばし)もやまずに   → しばしも休まず
  飛び散る火の花      → とびちる火玉よ
  あるじは名高き      → あるじは名高い
  いっこく老爺(おやじ)    → いっこく者よ(※35)


などと口語体に変更され(△19のp192)、更に戦後に

  いっこく者よ       → はたらきものよ

などと平易な日常語体に変更されました。以下に元の文語体の4番迄在る歌詞の中から「1、2番の歌詞」を【参考文献】△19から転載して置きます。石碑の歌詞と比べてみて下さい。

  1.暫し(しばし)もやまずに 槌うつ響(ひびき)
    飛び散る火の花    はしる湯玉
    (ふいご)の風さえ   息をもつがず
    仕事に精出す     村の鍛冶屋

  2.あるじは名高き    いっこく老爺(おやじ)
    早起早寝の      病知らず
    鉄より堅しと     ほこれる腕に
    勝りて堅きは     彼がこころ



 左は三木上の丸駅を出て美嚢川の鉄橋を渡り始めた神戸電鉄の車輌(4輌編成)です。











←「ナメラ商店街」の看板






湯の山街道(滑原町~平山町~芝町~大塚町)
現在は三木城趾の北側を迂回する様に、西から本町(旧滑原町)→府内町(旧平山町)→芝町→大塚へ至る道すじが『湯の山街道』と呼ばれ、歴史街道にも認定されて居ます。




 ■谷川駅




 次の丹波篠山方面行きのJR福知山線は:00で時間がたっぷり有るので私は駅の外に出てみました。


丹波市山南町長野










 恐竜


φ-- おしまい --ψ

【脚注】
※1:第三セクター(だいさん―、the third sector, quasi-public corporation)とは、国や地方公共団体と民間企業との共同出資で設立される官民共同事業体。主として国や地方公共団体が行うべき事業(公共セクター:「第一」)に、民間部門(民間セクター:「第二」)の資金や経営力などを導入して官民共同で行う所から「第三」を冠して呼ぶ。



※3:風鈴(ふうりん、wind-bell)は、小さい鐘の様な形をして、中にの下がっている金属製陶器製ガラス製などの。吊して置くと風に吹かれて快い音を発し、涼しく感じられる。風鐸(ふうたく)。季語は夏。〈書言字考〉。「軒下に―を下げる」。

※4:ぺんぺん草(ぺんぺんぐさ)とは、(莢(さや)の形が三味線の撥(ばち)に似ているから言う)[1].shepherd's purse。ナズナ(薺)の別称。季語は春。
 [2].(転じて)荒れ果てた様子「―が生える」
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>




※5:一谷(いちのたに)は、神戸市須磨区の、鉄枴(てっかい)・鉢伏(はちぶせ)の両山が海岸に迫る地域。北に鵯越(ひよどりごえ)が在る。1184年(寿永3)源義経が平家の軍を攻めた古戦場
※5-1:鵯越(ひよどりごえ)は、神戸市の市街地西部から六甲山地を越えて北西方に走る山路。1184年(寿永3)、源義経が一谷(いちのたに)の平家の軍を襲撃しようとし、鷲尾三郎を先導として越えた難所。

※6:梲(うだち/うだつ)とは、(ウダチの転)。
 [1].梁(はり)の上に立て棟木を支える短い柱。うだつ。<和名抄10>。
 [2].妻壁を屋根より1段高く上げて小屋根を付けた部分。
 [3].(「卯建」とも書く)江戸時代の民家で、建物の両側に「卯」字形に張り出した小屋根付きの袖壁。長屋建ての戸毎の境に設けた物も在り、装飾と防火を兼ねる。
 [4].民家の妻側に在る棟持柱(むなもちばしら)。



※7:水分神(みくまりのかみ)とは、流水の分配を司る神。古事記上に速秋津日子速秋津比売2神の子、天之水分神国之水分神の2神が見え、吉野水分神社宇太水分神社など各地の水源地に分祀される。「みこもり」と転じて、俗に子守神として信仰される。枕草子287「みこもりの神、またをかし」。


※9:磐境(いわさか)とは、(イハは堅固の意)神の鎮座する施設・区域。神代紀下「天つ―を起し樹てて」。






※11:播磨国風土記(はりまのくにふどき)は、古風土記の一。1巻。713年(和銅6)の詔に基づいて播磨から撰進された地誌。文体は常陸風土記などよりも素朴。








※14:別所長治(べっしょながはる)は、戦国時代の武将(1558~1580)。播磨三木城に拠って、毛利討伐に向う秀吉に抗戦。2年の籠城防戦後、自殺して城兵の命乞いをした。






※16:鐙(あぶみ)とは、(足踏(あぶみ)の意)鞍の両脇に下げ騎者の足を踏み掛ける馬具。鉄製/木心鉄板張りなど。







※18:天目一命(あまのまひとつのみこと)/天目一箇神(あまのまひとつのかみ)は、天照大神が天岩屋戸に隠れた時、刀・斧など、祭器を作ったという神。後世、金工・鍛冶の祖神とする。天津麻羅(あまつまら)。
※18-1:金山彦/金山毘古(かなやまひこ)は、鉱山の神金山姫を配する。
※18-2:石凝姥命/伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)は、記紀神話で天糠戸神(あまのあらとのかみ)の子。天照大神が天の岩戸に隠れた時、を作った神。鏡作部(かがみつくりべ)の遠祖とする。五部神(いつとものおのかみ)の一。
※18-3:五部神/五伴緒神(いつとものおのかみ)とは、日本神話で天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に従ってこの国に降った五神天児屋根命(あまのこやねのみこと)・太玉命(ふとたまのみこと)・天鈿女命(あまのうずめのみこと)・石凝姥命(いしこりどめのみこと)・玉祖命(たまのおやのみこと)の総称。
 補足すると、五部神はそれぞれ下記の
  天児屋根命:中臣藤原氏の祖
  太玉命  :忌部氏(斎部氏)の祖
  天鈿女命 :猿女君(さるめのきみ)の祖
  石凝姥命 :鏡作部(かがみつくりべ)の祖
  玉祖命  :玉造部(たまつくりべ)の祖
5つの氏族や品部の祖神とされる。
※18-4:鞴/韛/吹子(ふいご)は、(フキガワ(吹皮)から転じた「ふいごう」の約)金属の熱処理や精錬に用いる送風器。日本では、把手(とって)を手で押し、又は引いて、長方形の箱の内に気密に取り付けた板状ピストンを往復させて風を押し出すもの(箱鞴の一種。吹差し鞴とも)、風琴に似た構造を持ち、足で踏むもの(足踏み鞴)などが在る。大型の足踏み鞴踏鞴(たたら)と呼ばれる。吹皮(ふきがわ)。浄、用明天王職人鑑「―吹く鍛冶屋のてこの衆」。
※18-5:鞴祭(ふいごまつり)は、旧暦11月8日に、鍛冶屋/鋳物師など常に鞴(ふいご)を使う者が行う祭。祭神は、金屋子神(かなやごがみ)或いは稲荷神踏鞴祭(たたらまつり)。

※19:ヘパイストス/ヘファイストス(Hephaistos[ギ])とは、ギリシャ神話火と鍛冶の神アフロディテの夫。彼は母親ヘラが夫(=ゼウス)と交わらずに生んだ子で、体が捩じれ醜かったので、ヘラに嫌われ投げ捨てられ跛(びっこ)に成った。ローマ神話ではウルカヌス(火と鍛冶の神)。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※19-1:オリュンポス/オリンポス(Olympos)は、ギリシア北部、テッサリアとマケドニアとの境界に在る峻峰。オリュンポスの十二神を初めとするギリシア神話の諸神が住んだと言う。高さ2917m
※19-2:キュクロペス(Kyklopes[ギ]<複数形>)/キュクロプス(Kyklops[ギ]<単数形>, Cyclops)は、ギリシャ神話で、額に丸い1眼を持った野蛮な巨人[たち]鍛冶の神ヘパイストスの手下として、ゼウスの雷電を作った。後には神の鍛冶師と考えられた。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>








※35:一刻者(いっこくもの)とは、片意地な人。一徹者。一国者。春色辰巳園「今まで他(ひと)には上手もつかはず、―でとほしたのが」。










    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】



△2:『古事記』(倉野憲司校注、岩波文庫)。




△6:『新編 日本古典文学全集5-風土記』(植垣節也校注・訳、小学館)。


△7:『ギリシア神話小事典』(バーナード・エヴスリン著、小林稔訳、教養文庫)。


△9:『山海経 中国古代の神話世界』(高馬三良訳注、平凡社)。





△19:『日本唱歌集』(堀内敬三・井上武士編、岩波文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):独自性や先見性は
当サイトの重要なコンセプト▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)


参照ページ(Reference-Page):兵庫県広域の地図▼
地図-日本・兵庫県の城(Map of castles, Hyogo -Japan-)


補完ページ(Complementary):鍛冶の神についての
ギリシャ神話と日本神話の類似を考察▼
鍛冶の神-ギリシャと日本の神話の類似
(God of blacksmith, resemblance of myth of Greece and Japan)



「当ページを書き掛けである事を忘れて仕舞う」のは良く有る事▼
大阪天満宮の天神祭船渡御
(The Tenjin boating-festival of Tenmangu, Osaka)





沖縄永住迄の経緯▼
2013年・大阪から那覇へ(From Osaka to Naha, Okinawa, 2013)





風鈴について▼
阪堺電車沿線の風景-大阪編(Along the Hankai-Line, Osaka)


ぺんぺん草の生えたトンネル
(大井川鐵道(=大井川鉄道)の日本一短いトンネル)▼
2006年・大井川SL道中記(Go by SL, Oi-river Railway, 2006)


日本のマンホール蓋の意匠的情報▼
ちょっと気になるマンホール蓋(Slightly anxious MANHOLE COVER)

「ナメラ商店街」の「ナメラ」とは?▼
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)




城跡は「兵どもが夢の跡」▼
大和多聞城と大和郡山城(Tamon and Yamato-Koriyama castle, Nara)

平成の大合併(住所は肥大化)とは▼
2006年・井川線あぷとラインの旅
(Ikawa Abt-line, Oi-river Railway, 2006)





生国魂神社境内社の鞴神社の鞴祭▼
生国魂神社と上方芸能(Ikutama shrine and entertainments, Osaka)







06年8月に丹波市から発掘された丹波竜▼
2007年・年頭所感-猪食いに吉有り
(Eating boar brings good luck, 2007 beginning)










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