梅田に「物外館」という店が在った!
[我が心の物外館]
('Butsugaikan' on my mind)


エルニーニョの一言。   *** エルニーニョからの一言 ***

 04年の春迄梅田曽根崎に「物外館」という店が在ったのをご存知でしょうか?
 1958(昭和33)年から創業し46年間営業を続けて来た沖縄料理「物外館」は、この地区の再開発の為2004年5月28日を以て閉店しました。最終営業日は閉店を惜しむ多くのお客さんが詰め掛けました。ママは暫く休養、今後は未定です。まあ、これも「ここらで休養せい」という神様のお計らいでしょう。
 私は「物外館友の会」の会員の方たちと3階での「最後の晩餐」に参加しました。この部屋は創業以来、ウチナンチューであれヤマトンチューであれ沖縄に心を寄せる人たちの”溜まり場”で、居心地の良い場所だったのですが...。この日はソーミンチャンプルやゴーヤチャンプルに舌鼓を打ち、泡盛とハブ酒を心置き無く飲み、そして皆で島唄を歌い踊りました。
 「物外館友の会」はこの日を再出発の日とし、お店は無くなっても又新たな”溜まり場”を見付けて集いを続けて行くことを決め、幹事も選出しました。私は相変わらず国籍不明のドコナンチューですが、宴会と有らば万難を排して馳せ参じまっせ!!
 「友の会」の会員は「「物外館友の会」の情報」を時々チェックして下さい。
  {物外館閉店に伴ない本ページは旧「めんそーれ! 沖縄料理「物外館」(Okinawa-restaurant 'Butsugaikan')」を全面的に改訂し04年5月29日に内容を一新、更に06年3月21日に「「物外館友の会」の情報」のページ新設に伴い大改訂、その後若干記事を追加しました。}


  ●在りし日の「物外館」

写真1:「物外館」の前に立つママ。 沖縄学の祖・伊波普猷(※1)に拠ると、嘗て那覇に「物外楼」という迎賓館が在ったそうで、「物外館」の名称はこれに因んで付けられました(→詳細はココから)。「物外」とは俗世間の外のことで「物外に遊ぶ」などと言います。
写真2:2階のカウンターの様子。 左がお店の前に立つママ(富村豊子さん)、皆から「お母さん」と慕われて来ました。
 ここから急な階段を上がって行くと2階がカウンター(右の写真)です。カウンターの後ろにはテーブル席も在り、ウチナンチューの情報交換の場でした。
 ここでママの引き合わせに依って結婚したカップルも何組か有りました。後悔して居るカップルは...?!
 


写真3:「物外館友の会」の様子。

 右の写真が3階の座敷で月に1、2回行っていた「物外館友の会」での宴会風景です。
 古参の柴谷さんの話では、初めの頃はここで沖縄復帰「おもろそうし」(※1−1)についての討論や勉強会をして居たそうです。沖縄の本土復帰が1972年ですから、もう30年以上も前のことです。

 私がこの店に来たのは「古やん」に連れてこられたのが最初ですが、その次に店で待ち合わせした時、中々店に辿り着けなかったことを覚えて居ます。それでは在りし日の「物外館」の様子を、お初天神の方からこの店に迷わず来れるこの界隈の”通(つう)”である「古やん」に語って貰いましょう。

    ++++ 「物外館」はこんなお店でした − 古やんの話 ++++
 ドコナンチューの古やんです。上の「友の会」の写真に写っているんですが判りますかね?、右側の方。
 最初にママの所にお邪魔して十数年になりますか!、もっぱらお店ではビールをやっていました。泡盛?、強い強い!!!
 私のお薦めだったのは、ミミガー(ブタの耳たぶの酢の物。軟骨が中々良いです)、スクガラス豆腐(小魚の塩辛を豆腐に乗せたもの。食べ方があるのでママに聞いて下さい)、グルクン(タカサゴ[魚]のから揚げ。香ばしくて美味いです)、へちまの味噌炒め(珍しいもです)。ソーキそばのイラブー入り(沖縄そば。「イラブー入り」は元気が無い時にどうぞ。イラブーは何か?、ママに聞いて下さい(←もう聞けないので【脚注】※2を参照)。
 ママは、ビールが好きで時々点しつ点されつつやっていました。時偶、飲み過ぎの時がありました。ほとんど酔っ払い状態です。私?、...私のことでは、ありませんよ!!!、ママ、ママですよ(←ママもその頃は若かったのです)。
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  ●04年5月28日(金) − 最後の晩餐

 実は「友の会」では04年3月26日(金)に「閉店を惜しむ集い」を開き、色紙(しきし)に寄せ書きなどしたのですがその後閉店時期が延びたので、愈々この日で閉店という04年5月28日(金)に集まり「最後の晩餐」を開きました。各参加者がそれぞれの思いを抱いての集いに成りましたが、前述の如く「物外館友の会」を継続しよう、という柴谷さんの提案で早速”言い出しっ屁”の柴谷さんを会長に奉り上げて、玉グスク(本名:玉城、※3)さんを事務局長に、他の幹事もスンナリと決めて仕舞いました。これも泡盛の勢い!、以下の写真がその「最後の晩餐」の様子です。
写真L1:「友の会」事務局秘書、小北さん。
写真L2:「友の会」会長の柴谷さん他。 左が「友の会」事務局秘書、小北さんです。彼女が手にして居るのが泡盛、横から誰かが差し出して居るのがハブ酒です。事務局に秘書が要るのかって?、私は知りまへん。

 右上の写真の左端が豊辺君、右端が「友の会」会長の柴谷さんです。
写真L3:「友の会」副会長の兵頭さん。写真L4:「友の会」事務局長の玉グスクさん。 左が副会長の兵頭さん
 右は事務局長・玉グスクさんの三線で踊る宮平さんです。
 尚、玉グスクさんが主宰する吹田唄三線教室について知りたい方や入会したい方、島唄の「歌詞カード」をダウンロードしたい方はココをクリックして下さい。

 いやあ、お母さん、今迄本当にご苦労様でした!


        *** エルニーニョからの二言目 ***

  ●「私の琉球に寄せる歌」

 ということで「最後の晩餐」を終えました。そこで先ず私め(号は月海)が「最後の晩餐」の翌日に物外館や琉球(今の沖縄、※4)を想い乍ら詠んだを披露しましょう。全て何らかのパロディーでっせ!

  たらちねの 母が作りし ソーキそば
    泡盛の酔いに 縁(えにし)結ばれん


  おもろなる 古城(グスク)のほとり さ迷えば
    風の間に間に 海鳴り聞こゆ


  やすみしし 聞得大君(きこえおおきみ) 仰ぐるは
    神住むと云う 入り日海かな


        以上、月海が「最後の晩餐」の翌日に捻りし歌三首

 3番目の歌は琉球の神女信仰(※5、※5−1)ニライカナイ信仰(※6)を詠んだものですゾ。

  ●ママの惜別の歌
写真L5:最終営業日の「物外館」の看板。
 ところで、ママも若い頃短歌を詠んで居たのです。その歌はサブページで紹介して居ますが、その中から惜別の歌を一首ご披露しましょう。

  別れ来て 初めて知る我が心 ただ幸あれと我は祈らん

            ママの若かりし頃の歌

 右が最終営業日の「物外館」の看板の灯です。これ迄ご愛顧戴いた皆様に「幸あれ!」、但し「幸せ保存の法則」をお忘れ無き様に!!
 以上で「物外館」という店をお解り戴けたここと思いますが、今はもう在りません。
 46年間どうも有り難う御座いました。
        m(_=_)m ... (^o^) ... (^O^)/~~~


 最後に、このページの英語タイトル "'Butsugaikan' on my mind" について一言。もうお気付きの方も居られると思いますが、これは私の大好きな「ジョージア・オン・マイ・マインド(Georgia on my mind)」という歌のパロディー、と言うよりも完全なパクリです。レイ・チャールズが歌ってヒットしましたが邦題は「我が心のジョージア」でした。そこで副題を[我が心の物外館]としました。

 尚、「物外館友の会」の最新情報会員の集いの詳細の画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
 


 >>>■その後

  ●06年8月26日から新会場で<定例の宴>

 その後暫く鳴りを潜めていた「物外館友の会」でしたが、遂に「最後の晩餐」からほぼ2年振りの06年4月15日(第3土)に<06年春の宴>を「前衛」にて開催し、一部の血気盛んな連中 −私もその一人でしたが− は徹夜で飲み明かし大いに盛り上がりました。そして今後、定期的に親睦を深めて行く事に成り、6月17日(第3土)に「前衛」で<定例の宴>を開催しました。
 しかし、その後「前衛」オーナーの稲倉睿氏がご高齢の為長期入院・療養する事に成り06年7月末で「前衛」は閉鎖、我々は再び”流離(さすら)いの身”と成りましたが何とか大正区に漂着、06年8月26日(第4土)から新会場で<定例の宴>を開催することが出来ました。
    {この記事は06年8月27日に追加}

  ●2009年12月19日で記録を取る最後

 その後会場が変わったりしましたが「物外館友の会」は続いて居ます。しかし記録を取るのは2009年12月19日(第3土)で最後です。
    {この記事は09年12月20日に追加}

  ●2013年12月21日で最終回

 記録を取るのを止めた「物外館友の会」は2009年12月19日からも続いて来ましたが、遂に2013年12月21日(第3土)で約10年の節目を迎えたのを期に、終会させて戴く運びと成りました。最終回に模様はこちらをご覧下さい!
 皆さん、長い間どうも有難う御座いました。後はもう沖縄に来るっきゃ無いですよ!!!

                m(_~_)m
    {この記事は14年5月9日に追加}

 おしまい 


【脚注】
※1:伊波普猷(いはふゆう)は言語学者・民俗学者(1876〜1947)。沖縄生れ。東大卒。琉球の言語・歴史・民俗を研究。編著「南島方言史攷」「校訂おもろさうし」など。後に「沖縄学の父」と呼ばれる。
※1−1:「おもろそうし」は「おもろさうし」のこと。
 「おもろ」とは、「思い」と同源で、神に申し上げる、宣(の)り奉るの意。沖縄・奄美諸島に伝わる古代歌謡。呪術性・抒情性を内包した幅の広い叙事詩で、略12世紀から17世紀初めに亘って謡われた。それを集大成したものに「おもろさうし」(22巻、1554首、1531〜1623年)が在る。

※2:永良部海蛇(えらぶうみへび)のこと。(産地の鹿児島県口永良部島に因む)海産のヘビ。尾は扁平、体長約120cm。背面は暗緑色で、暗褐色の環状斑紋が有る。猛毒。性質温和で牙も短い為被害は少ないが、咬まれると致命的。日本には琉球諸島に多く分布。乾したものを食用。エラブウナギ。

※3:私が玉城さんのことを「玉グスクさん」と呼ぶのは、琉球では城のことをグスクと呼ぶからです。
 グスクとは、琉球語で南西諸島の城・砦13世紀頃から造られ、14世紀末〜15世紀初めが完成期。その数は250を超える。中城(なかぐすく)・今帰仁(なきじん)のものが著名。ぐしく。すく。

※4:私は嘗て独立国家だった頃の呼び名、琉球という名前の方が好きです。

※5:聞得大君(「きこえおおきみ」又は「きこえおおぎみ」)は、琉球王国時代の政治的支配者・国王に対応する宗教的最高位の神女。沖縄には現在でもノロと呼ばれる神女が居る。
※5−1:ノロ(祝女・巫女)とは、沖縄で部落の神事を司る世襲の女性司祭者。特に未婚の者が選ばれる。

※6:ニライカナイとは、奄美・沖縄地方で、海の彼方に在ると信じられて居る楽土。そこから年毎に神 −赤また・黒また・まゆんがなし(真世がなし)など− が訪れ、豊穣を齎すと考えられて居る。
 

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):沖縄の地図▼
地図−日本・南西諸島と沖縄
(Map of South-West Islands and Okinawa -Japan-)

サブページ(Sub-Page):「物外館友の会」復活話▼
[06年<春の宴>〜07年]
「物外館友の会」の活動履歴−1(Log-1 of 'Butsugaikan Fan Club')
サブページ(Sub-Page):「物外館友の会」の続き▼
[08年〜09年、13年<最終回>]
「物外館友の会」の活動履歴−2(Log-2 of 'Butsugaikan Fan Club')
サブページ(Sub-Page):物外館の謂れやママの短歌について▼
物外館の謂れとママの素顔
(Reason of 'Butsugaikan' and Mama's secret)

補完ページ(Complementary):元「物外館」のママの手記から▼
元「物外館」ママの人生観
(Former 'Butsugaikan' mama's life philosophy)

島唄「歌詞カード」のダウンロードと吹田唄三線教室について▼
玉グスクの島唄教室(Shimauta by Tama-gusuku, Songs of 'Uchinaa')
古やんのヨーロッパからの報告▼
古やんのドイツ便り−2004(Letter from Germany by Furuyan, 2004)
「幸せ保存の法則」について▼
2005年・年頭所感−幸せ保存の法則
(Law of conservation of HAPPINESS, 2005 beginning)

<06年春の宴>の会場「前衛」について▼
在りし日の前衛倶楽部(Zen'ei Club of the past)
伊波普猷や「おもろ」の詳細▼
外部サイトへ一発リンク!(External links '1-PATSU !')

2004.05.29 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2014.05.09 改訂


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