「物外館友の会」の活動履歴−1
[「物外館友の会」の情報:06年<春の宴>〜07年]
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 ■「最後の晩餐」〜<06年春の宴>迄の経緯

 先ず、04年5月28日の「最後の晩餐」から06年4月15日の<06年春の宴>迄の経緯を簡単に記して置きましょう。
 梅田曽根崎に在った沖縄料理「物外館」は、この地区の再開発の為2004年5月28日を以て閉店しました。その最後の夜の「物外館友の会」の宴を「最後の晩餐」と呼びます。お店や「最後の晩餐」の詳細は当ページを開いたメインページからのリンクで「梅田に「物外館」という店が在った!」のページをご覧下さい。

  ●04年10月16日(土)午後7時:「ママを囲む会」

 「物外館友の会」の「最後の晩餐」から約5ヶ月後の04年10月16日(第3土)太田照政さんが「呼び掛け人」 −太田(照)さんは「最後の晩餐」当時の物外館の店長(=マスター)− に成り、曽根崎の「ずぼらや」で「富村豊子ママを囲む会」を開きました。この日は「友の会」のみならず嘗ての物外館の常連達が一堂に会し70人位集まった様に記憶して居ます。

  ●06年3月11日(土)午後7時:「友の会」有志の集まり

 「ママを囲む会」から約1年半後、太田(照)さんから連絡が有り、06年3月11日(第2土)に曽根崎で「友の会」の有志が集まり一杯遣ると言うので出席しました。それ以前にも幾度か梅田の地下街で昼間、有志の方と会って居ましたが詳しい日時は忘れました。「有志」とは要するに時間が取れる”閑人(ひまじん)”のことです。
 この日の集まりに於いて柴谷会長、兵頭副会長、太田(照)の3長老から「友の会」を復活させたいという話が出て、では会場を何処にするか?、ということに成りました。そこで私が西中島の「前衛」にしようと提案し、取り敢えずは4月に遣る、「最後の晩餐」以降からこの日迄主要な集まりは土曜日の午後7時頃だったので、第3土曜日の午後7時開始と決まった次第です。会場の「前衛」については、メインページから「愉快な仲間たち目次」に戻り「前衛倶楽部」のページを参照して下さい。
 以上が<06年春の宴>迄の経緯です。

 ■2006年<06年春の宴>とそれ以降

  ●4月15日(土)午後7時:第1回<06年春の宴>/於「前衛」
   会費:¥4,000

 06年4月15日(第3土)午後7時、富村豊子ママと3長老を始め会員17名が「前衛」3階大広間での<06年春の宴>に集結し「物外館友の会」としての復活の狼煙(のろし)を上げ、気勢を上げました。「友の会」として集まるのは物外館での「最後の晩餐」以来ほぼ2年振り、「ママを囲む会」からは約1年半振りです。この日は一部の会員は徹夜で飲み語り明かしました。「前衛」は大広間に泊まれ風呂も在ります。
 この集いに於いて今後

  日時:偶数月の第3土曜日の午後7時を「友の会」の<定例の宴>とする
  会場:「前衛」

を、会員の賛同を得て決定しました。又、10月21日(第3土)〜22日(日)は<秋の旅行>とすることも合わせて決まり、愛媛県の宇和島案が提案されました。宇和島は兵頭副会長の故郷です。

  ●6月17日(土)午後7時:第2回<定例の宴>/於「前衛」
   会費:¥4,000

 そして6月17日(第3土)に「前衛」で初の<定例の宴>を開催し、14名が参加し盛り上がりました。私は又もや徹夜し明け方風呂に入って帰りました。ところが...。
 その後「前衛」オーナーの稲倉睿氏がご高齢に因る長期入院・療養の為、06年7月末日で「前衛」閉鎖が決まりました。柴谷・兵頭・太田(照)の3長老以下有志が新たな会場探しに奔走、漸く8月1日に大正区の沖縄居酒屋「おもろ」を定例会場に決定しました。そして連絡返信の日程的余裕とママの白内障手術後という理由で、8月のみ第4土曜日の26日とし、何とか<定例の宴>の開催に漕ぎ着けました。

  ●8月26日(土)午後7時:第3回<定例の宴>/於「いちゃりば」
   会費:¥4,000

 しかし、...当日「おもろ」会場がダブルブッキング(=二重予約)に成っていることが判明、急遽近くの沖縄家庭料理「いちゃりば」に変更というハプニング!
 しかし会には24名が参加、ママも元気な姿を見せて大いに盛り上がりました。そして<秋の旅行>の宇和島は遠く費用も掛かる(=約3万円)という理由で、和歌山県の白浜案(=約1万円)が太田参与から提案され了承されました。又、柴谷会長から提案が有り、次回の<定例の宴>から開始時刻を30分繰り上げて午後6時30分開始にすることが決まりました。
 ところが、太田さんが8月28日に問い合わせたら既に予約は満杯!、急遽3長老+ママのトップ会談の結果、10月の<秋の旅行>を中止し<定例の宴>に変更、と決まりました。紆余曲折の連続です!

 [ちょっと一言]方向指示(次) 今後は団体旅行の場合、日程・場所・費用・宿泊施設・交通手段などの諸要素をクリアして予約する必要が有りますが、予約するには「参加人数の確定」が大前提に成ります。費用も人数に依って変わって来ますので、旅行については<定例の宴>を重ねる中で、会員の皆様の希望を取り入れ乍ら議論を煮詰め、早めに予定を立て早めに予約しようと考えて居ます。

  ●10月21日(土)午後6時30分:第4回<定例の宴>/於「おもろ」
   会費:¥4,700(男性)、¥4,200(女性)

写真061021:第4回<定例の宴>の様子。
 色々と紆余曲折の末、旅行を中止しての沖縄居酒屋「おもろ」での初めての<定例の宴>は、この日から午後6時30分開始に変更したにも拘わらず18名が参加、「おもろ」の大将から泡盛の差し入れが有り、大いに盛り上がりました。
 右がその様子で、豊辺夫妻が三線を弾いて居ます。

 10月の<定例の宴>では若干の「赤字」が出たので11月27日(月)の幹事会で検討の結果、12月の忘年会は

  会費:¥6,000(男性)、¥5,500(女性)
     ¥11,000(ご夫婦)


で行うことに決定しました。尚、会費はお店への支払いの他、通信費などに充当して居ます。

  ●12月16日(土)午後6時30分:第5回<定例の宴>/於「おもろ」
   会費:¥6,000(男性)、¥5,500(女性)

 12月は忘年会ということで普段より高い会費でしたが14名が参加しました。久し振りに玉グスクさんも三線を持って参加し、柴谷会長の挨拶と上原さんの司会で進行し、豪華な鍋料理で今年1年を締め括りました。

 ■2007年

  ●2月17日(土)午後6時30分:第6回<定例の宴>/於「おもろ」
   会費:¥5,000(男性・女性共)

 07年最初の<定例の宴>は12名が参加しました。この日は淡路島の松本さんが参加し、岸さんが臨時の会計係を務めました。

  ●4月21日(土)午後6時30分:第7回<定例の宴>/於「おもろ」
   会費:¥5,000(男性・女性共)

 4月は10名の参加でした。

  ●6月16日(土)午後6時30分:第8回<定例の宴>/於「おもろ」
   会費:¥5,000(男性・女性共)

 6月は柴谷会長が欠席でしたが、15名が参加し2次会迄盛り上がった様です。席上8月の例会はお盆休みと重なるなどの都合で8月は「第4土」に変更と決議されました。

  ●8月25日(土)午後6時30分:第9回<定例の宴>/於「おもろ」
   会費:¥5,000(男性・女性共)

 8月は第4土の開催でしたが足の手術を終えたママを始め9名が参加しました。但し常連の柴谷会長の癌が発覚兵頭副会長は肺炎で集中治療中茨木さんは火傷で入院中(間も無く退院予定)で、欠席でした。

  ●10月20日(土)午後6時30分:第10回<定例の宴>/於「おもろ」
   会費:¥5,000(男性)、¥4,500(女性)
写真071020:第10回<定例の宴>の様子。

 10月は15名が参加し、屋良御大も顔を出され盛況でした。ママの話では兵頭副会長の容体が少し快方に向かっているとのことです。
 左が宴会風景で、ママは左側の列で微笑を湛え乍らこちらを向いて居ます(写真提供:和泉さん)。
 

    柴谷さんの訃報

 07年10月20日(土)、胃癌で入院中の柴谷正博会長が逝去されました。10月20日と言うと、奇しくも我々が第10回<定例の宴>を開いて居た日でした。右下のは在りし日の柴谷会長の遺影(=04年10月16日の「ママを囲む会」で挨拶をして居ます)です。
 以下が入院前の8月13日(土)に届いた柴谷会長の最後のメッセージでした。

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写真041016:在りし日の柴谷会長の遺影(04年10月16日)。 いつもながら、友の会のご丁寧な案内をありがとうございます。
 実は、先月の始めになって、他の症状に端を発し、身体検査を受けたところ、胃癌が進行していることが発覚、入院手術と決まりましたが(都島の大阪市立総合医療センター)、空床待ちとなり、その間に更に詳しい検査が続き、癌は既にリンパ節、肝臓など各所に転移していて、進行性であり進行を止めないと手術はできないとの結論になり、3週間前から通院による抗癌剤治療が始まりました。なかなかしんどいものです。
 治療は同センターなのですが、体調急変もある由で、その場合は行岡病院に駆け込みと決められています。通院や外出は同伴者が必要(本人は単独行動に支障ができるのですが)とされ、厄介です。
 こんな訳で、抗癌剤の副作用を誘発しやすいアルコール類の摂取は禁じられ、泡盛はもちろんビールにも口をつけられません。余命はわかりませんが、天命でしょう。
 少し冗長になりましたが、8月の会は欠席せざるをえません。事情をママを始め各位にお伝え願い、何もしないままでしたが会長職をどなたかにひきついでいただきたく、ご検討願います。暑い日が続きますので、ご自愛下さい。
    柴谷

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 ママのことを何時も「豊子」と呼んで居られた柴谷会長のダミ声が忘れられません。謹んでご冥福をお祈り致します。
 12月の<定例の宴>は皆で一堂に会する最後の会と成り、「柴谷会長を偲ぶ会」にしたいと思います。

  ●12月15日(土)午後6時30分:第11回<定例の宴>/於「おもろ」
   <最後の定例の宴>=「忘年会」+「柴谷会長を偲ぶ会」
   会費:¥5,000(男性)、¥4,000(女性)

 <最後の定例の宴>は「忘年会」と「柴谷会長を偲ぶ会」ということで総勢25名が参加しました。皆で乾杯の後、最初に故柴谷正博会長に1分間の黙祷を捧げ故人を偲びました。
 その後、太田照政会長代行から来年からの会の集まりについて

  趣旨:今迄の会費制を廃し今後は任意制で行う
     (=集まれる人が個々に任意に集散する「溜まり場」方式)

  日時:従来通り偶数月の第3土曜日の午後6時30分頃
  場所:北区の「海の彼方」

という提案が有り、参加した会員の賛同を得て了承されました。
 又、和泉さんからは非常にキッチリとした会計報告が為され、何と¥1千円の「大入袋」が参加者全員に配られました(ヤッホー!)。これは今迄の会費の余剰金で、07年12月15日を以て全て清算しました。幹事の皆さんご苦労様でした、これで幹事は解消です。しかし乍ら、今後の会の「顔」として長老中唯一元気溌剌な太田照政さんの引き続いての会長代行を、参加者全員の”暗黙の了解”で決めました!
 その後は何時も通りに大いに飲み語り、玉グスクさんの三線で大いに歌い踊り、「忘年会」を楽しみました。この日は2次会に雪崩れ込んだ人も多く、私も含め可なりの人が飲み過ぎました。まぁ、私は何時もの事ですが。
  {会計の和泉さんが各会の参加者をキッチリとメモして居りました。今迄、参加人数に「約」とか「位」と付けて居たのを、08年2月25日に和泉メモに拠り正確な人数に訂正致しました。和泉さん、有り難う!}

 「物外館友の会」の皆さん、これ迄<定例の宴>を盛り上げて戴き、有り難う御座いました。08年から新たな会場で又、ボチボチとお会いしましょう!!

              m(_=_)m  (^o^)/~~~

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