古やんのドイツ便り−2004
(Letter from Germany by Furuyan, 2004)

−− 2004.09.07 古やん
2005.03.20 改訂
[編集:エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

 ■エルニーニョからの一言

 古やんは現在、仕事でドイツ(※1)にちょこちょこ行きますが、時々ドイツの様子をメールで送って来ます。そこでドイツからの便りを私エルニーニョが編集してお届けしよう、と04年9月6日に思い立ち、編集に1日要し先ず最初の報告を纏めましたが、これだけでは少ないので、過去のメールからも抜粋してそれも入れることにしました。

区切り線。

 ■オヨヨッ?、歯が取れた!

  ◆7月26日

 話が変わりますが、昨日の朝食事をしていて、「ガリ」と言う音で口から異物が出てきました。歯のかぶせ物が取れ、今日さっそく歯医者に行くことになりました。残りの日数がだいぶ残っているので、治療することにしました。保険なしです、旅行障害保険には、歯の疾病は保険が利きません。ドイツの歯医者の様子を次回の便りで報告します。
 また!びーだーぜん。

  ◆7月28日

 ドイツの歯医者ですが、各治療台が個室になって、先生と看護婦さんが外人というぐらいで、大して日本と変わりありません。ちなみに看護婦さんは、金髪です。(←当たり前でっせ!!、金髪は後で登場。)

  ◆8月2日

 シルクロードより帰国されてから、ずいぶん動かれていますね。(←私エルニーニョが埼玉県羽生市を経廻ったことを指して居て、その成果はココです。
 日本の方が暑さでは、きついので気をつけてください。

 さて、ドイツの方は、相変わらずです。そろそろ、日本食が恋しくなり土曜日にフランクフルトでラーメンを食べました。醤油ラーメンでトッピングは、ワカメとモヤシとゆで卵でした。行った店は、うどんもあったのですが。ラーメンの方がおいしそうで、スープまで全部食べてしまいました。日本で食べればたいしたことは、ないのでしょうが。美味かったです。
 現地化が進んでいる証拠でしょうか?

 それと、13日の朝関空です。着きましたら電話します。焼鳥食いたいよう!!!
でわ!ビーダーゼン。

 ■ドイツのサッカー熱

  ◆9月6日

 地震と台風どうでしょうか?、こちらはどちらも無縁です。でもロシアでは、悲惨なことが起こりました(※2)。黙祷。
写真1−1:ずうっと続く自転車道。
 この週末は、サイクリングをしました。実を言うと車ではなく、自転車をあてがわれていて、これで通勤しています。この自転車 −ドイツ製のフレームのしっかりした変速機付きで、28インチの大きなもの− で土曜日は、フランクフルトまで行ってきました。マイン川沿いをずーっと(ほんとにずーっと)自転車道(右の写真)があり、休みなしで2時間ぐらい(片道です)でめちゃ疲れました。
 途中に信号がないので、休むタイミングが難しいです。茶店やベンチなども、ところどころにあるのですが。
 ほんとに綺麗かったです、ウサギも飛び出て轢きそうになったり。それでまた、フランクフルトでラーメンを食べちゃいました。

 日曜日は、逆方向にゼーリゲンシュタットまで行きました。この町は、旧市街が保存されていて綺麗なところです。こちらは、1時間(片道)ぐらいの距離なので茶店で休み休みビールを飲みながら、ちんたら走ってきました。酔っ払い運転で帰ってきました。

 ちなみに、ドイツの川にはあまり橋が架かっていないという話です。第二次世界大戦で破壊され、また冷戦で国防上の理由で作らなかった、ということです。このため渡し舟がたくさんあります。車・人・自転車など向こう岸まで渡すだけですが珍しかったです。(←日本の渡船風景はココをクリック!

  ◆9月14日

写真2−1:金髪で赤いユニフォームのサッカーファン。
 先週の土曜日サッカーを見にマインツに行きました。試合は、マインツ対レバークーゼンです。ルートは、電車でマインツまで行きバスでスタジアムまでのコースで、マインツの駅前に12時半ごろに着いたのですが、赤いユニフォームのファン(左の写真)が結構たまっていました。15時30分からキックオフでこの辺は、日本の野球ファンに似ています。
 道順がわからないのですが、そのサッカーファンの後についていくと自然とスタジアムまで行けました。
 


写真2−2:サッカー場周りを警備する警官。 しかし、当日券があると思ったのですがチケットが売り切れていて結局見れませんでした。スタジアム前には、警官と警察犬(右の写真)と既に前のりのファンが相当いました。
 この試合は、ドイツ・ブンデスリーガの一部(FCバイエルンのあるリーグです、ちなみにカーンがいます)の試合なのですが、マインツは今年一部へ昇格したところで、空いていると思ったのが間違いでした。
 それで観光に切り替えてマインツの街中をウロウロしていると、バーの店先に手書きの黒板で「サッカー中継」の看板を見付けビール片手にテレビ観戦しました。そこは路地裏のバーで若者の常連客だけで10人ほどで、ゴールや反則のときの歓声で現場なみに盛り上がりました。
 このときは写真が写せませんでした。阪神ファンみたいに少し痛い感じですので、何をされるかわかりません。結局この試合は、マインツが勝ち街中で車同士がクラクションを鳴らし祝っていました。
 添付ファイルで、球場前の写真と、自転車道の写真を送ります。

 ■パーペンブルクのクリスマス

  ◆12月2日
写真3−1:パーペンブルクの家並み。

 元気にやっています。
火曜日は、ハナウからパーペンブルク(Papenburg、※3)へ5時間かけて移動しました。平均時速130km/hぐらいで行きました。
 右の写真がパーペンブルクの家並み。

  ◆12月7日
写真3−2:リアー駅。
 久しぶりです。元気気にやっています。パーペンブルクにいます。日曜日にリアー(Leer)という町に電車で行き(右の写真がリアー駅)、クリスマス・マルクト −クリスマス・シーズンの屋台や飾りつけやイベントを行っている市(左下の写真)− を見物し、この時期の飲み物でグリューワイン(ホットワインにハーブやシロップの入った物)を頂きました。
 


写真3−3:リアーのクリスマス・マルクト。
 こちらではクリスマスシーズン一色で商店や家がイルミネーションで飾られています(左の写真、屋根の上にサンタ・クロースの人形が乗っています)。この月曜日(=12月6日)はセント・ニコラウス・デー(※4〜※4−2)で、子供たちにお菓子をプレゼントする風習があり、滞在しているホテルでもお客にプレゼントとしてドアノブにお菓子の袋がつるしてありました
 帰国したら直ぐクリスマス(※4−3)です。でわ!
 (←【脚注】※4−1、※4−2に在る様に実はこのセント・ニコラウスサンタ・クロースのルーツで、クリスマスは元は「冬至の祭」なのです(※4−3)。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 冬至祭は世界的な広がりを持ち、冬至の日は太陽が再生する日、年が改まる日として厳粛な祭が古代から執り行なわれて来ました。キリストの誕生日とされる12月25日は実はユリウス暦の冬至の日で、更にこの日はゾロアスター教のミトラ神(※5)の誕生日です。ミトラ神はキリスト教の救世思想に多大な影響を及ぼしヨーロッパではメシア(=救世主)信仰を生み、仏教地域では弥勒信仰 −弥勒は衆生を救済する未来仏− として受け継がれて行きます。
 ヨーロッパで未だに冬至祭の内容を色濃く残して居るスウェーデンの聖女ルシア祭(12月13日)も、冬至色が薄れた聖ニコラウス祭クリスマスも、そして東アジアの正月も、元を辿れば皆冬至の祭(太陽の再生を祝す儀礼)です。そう考えるとクリスマス・プレゼントも日本のお歳暮も、意外と親近性が有る習慣なのです(△1の巻末付録「ヨーロッパ歳時記」)。


  ◆12月16日

写真3−4:パーペンブルクの教会。 こっちは、寒いです。朝8時に日の出で、夕方4時ぐらいに日の入りになります。パーペンブルクとリアーの写真を送ります。先週は土曜日も仕事だったので日曜日(12日)にとった写真です。
 左はパーペンブルクの教会で、右下がオランダ的な街の風景。
写真3−5:パーペンブルクの街の風景。
 それで、パーペンブルクの街に関して本(←私が頼んだ街の歴史を書いた本のこと)ですが、なかなか探せません。本屋に行くタイミングが無く、ドイツ語表記の背表紙は難しいです。
 でわ!、今度は、日本で忘年会をしましょう!

区切り線。

 ■エルニーニョからの二言目

 その後、帰国した彼と忘年会をしました。04年の「ドイツ便り」はこれで終了です。又来年に御期待下さい!
    Auf Wiedersehen.   (^O^)/

 尚、[古やんのドイツ便り]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

♪♪♪ つづく ♪♪♪

【脚注】
※1:古やんの拠点は、ドイツ中西部の都市・フランクフルト(Frankfurt)郊外の町・ハナウ(Hanau)のホテルです。勿論、最寄りの国際空港はフランクフルトです。

※2:「悲惨なこと」とは、9月6日に発生したロシア南部北オセチア共和国べスランの小学校占拠事件のこと。この事件では人質300人以上(内、子供156人)が犠牲に成りました。

※3:パーペンブルクは、ドイツ北西端、ブレーメン(Bremen)の西100kmで殆どオランダ国境に近い清楚な街。

※4:セント・ニコラウス・デー(Saint Nicolaus Day)は、12月6日聖ニコラウス祭のこと。
※4−1:セント・ニコラウス/聖ニコラウス(Saint Nicolaus)は、ニコラウス・ミュラヌス(Nicolaus Myranus)のことで、小アジアのミュラの主教(?〜350?)。生涯については不明。不幸な少女や難破した船員などを救ったという奇跡伝説が伝えられ、小児・旅人の保護聖人とされた。又ロシアの保護聖人。後に、アメリカに移住したオランダ人に依りサンタ・クロース(Santa Claus)と呼ばれ、子供たちにプレゼントを齎す人とされた。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※4−2:サンタ・クロース(Santa Claus)は、(4世紀頃の小アジアのミュラの司教セント・ニコラウス(オランダ語方言 Sante Klaas)の転訛語)クリスマスの前夜、子供たちに贈物を配って行くという赤外套・白い髭の老人。この話は元アメリカに移住したオランダ人の新教徒に依って伝わり、クリスマスに贈物をする習慣と結合し、今では世界各国に広まった。サンタ。
※4−3:クリスマス(Christmas、Xmas)は、("X" は「キリスト」の意のギリシャ語 Xristos の頭字。mas は祭日の意)キリストの降誕祭。12月25日に行う。元は太陽の新生を祝う「冬至の祭」がキリスト教化されたもの。ギリシャ正教会では1月6日。聖誕祭。降誕祭。ノエル。

※5:ミトラ(Mithra[ペルシャ], Mitra[梵], Mithras[ラ])とは、インド・イラン人の神。リグ・ヴェーダでは契約と友愛の神ペルシャに於いても契約の神であったが、次第に曙光神太陽神戦闘神と成り、ローマに入ってミトラ教の主神と成った。ミスラミトラス

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『仮面 ヨーロッパの祭りと年中行事』(遠藤紀勝著、現代教養文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):ユリウス暦について▼
資料−「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
埼玉県羽生市を経廻った成果▼
「田舎教師」−羽生('Country teacher', Hanyu, Saitama)
日本の渡船風景▼
大阪市の渡船場巡り(The wharves and ferries of Osaka city)
日本のサッカ−について▼
スポーツ解体チン書(Anatomical talking about sports)


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