以下は主に広辞苑からの引用です。
南西諸島(なんせいしょとう)は、九州南端から台湾北東端の間に弧状に続く諸島の総称。太平洋と東シナ海とを画する。大隅諸島・吐噶喇(とから)列島・奄美諸島から成る北半部の薩南諸島と、沖縄諸島・先島諸島から成る南半部の琉球諸島とに大別。
△諸島(しょとう、islands)とは、二つ以上の島の集団。「伊豆―」。
△群島(ぐんとう、group of islands)とは、纏まりを以て群がっている島々。「南洋―」。
△列島(れっとう、archipelago)とは、多くの島が列を成して連なっているもの。火山脈や褶曲山脈に因って作られる場合が多い。「日本―」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
●薩南諸島(さつなんしょとう)は、南西諸島の北半部、大隅諸島・吐噶喇(とから)列島・奄美諸島の総称。鹿児島県の管轄。その南西に琉球諸島が続く。
○大隅諸島(おおすみしょとう)は、鹿児島県南部、吐噶喇(とから)列島・奄美諸島と共に薩南諸島の一部を成す諸島。種子島・屋久島などから成る。
・種子島(たねがしま)は、[1].薩南諸島の一。鹿児島県南部大隅諸島の主島。大隅海峡で大隅半島と隔たる。面積446㎢。鉄砲伝来の地として有名。甘蔗栽培・牧牛が盛ん。宇宙センターがある。
[2].火縄銃の異称。
・屋久島(やくしま)は、鹿児島県大隅諸島に属する島。種子島の南西。面積503㎢。中央部に宮之浦岳(1935m)が在る。日本の最多雨地で、樹齢1000年以上の屋久杉自然林が在り、1993年に世界自然遺産に登録。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
○吐噶喇列島(とかられっとう)は、九州南端から約130km南に在る火山島群。口之島・中之島その他の島々から成り、薩南諸島の一部を成す。鹿児島県に属する。宝列島とも。
○奄美諸島(あまみしょとう)は、鹿児島県、大隅諸島・吐噶喇(とから)列島と共に薩南諸島の一部を成す諸島。大島を主島とする。海岸には隆起珊瑚礁が在り、サトウキビを栽培。奄美群島。
・奄美大島(あまみおおしま)は、鹿児島県の奄美諸島中の最大島。通称、大島。面積709㎢。黒糖・大島紬を産する。
△珊瑚礁(さんごしょう、coral reef)は、サンゴ虫の群体の石灰質骨格と石灰藻とが堆積して生じた岩礁、又は島。清澄な暖海の浅い部分に生じ、その形状と位置とに因って、裾礁・堡礁・環礁などの別がある。沖縄諸島・南鳥島(みなみとりしま)などに発達。
△隆起珊瑚礁(りゅうきさんごしょう)とは、珊瑚礁が生成後、地盤と共に隆起したもの。琉球諸島などに在る。
●琉球諸島(りゅうきゅうしょとう)は、南西諸島の南半部、北緯27度以南の沖縄諸島・先島諸島が主で、尖閣諸島・大東諸島も含める。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
○沖縄諸島(おきなわしょとう)は、沖縄本島及びその周辺と西方とに散在する島嶼群。具体的には沖縄本島・伊江島・伊平屋(いへや)諸島・慶良間(けらま)列島・粟国島(あぐにじま)・渡名喜島(となきじま)・久米島などから成る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・伊江島(いえじま)は、沖縄本島西方の島。面積22.9㎢で、沖縄本島の属島中最大。60%余りが米軍用地。
・慶良間列島(けらまれっとう)は、沖縄本島西方の列島。渡嘉敷島・座間味島などから成る。太平洋戦争末期の激戦地。慶良間諸島。
・久米島(くめじま)は、(クメシマとも)沖縄県北部、沖縄諸島の西端に在る火山島。古くは、中国との交易の中継地。久米島紬(つむぎ)を産する。
○先島諸島(さきしましょとう)は、沖縄県南西部の宮古諸島・八重山諸島・尖閣諸島の総称。
・宮古諸島(みやこしょとう)は、沖縄県南西部、先島諸島東部の諸島。宮古島を主島とし、伊良部(いらぶ)・多良間(たらま)などの島を含む。宮古列島。
・八重山諸島(やえやましょとう)は、沖縄県南西部の諸島。石垣・西表(いりおもて)の2島の他、幾つかの小島を含む。宮古諸島と合せ、先島諸島と呼ぶ。八重山列島。
・石垣島(いしがきじま)は、沖縄県南西部、八重山諸島の島。面積221㎢。石垣市の主島。最高点は於茂登岳(おもとだけ、526m)、海岸はサンゴ礁が発達。サトウキビ・パイナップルを産するが、近年はリゾート開発が著しい。奈良時代初めの史料に見える信覚(しがき)島はこの島と言う。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・西表島(いりおもてじま)は、沖縄県南西部、八重山列島の最大島。面積289㎢。竹富町に所属。全島の約70%が標高200mを越える山地で、亜熱帯原生林に覆われる。最高点は古見岳(こみだけ、469m)。仲間川・浦内川などの河口にはマングローブ林が広がる。動植物相が豊富で、国の特別天然記念物のイリオモテヤマネコ・カンムリワシの他に、多種の動物・植物群落が国の天然記念物に指定。1637~1903年の人頭税制下で多数の農民が入植させられ、1885~1960年には西部の炭鉱の労働者が多く、太平洋戦争末期には疎開先と成ったが、何れもマラリアで多数の犠牲者を出した。1972年(昭和47)本土復帰後は観光開発が盛ん。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
・竹富島(たけとみじま)は、沖縄県、八重山諸島の島。石垣島の南西4km。面積5.5㎢。隆起珊瑚礁から成る。サトウキビを産。赤瓦屋根の家並みと琉球石灰岩の石垣が特色で、芭蕉布などを産出。星砂ノ浜、コンドイビーチや、日本最南端の寺の喜宝院(きほういん)が在る。西表国立公園に属する。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
・尖閣諸島(せんかくしょとう)は、沖縄県八重山諸島の北方約160kmの小島群。石垣市に属する。無人島。中国も領土権を主張している。
因みに尖閣諸島の命名者は沖縄の動植物学者の黒岩恒氏で、クロイワゼミ/クロイワニイニイ/クロイワツクツクなどに名を残して居ます。
・与那国島(よなぐにじま)は、沖縄県の島。日本の最西端。台湾への距離110kmで、快晴の日には台湾が見える。那覇へ530km。サトウキビ・漁業・牧畜が主。俗称、女護島(にょごのしま)。面積28.5㎢。花酒と呼ばれる60度の酒(分類上は泡盛とは異なる)が在る。
・大東島(だいとうじま)は、沖縄県に属する島。沖縄本島の東300km(宮崎県の真南)に在る南大東島・北大東島及びその南方の沖大東島(ラサ島)の総称。又、南大東島の特称。隆起珊瑚礁から成る。南大東島は嘗ては無人島だったが、1900年(明治33)から八丈島出身の玉置半右衛門(たまきはんえもん)に依って開拓され、サトウキビ栽培・製糖の島と成った。おおあがりじま(大東島)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
南西諸島・沖縄の近海には海溝も存在して居ます。
海溝(かいこう、trench)は、水深6000mを超える大洋底の細長い凹所。その側面は急傾斜する。最深部が1万m以上に達するものも在り、日本海溝・フィリピン海溝など主な海溝は北太平洋西側に多い。プレートの沈み込む場所(凹所)。
○海盆(かいぼん、sea basin)は、海山や海嶺に依って区切られた比較的平坦な深海底。日本列島の東側には北西太平洋海盆が在る。
琉球海溝(りゅうきゅうかいこう)は、南西諸島の南東側に沿い、これに略平行に弧状に延びる海溝。最深部7881メートル。総延長約1300km。その北東の南海トラフと共に、フィリピン海プレート北西縁を成し、プレートの沈み込みに伴い巨大地震が発生する。南西諸島海溝。
沖縄(おきなわ)は、[1].日本最南端の県。沖縄本島を始め琉球諸島を含む。県庁所在地は那覇市。面積2265㎢。人口129万5千。全10市。太平洋戦争の激戦地と成り、敗戦の結果、アメリカが施政権を行使。1952年4月、自治体琉球政府が置かれたが、その施政の範囲には制限が在った。72年5月15日、米軍基地の存続など問題を残し施政権は返還。台湾と並んで台風の通り道。→琉球。
[2].沖縄本島中部の市。1974年、コザ市と美里村が合併して発足。駐留米軍の嘉手納空軍基地がある。人口11万7千。
琉球(りゅうきゅう)は、
[1].沖縄(琉球諸島地域)の別称。古くは「阿児奈波」又は「南島」と呼んだ。15世紀以降日本・中国に両属の形を取り、1609年に薩摩の島津氏に征服され、明治維新後琉球藩を置き、1879年(明治12)沖縄県と成る。→流求。
[2].琉球表(おもて)の略。
[3].琉球紬(つむぎ)の略。
流求(りゅうきゅう)は、隋書などに見える、東海中の一国。今の台湾とする説と、琉球とする説とが在る。
ところで久高島は沖縄の宗教を考える時に忘れては為らない島です。
○久高島(くだかじま)は、沖縄県の島。沖縄島南東端の知念岬の東5.6kmに在る細長い島。面積1.38㎢。知念村に所属。ニンジン・スイカ栽培や漁業が主。琉球神話の聖地で、今もノロ(巫女(みこ))の制度や「イザイホー」の神事が残る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
・いざいほう/イザイホウ/イザイホーとは、沖縄本島の南東方に在る久高島で、12年に1度、午年の旧暦11月15日から5日間行われる神事。30歳から70歳迄の全女性が参加。神女洗礼の儀式と解される。
那覇(なは)は、沖縄島南西部に在る沖縄県の県庁所在市。人口30.1万。1921年市制。琉球王国の都首里の貿易港として繁栄。1879年(明治12)より沖縄県の県庁所在地として発展したが、第二次世界大戦中の空襲と沖縄戦で焼け野原と成った。戦後は米軍の沖縄占領中は軍政府、後に民政府・琉球政府が置かれた。首里市や真和志(まわし)市を編入し、1972年(昭和47)返還後は観光都市としても発展。首里には再建した首里城など史跡が多い。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
△沖縄戦(おきなわせん)は、太平洋戦争末期、沖縄本島とその周辺で行われた日米両軍の激戦。1945年4月アメリカ軍は沖縄本島に上陸、日本軍は抗戦のすえ6月23日全滅、住民十数万人が死亡。現在、沖縄では6月23日を「慰霊の日」と定め休日とし、様々な慰霊の鎮魂が行われる。
首里城(しゅりじょう)は、首里に在る旧琉球王朝の城。15世紀より尚氏の居城と成り、19世紀の琉球処分の際に明治政府に依り収公される。1945年の沖縄戦で焼失したが、守礼門・正殿などを復元。
・尚氏(しょうし)は、琉球の王家。思紹・尚巴志父子が15世紀初め沖縄本島の山南・山北・中山を統一して首里に統一政権を作る。普通これを第一尚氏と言う。7代で滅び、1470年尚円に依り第二尚氏の王朝が成立、以後その勢力は近隣諸島にも延び、19代400年に亘って琉球を支配。1872年、尚泰(1843~1901)は明治政府に依り琉球藩王とされたが、1879年琉球処分に因り東京に移住。
・琉球処分(りゅうきゅうしょぶん)とは、1872年(明治5)の琉球藩設置から79年の廃藩・沖縄県設置に至る明治政府の一連の措置の総称。形式上日清両属だった琉球王国はこの過程で滅亡し、日本に併合。
海流(かいりゅう、[ocean] current)は、海洋の一部に生ずる、川の様な略一定の方向の流れ。偏西風・貿易風などの方向の定まった風や場所に因る水温の変化(太陽放射の緯度に因る差など)に起因する他、転向力、海水の密度分布の差などが複雑に絡み合って生じる。幅は数10km、表面からの深さは数100~数1000m程度で水平方向に流れ、長さは数100~数1000kmに亘る。流速は普通、数10cm/sであるが200cm/s以上に達するものも在る。黒潮・湾流(メキシコ湾流)など。
潮の干満に伴って流向・流速が変わる潮流とはその性質を異にする。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
○暖流(だんりゅう、warm current)は、熱帯・亜熱帯の海域に源を持ち、高緯度に向かって流れる海流。黒潮・湾流(メキシコ湾流)など。←→寒流。
○寒流(かんりゅう、cold current)は、高緯度の海域に源を持ち、低緯度に向かって流れる寒冷な海流。日本近海では北方からの親潮・リマン海流など。←→暖流。
黒潮(くろしお、Japan Current)は、日本列島に沿って流れる暖流。藍黒色で、幅は100km、流速は毎秒1.5m程度。フィリピン群島の東岸から、台湾の東側、南西諸島の西側、日本列島の南岸を流れ、犬吠埼沖に至って陸から離れ、太平洋の中央部に向かい、亜熱帯環流の一部を形成する。太平洋最大の海流。日本海流。黒瀬川。←→親潮。
・対馬海流(つしまかいりゅう、Tsushima Current)は、黒潮の一支流。琉球列島の近海で分岐し、九州の西を過ぎて日本海に入り、本州及び北海道の西岸を経て樺太の西岸に達する暖流。対馬暖流。
親潮(おやしお、Chishima Current)は、ベーリング海から発し、千島列島に沿って南下し、三陸海岸沖又は房総沖まで流れて来る寒流。塩分は薄く、水温は低い。プランクトンが多く、魚類が良く育つのでこの名が在り、黒潮と接する所はサンマなどの好漁場と成る。千島海流。←→黒潮。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
リマン海流(―かいりゅう、Liman Current)は、(リマン(Liman)はロシア語で、河口の潟の意)日本近海の寒流の一。日本海北隅に発して大陸沿岸を経て、朝鮮半島東岸に達する。
右の沖縄~日本を巡る海流図をご覧下さい。勿論、
赤い → が暖流
青い → が寒流
です。沖縄~西日本は黒潮(日本海流)が大雑把に言えば南から北へと流れて居るという事が一目瞭然です。
南西諸島(沖縄)~西日本の太平洋側~銚子沖を黒潮(暖流)が、北海道~東日本の太平洋側を親潮(寒流)が、日本全域の日本海側を対馬海流(暖流)が、その外側をリマン海流(寒流)が囲んで居ます。