§.「おでん」のルーツは広東か?!
[田楽説/広東説/関東軍説]
(Roots of 'ODEN')

−− 2004.06.11 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2005.09.16 改訂

 ■はじめに − 「おでん」の名称由来
 私たち日本人が普段何気無く食べている「おでん」ですが、今回はそのルーツを求める為に縦に深く”掘り下げ”て行こうという試みです。序でに「おでん」に纏わる知識を横にも”押し広げ”、四方山話を交え乍ら縦横無尽に「おでん」を堪能しようという所存ですので、どうぞ皆さんもビールなど片手に気楽にお読み下さい。
                (^o^)

 そこで早速、私の得意な広辞苑を引きますと「おでん」は漢字で御田と書き、田(でん)は古典芸能の田楽(※1)の略なのです。で、その意味は
 [1].田楽豆腐。豆腐を長方形に切って串に刺し、味噌を塗って火に炙った料理。味噌おでん。
 [2].(煮込田楽の略)蒟蒻(こんにゃく)・豆腐・里芋・はんぺん・つみれなど、醤油味で煮込んだ料理。関東焚・関東煮(かんとうだき)。

と書いて在りました。
 そもそも田楽という芸能の名が付いているのは、串に刺した形が、田楽法師の高足(こうそく、※1−1)に乗って踊る様に似るから、なのだそうです。そして1本の串で芋刺しにすることを、田楽刺しとも言います。
 ところで、今回話題にするのは、屋台や赤提灯の店で御馴染みの[2]の煮込田楽の方です。関東焚(又は関東煮)とは、関西の人が煮込田楽を呼ぶ時の名前で、関東の人は使いません。因みに大阪弁では「関東焚」と書いても「関東煮」と書いても、これをカントダキと発音しまっせ。

 ■煮込田楽の「おでん」は何処から来たか
 そこで煮込田楽の「おでん」のルーツの話に至る訳ですが、先ず一般には
 [A]「おでん」は「関東焚」「関東煮」と同義で、名前の如く日本の関東地方がルーツで、それが関西地方や全国に広まった、という説でこれが現在の通説
の様です。ところが或る本(△1のp238)を読んで居たら異説に出会(でくわ)しました。それは
 [B]「関東」は「広東(かんとん)」の訛りで、中国広東省にルーツが在り、これをカントンダキ(「広東焚」「広東煮」)と呼んだのが始まり、とする広東説

 [C]「関東」は日本の「関東軍」(※2)を指し、旧満州(現在の中国東北部)にルーツが在り、これをカントウダキ(「関東焚」「関東煮」)と呼んだのが始まり、とする関東軍説
とです。
 [B]、[C]では「関東焚」「関東煮」という名前が定着するのに、丸くて真ん中が擂り鉢状に深く両側に把手が付いた関東鍋で料理したことが寄与して居る、という説が付帯して居ます。つまり

  [B]「広東」 −+
           |−→ 関東鍋で料理→「関東焚」「関東煮」→「おでん」
  [C]「関東軍」−+


という図式です。さあ、皆さんはどう思われますか?
 実は私は中国・広東省で「おでん」の様な料理を見ているので、この異説に興味を抱き、遂にこの論考に纏めてみようと思い立った訳です。そこで先ずそれから事例として紹介して行きましょう。そして更に別の地方の事例が見付かったら随時追加して行くことにします。

 ■事例研究
  ◆中国広東の「おでん」
広東省の写真1:「おでん」の様な料理−その1。 そこで皆さん、右の写真を見て下さい。「おでん」みたい見えませんか?、ちょっと「どて焼き」の様にも見えますが。これは02年10月27日、中国広東省の省都・広州(※3)の空港近くの路地裏の屋台で売っていた「おでん」の様な料理です。串で刺したネタをとろ火で煮込んだ料理ですが、残念乍らこの時は時間の制約で食すことが出来ませんでしたので、味は未知なのです。
 私はこの時、直観的に「おでん」に似ていると思い、写真を撮って置いたのです。実はこの時から「おでん」のルーツに密かに興味を抱き、思い出した時に調べて行く内に異説(△1のp238)を見出した、という訳でした。
 今の所は手掛かりはこの写真1枚だけなのですが、次回広州へ行ったらこれを是非食べ、先ず第一に自分の舌で味を確かめてみよう、と思って居ます。

広東省の写真2:「おでん」の様な料理−その2。 という形で初稿を書き出したのですが、その後タクラマカン砂漠一周のシルクロードの旅の往復に広州に寄る機会を得ました。04年7月15日、広州の清平市場で再び「おでん」の様な料理を見掛けました(左の写真)、残念乍ら食べなかったのですが。前回は丸鍋でしたが今回の容器は四角く、ぐっと「おでん」に近い形です。
 この2枚の写真は[B]の広東説を補強するものです。因みにシルクロード地域には「おでん」のルーツと思しき料理は無かったですね。

  ◆台湾で見た「関東煮」
台湾の写真1:「関東煮」という看板の屋台。 その後04年8月15日に台湾の台北市の士林夜市「関東煮」と書いた看板と提灯の店を見付けました(右の写真)。これも四角い容器で「おでん」の様な料理を煮込んで居ました、日本のよりしつこい感じでしたが。右の棚には竹輪(ちくわ)も見えて居ます。「歓迎外帯 附湯」と書いた札がぶら下がっているので、「お持ち帰り歓迎、汁付き」という意味です。
 ところで、台湾に移り住んだ漢民族は広東や福建や浙江などの大陸南東部の漢人が主流ですので、これも[B]の広東説を補強する事例と言えます。

  ◆北京にも有った!
北京の写真1:「おでん」の様な料理。北京の写真2:「串」の字の豆電球ネオン。 05年8月20日、北京の裏通りの屋台の夜店で見掛けたのが左の写真です。肉団子やソーセージや肉やモツ(※4)の切り身や湯葉を丸めた物などを、何れも串刺しで煮込んだ「おでん」の様な料理です。ご覧の様に売り子も立って煮込み、客も立ち食いです。残念乍らこれも食さず、でした。
 右上は同じ通りの別の屋台で、豆電球を連ねて「串」の字を象(かたど)って居ます。北京の裏通りでは肉は羊が主流で、羊肉のシャブシャブも在りました。この羊肉文化はユーラシアの西からモンゴルや旧満州迄、中国東北部を広く覆って居ます。つまり漢満合体の清朝の主都と成って以来、北京の食文化は可なり満州族の影響を受けていて、これは[C]の関東軍説を補強するものです。

 ■結び − ボチボチと「ルーツ探し」を継続
 如何でしょうか?、未だ未だ「ルーツ探し」の事例が可なり集まって来ました。今後新たな事例を見付け次第、書き足して行きますので、乞う御期待!!
 それでは、この辺で。

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:田楽(でんがく)は、[1].日本芸能の一。平安時代から行われた。元、田植などの農耕儀礼に笛・鼓を鳴らして歌い舞ったものに始まると言うが、やがて専門の田楽法師が生れた。笛吹きを伴い腰鼓・銅拍子(どびょうし)・簓(ささら)などを鳴らし乍ら踊る田楽躍(でんがくおどり)と、高足(こうそく)に乗り品玉(しなだま)を使い刀剣を投げなどする曲技とを本芸としたが、鎌倉時代から南北朝時代に掛けて、猿楽と同様に歌舞劇である能をも演ずる様に成った。後に衰え、寺社の行事だけに伝えられて今に至る。
 [2].「田楽返し」の略。
 [3].田楽豆腐の略。季語は春。
 [4].田楽焼の略。季語は春。
※1−1:高足(こうそく)とは、田楽や田植の神事などに用いる、柱の長さ7尺、横木1尺程の1本足の竹馬。又、この横木に両足をのせて跳ぶ芸。唐の散楽の一種目。一足(いっそく)。たかあし。

※2:関東軍(かんとうぐん)は、満州(中国東北部)に駐屯した日本陸軍部隊。日露戦争後置かれた関東都督府が1919年(大正8)関東庁へ改組された際、その陸軍部が独立したもの。日本の満州支配の中核的役割を担ったが、45年8月ソ連参戦に因って壊滅。

※3:広州(こうしゅう、Guangzhou)は、中国広東省の省都。珠江デルタ北部に位置し、古来中国南部最大の貿易港。華南地域の経済・交通の中心。人口385万4千(1995)。別称、穂城羊城

※4:モツは、(「ぞうもつ(臓物)」の略)鳥獣の料理で、内臓などの称。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『最新 大阪ものしり事典』(創元社編・発行)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):広州の地図▼
地図−中国・広東省の広州(Map of Guangzhou of Guangdong, -China-)
横に”押し広げ”るとは?▼
性本位制エーロ導入案(ERO monetary system with the 'Sex Standard')
広州や華南地方の旅▼
2002年・”脱雲南”桃源紀行(Escape from Yunnan, China, 2002)
広州の清平市場の食べ物▼
中国のヘビーなお食事−”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
台湾の「関東煮」を見付けた市場▼
2004年・台湾”味試し”旅(Let's banquet and sing in Taiwan, 2004)


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