Ω.「文化スケベ学」とは何ぞや?
「文化スケベ学」事始
(What is the Cultural Sukebelogy ?)

-- 2011.01.30 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2013.11.03 改訂

 ■はじめに - 「文化スケベ学」とは何ぞや?
 当サイトで「文化スケベ学」を創始(※1)したのは2006年8月18日で▼下のページ▼
  古やんのドイツ便り-2006(Letter from Germany by Furuyan, 2006)
に於いてでした。この中で新規学問の基本構想「文化スケベ学のすゝめ」の序の言葉と題して掲げたました。しかし、その後暫くは「創始のページ」しか無い状態が続き「文化スケベ学」の事を忘れて仕舞った訳では無かったのですが他のページも有り、中々忙しくて -否、力量不足です!- 出来なかったのです。
 そして、この度漸く創始した日から約4.5年振りの2011年1月30日に次の3作品
  「酔っ払いの会話」            2003年5月26日作成
    → [「文化スケベ学」の実践#1:文化の地下水脈]
  「まんこ/めこ/そそ/宝味etc」    2006年11月3日作成
    → [「文化スケベ学」の実践#2:まんこ/めこ]
  「こんな女に誰がした-悲しきパンパン」  2008年11月14日作成
    → [「文化スケベ学」の実践#3:パンパン]
[「文化スケベ学」の実践]シリーズを組む事が出来ました。これでやっと陣容が整いました。これらは掲示板で展開する「おちゃらけ議論」(※2) -議論は全て「ちゃらけ」て居る(※2-1)から- を纏めたもので▼下▼が
  掲示板ご利用の皆様に一言(Let's enjoy our BILLBOARDS !)
当サイトの掲示板のコンセプトです。
 こうして陣容が整うと、今度は「文化スケベ学」とはそもそも何か?、という問に答える”表紙のページ”が無いと格好が付かない様な気がして来ましたので、早速これに取り掛かる事にしました。そして2011年2月16日に遂に完成体系が整ったのです。当ページがその”表紙のページ”です。「文化スケベ学」を創始し体系を整える迄の経緯は、「創始のページ」の「その後」の章を参照して下さい。
    {ここ迄は2011年2月16日に修正}

 そこで先ず、「創始のページ」で発表した「文化スケベ学のすゝめ」の序の言葉から紹介しましょう。

      「文化スケベ学のすゝめ」の序の言葉

  天はスケベの上に人を造らず
    スケベの下に人を造らずと云へり。
  されば人は全てスケベの名に於いて平等なり。
  されども人は皆、男と女の
    スケベな行為に因って造られるものなり。

  以てスケベは人類発展の根源なり。

 これは言わばエッセンスです。何ですと、1万円札で御馴染みの御仁の文句に似ているですと、ムッフッフ!、こういうのをパロディー(※3)と言うのです。まぁ、「言葉遊び」の一種ですな。「言葉遊び」は当サイトの重要なコンセプトの一つです。
 それよりも、上記の文言の中で「文化スケベ学」が重視するのはショッキングピンク(←これは私のイメージカラー)の文言です。これに「異議有り」の方は居りますか?、よもや居りますまい!、オッホッホッホ!!
 つまり文化人類学(※1-1、※1-2)よりも何よりも有らゆる学問の中で、先ず「文化スケベ学」が真っ先に来なければ為らないのです。即ち「文化スケベ学」こそが最も根本の学問だという思想で、これを私は「文化スケベ学」の根本思想と呼びます。この「文化スケベ学」事始はその事を世に問うページなのです。これから「文化スケベ学」を学ぼうとする人は、先ず事始めとして
  「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)
をお読み下さい、そして「言葉遊びのすゝめ」の心を理解して下さい。
 尚、ここで「言葉遊び」を解さない方、逆に言えば四角四面な方クソ真面目の方野暮な方は当サイトは”御門違い”です。その様な方は折角当サイトに来て戴きましたが(或いは迷い込んだのかも知れませんが)、早く当サイトを出る事を勧めます。

 当ページは「文化スケベ学」の”表紙のページ”です。ですから先ずこの[「文化スケベ学」事始]を読んで、次に[「文化スケベ学」の実践]シリーズに進む、というのが本来の順番です。とは言ってもインターネットでは、どこからでも入れる訳ですが。
 私は「創始のページ」に於いて「今は未だ当ページしか有りませんが、何れは体系を整えたいと考えて居ます。...<中略>...「文化スケベ学」の前途は多難ですが未来に向けて洋々と開けて居ます!」と宣って居ます。この時私の頭に有ったイメージは「文化の地下水脈(Underground water vein of culture)」に光を当てる事を今でもはっきり覚えて居ます。これは「文化スケベ学」の基本理念とも言えるもので、当サイトの重要なコンセプトの一つです。既存の「酔っ払いの会話」を[「文化スケベ学」の実践#1:文化の地下水脈]としてシリーズに加えたのは、そういう経緯からです。
 そこで「文化スケベ学」事始としては先ず「文化スケベ学」基礎講座をマスターして戴きたく思います。「文化スケベ学」は文字通り学問なのです。

 ■「文化スケベ学」基礎講座[1] - 豊かな女性器の呼称
 今、私の手許に『日本女地図』(△1)という本が在ります。著者は独特の風貌で自称三文役者の殿山泰司氏で、曰く「肉づき、匂い、締まりぐあい、濡れかた、啼きかた、温度、おケケの濃淡、深浅、感度etc、無数の要素が組みあわされて、ひとりひとりのオンナを作りあげるのだ。」(△1のp7~8)と宣って居ます。氏が女性遍歴を重ねる内に「オンナというのは、生まれ育った土地によって、アソコがすごくちがう」(△1のp8)ことに気付き、遂にアソコの地域差「歴史学、考古学、人類学、民俗学、医学、法医学、栄養学、気象学、地理学、物理学、化学などを、猛然と勉強することによって、気候、食べ物、地勢、血統などが、女のアソコを特色づけていることをつきとめたのである。」(△1のp9)という結論に達したと言うから大変です。この本には全国47都道府県のアソコの呼び名」を載せて居ます。

        <女性器の呼称(殿山泰司の説)>

     1 北海道    ダンベ、ヨシコ(小樽地方)
     2 青森県    ダンベ、エッペ
     3 秋田県    ダッペ、ベッパ
     4 岩手県    オマンチョ
     5 山形県    バッペ、マッチョ
     6 宮城県    ベンチョ
     7 福島県    ベッチョ
     8 茨城県    オマンコ
     9 栃木県    オマンコ
    10 群馬県    オカマ、オマンコ
    11 埼玉県    オマンコ、オチョコ
    12 千葉県    オマンコ
    13 東京都    オマンコ
    14 神奈川県   オマンコ
    15 静岡県    ツンビー、オチョコ
    16 山梨県    ベベ、オベンチョ
    17 長野県    ベンチョ
    18 新潟県    オマンコ
    19 富山県    チャンベ
    20 石川県    チャンベ
    21 福井県    チャンペ
    22 岐阜県    ベンチョ
    23 愛知県    ツンビー、オメコ
    24 滋賀県    オメコ、オソソ
    25 三重県    オメコ、オソソ(伊賀)
    26 京都府    オメコ、オソソ
    27 奈良県    オソソ
    28 和歌山県   オメコ、オソソ
    29 大阪府    オメコ
    30 兵庫県    オメコ
    31 鳥取県    オメコ
    32 島根県    メンチョ
    33 岡山県    オメコ
    34 広島県    オメコ、オメッチョ
    35 山口県    オメコ
    36 香川県    オチャコ、オメコ(海岸寄り)
    37 徳島県    オメコ
    38 高知県    オシリ
    39 愛媛県    オメチョコ
    40 福岡県    オメコ
    41 佐賀県    チョンチョン
    42 長崎県    チョンベ
    43 大分県    オメコ
    44 熊本県    メメジョ、ボンボ
    45 宮崎県    マンジュ、ボボ
    46 鹿児島県   オハコ、マンジュウ、ボボ、モッチョ(種子島)
    47 沖縄県    ホ、ホウミ(宝味)

    ◆「古代の国」が浮かび上がる不思議
 これを見ると、その呼び名から幾つかのグループに分かれている事が解り、しかも次の様な「古代の国」を浮かび上がらせて居ます。何故そう成るかは後回しにし、取り敢えず内容を見てみましょう。

  アイヌ系    北海道・青森・秋田   ダンベ、エッペ
  出雲系     島根・岐阜・長野
  (ずうずう弁)  ・山梨・宮城・福島  メンチョ、ベンチョ、ベッチョ
  東人(弥生系) 関東          オマンコ
  越の国     富山・石川・福井    チャンベ、チャンペ
  大和政権    関西          オメコ、畿内はオソソ
  隠れキリシタン 佐賀・長崎       チョンチョン、チョンベ
  隼人系     熊本・宮崎・鹿児島   マンジュウ、ボボ、メメジョ
  縄文系     沖縄          ホウミ(宝味)


 先ず、北海道などのアイヌ系は異論が無いでしょう。島根の「ずうずう弁」(※4、※4-1)は有名ですが、出雲系は岐阜・長野を経て飛び火し乍ら「ずうずう弁」の本場、宮城・福島に直結してます。東人(弥生系)(※5)も異論は無いでしょう、オマンコ文化圏を作って居ます。越の国(※6)は北陸ですが、古代の北陸には継体天皇などの王権が在ったという説が有ります(△2のp9~16、p82~97)。大和政権の在った関西は、特に畿内にオソソ(※7)という雅(みやび)な呼び名が有り、関東に対しオメコ文化圏を作って居ます。このオソソは幕末の「ええじゃないか」(※8)の時に
  ゑいじゃないかゑいじゃないか、おそゝに紙はれ、
    破れりゃ又はれ、ゑいじゃないかゑいじゃないか

と歌われ、大衆は卑猥な歌に熱狂しました(△3のp109)。
 佐賀と長崎は良くは解りませんが、こじ付けで隠れキリシタンとしてみました。隼人系(※9)は、昔ボボ・ブラジル(※7-1)というプロレスラーが居ましたが、九州巡業の時は名前を呼べないと言ってましたね。縄文系の沖縄ですが、ホウミ(宝味)はもう最高。これはアソコを舐めないと言えませんよ、オーラルセックス(※10~※10-3)は基本中の基本です!!

 ■オメコ考
 私は1993年秋から仕事を止めて仕舞い(←自称「隠居」)、「陰陽懇話会」という会を立ち上げて、今の本を書く準備の様な事を始めました。「陰陽懇話会」は私の事務所を会場に94年に始めて何回か続けました。実は前述の<女性器の呼称>のグループ分けはこの時に既に遣っていて、これを私の「陰陽懇話会」と、もう一つ別の人が遣っている会で発表しました。だから「古代の国」が浮かび上がる事は解って居ました。この時はちゃんと白地図に色分けして、それをカラーコピーして皆さんに配りました。今でも当時のカラーコピーを持ってる人が居るかも知れませんね。唯、この時にはもう少し細かいグループに分けたんですが却って解り難く成った嫌いが在ったので、その反省に立ち前述の様に大雑把に捉えました。
 柳田国男の『蝸牛考(かたつむりこう)』がこの分野の先駆的な仕事で柳田は方言周圏論を唱えました(△4のp14~20)が、<女性器の呼称>に於いてはオメコ文化圏とオマンコ文化圏の2大勢力圏は認められるものの周圏的では有りません。しかも不思議にも「古代の国」が浮かび上がるのです。何故、こういう事が起こるのか?
 そこで私の独自の唯我独尊的解釈を披露しましょう。<女性器の呼称>は紳士淑女が白昼堂々と話題にはしない、人目を忍んでする猥談の中で使われる隠れた言葉、即ち隠語(※11)なのです。況して<女性器の呼称>は善がり声(→後出)にも成っている程の独特の語なので、この語が廃れたりはしないのです。即ち、古い言葉でも「その言葉が用いられた舞台」が整えば -舞台は必ず整えられる男と女- 言葉は命を吹き返すのです。従って旧き隠語は命脈を保ちイヤラシ語の「隠語は不滅」であるばかりか、「古代の国」の伝統をきっちり保っている訳です。
 逆に『日本の方言地図』(△4)に載って居る様な言葉は近年のテレビ文化の浸透に因り急速に廃れて居ます。学者先生が方言地図を作っても、今では言葉自体が廃れて無くなって仕舞ってるのが殆ど、つまり方言地図は過去の遺物に成ろうとして居ます。私は何故方言学者が隠語を遣らないのか?、その方が不可解です。学者先生が勝手に障害を設け、自分たち”学者”を「高尚な事を研究する人達」という”殻”に閉じ込めて居るのです。しかし学問というものは本来自由でなくては為らない、と私は思います。そういう”殻”に閉じ籠もった学者先生には是非大江匡房(※12)という学者が居た事を知って戴きたいですね。彼は『江家次第』という学者好みの著作も残して居ますが、一方でオカルトや遊女や芸人や漂泊の人々を扱った『本朝神仙伝』『遊女記』『洛陽田楽記』『傀儡子記』などを著して居る事は、朝廷に仕えて居た身で特筆に値します。これらは他に文献が無いことから唯一無二の文献に成って居ます。正に「自由な学問」の手本です!!{大江匡房についての記述は2013年11月3日に追加}

 ところでアソコの名称は女性器の方が圧倒的に多いと言う事を申し上げて置きましょう(△5のp82~83(女)、214(男))。△5の著者も「それだけ考証しただけでも、ゆうに一冊の大著作ができるほどだ。」と言ってます(△5のp82)。私が思うに女性器は凹んで居ますから、そして生殖器(※13~※13-1)ですから、そこから新しい生命が生まれて来る訳で、凹みの奥が極めて神秘的且つ摩訶不思議なのです。因みに関西のオメコですが、広辞苑を引くと「めこ」で「女子」「妻子」(※13-2~※13-3)と出て来ます、これが関西の名称の語源かどうかは知りませんが。まぁ、何れにしても「”むくつけき”ふぐり」(※14)よりも、凹みの方が秘めやかで奥床しいので女性器の呼び名が圧倒的に多いのです。
 そこで「ふぐり」を詠んだ狂歌を一首(△6のp81)。
    姫松の 姥(うば)となるまで かはらじな
      我れにふぐりの あらん限りは
                             卯雲

 ■「文化スケベ学」基礎講座[2] - 江戸の粋(いき)と性愛学
 江戸時代というのは性愛学(※15)が物凄く発展した時代で、極致と言って差し支え有りません。今の時代の様に四角四面で野暮で無く、もっと洒落遊びが有り固定観念に囚われず精神が自由に羽搏いて居ました。江戸260年間の太平安楽は町人文化の爛熟を齎し、私が江戸ダンディズム(※16)と呼ぶ所の社会は「粋(いき)」が生きる上で重要な価値基準だったのです。

 (1)江戸の女子教育のパロディー本 - 好色本の『女大楽宝開』
 「接して泄らさず」(→後で詳論)(※17、△7のp98)でその名を知られた貝原益軒(※17-1~※17-3)の書として広く女子の修身に用いられた『女大学』(※17-4~※17-5)ですが、実は本屋が益軒の名で『和俗童子訓』 -「益軒十訓」(※17-3)の一つ- から編集した本です。ですが貝原益軒は当時有名人でしたから益軒著として通用し、又その方が売れたのです。『女大学』は儒教道徳(=封建道徳)が前面に出たカタイ内容ですが、これのパロディー本が現れました。それが『女大楽宝開(おんなだいがくたからばこ)』(開茎へき軒(かいまらへきけん)著) -「へき」は「尸」偏に「西」旁- という好色本(※18)です。著者名からして「遊び心」が溢れて居ます。以下に【参考文献】△5のp11~26に従い少し内容を見て行きましょう。

 女大学:それ、女子は成長して他人の家にゆき、舅、姑につかうるものなれば、男子よりも、親のおしえ、ゆるがせにすべからず。父母が寵愛して、ほしいままに育てぬれば、夫の家にゆきて、かならず、気ままにて、夫に疎まれ、または舅のおしえ正しければ、耐えがたくおもい、舅をうらみて、誹りて仲悪しくなりて、ついには追い出され、恥をさらす。女子の父母、我がおしえなきことを云わずして、舅、夫の悪しきことのみを思うはあやまりなり。これ、みな女子の親のおしえなきゆえなり。
 女大楽宝開:それ、女子は成長して他人の家にゆき、夫につかうるものなれば、色道の心がけ第一なり。父母も、もとよりその道を好みたるゆえに、子孫も尽きざるなり、女子はみだりに、おやおや性道にきびしければ、かえって、するどく害になりて色気をはなれ、愛嬌をうしない、夫の心かなわざること、かくあるゆえに、成人ののち、両親をにくみ、夫婦の仲悪しくなり、ついには追い出されて、法界ボボ(※7-1)となること、まことに悲しきことにあらずや。これみな、親、おのが若きとき、淫乱をわすれ、きびしく育てたるゆえなり。


 女大学:女は容貌(かたち)よりも、心のすぐれるをよしとすべし。心ばえよきなき女は、心、さわがし。眼(まなこ)おそろしく見出して、人を怒り、言の葉あらく、物言い険(さが)なく口ききて、人に先だち、人を恨み、嫉み、わが身に誇り、人を誹り笑い、われ、人に勝り顔になるは、みな女の道を違えるなり。女はただ和(やわ)らぎ、したがいて、貞信に、情けふかく、静かなるを淑(よし)とす
 女大楽宝開:女子は容貌(かたち)よりも、心、和(やわ)かなるをよしとすべし。心ばえよしなき女子は心さわがし。眼(まなこ)おそろしく見出して、人を怒り、詞(ことば)は荒らかに、物言い険(さが)なく、閨中(ねや)に入りて、夫への肌ざわりあらく、茎(へのこ)(※14-1、△5のp212~213)などの持ちあつかい継子(ままこ)ざわりのごとくして、茎(へのこ)に傷をあたえることなり。


 因みに、「法界ボボ」とは尼のこと、「へのこ」江戸好色本には良く出てくる語で男の一物(古くは「篇乃古」と書いた)(※14-2)、特に勃起した一物を指します。カタ物の益軒が男尊女卑の儒教道徳を押し付けているのに対し、開茎先生は父母も、もとよりその道を好みたるゆえに、子孫も尽きざるなり」と諭し、これは生物学に照らして極めて真っ当で「文化スケベ学」の根本思想にも合致します。開茎先生の主張をもう少し聞いてみましょう。

 女大楽宝開:一、女子は玉門のそうじ(※7-2)を第一にすべし。立居振舞い悪しきにおいすれば、色をうしない、夫の心かわること、成るべし。
 一、婦人は夫の食事に心をつくすべし。交合、一夜に五、六へんも行いたるその翌日は、いかなるつよき男にても、体中は荒れ、悪しき食事すれば躰(からだ)をそこない、身をうしなうことあり。ずいぶん、やわらかき飯に、菜は雪塩か、煮ぬき玉子などよし。


 臭マンは適わないですな、御尤も御尤も。しかしアソコの匂いは性フェロモン(※19)ですから無臭よりも適度に有った方が宜しいと私は思いますね。しかし単に匂いだけの問題では無かったのです、現代では更に重大な問題が浮かび上がって来ました。何と父親が二人居る双子 -これを我がサイトでは2003年に”双子のハム”と名付けて居ます- が生まれたのですが、「玉門のそうじ」現代の状況に於いて実に含蓄の有る言葉だったのです。因みに、この様な先見性当サイトの重要なコンセプトの一つです。それに「一夜に五、六へん」も遣って翌日メシを食おうとは相当タフですな、そういう人は「四斗樽」行けまっせ!!
 まぁ、そういう訳で江戸時代は町人の好色(=スケベ)が極限迄開花しました。

 (2)源氏物語のパロディーが流行った江戸時代
 小粋(こいき)で気が短く軽薄でスケベ好きな江戸町人は、戯作(げさく)(※20~※20-2)という通俗的な娯楽小説を好み、中でも特に『源氏物語』のパロディーは大変流行りました(△8のp205~206)。井原西鶴の『好色一代男』 -これは好色本の代表格(※18)で、『源氏』54帖という形式のみのパロディーで主人公の世之介の7歳から60歳の54年間を全54章で描いたものですが、この世之助が鈴木春信に依って更にパロられ『艶色真似ゑもん』(→後出)が作られて居ます(△9のp68)- もそうですが、何と言っても柳亭種彦(彼も戯作者、※21)作、歌川国貞(3代豊国)(※21-1)画の『偐紫田舎源氏』(これは合巻という戯作本、※21-2~※21-3)は一世を風靡しました。需要有れば供給有り、字の読めない無学な町人たちにも「絵」でその需要に応えたのが浮世絵師 -浮世絵(※22)は版画ですので絵師彫師摺師の三位一体の技- でした。浮世絵師の国貞は『艶紫娯拾餘帖(えんしごじゅうよじょう)』『吾妻源氏』『正寫相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』 -これを国貞の「三源氏」と言います(△10のp250)- という艶本春画の絵本)(※22-1~※22-2)を出しますが、中でも『花鳥余情 吾妻源氏』(1837(天保8)年頃刊、△10のp247)は春画の極みです。そして『吾妻源氏』の前に付く『花鳥余情』(※23)とは『源氏物語』の注釈書(一条兼良著)のパロディーで、『吾妻源氏』の序文に『花鳥余情』の序文をその儘流用して居るという、中々凝った作りなのです(△10-1のp33)。艶本の場合、絵師の実名で発行する事は無く、国貞も婦喜用又平(ぶきようまたべい)という隠号を用いました(△10-2のp4~8、40~48)。何故か?、御縄の危険性が有るからです。これについては後で詳しく論じましょう


 左の図(△10-2のp4~5より)をご覧下さい。平安貴族の男(光源氏)が御簾(※24、※24-1)の向こうの一見恥ずかしそうにしている女 -女は「女三の宮」(※25)ですが髪型は江戸花魁(おいらん)です!- の衣裳に手を突っ込み、何やら弄(まさぐ)って居ます。男と女が何をしようとしてるのかは、手前の猫が媾合(まぐわ)っている(※26)ので想像出来るという趣向です。
 これは江戸の人間が平安の衣裳を着て『源氏物語』を演じている訳で、場面は第34帖の「若菜(上)」の「女三の宮」のパロディーに成って居ますので、興味有る方は是非原典を当たって下さい(△11のp354~355)。序でに言うと、媾合う猫で情景を暗示するのもパロディーです。私が知って居る絵は鈴木春信の『艶色真似ゑもん』(1770(明和7)年刊)の中の1枚で、国貞の『吾妻源氏』(1837年頃刊)よりも60年以上も前なのです(△9のp70~71、△10-2のp78~81)。

 そんな事より、早くアレを見せろ、という方には早速右の図(△10-2のp8より)の様に成る訳です。手っ取り早くて良いですね、江戸町人は気が短いですから、ワッハッハッハ!!
 国貞の艶本は30点を数えます(△10のp246~247)。最初期の『百鬼夜行』(1825(文政8)年刊)は「女陰の目を三つ持って、どてら(※27)を着た男根の三つ目入道などの妖怪が出て来る奇抜なものです(△8のp185)。

 (3)善がり声、四十八手
 善がり声も好奇に晒されたらしいですが、これは大体パターンが決まって居ます。「スーハーッ」で始まって「死ぬ死ぬッ(女語)」「行く行くッ(女語)」「アレ~~ッ、モウ~ッ(女語)」「イイヮ~ッ(女語)」「イイカ、イイカッ(男語)」「オ●コ~ッ(男語)」など、感極まって思わず発する声です。ここでも女語の方が男語より断然多いですが、男語は女性器の隠語が使われたりするので前に述べた通りイヤラシ語の「隠語は不滅」なのです。
 江戸川柳には
    死ぬ死ぬと 泣いて嬉しき 床の海
とか
    死にますと 云われて抜身を ぐっとつき
の様に、「死ぬ死ぬ(女語)」「死にます(女語)」という語が良く出て来ます(△5のp223)が、本当に言ったんですかねぇ。
 体位四十八手も有ります。浮世絵の創始者である菱川師宣(→後出)(※22)の『表四十八手』から幾つか挙げると、四手(よつで)は正常位、足違(あしちがえ)69(シックスナイン、※10-3)、男鹿戯れ(おじかたわむれ)は背面位etc、と色々在ります(△10のp34~39)。皆、創意工夫を凝らした体位(→後出)で秘密の饗宴を楽しむのです。

 ■「文化スケベ学」基礎講座[3] - 江戸の春画と浮世絵
 (1)春画 - 浮世絵師は皆エロ絵師
 江戸の春画・好色本の取締(※22-1、※18)は、享保7年のあと、寛政2年(1790)10月天保12年(1841)12月と、都合3度行われている」と在ります(△10-1のp26)。その少し前に享保7年(1722年)11月、初めて春画・好色本に対する禁令が発布された」と在ります(△10-1のp24)から、これを纏めると
    1722年(享保7年) 11月
    1790年(寛政2年) 10月
    1841年(天保12年)12月
の3回行われました。俗に享保の改革(将軍吉宗)・寛政の改革(松平定信)・天保の改革(水野忠邦)と言われる奴で、国貞が御縄を恐れたのは天保の取締です。公序良俗に反すると断定されれば出版物や版木は没収とか絶版、本人は罰金とか手鎖××日とか牢獄にブチ込まれたりします。だから春画を「あぶな絵」(※22-3)とも言うのです。前に人形浄瑠璃について書きましたが、江戸の”改革”は得てして為政者の手詰まりから大した理念も無く行われた嫌いが有り、それだけ民衆のエネルギーの方が既に為政者が抑えきれない程大きく成って居た、という事です。
 一方、当時江戸では身分の或る程度以上の家庭では娘の嫁入り道具の中に男女の絡み合った浮世絵の春画をそっと忍ばせて嫁に出したのです。皇室では現在もこの習慣が残って居ます(△10-1のp24~25)。そう成ると春画の取締にも自ずと”落とし所”が有ったと考えられます。先の『女大楽宝開』では無いですが「性生活の知恵」を教えるという事も絶対必要な事ですから。
 ところで春画を描いた浮世絵師とは一体どんな絵師?、エロ絵師?、と思うかも知れませんね。ところが浮世絵(※22)というのは菱川師宣に依って創始されましたが師宣からして春画の第一号 -切手にも成った肉筆画「見返り美人」で有名なこの絵師は沢山の春画を描きました(前出)- なのです。詳しくは△10のp13~40をお読み下さい。以下、西川祐信・鈴木春信・勝川春章・鳥居清長・喜多川歌麿・歌川豊国・葛飾北斎・渓斎英泉・歌川国貞(3代豊国)・歌川広重・歌川国芳などが春画を描き、有名な絵師で春画を描いてないのは東洲斎写楽位なもんです。つまり浮世絵師は皆エロ絵師だったのです、正に反骨精神(※28)の面目躍如です!
 更に絵師だけで無く、浮世絵は絵師彫師摺師の三位一体の技なので、絵師の背後には彫師・摺師(→その「究極の仕事」は後で触れます)が居るのです。では何故浮世絵師は皆エロ絵師なのか?、それについては「江戸時代とはどういう時代か」(→後出)を理解する必要が有ります。浮世絵は奥が深いのです!!
 ここで、貴方(貴女)が浮世絵の初心者ならば広重の『東海道五十三次』辺りから少し”お勉強”を始める事をお薦めします、初心者ならばこの本(△12)が良いでしょう。「まず硬派をマスターしてから軟派に入るべき」なのです(△10のp20)。
 私は浮世絵の硬派はマスターして居ますので、只管(ひたすら)軟派を続けます、ワッハッハッハ!!
 左の図は1669(寛文9)年刊行の『枕屏風』より。菱川師宣と略同時期の絵師ですが、その名は伝わって居ません(△10-2のp66)。
 風呂場でのセックスです。これも創意工夫を凝らした体位と言えるでしょう。
 外では風呂焚きが風呂を焚いて居ますが風呂場は見えません。しかし、音がちょっと変だな...、てな訳です。通り掛かりの女性も風呂場に視線を。ちょっとユーモラスです。

 さあ、次が『東海道五十三次』の歌川(安藤)広重です。広重は春画は不得意でしたので歌麿の構図を借りたりして居ます(△10のp277)。
 広重は艶本は次の3つを描いてます(△10のp265~266)。
    春の夜半    1851(嘉永4)年刊
    絵暦(逸題)  1855(安政2)年刊
    春情仮の戀   1856(安政3)年刊
 広重は風景画しか描いてないと思い込んでる人の為に、敢えて拙い広重の絵を載せます。それが右の図です。『春情仮の戀』の1シーンで、夜も更けて障子が開いている向こうには女が呆れてこちらを見て居ます(△10のp274)。
 広重が春画を描いた時期は家計が苦しい時でした(△10のp279)。

 次は葛飾北斎・お栄(※29)の合作の艶本『喜能會之故真通(きのえのこまつ)』(1814(文化11)年刊)です(△9-1のp150~151)。お栄は北斎の娘で晩年の北斎を手伝い、唯一人の女枕絵師(号は應為(※22-2)でした。
 北斎の艶本は18点在るそうです(△10のp206~208)が、この絵は美術史的に非常に価値が高いものです。大蛸が女性の性器に食らい付き小蛸が女性の唇を吸うという超奇抜な構図には、息を呑む程に驚かされ圧倒されます。しかも女性の表情が実に良い(←この女性を描いたのがお栄です)、エクスタシーの表情です!!

    ◆私の心を惹き付ける北斎の「琉球八景」
 ところで、これは沖縄に来てから知ったことですが、北斎の『琉球八景』が在るという事を初めて知りました(△13のp29)。えっ、北斎が沖縄に来たの?
 来て居ません、それは早合点と言うものです。これは周煌の『琉球国志略』(※30)の和刻本に「琉球八景」という挿絵 -今の那覇市の風景で、街があの頃とすっかり変わって仕舞ったので当時を偲べる風景は殆ど残って無い- が載って居て、これを元に北斎は1832(天保3)年の琉球王の使節の「江戸上り」に併せて刊行したものです。当時「江戸上り」は江戸町人の好奇の的(まと)で、「琉球八景」は江戸の土産物として売られました。しかし私が驚くのは原図は拙い白黒の絵、ところか北斎のはカラーの浮世絵で恰も見て来た如くの見事な出来で、原図を遥かに凌いで居る点です。『富嶽三十六景』の筆力は伊達じゃ無いですゾ!!
 私は何時か『琉球八景』について書いてみたいと密かに思って居ます、北斎の晩年は小布施に行ったりと余り知られて無い事実が在るのです。
    {北斎の『琉球八景』の段は2013年5月8日に追加}

 (2)彫師・摺師の究極の仕事 - 毳彫り・毳摺り
 浮世絵は絵師による肉筆画も在りますが、通常は木版画(※22-4)です。ですから絵師だけでなく彫師・摺師が必要なのです。通常は絵師の陰に隠れている彫師・摺師ですが、彼等の究極の仕事が在るのです、それが毛彫り・毛摺り -私は毳彫り・毳摺りと呼んでます- です。美人画の髪の生え際などがそうです(←上の図を見て下さい)が、特に春画に於いてはアンダー・ヘア(陰毛)が絵の質を左右するのです。
 右の図をご覧下さい、もう何処の部分かお解りですね(△10-2のp24)。この縮れた毛、これを描くんじゃ無く彫るんでっせ、彫刻刀で。そして彫り上がったら摺るんです、刷毛とバレン(馬楝)で(※22-5、△10-2のp56)。特に彫師は一番腕の立つ職人、即ち親方が遣るんですが細かい技なので眼を悪くするのです、眼が良い間の勝負なのです。口では曰く言い難い職人技の世界です。
 では職人技を磨く為に皆”真面目”に遣って居たのかと言えば、そんな事は無い、皆「遊び心」で遣ってたんです、ここの所を解って欲しいですな!!
 一方、絵師が眼鏡を掛けて妾の局部を写生する春画界では知られた歌川国虎の絵が在りますが、絵師はへのこは胡粉(※22-6)のすりこ木のやうになるし」と語って居ます(△10-2のp116~117)。そういう人知れない不断の努力をして居るのです。私は三度(みたび)繰り返しますが、浮世絵は絵師彫師摺師の三位一体の技なのです!!
 ところで、陰毛は何故縮れて居るのか?、これは大いなる謎の一つです。私は直毛の陰毛を見たことが有りません。当コーナーは2003年5月20日の開設ですが、私は既に2003年3月28日に、この大テーマについて掲示板に投稿して居ます。

 (3)江戸時代とはどういう時代か - 「遊び心」が有った職人の時代
 ここで江戸時代とはどういう時代か、について一つだけ言いたい事が有ります。それは江戸時代は今の様にサラリーマンの時代では無いという事です。この点がどうも皆さんも勘違いされてる様ですね。ではどういう時代なのか、と言われれば職人の時代なのです。では職人とサラリーマンとは何処が違うのか?
 サラリーマン個々人はマス(mass)の中に埋没して居ます -その為往々にして無責任です- が、職人とは個人業で個人に責任が在ります。マスメディアは未だ発展途上なので絵師と言っても収入は職人の手間賃だけです。これは他の職業でも同じで、例えば伊万里焼などでも作家料(=芸術料)などは無かったのです。芸術料が言われだしたのは明治末期で、特に浮世絵や焼物は外国人が価値を認めてからなのです。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 例えばゴンクール兄弟(※31)は浮世絵の芸術性に早くから注目し「浮世絵の発見者」を自認して居ました。兄弟は春画にも注目し春画を多くコレクションし広く世界に紹介しました。日本人は残念乍ら浮世絵や焼物を「芸術品」とは見做さなかったのです、御陰でそれらは大量に海外に流出しました。

 そういう中で次第に職人は気難しく、しかし己(おのれ)の「技」には絶対の自信を持っている -これを職人技(前述)と言う- という職人気質が形成されました。浮世絵の絵師・彫師・摺師たちは互いに相手をライバル視 -個人業の当然の帰結です- し乍ら切磋琢磨し、私が江戸ダンディズムと呼ぶダンディー(※16-1)な社会を粋(いき)洒落で生き抜いたのです、「遊び心」を以て。

 (4)江戸の性文化は頂点を極めた - 町人文化の爛熟
 △10~△10-1などの本を出している浮世絵(春画)研究家で時代考証家の林美一氏の語る「いずれの国にあっても戦乱の世には芸術は硬化し、平和の世には軟化し大衆化する。」は名言です(△10-2のp63)。江戸時代の太平は町人文化の爛熟を齎し大衆は大いに太平安楽の成果を享受しました。そして江戸の性文化(=スケベ文化)最も洗練され頂点を極めたのです。それには浮世絵師たちの取締を潜り抜けての反骨精神が読み取れます。これ程の文化の洗練は以後の時代にも在りません。
 春画(※22-1)はどの時代にも在りました。しかし春画と言った場合、通常それは江戸時代の浮世絵の男女の秘戯図(=浮世絵の春画を指すのです。何故か?、浮世絵の春画が、取り分け江戸のスケベ文化が他の追随を許さなかったからです。今のエロ・グロ(→後出)とは趣が異なるのです。尤も浮世絵も局部を強調してデカ魔羅(※14-3)とデカマンですが、ワッハッハッハ!
 男女の媾合いは洒落や諧謔を介さなくては”しんどい”のです、やはり。江戸の絵師たちは春画を枕絵笑い絵と呼んだり、果ては平安の『枕草子』に引っ掛けて「枕草紙」と呼んだりして洒落て見せるのです。それが彼等の心意気であり「遊び心」なのです。
 今は四角四面でクソ真面目で野暮で「遊び」の無い皆良い子ちゃんで安全第一の、畢竟つまらない、江戸ダンディズムとは正反対のスノビズムの時代(※16-2)です。

 ■「文化スケベ学」基礎講座[4] - 外国の性愛書と春画
 (1)中国 - 貝原益軒に引用された『備急千金要方』
 外国に眼を転じれば、先ずは中国ですね。中国には古くから道教(※32)が在り、その性愛の指南として”土俗的且つ神秘的”房中術(※32-1)が在ります。何故土俗的かと言えば道教はその成り立ちから漢民族と密接不可分であり、何故神秘的かと言えば道教の根底には仙人(=神仙思想)が登場し不老不死を希求するからです。と言っても人は死ぬ訳ですから現実的には長生(ちょうせい)術に成ります。房中術もそれに依って長生きする、という房中長生術なのです。実は貝原益軒の「接して泄らさず」(前述)も元々は道教の房中長生術に在るのです。以下でそれを述べましょう。

    ◆貝原益軒の「接して泄らさず」は孫思邈の『備急千金要方』が元
 唐の孫思邈(そんしばく、?~682年)に依り編纂された『備急千金要方』(びきゅうせんきんようほう)という医薬文献が在ります。この『千金要方』の中の「房中補益」の章に大意「40歳に成ったら房中術が必要だ。一夜に10人の女を御しても閉固(へいこ)するだけのことだ。これに滋養強壮薬を併用すれば気力百倍、新しい知恵も湧いてくる。」と在ります(△14のp20~21)。ここで二つの大事なことを彼は言って居ます。即ち「40歳を過ぎたら体力が衰えるので房中術が必要」で、そのコツは「閉固」つまり「精を泄らさない」ことなのです。
 そこで貝原益軒の『養生訓』を詳しく見てみる(△7のp98)と、「孫真人が千金方に、房中補益説あり。年四十に至らば、房中の術を行ふべしとて、その説、頗る詳(つまびらか)なり。その大意は、四十以後、血気やうやく衰ふる故、精気をもらさずして、只しばしば交接すべし。如此すれば、元気へらず、血気めぐりて、補益となる、といへる意(こころ)なり。ひそかに孫思邈がいへる意をおもんみるに、四十以上の人、血気いまだ大に衰へずして、槁木・死灰の如くならず、情慾、忍びがたし。然るに、精気をしばしばもらせば、大に元気をついやす故、老年の人に宜しからず。ここを以て、四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気をば泄らすべからず。」と言ってます。ここで「千金方」とは『備急千金要方』のこと、孫真人とは孫思邈のことを指すのは明白です。益軒は『備急千金要方』を引いていたので詰まる所、「接して泄らさず」の考えの元は孫思邈の『備急千金要方』(その中の「房中補益」の章)に在ったのです。因みに我が国には遣唐使が持ち帰った資料を丹波康頼が纏めた医学全書『医心方』(※33)が在りますが、その第28巻「房内」は性愛文献として好事家には知られて居ます(△14のp27)。

 道教では陰陽で物事を考えます。即ち
    陽:天、男、日、火、...
    陰:地、女、月、水、...
です。天と地は媾合(まぐわ)い、日と月は媾合い、男と女は媾合う。これ自然の道理なりという訳です(△14-1のp118)。曰く道教は「理解するものではなく、で感じ取るもの」だそうです(△14のp1)。
                (*_@)

 それでは中国の春画を見て行きましょう。オランダ人のR.H.ファン・フーリック(1910~1967年)は1951年に『秘戯図考』 -第1巻『秘戯図考』、第2巻『秘書十種』、第3巻『花営錦陣』、全体を纏めて『秘戯図考』と言う- を私家版として出版しました(△14のp33~34)。その内の第3巻『花営錦陣』より男女の戯れの図を2枚。
 左の図は良く引用される図です(△10-2のp64)。
 右の図は男が突き刺して居ますね(△14のp36)。2枚共殆ど漫画です。
 ところで2枚共女性の足が小さいですが、これは纏足(※34、※34-1)に因るものです。纏足は20世紀前半迄行われ、足が小さい事は「美人の条件」とされて居ましたが、その条件を作ったのは男性です。纏足の足は歩くとアヒルの様に尻が左右に揺れ、それがセクシーで良いと言うのですから漢民族のセックス観は相当”変”です(△15のp97~106)!!

 (2)インド - 性典『カーマ・スートラ』
 4~5世紀にインドで成立した『カーマ・スートラ』(※35) -「性愛の経典」という意味ですが、作者のヴァーツヤーヤナについては詳細不詳- は非常に著名な性愛文献、寧ろ性典と呼ぶべき存在です。グプタ朝最盛期(※35-1)の4~5世紀に出来た本書は、当時新たに登場したナーガラカ(都市生活者)と呼ばれる富裕層を対象に書かれました。
 経典は概論、男女の性交、処女の嗜み、妻の努め、人妻との交渉、遊女について、愛の秘法、の7章から成って居ます(△5-1のp8~12)。インドには古代から厳然とした階級制度(=カースト制度)(※35-2~※35-3)が在り、当時は女は男の”持ち物”に過ぎず、当然一夫多妻でした。
 右の図は18世紀に描かれた絵です(△5-1のp165)。凄いアクロバット的体位ですが、体位の選択も当時はが決めたのです。
 セックスは王様だろうと不可触民(=アンタッチャブル(untouchable))(※35-4、33-5)だろうと、遣る時は一緒です。或る意味でセックスをしている時、人間は対等且つ平等に成れるのです。皆、裸に成って、この絵の様に創意工夫を凝らした体位で遣るのです、ワッハッハッハ!
 因みに、日本にだって士・農・工・商という身分制度の枠外に穢多とか非人が居ましたゾ、江戸時代迄は。彼等もアンタッチャブルです。
 『カーマ・スートラ』の秘法はその後タントラ(※36)に採りいれられ、日本にもタントラ密教とかヨーガ(※36-1)として部分的に伝えられて居ます(→後出、△16のp154~159)。

 (3)ヨーロッパ - ローマの『アルス・アマトリア』
 ヨーロッパではローマの『アルス・アマトリア』(※37)が古典的性愛書として有名です。これは「恋愛術」などと訳される全3巻(第1巻:男は如何にして女をものにするか、第2巻:ものにした女を如何にして保持するか、第3巻:女は如何にして男を籠絡するか(△17のp202))のエレギア詩形の詩集です。作者のプブリウス・オウィディウス・ナソ(B.C.43~A.D.17)は実に紀元前から紀元後を跨って生きた大変有名なローマの詩人です。彼は他に主著の『メタモルフォセス(変身物語)』を著し、優雅な形式美は一世を風靡しました。しかし『アルス・アマトリア』が余りにも官能的 -文化スケベ学的に言えば余りに露骨でスケベな表現- で在った為に、アウグストゥス帝に黒海沿岸のコンスタンツァに追放されたのです。我が国の浮世絵師たちが取締体制の中を体を張って春画を出したのと同じく、オウィディウスも身を挺して出版して呉れた事に感謝せずには居れません。そして『アルス・アマトリア』もローマの都雅(urbanitas) -やはり『カーマ・スートラ』と同じく富裕な新興都市生活者が対象- を賛美したのです(△17のp193)。
 詩は次の様に男の「恋愛の技術」の終局を説きます。「よろしいかな、愛のまじわりのよろこびは、...<中略>...(女の)眼がかすかにふるえながらきらめくのを、君は見つめることになるだろう。哀願の声が発せられ、耳をくすぐるささやきが漏らされ、甘いうめき声と愛のたわむれにふさわしいことばが聞かれよう。ではあるが、君はより大きな帆をかけて、女より先に突っ走ってはならないし、女を君に先んじて走らせることもならぬ。同時にゴールに到着するよう、ことを進めるがいい。男も女も共に等しく力尽きて身を横たえるときこそ、心ゆくまでよろこびを味わえるのだ。」と(△17のp94、第2巻)。まぁ、当たり前の事を言っているのですが、寧ろここに来る以前の諸々の駆け引きにこそ、この詩を味わう妙味が在るのです。興味有る方は是非『アルス・アマトリア』を読んで戴きたく思います。

 ■「文化スケベ学」基礎講座[5] - 人間は何時から大人か?
 スケベな事が出来るのは何時からか?、言い換えると人間は何時から大人(おとな)か?、という問題について私の見解を披露しましょう。多分、「常識的な一般人」とこの点についての意見が甚だしく異なると思いますので。
 現在の日本の法律では、男が18歳女が16歳以上です(※38)。「常識的な一般人」はこれを持ち出す筈です。しかし、何を根拠に?、と言うと根拠薄弱と言わざるを得ません。
 法律というのも言わば方便ですから、方便としてそれを定め、それに従って行く、のは一応納得は出来ます。しかし人間以外の全ての生物は違います。彼等は法律など有りませんから、全て本能に従って生きて居るのです。それで何ら不都合な事は無いのです。では人間以外の生物は何時から大人か?、それは生殖活動が出来たら大人なのです。又、そういう生物を見て人間も”当たり前”と思って居ます。野良犬や野良猫の生殖活動、もっと解り易く言えば”サカリが付いた”犬猫は、もう大人として見る訳です。私などはトンボの連結、蝶の2匹の舞などを見ると感じます。つまり生物学的根拠(←或いは動物学的根拠と言った方が良いかも)に従って居るのです。
 では人間は?、ここで「常識的な一般人」と私とで意見が水と油の如くに分かれます。私は人間に於いても大人の資格は動物学的根拠に従うべきであると考えます。即ち、女は初潮(※38-1)で、男は勃起し”白いモン”が出たら生殖能力が具わった訳ですから、この時から大人なのです。戦前位迄は娘の初潮を赤飯尾頭付きの鯛で祝ったものです。この時期の少女は初潮を迎え一辺に大人に成りますが、男はチンポから”白いモン”が出ても相変わらずで、女子の方がずっと大人です。初潮を詠んだ川柳から一句載せましょう(△18のp21)。
    姫君の 御乗り出し 十三四から

 一方ロリータ・コンプレックス(略してロリコン)(※39)という言葉が在りますが、ロリコンは異常少女性愛者なんかでは無く、極めて真っ当な審美眼・美意識の持ち主です。花は蕾が開く瞬間が最も美しいのです。但し、初潮後の蕾は真っ当ですが、初潮前の堅い蕾を狙うのは変質者ですゾ、ワッハッハッハ!!
 既に私はこのことを前から述べて居ます。動物学的根拠については
  接頭語ダッチについて-蘭学オメ始(The 'Dutch', let's start Dutch language)
を、ロリコンについては
  超甘コンプレックス論(Super sweet theory of COMPLEX)
をご覧下さい。これらは何れも2003年の「掲示板のおちゃらけ議論」に於いてです。

 さて、私の考え方が間違って居ると多分考えるであろう「常識的な一般人」に対し、私の動物学的根拠に依拠する考え方こそ正しいのだ、という事を申し上げたい。私の考え方は江戸時代迄は極当たり前の考え方なのです。皆さんも未だ元服(※38-2)という儀式が在った事はご存知でしょう。これは男子(後に女子にも拡張)が大人に成った事を世間に知らしめ祝う通過儀礼です。歳は11~17歳と在りますが、大抵の場合15歳迄には済ませました。平安時代にはもっと早く12歳位で元服をし大人に成って居るのです。この頃の歳の数え方は”数え年”ですから満年齢は1歳位下です。これは明らかに動物学的根拠に基づいて居るのです。更に十三参り(※38-3)は13歳の正装した男女を大人として祝う寺の儀式ですが、これも動物学的根拠に基づいて居ます。
 日本や世界の先進国は晩婚化し大人の動物学的根拠と法的根拠が乖離して居ます -世界の先進国も1850年頃から晩婚化して居ます- が、先程も言った様に法的根拠は方便に過ぎず根拠薄弱なのです。陰湿な性犯罪の多発など、この乖離の影響は「性の疎外」として表れ、この乖離を埋めるべく何らかの補完が必要と考えます。それに対し世界の後進地域では依然として早婚で動物学的根拠に近いのです。ここから後は私の手に余るので社会科学者に任せましょう。ここで繰り返しに成りますが、人間以外の生物の大人の資格は全て動物学的根拠に従って居るという事を善く善く考えて戴きたく思います。

 ところで私は嘗て『源氏物語』を引き合いに出して、動物学的根拠が平安時代では普通であった事を述べて居ます。今それをもう一度ここで引き出すと、先程の「超甘コンプレックス論」では「あの光源氏が若紫(後の「紫上」)を見初めたのも、確か源氏18歳若紫10歳の時です(△11-1のp162)。そして紫上が14、5歳の時にとします(△11-1のp348)。当然の審美眼を異端視して押し込める現代こそが病理であると私は考えます。」と述べ、又「接頭語ダッチについて-蘭学オメ始」に於いては「本当の性の喜びはこの”育てる”行為の中に在るのですゾ。そう言うと又、皆さんは私をイヤラシイとお思いに成るかも知れませんが、この幼女を育てる喜びは、あの『源氏物語』の中心テーマ(△11-1のp209~218)です。」と述べて居ます。ちょっと補足すると、若紫が10歳では未だ初潮は無いものと思われ、だからこそ源氏は「幼女を育てる喜び」で代償して待つのです。そして14、5歳に成って初潮も過ぎ(この時源氏は22、3歳)て、前妻の葵上の喪が明けたので源氏は晴れて紫上をにするのです。『源氏物語』江戸時代の浮世絵師たちだけで無く私も良く引用しますが、多くの示唆を含んで居ます。これらは2003年の掲示板に投稿したものですが私の意見は今も全く変わって居ません!!
                (*_@)

 以上で「文化スケベ学」基礎講座を終わります。
  「文化スケベ学」基礎講座[1] - 豊かな女性器の呼称
  「文化スケベ学」基礎講座[2] - 江戸の粋(いき)と性愛学
  「文化スケベ学」基礎講座[3] - 江戸の春画と浮世絵
  「文化スケベ学」基礎講座[4] - 外国の性愛書と春画
  「文化スケベ学」基礎講座[5] - 人間は何時から大人か?
 今回、上記の基礎講座を開きました。これでエロティシズム(eroticism)(※40)についての基礎知識が正しく頭にインプット出来たと思います。応用編の掲示板の議論にも驚かずに入って行けると信じます!!

 ■考察 - セックスレスとスケベの効用
 (1)クローン世代(セックスレス世代)
 さて、今の人たちは「「文化スケベ学のすゝめ」の序の言葉」ショッキングピンクの文言に、どうも「異議有り」とは言わない迄も「異議無し」でも無い様に思えて仕方有りません。先ずショッキングピンクの文言をここに抜き出しコピーしましょう。

  されども人は皆、男と女の
    スケベな行為に因って造られるものなり。

 少なくとも私の年代位迄は上記の文言に異議を申し立てる様な不埒な人間は居りません。ですが今50歳以下の人たちの考えに、はっきり言って断絶を感じますね。こういう世代が我々と違った考え方を表して新人類(※41)と呼ばれたのが1986年頃からですので、もう彼此25年も前に成ります。という事は当時の20歳代です。もうこの辺りの記憶が曖昧に成り掛けて居ますが、当時の20歳代は略今の50歳以下の世代に成りますので計算は合います。つまり新人類の人たちが上の文言に「異議有り」と迄は行かないにしても「素直に認めたくない」と見受けられるのです。新人類と同じかどうかは知りませんが異星人というのも在ります。この世代の特徴はセックスレス世代(sexless generation)とかインポテンツ世代(Impotenz generation)などとも呼ばれて居る様に要するにセックスを嫌って居る訳です。それにはそれなりトラウマ(心的外傷)(※42)が有る筈ですが、女が強く成った所為なのか、男が草食動物の様にひ弱に成ったからか、そう言えば最近の若い男性は草食系などと言われて居ますね。
 セックスをする、ということについて実は男と女では心理的に受け止め方が違うのです。これは既に2003年の掲示板の議論に於いて論じて居ます。即ち、
    男:種 = 行為そのものが最終目的
    女:畑 = 収穫することが最終目的 → 生殖
と成ります。つまり男とは”遣る事”に興味の大方が有り余り生殖には関心が無いのです。ところが女の方は違いますね、常に生殖と絡むのです。基礎体温(※43)とか荻野式(※43-1)とか、子供が出来たら陣痛とかね。最終的に子供を生むのは女単独です。このページで見て来た江戸のスケベたちも基本的には男の論理に依って居ます。つまり生殖機能の違いから男と女ではセックスに対する考えは異なるのだ、という事をインプットして置いて下さい。
 私は2005年頃から、断絶 -世代ギャップ(generation gap)- を感じるこの世代をクローン世代(clone generation)(※44)と名付け”観察”を続けて来ました。クローンは人工的な単為生殖(※44-1)です。クローン人間 -未だ実現してませんが(→後出)- ならば羊腹でも豚腹でも牛腹でも選り取り自由、何だってセックスレスに出来ます。ゴリラ腹だって出来るでしょう。要するに今の技術では”借り腹”さえ在ったら良いのです、将来は”借り腹”が不要に成るかも知れません。

 そこでクローン世代(=セックスレス世代)についてエルニーニョが心理分析をして見せましょう。先ず江戸のスケベが居た頃の1850年から約160年しか経って居ませんが、その間の世界情勢は全く我々の考えの基盤を大きく変えて仕舞いました。もう我々は江戸のスケベたちと同じ土俵に立てなく成りました。
 クローン世代にはセックスが疎ましく忌まわしく、そして何よりも厳粛さや「人間の尊厳」に反する行為と感じられるのです。確かにセックスだけです、親がセックスする所を子供には見せられないのは。それなのに何故するんだ?、と。又、生殖器は尿の排泄器官と一緒に成っていて汚い、更には生殖器の話は”下(しも)ネタ”と言われますが体の上部にある”上(かみ)ネタ”と言われる器官、例えば眼とか口(←もっとイヤラシイんとちゃうの!)を利用出来なかったのか?、或いは生殖器は生殖のみの独立の器官に出来なかったのか?、と造物主に文句を付ける向きも在ります。これだけ科学技術が進歩し医療技術も格段に進歩しコンピュータが普及しインターネットで色々な情報を取得し、人類は今や宇宙にも飛び出しているのに、人間の生殖行為(=セックス)は陽の当たらない場所に押し込めれれた秘密であり旧態依然の儘である事は事実です。彼等は「人間の尊厳」と「子供に見せられない恥ずかしさ」の大きなギャップに板挟みに成って居るのです。因みに、浮世絵の春画では子連れの女と男が媾合ってる図が在ります(△5-2のp126~127)。但し、子供は眠っています、そらそうだよね、起きてたら出来ませんよ、ハッハッハ!
 確かに仰る通りです。セックス(性交)と生殖の矛盾です。人類はこの矛盾を抱え乍ら長い歴史を歩んで来ました。そこでクローン世代はセックスレスなクローン人間を夢想するのです。

 私はやはり江戸のスケベたちが好きですねぇ。この矛盾は言い換えると、気持ち良い事(性欲神聖な事(生殖との大きな乖離です。そこには心の葛藤が在り、それを煩悩(※45)と言うのです。しかし、だからこそ煩悩は昔から文芸作品(=文学や芸術)のテーマに成って来ました。殆どの文学では煩悩に囚われ悟り切れずに葛藤する姿が描かれます。一方、人間の本性を素直に認め洒落て見せる浮世絵の春画も在るのです。人生の裾野は広く奥深い。江戸のスケベたちはそれを感じ取れる豊かな感性を持っていた、と言えるでしょう。反対にクローン世代は「遊び」が無く四角四面で考えが薄っぺらい為、その感性が不足して居るのです。
 人間の本性を認め、そこから万物の在り方を追究し悟りに達するのは「理趣経」(※45-1、△16のp82、△16-1)が正にそうですね。これは既に見て来た『カーマ・スートラ』やタントラの影響を受けて、不空→恵果→空海と伝わった真言密教の根本経典です。尤も理趣経の教えを履き違えて性魔術に走った真言立川流(※45-2)も出現しましたが。「理趣経」についてこれ以上詳しく語ることは出来ないのです、何と成れば「理趣経」は当サイトの秘密の経典なのです、何卒ご理解を。経文について知りたい方はトップページの【快楽の園】エデンに自分で入って下さい。又、「北斗七星は天の茎嚢だ!」でも少し触れて居ます。

 (2)セックスレスと「生殖の国家管理」 - 未来小説豚腹風味
 これから益々スノッブ(※16-3)が進み四角四面な人が増え社会に「遊び」が無く成ると「生殖の国家管理」に向かうかも知れませんよ(←江戸の様にダンディズムの社会では国家統制を嫌うのですが)。これについても我々は2003年から議論して居ます。
 今、実験ではなどは既に成功して居り、人間(ヒト)も技術的には可能ですが宗教とか生命倫理の点で折り合いが付いて無いという状況です。しかし、皆さん、今迄宗教とか倫理の側が勝利した事が有るでしょうか?、答えはです、一度だって有りません。戦争を見れば明らかです。つまり、近い将来にクローン人間の時代は必ず来ると思います。近未来...。

 もう貴方の子供は要らないのです。今より進んだ社会では「選ばれた優秀な人間の極少数の精子」を精子バンクに大量に保管し、極少数の優秀な人間の子供のみをセックスレスに、即ち人工的に”工業的”に -つまり品質管理すること- 作るのです。国家から見たら優秀な人間を残すのは当然の論理です。「選ばれた優秀な人間」とは、例えば東大を100番以内で卒業(東大にもバカは居りますから)、オリンピックのメダル獲得者etcです。クローン世代(セックスレス世代)の精子も殆ど不要、何故ならば貴方たちの殆どは国家から見て優秀では無いからです。つまり、殆どの男は「生殖から疎外」されるのです。私だって疎外されます(生きてませんが)。女性の方は”借り腹”が必要な間は一定の”借り腹料”で腹を提供するので”借り腹”の需要が有る限りは「生殖から疎外」されません。しかし”借り腹”のシステムが変わった場合はこの限りでは有りません。子供の教育も「選ばれた優秀な人間」が行います。
 この段階で既に「一夫一婦制」の下での結婚という概念は疾っくに壊れて居ます。親子という関係はもう無いのです。だってそうでしょう、父親と言っても自分の精子が使われただけで、通常はどの子に使われたかは知らされません。母親にしても”腹を貸した”だけです。しかし一度、豚腹から生まれたクローン人間がノーベル賞取ったりしたら大変です。もう人間の”借り腹””貸し腹”を止めて全て”動物腹”を使います。女性は生殖から完全に解放されるのです。出生率も人為的にコントロール新生児の性 -所謂、男女の産み分け- も国家が決められる様に成っているかも知れません。最早、新生児は”工業製品”なのです。そうして国家は頭の良い人がノーベル賞を沢山取り、強い体力の兵士と優秀な兵器で強力な軍隊を持つ「強い国家」が作られるのです。
 で、生殖から疎外された男性はどうするか?、と言えば疎外されても欲望は治まりませんから、そういう圧倒的多数の男性用に風俗産業が大量に必要に成る訳ですね。彼等はそこで生殖と関係無い精子を大量に放出する訳です(←臭いですな!)。生殖から完全に解放された女性も風俗産業で働きます、”搾精”要員(←我々はこんな議論は2003年に既にして居ます)として。国家予算の半分は風俗産業が稼ぐのです、ブワッハッハッハ!!
                (>o-)

 余り笑ってばかりも居られませんね。今、世の中が急速に進歩して古い価値が壊され新しい価値が生まれて居ます。100年後の社会が想像出来ない所迄来ています。100~200年後に「生殖の国家管理」をする国家が生まれる確率は可なり高いと思って居ます。我々は20世紀にヒトラーをも経験して居ます。「歴史は繰り返す」 - 私はこの言葉こそが「歴史の真実」を言い当てている様な気がします。
 嘗て”試験管ベビー”と呼ばれた人工授精児に当時の人々は最初違和感を持ちましたが直ぐに慣らされ何とも思わなく成りました。その後クローン野菜が出た時も人々は最初驚きや違和感を持ちましたが又直ぐに慣らされ何とも思わなく成りました。そしてクローン人間も。私はこれを2003年に出産ゲームと喝破しましたが、工業的に品質管理された人間も間も無く登場するでしょう。だって皆さん、日本に生活してて、逆に工業的に品質管理されて無い物って直ぐに思い付きますか?
 だから私の言う「工業的に品質管理された人間」も直ぐに慣れますよ、私はその頃は生きて無いですが。為政者はクローン人間を創りたいという心の深層の欲望が有るのです。反対者は”現ナマ”で買収すれば良いのです、今迄も殆どこの方法が使われました。
 しかし、私は嫌ですね。貴方(貴女)の様な人も居れば -実はどんな人か全然知らないですが- 私の様なスケベも居る方が良いですね。人間は皆が皆優秀でなくても良いと私は思います。不揃いで良いのです。私はクローン世代にはこう言って遣りますよ「悦びを知らぬ生殖で生まれた子は喜びを知らない人に成る」とね。スケベには「男と女の悦びから生まれた子は更なる喜びを求める人に成る、さあ行け」とね、アッハッハ!

 ところで「工業的に品質管理された人間」の前には生物の進化に関わる重大な問題が横たわって居ます。進化のことは進化論を持ち出す迄も無くご存知でしょうが、進化論にはもう一つ「生物多様性」(※46)という重要なテーマが在るんですが「工業的に品質管理された人間」はそれに真っ向から対立して来る概念を含むのです。だから良く考えて戴きたいのです。
 「生殖の国家管理」をする社会を考えると、アリ(※47)とかハチの社会にそっくりです。女王アリは社会に君臨する「権力」の象徴であり、その周りの極少数の貴族アリ(←♂としての性交能力が有る)が居て、その他多勢の働きアリ(←アリでは生殖不能の♀、人間では性交を疎外された男(♂))です。つまり、我々(←特にクローン世代)が進歩したと思う社会が実は”アリ/ハチの社会”だという、何とも皮肉な話です。人間の浅はかな知恵よりも造物主が構築した生物界はずっと広い「裾野の広がり」を有しますが、この「裾野の広がり」が先程述べた「生物多様性」なのです。

 (3)出版者「蛙ブックス」のマーク

 ところで、右のマークですがこのマークは今は私の
        かわず
    出版者 蛙ブックス


のマークに成っていて、私の封筒とか名刺に印刷されて居ます(←出版社では無く個人で登録したので出版者に注意!)。このマーク -実はこのマークは以前の有限会社オメガシステム(←今はもう有りません)から引き継いで居ます- には或る隠された意味が込められて居るのです。今回は「文化スケベ学」事始という事なので、特別にその意味を御開帳しましょう、ムッフッフ!

 即ち Ω は「空」を表し、 は複素極座標系の座標軸を表して居り、同時に数字の1(始原、陽の数)を表し、又貫く力、即ち勃起力を表して居るのです。そして、 が Ω を貫いて居ます、即ちこれは男女和合を表し、同時に太極(宇宙万物の元始)を表して居るのです。

 このマークは1993年秋に、その後リチャード・プーなどと名乗って当コーナーに我が物顔で登場する”我が弟子”にデザイン料10万円を払って作って貰いました、1993年は有限会社オメガシステムを作った年なのです。そしてこの議論も2003年に遣って居ます、もう10年も前ですね。この様なマークを表現する言葉としてオメッキー(Omecky)(※48)という造語も用いて居ます。貴方(貴女)が関西のオメコ文化圏に精通して居られたら、この言葉の素晴らしさに気付く筈です、ブワッハッハッハッハ!!

 ところで私は前から思って居ましたが、オス(♂)メス(♀)の記号ですが、この記号は実に良く出来て居ますね。は明らかに勃起したペニス(※14-4)です。はと言うと陰門を開いた(=性交の準備OKの)ヴァギナ(※7-3)です。
 元に戻って、オメガシステムという名前はオメコを捩って付けた名です、つまりパロディーです。でもオメコシステムでは許可されない、それでコをガに変えて申請したという訳です。もうそれ以前に十分儲けた私は”仕事をしない会社”を作ったのです。これは洒落であり皮肉ですな。そして夏は半ズボンを穿き一年中自転車に乗って遊んでましたね。まぁ、この辺の事はリチャード・プーなど部分的になら知ってますが全貌については私以外は知りません。これについては別途書くかも知れないし、或いは書かないかもね。
    {この「蛙ブックス」のマークの節は2013年10月16日に追加}

 ■沖縄には「漫湖(まんこ)」が那覇市のド真ん中に在る!
 沖縄の皆さん、私は2013年3月18日からウチナーンチュ(沖縄の人)に成りました(→何故沖縄に来たかは最後に詳述)。
 さて、沖縄では漫湖というのが那覇市のド真ん中に在るんですが、これ何て読むかご存知ですか?、答えは「まんこ」です。私の家から自転車で20分足らずで着きます。内地は関東のオマンコ文化圏関西のオメコ文化圏とが勢力を競って居ますが、沖縄は内地の勢力争いなど「屁のカッパ」、悠然と”我が道”を堂々と行ってます。「まんこ」「めこ」は沖縄では全然イヤラシく無いのです、と言うのも沖縄でイヤラシイのはホウミ(宝味)だからです。

    ◆東京では絶対造れない「まんここうえん」
 漫湖(まんこ)は沖縄県那覇市と豊見城市に跨る干潟で、漫湖公園には野球場なども在り市民の憩いの場と成って居ます。干潟にはクロツラヘラサギなどの珍しい渡り鳥も来るそうですが、私は全然見て無いです。
 しかし、「まんここうえん」をもし東京のド真ん中に造ろうもんなら暴動が起きますよ、東京では絶対に造れません。東京の「まんこ」、大阪の「めこ」は何人(なにびと)も神聖にして犯す事が出来ない”性域”なのです!!
 実は「2003年・福岡&大分食べ歩る記」というページの福岡県甘木市で撮った写真に載っている娘(こ) -二人居るけど前の小母さんでは無く後ろの娘- は沖縄出身です。このページでは全然出身には触れてませんが私は宝味ちゃんと呼んでました。彼女は宝味ちゃんと呼ばれると物凄く恥ずかしそうな何とも言えない表情をしてましたね、もう時効だから良いでしょう。
 そう言えば沖縄には辺野古(へのこ)という地名が最近クローズアップされてますが、これは江戸時代に良く使われた、主に勃起した陰茎を表す「へのこ」(※14-1)と関係が有るんですかねぇ?
    {この章は2013年5月8日に追加}

 ■掲示板の議論の定着と「おちゃらけ議論」
 私は沖縄に来てからは本の出版を始めました、勿論自分の本です(出版者名は前出)。そして当コーナーの掲示板の議論を幾つか選りすぐって出版すべく今準備をして居ます。我がサイトの掲示板のコンセプトは
  掲示板ご利用の皆様に一言(Let's enjoy our BILLBOARDS !)
に記して在ります。最小限のマナーさえ守って貰えば何も言う事は有りません。皆で楽しく遣りましょう、という事です。

 (1)掲示板の議論の定着
 ここで、当サイトの掲示板の議論をどの様の定着させて居るかについて、今迄どこでも述べて無いので、ここで少し述べましょう。先ず、当サイトには
  <板-1>:死ぬまで生Web(ElNino's forum 1)
  <板-2>:外国旅行や芸術談義(ElNino's forum 2)
  <板-3>:日本再発見の広場(ElNino's forum 3)
の3つが有ります。<板-n>は<掲示板-n>という事です。掲示板というのはインターネット上で読者の意見を記録し同時に公開(=公表)するものです。新しい書き込みが上に成り(即ち逆時系列)、掲示板に依って違いますが、例えば100件が保存され、それ以上は自動的に削除されます。これを私は<板-n>毎に1ファイルに50件ずつ、逆時系列の儘ファイルに保存します。そうして出来た定着ファイルが35本在り、保存期間は2003年2月12日~2011年8月7日です。
 ところが「迷惑書き込み」(→後出)というのが有って、これを削除するのが結構大変な作業量です。私は言葉で掲示の内容を判定するという言葉狩りはしませんので、掲示板にはどの様な文章も入力出来ないと行けません。その事は当サイトのコンセプトにも謳って在ります。どういう事かと言うと、例えば言葉狩りをして居る掲示板だと「フェラーリ」という文字が文章の中に在ると入力エラーに成る事が有ります。「フェラーリ」とは車の名ですが、これを掲示板コンピュータはイヤラシ語が含まれると判断してる訳ですね。何故か?、もうお解りですね、「フェラ」が引っ掛かるんです。「フェラ」は「フェラチオ」(※10-2)の略と解されイヤラシ語と見做されるんです。この時は「フェーリ」と打ち直して取り敢えず逃げましたが、もうこの掲示板は使えないので、又新たな掲示板 -勿論、無料の掲示板です!- を探すのです。という訳で掲示板の選定が先ず結構大変で、入力は何でも可ですから「迷惑書き込み」は私が文章を読んで判断します、尤も文章を読まなくても明らかに「迷惑書き込み」と分かるものも相当有ります。
 これで一応定着の作業は完了で、定着の作業は機械的です。次に定着ファイルとはどんな内容か?、について述べましょう。当サイトでは予め話題を決めて居る訳では無いので、話題提供者はランダムな話題を持ち出します。それを受け手(←大抵の場合は私)が上手く受け継いで返します。すると提供者が又別の話題を提出する、そこへ第三者が割り込んで来る、第三者に返答する、...という具合です。話は支離滅裂に成り彼方此方へ飛び火し乍ら進み、打々発止(ちょうちょうはっし)に上手く噛み合う場合も有れば、余り噛み合わない場合も有ります。しかも匿名性(←通常ハンドルネームを使います)ですから話は”下へ下へ”と成り勝ちです。従って定着ファイルはどれも内容はスケベですが、掲示板投稿者の生(ナマ)の意見の記録なのです、ブワッハッハッハ!!

 (2)定着ファイルから話題別の「おちゃらけ議論」の作成
      - インターネットに公表するプロセス

 次は定着ファイルから議論を抜き出し(←この時に逆時系列→時系列に並べ替える)、話題別に議論を集約する訳ですが、これが一番大変な作業です。と同時にこの作業に依って話題別の「おちゃらけ議論」 -このコーナーは「快楽主義者のお喋り集」と銘打って居る通り議論は全て「ちゃらけ」て居て、それを読み解くキーワードは「言葉遊び」です- が面白いか面白く無いか決まりますが、これは曰く言い難い作業ですね。言葉で言うのは難しいです。定着ファイルは機械的作業で言わば客観的 -誰が遣っても同じものに成ります- に生成されますが、話題別の「おちゃらけ議論」は100%私の主観に基づきます。もし違う人が遣ったなら、全く別の話題の組み合わせに成るでしょう。
 こうして定着ファイルから話題を選択・抽出して作った話題別の「おちゃらけ議論」が現在30本(=30ファイル)以上在り、既にインターネットに公表済みです。公表された「おちゃらけ議論」は「快楽主義者のお喋り集目次」から見ることが出来ます。
    {この章は2013年10月16日に追加}

 ■当ページの「掲示板のおちゃらけ議論」は幼児が見ても大丈夫!
 当ページの様なスケベな内容を子供の見せたら良く無いとか言う人が有りますが、そんな事は御座いません。以前、同じ様な質問が当サイトの掲示板に書き込まれ、それについての私の回答が有りますので、それを丸々ここへ載せます。「掲示板のおちゃらけ議論」のサンプルとしてご覧下さい。
                ▼▼▼

毒にも薬にも成るサイト 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2003/12/29(Mon) 00:50 No.138
<板-1>

  ◆◆◆当サイトは、子供には全く差し支え無いが、
       大人には大いに差し支え有り

 相撲好きな主婦さん、又々有り難う御座います。

>自分の意見というか主観をこれだけはっきり主張しているサイトはなかなかないと思います。

と仰った言葉を我がサイトへのお褒めの言葉として素直に受け取って置きましょう、私は元来素直な人間なのです。「はっきり主張」と仰いましたが、当サイトでは多少”過激な”表現を用いてる箇所も有ります。それはHP(ホームページ)と言うのは本と違って皆さんちゃんと読む人は少なく、殆ど斜め読みか1ショットで見るだけですから。そういうHPの性格から少しドキツイ表現を使っているのです。

>子供が見るにはちょっと(?)

というご意見ですが、高校生のお子さんはもう立派な大人ですよ。今回はこれについて私の「主観的意見と主張」を述べましょう。
 良くサイトの登録の際に「子供が見ても差し支え無いですか?」などという質問が有りますが、これは多分猥褻(ワイセツ)なサイトなどをイメージして居ると思います。ワイセツ以外にも在るとは思いますが、ここではワイセツを例にお話ししましょう。と言っても裁判などで言う「何がワイセツか?!」などという論議とは異なります。
 話をワイセツに限定し我がサイトの一部に仮にワイセツな表現が在ったとしても、子供には一向に差し支え有りませんぞ、差し支えが有るのは大人です、ウワッハッハッハ!!
 そりゃそうでしょう、ワイセツな画面や表現で、”下半身がムズムズして来るのは大人”なのです、子供はエロ写真見ても何とも有りません。ということで我がサイトは

  子供には全く差し支え無いが、
    大人には大いに差し支え有り


と言って置きましょう。当サイトのコンセプトの一つは「独自の視点からの個性有る主張」ですので、見る人に依って「毒にも薬にも成るサイト」なのです。

 この中で「ワイセツ」と成っている箇所を「スケベ」に置き換えれば良いのです。こんな議論を既に2003年にしてるんですね。全て「遊び心」です。
    {この章は2013年10月16日に追加}

 ■結び - スケベを以て人類発展に貢献する心
 どうですか?、「文化スケベ学」事始の印象は?
 浮世絵を遣ったら次は浮世風呂を遣りたいですね、これもスケベなネタで溢れて居ます。又、浮世床(←通常は床屋です)は滑稽ネタです。えっ、貴方(貴女)は「床」を「寝床」と解釈してスケベな寝床を想像して居たですと?、それは「文化スケベ学」事始の効果と居えましょう。軽薄な江戸町人「浮世××」を好んだのです。当コーナーの「快楽主義者のお喋り集目次」は別名【エルニーニョの館の浮世風呂】と言いますので、宜しく!!

 ところで「迷惑メール」は皆さんもご存知でしょう。又、掲示板に書き込んで来る「迷惑書き込み」も有ります。私は既に2004年に「掲示板のテロ対策」に於いて「そもそもインターネットが最初に世界に広まったのはネットで無修正画像(写真) -女性の局部の画像です- が得られるからでした。従ってインターネット利用者の99%はスケベな人たちです。そして軽薄に付和雷同するバカさんも非常に多いのです。この様な経緯から、インターネット利用者は如何にバカスケベが多いことか!!(※49)、嘆かわしい限りなのです。」と述べて居ます。インターネットの画像は全て写真ですから正にエロ・グロ(※50)、ナンセンスの極みです。江戸の浮世絵の春画とは雲泥の差です。
 ここで無修正画像と言うのは下の図を見たら解るでしょう、ブワッハッハッハ!!

        無修正画像     修正済み画像

         \ /       \ /
          Y         ●
          │         │

 私は[「文化スケベ学」の実践#2]に於いて「スケベな話は人前では恥ずかしいですが、しかし本音では興味津々人間はスケベな動物なのです。」と言って居ますが、全くその通りです。もう一度「文化スケベ学のすゝめ」の序の言葉を思い出して下さい。私も時々エロニーニョ/エロニィーヨ/エロニィーニョとか呼ばれたりして居ますが、当コーナーでは「言葉遊び」の洒落やパロディーを楽しみ、「文化スケベ学」では徹底的に本音を出して、スケベな話題を大いに楽しみましょう。そして人類発展に貢献しましょう、ブワッハッハッハ!!

 当ページを作り始めたのが2011年1月30日、Webにアップロードしたのが2011年2月16日ですが、この年の暮れに私は脳出血(=2011年12月2日)で倒れ、約1年半の入院とリハビリで何とか回復し、2013年3月18日に沖縄に永住する為に来ました。沖縄に来てから記事を追加しましたので、当ページは脳出血を挟んで出来上がって居ます!{この脳出血の記事は2013年5月8日に追加}

 この「文化スケベ学」硬派でも有り軟派でも有ります。やはり物事の根拠を求めて居るという点では硬派であり「文化スケベ学」は新しい学問なのです。一方、普段は使えない様な言葉を使い”H”な内容に踏み込んで居る点では超軟派です。
 もう一つ、スケベには「明るいスケベ」(=陽)「暗いスケベ」(=陰)が在ります。「暗いスケベ」は性格が内向的で陰湿で俗に言う「むっつりスケベ」で、私がクローン世代と名付けたグループとか一人でエロ本見る人がこれに入るでしょう。対する「明るいスケベ」が私とか江戸の春画を描いた浮世絵師(=殆どの浮世絵師)です。江戸の浮世絵師たちは全然内に籠もって無いのです。作品を見ても洒落・諧謔・皮肉に溢れ、局部を大きく描いたりして非常にサービス精神旺盛です。このコーナーを「快楽主義者のお喋り集」として居る様に私は快楽主義者(epicurean)ですので、宜しく。このインターネットではペンネームしか使ってませんが「名は体を表し」て居るのです、ムッフッフ!
 最後に「文化スケベ学」は「文化の地下水脈」に光を当てたものなのか?、それとも単なるエロ・ページか?、判断は皆さんにお任せしましょう、ブワッハッハッハッハ!!

ΩΩ 以上 ΩΩ

【脚注】
※1:助兵衛/助平(すけべえ、すけべ)とは、(好兵衛(すきべえ)の転と言う)好色の人。好き者。浄、平家女護島「敵のてかけ、妾となるやうな―のいたづら者」。
 補足すると、「文化スケベ学」ではスケベ学"Sukebelogy"という造語を創り、「文化スケベ学」を"Cultural Sukebelogy"と呼びます。
※1-1:人類学(anthropology)は、人類の形質・文化・社会の多様性と普遍性を、様々な側面から総合的・実証的に明らかにする学問。形質面の研究を主とする形質人類学と文化や社会生活面から接近する文化人類学・社会人類学とに大きく分ける。
※1-2:文化人類学(ぶんかじんるいがく、cultural anthropology)は、人類学の内、文化の側面を重視した接近法(アプローチ)を採る部門。

※2:「おちゃらけ」は、不真面目な態度や言葉。「―を言う」。
※2-1:「ちゃらける」は、ちゃらを言う。出鱈目を喋る。(俚言集覧)。

※3:パロディー(parody)とは、[1].捩(もじ)り。
 [2].文学作品の一形式。良く知られた文学作品の文体や韻律を模し、内容を変えて滑稽化・諷刺化した文学。日本の替え歌狂歌などもこの類。又、広く絵画・写真などを題材としたものにも言う。

※4:ずうずう弁(―べん)は、東北人などに特有の鼻に掛かる発音の仕方。→東北弁。
※4-1:東北弁(とうほくべん)は、東北地方の方言。

※5:東人(あずまびと/とうじん)は、(東は古くは「あづま」)東国の人。音便化して、あずまうど/あずまど。源氏物語宿木「―(あずまびと)どもにも食はせ」。古本説話集上「―(あずまうど)の歌いみじう好みよみけるが」。万葉集2「―(あずまど)の荷前(のさき)の箱の荷の緒にも」。

※6:越の国(こしのくに)は、北陸道の古称。高志国。こしのみち。越(こし)。越路。

※7:「そそ」とは、[1].女子の陰部の異称。〈日葡〉
 [2].裾(すそ)。
※7-1:「ぼぼ」とは、女陰の異称。
※7-2:玉門(ぎょくもん)は、[1].玉で飾った立派な門。
 [2].陰門の異称。
※7-3:ヴァギナ/バギナ/ワギナ(vagina[ラ])は、膣。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※8:「ええじゃないか」とは、幕末、東海・近畿地方を中心に起った大衆的狂乱の舞踏。農村に在った御蔭参りの伝統を基盤とし、慶応3年(1867)8月頃東海地方に始まり、翌年4月頃に掛けて近畿・四国、更に信州方面等に広がった。神社の神符などが降下したのを契機に「ええじゃないか、ええじゃないか、お女陰(そそ)に紙貼れ」の囃子唄を高唱し乍ら集団で乱舞した。倒幕運動が行われて居た時でもあり、「世直し」的様相を呈するものも在った。

※9:隼人(はやと/はやひと)とは、(ハヤトはハヤヒトの約)古代の九州南部に住み、風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した人々。後に服属し、一部は宮門の守護や歌舞の演奏に当たった。はいと。万葉集11「―の名に負ふ夜声いちしろく」。→隼人舞

※10:オーラルセックス(oral sex)とは、性器接吻クンニリングスフェラチオなど。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※10-1:クンニリングス(cunnilingus)とは、舌・唇などに依る女性性器への愛撫。←→フェラチオ。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※10-2:フェラチオ(fellatio[ラ])は、男性性器を唇や舌で愛撫すること。←→クンニリングス。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※10-3:シックスナイン(six nine)とは、相互オーラルセックス。69。英語ではsixty-nine。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>

※11:隠語(いんご、argot)とは、特定の仲間の間にだけ通用する特別の語。隠し言葉。

※12:大江匡房(おおえのまさふさ)は、平安後期の貴族・学者(1041~1111)。匡衡の曾孫。江帥(ごうのそち)と称。後冷泉以下五朝に仕え、正二位権中納言。又、白河院司として別当を兼ねた。著「江家次第」「本朝神仙伝」「続本朝往生伝」「遊女記」「傀儡子記」など。その談話を録した「江談抄」が在る。

※13:生殖器(せいしょくき、reproductive organ, sexual organ)は、生物の有性生殖を営む器官。高等動物では、生殖巣(精巣・卵巣)及びそれに付随する生殖輸管や交接器など。植物では花・配偶子嚢。生殖器官。性器
※13-1:生殖器崇拝(せいしょくきすうはい, worship of sexual organ)は、生殖器の表象に対して、出産・成長・豊穣などを齎す呪力を認めて、呪術的な働き掛けを行うこと。性器崇拝
※13-2:女子(めこ)は、女の子。女子。栄華物語つぼみ花「さべき人の―皆宮仕へに出ではてぬ」。
※13-3:妻子(めこ)は、[1].妻と子。さいし。万葉集5「―見ればめぐしうつくし」。
 [2].妻。宇津保物語嵯峨院「わが―出でこむ」。

※14:「ふぐり」とは、(膨らみが有って垂れているものをフクロ・フクリと言ったのであろう、漢字では「陰嚢」を当てる)
 [1].睾丸陰嚢(いんのう)。〈和名抄3〉。
 [2].「まつふぐり」の略。まつかさ。
 [3].(「錘」と書く。形が陰嚢に似るから言う)秤の錘(おもり)。分銅。
※14-1:「へのこ」とは、(古くは「篇乃古」と書き「火の凝(こり)」が転化したと言う。漢字では「陰茎」「茎」などを当てる)[1].陰嚢中の核。睾丸。〈和名抄3〉。
 [2].陰茎
※14-2:一物(いちもつ)は、ここでは男根の隠語。
※14-3:魔羅/摩羅/末羅(まら、mara[梵])は、〔仏〕[1].仏道修行を妨げ、人の心を惑わすもの。仏伝では、釈尊の成道(じょうどう)を妨げようとした魔王の名。魔。
 [2].(元は僧の隠語)陰茎男根
※14-4:ペニス(penis[ラ])は、陰茎。

※15:性愛(せいあい、sexual love)とは、男女間の本能的な愛欲。

※16:ダンディズム(dandyism)は、男性のお洒落。洒落者気質、伊達好み。
※16-1:ダンディー(dandy)は、[1].洗練された服装・態度の男性。洒落者。伊達者(だてしゃ)。
 [2].洒落た様。
※16-2:スノビスム/スノビズム(snobisme[仏], snobbism)は、俗物根性、紳士気取り。似非(えせ)紳士風。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※16-3:スノッブ(snob)は、(紳士気取りの)俗物。似非紳士。偽紳士。

※17:「接して泄らさず/接して漏らさず」とは、貝原益軒が「養生訓」の中で、「四十以上の人は、交接のみしばしばにして、精気をば泄すべからず」と、唐の孫思邈(?~682)の「備急千金要方」を引き乍ら房中補益説を述べているのを指す。
※17-1:貝原益軒(かいばらえきけん)は、江戸前期の儒学者・教育家・本草学者(1630~1714)。名は篤信。益軒は号で、損軒とも号す。筑前福岡藩士。松永尺五・木下順庵・山崎闇斎を師とし、朱子学を奉じた。著「慎思録」「大疑録」「大和本草」「養生訓」「接して泄らさず」が有名)など。
※17-2:養生訓(ようじょうくん)は、貝原益軒著。益軒十訓の一。養生の法を和漢の事跡を引用して通俗的に述べた書。8巻。1713年(正徳3)成る。
※17-3:益軒十訓(えきけんじっくん)とは、貝原益軒が国文で著した教訓書中主なもの10種、即ち家訓・君子訓・大和俗訓・楽訓・和俗童子訓・五常訓・家道訓・養生訓・文武訓・初学訓の称。
※17-4:女大学(おんなだいがく)は、女子の修身・斉家の心得を仮名文で記した書。封建道徳で一貫し、江戸時代に女子一般の修身書として広く用いられた。享保(1716~1736)年間刊。貝原益軒の著と伝えるが、実は益軒の「和俗童子訓」の一部を書肆が益軒没後に改竄・刊行したもの
※17-5:書肆(しょし)とは、本屋。書店。

※18:好色本(こうしょくぼん)は、色欲生活を題材として書いた本。元禄(1688~1704)時代を中心に行われた浮世草子の一種。作者には井原西鶴・西沢一風・江島其磧らが在り、西鶴の「好色一代男」「好色一代女」などはその代表作。好色物。又、広くその系統を引く小説についても言う。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※19:フェロモン(pheromone)は、(これは「運ぶ」の意のギリシャ語 phero とホルモン hormone の合成語)動物の体内で作られて体外に分泌され、特定の反応を引き起こす生理活性物質種に特異的種内の信号として働く。雌が放出する性フェロモン、アリやミツバチの警報フェロモンなど、特に昆虫に発達して居る。その機能に依り誘引・警報・集合・密度調節フェロモンなどと呼ぶ。害虫駆除にも利用出来る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※20:戯作(げさく)は、(ケサクとも)[1].戯れに詩文を作ること。又、その著作。
 [2].江戸中期以降、主に江戸に発達した俗文学、特に通俗的な娯楽小説読本(よみほん)・談義本洒落本滑稽本黄表紙草双紙合巻(ごうかん)・人情本などの総称。戯作本。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※20-1:戯作者(げさくしゃ)は、戯作をする人。特に、江戸時代の俗文学作者
※20-2:戯作本(げさくぼん)は、戯作の本。江戸中期以降の通俗小説の類。

※21:柳亭種彦(りゅうていたねひこ)は、江戸後期の戯作者(1783~1842)。姓は、名は知久。通称、高屋彦四郎。別号は偐紫楼・愛雀軒・足薪翁など。江戸の人。食禄2百俵の幕臣。初め読本(よみほん)を試みたが、後に草双紙に主力を注ぎ、「偐紫(にせむらさき)田舎源氏」「邯鄲諸国物語」などで、その第一人者と成る。又、「用捨箱」「還魂紙料(すきかえし)」など多くの考証的随筆がある。
※21-1:歌川国貞(うたがわくにさだ)は、浮世絵師(1786~1864)。号は一雄斎・五渡亭・香蝶楼。初世豊国の高弟。後、師名を継いで2世豊国と自称したが実は3世。国貞時代に「偐紫(にせむらさき)田舎源氏」の挿絵を始め、「吾妻源氏」など艶本にも多くの傑作を残した。
※21-2:偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)は、合巻(ごうかん)柳亭種彦作、歌川国貞画。紫式部の源氏物語を室町時代に移して翻案したもの。光源氏に当たる光氏の生活振りは、将軍家斉(いえなり)の江戸城大奥を写したのではないかと噂された。1829~42年(文政12~天保13)38編152冊を出して絶版を命ぜられ、39・40編は未刊。田舎源氏。
※21-3:合巻(ごうかん)とは、江戸後期、文化(1804~1818)以後に流行した草双紙の一種。従来の黄表紙が5丁を1冊、数冊で1部として居た製本を合冊して1冊としたもの。それを1部1編として、長いものは数十編に及ぶ。各ページ絵入りの読物で、素材・表現ともに実録・読本(よみほん)・浄瑠璃・歌舞伎などの影響が著しい。

※22:浮世絵(うきよえ)は、[1].江戸時代に発達した民衆的な風俗画の一様式。肉筆画も行われたが、特に木版画に於いて独自の美を開いた。桃山時代から江戸初期に流行した肉筆の風俗画・美人画を母胎とし、17世紀後半(延宝~元禄)の菱川師宣に依って版本挿絵として様式の基礎が作られ、更に1765年(明和2)には鈴木春信に依り多色刷版画(錦絵が創始されて、黄金期を迎えた。その主題は遊里や芝居の情景、美女・役者・力士などの似顔絵を中心とし、歴史画や風景・花鳥に及ぶ。作家としては他に、鳥居清信西川祐信鳥居清長喜多川歌麿東洲斎写楽葛飾北斎歌川広重などが名高く、19世紀後半からヨーロッパの美術へも影響(ジャポニスムを及ぼした。
 [2].春画(しゅんが)。
※22-1:春画(しゅんが、pornography)とは、男女の秘戯を描いた絵。中世の「稚児草紙」「小柴垣草紙」などが古く、江戸時代には浮世絵に秀作が多い。偃息(おそくず)の絵。枕絵。笑い絵。枕草紙。江戸時代には春画を財布に入れて金銭が増える呪(まじな)いともされた。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※22-2:枕絵(まくらえ)とは、男女閨中の秘戯を描いた絵。枕草紙春画。好色一代男3「銀の間―の襖障子」。
※22-3:危絵/あぶな絵(あぶなえ)とほ、浮世絵美人画の内、一般的なものと春画との中間の、際どい絵。美人画の肌を露(あらわ)に出したものなど。
※22-4:木版画(もくはんが)は、木版印刷に依る版画。板目を版面とし、図形の部分を凸版とする板目木版が多い。浮世絵版画など。
※22-5:馬楝・馬連(ばれん/バレン)は、木版刷の際、版木の上に当てた紙の上を擦る用具。紙を重ねて作った当皮(あてがわ)という皿形の凹みの中に心(しん)を入れて竹の皮で包んだもの。
※22-6:胡粉(ごふん)とは、日本画に用いる白色の顔料。古く奈良時代には塩基性炭酸鉛、即ち鉛白を言い、鎌倉時代迄用いた。室町時代以後、貝殻を焼いて製した炭酸カルシウムの粉末を白色顔料として多く用い、これを胡粉と呼ぶ様に成った。

※23:花鳥余情(かちょうよじょう/かちょうよせい)は、源氏物語の注釈書。一条兼良著。30巻。1472年(文明4)成る。「河海抄」を補正したもので、事実の考証よりも文意の解釈に力を注ぐ。河内本を用いる。

※24:御簾(みす)とは、簾(す)の尊敬語。すだれ。枕草子23「―のうちに、女房、桜の唐衣どもくつろかに脱ぎたれて」。
※24-1:簾(すだれ、reed blind, bamboo blind)は、(「簀垂れ」の意)細い蘆(あし)、又は細く割ったを糸で編み列ねて垂らすもの。室の内外を隔て、又は日光などを遮るのに用いる。古くは牛車にも掛けた。垂簾。季語は夏。

※25:女三の宮/女三宮(おんなさんのみや/にょさんのみや)は、[1].第3皇女。
 [2].源氏物語中の人物。朱雀院の第3皇女。光源氏に降嫁したが、柏木と通じが生れたので罪報を思い剃髪する。入道の宮。唐猫を飼っていた。

※26:媾合い/目合い(まぐわい)は、[1].目を見合せて愛情を知らせること。眴(めくば)せ。目配せ。古事記上「―して相婚ひたまひて」。
 [2].男女の交接性交。古事記上「吾(あれ)、汝(いまし)に―せむと欲(おも)ふはいかに」。

※27:褞袍(どてら)は、普通の着物よりやや長く大きく仕立て、綿を入れた広袖の着物。防寒用・寝具用。丹前(たんぜん)。

※28:反骨/叛骨(はんこつ、resistance)は、容易に人に従わない気骨。権力に抵抗する気骨。「―精神」(spirit of resistance)。

※29:葛飾北斎(かつしかほくさい)は、江戸後期の浮世絵師(1760~1849)。元は川村氏、後一時中島氏。江戸本所に生れる。葛飾派の祖。初め勝川春章の門に入り、春朗と号し、後に宗理・画狂人・戴斗・為一・卍など、画風と共にしばしばその号を変えた。洋画を含む様々な画法を学び、優れた描写力と大胆な構成を特色とする独特の様式を確立。版画では風景画や花鳥画、肉筆画では美人画や武者絵に傑作が多く、「北斎漫画」などの絵手本や小説本の挿絵にも意欲を示した。フランス印象派に影響を与えたとも言う。高名の割りに終生貧しかった。代表作「富嶽三十六景」、他に「諸国名橋奇覧図」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※30:琉球国志略(りゅうきゅうこくしりゃく)は、周煌の著。1756(乾隆21)年に冊封副使として来琉し約7ヶ月の滞在経験を纏めた地誌で、翌年に上呈される。後に日本に伝わり、1831(天保2)年と1832(同3)年に和刻本が刊行され、北斎の「琉球八景」(1832)の元絵と成った。誤記が多いのが難点。

※31:ゴンクール兄弟(―きょうだい、Goncourt Brothers)は、フランス自然主義文学の代表的作家(兄:Edmond Louis Antoine de Goncourt が1822~1896、弟:Jules Alfred Huot de Goncourt が1830~1870)。大部分の著作が共著で、兄が題材弟が文体を受け持ったと言われる。「尼僧フィロメーヌ」「ジェルミニー ・ラセルトー」「日記」などが有名。又、日本の浮世絵を収集・研究した。兄弟の死後、遺産を基金とするゴンクール賞を設置。主な受賞者はバルビュス/デュアメル/プルースト/サン・テグジュペリ/サガンら。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※32:道教(どうきょう、Taoism)は、中国漢民族の伝統宗教。黄帝老子を教祖と仰ぐ。古来のアニミズムや巫術(=シャーマニズム)や老荘道家の流れを汲み、これに陰陽五行説神仙思想などを加味して、不老長生の術を求め、符呪・祈祷などを行う。後漢末の五斗米道(天師道)に始まり、北魏の寇謙之(こうけんし)に依って改革され、仏教の教理を取り入れて次第に成長。唐代には宮廷の特別の保護を受けて全盛。金代には王重陽が全真教を始めて旧教を改革、旧来の道教は正一教として江南で行われた。民間宗教として現在迄広く行われる。
※32-1:房中(ぼうちゅう)は、[1].部屋の中。
 [2].閨房の中

※33:医心方(いしんほう/いしんぽう)は、現存する我が国最古の医学全書。丹波康頼撰。30巻。984年(永観2)成る。主に隋の巣元方の「病源候論」に拠る。特に第28巻「房内」性愛文献として知られる。

※34:纏足(てんそく、foot-binding)とは、中国の風俗で、女児が4~5歳に成った頃、足指に長い布帛を巻き、第1指(親指)以外の指を足裏に折り込む様に固く縛って、大きくしない様にし、「美人の条件」とされた。唐末の頃から起り、南宋頃から盛行。清の康熙帝が禁止令を出したが効果が無かった。民国(1912年)と成ってからは殆ど廃滅。纏脚。裹足(かそく)。弓足金蓮(又は三寸金蓮)。新月。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※34-1:金蓮歩(きんれんぽ)とは、(「南史」に見える、斉東昏侯が潘妃に金製の蓮花の上を歩ませて、「歩歩生蓮花」と言い興じた故事から)美人の麗しい歩み。転じて、金蓮が纏足(てんそく)の別称に。

※35:カーマ・スートラ(Kama Sutra[梵])は、(「性愛の経典」の意)古代インドの性愛論書の一。ヴァーツヤーヤナの作。成立は4~5世紀頃(=グプタ朝期)とされる。ヒンドゥー教はカーマ(性愛)を、ダルマ(宗教的義務)アルタ(実利)と共に人生の3大目的とする。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※35-1:グプタ朝(笈多朝、Gupta dynasty)は、ガンジス川流域を中心に北インドを統治したインド人の古代王朝(320~550)。320年頃、チャンドラグプタ1世が出て、パータリプトラを都として発展し、第3代チャンドラグプタ2世はデカン迄勢力を伸ばした。同朝の下で古典文化が成熟を見せ「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」の2大叙事詩も整い、美術ではグプタ様式が出現。又、ヒンドゥー教が社会に定着した。5世紀頃には宗教(ヒンドゥー教・仏教)/文学(カーリダーサなど)/美術/哲学などが繁栄。特にガンダーラ様式をインド化したその仏像彫刻の手法はその後全インドを風靡し、セイロン/ジャワに迄及んだ。中国の東晋の僧法顕が訪れて居る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※35-2:カースト(caste)は、(ポルトガル語で血統の意のcastaから)インドに見られる社会集団。儀礼的な観点から序列付けられて居り、各集団間は通婚・食事などに関して厳しい規制が在るが、弱まりつつ在る。2千以上の数が在り、多くの場合、世襲的職業を持ち相互に分業関係を結ぶ。インドではジャーティ生れの意)と言う。カスト。真政大意「殊に往古印度やエジプトに、カストと申して」。→ヴァルナ
※35-3:ヴァルナ(varna[梵])は、(の意)インドの種姓制バラモン(祭官・僧侶)、クシャトリヤ(王族及び武士階級)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)を言う。不可触民は第5のヴァルナとされる。5つのヴァルナの大枠の内部に多数のカーストが存在。四種姓。→カースト不可触民
※35-4:不可触民(ふかしょくみん、untouchable, pariah(パーリア), outcaste, achut[梵])とは、インドの四種姓(ヴァルナ)制の枠外に置かれた最下層身分。穢れたものと見做され、差別を受けた。ガンディーはカースト差別撤廃を目指しハリジャン(神の子)と名付けた。インド総人口の約15%を占め、400~500のカーストに分かれる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※35-5:アンタッチャブル(untouchable)は、(「不可触の」の意)[1].インドの不可触民
 [2].アメリカの連邦捜査局員。

※36:タントラ(tantra[梵])は、[1].ヒンドゥー教のシヴァ神のシャクティ(性力)を崇拝するシャークタ派の文献の通称。
 [2].インドの後期密教の聖典。又、インド密教を総称してタントラ密教(仏教の一派)と言う。
※36-1:ヨーガ/ヨガ(瑜伽、yoga[梵])は、古代から伝わるインドの宗教的実践の方法。精神を統一し、物質の束縛から解脱を図る。又その際、身体的修練を重んじ、現在では健康法の一としても行われる。

※37:アルス・アマトリア(Ars Amatoria[ラ])は、性愛術の書。オウィディウス作のエレギア詩形で書かれた詩集「愛の技術/恋愛術」(3巻)。最初の2巻は男性を対象として書かれ、第3巻が女性に向けて書かれた。この作品の官能的な表現がアウグストゥス帝の怒りを買い、作者追放の一因と成った。本書はヨーロッパ後生の文学に多大な影響を与えた。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※37-1:オウィディウス/プブリウス・オウィディウス・ナソ(Publius Ovidius Naso)は、ローマの詩人(B.C.43~A.D.17)。アウグストゥス帝時代の人。晩年には黒海沿岸のコンスタンツァに追放。官能的で優雅な形式美を持つ。主著「メタモルフォセス(変身物語)」の他、「アルス・アマトリア(恋愛術)」「祭暦」「哀傷辞」など。オーヴィッド。

※38:結婚年齢(けっこんねんれい、age of marriage)は、民法が認めた、結婚する資格の有る年齢。日本では男子18歳以上女子は16歳以上
※38-1:初潮(しょちょう、menarche)は、最初の月経。その時期は日本人では平均12~12.5歳。15歳迄に大部分が初潮を見る。女性が受胎可能に成った事を示す。初経。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※38-2:元服(げんぶく/げんぷく)とは、(元は首・頭、服は着用する意)
 [1].男子が成人に成った事を示し祝う儀式。髪型・服装を改め、頭に冠を加える。年齢は11~17歳頃が多く、幼名を廃し命名・叙位の事が在る。武家では冠でなく烏帽子を着け烏帽子名に改める。16世紀頃から庶民では前髪を剃る事に代る。女子では髪上(かみあげ)・初笄(ういこうがい)・裳着(もぎ)・鬢除(びんそぎ)がこれに当る。首服。冠礼。加冠。初冠(ういこうぶり)。御冠(みこうぶり)。冠(こうぶり)。源氏物語桐壺「この君の御童姿、いと変へま憂く思せど、十二にて御―したまふ」。
 [2].江戸時代、女子が嫁して後、眉を剃り、歯を染め、丸髷(まるまげ)に結うこと
→半元服。
※38-3:十三参り(じゅうさんまいり)は、旧暦3月13日(今は4月13日)に、13歳の少年・少女が盛装して、福徳・知恵・音声を授かる為に、虚空蔵に参詣すること。当日境内で13品の菓子を買って虚空蔵に供えた後、持ち帰って家中の者に食べさせる。京都嵯峨の法輪寺が有名。知恵詣。季語は春。

※39:ロリータ・コンプレックス(Lolita complex)とは、男性の少女への異常な性愛。ロリコンV.ナボコフの小説「ロリータ」の主人公の少女ロリータに由来。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※40:エロティシズム/エロチシズム(eroticism)は、(エロスから)恋愛・性愛を重んじたり、誇示したりする傾向。好色。扇情

※41:新人類(しんじんるい)とは、従来無かった新しい感性や価値観を持つ若い世代を異人種の様に言う語。1986年から広まった。

※42:トラウマ(trauma)とは、[1].[医]外傷。傷害。
 [2].[心]何時迄も残る激しい恐怖などの心理的なショックや体験。心的外傷
<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※43:基礎体温(きそたいおん、basal body temperature)は、体温に影響する各種因子を極力除いた条件での正常の体温。正常の卵巣機能の成人女子では、排卵後黄体期に高体温を呈し、卵胞期に低体温を呈する。従って体温曲線から排卵及び卵巣機能を推定し得る。卵巣機能検査・避妊や不妊治療に利用。
※43-1:荻野学説(おぎのがくせつ、Ogino theory)は、1924年(大正13)荻野久作(1882~1975)が発表した学説。女性の排卵は月経周期の長短に関わらず、次期月経の前12~16日(14±2)の間に起るとするもの。この学説に依って避妊の時期を選ぶ避妊法を荻野式と言う。荻野式避妊法とは、排卵期の5日間に、精子の子宮内生存可能期の3日を加えた8日間を避妊するもの。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※44:クローン(clone)とは、〔生〕(元ギリシャ語で小枝の意)1個の細胞、又は生物から無性生殖的に増殖した生物の一群。又、遺伝子組成が完全に等しい遺伝子・細胞、又は生物の集団。栄養系。分枝系。
 1997年、イギリスのウィルムット博士は6歳の雌のヒツジの乳腺の細胞の核だけを取り出し、別の雌の未受精卵にこの核を移植し、クローンヒツジを誕生させたと発表した。哺乳類で雄に関係無く子が生まれたのは初めて。1998年、日本でもクローンウシが誕生した。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※44-1:単為生殖(たんいせいしょく、parthenogenesis)とは、有性生殖をする生物で、卵が受精しないで単独に発生し新しい個体を生じる生殖法。動物ではアブラムシ・ミツバチ・ミジンコなど、植物ではドクダミ・タンポポなどにみられる。単性生殖処女生殖クローンは人工的な単為生殖である。←→両性生殖。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※45:煩悩(ぼんのう、klesa[梵])は、〔仏〕衆生の心身を煩わし悩ませる一切の妄念。貪・瞋・痴・慢・疑・見を根本とするが、その種類は多く、「百八煩悩」「八万四千の煩悩」などと言われる。煩悩を断じた境地が悟りである。煩擾悩乱。垢(く)。心垢。結。塵労。一般には欲望怒り愚かしさなど。源氏物語蛍「菩提と―との隔たりなむ、この、人のよしあしきばかりの事は、かはりける」。「―を断つ」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※45-1:理趣経(りしゅきょう)は、仏典の1。不空(705~774年)の訳。一巻。真言宗の常用経典。大日如来が金剛薩埵(さった)の為に般若理趣の自性清浄なる事を説いたもの。正式には般若波羅蜜多理趣品。般若理趣経。
※45-2:真言立川流(しんごんたちかわりゅう)は、〔仏〕(武蔵国立川の陰陽師が仁寛より修して広めたことに依る名) 真言密教の一派。男女の性的な結合を即身成仏の秘術とする。平安後期の仁寛を祖とし、14世紀に文観に依り大成され中世に広まったが、後邪教として取締りを受けて衰えた。立川流。

※46:生物多様性(せいぶつたようせい、biological diversity)とは、生物が分化・分岐して様々に異なること。種だけで無く遺伝子・生態系の多様性も包括する概念。1992年その国際的な保全の為に生物多様性条約を締結。

※47:蟻(あり/アリ、ant)は、ハチ目アリ科の昆虫の総称で完全変態型。黒色又は赤褐色で、胸腹間に甚だしい括(くび)れが在る。触角は「く」の字形に屈曲。地中又は朽木の中に巣を作る。雌である女王と、働き蟻生殖能力の無い)とが在り、多数で女王を中心の社会生活を営む。新しく羽化した女王と雄には翅が有り(羽蟻)、交尾後に翅を失う。季語は夏。〈新撰字鏡8〉。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※48:オメッキー(Omecky)とは、魅力的でラッキー(lucky)で心をそそる状態、又はその様な状態の物事私の造語です。

※49:インターネット(Internet)は、世界規模のコンピュータ・ネットワーク。アメリカ国防総省が構築した実験的な軍事用ネットワーク(ARPANETから発展し、大学・研究機関等のコンピュータの相互接続に依り、全世界を網羅するネットワークに成長。パソコン通信の様に1台のホスト・コンピュータがサービスを提供するのでは無く、全世界に分散するサーバーに依り運用・管理される。
 補足すると、1969年アメリカ国防総省が軍事目的でARPAネット(ARPANET)を構築したのが起源で、その後1983年にARPANETプロトコルにTCP/IPを採用することを決め、これを改良し1986年アメリカNSF(全米科学財団)がNSFネット(NSFNET)を構築し民間に移行しました。

※50:エロ・グロは、エロチック(erotic)でグロテスク(grotesque)なこと。扇情的で怪奇なこと。

    (以上出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『日本女地図』(殿山泰司著、角川書店)。著者は自称・三文役者ですが本書は中々面白い本です。

△2:『バラ色の古代日本海時代』(高橋克彦・邦光史郎他著、KKベストセラーズ)。

△3:『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』(藤谷俊雄著、岩波新書)。

△4:『日本の方言地図』(佐藤亮一・真田信治・沢木幹栄・徳川宗賢・野元菊雄著、徳川宗賢編、中公新書)。

△5:『江戸の性愛学』(福田和彦著、河出文庫)。
△5-1:『カーマ・スートラ』(福田和彦著、ワニ文庫)。
△5-2:『浮世絵グラフィック3 色道禁秘抄(後編)』(福田和彦著、KKベストセラーズ)。

△6:『万載狂歌集』(大田南畝(蜀山人)撰、野崎左文校訂、岩波文庫)。

△7:『養生訓・和俗童子訓』(貝原益軒著、石川謙校訂、岩波文庫)。

△8:『浮世絵 その秘められた一面』(高橋鐵著、河出文庫)。

△9:『蔵出し傑作秘本・第1集 秘宴のおんな』(安田義章監修、佐野文哉訳、二見文庫)。
△9-1:『秘蔵の名作艶本・第1集 江戸のおんな』(安田義章監修、佐野文哉訳、二見文庫)。

△10:『江戸の枕絵師』(林美一著、河出文庫)。
△10-1:『江戸枕絵の謎』(林美一著、河出文庫)。
△10-2:『浮世絵の極み 春画』(林美一著、とんぼの本(新潮社))。

△11:『源氏物語(三)』(山岸徳平校注、岩波文庫)。
△11-1:『源氏物語(一)』(山岸徳平校注、岩波文庫)。

△12:『図説 浮世絵入門』(稲垣進一編、河出書房新社)。

△13:『浮世絵芸術 第29号(1971年)』(日本浮世絵協会編・発行)。

△14:『道教の房中術 古代中国人の性愛秘法』(土屋英明著、文春新書)。
△14-1:『道教の本(不老不死をめざす仙道呪術の世界)』(学研編・発行)。

△15:『纏足物語』(岡本隆三著、福武文庫)。

△16:『密教の本(驚くべき秘儀・修法の世界)』(学研編・発行)。
△16-1:『理趣経の現代意訳と密教教理』(八田幸雄著、高野山出版社)。

△17:『恋愛指南 -アルス・アマトリア-』(オウィディウス著、沓掛良彦訳、岩波文庫)。

△18:『江戸小咄女百態』(奥津要著、旺文社文庫)。

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('A wife', 'Field flowers', (K.Y's tragic love), Fusa, Chiba)

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