東海地方の「ゆでピー」好み
[ケッタイ怪(け)だらけ#4:東海地方はタワケ
(Boiled peanuts in Tokai region)

-- 2011.01.17 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2017.11.14 改訂

 ■はじめに - 初めて「ゆでピー」なる物を知る

 世の中、或る地域で地元の人たちに”当たり前”と思われてる事が、余所の地域の人たちからは非常に奇妙/奇体/珍奇に見えるという場合が案外在るものですが、奇妙/奇体/珍奇な物事を関西ではケッタイと呼びますが、実は東海地方(※1)ではタワケ(戯け)(※2~※2-4、△1のp32)と言います。タワケについては後で蘊蓄(うんちく)を披露します。ですから背景色も真っ黄色なケッタイ色 -「き印」の象徴九州には真っ黄色な列車が走って居ます- を使います。
 インターネットで検索すると、「ゆでぴー」「ゆでピー」「茹でピー」「ゆでピーナッツ」「ゆでピーナツ」「茹でピーナッツ」(※3)、「ゆで落花生」(※3-1)、「ゆで南京豆」(※3-2)etc、と色々出て来ますので、当サイトでは「ゆでピー」に統一します。食の本でも「ラッカセイ」の項に「やや未熟な莢を塩ゆでにして利用される」と書いて在ります(△2のp306)。

 私が初めて「ピーナッツを茹でた物」を見たのは、2000年頃に静岡県富士市(※1-1)の親戚の家に行った時で、酒の撮(つま)みをスーパーで買った時に親戚の奴が不意に「ゆでピー」なる物をショッピング・カートに入れたのです。私は「ピーナッツを茹でた物」が在る事で先ず吃驚、そして「スーパーで売ってるんだ!」と2度吃驚です。何故ならスーパーで売って居るという事は、少なくとも静岡県では「ゆでピー」は一般大衆に認知され一定程度「需要」が有るという事です、だからスーパーで「供給」してる訳です。
 再びインターネットで検索すると、「ゆでピー」文化圏は殆ど静岡県に限定されて居る様です。私は横浜で育ちましたが横浜に「ゆでピー」文化は有りません「ゆでピー」を食べた味については後程に述べる事にして、私が見付けた「ゆでピー」から取り敢えずご覧下さい。

 ■「ゆでピー」のサンプル写真

    ◆JR名古屋駅の売店(愛知県) - 06年11月8日

 そして到頭見付けました、右の写真を見て下さい。これは2006年11月8日の午前9時過ぎにJR名古屋駅の売店(愛知県)で撮りました。「ゆで ピーナッツ ¥200」と書いて在ります!
 この日は大井川鉄道(正式名:大井川鐵道)の千頭駅からバスで寸又峡に行く途中で、鉄道の日記念切符 -10月14日の鉄道の日の前後に売り出される- の割安切符で金谷迄JRで行き、大鐵金谷駅~千頭駅を大井川鉄道で行くのです。その為にJR名古屋駅で「きしめん」(←漢字では棊子麺と書く)を食う為に売店に寄ったという訳です。駅の売店ですから「きしめん」も売れば帰りの通勤客用の酒のアテも在るのです。
 この日は午前9時過ぎなので酒やビールのアテは出ませんでしたが、一度「ゆでピー」を食べてる所を見たかったですね。
 東海地方の大都市・名古屋には「タワケ」た物が数々在り、又東海地方の西の端でも在ります。後は三重県 -三重県は東海地方(※1)です- にも少々「タワケ」た物が在りますね、あの黒い汁伊勢饂飩(うどん)(※4)は最たるものでしょう、あれは不味かった!!
 余計な話をして仕舞いましたが三重県に「ゆでピー」が在るかどうかは未確認ですが、ネットで検索しても出て来なかったので三重県に「ゆでピー」文化は無いと言えます。

    ◆JR沼津駅の売店(静岡県) - 07年3月18日

 次が07年3月18日の昼過ぎ頃、JR沼津駅の売店(静岡県)で撮りました。この日は皆様良くご存じのJRの青春18切符を利用して湘南新宿ラインで東京入りし、明日の19日は超多忙な閑人・太田さんと待ち合わせをして「純喫茶エデン」を取材に行くという日です。
 左の写真には「海洋深層水で作った ゆでピーナツと在ります。又「おつまみやおやつにピッタシ」とも書いて在ります。残念乍ら値段が書いて在る部分が写って無いですが¥300位かと思われます。
 

 ■「ゆでピー」文化圏の特徴

 私が写真に撮ったのは、この2枚だけです。私は浄瑠璃姫伝説で三河矢作や静岡県蒲原に、天竜浜名湖鉄道大井川鉄道、JR身延線や伊豆など名古屋~静岡県には良く来て居ますが、皆それぞれの旅にはテーマが在り「ゆでピー」の事など頭に在りません。上の2枚の写真は”偶々その時”に「ゆでピー」を思い出したからです。尤も、沼津駅では駅の売店を何気無く見ていたら「ゆでピーナツ」の文字が目に飛び込んで来ました!、やったという感じでしたね。
 今思えばもう少し「ゆでピー」に気を配って居たら可なり「ゆでピー」の写真を撮れたと思います、この頃は静岡・愛知を廻って居ましたから。最近では九州を廻る事(=九州プロジェクト)が増え名古屋~静岡県には行かなく成りました。
 という事で、「ゆでピー」文化圏は

        <「ゆでピー」文化圏>

  殆ど静岡県(←それも海沿いの地域)の地域限定
    静岡県ではスーパーマーケット/駅の売店で取り扱われて居る
  名古屋には静岡県から派生したと考えらる
  三重県には無い
  (静岡県浜松市、愛知県豊橋市は不明)

という際立った特徴が有ります。

 ■「ゆでピー」の作り方

 それでは次に「ゆでピー」の作り方に入ります。
 最近ではピーナッツというと「柿の種」を連想する人が多いのでは?、と思います。間違いでは有りませんが正解とも言い兼ねます莢(さや) -或いは殻(から)- の付いている物を想像して戴きたいのです、▼下図▼の様な。

         ピーナッツの莢
         __   __
        /  \_/  \
        │ 豆  _  豆 │ 双子構造
        \__/ \__/

 この莢(さや)の中に通常ピーナッツが2個入って居るのです。今から30年位前にザ・ピーナッツという双子の姉妹の歌手が居ましたね、あれはこの莢がピーナッツを2個内包、即ち双子構造をしているから付けられた名前です。

 先ず通常のピーナッツの場合(=茹でない場合)、食べる前には莢ごと煎(い)り(※5)、莢を割り、中から出て来たピーナッツの薄皮を取って、塩を振り掛けて初めて食べる事が出来るのです。つまり

  ①莢ごと煎(い)る
  ②莢を割る
  ③薄皮を取る
  ④塩を振り掛ける

という工程を経て、漸く食べる事が出来ます。「柿の種」のピーナッツは①~④の工程全てが既に出来ていて貴方(貴女)は「食べるだけ」なのです。「食べるだけ」だと途中の工程が解らないから「間違いでは有りませんが正解とも言い兼ねます」と言ったのです。
 では「ゆでピー」を作る場合はどうかと言うと、工程①が「煎る」から「茹でる」に代わる訳です、つまり煎らないのです。又、工程①を「塩水で茹でる」にすれば工程④が省けます。更に茹でた場合には薄皮の食べるので工程③は不要です。これを纏めると、

  ①莢ごと塩水で茹でる(←煎らない)
  ②莢を割る

という工程に成ります。

 これで「ゆでピー」を作る工程は解りましたが、「莢(さや)付きの生(なま)のピーナッツ」を手に入れるのは中々大変です。最近はスーパーなどで莢付きピーナッツを手に入れる事さえ大変です、しかも莢付きピーナッツは殆ど煎ってあるのです。だからピーナッツの卸売り店を知って置かないと工程①が進まないのです。静岡県は家庭で「ゆでピー」を作る訳ですから「莢付きの生のピーナッツ」は手に入るのです、そういう流通が確立して居るんですね。静岡県以外の人はどうするか?、静岡県迄買い出しに行くだと、アチャー!!

 まぁ兎に角、「莢付きの生のピーナッツ」を手に入れさえすれば後は何の障害も在りません、「ゆでピー」の出来上がりです。「ゆでピー」

  [1].莢付き「ゆでピー」
  [2].莢無し「ゆでピー」(←薄皮付き)

の2種類が在ります。静岡県のスーパーに売っているのも莢付き/莢無しが在ります。私が最初に食べた -親戚の奴がスーパーで買った- 物は[1]のタイプです。だから莢を割る作業は自分で遣るのです。親戚の奴が言うには「ゆでピーは莢付きの方が旨い」と。
 それに対し[2]のタイプは何も作業は必要有りません、「食べるだけ」です。因みに「ゆでピー」の場合、薄皮は取りません、薄皮も一緒に食べるのです。逆に「ゆでピー」から薄皮を剥がすのは大変なのです。序でに述べると、煎ったピーナッツでは薄皮は褐色ですが「ゆでピー」では薄皮は紫色をして居ます。

 ところで「ゆでピー」のサイトには「生(なま)のピーナッツ」を茹でるのが本道で「煎ったピーナッツ」を茹でるのは邪道と書いて在りましたが、先程述べた通り「莢付きの生のピーナッツ」を手に入れるのは今日では可なり大変です。そこで「莢付きで煎ったピーナッツ」とか「莢無しで煎ったピーナッツ」を茹でて仕舞うというのが在ると思います。更には本道邪道の話など知らずに「ピーナッツを茹で」て仕舞えば良いのだ、という人も居るでしょう。そう成ると煎ったピーナッツを更に茹で」て悦に入って居る人が少なからず居る筈です、いやはや!

 ■「ゆでピー」を味わう - そのルーツは

 「ゆでピー」には莢付き/莢無しが在り、莢無しは「食べるだけ」ですが莢付きの場合は莢がゴミと成ります。どっちが旨いかは個人の好みです。私の場合は、勿論「ゆでピー」文化は無い訳ですから「ゆでピー」は食いたいとは思わないですね、即ちパス(※6)です。特に「ゆでピー」の薄皮が紫色をして居るのが苦手ですね。だから親戚の奴とビール飲み乍ら「ゆでピー」を食べた時は「ゆでピー」については何も語らず言われた事に生返事でした。「ゆでピー」を食べないのも個人の好みです!!
 静岡県では一年中「ゆでピー」(莢付き/莢無し)がスーパーで手に入ります。「ゆでピー」は傷み易いので冷凍されて居る場合が多いのです。「ゆでピー」のサイトには冷凍ゆでピー冷凍枝豆より旨い」と書いて在りました!

 今の話は静岡県の画一商品に成った「ゆでピー」の話ですが、次は自分で茹でるプロ級の話です。固茹で/普通茹で/柔らか茹でというのが在って、普通茹では商品化された「ゆでピー」と考えると、固茹で/柔らか茹で -ラーメンみたい- は自分で茹でなくては為りません。「ゆでピー」のサイトに拠ると、柔らか茹では圧力釜を使うそうです。そして噛んだ時に「キュッ」と汁が出て来るのが最高に旨いとか、恐れ入りました!!

    ◆「ゆでピー」のルーツは秦野市か

 何でも、1921(大正10)年に神奈川県秦野市曽屋原(※7)に日本軍の飛行場が建設され、秋に強制収穫された落花生を塩水に浸けて茹でたら味が良かったので、それから段々と神奈川県西部~静岡県に広がったという話が実しやか(※8)な話が在りますが、「味が良かった」はどうでしょうか?
 私はもっと逼迫した状況を想像します。1940年頃から日本は食糧事情が急激に悪く成り、落花生(=ピーナッツ)も煎って食べるより茹でた方が”見掛けの量”が増え腹の足しに成ると考えたからではないでしょうか。私は茹でたら味は相当落ちると思って居ます。しかし戦争中の食糧難の時にそんな事は言ってられません、少しでも”量を増やす”方法の一つが「ゆでピー」だったと考えます。それが秦野から静岡県に広まり、しかし戦後に成って秦野は忘れられたのです。秦野が忘れられた理由は戦後に人口が移動したのです、静岡県はその点で保守的ですから。
                ∞∞
 さて、落花生の生産地は千葉県八街(やちまた)市(※7-1)が断トツで、八街市の業者は「落花生の甘納豆」と共に「ゆでピー」を作って居る様です。
 沖縄県にはジーマミー豆腐(=ジーマミーは沖縄方言で地豆、即ちピーナッツ豆腐)というのが在り、これは美味です(→後出)。

 ■タワケ(戯け)考

 (1)タワケは元々は「男女の淫らな行為」を指した言葉

 これで「ゆでピー」ケッタイな食べ物である事が解って戴けたと思いますが、東海地方ではケッタイな事をタワケ(戯け)と言います。関東地方の馬鹿、関西地方の阿呆に対し東海地方はタワケ(戯け)なのです。しかしタワケ文化圏名古屋・東海・北陸を覆って居るだけの極めて”ローカル色が強い”文化圏です(△1の表紙裏の綴じ込みページ「全国アホ・バカ分布図」、或いは△1のp85)。
 そこでタワケ(戯け)について少し考えてみましょう。「戯(たわ)ける」 -古くは「戯(たは)く」- という言葉は元々は男女の淫らな行為を指していた様で(△1のp96)、古事記(712年成立)の仲哀天皇紀には

  上通下通婚(おやこたわけ)、馬婚(うまたわけ)、牛婚(うしたわけ)、鶏婚(とりたわけ)、犬婚(いぬたわけ)の罪の類

と出て来ます(※2、△3のp133)。これが日本の文献の初出です。
 更に日本書紀(720年成立)の応神紀には

  二十五年に、百済の直支王薨りぬ。即ち子久爾辛(くにしん)、立ちて王と為る。王、年幼し。木満致(もくまんち)、国政を執る。王の母と相婬(たは)けて、多(さは)に無礼す。

と在ります(△4のp212~214、△1のp96)。
 しかし凄いですね、古事記では獣姦のみならず親子姦通も有ります。日本書紀では百済の木満致は宜しく遣ってますねえ。要するに「たわける」はこの様に男女の淫らな行為を指して居たのです。

 (2)タワケの意味の変容と信長の出現

 その「タワケ[者]」が今日的な「馬鹿[者]、愚か[者]」の意味で記述されたのは日葡辞書(1603年刊)(※9、※9-1)であると言います(△1のp97)。広辞苑で〈日葡〉と書かれて在るのが日葡辞書からの引用です、【脚注】※2-1の[3]を見て下さい。恐らく「このタワケ[モノ]め!」という罵倒語に変貌したのは、婆娑羅(※10、※10-1)な武将や大名の行いが派手で目立ちたがり屋であった為に次第にそういう使われ方をされたのではないか、と私は思って居ます。婆娑羅には既存の秩序への反発・否定が在り、それがやがて下剋上の風潮に発展します。【脚注】※10にも婆娑羅は室町時代の流行語だったと在ります。『太平記』(※11)に書かれた婆娑羅な武将や大名は土岐頼遠(?~1342)、高師直(?~1351)、佐々木道誉(1306~73)などで、「婆娑羅の系譜」は戦国時代の織田信長(1534~82)に連なります。

 [ちょっと一言]方向指示(次) 『信長公記』(※12)には「町を御通りの時、人目をも御憚りなく、くり・柿は申すに及ばず、瓜をかぶりくひになされ、町中にて立ちながら餅をまいり、人により懸り、人の肩につらさがりてより外は御ありきなく候、其比(ころ)は世間公道なろ折節にて候間、大うつけ(※13、※13-1)とより外に申さず候。」と在り(△5のp22)、若き信長が世間から大馬鹿者と呼ばれ「婆娑羅の系譜」を受け継いで居る事が解ります。
 尚、戦国時代末期からは「傾(かぶ)き者」(※10-2)と言う語が流行り、意味は婆娑羅と同じく異様な身なりをする目立ちたがり屋を揶揄する時に使いました。因みに、そこから歌舞伎が生まれました。歌舞伎も当初は異様な人々に依って為されたのです。

    {この[ちょっと一言]は2015年1月15日に追加}

 「タワケ[者]」が名古屋・東海・北陸に限定されて居るのは、戦国時代の戦いが名古屋・岐阜辺りから起こって居る為だと私は考えます。その理由は信長・秀吉・家康は皆尾張~三河の出身で、戦いは先ず地元を制する事から始まり、やがて京へ、そして全国へと拡大する訳です。方言周圏論(※14)では「タワケ[者]」という言葉は元々は京の都言葉で時間と共に同心円的に拡散した結果であると考えます(△1のp64~69、△1-1のp7、14~20)が、どうでしょうか(??)。『全国アホ・バカ分布考』の著者は周圏論に入れ込み過ぎて周圏論を万能視している傾向に在ります(△1のp70~71)。
 私は方言のシロウト(素人)ですが、寧ろ「タワケ[者]」が端(はな)から名古屋地方の方言ではないか、と考えたりします。そして信長が地元を制する戦いを仕掛けた時(=1550年頃から)に周りの百姓連中が馬鹿者という意味で「このタワケ者が」と言ったのです。それが広まり、しかし名古屋・東海・北陸に留まったのは信長・秀吉・家康が尾張~三河の出身だからで、それが1603年刊行の日葡辞書に反映されたと考える訳です。どうですか、この考えは?!

 尚、この章の「タワケ(戯け)考」という名称は柳田国男が方言周圏論を導き出した『蝸牛考』のパロディーですので、宜しく!!{この『蝸牛考』へのリンクは2013年12月25日に追加}

 ■中国の「ゆでぴー」

 最後に中国の話。中国では良く落花生を料理に使います。中国では落花生を油で炒めニンニクを利かせてて出す撮(つま)みには何度か遭遇し、ニンニクが利いているのでビール(中国では啤酒)と良く合い非常に旨いです。
 ところで中国で「ゆでピー」に出会(くわ)した経験も1、2回有ると思います。そこで私は写真データを全部調べました。そうしたら1枚だけ出てきました、▼下の写真▼です。

 これは2009年9月23日の夕方、北京の鼓楼大街で庶民の食べ物を撮ったもの(右が拡大)で、正しく「ゆでぴー」です。
 「ゆでぴー」、庶民、中国、と来ると私の場合は何故か戦中的記憶(→後出)に連なって来るのです。

 ■結び - 戦中的記憶に連なる「ゆでピー」

 私はずっと以前から不思議に思って居たのですが信長・秀吉・家康は同郷にも拘わらず「名古屋弁」を全然喋らないというのは、どう考えてもオカシイですよ、変ですね。だから全然面白く無い、空々しいんです。私は例えば信長と秀吉の会話など同郷同士でもっと名古屋弁が使われて「そうだぎゃあ」「ああだぎゃあ」とか「やっとかめ」とか「タワケ~」とかが沢山出て来た筈です(△6のp169)。小説や映画やテレビを作る側が名古屋弁を知らないんでしょうね。『金鯱の夢』(△7のp15)などの小説で名古屋弁を多用している清水義範さんに脚本でも書いて貰って「あんばよう」やってちょお!!

                (-_*)

 さて「ゆでピー」の話題に戻り、私は戦後生まれです。私が物心(ものごころ)が付いた時、夏は良く山梨の田舎の家 -父方と母方が在る- へ行きました。そこで今と成っては貴重な光景を見た覚えが有ります。屋根裏部屋で養蚕をしていた事、その屋根裏部屋にはアオダイショウの脱皮した皮が有った事、お婆さんがそのアオダイショウは「家の主」(※15)だから捕っては駄目だと言った事、山羊を飼って居て山羊の乳を飲んだ事、樵(きこり)のお爺さんが生きていて炭焼き小屋からの帰り道にマムシを捕りマムシ酒を造っていた事、そして落花生を筵(むしろ)の上に広げ天日干しで乾燥させていた事、などです。これらは皆小学1~3年で止めて仕舞いました、山羊を飼うのも止めました。
 これらの事を何故か私は良く覚えて居るのです。それらは戦中的記憶と呼べるものかも知れません。横浜の実家の周囲には未だ塞がれてない防空壕が在り私ら子供は良く防空壕跡で遊びました、これも戦中的記憶です。横浜で戦中的記憶の最たる物はサツマイモ(薩摩芋)でした。何にでも母がサツマイモを”量を増やす”為に入れ閉口しました。御蔭で私はサツマイモが苦手です。
 私の中では「ゆでピー」 -私は前述した様に「ゆでピー」なる物を2000年頃迄知らなかったにも拘わらず- は、サツマイモの様に戦中的記憶に連なり、やっぱり「ゆでピー」はタワケ(戯け)た食べ物なのです!!

 ところで、子供時代は大人から良く「ピーナッツを食べ過ぎると鼻血が出るぞ」と言われましたが、私も子供の頃はピーナッツを食べて鼻血を出しましたね、今考えるとあの頃は純情だったな~、ワッハッハッハ!!
 いやぁ、皆さん、こんなマイナーな話題に最後迄付き合って戴き、誠に有難う御座居ました!

                m(_~_)m

 尚、[ケッタイ怪(け)だらけ]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
    {この記事は2013年07月01日に最終更新}

 >>>■その後

  ●沖縄の「おでん屋」で「ゆでピー」を見つけた!

 那覇市の牧志公設市場周辺には色んなお店が”蟻の巣の中”の様に広がり、特に夕方以降は所謂「一杯飲み屋」が出てとても賑やかです。中には午前10時には店を開け泡盛を飲ませる店も在ります。大体、酒なんて物は飲むのが一番旨い!
 私が朝飲ませる店を知って居るのが浅草/下北沢/那覇市などですね。下北沢など午前中からカラオケです。この3箇所に共通しているのは何れも嘗ての「ヤミ市(闇市)」(※16)の跡に出来た所で、私はそういう所が滅茶好きです。

 2017年11月13日の午後6時頃に久し振りに”蟻の巣の中”に入り前に入った事が在る「おでん屋」の屋台に一寸引っ掛けに行きました。2014年頃は若い夫婦が遣って居ましたが今は兄ちゃんが2人で遣って居ます。私は経営者が代わったのかと思いましたが、一品ずつその都度代金を徴収する遣り方は前と同じです。そこで兄ちゃんに聞いたら「経営者は代わって無い、自分たちは雇われて居るのだ、奥さんは沖縄の海に潜りに行ってる」と答えました。そう若奥さんは「潜るのが趣味」と言ってた事を思い出しました。という事は、この店は儲かって居るのです。確かにこの日もお客は一杯居たし、「おでん」のスープの味が良い、このスープの味だけは夫婦で出しているのに違い無い。
 私は「だいこん(大根)」とか「こんにゃく(蒟蒻)」を食いビールを飲みました。そしたら「ゆでピー ¥300」(右上の写真)という札を見付けて仕舞いました。再び兄ちゃんに訊いたら「今は冷凍の「えだ豆」や「ゆでピー」が在るんです。」という返事です。そうか、後は解凍するだけです。又、本文で話に出たジーマミー豆腐「ジーマーミー ¥250」(右上の写真)で在ります。
 私は当ページを静岡県を中心とした食文化として「ゆでピー」を書いて来ましたが、こうして冷凍して日本全国に発送したら土地固有の文化はだんだん無くなるのだ、と思いました。
    {この追加記事は2017年11月14日に追加}

φ-- おしまい --ψ

【脚注】
※1:東海地方(とうかいちほう)は、中部日本南部の太平洋沿岸地方の称。普通、静岡愛知三重岐阜の一部を指す。
※1-1:静岡県(しずおかけん)は、中部地方太平洋側の県。駿河遠江伊豆(七島を除く)3国を管轄。面積7778㎢。人口374万2千。全21市。

※2:戯け(たわけ)とは、[1].淫らな通婚古事記中「上通下通婚(おやこたわけ)・馬婚(うまたわけ)・牛婚(うしたわけ)・鶏婚(とりたわけ)・犬婚(いぬたわけ)」
 [2].ふざけること。戯(おど)け。戯(たわむ)れ。「―を言うな」。
 [3].戯(たわ)け者。馬鹿者。「この、―めが」。
※2-1:戯ける(たわける)は、(〔自下一〕、又は「たはく」〔下二〕)[1].淫らな行いをする。古事記下「伊呂妹(いろも)軽の大郎女に―けて」。
 [2].戯(たわむ)れる。ふざける。「―けた事を言うな」。
 [3].馬鹿・愚か者になる。〈日葡〉。
※2-2:戯け者(たわけもの)は、戯(たわ)けた者。痴れ者。馬鹿者。
※2-3:戯言(たわごと)は、(古くは清音)戯けた言葉。妄語。万葉集3「逆言(およずれ)の―とかも高山のいはほの上に君が臥(こや)せる」。「―をぬかす」。
※2-4:戯事(たわごと)は、戯けた仕業。戯(たわむ)れ事。

※3:ピーナッツ(peanut)は、落花生南京豆。特に、殻・皮を取り塩などで調味したもの。ピーナツ。「バター・―」。
※3-1:落花生(らっかせい、peanut)は、マメ科の一年生作物。ボリビアなどアンデス地域の原産。世界中に広く栽培され、豆類では大豆に次ぐ。インド・中国に多く産する。日本には18世紀初め中国から渡来。匍匐(ほふく)性と立性とが有る。開花・受精後、子房の柄が長く下に延び、地下に入って繭(まゆ)の形の莢果(きょうか)を結ぶ。種子は脂肪に富んで、食用にし、又、を採る。らっかしょう。南京豆。唐人豆。異人豆。関東豆。ピーナッツ。季語は秋。
※3-2:南京豆(ナンキンまめ、peanut)は、落花生の別称。日本には18世紀初め中国から渡来した為に付いた名。

※4:伊勢饂飩/伊勢うどん(いせうどん)は、殆ど黒い濃厚な溜まり醤油の汁に太い饂飩(うどん)を入れて食べる、伊勢地方の家庭料理。ダシは鰹節・昆布で薬味は葱(ねぎ)。

※5:炒る/煎る/熬る(いる、roast)は、〔他五〕水気の無く成る迄煮詰める。又、(乾いたものを)土鍋などで熱する。西大寺本最勝王経平安初期点「王…倍増(ますます)憂の火に煎(いら)れ」。「豆を―る」「卵を―る」。

※6:パス(pass)は、この場合、トランプなどで、自分の順番を飛ばして次の番に回すこと。「今回は―だ」。

※7:秦野(はだの)は、(ハタノとも)神奈川県西部の市。丹沢の麓で秦野盆地の中心都市、嘗ては葉煙草の集散地。花卉(かき)園芸が盛ん。秦氏に因む名。住宅地化が進む。人口15万8千。
※7-1:八街(やちまた)は、千葉県中部、千葉市の東側に隣接する市。古くから落花生の産地で、近年は都市化が進む。人口6万8千。

※8:実しやか(まことしやか)とは、如何にも本当らしく言う様。天草本伊曾保物語「―に言ふによつて」。「―な嘘」。

※9:日葡辞書(にっぽじしょ、Vocabvlario da Lingoa de Iapam)は、日本イエズス会が長崎学林で1603年(慶長8)に刊行した日本語-葡萄牙(ポルトガル)語の辞書。翌年補遺刊行。日本語に通じた数名のバテレンとイルマンの協力に成り、ポルトガル式のローマ字で日本語の見出しを付け、ポルトガル語で説明を付けた。文例を挙げ、当時の標準語である京都語と九州方言との差にも注意し、歌語・文語などを注する。総語数3万2293。ドミニコ修道会に依るスペイン語訳「日西辞書」(Vocabvlario de Iapon. 1630年マニラ刊)の他、パジェスに依る仏訳「日仏辞書」(1868年パリ刊)が在る。
※9-1:イエズス会(Society of Jesus)は、スペインのイグナティウス・デ・ロヨラ(又はイグナチオ・デ・ロヨラ)やフランシスコ・ザビエルらが1534年に結成し、40年にローマ教皇の公認を得た修道会。「イエズスの友」を自称、人類救済を志し、又、反宗教改革の先頭に立った。日本にも同会士ザビエルらが渡来。ジェズイット教団。耶蘇会。日本では上智大学がイエズス会系。

※10:婆娑羅/時勢粧(ばさら)とは、(「跋折羅(ばざら)」から。室町時代の流行語
 [1].派手に見栄を張ること。伊達(だて)。太平記21「例の―に風流をつくして」。
 [2].遠慮無く振舞うこと。しどけないこと。乱れること。狼藉。
※10-1:跋折羅/縛日羅/伐折羅(ばざら、vajra[梵])とは、〔仏〕金剛のこと。
※10-2:傾き者/歌舞伎者(かぶきもの)とは、異様な風体をして大道を横行する者。軽佻浮薄な遊侠の徒や伊達者。好色一代男5「博多小女郎と申して―ありける」。

※11:太平記(たいへいき)は、軍記物語。40巻。作者は小島法師説が最も有力。幾つかの段階を経て応安(1368~1375)~永和(1375~1379)の頃迄に成る。北条高時失政・建武中興を始め、南北朝時代五十余年間の争乱の様を華麗な和漢混淆文に依って描き出す。佐々木導誉など婆娑羅な武将も登場。後世、「太平記読み」が現れ講談の基を成した。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※12:信長公記(しんちょうこうき)は、織田信長の一代記。首巻とも16巻。太田牛一著。1600年(慶長5)頃の成立。又「信長記」(15巻)は小瀬甫庵がこれに基づいて加筆論述し、22年(元和8)に刊行したもの。

※13:空け/虚け(うつけ)とは、(動詞ウツクの連用形から)[1].中が虚ろに成って居ること。から。空虚。
 [2].気が抜けてぼんやりして居ること。又、その様な人。間抜け。愚か。好色一代男7「銀(かね)つかふ者、今此目からは―のやうに思はれ侍る」。「この―め」。
※13-1:空け者/虚け者/呆気者(うつけもの、fool)は、愚か者。馬鹿者。鈍間(のろま)。うっかり者。〈日葡〉。

※14:方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん)とは、方言分布の原因を文化の中心から時間に応じて波紋状に広がる事象に認めた理論。柳田国男が「蝸牛考」でカタツムリの方言調査を基に提唱。

※15:主(ぬし)とは、この場合、山、又は河などに古くから棲んで霊力が有ると言われる動物。転じて、ある場所に長く住み付いている人。沙石集7「この沼の―」。「長屋の―」。

※16:闇市(やみいち、black market)は、統制品とされた品物などを、法の網を潜って取り引きする闇商人(闇屋)が集まって市場の形を成したもの。ブラック・マーケット。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『全国アホ・バカ分布考(はるかなる言葉の旅路)』(松本修著、太田出版)。
△1-1:『日本の方言地図』(佐藤亮一・真田信治・沢木幹栄・徳川宗賢・野元菊雄著、徳川宗賢編、中公新書)。

△2:『食材図典』(小学館編・発行)。

△3:『古事記』(倉野憲司校注、岩波文庫)。

△4:『日本書紀(二)』(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注、岩波文庫)。

△5:『信長公記』(太田牛一著、奥野高広・岩沢愿彦校注、角川文庫)。

△6:『県別日本人気質』(河出書房新社編・発行)。

△7:『金鯱の夢』(清水義範著、集英社文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):鉄道の日について▼
資料-SL発達史と日本SLの型式番号(The history and naming rule of SL)
大井川鉄道で寸又峡に行く途中のJR名古屋駅の売店で
「ゆでピーナッツ」を撮る▼
2006年・大井川の寸又峡(Sumata-ravine, Oi-river Railway, 2006)
東海地方の「タワケ」の文化▼
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)
伊勢饂飩(うどん)は不味かった▼
東西三都物語(The 3-cities of east and west)
純喫茶エデン▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
浄瑠璃姫について▼
人形浄瑠璃「文楽」の成り立ち(The BUNRAKU is Japanese puppet show)
東海地方の旅:天竜浜名湖鉄道▼
2005年・天浜線に乗って(Get on Tenhama Railroad, Shizuoka, 2005)
東海地方の旅:大井川鉄道▼
2005年・大井川の塩郷吊橋(Swinging Shiogo, Oi-river Railway, 2005)
「傾き者」や歌舞伎について▼
那覇市配水池の市松模様は良く目立つ
(Ichimatsu checkers of water supply pond of Naha stands out, Okinawa)

柳田国男が方言周圏論を導いた『蝸牛考』▼
「妻」「野の花」(柳田国男の悲恋)-布佐
('A wife', 'Field flowers', (K.Y's tragic love), Fusa, Chiba)

サツマイモ(薩摩芋)の思い出▼
日本、珍にして奇なる光景#2(The RARE and STRANGE scene 2, Japan)


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