2005年・天浜線に乗って
[天竜浜名湖鉄道の旅#1]
(Get on Tenhama Railroad, Shizuoka, 2005)

−− 2005.12.17 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2016.05.01 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
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 ■はじめに − 

 JR東海道本線の掛川駅新所原駅の間を、大きく北に迂回し天竜川を跨いで浜名湖の北岸を走る三セク線(→後出)天竜浜名湖鉄道(略称:天浜線)をご存知でしょうか?
 JR掛川駅は新幹線「こだま」の停車駅、間に「こだま」や「ひかり」が停車するJR浜松駅が在り新所原駅はやはり「こだま」停車駅のJR豊橋駅から浜松寄りに2つ目の駅です。つまり天浜線は「こだま」で2駅の区間を田舎に回り込んでノロノロ走るローカル線です。まぁ、地元の人以外には余り知られて無いローカル線ですが、私は今回の旅以前に5〜6回乗って居ます。何故か?、と問われれば「旅に関するエルニーニョの小定理」の応用なのですが、人生を真っ直ぐに進むのを面白く思えない私の性分でしょう。この小定理は既に
  2003年・萩と山陰の旅(Hagi and San'in, 2003)
  2005年・大井川の塩郷吊橋(Swinging Shiogo, Oi-river Railway, 2005)

の中で実践して居ます。

 私は05年11月24日(木)から07年1月29日(月)迄、天竜浜名湖鉄道に乗って旅をしました。



 私は05年11月24日(木)に天浜線の旅をしたのですが、それは翌25日に伊豆に行く用が有った為で、夜は清水に泊まりました。私は大阪上本町7:03発の名古屋行き近鉄特急(ノンストップ)に乗り込み、以下の様な行程で天浜線の旅を楽しみました。新所原→掛川は「上り」です。

  11月24日(木)
   上本町(07:03) →近鉄特急→ 名古屋(09:15)  サンドイッチを車内で食う
                名古屋(09:27) →新快速→ 新所原(10:23)
   新所原(11:00) → 遠州森(12:49)           レンタサイクルで周遊
             遠州森(14:36) → 掛川(14:59)
   掛川城撮影
   掛川(15:34)  → 清水(16:39)              ●宿泊(ホテル)

      黒字:JR  青字:JR以外


 尚、天竜浜名湖鉄道(天浜線)の沿革や駅名については末尾の「参考資料」を適宜参照して下さい。
 又、平成の大合併(住所は肥大化)旧浜松市(面積257ku、人口60万)は05年7月1日に周辺の天竜市・浜北市・引佐郡・磐田郡・浜名郡・周智郡などを飲み込んで、何と約6倍の大面積に肥大化(面積1500ku、人口81万)を遂げ、07年4月1日には中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区の7行政区を設け、政令指定都市に成る予定です。従って今の所は旧住所で記すことにします。沿線住所で
  天竜市 → 浜松市
  引佐(いなさ)郡 → 浜松市
と読み替えて戴ければ07年3月31日迄は有効です。それ以降はこの区割りに従い「××区」と付加する必要が生じますので、その時に全面修正します。{「平成の大合併」へのリンクは06年12月25日に追加}

 ■新所原から遠州森へ

  ◆新所原駅

 左がJRの北側に接続するターミナルの天浜線新所原駅で、ご覧の様にログハウス風の駅舎で、右が駅の表札の拡大です。
 新所原は豊橋から浜松寄りに2つ目の駅で、浜名湖西岸に近いので名物の鰻の蒲焼屋が駅舎内に在ります(左の写真)。

 右上が駅舎の北の通りの風景で、風力&太陽電池発電の柱と遠方に湖西連峰の山々が見えて居ます。ここは静岡県湖西市新所原ですが、駅の少し西が県境で、愛知県豊橋市と接して居ます。
 左がこれから乗るディーゼルカー(TH2111)です。モダンなデザインで面白味に欠けますが、たった1輌の各駅ワンマンカーです。この列車の左側にチラッと見える線路とホームはJRです。

  ◆新所原〜尾奈


 列車は走り出すと暫くの間北東に向かって走りますが、この辺りはあの豊田佐吉(※1)の生まれ故郷です。
 やがて知波田駅湖西市太田)を過ぎると直ぐに進行方向右手の視界が開け浜名湖の松見ヶ浦湖西市) −正太寺鼻と洲ノ鼻に挟まれた静かな入江− が見えて来ます(右の写真)。

 浜名湖は静岡県南西部の潟湖(せきこ)、汽水湖。面積65ku、周囲114km、最大水深16.6m。1498(明応7)年の明応東海地震に因る津波で南端の今切(※x)付近が決壊し遠州灘に通じ汽水湖に成る。湖中ではカキ養殖、周辺部ではウナギ養殖が盛ん。湖岸一帯はリゾート地。

 浜名湖と言うとウナギ(鰻)が余りにも有名ですが、カキ(牡蠣)の他スッポン(鼈)やノリ(海苔)の養殖が行われ、北西岸の三ヶ日はミカンの大産地です。

  ◆尾奈〜三ヶ日

 しかし再び湖から離れ尾奈駅引佐郡三ヶ日町下尾奈)と奥浜名湖駅引佐郡三ヶ日町下尾奈)を過ぎて再び右に湖面が見えて来ます。これは猪鼻湖引佐郡三ヶ日町)です。
 左の写真は三ヶ日駅引佐郡三ヶ日町三ヶ日)付近から猪鼻湖を撮ったもので、手前には特産の三ヶ日ミカンが実って居ます。右がミカンの部分の拡大です。ここは日溜まり効果で気候が温暖なのです。
 「三ヶ日」とは嘗て月の三の日に市が開かれたことに由来します。奥浜名湖駅から三ヶ日駅に掛けては湖の眺めが良く、それ故に三ヶ日駅は天浜線沿線の中では有力な観光地で乗降客が多い駅です。私は7〜8年前にこの駅で降りて鰻重を食べた事が有ります。
 そして、この付近が『万葉集』巻14−3448

  花散(ぢ)らふ この向つ嶺(を)の 乎那(をな)の嶺(を)
    (ひじ)につくまで 君が齢(よ)もがも     詠み人知らず

に詠まれた場所らしいです(△1のp122)。巻14は東歌(※2) −万葉時代は遠江(※3)・信濃以東を東国とか東夷(あずまえびす、東蝦夷とも)の国と呼びました− を集めたもので3448番歌は「いまだ國を勘へざる雑歌十七首」(△1のp112)の中の一首なので、三ヶ日だという確証はイマイチ弱いのですが、付近には上尾奈・下尾奈という地名が在り、この地が昔から「をな」「おな」と発音されて来た様で、これは三ヶ日説を補強するものです。それで奥浜名湖駅西方の小高い浅間山(引佐郡三ヶ日町下尾奈、標高77m)が「乎那の峯(をなのみね)」比定地とされ、山頂にこの歌の歌碑が立てられて居ます。
 花は散ろうとも「乎那の峯」が洲(ひじ)(※4)に浸かる迄末永く、と愛する人の長寿を願ったこの歌は、「三ヶ日浅間山説」が正しいとすれば猪鼻湖南東岸からこちらを見て「向つ嶺の乎那の嶺の」と詠んだものでしょう。現在、浅間山付近には静岡県指定天然記念物のマンサク(※5、※5−1)が自生し早春には一帯を黄色に染めるそうです。
 尚、尾奈駅の近くに「鵺代(ぬえしろ)」という奇妙な地名が在るのですが、私は何故か気になって居ます。{この段のリンクは2014年5月1日に追加}

  ◆三ヶ日〜気賀

 右は西気賀駅引佐郡細江町気賀)辺りから見た浜名湖の細江の入江です。目の前の道路は国道362号で、この道路は大井川鐵道(=大井川鉄道)の駿河徳山方面を経由しJR静岡駅前に下り国道1号と合流して居ます。
 又ここは遠州(※3−1)の織物の発祥地で、初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)の「おんぞ祭」が今に伝えられて居ますが、現在織物業は衰退して居ます。

 左は気賀駅引佐郡細江町気賀)の手前で見えた都田川に架かる澪つくし橋(全長190m)の赤いアーチです。この橋は浜名湖周遊自転車道の一環として1989年に完成した自転車&歩行者専用の橋(自動車不可)です。浜名湖を自転車で一周したら気持ち好いでしょう。
 都田川は愛知県南設楽郡との県境の鳶ノ巣山辺りに源流を発する川です。

 ところで「澪つくし」は勿論「澪標(みおつくし)」(※6)のことで、昔この細い入江は葦などが生い茂り見通しが利かない浅瀬だったので、澪標を立て航路(=今の都田川)を導いたのです。これは難波江・難波潟と呼ばれた古代の我が大阪と同じで「澪標」は大阪市の市章です。
 『万葉集』巻14−3429の有名な遠江国の譬喩歌(ひゆか)

  遠江(とほつあふみ) 引佐(いなさ)細江の みをつくし
    吾をたのめて あさましものを         詠み人知らず

は、「澪標の様な」という比喩を盛り込んでこの入江を詠んだもの(△1のp120)で、橋名はこの歌に因んで居ます。

 気賀は江戸時代には姫街道(※x−2)と呼ばれた本坂越え道気賀関所が置かれた所で、享保14(1729)年5月中旬には将軍吉宗に献上するアジア象が通り抜け地元民の度肝を抜いたそうで、姫街道には現在「象鳴き坂」が残って居ます。

    ++++ 徳川吉宗と象 ++++
 3代将軍・家光が布いた鎖国体制の下で享保12(1727)年に8代将軍・徳川吉宗は自ら中国商人に象を所望し、それに応じ象の番(つが)いを積んで交趾(今のベトナム)の広南を出港した船は享保13(1728)年6月13日に長崎に着きました。この象は多分シャム(暹羅、今のタイ)の産のアジア象で、ベトナム人男女の「像使い」も同行しました。
 しかしメス象は9月に長崎で病死し、オス象だけが翌・享保14(1729)年3月に江戸に向けて出立します。途中4月28日に京都中御門天皇に拝謁しますが、この時に「従四位広南白象」という殿上人の位を授けられて居ます。5月25日に江戸っ子の熱狂的歓迎を受け浜御殿(今の浜離宮)に着いて居ますので、細江を通過したのは5月中旬です。飼育は幕府が担当し吉宗は5月27日に城中に召し出して念願を果たし、その後も幾度か城中で象を見た様です。
 象はここで10年余り飼われましたが幕府は持て余したらしく寛保元(1741)年4月に中野村(今の東京都中野区)の源助という農民に払い下げられましたが翌・寛保2(1742)年12月に病死しました。牙の一部は中野宝仙寺に保存されて居ます。
    −−−−−−−−−−−−−−−−




 細江町には細江神社が在り地震除けの神様です。

  ◆気賀〜西鹿島

 左下は秋の味覚の一つのです。右下は宮口駅のホーム浜北市宮口)で、開業時からの駅ですが無人です。この写真は宮口駅を出た後に後ろ向きに撮りましたが、一部区間がこの様に複線です。










 やがて列車は西鹿島駅天竜市二俣町鹿島)に着きます。この駅で遠州鉄道のターミナルと合流します。
 右が西鹿島駅の駅舎新浜松駅行きの遠州鉄道の車輌(通称:あかでん)で、今走り出したばかりです。走行距離の短い遠鉄の方は電化されて居ます!

  ◆西鹿島〜天竜二俣


 西鹿島駅から列車は北上し蛇行する天竜川を渡ります。左の写真は列車の左手(=西側)に見えた天竜川と鹿島橋のトラス構造の主桁天竜市二俣町鹿島、※8)です。全長216m、幅員6mで1937(昭和12)年に架けられ、現在橋上は国道362号です。
 因みにこのページの背景画はこの天竜川の川面の水紋です。

 三ヶ日駅から次の二俣本町駅天竜市二俣町二俣)迄は、天浜線と国道362号が右に見えたり左に入れ替わったりし乍ら並走して居ます。
 ところで「二俣」という地名は、ここで天竜川が本流(東側)と馬込川(西側) −この川沿いに遠州鉄道が走る− に二俣に分流するからです。二俣本町駅の北西には二俣城址が在りますが城址は06年に訪ねました。

  ◆天竜二俣駅


浜松市二俣町二俣:城山

浜松市二俣町阿蔵:天竜二俣駅


天竜市→浜松市
引佐郡→浜松市

井伊谷(いいのや)

靜岡縣引佐いなさ町井伊谷(遠江國引佐郡)。『和名抄』の「渭伊ゐい郷」の地で。
井伊家は近江彦根藩の大名と成った。


引佐郡

靜岡縣西部(遠江國)の郡。『萬・三四二九』に「引佐郡」で初見し



 浜名湖にもダイダラボッチ(※90)の伝説が在ります。









 ■三セク線の天竜浜名湖鉄道

  ◆私が乗った第三セクター線

 天竜浜名湖鉄道(略称:天浜線)1987年三セク線(=第三セクター線(※99)に移行してます。因みに、私が今迄乗った三セク線を列挙すると北から次の様に成りますね。

  会津鉄道(旧会津線)、北越急行(新規:北越北線)、
  樽見鉄道(旧樽見線)、明智鉄道(旧明智線)、長良川鉄道(旧越美南線)、
  愛知環状鉄道(旧岡多線+新規:瀬戸線)、天竜浜名湖鉄道(旧二俣線)、
  伊勢鉄道(旧伊勢線)、信楽高原鐵道(旧信楽線)、
  北近畿タンゴ鉄道(旧宮津線)、北条鉄道(旧北条線)、三木鉄道(旧三木線)、
  智頭急行(旧智頭線)、阿佐海岸鉄道(新規:阿佐東線)、
  土佐くろしお鉄道(旧中村線)、甘木鉄道(旧甘木線)、松浦鉄道(旧松浦線)、
  肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線の八代〜川内)

 この中で天竜浜名湖鉄道は20回以上樽見鉄道と松浦鉄道が10回位乗って居ます。私は三セク線が大好きなのです、アッハッハ!!













    {この章は2016年5月1日に追加}

 ■結び





この区域を新幹線で通過する方で、御用とお急ぎで無い方は是非一度”道草(みちくさ)”をしてみて下さい。



 尚、[天竜浜名湖鉄道の旅]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

 ◆◆◆参考資料 − 天竜浜名湖鉄道について






新所原駅
*アスモ前駅
知波田駅
尾奈駅 58.1
*奥浜名湖駅 56.8
三ヶ日駅 55.6
都筑駅 53.3
東都筑駅 51.9
浜名湖佐久米駅(佐久米)
寸座駅 49.4
西気賀駅 47.7
気賀駅 44.8
*気賀高校前駅 43.5
金指駅 41.9
*浜松大学前駅 39.1
都田駅 37.7
*フルーツパーク駅 36.2
宮口駅 32.3
岩水寺駅 30.3
西鹿島駅 28.5 遠州鉄道:鉄道線
二俣本町駅 26.8
天竜二俣駅(遠江二俣)


上野部駅 24.4
豊岡駅(野部) 23.0
敷地駅 19.9 磐田市
遠江一宮駅 16.4
*円田駅 14.7
遠州森駅(遠江森) 12.8
戸綿駅 12.0 周智郡森町
*原田駅 9.4
原谷駅 7.9
細谷駅 6.0
*いこいの広場駅 5.5
桜木駅(遠江桜木) 4.0
西掛川駅 1.8
*掛川市役所前駅 1.3
掛川駅 0.0 東海旅客鉄道:東海道新幹線・東海道本線 静岡県 掛川市


φ−− つづく −−ψ

【脚注】
※1:豊田佐吉(とよださきち)は、織機発明家(1867〜1930)。静岡県湖西市生まれ。初め父の大工職に従事したが、専売特許条例の公布に刺激され発明を志した。1890年木製人力織機、1897年木製動力織機、1925年豊田式自動織機などを発明。1902年豊田商会を設立。40年間に亘って織機の研究に努め、日本の紡織業の発展に貢献した。1929年イギリスのプラット兄弟社に自動織機のヨーロッパに於ける特許権を譲渡。この資金が長男の喜一郎に依る国産自動車の研究開発に使われトヨタ自動車創業の基と成った。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※x:今切(いまぎれ)は、静岡県西部、浜名湖が海に続く湖口。1498年(明応7)の大地震(明応東海地震)で砂州が切れて海と繋がった。江戸時代に渡船が通い、今切の渡(又は荒井の渡)と言った。関所が在って、特に女人の往来を取り調べた。
※x−1:新居の関/荒井の関(あらいのせき)は、1601年(慶長6)徳川氏が浜名湖の湖口の西(今の静岡県浜名郡新居町)に置いた関所。
※x−2:姫街道(ひめかいどう)とは、(女性が多く通ったので言う)江戸時代の東海道の脇往還(わきおうかん)の一で、遠江浜名湖の今切(いまぎれ)渡し新居(あらい)の関を嫌う者が、見附又は浜松から浜名湖の北岸を迂回して本坂峠を越え、御油(ごゆ)又は吉田に出た道。本坂越え



※2:東歌(あずまうた)は、万葉集巻14・古今和歌集巻20に載る東国の歌方言が使われて居る。

※3:遠江(とおとうみ)は、(「遠つ淡海(おうみ)」の転)旧国名。今の静岡県の西部。遠州。近江(おうみ)(今の滋賀県)に対する。
※3−1:遠州(えんしゅう)は、[1].遠江国(とおとうみのくに)の別称。現在の静岡県西部。
 [2].小堀遠州のこと。

※4:洲(ひし/ひじ)とは、(マレー語 pasir に関係が有るか。ヒス(干洲)・ヒセ(干瀬)の訛とも言う。ヒジとも)海の洲(す)。大隅風土記逸文「海の中の洲(す)は、隼人の俗(くにひと)の語に必志(ひし)と云ふ」。万葉集14「花散らふこの向つ嶺(お)の乎那(おな)の嶺の洲(ひじ)につくまで君が齢(よ)もがも」。

※5:満作/万作(まんさく、Japanese witch hazel)は、マンサク科の落葉大低木。山地に自生。高さ3m位。早春、黄色・線形の四弁花を開き、楕円形の刮ハ(さくか)を結ぶ。茶花(ちゃばな)として栽培、花季が早いので珍重される。葉を止血剤とする。金縷梅。季語は春。
※5−1:刮ハ(さくか/さっか、capsule)とは、乾果の一。乾性の子房の発達した果実で、熟すと縦裂して種子を散布する。アサガオ/ケシ/アブラナ/キキョウ科などの実の類。凵B

※6:澪標(みおつくし)は、[1].「水脈(みお)つ串」の意。通行する船に通り易い深い水脈を知らせる為に立てた杭。歌で多く「身を尽し」に掛けて使われる。みおぎ。みおぐい。みおじるし。
 [2].源氏物語の巻名。源氏28歳の10月から29歳の冬に至る。
 [3].香の名。香の少し辛く苦いもの。


※8:トラス(truss)とは、〔建〕構造骨組の一形式。節点が全て滑節(かっせつ)即ち回転自在の結合から成る。材の集合点に力が加わる時、各部材は曲げの力を受けないので変形し難い。結構。←→ラーメン。





※90:だいだらぼっち/大太法師(だいだぼうし)は、巨人伝説の一。東日本に広く分布。絶大な怪力を有し、富士山や琵琶湖を1夜で作った、榛名山に腰掛け利根川で脛を洗った、大きな足跡が池沼や窪地に成った、などの伝承が各地に在る。元来は国造りの地方的英雄だったが、時代と共に法師や入道姿に変わって行った。だいだら坊、だいだら坊主。他に方言多数




※99:第三セクター(だいさん―、the third sector, quasi-public corporation)とは、国や地方公共団体と民間企業との共同出資で設立される官民共同事業体。主として国や地方公共団体が行うべき事業(公共セクター:「第一」)に、民間部門(民間セクター:「第二」)の資金や経営力などを導入して官民共同で行う所から「第三」を冠して呼ぶ。




    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『万葉集(下)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。


●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):1498年の東海大地震について▼
資料−地震の用語集(Glossary of Earthquake)

「旅に関するエルニーニョの小定理」の理論▼
「日本再発見の旅」の心(Travel mind of Japan rediscovery)
「旅に関するエルニーニョの小定理」の実践編▼
2003年・萩と山陰の旅(Hagi and San'in, 2003)
2005年・大井川の塩郷吊橋(Swinging Shiogo, Oi-river Railway, 2005)


平成の大合併(住所は肥大化)とは▼
2006年・井川線あぷとラインの旅
(Ikawa Abt-line, Oi-river Railway, 2006)






鵺代(ぬえしろ)という奇妙な地名▼
三ヶ日に飛び散った鵺(Nue came flying to Mikkabi, Shizuoka)
大井川鐵道(=大井川鉄道)の駿河徳山▼
2006年・大井川SL道中記(Go by SL, Oi-river Railway, 2006)
「澪標」は大阪市の市章▼
大阪市の渡船場巡り(The wharves and ferries of Osaka city)


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