三ヶ日に飛び散った鵺
[鵺を追え#3-三ヶ日]
(Nue came flying to Mikkabi, Shizuoka)

-- 2013.01.28 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2013.02.12 改訂

 ■はじめに - 三ヶ日の鵺

 ★このページは<鵺を追え#2>芦屋の続きです。

 私は2011年12月2日の脳出血の為、<鵺を追え#3>に予定して居た「三ヶ日に飛び散った鵺」は未完の儘でシリーズを完了せざるを得なく成りました。しかし何とも心残りで、「三ヶ日の鵺」について地元の昔話集に載っている話を紹介して、私が何故このテーマに興味を抱いたかを記すことにしました。

 この地方は平成の大合併(住所は肥大化)で、旧浜松市(面積257k㎡、人口60万)は05年7月1日に周辺の天竜市・浜北市・引佐郡・磐田郡・浜名郡・周智郡などを飲み込んで、何と約6倍の大面積に肥大化(面積1500k㎡、人口81万)を遂げ、07年4月1日には中区・東区・西区・南区・北区・浜北区・天竜区の7行政区を設け、政令指定都市成って居ます。

 ■三ヶ日地方に伝わる伝説


 先ず【参考文献】△1より三ヶ日地方に伝わるに関する伝説をご紹介しましょう。三ヶ日浜名湖の北西部、住所は2005年7月1日迄は静岡県引佐郡三ヶ日町でしたが、07年4月1日以降は静岡県浜松市北区三ヶ日町に成りました。【参考文献】△1も05年7月1日の旧住所です、念の為。
 兎に角、浜名湖の北西部です。右の地図をご覧下さい。
 

  301 鵺退治 (旧引佐郡三ヶ日町)

 三ヶ日町に鵺代尾奈という地名の二区と胴先という半島が猪鼻湖に突き出している。昔、源三位頼政(※1)がという怪物を退治した時、矢が当たって鵺の体は三つに飛び散り、頭が落ちた所を鵺代といい、尾の落ちた所が尾奈となり、胴の落ちた所が胴先となった。また、矢の落ちた所は矢塚と呼んで、現在でも小さい塚がある(△1のp189)。


  155 矢塚 (旧引佐郡三ヶ日町只木)

 只木は、大江山の酒呑童子を退治して有名な源頼光(※2)の家来、卜部の季武の居住地であるというが、今、畑の中の三畝歩(約1アール)ばかりに古い石垣の跡があり、これがその屋敷跡だということである。塚は、東西三間(約5.4m)、南北一間(約1.8m)余りである。これは矢塚と言い、昔からこの塚に上ると、おこり(熱病)(※3)にかかるというので、里人は近よらない。また、六郎季武の墳墓であるというので、季武塚とも言われている(△1のp126)。


  241 たたり屋敷 (旧引佐郡三ヶ日町)

 鵺代の札木の付近に祟り屋敷という屋敷がある。...(中略)...それからというものは、この屋敷へ何の関係もない誰が住んでも、どうも栄えぬという事だ(△1のp167)。

 この二つの話に私は大変興味を持ったのです。それは「都島の鵺塚」「芦屋の鵺塚」の話を読んだ方ならお解り戴ける筈です。

 ■伝説から思うこと

 (1)伝説「鵺退治」から

 「昔、源三位頼政がという怪物を退治した時」という部分は明らかに『平家物語』のあの部分を指して居ます。その部分を▼下から▼思い出して下さい、『平家物語』巻4-「鵼」の段(←「鵼」は「鵺」に同じ)です(△2のp234~237)。
  都島の鵺と摂津渡辺党(Nue of Miyakojima and Watanabe family, Osaka)

 ここで又、「近衛帝の鵺」「二条帝の鵺」かが問題に成りますが、『平家物語』では「近衛帝の鵺」は頼政が退治し -その結果「頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎」の合成獣と判明- 遺骸を川に流したので、常識的に考えれば淀川とか芦屋川に流したとするのが妥当な線です。
 そこで俄然「二条帝の鵺」が有力に成って来ます。何となれば、「二条帝の鵺」は応保年間(1161~1163年)に出没し、5月20日頃に源頼政鏑矢で射落とす生死不明なのです。果たしてどうでしょうか??
 「頭が落ちた所を鵺代と言ったそうですが、時代的には何時頃に地名の鵺代が出現したのか、にも興味が有ります。鵺代尾奈胴先も『平家物語』よりも後という事に成りますが。
 又、「矢の落ちた所」というのも在るそうで(地名は不明)、これも矢塚と言うそうです。

 (2)伝説「矢塚」から

 先ず只木が頼光四天王の卜部季武(※4)の居住地という事に驚きです。何故ならば「都島の鵺」というのは頼光四天王のリーダー格の渡辺綱が源頼政の郎党として大活躍するのみ為らず、渡辺党所縁の者が渡辺党が命を投げ打って仕えた源頼政の武勇を伝える為に「鵺の都島漂着譚」を”継ぎ足し”て語り継いだ、と私に推測させて居るのです。つまり簡単に言うと「都島の鵺」誕生には渡辺党(渡辺綱も含めて)が深く関わって居るのです。今度は三ヶ日に於いて、同じく頼光四天王の一人で渡辺綱の子分格の卜部季武が出て来るとは何と言う巡り合わせでしょうか!!
 加えて「昔からこの塚に上ると、おこり(熱病)にかかる」という件(くだり)は、何か禁忌の結界(※5)でも張られて居たのか?、と想起させます。何れにしても私は、屋敷跡にしろ矢塚にしろ墳墓にしろ、もの凄く興味が有るのです。

 (3)伝説「たたり屋敷」から

 これも鵺代の話です。鵺代の札木という所に、伝説の途中を省略しましたが「この屋敷へ何の関係もない誰が住んでも、どうも栄えぬ」と言われる「祟り屋敷」が在るそうです。この話にも(2)と同様な、何らかの禁忌の結界が在った事を臭わせます。

        (*_-) (-_-) (-_-) (-_-) (-_-) (-_-) (-_-) (-_*)

 以上の様に、鵺代周辺の話には「部外者が近付き難いバリアー(※6)」 -私が「禁忌の結界」と呼んだもの- を感じます。「鵺」というのが得体の知れない所為も有ってか、「鵺代」という地名にも不吉な何かを感じて仕舞うとしても仕方の無い事かも知れません。それ故に「三ヶ日の鵺」は秘密のヴェールに包まれて居る感じがします。

 ■結び - 「三ヶ日の鵺」を宜しく!

 ここ迄は調べたのですが、冒頭に記した理由から私が三ヶ日地方を経巡る旅をするにはもう暫く掛かります。何方か三ヶ日を経巡って呉れる方が居りましたら後をお任せしたい、と思って居ます。

 最後に三ヶ日地方について少々書いて置きます。
 先ず浜名湖北西部の三ヶ日には伝説が多いのです。再び【参考文献】△1から、上に挙げたもの以外で三ヶ日が舞台に成って居るものを挙げると

   11 ダイダラ坊子 (旧引佐郡三ヶ日町)
   36 三ヶ日池   (旧引佐郡三ヶ日町)
   37 念仏池    (旧引佐郡三ヶ日町只木)
   65 片葉の葦   (旧引佐郡三ヶ日町)
  154 稚児塚    (旧引佐郡三ヶ日町)
  240 沖の瀬御殿  (旧引佐郡三ヶ日町)
  300 三ヶ日の地名 (旧引佐郡三ヶ日町)

が在り、狭い土地にも拘わらず確かに伝説が多いということが解ります。
 次に橘逸勢(※7)の終焉地が遠江国三ヶ日、現在の住所では静岡県浜松市北区三ケ日町本坂で現在その地には橘神社が在ります(→地図参照)。嵯峨天皇・空海と共に三筆の一人と称えられた人ですが、最後は謀反の建議を掛けられ伊豆に配流の途中の事でした。中でも上に挙げた「65 片葉の葦」橘逸勢の娘に関するものなので興味有るお方は文献を当たって下さい。
 最後は既に紹介した「301 鵺退治」の伝説の中で「尾の落ちた所が尾奈となり」と言われた尾奈ですが、尾奈にはもう一つ別の謂れが在ります。この付近が『万葉集』巻14-3448

  花散(ぢ)らふ この向つ嶺(を)の 乎那(をな)の嶺(を)
    洲(ひじ)につくまで 君が齢(よ)もがも     詠み人知らず

に詠まれた場所とする説が有力です(△3のp122)。つまり「尾奈(おな)」は古くは「乎那(をな)」であったと言うのです。それで奥浜名湖駅西方の小高い浅間山(引佐郡三ヶ日町下尾奈、標高77m)が「乎那の峯(おなのみね)」比定地とされ、山頂にこの歌の歌碑が立てられて居ます。私は2005年に「乎那の峯」比定地を訪ねて居ます
 以上述べた様に、三ヶ日は伝説の密度が濃い土地柄なのです。

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φ-- おしまい --ψ

【脚注】
※1:源頼政(みなもとのよりまさ)は、平安末期の武将(1104~1180)。摂津源氏の源仲政の長男。白河法皇に擢ん出られ兵庫頭。保元・平治の乱に功を立てた。剃髪して世に源三位入道と称。後に以仁王(もちひとおう)を奉じて平氏追討を図り、事破れて宇治平等院で自殺。歌に秀で、家集「源三位頼政集」が在る。宮中で(ぬえ)を退治した話は有名。

※2:源頼光(みなもとのよりみつ)は、平安中期の武将(948~1021)。満仲の長男。摂津などの受領を歴任。驍勇を以て称され、左馬権頭に昇った。弓矢に優れ、頼光四天王 -渡辺綱・坂田公時・碓井貞光・卜部季武の4人の郎党- の話が「今昔物語集」に在る。大江山の酒呑童子征伐の伝説土蜘蛛退治の伝説は著名。名は「らいこう」とも。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※3:瘧(おこり、ague, malaria)とは、間欠熱の一。隔日、又は毎日一定時間に発熱する病で、多くはマラリアを指す。わらわやみ(童病)。季語は夏。竹斎「―をこそはふるひけれ」。

※4:卜部季武(うらべのすえたけ)は、平安中期の武士(生没年不詳)。渡辺綱・坂田公時・碓井貞光と共に源頼光の四天王の一人。渡辺綱らと酒呑童子を討つ話が「御伽草子」に在る。又、「今昔物語集」に頼光の郎党として描かれる平季武は、同一人物と見られる。<出典:「日本史人物辞典」(山川出版社)>

※5:結界(けっかい)とは、[1].〔仏〕修行や修法の為に一定区域を限ること。又、その区域に仏道修行の障害となるものの入ることを許さないこと。「女人―」。
 [2].寺院の内陣と外陣との間、又は外陣中に僧俗の座席を分つ為に設けた木柵。
 [3].帳場格子。
 [4].prohibition。内外を分け、出入りを禁じること。禁制。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※6:バリアー(barrier)は、防壁。障壁。

※7:橘逸勢(たちばなのはやなり)は、平安初期の能書家(?~842)。三筆の一。奈良麻呂の孫。804年(延暦23)遣唐留学生として僧空海と共に入唐。帰国後、承和の変に坐して伊豆へ配流の途中没。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『新版 静岡県伝説昔話集 上巻』(静岡県女子師範学校郷土研究会編、高橋和生挿絵、羽衣出版)。

△2:『平家物語(上)』(山田孝雄校訂、岩波文庫)。

△3:『万葉集(下)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。

●関連リンク
私の脳出血について▼
エイが向かいし島「江井ヶ島」(Rays went toward Eigashima, Kinki)
平成の大合併(住所は肥大化)とは▼
2006年・井川線あぷとラインの旅
(Ikawa Abt-line, Oi-river Railway, 2006)

鵺代(ぬえしろ)という奇妙な地名▼
2005年・天浜線に乗って(Get on Tenhama Railroad, Shizuoka, 2005)


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