大阪港紋章の「鵺」
[鵺を追え#1の1-都島・塚と紋章編]
('Nue' in the heraldic emblem of Osaka port)

-- 2006.02.03 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.08.21 改訂

 ■はじめに - ”変な場所”で”変な物”を発見

 私は昨日即ち2006年2月2日(木)、何時もの散歩コースである桜之宮公園から街中に飛び出して大川の両岸(北区と都島区)をチャリンコ(=自転車)で気儘に徘徊し神社や史跡を経巡って居ました。そして大川の東部、即ち都島方面を徘徊中に”変(へん)な場所”で”変な物”に出会して仕舞ったのです。その”変な場所”へ意図して行ったのでは全く無く、ほんの気紛れに細い路地に入ったら偶然に遭遇したという訳です。その”変な物”の紹介が当ページの中身です。
 私はこの”変な物”を我がサイトに掲載しようと早速昨日の晩から稿を起こしましたが、この”変な場所”を全く説明出来ないので今日(2月3日)再び場所を確認に行ったら、やはり迷って仕舞いました。そういう場所ですが今日は確り覚えて来ました!
 その場所というのは都島本通の地下鉄都島駅南側の「桜通商店街」という商店街アーケードの途中から細い路地を東に入った狭隘な場所で、”変な場所”と記す理由は地元の人以外でここに入り込んで来る人は滅多に居ない場所だからです。この細い路地は余所者が通行する道では有りません。後で調べたら地図上では大阪市都島区都島本通3-18です(△1)が、都島小学校の数10m西に位置すると言った方がこの場所を訪ねるには判り易いかも知れません。
 次は”変な物”の話ですが、それは次章以降で述べましょう。

 ■”変な物”その1 - 鵺塚

 (1)「鵺」の怪

 上述の如く商店街途中の細い路地を入ると民家に挟まれた狭い場所に小さな祠(左下の写真)が祀られ花が供えられて居ました。地元の人たちの心遣いが伝わって来ますが、この様な光景は大阪市内で時々見掛けるもので珍しくも”変”でも有りません。心惹かれたのは祠の奥に鎮座してる三角形の石でした。
写真1-1:都島の鵺塚の祠。写真1-2:鵺塚の三角石の拡大。
 その三角形の石の拡大が右の写真で、ご覧の様に三角石には少し判読し難いですが「鵺塚」と記して在るのが読めると思います。私は思わず(ぬえ)とは怪しいゾ!」(※1)と叫びそうに成りましたね、否、叫んだかも知れません。
 

 ”変な物”その1とはこの鵺塚です。何故”変”か?、それを以下に述べましょう。
 IT全盛(※2)の今のご時勢に於いて「鵺」なるモノのイメージを直ぐに思い浮かべる事が出来る人が一体何人居るのでしょうか?、そもそも「夜」偏に「鳥」と書く「鵺」とは何ぞや?(What's a Nue ?)、話はそこから始まります。

 【脚注】※1に在る様に「鵺/鵼(ぬえ)」は、

  <1>夜に「ひいい、ひよお」と鳴く実在のトラツグミ(虎鶫)の異称(※1の[1]、※1-1)。

ですが、別の意味では

  <2>「頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎」という伝説上の怪獣で、トラツグミに似た鳴き声を発する(※1の[2])。

と信じられて来ました。

 それにしても”とんでもない組み合わせ”(※3)ですが、こういう怪獣を合成獣と言います。つまりは人智を超えた魑魅魍魎(※4~※4-2)の一種なのです(→合成獣や魑魅魍魎については後で詳述)が、では何故この地に鵺塚が?

 (2)都島の鵺塚の由来

 その疑問に答えてるのが同地に立つ都島区の鵺塚説明板(左下の写真)です。それに拠ると、
写真1-3:鵺塚説明板。 近衛天皇(※5)の仁平3(1153)年に「鵺」という怪獣が紫宸殿に夜毎現れ帝を悩ませて居たのを、侍臣の源三位頼政(※6)が鵺を矢で射落したら、鵺は「頭が猿、胴が狸、四肢が虎、尾が蛇」の姿をして居ました。これを丸木舟に乗せて淀川に流したところ、湿地帯であった当地に漂着しました。祟りを恐れた村人たちは鵺の死骸を土に埋め祠を建てて「鵺塚」と呼び懇ろに祀りました。
 現在の塚は明治3(1870)年に大阪府が改修し、祠も昭和32(1957)年に地元の人々が改修したもの。

という内容が記されて居ます。これが当地の鵺塚の由来です。但し、説明板では「紫宸殿」と記されて居ますが、厳密には「清涼殿」です。又、湿地帯だった当地は嘗て滓上江・澤上江(かすがえ)と呼ばれて居た様です(△1)。
 成る程、これで鵺塚の由来が解りましたが、ここに記された内容は2つの伝承の合成です。即ち

  <伝承その1>源頼政の鵺退治伝説

  <伝承その2>鵺の都島漂着譚

です。又、この説明板では鵺が「紫宸殿」に現れたと記されて居ますが、実は鵺が出没した場所は「清涼殿」(=天皇の常の居所)が正しいのですが、その事も含めて<伝承その1>の話の出所(でどころ)や<伝承その2>の根拠については後回しにして、ここは鵺塚の紹介だけに留めて置きます。
    {この章は06年2月27日に更新}

 ■”変な物”その2 - 大阪港紋章の奇抜なデザイン

 (1)全く知らなかった大阪港の紋章

 この場所にはもう一つ”変な物”が存在します。鵺塚の祠の右側に大阪港紋章の説明板(※7)が在るのですが、この紋章のデザインが”変な物”その2です。
写真2-1-1:大阪港紋章説明板中の紋章の図案。 先ずは左の写真をご覧下さい。これが大阪港紋章の図案ですが実に奇抜なデザインで、これを見ると両側の奇っ怪な怪物にどうしても目が先に行って仕舞います、特に尻尾の先が蛇の頭に成り舌を出して居る(右下の拡大写真)のはスゴイの一言!
写真2-1-2:鵺の顔と尻尾(先端は蛇の頭)。 このデザインの下に付帯してる説明文(後出)に拠るとサポーターと言うんですね、中央の盾を支え持つ役を。この怪物サポーターこそが前述の(※1)で「頭は猿、胴は獅子、尾は蛇、手足は虎」と書いて在ります。胴は元来はですが意匠的に威厳の有る獅子にアレンジしたのでしょう。
 盾内部の図案 -実は紋章では盾内部の図案が大事(→後述- は上段から澪標と錨(←澪標は大阪市の市章)、銀杏の葉(←銀杏は御堂筋のシンボル、因みに大阪市の木は桜)、昔の日本の帆船(←港には船)です。
 そして盾の上に乗るのが大阪市庁舎の澪標の鐘、盾の下には
  FAMAET PROGRESSUS
と記され、これは「名声と進歩」とい意味の標語です。
 ところで一般に、紋章には怪獣が起用される場合が多い(→その発端は後述ですが、その理由は単に盾を支え持つ物理的力以上に”魔除け”の神通力を発揮する必要が有るからで、これは神社の狛犬や屋根の鬼瓦と同じです。そのサポーターに「鵺」が採用された理由は前章の「鵺塚の由来」で述べた様に、鵺が大阪市と因縁が深い上に魑魅魍魎(※4)としての捉え所の無い怪しさに神通力が感じられたからでしょう。
写真2-1-3:大阪港紋章説明板中の説明文。
 右が大阪港紋章の説明文ですので、お読み下さい。

 ところで皆さん、大阪港の紋章をご存知でしたか?、私はこれを見る迄デザインはおろか紋章の存在すら全く知りませんでした。そこで次に紋章のデザインの由来を述べましょう。

 (2)紋章成立の経緯

 実は大阪港の紋章の歴史は未だ浅く1980年に誕生とは意外です。この年に大阪港とフランスのルアーブル港(※8)との姉妹港提携を調印するに当たり、大阪市港湾局が紋章研究家の森護(もりまもる、1923~2000)氏の指導監修を仰ぎ西洋の紋章学に則って作成したもので、この紋章以前は「澪標と錨」(=現在の紋章中の盾上段の図案として残る)を単なるマークとして使って居たそうです(△1)。

  ◆大阪港紋章に触れてる森護氏の著書

 この紋章作成後の1982年に初版が刊行された森護氏の『西洋の紋章とデザイン』という本に大阪港紋章が完成する迄の経緯が記されて居ます(△2のp184~186、カラーの紋章図はp24)ので、興味有る方は繙(ひもと)いて下さい。この本を開くと先ずサポーターには怪獣が多い事が見て取れます(←その理由は前述)。そして西洋では港湾都市が姉妹港の提携をする際には互いに紋章レリーフを交換する習わしが有る事や、発案から完成迄半年を要した甲斐有って相手のルアーブル市の紋章のサラマンダー(火蜥蜴、※9、△3のp36とp341、△3-1のp200)という怪獣に負けず劣らず”我が鵺”は外国人にも強烈なインパクトを与えた、と在り大阪市は鵺の紋章で大いに面目を一新しました。
 ここで森氏の著書を紹介した序でに、同書から知識を拝借して蘊蓄を記して置きます(△2のp34~43)。

    ++++ 西洋に於ける紋章の起源 ++++
 西洋の紋章の発祥は11世紀初頭のドイツ騎乗槍試合での「盾の図柄」が元です。騎乗槍試合は騎士が槍と盾を持ち馬に乗って戦うものですが、双方とも鎧を見に纏うので観衆に彼我の区別が付き難いのを「盾の図柄」の違いで見分け可能にした為です。これは競馬に於いて騎手のゼッケン番号と帽子の色で馬を見分けるのと同じ発想です。従って「盾の図柄」はそれを持つ人物が誰であるか一目瞭然である必要が有り、そこから家柄を表す家紋を主体とした紋章図案に進化しました。これをドイツ語でワッペン(Wappen)(※7-1)と言います。これがフランスに伝わり12世紀中頃にはイギリスの旧イングランド王国地方に伝わり、折から十字軍派遣の時期と重なって「盾の形をした紋章」はヨーロッパ中に普及しました。
 従って紋章デザインの中核は飽く迄も「盾の図柄」で、盾を支え持つサポーターなどの周辺は全てアクセサリー(付属品)であり紋章を誇張する為に後から付加されたものです。そして
  盾のみの紋章     :コート・オブ・アームズ(coat of arms)
              小紋章(small arms)
  アクセサリー付きの紋章:アチーヴメント(achievement)
              大紋章(great arms)
と呼びます。
 又、中世の騎士時代は盾の紋章で敵を威嚇する実用効果も期待され(△3-1のp104)、これが盾内部やサポーターの図案に怪獣が多い事の発端です。盾を使用しない近代以後は紋章の実用性は薄れ専ら”名門の証”を誇示する象徴的存在と成りました。そして、この様な紋章の起源や変遷やデザイン構成を研究する学問が紋章学(heraldry)です。
    ---------------------


 成る程、これで西洋の紋章が何故「盾」の形をしているのかが解りました。前述の様に鵺ばかりに目が行って仕舞いましたがサポーターの鵺はアクセサリーだったのですねえ。
                (*_-)

 ところで、同書には悪趣味な紋章の図も載って居ます(△2のp191~193)。著者の森センセイは生真面目な方らしく、こういうのは品位を欠くからダメだという例として掲載して居りますが、私は悪趣味な美術が好きです -【参考文献】△3~△3-2を所蔵してる事からお解り戴けると思います- ので、これが実に面白いですね。特にp191の蔵書票(※7-2)の紋章デザインの数葉の内、貞操帯以外は何も身に着けて無い豊満な女性の、その貞操帯の鍵を鎧を着た兵士風の男が蝋燭の火に息を吹き掛けて消し乍ら今正に開錠しようとしてる図、p192の「死の紋章」の図が気に入りました。特に前者から私は「本の表紙を開く事は、貞操帯の鍵を抉じ開ける愉しみに通ずる」という寓意(※10)を読み取りましたので、私と同じく悪趣味の図像に興味有る方は
  悪趣味な紋章の中の秀作
  (Excellent pieces of the bad taste heraldic emblems)

をクリックして図像をご覧下さい!
    {この章は06年2月9日に更新}

 ■鵺を詠んだ歌

 元々はトラツグミの古名であった「鵺」という語に怪獣のイメージが付加されたのは平安後期の「源頼政の鵺退治伝説」以後(※6)で、それ以前には鵺に怪獣のイメージは有りません。鵺を詠んだ歌で確認して行きましょう。
 先ずは奈良時代に編纂された日本最古の歌集『万葉集』から見てみましょう。例えば巻1-5番の長歌に

  霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず
    [むらきもの] 心を痛み [ぬえこ鳥] うらなけをれば
    [玉だすき] 懸けのよろしく 
    [遠つ神] わが大君の 行幸(いでまし)の...
                      讃岐にて軍王(いくさのおほきみ)


と在り、巻10-1997番に

  [ひさかたの] 天の川原に
    [ぬえ鳥の] うら歎(な)けましつ ともしきまでに
                           詠み人知らず


と在ります(△4)。又、巻17-3978には

  ...[あをによし] 奈良の吾家(わぎへ)
    [ぬえ鳥の] うらなけしつつ 下戀(したごひ)
    思ひうらぶれ 門に立ち...
                           大伴宿禰家持


と在ります(△4-1)。これらは何れもトラツグミが夕暮れ時や夜にうら悲しく鳴くのに掛けて心の切なさを詠んだもので、この例では「鵺子鳥」「鵺鳥の」は「うらなく」と対を成して現れて居ます。実は「鵺子鳥」「鵺鳥の」は「片恋」「うらなく」「のどよひ」などに掛かる枕詞(※1-3、※1-4)なのです。更には上で[×××]の箇所は全て後続の語に掛かる枕詞で、この様に枕詞が頻出するのが『万葉』の一大特徴ですが、これは古代人の「言葉遊び」です。
 『万葉』の”お勉強”はこの位にして、以上でお解りの様に古代の鵺は専ら「うら悲しさ」「切なさ」の象徴として引用されてるだけで、怪獣のイメージは皆無です。

 平安時代の代表的歌集である『古今集』『新古今集』には鵺は登場しません。前節の大伴家持の歌の様に鵺が家に飛び来る山深い奈良から平坦な平安京に引っ越した貴族たちは最早「夜啼く鳥」に関心を抱かなく成ったと考えられます。唯、平安末期の西行(※11)の『山家集』に次の一首が在ります(△5のp192)。

  さらぬだに 世のはかなきを 思ふ身に ぬえ鳴き渡る 明ぼのの空
                           西行


 西行は佐藤氏という貴族 -藤原秀郷を源流とし「左衛門尉の藤原氏」の略とされる- の出ですが、然る事情(←高貴な女性との失恋説が在る)から出家し、俳句の松尾芭蕉に先んじて諸国を旅して歌を成し、草深い地に庵を結んだりと、言わば「夜啼く鳥」に囲まれて生活した時間が長かった人ですので、鵺を詠んだ歌が一首位有って当然ですが、ここでも怪獣のイメージは皆無です。

 ■鵺のルーツを探る - 合成獣の系譜

 考えてみれば、化け物(お化け)/魔物/幽霊・亡霊/妖怪変化/鬼/怪物/怪獣/魑魅魍魎などは何れも人間が勝手に創り出した「想像力の産物」です。暗い夜道を一人で歩くと何かしら恐怖を感じる -この恐怖感を昔の人は物の怪(※12)などと言って居ました- から”お化け”を空想・妄想して仕舞う訳で、同じく夜の山中でトラツグミやフクロウなどの「夜啼く鳥」の鳴き声を聞けば寂しさと不気味さが掻き立てられ不吉な鳥として忌む様に成り、やがて鵺の様な”とんでもない組み合わせ”合成獣へと増幅発展するのです。
 日本史に於ける特殊事情に付言すると、土蜘蛛には注意が必要です。これらの言葉は想像上の”お化け”の類とは別次元の先住民系の”服(まつろ)わぬ者”を指す場合が多いからです。又、中世には幽霊・亡霊の一種の怨霊(※12-1)が「祟り」(※12-2)という報復概念と結び付いて流行し、その典型として菅原道真の天神信仰が生まれました。
                (-_*)

 そこで、この章では合成獣に注目し目を広く世界の怪獣に転じると鵺に似た奇妙な合成獣が沢山居る事に気付かされます。その中から鵺と”近縁”な怪獣を紹介し乍ら鵺のルーツを探ります。

  1.キメラ(Chimera)/キマイラ(Chimaera[ラ])(※13)
            - 古代ヒッタイト起源(→ギリシャ神話化)

図Ch:キマイラ。 ギリシャ神話に登場する怪獣として知られ、頭がライオン胴体が山羊尾が蛇で、口から炎を吐く。この属性はキマイラが棲息したとされるリュキアス山の擬獣化 -絶えず噴煙を上げる火山で、高所にライオン、中腹に山羊、麓に蛇が棲むとされる(△3-1のp90)- で、天馬ペガサスに騎乗したベレロポーンに上空から攻撃され退治された点が鵺と類似して居ます。
 しかし起源はメソポタミア地方を征服した事も有るヒッタイトで、元々は季節を象徴する聖獣 -ライオンが春、山羊が夏、蛇が冬- でした。

 ギリシャ神話には色々な合成獣が登場します(△6のp48~49)が、これは行き成り本命に可なり近いですね。キマイラはギリシャ神話に採り入れられて西欧世界に広く流布されました。因みに、一般名詞 chimera には「途方も無い妄想」という意味が有り(※13の[2])、形容詞 chimerical には「途方も無い」という意味が有るのですが、この「途方も無い」は即ち当ページでキーワード的に使用している”とんでもない(=途んでも無い)”と同じ意味(※3)です。

 行き成り本命が登場した感じですが、「合成獣の系譜」を見る為に次はギリシャ以外を探してみましょう。古代エジプトにも「尾が蛇」の合成獣が居ます。

  2.アモン(Amon)/アメン(Amen)(※14) - 古代エジプト起源

図A:アモン/アメン。

 太陽神ラーと同一視される以前の原形は、頭がフクロウ(梟)で嘴に鋭い犬歯が有り、身体は狼尾は蛇口から炎を吐くエジプトの最高神の一人(△3-2のp37)。
 

 このアモン(又はアメン)も尾が蛇で炎を吐く点がギリシャのキマイラに似て居ます。古代のエジプトとギリシャは互いに交流して居ました -時には戦った- のでキマイラの影響を受けて居る可能性が有ります。又、アモンは頭がフクロウなのでフクロウの声で鳴くと鵺に近付く(※1-3)と思います。

 メソポタミア地方やギリシャ、エジプトと来たら、次は古代インドです。

  3.マンティコア(Manticore) - 古代インド起源
図M:マンティコア。
 顔が老人で口は大きく裂け、胴体が獅子、背中に大蝙蝠の翼尾は蠍(さそり)とされる。砂漠や密林に棲み縦横に飛び回り、通り掛かった人畜を尾のや鋭いで襲い、強靭なで噛み砕き最後は残らず食い尽くす。又、「老人の顔」は死の象徴で時には言葉で人間を誘き寄せる(△3-1のp96)。
 

 これも強烈ですね。インドでは非常に恐れられた怪獣の様ですが、マンティコアの日本での浸透度・知名度は今一低いと言わざるを得ません。

 次に紹介する古代中国の『山海経』(※15、△7) -中国も古代文明発祥地の一つ- という書物は”この手”の怪獣や合成獣の宝庫です。その”とんでもない想像力”には唖然とさせられ且つ嬉しく成って来るという痛快な奇書です。

  4.『山海経』の合成獣 - 古代中国起源
図sR:山海経の類。
    [1].類(るい):亶爰(せんえん)の山に棲む。身体は狸の如くで髦(たれがみ)が有る。自家生殖し、食すと嫉妬(りんき)しない(南山経、△7のp19)。
図sT:山海経の彘。
    [2].彘(てい):浮玉(ふぎょく)の山に棲む。身体は虎の如くで牛の尾犬の吠え声に近く人を食う(南山経、△7のp23)。
図sE:山海経の英招。
    [3].英招(えいしょう):槐江(かいこう)の山に棲む人面馬身で胴には虎斑(或いは胴が虎馬の脚か)、鳥の翼を有し四海を廻る。声は榴(りゅう、未詳)の様(西山経、△7のp39)。
図sB:山海経の馬腹。
    [4].馬腹(ばふく):蔓渠(まんきょ)の山に棲む。人面虎の身体声は嬰児の様。人を食う(中山経、△7のp84)。
 

 最後に一応の参考として日本の雷獣(※16)を挙げて置きます。

  5.参考:雷獣(らいじゅう) - 近世日本起源

 その形は小犬に似て灰色頭が長く黒い喙は黒く、尾は狐に、爪は鷲に似る。雨天に勢い付き、に乗って飛行落雷と共に地上に落ち、人畜に害を為す。

 鵺を雷獣とする説が一部で在る様ですが、雷獣が登場するのは江戸時代からで平安時代後期の鵺の方が断然先ですから取るに足りない説です。寧ろ黒雲と共に現れる『北野天神縁起絵巻』の雷神図から雷獣のイメージが作られたと見るべきです。

                (*_-)

 以上の様に合成獣を探索して解った事は、キリスト教以後の西洋では一神教が行き渡り「怪獣=悪魔的=反キリスト的」というフィルターが強い為に、蝙蝠・蛇・竜・サタン・魔女など、可なりパターンが束縛され限定(=想像力が限定)されるのに対し、古代ギリシャやアジア地域の多神教的世界の方が想像力が自由で豊かであるという事です。

  ◆鵺のルーツはキマイラか(?)

 これらの合成獣を比較検討すると、ギリシャ神話のキマイラが我が国の鵺の”とんでもない組み合わせ”に可なり近いと言えます。そこでキマイラがギリシャから日本に伝播した可能性を考えてみると、聖徳太子の幼名「厩戸皇子」にキリスト教(=景教)が反映してる可能性が大 -それには聖徳太子と非常に親密な関係に在った秦河勝率いる秦氏が関与か(?)- で、その後も遣隋使・遣唐使などを通じて西欧の文化が中国経由で輸入されてますから、西欧世界に広く流布されたキマイラが平安後期迄に日本に移入された可能性は可なり高いと考えられます。
 故にその後、平安末期の12世紀末迄の間に「キマイラから鵺に変容」した可能性は大いに有りますが、しかし又「国内で独自に鵺のイメージが形成」された可能性も否定出来ず、鵺のルーツとしてキマイラが可能性が高いものの断定は出来ないというのが私の結論です。
    {この章は06年2月9日に追加し、2月18日に更新}

 ■結び - 思わぬ場所で思わぬ発見

 冒頭で”変な場所”で”変な物”を発見したと述べましたが、今回の散歩 -チャリンコで走ったので”散走”か- では思わぬ場所で思わぬ発見をしました。私は「思わぬ発見」こそ旅の醍醐味と思って居ますが、このチャリでの”散走”も小さな小さな旅と言えます。又、旅は身近な所からを旅の原点と私は思って居ますので、2月2日は私にとって意義有る一日と成りました。こうして適度に運動し良い気分で帰って来るとビールも夕食も一段と旨い、そして健康に良い、という具合で良い事尽くめの一日でした。更にこの「思わぬ発見」を切っ掛けに色々と調べたら、このページに記した面白い事が色々解りました。だから身近な小さな旅を止められないのです。
 中世王朝時代の平安後期には天皇を大いに悩ませた鵺ですが、中世の暗雲が取り除かれて行くに連れ鵺は少しずつ人々の記憶から失せて行きました。怪談物が流行った江戸時代に於いて既に鵺は”お化け”としては現実味の薄い過去の存在として扱われて居ます。況んや、近代の文明開化を経てテレビゲーム時代の現代に至っては一般の人々にとっては「鵺」とは何ぞや?(What's a Nue ?)という存在なのです。そういう意味では「鵺は中世王朝の貴人たちの共同幻想」に過ぎなかったと言え、それ故に鵺は捉え所が無く、今では怪獣としてでは無く捉え所が無い人の譬え(※1の[3])の用法のみが一般的です。
 従って現代では鵺は好事家好みの”中世考古学”の中に完全に封じ込められて仕舞いましたが、そんな鵺が現代の大阪港紋章の中に蘇生して生き続けて居る事を知り私は歓喜踊躍の思いです。という事で、「鵺」がテーマの当画面の背景は大阪港紋章の「鵺の顔と尻尾の先(=蛇の頭)」にしました。私の鵺及び大阪港紋章に対する細やかな敬意の表明です!
 都島の鵺塚の由来の基を成す「2つの伝承」の根拠続編の「都島・伝承編」にて詳しく検証する事にし、本編及び続編を[鵺を追え]シリーズとします。{続編へのリンクは06年2月18日に追加}

 尚、[鵺を追え]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

 >>>■その後 - 尾が蛇の様な実在の動物を発見

写真a:ヌートリア。
 これは全く偶然なのですが、私は06年8月4日に淀川で尾が蛇の様な実在の動物を発見して仕舞いました。その動物の名は外来系のヌートリアです(右の写真)。

 その生態写真を掲載したページを06年8月21日にアップロードしましたので
  「”生きている”淀川の入江」

からご覧下さい、水草を食べてるビデオも見れます。
 ヌートリアは身体は毛に覆われて居ますが尻尾には毛が無く鱗状で丸で黒色のゴムの蛇の様です。この尻尾だけが草叢の中で見えたら誰でも蛇と勘違いすると思います。ヌートリアを怪獣風に評すると「胴は特大の鼠、尾は蛇。地上と水中を自由に徘徊す。」ですね。ヌートリアの写真を見ると前述のアモン(又はアメン)の図(△3-2のp37)に酷似して居ます。

    {この記事は06年8月21日に追加}

φ-- つづく --ψ

【脚注】
※1:鵺/鵼(ぬえ)とは、[1].トラツグミ(虎鶫)の異称。季語は夏 。古事記上「青山に―は鳴きぬ」。
 [2].源頼政が紫宸殿上で射取ったという伝説上の怪獣頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似て居たと言う。平家物語などに見え、世阿弥作の能(鬼物)にも脚色。
 [3].転じて、正体不明の人物や曖昧な態度に言う。「―的存在」。
※1-1:虎鶫(とらつぐみ、white's ground thrush)は、スズメ目ヒタキ科の鳥。ツグミよりやや大形で、背面は黄褐色、腹面は黄白色で一面に三日月形の黒斑がある。昆虫・ミミズ・木の実を食べる。日本・中国などで繁殖し、冬は南に移る漂鳥。低山帯の林に棲み、夜「ひいい、ひよお」と寂しい声で鳴く。ヌエ(鵺)。ヌエドリ(鵺鳥)。ヌエシナイ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1-2:漂鳥(ひょうちょう、vagrant, wandering bird)とは、一地方の中で越冬地と繁殖地とを異にし、季節に依り小規模の移動をする渡り鳥。夏は山に近い林に棲み、冬は人里近くに移るウグイスの他、ムクドリ/メジロ/ウズラなど。
※1-3:鵺子鳥(ぬえこどり)は、(コは愛称)[1].トラツグミの異称。ぬえ。一説に、夜鳴く鳥の総称とし、フクロウ・ミミズクなどをも含む
 [2].〔枕詞〕→ぬえどりの。
※1-4:鵺鳥(ぬえどり)は、[1].トラツグミの異称。徒然草「―も喚子鳥(よぶこどり)のことざまに通ひて聞ゆ」。
 [2].鵺鳥の(ぬえどりの)は、〔枕詞〕(その鳴き声が物悲しく人を恋うる様に聞えるから言う)「片恋」「うらなく」「のどよひ(呻吟)」などに掛かる。「ぬえこどり(鵺子鳥)」とも。

※2:IT/ITとは、(information technology の略で「情報技術」の意)
 "information technology" という言葉は旧来から使われて来たが、「IT」という略語は旧態の情報技術には用いない(←旧態は、大衆的情報伝達が一方向的で相互交信は特定機関や業者間に限定されて居た)。コンピュータの高性能化・低価格化と通信の大容量化・高速化を基礎に、95年のWindows95と共に急普及したインターネットに依る情報通信の大衆化を受けて登場した、ビジュアル会話的大衆参加を特徴とする1995年以後の大衆参加型情報通信技術を指す語。特に旧態の部門毎の垣根を飛び越えて、企業間のみならず個人でも直接交渉(取引)・直接投書(投票)が可能と成り、産業や行政の構造改革を迫る技術革新として捉えられて居る。「―業界」「―革命」「―バブル」。

※3:「とんでもない」は、〔形〕(「途でも無い」の転)
 [1].unexpected。思い懸けない。意外な。「―所に隠れていた」。
 [2].outrageous, unbelievable。酷く道理に外れて居る。途方も無い。とても考えられない。「―い話だ」。
 [3].not at all。(強い打ち消しの語)そんな事は無い。冗談では無い。「いや、―」。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※4:魑魅魍魎(ちみもうりょう)とは、山の怪物川の怪物。様々の化け物。
※4-1:魑魅(ちみ)とは、[史記五帝本紀](「魑」は虎の形をした山神、「魅」は猪頭人形の沢神)山林の異気から生ずるという怪物。山の神。すだま。「―魍魎」。
※4-2:魍魎(もうりょう)とは、[1].水の神
 [2].山川の精。木石の怪。「魑魅―」。

※5:近衛天皇(このえてんのう)は、平安後期の天皇(1139~1155、在位1141~1155)。鳥羽天皇の第9皇子。名は体仁(なりひと)。鳥羽法皇が院政。

※6:源頼政(みなもとのよりまさ)は、平安末期の武将(1104~1180)。摂津源氏の源仲政の長男。白河法皇に擢ん出られ兵庫頭。保元・平治の乱に功を立てた。剃髪して世に源三位入道と称。後に以仁王(もちひとおう)を奉じて平氏追討を図り、事破れて宇治平等院で自殺。歌に秀で、家集「源三位頼政集」が在る。宮中で(ぬえ)を退治した話は有名。

※7:紋章([coat of] arms, crest, [heraldic] emblem)は、[1].家の章(しるし)として用いる一定の図柄。天地文・動植物・器物などに象(かたど)った図案が多く、日本では有らゆる階層が有している。定紋(じょうもん)。紋所(もんどころ)。
 [2].国家・市町村・学校・会社などの標章として用いるマーク。
 [3].西欧の紋章は盾の形に描かれ、貴族社会の専有物である。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※7-1:ワッペン(Wappen[独])とは、(紋章の意。中世騎士の盾などに付けて居たもの)ブレザー・コートなどの胸・腕などに付ける縫取りの装飾の類。又、これに模して作った紙・ビニール製の玩具。エンブレム。
※7-2:蔵書票(ex-libris[ラ], bookplate)とは、蔵書の表紙・見返しなどに貼り付けて、その所蔵者を示す為の印刷した小票。書票。エクス・リブリス

※8:ルアーブル(Le Havre)は、フランス北部、セーヌ川河口北岸の港湾都市。人口20万。1517年に港が建設されてから発展し、同国有数の貿易港と成った。金属・自動車・機械・石油化学などの工業が盛ん。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※9:サラマンダー/サラマンドラ(salamander)とは、[1].〔動〕サンショウウオ
 [2].火蜥蜴(火の中に棲むと言われた伝説上の動物)。
 [3].火の精
<出典:「研究社 新英和・和英中辞典」>

※10:寓意(ぐうい、hidden meaning, allegory)とは、他の物事に託(かこつ)けて、それと無く或る意味を仄めかすこと。寓喩。アレゴリー。「―を読みとる」「―小説」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※11:西行(さいぎょう)は、平安末・鎌倉初期の歌僧(1118~1190)。俗名、佐藤義清(のりきよ)。法名、円位。鳥羽上皇に仕えて北面の武士。23歳の時、無常を感じて僧と成り、高野山、晩年は伊勢を本拠に、陸奥・四国にも旅し、河内国の弘川寺で没。述懐歌に優れ、新古今集には94首の最多歌数採録。家集「山家集」

※12:物の怪(もののけ、evil spirit, specter)とは、死霊・生霊などが祟ること。又、その死霊・生霊。邪気。源氏物語葵「―いきすだまなどいふものおほく出で来て」。「―に取りつかれる」。
※12-1:怨霊(おんりょう、vengeful ghost)とは、怨みを抱いて祟りをする死霊、又は生霊(いきりょう)。→御霊(ごりょう)は死霊に対して言う。
※12-2:祟り(たたり、curse)とは、[1].祟ること。神仏・怨霊などのする災い。「後の―が恐ろしい」。
 [2].悪い報い

※13:キメラ/キマイラは、
 [1].〔神〕(Chimaera[ラ]から)Chimera。ギリシャ神話の怪獣で、ライオンの頭、山羊の体、蛇の尾を持ち、口から火を吐く。天馬ペガサスに騎乗したベレロポーンに退治されたキマイラ
 補足すると、起源はヒッタイトの聖獣(ライオンが春、山羊が夏、蛇が春を表す)。
 [2].chimera。途方も無い幻想や妄想。
 [3].chimera。〔生〕2対以上の親に由来する二つ以上の胚、又はその一部から出来た1個の個体。異なった遺伝子型が体の各部で混在する。接木雑種や胚移植に依るキメラ・マウスはこの例。→モザイク。
<出典:一部「研究社 新英和・和英中辞典」より>
※13-1:ヒッタイト(Hittite)は、紀元前2千年頃小アジアに移動して来たインド・ヨーロッパ語系諸族の一派とその王国。馬と鉄器・戦車を使用して軍事に優越、前16世紀に小アジア/メソポタミア/シリアの各一部を征服、前14~13世紀小アジアを中心に大帝国を建設したが、前12世紀、海の民に都ハットゥサ(トルコのボアズキョイ)を破壊され急激に衰亡。楔形文字象形文字を残す。ハッティ。ヘテ人(旧約聖書)。

※14:アモン(Amon)/アメン(Amen)は、〔神〕古代エジプトの神。テーベの守護神であったが、後に太陽神ラーと同一視されアモン・ラーと呼ばれる。

※15:山海経(せんがいきょう/さんかいきょう/さんかいけい)は、中国古代の神話と地理の書。主に洛陽(周代の洛邑)地方を中心に山や海の動植物や金石草木の他、祭祀・神話・伝説・怪談などを記し、中国神話の宝庫と言われる。18巻。禹の治水を助けた伯益の著とされるが、戦国時代~秦・漢代の作。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※16:雷獣(らいじゅう、thunder animal)は、想像上の怪物。晴天の日には柔懦(じゅうだ)であるが、風雨に遭うと勢い猛烈と成り、に乗って飛行し、落雷と共に地上に落ち、樹木を裂き人畜を害する。形は小犬に似て灰色、頭長く喙黒く、尾は狐に、爪は鷲に似ると言う。木貂(きてん)。
※16-1:柔懦(じゅうだ)とは、煮え切らず、意気地の無いこと。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:Webサイト「大阪市市政 大阪港紋章について」。

△2:『西洋の紋章とデザイン』(森護著、ダヴィッド社)。

△3:『オカルトの図像学』(フレッド・ゲティングス著、阿部秀典訳、青土社)。
△3-1:『別冊歴史読本66号 幻獣博物図鑑』(新人物往来社編・発行)。
△3-2:『地獄の辞典』(コラン・ド・プランシー著、床鍋剛彦訳・吉田八岑協力、講談社)。

△4:『万葉集(上)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。
△4-1:『万葉集(下)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。

△5:『山家集』(西行著、佐佐木信綱校訂、岩波文庫)。

△6:『シンボル事典』(水之江有一編、北星堂書店)。

△7:『山海経 中国古代の神話世界』(高馬三良訳注、平凡社)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):秦河勝・秦氏や景教について▼
資料-聖徳太子の事績(Achievement of Prince Shotoku)
サブページ(Sub-Page):悪趣味の紋章図▼
悪趣味な紋章の中の秀作
(Excellent pieces of the bad taste heraldic emblems)

チャリンコの語源や大阪市の市章「澪標」について▼
大阪市の渡船場巡り(The wharves and ferries of Osaka city)
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