”生きている”淀川の入江
[私の淀川・その3]
(Live CREEK in Yodo-river, Osaka)

-- 2006.08.21 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2007.05.28 改訂

 ■はじめに - トンボとヌートリアが同居する入江

 淀川は「私の庭」の一部ですが、06年8月4日に私が良くトンボを見に行く淀川左岸の入江(大阪市都島区毛馬町)で、奇妙な動物が入江を泳いで居るのを見付けました。初めカワウソかな?、と思いましたが良く見ると尻尾が細長く体形は鼠(ネズミ)そっくり -但し、大きさは鼠より滅茶デカイ!- です。帰って図鑑で調べたらヌートリア(※1)という外来種の哺乳動物でした。その事は
  日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)

に第1報を掲載しましたが、この機会にヌートリアやトンボや鴨などが同居して生息するこの入江のことをご紹介しましょう。

    ++++ 何故私がトンボに拘泥るか? ++++
 その前に、何故私がトンボに拘泥るか?、と言うと実は私は幼少の頃は昆虫採集少年で本格的に展翅をし標本を作って居ました、中でもトンボが好きだったのです。その為に随分虫を殺しましたが私の少年時代は「殺しても殺しても虫は居た」のです。それが最近ではめっきり減りましたね。私も「食う為に働いた」ので、その間は封印して居ましたが、1998年頃からデジカメで写真を撮る事をを始めました。もう虫は殺しません。その代わりに昔より観察をする様に成りましたね。この場所は私にとって重要な観察の場所なのです。
 但し、捕虫網で捕獲する場合は捕虫網が届く範囲なら飛んでいても捕獲出来ますが、写真を撮る場合には「止まってくれる」のが、ほぼ絶対条件と成ります。その為に良く見掛けても中々写真に撮れない種が居るのです。トンボの写真は後で出て来ます。
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写真0-1:私のチャリンコ。 ですから、この入江は昆虫の定点観測地として私の「秘密の場所」なので本当は他人に教えたく無いのですが、敢えて公表することにします。と言ってもこの入江に名前が付いている訳ではありません。私は何時もチャリンコ(=自転車、※2)で桜之宮公園を通り抜けて与謝蕪村生誕地の句碑が在る毛馬閘門の脇から淀川左岸の河川敷に降ります。右が06年に新調した私のチャリです(06年9月3日撮影)。
 そして下が下流側の閘門脇の堤防上から見た入江の眺望です(06年9月3日撮影)。サッカー・グラウンドの向こうに樹木が繁っている所が中洲で、そこと河川敷の間が細長い入江に成っているのです。
写真0-2:閘門脇の堤防上から見た入江の眺望。

 先ずは入江に行って、その”住居”を見て貰いましょう。

 ■2006年

  ●入江の騒めき

写真1-1:一番下流側の入江の入口。写真1-2:入江の沈水植物。 左が河川敷の下流側から見た一番下流側の入江の入口、真ん中の葦の茂みと右の護岸の間が入江で、茂みの左側が淀川本流です(06年8月21日撮影)。
 水面下には水草、即ち水生植物(※3)の仲間の沈水植物(※3-1)が長い茎をしぶとく絡ませて密生して居ます(右の写真、06年8月4日撮影)。写真の右下には水面を飛ぶチョウトンボが写って居ますので大きさが比較出来ます。

 左下はその上流に在る中程の入江の入口(06年8月23日撮影)で、入江の岸には水生植物の仲間の抽水植物(又は挺水植物、※3-2)のアシ(葦)やガマ(蒲)が生い茂って居ます。背後に見えているアーチは淀川水管橋です。
 右下は中程の入江の内部の様子(06年8月21日撮影)で、やはり水生植物の仲間の浮水植物(=所謂”浮き草”、※3-3)であるウォーターレタス(※4) -水面上を黄緑色で覆っている部分- が沢山浮いて居ます。このウォーターレタスの集団は台風などで突然位置を変えます、”根無し草”ですから。
写真1-3:中程の入江の入口。写真1-4:中程の入江に浮かぶウォーターレタス。

写真1-5:城北湾処近くの入江の最奥部。 そして淀川水管橋と赤川鉄橋の下を通って淀川上流方向に進むと、左の入江の最奥部に行き当たります(06年8月24日撮影)。背後には菅原城北大橋が見えて居ますね(城北は「しろきた」と読む)。ここから更に奥が城北の湾処(わんど)です。
 ここにも同様に水生植物の沈水植物・抽水植物・浮水植物(※3~※3-3)が勢揃いして居ます。トンボには特に抽水植物が自生出来る環境が必要です、そしてヌートリアもそういう環境を好むのです。

 大阪市は年に1度は水草を除去して居ます、今年はクレーン車を投入して居ました。底を浚(さら)わなければ大丈夫の筈ですが。私は人間が撒き散らした人為的なゴミだけを取り除いて欲しいのですが、まさか役人天国の日本で”お役所”がトンボを憚って非効率な作業をする筈も有りません。
 どうです、貴方(貴女)にも「入江の騒めき」が少しずつ聞こえて来ませんか?!

 [ちょっと一言]方向指示(次) アルベニス(Isaac Albeniz)というスペインの作曲家に『入江のざわめき』という曲が在り、この節で用いた「入江の騒めき」はそのパロディーです。

 入江の”住居”を見て戴いた後は、愈々入江の”住人”をご紹介しましょう。

  ●ヌートリア

 下の写真が中程の入江に居るヌートリアです(06年8月4日撮影)。鼻先から尻迄の体長が目測45cm、そして尻尾がやはり40cm位、川水の中に薄らと黒く見えている後脚には水掻きが有ります。前述の様に、このヌートリアを「日本、珍にして奇なる光景」の中で最初に報じました。
 成る程、広辞苑に拠るとネズミ目ヌートリア科原産地は南アメリカ東部で、軍用毛皮獣として移入飼育され西日本各地で野生化しました。夜行性ということですが、撮影時刻は午後2~3時頃です。英名はコイプ(coypu)で、欧米ではこの呼び名の方が一般的な様です。私はコイツと呼びますが、アッハッハ!
 しかしコイツが単独で生息して居るとは考え難いので、家族とか数匹は潜んで居るのかも知れません(→後日、家族の存在が確認されました)。
写真2-1:淀川を泳ぐヌートリア「ヌ1号」。
写真2-2:ヌートリア「ヌ1号」の顔。
 成熟すると尻尾は鱗状に成るそうですが、上の写真を見ると丸で黒色のゴムの蛇の様ですが、尾が蛇の想像上の怪獣に鵺(ぬえ)が居ます。
 右がヌートリアの顔そっくりです。これからの説明の都合上一応コイツに名前を付けます、「ヌ1号」にします。
 でも見付かると”駆除”されるそうです、悲しきヌートリア!
 ネットで調べたら特に岡山県に多い様で、大阪では伊丹の昆陽池や淀川各所で時々目撃されて居ます。
 


写真2-3:ヌートリアが食べていたウォーターレタス。
 実はこのヌートリア、私が第1発見者ではありません。例に依って自転車でここを通り掛かった時、やはり自転車で来ていた人から、「ちょっと、変な動物が居るよ。」と声を掛けられたのでした。

 その人の話に拠ると、川面に浮かんで居る水草の葉を食べていた、ということです。どの水草か訊くと、直ぐ近くに群生して浮かぶウォーターレタス(右の写真、※4)でした。これもアフリカ原産の帰化植物です。和名をボタンウキクサ(牡丹浮草)と言いますが、小さな花が咲くのをご存知ですか?
 ところで『フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)』に拠るとヌートリアが希少価値の高いベッコウトンボ(※5)の生息地を壊滅させる被害を出して居る様で、そうなるとこの撮影地は淀川のトンボの生息地のド真ん中、トンボ好きの私にとってヌートリアは”招かれざる珍客”ですが、ヌートリアが生息して居るということはトンボにとって良い環境なのかも知れないと逆に私は密かな期待を抱いて居ます。

 実は私は05年2月26日にも篠山川 -加古川の支流で丹波篠山の市街地の南を東から西に流れる- で、”泳ぐ大鼠”を目撃して居ます。最初に発見したのは一緒に牡丹鍋を食いに行った仲間で、やはり「変な動物が居るぞ!」という声で岸迄走ったのですが、残念乍ら大鼠も直ぐに岸に上がり姿を隠して仕舞いカメラに収めることは出来ませんでしたが、チラッと見ることが出来ました。今考えればこれもヌートリアでした(←その後07年1月3日にこの篠山川河床から恐竜の骨の化石発見のニュースが飛び込んで来ました)。

写真2-4:泳ぐヌートリア「ヌ2号」。 その後、私は少し気を付けて入江に行き注意深く見ているとヌートリアは結構出没して居ます。8月9日にも目撃しました(右の写真)。「ヌ2号」と命名します。
 これは8月4日に発見した「ヌ1号」よりも一回り小振りな感じで、ご覧の様に尻尾の先迄毛が生えていて、「ヌ1号」のゴム蛇尻尾とは明らかに違います。
 私は「ヌ1号」が一家の”お父さん”、この「ヌ2号」が”お母さん”の様な気がします?!

 そして8月15日には、「ヌ1号」「ヌ2号」の”子供”と思しき「ヌ1号」の半分位の大きさのヌートリアが浮き草を食べているのを見掛けましの。このチビ公を取り敢えず「ヌ3号」と命名して置きます。チビ公は警戒心が強く直ぐ向こう岸に逃げて行き、咄嗟にデジカメのシャッターを切りましたが残念乍らブレていたので写真は掲載しません(→後日「ヌ3号」の撮影に成功します)。
 しかし、これで私が予測した通りこの付近にヌートリアの1家族が棲み付いて居ることは確実です。

 で、同じ15日、トンボを見回った後帰り掛けに入江にふと眼を遣れば、出て来ました!、ヌートリアが。こちらの岸に近い所でやはりウォーターレタスを食べに来たのです(左下の写真)。
写真2-5:ウォーターレタスを食べに出現したヌートリア「ヌ1号」。 左のコイツは顔の表情やゴム蛇尻尾から、間違い無く8月4日に発見した「ヌ1号」です。
 コイツは可なり図々しい性格らしく私の居る岸の方に近付いて来ましたので、至近距離から充分撮影後に私が「ニャーオ」と言って遣ったら、コイツ固まって仕舞いましたね。そして急に警戒顔に成って潜って逃げて行きましたが、実に面白かった。しかし、その方が君たちの為さ、”駆除”されない為にね。
      (^v^)

 ★この「ヌ1号」がウォーターレタスや水草を食べている動画映像(size=715KB)を見たい方は下をクリック!
 → ビデオを見る(Look the video)

 ヌートリアをおちょくった罪滅ぼしに君たちを一言弁護して置きましょう。この入江にはペットボトルやゴミが沢山浮いて居ます。ここの水辺の環境を破壊して居る張本人は君たちヌートリアでは無く、我々人間です!!!
写真2-6:逃げて行く子ヌートリア「ヌ3号」。
 そして8月24日、8月15日に見掛けた子ヌートリア「ヌ3号」の撮影に成功しました(右の写真)。体長25cm位(尻尾も25cm位)です。ご覧の様に体毛が柔らかそうで、やはり尻尾の先迄毛が生えて居ます。子供でも生後1日で泳げるそうです。
 この写真は私に気付いて逃げて行く所ですが、初めは後述する鴨の一家が泳ぐ傍で水草を食べて居ました。鴨も別段気にして無い様子でした。
    {この節は06年8月24日に更新}

  ●トンボや昆虫たち

 元々私はトンボを求めてこの入江を発見し私の「秘密の場所」としたのです。
 トンボ(蜻蛉)類の幼虫のヤゴは水中で育ちますが、この入江に生息して世代交代を重ねているトンボとしては、シオカラトンボ/コフキトンボ/ショウジョウトンボ/ウチワヤンマ/タイワンウチワヤンマ/ギンヤンマ/チョウトンボ/アオモンイトトンボ/セスジイトトンボ/ノシメトンボなどを確認して居ます。その内の幾つかを下に掲載しましょう。
 左から1番目はコフキトンボ(粉吹蜻蛉)の♂です(06年7月29日撮影)。塩辛色をした部分が粉を吹いた様に見えるのでこの名が在ります。
 2番目が産卵をするギンヤンマ(銀蜻蜒)の♂♀で、勿論前が♂です(06年7月31日撮影)。ギンヤンマはこの様に必ず♂♀がペアで産卵します。ギンヤンマは滅多に止まってくれないので「良く見掛けても中々写真に撮れない種」なのです。やっとこの日に撮る事が出来ましたので私は06年7月31日「ギンヤンマ記念日」と名付けました。
 3番目は産卵の為に入江の水面近くに飛来したチョウトンボ(蝶蜻蛉)で、ほぼ実物大です(06年8月9日撮影)。普段は入江の岸の高木の上を飛び、飛ぶ姿がチョウ(蝶)の様に見えるのでこの名が付いて居ます。
写真3-1:コフキトンボの♂。写真3-2:チョウトンボ。
写真3-3:ウチワヤンマの♂。写真3-4:セスジイトトンボの♂。 左は入江の一角で”睨みを利かせ”て縄張を張るウチワヤンマ(団扇蜻蜒)の♂で、腹部先端の団扇状突起の重みとバランスを取る為に逆立ちする姿勢で止まるのが特徴です(06年8月15日撮影)。背景はウォーターレタスです。同種のタイワンウチワヤンマ(台湾団扇蜻蜒)が近年急速に数を増やし淀川では数で圧倒して居ます。タイワンウチワは団扇状突起が小さく黒いのに対し、ウチワヤンマは写真の様に団扇状突起が大きく団扇の中に黄色の斑紋が有るので区別は容易です。
 右は水面に浮かぶウォーターレタスに止まるセスジイトトンボ(背筋糸蜻蛉)の♂で、ほぼ実物大です(06年8月23日撮影)。数が少ない希少種なので背中の美しい瑠璃紋に出会えたら幸運です。これと良く非常に似たムスジイトトンボ(→後出)も居ます。

 左は淀川河川敷に秋の日差しの中で孤立して1匹だけで居たノシメトンボの♂で、ほぼ実物大です(06年9月27日撮影)。私はノシメトンボに出会したのは、この時の1回切りで今では希少種です。ノシメとは漢字で熨斗目(※6、※6-1)と書き、格子縞などで腰部にアクセントを施した江戸時代流行の着物が語源で、ご覧の様に成熟個体腹部の格子状黒条(=熨斗目紋様)に由来する雅(みやび)な呼称です。♂の腹部は暗赤色、♀は橙褐色を呈するアカネ(茜)属の大型種で、前後翅先端が濃褐色且つ腹部の格子状黒条が特徴です。

 ここに掲載したトンボは何れも水辺を離れない種なので、市街地では見られないという意味で都会では希少な水辺のトンボたちです。他のトンボについては「私の昆虫アルバム・日本編-トンボ類」に詳しく掲載して居ますので、そちらを参照して下さい。

写真3-5:コムラサキの♂。 この入江にはトンボ以外の昆虫も色々居ますが、右は中程の入江の樹に止まっていたコムラサキ(小紫)の♂で、ほぼ実物大です(06年9月28日撮影)。日本の国蝶として名高いオオムラサキ(大紫)と同属の美しい蝶で、都会では希少な種です。ご覧の様に♂の翅は紫色に輝くのが名前の由来ですが、この紫は見る角度に依って違います。全体が橙色っぽいのは日没前の夕日を浴びているからです。
写真3-6:トノサマバッタの♂。
 左は中程の入江の岸に這い出して来たトノサマバッタ(殿様蝗虫)の♂です(06年9月20日撮影)。体の大きい♀が♂を負んぶして居ます。
 秋の彼岸の頃、この入江と淀川に挟まれた陸地 -そこにはイネ科の植物が生えている- にバッタ類が多数出現しますが、それを知っているのは恐らく私一人でしょう。一般の人々が散歩する場所はグラウンドなどが在り人間に管理され言わば”人間の臭いが染み付いている”のでバッタは殆ど居ないからです。

  ●亀たち

 この入江には何種類かの亀が生息して居ますが、下は大小の亀が一斉に甲羅干しをして居る光景です(06年6月21日撮影)。耳の所が赤いのでアカミミガメ(赤耳亀)(※7)という肉食の亀です。小さい亀が緑色に見えますが、子亀は通称ミドリガメ(緑亀)と呼ばれて居ます。この亀も北アメリカ原産の帰化生物で、ペットとして輸入され野生化しました。
写真4-1:アカミミガメの甲羅干し。

  ●鳥たち
写真5-1:マガモの群れ。
 右はマガモ(真鴨)(※8)の群れ、多分家族です(06年8月2日撮影)。全部で5羽居ますが、頸から上が黒く見える手前の3羽が♂です。
 この入江の向こう岸の葦が密生する中に巣が在り、「グェグェー」と鳴き乍ら夕方纏まって巣に帰る所です。

 06年8月15日、入江のウォーターレタスが密生して居る場所に珍客が2羽、番(つがい)でしょうか?、2羽仲良くウォーターレタスの上を歩き回り乍ら、何やら啄(ついば)んで居ました。大きさも体形もハトみたいですが、良く見ると違います。下の2枚の写真をご覧下さい。嘴から額に掛けて赤い肉質の額板が目立ちます。嘴の先端は黄色で、脇腹に白い縦紋が見えます。これも後で図鑑で調べたらバン(鷭)(※9)でした(△1のp210)。ここでバンを見たのは初めてです。
写真6-1:バンの番(つがい)。写真6-2:バンの顔。
 バンはツル目クイナ科の渡り鳥で、東南アジア方面から日本に避暑に来たもので珍客と言えるでしょう。「クルルル」と鳴くそうですが、この日は無言でした。夏が過ぎれば又南へ帰って行くのか、と思っていたら10月末迄ここに居ました。

  ●魚たち

 入江の水の中を覗くと、当然の事乍ら魚たちが泳いで居るのを見ることが出来、偶には体長30cm位の大きな魚も見られます。釣りをする人も居ます。
写真7-1:入江を泳ぐ小魚たち。
 右は入江を泳ぐ小魚の群れで一番大きく写っている魚の体長が10cm位です、名前は解りません(06年8月25日撮影)。
写真7-2:尾が白く光って見える魚。
 左は尾が白く光って見える魚で、体長12cm位(06年9月8日撮影)。
 魚の写真を撮っていて気が付いたのは、距離3m以内でデジカメの電源SWをONにすると、「ピポッ」という音を敏感に聴き取りサッと潜ったり散ったりして仕舞うことでした。
 トンボも電子音で複眼をクルッとこちらに向けますが、逃げ去ることは少ないのですが。

 淀川にはイタセンパラ、アユモドキ、バス、ワタカ、タイリクバラタナゴ、ヨシノボリ、カマツカ、ゼゼラ、ギギ、ナマズなどの魚やイシガイ、ヒメタニシなどの貝が生息して居るそうで、この内イタセンパラ(コイ科タナゴ属)とアユモドキ(ドジョウ科)は天然記念物に指定されて居ます。
 尚、菅原城北大橋近くの土手の上には淀川に生息する魚たちの説明板が在ります。

  ●人間たち

写真8-2:ウォーターレタスを掻き寄せている大阪市の職員。写真8-1:掻き集められた水草を引き上げるクレーン。 人間たち、と言っても淀川の入江に青テントを張って生活して居るプーのオッサンたちではありません。確かに彼等もこの環境に生息して居る無視出来ない一員なのですが。
 左右は入江の最奥部で繁茂するウォーターレタスを除去して居る大阪市の職員です。大きな古タイヤを浮き輪替わりにして半身水に浸かり乍ら手に持つ竹竿でこちらに掻き寄せ、クレーンで掴み上げ除去するという作業です。06年9月27日に撮影したものですが、淀川でこの様な作業が行われて居ることは殆ど誰もご存知無いでしょう。
 

 ■私の主張 - 「自立的に世代交代を重ねる環境」
           を保つには「生物多様性」が不可欠

 以上が入江の同居人たちの”在りの儘”の姿です。在来種と外来種が入り混じって同居して居る様子がお解り戴けたかと思いますが、ここでは多種多様な生命が微妙なバランスの上で共生し、時には熾烈な生存競争闘争しつつ、生成流転を繰り返して居ます。
 大切な事は、淀川は人為的な手助け無しに様々な生物が「自立的に世代交代を重ねる環境」が、今の所辛うじて、保たれて居るということを再認識することです。そして、この入江が単なる池や沼と異なる点は、淀川の大河の流れに対して半分開かれた系(semi-open system)である、ということです。言い換えると、池や沼よりもダイナミックな場が提供されて居ると言えます。その様な意味で、未だ未だ淀川の入江は”生きている”ということを多くの地元の人に知って貰いたいのです(←冒頭に記した様に、この場所は”秘密”にして置きたいので本当は知らせたく無いのですが...、何たるジレンマか!)。

 ところで、前から気になって居た問題について私見を述べて置きましょう。ヌートリアが希少価値の高いベッコウトンボ(※5)に被害を与えている話は前述しましたが、ベッコウトンボの数少ない生息地である静岡県磐田市の桶ヶ谷沼ではアメリカザリガニ(※10)の大発生に因ってベッコウトンボの個体数が激減する被害が出ている様です。これに対し磐田市では市民や子供たちを動員して”ザリガニ退治”を1999年頃から継続して居るそうですが、こういう発想は短絡的です。そこには

  絶滅危惧種(※5-1)のベッコウトンボは100%被害者:イイモン(善玉)
  それを食い荒らすアメリカザリガニは100%加害者   :ワルモン(悪玉)


という、”単純化”した「極端な二項対立の構図」が窺えます。所謂一つの”害虫”という考え方ですが、生物界と言うのはそんな単純な構図で割り切れるものではありません。短期間に大量発生したアメリカザリガニを一時的に数を減らすことは応急処置としては必要性を認めますが、長期的には「生物多様性」(※11)ということを考慮すべきです。地球を棲み処とする有らゆる生物は一定範囲内で関係し合い食物連鎖を中心とするネットワークの中でそれぞれ存在意義を与えられて居るのです。存在意義が有るからこそ生存競争と永い進化の過程で淘汰されずに生き残っている訳です。食物連鎖の頂点に立つ我々人類は、外来種とは言えアメリカザリガニの存在意義も認めて遣る必要が有ります、それが東洋哲学が説く「寛容の精神」というものでしょう。生物多様性、食物連鎖、生存競争、淘汰、これらは皆厳然たる「自然の摂理」 -全生物が平等に不可避の厳粛な自然の掟(※12)- です。
 ヌートリア(※1)もアメリカザリガニ(※10)も外来種 -元々の日本の生態系には居なかった種- ですが、”外来”させたのは人間、つまり”人間の身勝手さ”が根本原因なのです。”害虫”という発想で言えば、この身勝手な人間こそ”害虫”の最たる者です。地球上から人間を半分位”駆除”すれば地球環境は大幅に最適化されますよ、アッハッハッハ!!
 しかし人間も必要なのです。幾ら環境問題が騒がれても人間も生きて行かねば為りません。「クジラ(鯨)を食う」という日本固有の文化も大切にする必要が有ります。従って

  クジラやイルカは100%被害者    :イイモン(善玉)
  それを食う日本人は野蛮で100%加害者:ワルモン(悪玉)


と見做す、これ又短絡的な環境保護派とは私は一線を画して居ます。この様な「極端な二項対立の構図」は「いじめ問題」でも同様に見て取れます。即ち

  「いじめられっ子」は100%被害者:イイモン(善玉)
  「いじめっ子」は100%加害者  :ワルモン(悪玉)


という図式です。こういう単純化した構図からザリガニを排除するのは愚行です。

 自然環境に対しては「人間と他の生物との関係」や「人間以外の生物同士の関係」を「生物多様性」の中で捉え互いの共生最適バランス循環を図る、という考え方が私の持論であり主張です。それが「自立的に世代交代を重ねる環境」を保つ王道であり、05年に私が唱えた「幸せ保存の法則」の中身なのです。

                (-_*)

 入江が死ねばここに生息して居る全ての生物は死に絶えます。入江を生かす為に人間は何を為すべきか?、或いは何を為さざるべきか?、水草を除去しヌートリアや害虫を”駆除”するだけでは何も解決し・ま・せ・ん・よ!!

 ■2007年

  ◆入江の一部、地均しされる

  (1)07年1月17日

 私が06年8月21日の初稿で上の

 入江を生かす為に人間は何を為すべきか?、或いは何を為さざるべきか?

と書いたのですが、年が明けて07年1月5日に見回りに行ったら、左下の様に中程の入江の陸地が樹木が刈り取られブルドーザーで地均しされ橙色のウォーターフェンスで囲まれて居ました。陸地の上に見えるブルドーザーの拡大が右下の写真です(1月5日はカメラを持って無かったので写真は1月8日に下流側から撮影)。06年夏の中程の入江の写真と見比べてみて下さい!
写真a-1:地均しされた入江の中程の陸地。写真a-1-2:ブルドーザーの拡大。
 ここは「私の庭」の一部なので06年の11月上旬に見回って居ますが、その時は異変は無かったのです、多分暮れに遣ったのでしょう。丸裸に潰された工事現場にはご覧の様にカラスが幾羽も止まり、その上をご覧の様に多数のユリカモメ(後述)が群飛して居ました。

写真a-2:入江の工事区域に立つ「河川工事中」の看板。  (2)07年1月31日

 この工事の発注者が判りました、右が「河川工事中」の看板です。発注者は国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所で、工事期間は06年10月31日~07年3月10日です。国土交通省近畿地方整備局は「毛馬の閘門」を管理して居る部署です。
 工事名には皮肉にも「赤川地区自然再生」と謳って居ますが、私が大事に観測して居るトンボの生息地の一部が破壊されたことは確かです。

 この中程の入江のゾーンは例のヌートリアの家族を発見した場所で、それ以上に私にとって大事なトンボの生息地なので水中のヤゴが心配です。珍しい蝶であるコムラサキ(小紫)を発見したのもこのゾーンの少し奥です。
 しかし、突然の地均しは何の為なのか、良く解りません。ここより下流に在る干潟実験場にでも付加するのかどうか(?)...。まぁ、ここには青テントのプーさんが”棲息”して居ましたので、プーのオッサンを駆除したことは確実です!
 今後の変化の様子を見守る必要が有りそうです。

写真a-3:07年5月14日の工事現場の様子。  (3)07年5月14日

 その後工事現場は放り置かれた儘です。右は07年5月14日の現場の様子で、1月8日のブルドーザーが置かれて居た写真とほぼ同じ角度から撮影しました。ご覧の様にブルドーザーは撤去され沢山居たカラスとユリカモメは姿を消し、枯れて居た木の枝には若葉が茂り、地均しされた陸にも下草が少し生えて来て居ます。
 これは自然の回復力です。 

 という訳で07年1月5日にユリカモメを目撃して居ますので、07年の観察記録は「鳥たち」から始めます。

  ●鳥たち

写真10-1:ユリカモメ。 左がそのユリカモメ(※13)で「河川工事中」の看板を撮りに来た1月31日に撮影しましたが、この日は非常に数が多く河川敷に溢れんばかりでした(△1のp136)。
 ご覧の様に嘴と脚が赤いのが特徴です。故郷はユーラシア大陸北部で、日本には冬鳥として渡来し、10月~翌年4月頃迄各地で生活します。従って日本で見られるのは主に冬型(=冬羽)で、頭部が灰白色で眼の後方に灰黒色の斑紋が有るものです。しかし夏季は頭部前面が黒褐色に成り、英語名の
  black-headed gull
は夏型(=夏羽)の姿に由来します。
 04年に桜満開の桜之宮公園で群飛して居たユリカモメの写真も在りますよ。

    ++++ ユリカモメと日本人 ++++
 ところで、このユリカモメは古くは「都鳥」(※13-1)と呼ばれ、古(いにしえ)の日本人に歌われた鳥なのです。平安時代の『伊勢物語』第9段の「すみだ河」(現・東京の隅田川)の渡しの場面(△2)での

  名にし負はば いざこととはむ 都鳥
        わが思ふ人は ありやなしやと


の歌は余りにも有名です。この逸話は既に「浅草、もう一つの風景」で紹介して居ますので、興味有る方は参照して下さい。
 更に古くは『万葉集』巻20-4462に

  船競ふ 堀江の河の 水際(みなぎは)に 来ゐつつ鳴くは 都鳥かも
                           大伴家持


という歌が在ります(△3)。家持(※14)は『万葉集』の編纂者と目されて居る奈良時代の歌人で、「堀江の河」とは古代大坂で水防用に掘削した「難波の堀江」(※15、※15-1)のことで今の大阪市の堀江とは異なります
 この様にユリカモメは「都に居る鳥」という意味を持ち、昔から京都や大阪や東京に所縁(ゆかり)の有る鳥だったのです。
    -------------------

 冬が過ぎ春に成るとユリカモメは故郷に帰り、もう居ませんでした。
 そして5月に成ると地均しされた陸地の上を「キッキッキッ、キーキー」という奇声を発し乍ら飛ぶ鳥に出会いました。
写真10-2:工事現場の上を飛ぶケリ。写真10-3:工事現場に降りたケリ。 その鳥を最初に目撃したのは5月14日ですが、5月28日にその姿を撮影しました(左右の2枚)。2羽居ましたが番(つがい)かどうかは不明です。図鑑で調べたらケリ(鳧)(※16)というチドリ科の鳥です(△1のp218)。普段は「ケリリ」と鳴くのが名前の由来ですが、繁殖期にはけたたましい奇声に変じます。嘴と長い脚が橙色で、飛ぶ姿は白と黒のコントラストが中々綺麗です。
 東北地方に棲む渡り鳥だそうですが、北から渡って来たのでしょうか?、この先更に南に渡るのでしょうか?、淀川ではバン(鷭)と同じく珍客で初めて目にする鳥です。

  ●昆虫たち - トンボたちが舞い戻る

 何よりも入江のトンボが心配だった私はドイツ旅行から帰国して直ぐの5月9日に入江をウォッチングに行きました。案の定ブルドーザーで潰されたゾーンにはトンボは居ませんでしたが、奥の赤川鉄橋の上流側の入江でギンヤンマとイトトンボの元気な姿を見付けました。その写真は「私の昆虫アルバム・日本編-トンボ類」に掲載して居ます。
写真11-1:工事現場に居たムスジイトトンボの♂。
 自然の回復力は大したものです。地均しされたゾーンにも少しずつトンボが舞い戻って来ました。
 右は07年5月23日に撮影したムスジイトトンボ(六筋糸蜻蛉)の♂で、工事現場の陸地の岸で見付けました(実物の約1.5倍)。5月28日にはギンヤンマも飛来しましたので、”この儘の状態”であれば、このトンボたちが産卵し来年から再びヤゴからトンボが羽化する循環、即ち「自立的に世代交代を重ねる環境」が再生される筈です。
    {この段は07年5月28日に追加}

 ■結び - 入江は”生きている”


写真e-1:ウォーターレタスの花。 左は夏の入江に密生しヌートリアも食べていたウォーターレタスの花です(06年9月20日撮影)。実物は6~8mmの小さな花ですが、葉株の中心部分を1つずつ注意深く覗いて行くと幾つかの株で白く咲いているのを見付けることが出来ます。小さな花の周囲や葉の表面に微毛が生えているのが見えますが、この微毛は葉の裏面にも生えていて、葉を触ると丸でビロードの様な感じです。花は水芭蕉の花の様な形(或いはハート型)ですが、水芭蕉も同じサトイモ科です。因みに私たちが食するレタスはキク科です、念の為。
写真e-2:ホテイアオイ(布袋葵)の花。

 右はウォーターレタスの葉の間から顔を覗かせていたホテイアオイ(布袋葵)の花(※4-1)です(06年8月15日撮影)。ウォーター・ヒヤシンスとも言い、やはり熱帯アメリカ原産の帰化植物ですが、これはミズアオイ科です。

        (-_*)

 普段何気無く歩いて居た淀川、決して綺麗な川では無い淀川にも思い掛け無い生命の営みが在るのだ、ということが解って戴ければ幸いです。経済成長一辺倒だった日本でウォーターフロント水際水辺、※17)という言葉が聞かれ始めたのは1985年頃でした(△4)。川や海に接した水辺地帯の利用は戦後の高度成長以降、日本が置き去りにして来た部分です。特に「水の都」の大阪は、以前は河岸(かし)と呼んで庶民は大川や運河の水際で生活し、家の中をトンボが飛び交ったりするのが当たり前でした。それは正に”万葉の家持”が「堀江の河の水際に」と詠んだ光景と近しいものだったのです。にも拘わらず日本は海を埋め、川底を浚い、運河を暗渠にして”陸の拡張”のみを追求して来ました。その点、現在も河川に美しく映えるヨーロッパの都市造りとは都市計画に対する”姿勢の違い”を感じます。土建・金権・利権の日本型開発に因る殺伐とした都市生活の中で、GDPは高いが「豊か感」(=豊かであるという実感)を持て無い日本人が生活の中に、豊かさの一つとして「潤い」を求め始めた、それがウォーターフロントへの接近だったと考えられます。
 私は水辺に潤いと涼しさを求めて、猫が散歩する様にこうして淀川の入江をパトロールして居ますが、すると「入江の騒めき」の小さな生命(いのち)たちに触れることが出来ます。それは私にとって大きな感動の瞬間なのです。

 そこで最後に大伴家持の「都鳥の歌」を捩(もじ)って詠んだ私の歌をご披露しましょう。その前に私の号は月海ですが、世間では別名を蜻蛉の君(あきつのきみ)と呼ばれて居るのをご存知ですか?、ムッフッフ!!

  葦原の 淀の入江の 水際(みなぎは)に 来ゐつつ光るは 大秋津の眼
                        月海(別名:蜻蛉の君)


 秋津(あきつ)とはトンボの古名で蜻蛉(あきつ)とも書きます「大秋津」又は「大蜻蛉」(おおあきつ)とは私の造語で「大きいトンボ、即ちヤンマ(蜻蜒)」のことです。
写真e-3:大きな複眼を光らせて縄張飛翔するギンヤンマの♂。 右は私の「秘密の場所」である淀川の入江を大きな複眼を光らせて縄張飛翔するギンヤンマの♂の雄姿です(06年8月21日撮影)。飛んでいるのでボケた写真に成って居ますが、ご容赦を。飛んでるトンボを撮るのは難・し・い!
 07年初頭に「入江の騒めき」の音がブルドーザーのエンジン音に掻き消されようとして居ましたが、このページでお解りの様にブルドーザーに”自然再生”して貰わなくても、元々から入江は”生きている”のです。今後もウォッチングを続けます。

 という訳で、このページを[私の淀川]シリーズの<その3>として追加します。[私の淀川]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

φ-- おしまい --ψ

【脚注】
※1:ヌートリア(nutria[スペ], coypu[英])は、(カワウソの学名ルートラの訛)ネズミ目ヌートリア科の哺乳類。頭胴長50cm、尾長40cm程。毛色は褐色で、水中生活に適応し後足の指間に水掻きが有る。夜行性で水草や貝類を捕食。南アメリカ東部の草原や湿地の原産だが、毛皮獣として養殖され、世界各地で野生化して居る。日本では軍用毛皮獣として移入飼育されたものが、西日本各地で野生化。水辺の作物を荒らすのと、堤防に大きい巣穴を掘り危険な為、駆除される。沼狸。海狸鼠(カイリネズミ)。コイプ。

※2:大阪では自転車のことをチャリンコ(略してチャリ)と言います、多分チャリンチャリンと鳴らすからでしょう。お母さんが買い物に使う様な自転車のことをママチャリと言います。
 広辞苑を引くとチャリンコは
 [1].子供の掏摸(すり)を言う隠語。
 [2].自転車を言う俗語。
と在りました。

※3:水生植物(すいせいしょくぶつ)は、水中に生活する植物の総称。特にフサモ・ハス・ヒシなど大形の植物について言う。沈水植物抽水植物浮水植物などに分ける。
※3-1:沈水植物(ちんすいしょくぶつ)とは、体の全部が水中に在り固着生活をする植物。フサモ・キンギョモの類。水中植物
※3-2:抽水植物(ちゅうすいしょくぶつ)とは、浅水に生活し、根は水底に存在し、茎・葉を高く水上に伸ばす植物。ハス・ガマ・マコモ・アシ・イの類。挺水植物
※3-3:浮水植物(ふすいしょくぶつ)とは、水底に固着せず、水面に浮遊する植物。ウキクサの類。水表植物

※4:ウォーターレタス(water lettuce)は、宿根性の水草。観賞用。単子葉類サトイモ科。高さ10~15cm。葉の表面はビロード状で群生する。夏の高温期に開花し、夏の間良く繁殖する。原産地はアフリカ牡丹浮草(ボタンウキクサ)。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※4-1:布袋葵(water-hyacinth)は、ミズアオイ科の多年生帰化植物。熱帯アメリカ原産。高さ30cm。葉柄は中央が鶏卵大に膨れ浮袋と成り、池・沼などの水面に浮く。夏、淡紫色6弁の花を付ける。金魚鉢などに入れ観賞用とする。ホテイソウ。ウォーター・ヒヤシンス

※5:鼈甲蜻蛉(べっこうとんぼ)は、トンボ科の昆虫。体長4cm内外。翅に鼈甲色の斑紋が有る。生息地が水生植物の多い古い沼に限られる為激減し、1991年、絶滅危惧種に指定。
※5-1:絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ、endangered species)とは、急激な環境変化や乱獲などに因り、絶滅に瀕している生物の種又は亜種。現在では、レッドデータ・ブックに登録刊行されて居る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※6:熨斗目(のしめ)とは、江戸時代に武家が小袖の生地として用いた練貫(ねりぬき)の称。袖の下部と腰の辺りを色替えしたり格子縞横縞を織り出したりしたものを腰替りと言う。小袖に仕立てて、士分以上の者の礼服として大紋(だいもん)・素襖(すおう)・麻上下(あさがみしも)の下に着用。
※6-1:練貫(ねりぬき)とは、(「練緯(ねりぬき)」の意)生糸を経(たて)、練糸を緯(よこ)として織った絹織物。ねり。

※7:カメの一種。北アメリカ原産。側頭部に赤い斑紋が有るのでこの名が在る。子ガメはミドリガメと呼ばれ、ペットとして輸入。その逃げ出したものが成長し、関東地方などの川や池に定着。

※8:(古くはマカモとも)カモの一種。大きさはアヒル位。雄の頭・頸は光沢の有る緑色で、頸に白色の1環が有り、背は褐色、腰は紺色、翼は灰褐色、翼鏡は紫緑色。上胸は暗栗色、以下灰白色。雌は全体黄褐色で暗褐色の斑紋が有る。北半球に広く分布し、日本付近では北海道・千島・本州の一部などで繁殖。アヒルは本種を家禽化したもの。雄を青頸(あおくび)とも言う。

※9:鷭(ばん、common gallinule, moorhen)は、ツル目クイナ科の鳥。大きさはハト位。全身灰黒色で下尾筒は白色。嘴の基部に前額を覆う赤い肉質の額が有る。池沼の草の間や水田に棲み、良く泳ぐ。日本には夏鳥として渡来するが、少数は冬も留まる。本種に似て大形のオオバンは額板・嘴が蒼白色。

※10:アメリカザリガニ(crayfish)は、アメリカザリガニ科のエビ。体色は赤褐色で、殻は堅く、頭胸甲や鉗脚に多くの棘が有る。体長10cm。第1歩脚の鉗脚(=(はさみ))は強大。川・池・湖などに生息。田の畦などに穴を掘り、水田の害と成ることが有る。ウシガエルの餌として1930年頃アメリカから神奈川県の養殖場に移殖されたものが帰化し、日本各地の水田・河川・湖沼に分布。特に西日本でザリガニと呼ぶのはこの種ジストマの中間宿主。エビガニ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※10-1:ザリガニ(Japanese crayfish、蝲蛄)は、(後方にしざる性質を持つから言う)ザリガニ科のエビ。体は赤みを帯びた暗緑色で、殻表は平滑、体長7cm内外。第1歩脚の鉗脚(=(はさみ))は、他種と比べて小さい。北海道・東北地方北部の川や池に生息。日本特産で、秋田県八幡沢の天然記念物。エビガニ。
※10-2:ウシガエル(bullfrog, edible frog、牛蛙)は、カエルの一種。体長約18cm。雄は鼓膜が極めて大きく、背面は濃緑色で黒色の斑紋が有り、腹面は白色で咽喉部は淡黄色。鳴き声は牛に似る。雌は鼓膜が雄に比べて小さい。肉は食用に供し、淡泊・柔軟で、鶏肉やスッポンの味に似る北米の原産。日本には1919年から移入され野生化して日本各地に生息。食用蛙

※11:生物多様性(せいぶつたようせい、biological diversity)とは、生物が分化・分岐して様々に異なること。種だけで無く遺伝子・生態系の多様性も包括する概念。1992年その国際的な保全の為に生物多様性条約を締結。

※12:自然の摂理(しぜんのせつり、Providence of Nature)とは、自然界を支配して居る理法。

※13:ユリカモメ(black-headed gull、百合鴎)は、カモメの一種(チドリ目カモメ科)。小形で、体は白色。冬羽は頭部白く、後頸・耳羽は褐色、雨覆いは銀灰色。夏羽では頭部が黒褐色と成る。嘴・脚は暗赤色。ユーラシア大陸北部で繁殖し、秋、日本に冬鳥として全国の海岸地帯に渡来。キャァーキャァーと騒がしく鳴く。伊勢物語「名にし負はばいざこととはむ都鳥」など、古歌に詠まれた隅田川の「都鳥」はこの鳥と言う。季語は冬。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※13-1:ミヤコドリ(都鳥)は、[1].oystercatcher。チドリ目ミヤコドリ科の鳥。大形で、背面黒く腹面は白色。嘴は長く黄赤色、脚と眼も赤色。新旧両大陸の寒帯で繁殖し、冬期は南へ渡る。海岸に棲み、春秋に日本を通過。海岸の干潟や岩礁に群生し、貝類・甲殻類を捕食。ピッピッピッと大声で鳴く。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 [2].ユリカモメの雅称。古くから和歌・物語・歌謡などに現れる。上千鳥(うわちどり)。季語は冬。万葉集20「来ゐつつ鳴くは―かも」。伊勢物語「名にし負はばいざこととはむ―」

※14:おおとものやかもち。奈良時代の歌人(717?~785)。三十六歌仙の一旅人の子越中守を初め、中央・地方諸官を歴任、783年(延暦2)中納言万葉集中歌数最も多く、その編纂者の一人に擬せられ、繊細で感傷的な歌風は万葉後期を代表。

※15:堀江とは、地を掘って水を通した川。運河。疏水。万葉集18「―には玉敷かましを」。
※15-1:難波の堀江(なにわのほりえ)とは、仁徳天皇が水害を防ぐ為に、高津宮(たかつのみや) -現在の大阪城付近- の北に掘ったという運河。現在の大阪市の堀江とは異なる。

※16:gray-headed lapwing。チドリ目チドリ科の鳥。名は鳴き声から。大きさはハト位。チドリに似るが肢が長い。背面は淡褐色、腹面は白色、胸と腹の境、翼の手羽などは黒い。脚は黄色。主として東北地方の草原に棲み、冬は南方に渡る。ヤマゲリ。計里。水札。季語は夏。

※17:ウォーターフロント(waterfront)とは、(水際の意)海や川など、水辺に面した地域。産業構造の変化、流通の合理化に因り遊休化した港湾施設などが商業・文化施設として再開発されたり、元来の景観のよさを利用して開発されたりした地区を言う。水辺[地帯]河岸(かし)。<出典:一部「研究社 新英和・和英中辞典」より>
※17-1:河岸(かし)とは、
 [1].河川の岸の、舟から人又は荷物を揚げ降ろしする所。海や湖の岸にも言う。川端
 [2].fish market。河岸に立つ市場。魚河岸。「―へ仕入れに行く」。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『山渓ハンディ図鑑7 日本の野鳥』(叶内拓哉・安部直哉・上田秀雄著、山と渓谷社)。

△2:『伊勢物語』(大津有一校注、岩波文庫)。

△3:『万葉集(下)』(佐佐木信綱編、岩波文庫)。

△4:『ウォーターフロントの時代』(川端直志著、都市文化社)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):淀川の地図▼
地図-日本・淀川、桜之宮と大阪城
(Map of Yodo-river, Sakuranomiya, and Osaka castle, Osaka -Japan-)

サブページ(Sub-Page):ヌートリアの動画映像▼
ビデオ-淀川のヌートリア(VIDEO - Nutria of Yodo-river)
補完ページ(Complementary):淀川入江の同居人のトンボたち▼
私の昆虫アルバム・日本編-トンボ類
(My INSECTS album in Japan, Dragonflies)

補完ページ(Complementary):「幸せ保存の法則」について▼
(生物多様性、食物連鎖、生存競争に依る淘汰は皆「自然の摂理」)
2005年・年頭所感-幸せ保存の法則
(Law of conservation of HAPPINESS, 2005 beginning)

「私の庭」について▼
ここが「私の庭」だ!(Here is the territory of Me !)
淀川のヌートリアの第1報▼
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan)
尾が蛇の想像上の怪獣の鵺▼
大阪港紋章の「鵺」('Nue' in the heraldic emblem of Osaka port)
05年にヌートリアを見た篠山川で恐竜の化石発見▼
2007年・年頭所感-猪食いに吉有り
(Eating boar brings good luck, 2007 beginning)

極端な二項対立への単純化と磐田市のザリガニ退治の愚▼
片手落ちの綺麗事を払拭せよ!(Sweep away unbalanced virtue !)
「クジラ問題」の単純化と日本固有の文化▼
日本の肉食文化の変遷(History of MEAT-EATING in Japan)
いじめ問題の単純化▼
いじめ問題について(About the BULLYING)
桜満開の桜之宮公園で群飛して居たユリカモメ▼
日本全国花見酒(Cherry blossoms and banquet in Japan)
古名「都鳥」として隅田川で歌に詠まれたユリカモメ▼
浅草、もう一つの風景(Another scene of Asakusa, Tokyo)
大伴家持について▼
鵲森宮と「美しい日本文化研究所」
(Kasasagi-Morinomiya and Elegant JPN culture)

難波の堀江について▼
猪甘津の橋と猪飼野今昔(The oldest bridge and Ikaino, Osaka)
土建・金権・利権の日本型開発▼
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
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デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)
「蜻蛉の君」と呼ばれる私▼
エルニーニョ深沢とは何者か?!(Who am I ?)


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